●
八戸市郊外。
撃退士一五〇人が待ち構える迎撃地点に、それはやってきた。
悪魔少将アラドメネクが率いる一〇〇体もの護衛ディアボロに守られた、触手の怪物。災厄の巨獣ともいうべき、六体の大型デビルキャリアー。
蠢く触手の体内には、何百何千といった人々が収容されている。
人々の命運は、集まった撃退士ひとりひとりの手に委ねられているといっても過言ではない。
撃退士たちが突破されれば、敵はザハーク・オルスが待つ十和田市まで一直線だ。
彼らの責任は大きい。その中でも一番重要なのが、アラドメネクが直接指揮を取っている部隊への対応を任された中央部隊だ。
といっても、敵を殲滅する必要はない。増援が来るまでの間、足止めをするのが、久遠ヶ原学園撃退士の役割だった。
「腹はちきれそーなっとるやん。いっそ破裂さしたりたいなぁ」
偏愛する兄と同じ紫色の瞳を細め、雅楽 灰鈴(
jb2185)がくすくすと笑う。
「ま、あいつに逃げられるんがいっちゃん厄介や。他はほっといてでも、キャリアーだけは潰さなな」
そう言って、灰鈴は動いた。光纏して現れた猫のような影を引き連れ、しなやかに戦場を駆け抜けていく。
後ろに控えている少将なんていう化物を、わざわざ相手にする必要などない。
最優先すべきは、大型デビルキャリアーに捕獲された四〇〇を越える一般人の救出。
灰鈴の進行方向を赤い影が遮る。
大剣を構えた真紅の鎧騎士――クリムゾンナイトが、灰鈴の前に立ちはだかった。少年然とした少女は無視。冷たい笑顔のまま敵陣に突撃する。
単騎で突っ込んだ灰鈴が、炸裂陣を発動。大型デビルキャリアーの前面を守護するディアボロたちの周囲に、巨大な魔法陣が展開していく。陣円が組み上がると同時に魔法陣は炸裂し、無数の爆発と轟音を巻き起こした。
「雑魚相手なら、これで充分削れるやろ」
立ち込める爆煙を眺め、灰鈴がチェシャ猫じみた笑みを浮かべる。
爆発の中心地にいたクリムゾンナイトだけではなく、周囲にいたブラッドウォリアーたちも一溜まりもないだろう、と灰鈴は思った。
鎧の擦れる音が聞こえるまでは。
炸裂陣の爆煙を突き抜けて、ディアボロたちが飛び出した。煙の尾を引いて自身へと迫り来るクリムゾンナイトの姿を見て、灰鈴の紫の瞳が見開かれる。
彼女の予想を裏切って、真紅の鎧騎士には傷ひとつ付いていなかった。
(効かへんかった……? どんだけ硬いねん、あのヨロイ)
敵は大型デビルキャリアーの守護者。こちらの予想を越えるほどの強度の持ち主なのか。
――だとしても、まだ策はある。
「近寄らせんで」
陰陽師は冷静に魔法陣を展開させた。今度は炸裂陣ではない。これは身体の自由を奪う結界――呪縛陣だ。命中すれば、その対象の身動きを封じることができる。
だが、クリムゾンナイトはこちらに突き進みながら、束縛の魔法陣を巧みにかわしていた。
鈍重そうな鎧姿に反して、並の敏捷性はあったのか、と灰鈴が胸中で毒づく。先の炸裂陣も恐らくは回避されたのだ。この分ではブラッドウォリアーたちも無傷だろう。
真紅の鎧騎士が大剣を振り回す。粗雑な剛剣は、回避しようとした灰鈴の胸を乱暴に斬り裂いた。刃の軌跡に沿って、少女の体から鮮血が噴き上がる。
灰鈴を両断する必殺の二刀目が振り下ろされる、その寸前。
クリムゾンナイトの視界の隅で、何かが光に照らされた。
「さあ! ショウタイムのスタートです!」
絶体絶命の味方を救うべく、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)が派手に立ち回る。
敵の意識を、自身へと向けさせるために。
けれど、流血と暴力の悲劇が、道化による喜劇に変換されることはなかった。
アウルのスポットライトを浴びたエイルズレトラに、クリムゾンナイトは確かに注目した。だが、それも一瞬反応した程度。
猛将の傀儡は標的を変更することなく、そのまま灰鈴に刃を突き立てた。少女の腹部を貫き、血に染まった緋色の剣が抜き払われる。
「見え透いた囮だ」
アラドメネクの鋼の声が、遠くから聞こえた。同時に、矢が空を切る音も。
危機を察知して回避に移ろうとした少年の足に、飛来した矢が到達。撃退士の中でも突出した素早さを誇るエイルズレトラを、骸骨の弓兵は射抜いてみせた。
放たれた細い矢は、右太股を的確に撃ち抜いていた。身を貫く激痛に奇術師がよろめく。
足を潰されたエイルズレトラを、ブラッドウォリアーの大剣が捉えた。血染めの魔法剣が少年の額に命中し、小さな頭蓋を突き破った、ように見えた。
エイルズレトラに似た何かがばらばらと崩れ落ちる。少年を形成していたのは、アウルで出来た無数のトランプだった。
咄嗟に身代わりを出現させたエイルズレトラは、間一髪で回避に成功していた。名門マステリオの名は伊達ではない。
どこからともなく取り出した大きな布に、奇術師が身を覆う。すぐに布を脱ぎ去ると、無傷のエイルズレトラが登場した。
トランプマン、ドレスチェンジと連続発動したエイルズレトラだったが、この技にも限度がある。仲間の支援なしでは、どこまで敵の猛攻を凌げるかわからない。
厭な汗が、エイルズレトラの頬を伝う。
赤髪の少年が駆ける。
敵前衛を引き受けるため、久遠 仁刀(
ja2464)も敵陣中央を疾走していた。掲げる大剣の陰に身を隠していたが、高精度を誇る骸骨の矢が仁刀に命中。
鏃に塗られた毒が、じわりと仁刀の体を侵食する。
「……ッ……!」
毒の苦痛を堪え、剣士が敵に間合いを詰めていく。鎧騎士の懐に入り、仁刀は大剣を一閃した。
水月。
ただひたすら『一太刀』の反復練習によって、速さと正確さを高めた一撃。血の滲むような努力の末に習得した、刹那の剣技だ。
半月を描いた仁刀の刃を、鎧騎士がその身で受け切る。頑強な鎧の表面で大剣が止まるが、このふざけた強度は仁刀の想定内。後で追撃したほうが得策と判断し、刃を引いて斜め前に跳躍。
狙うは血塗れの魔法戦士、ブラッドウォリアー。
再び高速の剣が放たれる。水月は魔法戦士の胴を深く裂いたが、致命傷には届かなかった。
憤怒のブラッドウォリアーが反撃の大剣を振るう。血染めの魔法剣は飛び退こうとした仁刀の左肩から胸、右脇腹を袈裟懸けに斬った。
血飛沫をあげる仁刀に鎧騎士が突撃。仁刀は身を捻って回避行動を続行しようとするが、間に合わない。
繰り出されたクリムゾンナイトの刃が、暴風のように襲い掛かった。
ディアボロの凶悪な連撃を浴び、血反吐を吐いて仁刀が地面に転がる。
しかし、不屈の剣士は倒れない。
二体の攻撃は重く、毒の影響もある。並の撃退士であれば、気絶してもおかしくない。
それでも気力と根性を振り絞り、重傷を負った仁刀が立ち上がる。
こんなところで、倒れるわけにはいかないのだ。
仁刀の鋭い眼差しは、敵将であるアラドメネクに注がれていた。
仁刀が傷を与えたクリムゾンナイトの肩装甲に、アウルの弾丸が着弾。突如として放たれた攻撃に、鎧騎士が驚いたように振り向く。
長距離攻撃の正体は、影野 恭弥(
ja0018)のスナイパーライフルによる狙撃だった。
恭弥の優れた視力や聴力は、超射程・高精度の狙撃を可能としていた。
第二射の照準を定めようとしたところで、恭弥は自分に向けられた魔力を感知した。
黒い炎が、後衛の撃退士たちに飛来。それは、遠距離攻撃の反撃として、ネクロシャーマンが即座に放った魔法だった。
巨大な黒い火球が、狙撃手の眼前に迫る。
黒炎が恭弥に炸裂し、周囲にいた仲間もろとも焼き尽くしていく。
前の依頼で負った傷が癒えていなかった恭弥は、火炎の直撃を受けて昏倒。その場に崩れ落ちた。
味方の危機に柚祈 姫架(
ja9399)がライトヒールを発動。自分よりも重傷の仲間を優先し、恭弥の傷を治療していく。
護るものを護りて、敵を討つ。
回復を終え、姫架は魔法書を開いて攻撃に移行した。アクアリウムの光魚を飛ばし、味方前衛を援護する。
姫架の火力支援を受け、龍崎海(
ja0565)が前線に突き進んだ。ネクロシャーマンの黒炎は、ブレスシールドの防壁によってほとんど防ぐことに成功していた。
少将に統率されたディアボロたちは強力だが、アラドメネクが指揮に終始している今ならば、わずかながらも勝機はある、と海は思う。
(この人数なら、協力すれば救出くらい出来る筈……)
実際のところ、連携してくる敵を打ち崩すのは容易なことではない。たとえ少将が戦闘に参加せずとも、護衛ディアボロを殲滅して大型デビルキャリアーを倒すことは至難の業といえた。
流れをこちらに引き寄せるためにも、まずは前衛の動きを封じる。
海が審判の鎖を発動。クリムゾンナイトの一体を聖なる縛鎖で締め上げ、続いて隣のブラッドウォリアーめがけて、二発目の審判の鎖を射出。蛸頭の魔法戦士は後方跳躍して回避したが、問題ない。
位置は充分。
小田切ルビィ(
ja0841)が封砲を発動。鬼切の赤黒い刀身に込めた渾身のエネルギーを振り抜き、海が捕縛した鎧騎士と後方に追いやった魔法戦士を、黒い光の衝撃波で撃ち貫いた。
封砲は二体ともに命中し、充分なダメージを与えることに成功した。クリムゾンナイトとブラッドウォリアーの腹部に、大きな風穴を開いた、はずだった。
時間を巻き戻したかのように、ディアボロの傷口が塞がっていく。
ネクロシャーマンによる回復魔法が行われたのだ。
逆襲のブラッドウォリアーがルビィに斬りかかる。ルビィは黒白の光を身に纏い、さらに盾を活性化して防御に徹した。
魔法剣が振りぬかれ、盾に衝突。ルビィの体が吹き飛ぶ。
ケイオスドレストを発動していてもなお、強烈な斬撃は防ぎ切れなかった。
ルビィと入れ替わるようにしてリョウ(
ja0563)が踏み込む。
味方前衛たちとディアボロが斬り結んでいる横に回り、影蝕を発動。自身の影を伸ばし、ブラッドウォリアーの肉体を捕らえた。
束縛の効果を受けた魔法戦士を、海が十字槍で突き刺す。歴戦の勇士である海の物理攻撃力に天冥の差が加わり、威力は充分。
仁刀が大剣を一閃し、とどめを与えた。高速の斬撃に耐え切れず、蛸の戦士が血の華を咲かせる。
「ふん。剣の腕はそれなりのようだな。ならば、盾のほうはどうだ?」
接近したルビィとリョウを、スケルトンアーチャーたちが麻痺矢で迎撃。高精度の二本の矢が迫る。
カラード旅団長は瞬間的に空蝉で弓撃を回避。
防御に秀でた美麗なる剣士は、シールドで矢を受け切った。事前に姫架が聖なる刻印を施されていた為、ルビィに麻痺の効果が出ることもない。
アラドメネクが続いて剣士たちを動かす。
ブラッドウォリアーがエイルズレトラを、クリムゾンナイトが仁刀と海を襲った。
奇術師はトランプマンで回避に成功。赤髪の剣士は根性で凌ぎ、海は天冥の差に苦しみながらも盾で受け止める。
敵の猛攻が怒涛のように押し寄せるのに連れ、有効な回避手段も防御手段も、消耗せざるを得なくなっていた。
思った以上の早さで手札が減っていくのを、撃退士たちは感じていた。
短期決戦では、撃退士たちのほうに不利があったのかもしれない。
前衛たちに攻撃が集中している隙に、姫架は大型デビルキャリアーの足元へと接近していた。
光り輝く美しい刃を、少女が巨大な蜘蛛足に突き立てる。
天の力に加え、絶対に討つという気持ちが乗った強い一撃は、蜘蛛足の半ばで止まった。
巨体ゆえの生命力の高さは、厄介な事この上ない。一人では決定打を与えるのは難しかった。
大型デビルキャリアーが無数の触手をのばして反撃に移った。攻撃用触手が何度も叩きつけられる。
魔の力に猛将の指示が加わり、姫架の細い体を触手の鞭が傷つけていく。
●
前衛対応班が敵剣士たちを引きつけているうちに、闘気解放した雀原 麦子(
ja1553)が、右側面から敵後衛に回り込もうとしていた。
「ずいぶんとでっかいのを作ったものね〜」
近づくにつれ、大型デビルキャリアーの巨大さが分かる。これを倒すのに、一体どれほどのダメージを叩き込めば良いのやら。アラドメネクは相手してるヒマなんて無いわね、と戦闘経験豊富な麦子は正しく分析していた。
アラドメネクだけではなく、護衛ディアボロだけでも充分に脅威だ。
ブラッドウォリアーとクリムゾンナイトのオクテットは強力だが、後衛のスケルトンアーチャー、ネクロシャーマンも厄介な能力を持つ。
そのため撃退士たちは、中央、右翼、左翼の三方向から攻め込み、敵を殲滅するための作戦を組み立てていた。
中央に敵前衛が集中すれば、その隙に両翼が敵後衛を殲滅し、大型デビルキャリアーを撃破する。仮に敵前衛が両翼に散開しても、中央班が真正面から大型デビルキャリアーを叩ける。
戦術としては正しい。
だが、増援が来るまでの足止めという点では、ハイリスクな策であることは否めなかった。街の撃退士を虐殺できる魔軍が相手である以上、軽率な判断だったかもしれない。
熟練の阿修羅である麦子の接近に反応し、スケルトンアーチャーが麻痺矢を発射。
矢が刺さり、動けなくなった麦子の横合いから、クリムゾンナイトが迫る。
麦子が咄嗟に時雨で迎撃したが、高い攻撃力を誇る麦子の一撃を喰らっても、鎧騎士の動きは止まる気配すらなかった。
真紅の大剣が一閃される。
右翼後方から、矢野 古代(
jb1679)が射術三式・軌曲を発動。アウルを限界まで注ぎ込んだ弾丸は、麦子に振り下ろされかけた大剣に命中した。弾丸が小さな爆発を起こしたことで刃の軌道がわずかに逸れ、空振りに終わる。
次に古代は破魔の射手を発動した。
(――戦況は、正直不利で。コンディションも良くはない)
愛銃『護珠父神』に込めたアウルの弾丸が、蒼い輝きを噴出する。
「それでも、何かは出来るさ」
冥魔を屠る聖なる銃弾が轟音と共に射出され、骸骨の弓兵に命中。被弾の凄まじい衝撃で、スケルトンアーチャーの左肩から先が消し飛ばされた。
ネクロシャーマンに回復される前に、とハッド(
jb3000)が雷剣で追撃。高高度から放たれた冥府の雷はわずかに軌道がずれ、骸骨の足元を抉るに終わった。残念ながら外れてしまったが、飛翔するハッドは敵の攻撃圏外。まだ攻撃の機はある。
古代とハッドの遠距離攻撃とタイミングを合わせ、佐藤 七佳(
ja0030)が一気に敵陣を駆け抜けていく。
「――家畜を貪る人間に、天魔の行いを否定する資格は無い」
疾走しながら七佳が独白する。
「それでも……『本当の正義』に至る為、あたしは戦場に身を置きますッ」
決意と共に阿修羅が踏み込む。弓兵の懐に入り、光纏式戦闘術『追刃』を発動。優美なる刃の軌道がアウルの噴出によって変化し、スケルトンアーチャーを真横に両断。
必殺の一撃を与えられたディアボロが、その場にばらばらと崩れ落ちた。
このまま一気に攻め込もうとしたところで、傍らのスケルトンアーチャーが、七佳と距離を取って反撃に乗り出した。
耐性が高めの麦子を痺れさせたものと同じ、強力な麻痺矢が、七佳の足を射る。
「まずは貴様だ。忌まわしき射手よ」
アラドメネクは、動けなくなった前衛職の麦子や七佳よりも、天の力を得た古代の排除を優先させた。
ネクロシャーマンが黒炎を放つ。極性が傾いたせいか、冥魔の魔法は吸い込まれるようにして古代に直撃した。
狙撃手を焼き尽くし、獄炎が爆裂。
古代の周囲、前回の依頼で深い傷を負っていた中津 謳華(
ja4212)にも炎が広がっていく。
「中津さんっ!」
龍仙 樹(
jb0212)が咄嗟に庇護の翼を発動。自身と謳華に飛び散った劫火を、その身で受け止める。
ダメージは少なくないが、樹は決して防御の態勢を解かない。
樹の温和な瞳には、力強い守護の意志が宿っていた。
「まだ前哨戦です……誰も死なせませんよ」
絶対に護る。
こんなところで、大切な仲間を喪いたくはなかった。
同じく重体のまま参加したRehni Nam(
ja5283)が樹に回復を施そうとした、その瞬間。
放たれたスケルトンアーチャーの矢が、ネクロシャーマンの火球が、樹のもとに飛来してきた。
死をもたらす魔物の連撃が、撃退士たちを呑み込む。
●
志堂 龍実(
ja9408)が天羽 伊都(
jb2199)に縮地を発動。さらに自分にも掛けるべく連続発動。
アウルを脚部に集中させ、移動力を爆発的に上昇させた。
「皆は……自分が護ってみせる!」
「何としても救助する!」
韋駄天の速度を得た二人が、左翼から敵後衛に接近していく。
狙いはネクロシャーマン。
先発する伊都が滅光を発動。極性を傾け、天冥の差を一気に拡大。
魔を滅する黒き刃が、ネクロシャーマンの頭蓋を両断。
大打撃を与えたものの、まだ倒し切れない。が、追走する龍実が攻撃を集中。
「――人は……大切な仲間は! ――オマエの好きにはさせやしないッ!」
アラドメネクにも届く咆哮をあげた龍実の連続攻撃が、ネクロシャーマンに叩き込まれた。息の合った二人のコンビネーション攻撃は、見事に組み立ててられていた。
しかし。
大型デビルキャリアーの背後に回ろうとした伊都と龍実を、スケルトンアーチャー二体が麻痺矢で迎撃。動きを封じたところでネクロシャーマンが黒炎を浴びせ、立て続けにブラッドウォリアーが龍実を斬り伏せた。
「志堂先輩っ!」
伊都が叫ぶが、体が痺れているせいで倒れた仲間に駆け寄ることさえ出来ない。
アラドメネク率いる魔軍は、巧みな連携で撃退士たちの攻め手をほとんど潰していた。中央の味方前衛も、この時点ですでに何人か倒れていた。
どうして増援が来るまで足止めに終始することを選ばなかったのかと、伊都に後悔の念がよぎる。
殲滅は至難の業だった。少なくともこの戦力、この作戦では――。
大型デビルキャリアーが、動けない伊都と龍実の体を無数の触手で縛り、砕かん勢いで締め上げていく。
制圧力も連携も相手のほうが上だと、草薙 胡桃(
ja2617)は理解していた。
それでも。
「負けるつもりも、逃げるつもりもないよ」
やれるだけのベストを尽くす。それに、義父である古代を傷付けたディアボロどもを、このまま帰すわけにもいかない。
胡桃がヨルムンガルドを構える。桃色のリボン状アウルが、腕と銃に幾重にも巻かれていく。世界蛇の名を冠するスナイパーライフルの照準は、魔導を駆使する屍に向けられていた。
スコープ越しの緑色の瞳が、ネクロシャーマンを見据える。
集中力を最大まで高め、胡桃が引き金を絞った。発砲と同時に、音符状のアウルが無数に宙を舞う。
一撃で敵を貫く破壊力を持った銃弾が、ネクロシャーマンの頭部を粉砕。死せる魔導士は倒れないが、大きなダメージを受けていた。
戦うメイドである斉凛(
ja6571)、も遠距離からアサルトライフルでネクロシャーマンを狙撃する。胸を撃ち抜かれ、ネクロシャーマンが今度こそ地面に沈む。
「小娘どもが……やるではないか」
猛将は二人の後衛に対応すべく、自軍の後衛を動かしていく。
アラドメネクに命じられ、スケルトンアーチャーが胡桃を毒矢で撃ち抜いた。矢の威力と毒の効果を受け、胡桃の意識が昏倒する。
続けてネクロシャーマンが黒炎を凜に放った。撃ち込まれた魔法は純白のメイドを焼き尽くした。胡桃も拡がる火炎の餌食となり、少女狙撃手たちが次々と倒れていく。
スケルトンアーチャーの側面に首尾よく接近できた虎綱・ガーフィールド(
ja3547)が、雷遁を発動。雷撃の蹴りはうまくヒットし、骸骨に麻痺を与えた。
同様にネクロシャーマンを潰そうと回り込む虎綱に、迎え撃つクリムゾンナイトが大剣を振るう。
放たれた紅蓮の連撃を、虎綱は空蝉を併用することで巧みにかわした。
さらに二体のブラッドウォリアーが猛追。
素早い虎綱を殺すために、左右から魔法剣が叩き込まれる。
強烈な挟撃に生命力を削られた虎綱は、気絶する直前、中央班の味方前衛たちが地に伏していく光景を見た。
●
エイルズレトラに、クリムゾンナイトが嵐の如く斬りかかる。
回避に特化した奇術師は、紙一重で赤刃を避け続けていく。重たい攻撃のラッシュは、一撃でも喰らえば重傷を免れない。
トランプマンは使い果たした。後は己の持ち前の素早さに全てを賭けるしかない。
「ふん。人間にしては中々の動きだ」
称賛するアラドメネクは、しかし攻撃の手を緩めなどはしなかった。
戦士への敬意は、刃にて払う。
猛将はブラッドウォリアー二体を前後に、クリムゾンナイト二体を左右に回すことで、エイルズレトラを包囲。逃げ場を絶った。
振り下ろされた四本の大剣が、同時に少年を襲う。
ディアボロの全方位攻撃を回避することは流石に出来ず、エイルズレトラは全身を斬り裂かれてその場に倒れた。
魔法特化のブラッドウォリアーと、物理特化のクリムゾンナイト。相反する性質を持つ剣士たちは、それぞれ並以上の攻撃力を有している。そこにアラドメネクによる統率が加われば、そのパワーが最大限に発揮されることとなる。
一糸乱れずに制御されたディアボロの軍団は、三方向からの同時攻撃を受けても崩壊することはなかった。
対して撃退士たちは、開戦から二分も立たない内に壊滅的な被害を受けていた。
戦いは苦しい。けれど、撃退士たちはまだ完全に終わってはいない。
御幸浜 霧(
ja0751)が恒常発動している神の兵士によって、数人が何とか立ち上がる。
「……これ以上、人間のシマで勝手な真似はさせません……ッ」
自身もまた再起したが、度重なる敵の猛攻で、霧はすでに満身創痍だった。ぼろぼろの体は大型デビルキャリアーの触手に絡みつかれ、うまく身動きが取れない。
それでも、まだ味方の支援はできる。
触手に束縛されたまま霧が軽癒の法術を発動。立ち上がった周囲の仲間たちに、回復を施していく。
再起したイシュタル(
jb2619)が光の翼で飛翔する。
相手は少将だけではなく、強力なディアボロが十数体。勝ち目は薄いが、やれるだけのことはやってみせる、という気概が堕天使の少女には溢れていた。
せめてアラドメネクか大型デビルキャリアーのどちらかだけはここで倒さなければ、仲間の頑張りも無駄になる。
これ以上、冥魔による殺戮と侵略を赦すわけにはいかない。
蒼銀の髪をした少女の胸に矢が刺さる。
イシュタルは一打逆転の奇門遁甲を狙っていたが、スケルトンアーチャーの標的となってしまい惜しくも撃沈。
生き残っていた他の撃退士には、ネクロシャーマンによる黒炎が飛来した。
黒い爆煙を突き破り、三人の撃退士が駆ける。
突き進むのはマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)、機嶋 結(
ja0725)、カイン 大澤 (
ja8514)の三人。
彼女たちの狙いは、大型デビルキャリアー――ではなく、少将アラドメネク。
ここで何とかしてアラドメネクに打撃を与えられれば、次に繋がる可能性がある。
故に、倒す気概を以って全力を尽くす。アラドメネクへの対応を想定していた他のメンバーも、おそらくは同じ気持ちだったはずだ。
「後悔は死んでからで構わない。今はただ――」
マキナが黒夜天・偽神変生を発動。偽神と化したマキナがディアボロたちを突破し、終焉を体現すべく猛将のもとに迫る。
「ふん。この俺に直接向かってくるとはな。何か策でもあるのか?」
アラドメネクは獰猛な笑みを浮かべ、同時に武具を召喚。呼び起こした大太刀を右手で抜いた。現れた長大な刃は、死を具現化したような存在感を放っていた。
「いいだろう。貴様らの力、見せてみるがいい」
言葉と共に、アラドメネクの全身から膨大な圧力が噴き上がる。
一般人であればそれだけで押し潰されそうな、圧倒的な気迫の顕現。だがマキナはひるまずに踏み込んだ。前方跳躍し、猛将の間合いに急接近。
懐に入ったマキナが、鋼のように鍛え上げられたアラドメネクの腹部に拳を突きたてる。
神天崩落・諧謔。
防御など無意味と断じる強制の一撃が叩き込まれ、伝導の衝撃波で大気が震えた。
そしてほぼ同時に、結とカインが連続攻撃を畳み掛ける。
アラドメネクの右側面から、結が神輝掌を発動。光の力を帯びた強烈な一撃を、猛将に撃ち込む。
「魔界へ帰りやがれ! クソッタレ!」
左側面からはカインが強襲。アラドメネクの脇腹にパイルバンカーを突き出し、アウルの力を最大まで込めた一撃を発射した。
轟音の三重奏が響き渡る。
並のディアボロであれば即死するような、強烈な三連撃。上級ディアボロやヴァニタス相手でも、深手を与えることはできたかもしれない攻撃。
けれど。
「――この程度か?」
アラドメネクは、平然と屹立していた。
ダメージは確かに通ったようだが、ほぼ無傷に近い。
それが、今の撃退士たちと悪魔少将の、絶対的な力の差。
鋼の声で猛将が問う。
「撃退士――我ら冥魔の魔術を模倣する、出来損ないの戦士どもよ。貴様らが極めた力は、技は、この程度のものなのか?」
アラドメネクの言葉には様々な感情が籠もっていた。撃退士全体への不満、失望、そして怒り。
「だとすれば期待外れだ。俺は家畜にすらなれぬ弱者の群れになど、興味は無い。魂の欠片も残さず、塵となって消え失せろ」
猛将の右手が疾る。
凄まじい膂力で大太刀が三度振るわれ、一瞬にして三人の体に深い裂傷が刻み込まれた。斬撃の衝撃で吹き飛んだ結とカインが、鮮血をぶち撒けて地面に伏す。
マキナは――やはり深い傷を負いながらも、かろうじてその場に立っていた。
事前に発動していた終焉ノ刹那によって、何とか耐えることが出来ていたのだ。
「ふん。加減したとはいえ、俺の剣を受けて倒れんとはな……褒めてやろう」
アラドメネクが大太刀を掲げ、マキナを讃えた。声には彼女を敵として認めるような響きがあった。
「次は本気で往くぞ。我が真の刃を受けて死ねることを、誇りに思うがいい」
猛将の全身から、更なる武威が噴き上がる。解き放たれた剣気だけで地面が軋むようだった。
マキナも構えるが、アラドメネクには隙が見えなかった。最初の攻撃が命中したのは、奇跡的な幸運だったのかもしれない。
不用意に間合いに入れば確実に死ぬ。否、このまま臆していても一刀のもとに斬り伏せられるのは明らかだった。
逃げ場など何処にもない。少将への対応を想定していた全員にも言えたことだが、アラドメネクとの戦闘を選択した時点で敗北は確定していた。
アラドメネクが一歩を踏み込もうとした時、『運良く』マキナの体に痛覚が戻ってきた。死の寸前まで追い込まれていたマキナが、激痛の奔流に気を失って倒れる。
「……くだらぬ。所詮は人間、か」
刃をおろした猛将が、冷たい瞳でマキナを見下ろす。
興醒めといった風にアラドメネクが視線を上げ、戦場を見渡した。
「――――っ!」
アラドメネクと視線がぶつかり、樹の背筋を怖気が駆け巡る。
先ほどのネクロシャーマンの黒炎を浴びてすでに限界寸前だったが、それでも体を無理やり動かした。
あの男が重体の中津やレフニーを攻撃すれば、間違いなく死ぬ。殺されてしまう。そんな直感があった。
これ以上は無理だ。
二人を抱え、樹が全力で戦線を離脱していく。
「……此処で負けたとしても、生きていれば攫われた人を救う機会もあります……今は命を捨てるべきではありません」
敵を前に逃げることが、戦士として間違っていると理解しながら。
それでも、二人を見殺しにはできなかった。
アラドメネクは、敗残兵を追うことはしなかった。
その気になれば地面に倒れている数十人の撃退士にもとどめを刺すことはできたが、少将は大型デビルキャリアーの帰還を優先させた。今はザハークとの合流が先決だとでも言わんばかりに。
ただ一人生き残ったハッドが上空から攻撃を続ける。だが、一人の力では魔軍の行進を止めることはできない。
「さらばだ。軟弱な人間どもよ。地上に堕ちし天魔どもよ」
空高くにいるハッドを無視し、冥魔軍が帰還していく。
止めるだけの力は、撃退士たちに残ってはいなかった。
撃退士たちが悔恨に駆られる。何が足りなかったのか。何が間違っていたのか。どうすれば結末は変わっていたのか。
――強力な魔軍を制圧できるほど、作戦を深く練っていれば。
――アラドメネクではなく、肝心の大型デビルキャリアーの撃破にもっと力を注いでいれば。
――最低限、増援が来るまで耐えられるような布陣を、組んでさえいれば。
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「中央部隊、突破されました!」
「そんな……! あいつらは全部隊で一番強いはずだろ!」
「くそっ! 増援はまだ来ないのか!」
「ああっ、駄目です! 第二、第三分隊も突破されましたッ!」
中央部隊の早期壊滅に呼応するように、他の大型デビルキャリアーの対応に回っていた分隊も、ブラッドロード率いる護衛ディアボロどもに次々と突破されていた。
最終的に全六部隊中、中央を含む五部隊が突破された。
その後、一〇〇名近くのフリーランス撃退士が駆けつけ、なんとか足止めしていた大型デビルキャリアーを、一体だけ撃破することには成功した。
増援が到着した頃には、他の大型デビルキャリアーは帰還した後だった。
帰還した大型デビルキャリアーは、全部で五体。
推定被害者数は、約二〇〇〇人。
少将アラドメネク率いる魔軍は、青森県八戸市に大きな災禍をもたらして去っていった。
残された人々の哀しみは、蹂躙された街の傷跡は深い。
――どうして救うことができなかったのか。
後悔だけが、撃退士たちの胸に渦巻いていた。