●
餓えた狼のように、ルドラが唸り声をあげる。
逞しい鬼人の足元には、死にかけの現地撃退士たち。
「殺していいよ、ルドラ」
軽い声音で、ネアが殺戮の許可を下す。白衣の少年ヴァニタスは、撃退士の命など何とも思っていなかった。
主人の言葉にディアボロが歓喜の咆哮をあげた、その時。
一発の銃声が、その鳴き声を掻き消すように夜空に響いた。
ルドラとネアが発砲音がした方を振り向く。
現れたのは、隻腕の悪魔。
「そこまでだ小僧」
インレ(
jb3056)が銃を構え、言葉を続ける。
「はしゃぎ過ぎだ、これ以上はやらせんぞ」
自分が愛する尊きモノを、これ以上奪わせない。たとえそれが、どれほどの困難であろうと。
「あぁ、スゴいな、本当に素晴らしいよ」
研究狂のエリアス・ロプコヴィッツ(
ja8792)が、ルドラを見て恍惚とした表情を浮かべる。
「僕もこれ位の自動人形を作れたら、一々戦わなくて済むのに」
エリアスの関心は、戦闘そのものよりも、『そちら』に重きを置いていた。
「どうやって作ったのかな、僕だって見習わなくちゃ……まずは捕まえて、中までよぅく観察しないとね」
「へえ、久遠ヶ原には中々趣味の良い子がいるんだね」
そんなエリアスの言動に、ネアは上機嫌。ディアボロの作成を至上とするネアにとっては、理解あるエリアスの言葉が嬉しかったのかもしれない。
とはいえ、相手はヴァニタスと、準ヴァニタス級のディアボロ。戦いは避けられない運命にある。
「さて……命懸けの鬼退治、だ」
そう言い放ち、アスハ・ロットハール(
ja8432)が魔術を発動。アスハの周囲に無数の黒き羽根が舞い現れ、闇色の霧がその長身を包み込んでいく。
臨戦態勢に移行した赤髪の魔術師が、静かに敵を見据える。
アスハの金色の瞳に映るのは、今にも暴れ出しそうな鬼人の姿。鎧のように引き締まった強靭な体躯から、こちらの常識を超えた馬力を備えているであろうことは容易に想像がついた。
数多の死線を潜り抜けてきたからこそ、解る。
この化物相手に、手加減など無用。全員が全力を出し尽くして、ようやく互角に渡り合える手合いだと。
そして、敵はルドラだけではない。
鬼人の後ろに控えるのは、白衣姿の少年ヴァニタス。無防備に構えているようでいて、隙が見えなかった。
(この二体を同時に相手取るのは厳しい、な……)
まずは、こちらが主導権を握るところから始めるべきか。
右腕に装備した大型バンカーでルドラを指し、アスハがネアに言葉を投げる。
少しでも、ヴァニタスの関心を惹くために。
「随分と御機嫌な玩具、だな……。ソレで僕達と楽しいデスゲームでも、どうだ?」
アスハの誘いに、白衣の少年が笑う。
――喰い付いた。
「お望みなら、キミ達から先に殺してあげるよ。ルドラ!」
主人の指示を受け、ルドラが地を蹴って跳躍。
ディアボロが、アスハへと一直線に迫っていく。
鬼の腕が、魔術師の頭上に振り下ろされる。
放たれたのは、新米撃退士ならば数発浴びただけで死亡するほど凶悪な一撃。
轟音が唸る。
ルドラの豪腕は、アスファルトの道路を陥没させていた。
立ち込める粉塵の中から一つの影が飛び出る。
アスハは、無傷だった。
彼が事前に発動していた魔術『誓いの闇』は、相手の攻撃を回避しやすくするための物。ぎりぎりで、ルドラの一撃をかわすことに成功していたのだ。
「アスハ! こっちだ!」
頭上からの声に、魔術師が振り向く。
夜空に浮かぶのは、翼を生やした眼帯の少女。
はぐれ悪魔の宗方 露姫(
jb3641)が、『目的地』にアスハを誘導していく。
跳躍しながら、ルドラがアスハを追い駆ける。
着地した自動車が踏み潰し、行く手を阻む看板や街灯をことごとく破壊し、ルドラは猛進。
荒ぶる鬼人の姿に、露姫が息を呑む。
「……こんな化物と闘うのは、初めてだな」
露姫の撃退士としての戦闘経験は、それほど多くはない。
けれど。
「怖くねぇっつったら嘘んなるけど……やらなきゃ、もっと犠牲が出ちまう」
死と隣り合わせの闘争に恐怖はある。だが、戦いと無関係の人々が傷つくことのほうが、露姫は怖い。
ふと、露姫の視界の隅に人影がちらついた。
「お、おい! ここは危ねぇから離れてろ!」
ルドラの進行方向に数名の一般人がいることに気づいた露姫が、慌てて高度を下げて避難を勧告。
「安全そうな建物の中に隠れてんだぞ、いいな!」
空から現れた露姫に驚きながらも、自分たちの身を案じる彼女を撃退士と察して、人々が頷き、ビルに入っていく。
「ったく、焦らせやがって――」
露姫が、悪態を突くように安堵の声を漏らした時だった。
大きく跳躍したルドラが、露姫の背後から襲い掛かる。
「よけろ、ツユキ!」
アスハの叫び声に露姫が振り返るが、遅い。
後衛職の彼女に、身を守る手立てはない。
兇爪が少女を八つ裂きにする、寸前で、ルドラの頭部に光の矢が衝突。
一刹那だけ視界が遮られた鬼人を、白銀の刃を生成した露姫が迎撃し、地上へと叩き落した。
「あっぶねー……助かったぜ」
露姫を救ったのは、亀山 淳紅(
ja2261)の魔法攻撃。
歌謡いの少年が、淡い光球をかざしてルドラを挑発する。
「鬼さんこーちら♪ 手ーのなー……いやぁやっぱ来んで怖い!!」
一気に跳躍してくる鬼を見て、淳紅は全力で逃走。他人の命を優先して自己を犠牲にする一方で、彼は呆れるほど臆病なタチだった。
淳紅を追うルドラの前方に、無数の稲妻が降り注ぐ。
上空を飛翔していた堕天使、イシュタル(
jb2619)による牽制攻撃だ。
蒼銀色の長髪を夜風になびかせ、イシュタルが淡々と言う。
「……あまり挑発役に無茶をさせるわけにもいかないし……やるしかない、か」
堕天した今の自分には手ごわい相手だと、イシュタルは感じていた。
だが、殺戮や侵略を繰り返す冥魔どもに、情けをかけるつもりは微塵もない。
バルディエルの紋章から解き放たれた神の雷光が、鬼人に迫る。
●
ルドラとネアを誘い出しながら、マキナ・ベルヴェルク(
ja0067)が路地を駆け抜けていく。
マキナをはじめとするA班は、挑発や牽制を交えることで順調に敵を誘導していた。
目的地まであと少しというところで、疾走するマキナは超人的な動体視力でそれを捉えた。
地を這う異形の触手・デビルトレイン、そして。
今まさに、デビルトレインの触手に襲われようとしている、若い女性を。
マキナは――救わない。
圧倒的な破壊力を持つルドラに追われている最中に、一般人を気にかける余力など無い。どころか、そこを突かれれば、一気に不利に陥る可能性すらある。
ゆえに、マキナは彼らを見殺しにすることを決断した。
(……戦場など、掛け値なしの地獄でしかない。終わらなければ救われないし、救えない)
救い切れぬモノまで救おうとするなど、只の自己満足であり欺瞞に過ぎない、とマキナは思う。
だからこそ、
「……終わらせなければ、いけない」
例えそれが、大勢を救う為に少数を切り捨てる結果になろうとも。
彼女の選択は正しい。
目の前の敵だけに集中しなければ、ルドラを抑えることすら困難になるのは明らかだった。
それでも彼らを救うことができる存在がいるとすれば、それはきっと。
斬撃が奔る。
インレの振り下ろした大剣が、女性に迫っていたデビルトレインの触手を、ばらばらに斬り裂いた。
「これ以上はやらせん、と言ったろう」
女性に逃げるよう伝え、隻腕の悪魔がディアボロたちの前に立ちはだかる。
「かっこいいねヒーローさん。でも、止まっちゃっていいの?」
にやにやと笑い、追いついたネアがルドラに攻撃を指示。
インレの眼前まで迫った鬼人が、ラッシュを仕掛ける。
ルドラの重たい連撃を化勁で捌いていくが、完全には無力化できず、その拳圧でインレの全身に裂傷が生まれていく。
けれど、痛覚を遮断しているインレは倒れない。不退転の覚悟で耐え続ける。
失わせないと決めた。手を伸ばすと約束した。誓いを果たすためならば、我が心が灰となろうと構わない。
「へえ、まだ死なないんだ? じゃあ、こういうのはどうかな?」
存外タフなインレに、ネアが驚いたような顔を見せたのは一瞬。すぐルドラに次の指示を伝えた。
「ルドラ。そっちの人間を狙っちゃえ」
残酷な少年が指で示したのは、先ほどインレが逃がした女性の背中。優れた跳躍能力を持つルドラなら、まだ充分に攻撃圏内だ。
ルドラが女性に飛びかかる。
「ほらほら、庇わなきゃ人間が死ぬよ?」
愉しそうに、ネアが笑う。
インレが女性とルドラの間に割って入れば、直撃は必至。痛覚を遮断されていようが、その肉体が使い物にならないくらい破壊すればどうということはない。
逡巡している間に女性が引き裂かれるならそれもよし。精神的に動揺したところを、ルドラで追い打ちをかけてやればいい。
仮にインレが女性を見殺しにしても構わない。もともと見せしめに百人ほど殺す予定だったのだ。
いずれにせよ、ネアにデメリットはない。
(人間を気にかけながら戦うっていうなら、それを利用しない手はないよね)
そんなネアの考えを唾棄するように、黒兎の悪魔が呟いた。
「……くだらぬの」
「えっ?」
思わず聞き返したネアを無視し、インレは迷わず女性のもとへと駆けた。
一寸の迷いもなく。
「千年の時を生きたわしが、今さら死に恐怖するわけがあるまい。尊きモノを護って死ねるのならば、本望じゃ」
老悪魔の言葉は、どこまでが本心だったのかは分からない。
だが、彼は覚悟を以ってこの戦いに臨んでいるのは間違いなかった。
命を落とす、覚悟を。
「――これ以上おぬしらに、わしの大切なモノは奪わせんよ」
●
放たれたルドラの拳は、女性を庇って間に入ったインレの眼前で、完全に静止していた。
正確に言うならば、インレの全身を包む、アウルの翼の表面で受け止められていた。
インレを庇護する鋼の翼は、久永・廻夢(
jb4114)が生み出したものだ。
「大丈夫ですか、インレさん!」
「……すまんな、助かった」
後ろから駆けつけた廻夢が、血まみれのインレの前に立つ。そして「貴女も早く逃げてください!」と女性に向かって叫んだ。
インレと廻夢に礼を言い、女性は遠くに去っていった。
女性が安全圏まで離れたのを見届け、振り返った廻夢が、ネアたちを睨みつける。
その双眸には、普段は温和な彼らしからぬ、強い感情がこもっていた。
「捕獲だけじゃなく、殺戮までしようとするなんて……ッ! どれだけ非道を尽くせば気が済むんだ!」
廻夢が怒声をあげる。殺された人々の無念を晴らしてあげたいという衝動に駆られ、魔法書を開きかけ、そこで思い留まった。
違う。怒りに身を任せてはいけない。
(……今の僕が、為すべき事は)
廻夢が横目で周囲を確認。アスハたちA班は、すでに目的地である大通りまで到着していた。
広い大通りならば、少しは戦いを優位に進められるはずだ。
あともう少しだけ、ルドラをそちらに誘導できれば。
冷静さを取り戻した廻夢が、インレと共に大通りへと走る。
ネアは、追わない。
廻夢たちの意図を見透かしたように、少年が笑う。
「ちょろちょろ逃げ回ってたのは『そのため』だったんだね。でもさ、ボクがわざわざそれに付き合うと思う? ルドラ――」
大通りへの誘導を読まれた。
瞬間、そのことに気づいた廻夢は、あらかじめ準備していたそれを、ヴァニタスに向かって投擲した。
――発煙手榴弾を。
ルドラに制止指示を出そうとしたネアのそばで、手榴弾が爆発。轟音と爆煙が、少年と鬼人の間を引き裂く。
主人の声が聞こえなかったのか、ルドラが廻夢たちを追いかける。この野蛮な怪物に、罠を察する知能などあるはずがなかった。
「あー、もー……仕方ないなぁ」
遠ざかっていくルドラを見て、ネアが諦めたような声を漏らす。こんな小細工で分断されてしまうとは、撃退士を甘く見すぎていたか。
(ま、いいや。持ってきた子はルドラだけじゃないし……)
嘆息交じりに、ネアが白衣の懐に手を伸ばそうとした時だった。
「アハハ、どんなに強くたって、飼い主が振り回されてちゃねぇ」
B班のエリアスが、くすくすと嗤う。ネアは手を止め、ダアトへと視線を向けた。
ネアの『作品』であるルドラを侮辱するように、少年魔術師が挑発を重ねていく。
「あれに比べたら、その辺の野良猫の方がよっぽどいい子じゃない? ま、きみの腕ならその程度の出来でも仕方ないか♪」
「……キミとは、友達になれそうだと思ったんだけどなぁ……残念だよ」
エリアスの言葉は、ヴァニタスのプライドを傷付けるに充分だった。
「いいよ。その安い挑発に乗ってあげる。キミは、ボクのルドラで殺してあげるよ」
「アハハ、やれるものならやってご覧。……ま、無理だと思うけどね」
嘲笑を浮かべるエリアスを追い、ルドラと合流すべく、ネアが大通りへと向かっていく。
かくして、戦いは本格的に動き出す。
●
大通りに入ったルドラとネアを、撃退士が迎撃していく。
「こっからが本番だな! やるぞ、絶対に負けられねぇ!」
露姫が、白夜珠から生み出した白銀の刃をルドラに飛ばす。
「まずは解剖して、その中身をじっくり見せてもらうよ」
エリアスが放った護符の風刃が、鬼人へと迫る。
遠距離魔法攻撃は二発とも命中。いずれも及第点の威力を備えており、ルドラの鎧じみた肉体の端々が削られていた。
ネアは損傷の僅かな違いから、より攻撃力の高い露姫を先に処理すべきと判断。
「ルドラ! そっちの子から先に潰せ!」
ヴァニタスの命を受け、ルドラは一気に跳躍し、少女の柔肌に鋭い爪を突き立てようとした。
それを防いだのは、やはり廻夢の庇護の翼だった。
荒々しい鬼人の三連撃を肩代わりし、カーディナルローブを纏った廻夢が、その身でダメージを受け止める。
準ヴァニタス級ディアボロの猛攻も、カオスレートを抑えた今の廻夢ならば、完全に受け切ることすら不可能ではなかった。
庇護の翼はこれで弾数切れ。だが、この一瞬を稼いだだけでも充分。
露姫が後退しつつ、ナイトアンセムを発動。暗黒のアウルで周囲を包み込んでいく。
その隙に廻夢が回復。アウルを全身に流し込んで傷口を再生させつつ、ルドラの前に立ちはだかる。
銀色の盾を構えた廻夢が、ルドラの次なる猛撃を防御。仲間を護りたいという廻夢の意志に呼応するが如く、銀の盾――アドゥブルブクリエは、青白い輝きを増していく。
廻夢は、倒れない。
安物の盾なら砕けるのではないかと思えるほどの剛力を、聖騎士は耐え続ける。
怒涛のラッシュを防がれ、ルドラは鼻息を荒くした。気絶すらしなかったのは、流石のネアも驚いただろう。
とはいえ、消耗は激しい。次の連撃を喰らえば危険だ。
流れを変えたのは、後衛のエリアスだった。
「これで仕切り直しだよ」
少年魔術師がファイヤーブレイクを発動。
出現した巨大な火球が、ルドラの足元へと飛来。地面に着弾し、周囲に炸裂した爆炎を、飛び退くことで鬼人が回避する。
「さぁ、そろそろ反撃といこうかの」
ルドラが体勢を整えるより早く、大剣を掲げたインレが一気に接近。
「次から次へとウザいなぁ……ルドラ!」
苛立つようにネアが叫ぶ。けれど、ネアが指示を紡ぎ終わる前に、インレは刃を振り下ろした。
タイムラグを突いたインレが狙うのは、鬼の右脚。
血飛沫が宙を舞う。
脚を斬られ、苦悶の咆哮をあげるルドラに、更なる攻撃が続く。
拳打の構えを取って近づくのは、偽神マキナ。
マキナの光纏と髪の毛はすでに黄金色に変化していた。最初から『最終手段』を使わなければ、ルドラ相手に前衛を張ることなど出来ない。
刹那の闘争に殉ずる女修羅の接近に、ネアは何とか反応できた。
「ルドラ、消し飛ばせ!」
鬼人の豪腕と、マキナの偽腕が交錯。
ルドラの拳を喰らいながらも、マキナが放った『諧謔』は、確かに鬼の腹部に命中していた。
防御など無意味と断じる拳打を受け、ルドラの強靭な肉体が砕ける。
そして、撃退士の反撃は、これで終わりではない。
嵐には嵐を以って。
「……行くぞ、ルドラ」
アスハが側面から迫る。接近戦に特化した魔術師は、前線に立つに相応しい性能に仕上がっていた。
紅蓮のバンカーが火を噴き、射出されたアウルの杭が、ルドラのこめかみを撃ち抜く。
決定打というよりは、打点の蓄積を狙った一撃だが、威力は充分だった。
それでもなお、鬼人は倒れない。
アスハに向き直ったルドラが、暴れ狂うように両腕を振るう。
直死の連撃を、けれど近接魔術師はかわしていく。『誓いの闇』を連続発動している彼は、この部隊で最も物理回避力が高かった。
自動反応する闇の羽根の妨害を受けるが、ルドラは強引に三発目の拳打をアスハへと叩き込んだ。これは避け切れない、と後方にいたネアも確信した。
後衛職であれば、ルドラの一撃を耐えることなど出来るはずも無い。これで終わりだ、と。
だが。
「まだ、死ねんな」
アスハが魔法陣を高速展開。右腕に構える大型バンカーを、瞬間的に腕ごと槍状へと変換。放たれたルドラの拳を、アウルの大槍で突くようにして、受け止める。
――『悪意穿槍』。
威力を削がれながらもルドラの一撃が直撃するが、アスハは気絶寸前で耐え切った。
そこから更なる反撃に移る、のではなく、赤髪の魔術師がその長身を屈める。
射線を開けたのだ。その行動の意味するところは。
「おおきにな、アスハさん。良い仕事してくれるで、ほんま」
純正のダアトである淳紅は、遠距離から射線が通る瞬間を狙い澄ませていた。重要な一撃を、確実に当てるために。
ネアが回避指示を出そうとするが、間に合わない。
淳紅が両手をルドラに向ける。その掌には、風の如きアウルが渦巻いていた。
「‘絶対に当てる’。……これで外したら、男ちゃうわな」
全神経を集中し、歌謡いの少年がマジックスクリューを発動。
放たれた水平の竜巻が、ルドラの頭に直撃する。
「……このタイミングなら、いけそうね」
そうして訪れた最大のチャンスを、イシュタルがもぎ取った。
イシュタルが、メタトロニオスの穂先にアウルを集中させていいく。
陰陽師の堕天使が作り上げしは、蛇の幻影。滂沱たる正のアウルで練り上げられた蟲毒が、よろめくルドラへと襲い掛かる。
毒牙が、鬼人の喉元を喰い千切った。
●
「……まだだよ。ボクのルドラは、こんなのじゃ倒れないよ」
いくつもの有効打を浴び、毒に侵されながら、それでもまだ、ルドラは立っていた。
「ほら、いつまでボーっとしてんのさ。早くあいつら殺しちゃいな、ルドラ」
ネアの声に応じ、逆襲のルドラが猛威を振るう。
再び吹き荒れる暴力の嵐が、一人、また一人と撃退士を戦闘不能に追い込んでいく。
「まじで化物だな、あいつ……」
自身に群がるデビルトレインの触手を凌ぎながら、上空の露姫が戦慄の呟きを漏らす。
「諦めちゃ駄目です! もうすぐ増援が到着する。それまでルドラを足止めできれば、僕たちの勝ちだ!」
盾役としての機能を失い、後ろに下がっている廻夢が叫ぶ。
激戦で憔悴しきっているが、その中性的な顔には希望の色が残っていた。
終わらない死と破壊の渦中で、廻夢はまだ諦めない。
それが、ネアの気に障った。
「無駄な足掻きだね。キミだって、もう立ってるだけで精一杯のくせに!」
とどめを刺せ、とネアが声を張る。
離れている廻夢を殺すべく、ルドラが一気に跳躍しようと足を撓めた。
これが正真正銘、最後のチャンス。
廻夢が聖なる魔法書を開き、フォースを発動。まばゆいアウルが、希望の光となって溢れ出していく。
強い輝きを放つ光の波動が、真っ直ぐ向かってくるルドラを、真正面から迎撃。
痛烈なカウンターを喰らって、ルドラが吹き飛ぶ。
聖騎士が繋いだ希望を、二人の阿修羅が受け継いだ。
限界を超えて戦うインレとマキナが、ルドラを挟み撃つ。
意識を刈り取るインレの強打と、対象を拘束するマキナの焔鎖とが、ルドラの動きを完全に封じ込む。
これで、今度こそ終わりだ。
役割を果たして、訪れた激しい痛みに二人が倒れる。遮断していた痛覚が戻ってきたのだ。
足止めに特化した作戦を組み立てていたお陰か、多大な重傷者を出しながらも、撃退士は目的を完遂したのだった。
命を賭した時間稼ぎは任務完了。一般人への被害も、可能な範囲で抑えることに成功した。
ルドラを抑えることに集中し、有効打の多くを入れたA班と、人々を護りながら、適切な戦闘補助を行ったB班。一般人への対応に多少の齟齬はあったが、今回は逆にそれが、うまく作用したといえるのかもしれない。
完璧では無いが充分な成果を出した。ルドラの強度を考えれば、称賛に値する。
「――ヒャハハ! やるじゃねえか、撃退士!」
唐突に、そんな乾いた笑い声が響いた。
唯一動ける露姫が、そちらを振り向く。
そこにいたのは、全身に包帯を巻いた長身の男。
二体目のヴァニタス、サバクだった。
「遅いよー、サバク君」
「悪いな。雑魚相手に遊び過ぎた」
ぱたぱたと白衣の袖を振るネアのそばに、体中に返り血を浴びているサバクが並び立つ。
「で、どうすんだよ。こいつらブッ殺してずらかるか?」
「んー、この場にいる全員殺したいけど……もう時間ないし、デビルトレイン引き上げるほうが先かな」
「おいおい、まだ二百人くらいしか捕まえてねえぞ? いいのかよ、そんなんで」
「仕方ないんじゃなーい? ルドラは動けないし、増援来たらトレインもやられちゃうかもだし。ボクたちも、手の内を隠すに越したことは無いしね」
「……それもそうか。力抑えた状態じゃ、ここが限界だな。んじゃ、さっさと行こうぜ」
短い会話を終え、ヴァニタスたちがあっさりと撤退していく。
「待ちやがれ、この野郎!」
「あァ?」
油断し切っていたサバクに、露姫が放った魔法が直撃。不意を突いたアウルの刃は、包帯を巻いた胸に浅く刺さって砕け散った。
大通りに現れていたデビルトレインの一体が自発的に動き、触手で露姫を縛りあげていく。
が、その隙に、
「……行かせへんで……」
「……このまま帰すわけには、いかんのう」
「貴方達は危険だから……ここで倒させてもらうわ」
満身創痍の淳紅が、インレが、イシュタルが、何とか立ち上がろうとする。
捕獲された罪無き人々を、このまま悪魔の玩具にさせるわけにはいかない、と。
振り向いたサバクが、歯を剥いて笑う。
「ヒャハハハ! 面白れぇな、テメエら! 力の差も解らなねぇ馬鹿か、ただの自殺志願者か? それとも――」
サバクが全身に纏う、包帯状の武器がほどけていく。負のアウルを宿して揺れるそれは、意志を持った無数の白刃にも見えた。
「来いよヒーローども。殺してやるぜ」
不敵な笑みを浮かべて戦闘形態に入ったサバクを、ネアがたしなめる。
「もー。ほら、いくよサバク君。向こうから撃退士いっぱい来てるの見えないの? ボクだって殺したいの我慢してるんだからね」
エリアスのほうをちらっと見て、ネアが軽く跳躍。デビルトレインの頂上部まで飛び、触手の釜口に器用に立った。
デビルトレインに乗って、ネアが撤退を開始する。
「どうせ、この子たちはもう限界だよ。今はほっといても問題ないよ」
「わーったよ……他にも面白そうな奴らがいるが、やっぱ今日は見逃すか……」
アスハ、マキナ、廻夢とそれぞれ順繰りに視線を投げ、サバクが包帯を巻き直す。欲求と理性が葛藤し、ぎりぎり後者が勝ったようだ。
サバクも撤退していく。
「ところでネア。ルドラはどうすんだ?」
「う〜ん……勿体無いけど、ここに置いてくよ。また動けるようになれば、少しは追手を引き付けてくれるだろうし……」
「ンなしょぼくれた顔すんなって。ディアボロなんざ、また作ればいいじゃねえか……」
そんなやり取りをしながら、ヴァニタスが彼方へと消えゆく。
追い駆けたいが、撃退士たちはもはや誰一人、動くことすら出来なかった。
その後、ほどなくして駆けつけた増援がルドラにとどめを刺し、街中に散っていたデビルトレインのほとんどを殲滅することに成功した。捕獲された人々も、かなりの数を救助できた。
最終的な一般人への被害は死者八名・行方不明者百名。
ヴァニタス級の怪物たちに襲われたものとしては、幸運と呼べるほどの数字だった。
駆けつける前に殺害されてしまった八名の尊い犠牲は忘れてはならないが、久遠ヶ原の撃退士による活躍がなければ、被害はより深刻なものとなっていただろう。
捕獲された人々も、いずれ救い出せる時が来る。今は、そう信じる他にない。
死と破壊の嵐は、撃退士の手によって追い払われた。
そうして、凪のような平和が、絶望から再生した人々に戻っていく。
掴み取ったのは、泡沫の儚い静寂。