●終わりゆく夢
華やかな舞台は、いまや魔物の餌場へと姿を変えていた。
ステージの天井に張り巡らされた糸の中心にいるのは、鬼の顔を持つ蜘蛛型ディアボロ。そして、土蜘蛛に喰われる寸前の歌姫。
歌姫・モモは、諦観したような表情だった。ステージの下では、無力な田村マネージャーが何事かを叫んでいるが、彼女の耳には届かない。
(……田村さんに、ちゃんとお礼言っておいて良かった、のかな)
モモは不条理な運命を、死を、受け入れたのか。
歌姫の虚ろな瞳から、一筋の涙が流れる。
「……さよなら」
やがて土蜘蛛が、モモの白い喉首に、その鋭い牙を突き立てようとして、
「――そこの巨大蜘蛛! こっちを見ろ!」
少年の凛々しい声に、土蜘蛛の牙がびたり、と止まった。鬼の眼がぎょろぎょろと動き、声の聴こえた方向に視線を定める。
土蜘蛛の視界の先に映ったのは、金髪碧眼の少年騎士。
「お前の相手は、この僕だ!!」
アジュール・アンブル(
jb2830)が、土蜘蛛に向かって吼える。
彼は歌姫を救うため、急遽編成されたチームのひとりだった。
その役割は、いわば囮。
アジュールはタウントを発動している。言葉による挑発も含め、低知能の土蜘蛛の注意を引くには充分有効だった。
鬼面の蜘蛛が、『食事』よりも目障りな外敵の排除を優先。モモから牙を離し、アジュールに向けて大口を開いた。
その動作に、アジュールが身構える。
(火炎攻撃が来る――!)
土蜘蛛の能力は、事前に把握済み。
般若が猛火の渦を吐くよりも早く、アジュールは盾を具現化し、前面に構えた。
灼熱の息吹が、金髪の堕天使に襲い掛かる。
けれど、魔装を展開したアジュールは、冥府の業火を喰らっても斃れなかった。
カオスレート差が厳しい。しかし、聖騎士の矜持は揺るがない。
「くっ、耐えてみせる……! 仲間がモモさんを救出するまでは……っ!」
アジュールが敵を引き付けている隙に、救出班は迅速に行動を開始していた。
指宿 瑠璃(
jb5401)が壁を、そして天井を駆け抜けていく。
「モモさんっ!」
ジャージを羽織った少女忍者が、天井に逆さ立ちしたままクナイを構える。
狙うは、歌姫を吊るす束縛の糸。
「アイドルは皆に希望を与える存在なんです! だから……私が絶対助けます!」
瑠璃にとって彼女のような人は、憧れの対象。ゆえに、必ず。
特別な想いを乗せて放たれた苦無が、土蜘蛛の糸を引き裂く。
ぶちぶちと糸が千切れる。あと、もう少しだ。
「必ず助けるぞよ!」
イオ(
jb2517)がぼろぼろの隻翼を顕現し、地面を蹴る。飛行は苦手だが――だからといって、ここで動かない理由にはならない。
大気に薄く分散するアウルを利用し、高く跳ぶイオ。弧を描いて飛翔する彼女の手には、烈風が収束していた。
鎌鼬。
イオの放った風撃が、ついに糸を切断する。
ぶちん、とあっけなく糸は切れた。糸塊が絡まったまま身動きのできないモモが、重力に従って落下する。
モモが地面へと叩きつけられる、ことはなかった。
「きゃあああぁぁっ!」
「――おっと」
飛翔する江戸川 騎士(
jb5439)が、空中でモモを受け止めた。
騎士は芸術を、そして音楽をこよなく愛するはぐれ悪魔だ。
「音楽に垣根なし。アニソンだろうとロックだろうとクラシックだろうと良いものは、良い。って事で、あんたを全力で助ける」
人形のような騎士の美貌が、混乱する歌姫を安心させるように笑みを象った、その時だった。
「あぶない! 後ろですっ!」
仲間の叫びで、騎士も気づいた。背後から迫る強烈な熱気に。
土蜘蛛の火炎が、飛翔する悪魔へと襲い掛かる。
モモを喰らうべく、邪魔な騎士に攻撃対象を変更したのだろうか。
ともかく、このタイミングでは避けられない。否、
騎士は、避けない。
強烈な攻撃を浴びて、騎士はたまらず苦悶の絶叫をあげた。
土蜘蛛の邪炎が、彼の背中で踊る。
モモは――無事だった。
直線状のすべてを貫くはずの炎流。それを、騎士がその身で受け止めていたのだ。
「ッ……言ったろ? あんたを全力で助ける、ってな」
苦悶の表情を隠し、胸の中のモモに微笑みを向けて、騎士が地面に降り立つ。
「モモっ! 大丈夫かっ!?」
事態を傍観することしかできなかった田村が、何かに突き動かされるようにモモの元へと駆ける。
彼を動かすのは、マネージャーとしての責任感か、あるいは義務感か。
「待て」
田村の行く手に、アイリス・レイバルド(
jb1510)が立ち塞がる。
マネージャーが吼えるが、アイリスは譲らない。
「おい、そこをどけっ!」
「戦場に迂闊な混乱を撒けば命に関わる。己でまかなえるのならば良いが、死神は誰に魅入るか分からんぞ」
田村マネージャーの気持ちはわからないでもなかった。だが、非戦闘員が戦場の中心に入ってくるのは困る。
だから、アイリスは制止の言葉を続ける。
誰かが夢見たものを、護るために。
「――私たちを信じろ。受けた依頼は全力で果たす。それが、淑女的というものだ」
●悪夢の終わりに
「次は、この巣じゃな!」
イオが鎌鼬を連発。土蜘蛛のアドバンテージを支える糸の足場を、強烈な風で崩していく。
「引きずり落としてくれようぞ!」
天井の蜘蛛の巣が破れ、土蜘蛛が地に落ちる。太い蜘蛛脚を地面に突き刺し、落下の衝撃には耐えたが、これで立場は五分五分となった。
「あとはひたすら呪符で痛めつけてやろう。その脚、いただくぞよ?」
イオが滅魔霊符から、光球を召喚。土蜘蛛の脚部めがけて、まっすぐと魔法を飛ばした。
光の玉が蜘蛛脚の表面で弾け、血飛沫が噴き上がる。
脚の一本を潰されてバランスを欠きながらも、土蜘蛛が這うように駆け、イオの射線から逃れようとして、
「何のために私がここにいると思っている」
アイリスに進路を妨げられ、土蜘蛛の動きが止まった。
アストラルヴァンガードの少女が、無慈悲にコメットの術式を紡いでいく。
最長射程でもって、敵の技の間合いが活かされる前に――潰す。
正のアウルが収束し、無数の星がアイリスの頭上に浮かび上がった。
「彗星の輝きに魅せられ、己の迂闊を呪うといい」
アウルの流星が、忌まわしき鬼面の蜘蛛へと降り注ぐ。
「地を這う蜘蛛では、星の高みには到底届かんな」
土蜘蛛を嘲笑うように、アイリスが淡々と告げる。背後に庇う田村マネージャーからディアボロの意識を逸らさせるには、必要な挑発だった。
コメットの重圧で押し潰されつつ、土蜘蛛がアイリスへと牙を向ける。
そんな土蜘蛛を、唐突に無数の稲妻が貫いた。
「……妨害くらいは、させてもらうわよ」
土蜘蛛のデッドスポットから雷撃を撃ったのは、イシュタル(
jb2619)。前回の依頼で受けたダメージがまだ残っているが、休んでいる場合ではない。
(ただ見ているだけというのは自分自身、許せなくなりそうだからね……)
それに、イシュタルはまだ戦える。
「この状態での戦闘行動は厳しいけれど……動けないわけではない」
援護くらいならば、今の自分にも。
再度イシュタルが、バルディエルの紋章を構える。
同時に、土蜘蛛もイシュタルへと口腔を向けた。
イニシアチヴを握ったのは、土蜘蛛。
灼熱の息吹が放たれる、寸前で、土蜘蛛の脚が衝撃で揺らぐ。
イオが放った魔滅の光が、土蜘蛛の二本目の脚を穿ったのだ。
「いまじゃ!」
イオの活躍により、土蜘蛛のモーションは一瞬だけ遅れた。
その隙に、イシュタルが攻撃術を展開し終える。
「体を石にされれば――持ち前の機動力は発揮できないわよね?」
八卦石縛風。
吹き荒れる砂塵が、土蜘蛛へと襲い掛かる!
澱んだ氣に包まれ、中級眷属の肉体が石化していく。
「あとはこっちのものじゃな」
ふん、とイオが勝ち誇る。
重圧を掛け、脚を潰し、回避力を低下させた状態からの、決定打である石縛風。
最早、土蜘蛛に逆転の芽は残されていない。
機械剣を握ったアジュールが、動きを封じられたディアボロに近づく。
銃器は使わない。下手に撃てばステージを壊す恐れがあると、アジュールは判断していた。
アジュールが機械剣を振りかざす。
「土蜘蛛……ステージをこんなにして、モモさんを危険な目に遭わせた代償は、支払ってもらいます」
単体でこんな場所に出現したことから推測するに、この土蜘蛛は主人たる悪魔を失くしてはぐれた眷属の一体なのだろう。
撃退士たちを脅かすほどの脅威ではない。それでも、一人の歌姫と、彼女に付き添う者を絶望に追いやるには充分な力を持っている。
アジュールが初手で注意を引きつけることに失敗していれば。瑠璃とイオが救助に手間取っていたら。騎士とアイリスが護衛に就いていなければ。イシュタルの石化攻撃が外れていれば。
誰かが欠けていれば、二人のうちどちらか――あるいは両方ともが、殺されていたことだろう。
野放しにはできない。
ゆえに、ここで確実に討つ。
「これで終わりです」
宣告と共に、アジュールは機械剣を振り下ろした。
ステージに、斬音が響く。
●夢の終わり、あるいは始まり
「はぁ……二度とこんな怪我を負った状態で依頼には参加したくないわね……」
戦闘終了後、皆から離れた場所でイシュタルがひとり言葉を漏らした。
「無茶をすれば説教だし……ね」
そう呟くイシュタルの脳裏をよぎったのは、誰の顔か。
「……ま、心配してくれる人がいるっていうのも、幸せなことなのかもしれないわね」
イシュタルが、横目でモモたちのほうを見る。
ステージは土蜘蛛に荒らされたが、幸いにも復元にはそれほど時間はかからないらしい。
日を改めて、フェスは開催されるという。MOMOの出番も、ちゃんとある。
このあと、歌姫を救った撃退士たちにフェスへの招待状が届くのだが、それはまた後日の話。
ともかく、無事に救助された彼女は、かすり傷ひとつ負っていなかった。
これも、身を挺して歌姫を護った騎士や、仲間たちの尽力があってこそ。
土蜘蛛が活動を停止したことで、モモを束縛していた糸塊も、塵となって消失している。
……そんなモモだが、今はマネージャーにきつく抱きしめられ、違う意味での束縛を受けていた。
お前が無事で良かった、と男泣きする田村マネージャーをよそに、おどおどと少女がモモに歩み寄る。
瑠璃だった。
「あ、あの……こ、このタイミングで言うことでは無いかもしれませんが……」
マネージャーを何とか引き剥がしたモモに、瑠璃が最敬礼の如くに腰を曲げ、両手に持ってるものをビシィ! と突き出した。
「そ、そのっ、サインください!!」
「え、ええっ?」
突然サイン色紙とサインペンを渡され、困惑するモモ。数分前まで生きるか死ぬかの瀬戸際だったのが、まるで嘘のようだった。
あわあわとテンパるモモに、瑠璃はぐいぐい話しかける。瑠璃の普段のヘタレっぷりを知る者からすれば、珍しい光景かもしれない。
しばらくのべつ幕なしに喋っていた瑠璃だったが、モモがちょっと引いてるのに気づいたのか、やがてトーンダウンしていった。
「あ、あの…モモさんは私の、みんなのアイドルなんです……」
夜空に輝く星を眺めるようなきらきらした目で、瑠璃がまっすぐとモモを見つめる。
「アイドルは人を幸せにする仕事……だから、自分が不幸にならないでください……」
私たちが、いつでも守りますから。
「……うん。ありがとう、瑠璃ちゃん」
少しはにかんで、モモが笑う。
瑠璃の想いは、歌姫にきちんと伝わったようだ。
「ちょっとだけね、もう歌うの辞めちゃおうかなって思ってたの」
そう吐露したモモに、騎士が助言する。
歌手をやり尽くしたと思うならば、辞めるのも手だと。
「だが、少なくともあんたの歌が好きでフェスまで来たファンもいるだろう。今度は自分の為に歌うんじゃなく、そいつ等の為に歌うのもきっと楽しいだろうと思うぜ?」
騎士の言葉に、モモがこくんと頷く。
その表情には、力強い生気が漲っている。土蜘蛛に囚われていた時とは、別人のようだった。
「騎士さんもありがとう。うん、瑠璃ちゃんみたいに応援してくれる人が、ひとりでもいる限り――」
「わたしの夢は、きっと、終わらないです」