その日、そこに集まった8人の撃退士達は、何処か殺伐とした雰囲気を漂わせていた。
それもそのはず。
これから自分を含めたこの8人は、ここでイライラしたり怒ったりしなければならないという、過酷な難題に立ち向かわなければならないのだ。
何もないこの場所で、いきなり、突然。
と。
そんな自分はいくら仕事とはいえ、冷静になって考えると、ちょっと、引く。
そういうV兵器なんだから仕方ないんだけど、やっぱりいきなり苛々し出す自分とか、なんか、引く。
それでふと我に返ったりして、存在の基盤を冷静な所に置いてしまったりすると、この仕事自体が全う出来ない事態になりかねないので、だからのっけに殺伐としてるって思いこんで、その勢いで怒るのはどうか。
と企てていた矢野 古代(
jb1679)の思惑は、黒井 明斗(
jb0525)のふわわああんとした、物凄い朗らかな優しい笑顔を発見してしまった瞬間、挫折した。
そんな全うで真っ直ぐで無垢な笑顔を前に、殺伐の妄想なんてもうできない。
現実は過酷だ。状況はハード化している。
そして仲間達は程良くマイペースだ。
「うちとしては現状そんなにストレス貯める事ないから……影響を及ぼせるとは思えないけど」
高虎 寧(
ja0416)が困惑気味に微笑みながら頬に手を当て呟いている。
「確かに苛々したことなんて、中等生にはそんなにないかも」
四条 和國(
ja5072)は、腕組みながらのんびりとした相槌を打ち、俄然行方不明なイライラの入り口を探し、思考の旅に出る。
「んーイラっと力を変換ねぇ。そりゃいくらでもあるっちゃあるけどさ、できりゃ思い出したくないよな、そんなの」
虎落 九朗(
jb0008)はわりと身も蓋もないことを言った。
「というか。本当に役に立つかどうか微妙ですよね」
すると寧がそんな感想を漏らし、そしたらメレク(
jb2528)が、
「でもこのV兵器、イラっとする事で効果が上がるなんて、なんとなく天使が感情を吸い取るのと構造が似てますよね」
なんて相槌を打ち、皆で笑った。
古代は最早、勝てない気がした。
この無垢でふわわんとした温かい雰囲気を前に、怒ったりイライラしたりするなんて、もー絶対無理な気がした。
いや、そうだ。
イライラなんてしなくていいんだ。もうやめよう。やめちまおう。イライラも怒りも忘れて、皆で朗らかで楽しい時間を過ごそう。
皆で笑うんだ。いいじゃないか。こんな、こんなサーバントなんて放っとけば……。
(ばか野郎ーーーっっ!)
ぴぴ。
古代のV兵器のポイントは2上がった。
とかいうその頃、山木 初尾(
ja8337)は片隅の方で一人、わりとぼーっとしていた。
ように見せかけて、意外にさらーっと仲間達の姿を観察したりしていた。
向かいでは、篠田 沙希(
ja0502)が、蛍丸を振りかぶり、無言でサーバントにばっこーんと振り下ろしたりしている。
そこには、やっぱり一応自分の目で確かめておかないと、みたいなエネルギッシュさがあるような気がして、撃退士としてこの覇気のなさは大丈夫なのか、と常々自己嫌悪していたりする身としては、少し羨ましくも感じたのだけれど、彼女のやり方は多少ハード過ぎたようで、思いっきり打ちこんだ大太刀は「なんか天界製らしい特殊な膜」とやたらに思いっきり跳ね返され、抜けなかったつるはしが思わぬ所で抜けて「んがっ!」と万歳しちゃった工事現場の人みたいになった。
なったけど、彼女は全然気にしてない。
か、どうかは分からないけれど顔がもうクールだ。
「んー実は僕もそれ思ってたんですよね。ホントに普通の武器じゃ難しいんですかねぇ?」
そんな中、明斗は明斗で、自ら十字槍を突き刺し事実確認を行っている。
人に流されそうな柔和な外見の彼だけれど、あんな万歳を見ておいてまだやるとは、こちらも意外と自分の目で確かめてみないと納得できない派なのかも知れない。
わりとしつこく、ガツガツ、突いた。
で、最終的には納得した。
「なるほど無理なんですね」
ふう、と額の汗などを爽やかに拭って見せながら、言う。「ほんと、ただの丸の癖に生意気な奴ですね」
そして笑う。
でも、初尾は彼のV兵器のポイントがぴぴ、て上がったのを見逃さなかった。
イライラしている。あれはきっと確実にイライラしている。
「んーじゃあやっぱり、イライラしたことを思い出さないと駄目なのかー。あーあ面倒臭いですね。でもんーイライラかあ……」
って全然気づいてない彼は、のんびりと考え出した。
不可解だった。
「じゃあ、どうする。そろそろイライラ発表してくか?」
九朗が皆を見回しながら言った。
「まあそうですね。共感ポイント制もあるわけですし、発表はいいとは思いますけど」
メレクが少しだけ困惑したように九朗を見た。「でもそうは言っても、誰から言うかとかは結構問題じゃないですか」
確かにそうだ。
と、その場に居た皆が、自分が一番手になるなんて思ってなかった顔で互いを見回した。
「ねえねえ、じゃあさ」
和國が軽く挙手、みたいに手を上げながら、皆を見た。
「じゃんけんで決めちゃうっての、どうだろ」
●
「んーまあうちとしては、さっきも言った通り、現状にそんなストレス感じてないので……」
結局じゃんけんで一番手となってしまった寧は、そんな慎重な前置きを置き、皆の顔をちらちらと見た。
「影響を及ぼせるとは思えないんだけど……」
そりゃまーきっとそーなるよね。
とか、ちゃっかりじゃんけんで勝った初尾は、また皆の輪からさりげなく離れつつ、思った。
だいたい、いきなりイライラした事を思い出せなんて言われても無理だろーし、その上みんなの前で発表しなきゃいけないとかいうハードルもあるのだから、これは多分中々思い付かな。
「でもやっぱり寝入る瞬間に邪魔されるのは腹立つかな」
なんて前振りは嘘としか思えない素早さで、彼女はもう言った。
「うちはねえ。睡眠欲の塊みたいなものだから、意外に暇と余裕が有ればどこでも寝れるのよね。勿論身の安全は自分で確保できるから危険が迫ろうとも即時に起きて対応出来るのだけれど、それでもやっぱりこう、これから無防備に寝ていいですよ、みたいな瞬間はあって、だからあーこれから眠れるんだーって凄い幸福な気分で布団に入って、はふ、とかなって、気持ち良いうとうと状況から一気に意識が落ちて行く瞬間は何にも変えがたい快楽なわけ。だからそれを妨げられて不用意に起こされると、しかもそれがくっっっっっだらない内容だったりすると、殺意すら沸く時があるんだよね」
絶対それ言う気満々だっただろ、みたいな滑らかさで一挙に言って、凄まじい勢いでイライラポイントを加算させた。
「確かにな」
と、そこで前に出て来たのは、沙希だ。
「何かの邪魔をしてくるやつというのは本当に腹立たしい」
顔や口調には全く同意感を漂わせずに、それでも彼女はクールに頷く。
「私も以前、急いでいる時にエスカレーターで邪魔をされたことがあってな。つまり、大人しく乗っているのを選択した人間達は、右側とか左側とか、どちらかに寄って、道を空けておかなければならない、というこれは礼儀ではないだろうかと思うんだ。例えば、子供や老人など、理由があって道を空けられない人々ならまだしも、理由などなく理不尽に人の前に立ち塞がり、人々の行く手を阻むとなると、これは最早、悪の所業」
そこで彼女は長い髪をぶわあぁさ、と靡かせながら、皆を振り返った。
「一体何の権利があって、急いでいる私の邪魔をするのか。その段差を踏破して時間を短縮しようとしている私の自由を奪う権利が何処にあるのか。そう何人たりとも、私が私の道を行く事を邪魔する権利などないのだ!」
ぴしーっ。
と、決まった。
これは決まった。
たかがエスカレーターの話なのに、説法を説いているみたいな力強さで、皆の心をしっかりキャッチ。
じーん。
と、かく言う初尾もしっかり共感していた。
人は人、自分は自分。人が人の選択で勝手にやってくれるのは別に全然どーでもいー。
けれどそれで人に迷惑をかけては駄目なのだ、多分。
だから勝手にやりたい奴は、迷惑かからない所で勝手にやってれば良くて、迷惑かけそーな奴は、迷惑かけそーな事を自覚して、だから一人でふらふらしてればいーのだ。
と、納得済みではあるけれど、たまに寂しくて絶望しそーなわが身を振り返り、なんか俄にずーんときた。
いや落ち込んでる場合ではなかった。
次のイライラが待っている。
と、その一点で初尾は持ちこたえた。
「んーでも分かる。分かるなあ。やっぱり人に迷惑かけちゃ駄目だよね。協調性っていうか、その場の空気とかっていうのもあるしさー」
和國が、自分の頬を突きながら、前へと出た。
「僕もね。打ち上げで焼肉行こうとしてた時の話なんだけど。その中の一人の女の子がさ、「私、お肉駄目なんだ〜」とか言って主張してきちゃって。なんかその場がすごいシラーとなっちゃった事があったんだよね。
いやそりゃあまあ、駄目なら仕方ないけどさ。でももう皆でそこ行くつって、予約してくれた人だって頑張ったのにさ。テンション下がるじゃん。何で今このタイミングなの、ってとこも凄い引っ掛かったし、いやいいんだよ、いいんだけど、何だろう。焼肉屋つっても別に、肉しかないわけじゃないんだしさ。
でもそしたらその子帰るとか言い出して。そんな武器持ち出されたら、もう何も言えないし。益々その場の空気は悪くなっちゃうし。そんなつもりで言ったわけじゃないのに。ただ皆で一緒に焼肉屋行きたかっただけなのに、そんな帰るとか……」
と、和國は結局しょぼーん、とした。
意外と大人だった13歳は、けれどやはり13歳なので、イライラするはずが勢い余ってしょぼーんになるのだ。
そこはまだまだ詰めが甘い。どうせその女が悪いのだ。と、女子には微妙に厳しい初尾は独断と偏見で決めつけた。肉が駄目と言った時点で、そーですか肉がアレルギーなんですか、じゃあむしろ連れていくのは可哀想ですね、お疲れ様でしたさよーならァ……、と言いはしないが言ってやりたい。
だから恋人がいないのだ。
いや別に欲しくないのだだから。
「んーんー分かる分かる。自分の事しか考えてねーやつっているよな。俺も満員電車に乗った時、すぐ隣に滅茶苦茶香水くさいおばさんがいてよ。満員電車だから逃げ場ねーし、匂いも篭るし、さすがに殴るのは我慢したけどさ……っつーか、途中からきつ過ぎる匂いで気持ち悪くなってくんのな。あれほんとまじ苛つくわ」
そこへ九朗が畳み掛けるように無難な怒りを披露し、和國のしょぼーんをフォローし、皆のポイントを加算させた。
なんか凄いイイ奴に見えた。
「でも自己主張って言えば、人間社会の奇妙な風習の「センキョ」とかいうやつの音も、煩くないですか」
と、元天使のメレクは、人間が仕方ないしーと流している部分を、鋭く突いてきた。
「色々な車が街を駆け巡って、常々「人々のために」とか言ってるんですけど、人々のためならむしろあの音量は下げるべきと思うんですよね。人々には休息が必要で、それなのに大音量で、これまた物凄い良く通る声とか延々聞かされ続けて、今この瞬間に疲れて眠っている人だっているのに、そこ想像できない人に果たして本当に人々の生活が守れるのか甚だ疑問で、いい加減静かにしなさい、と思ったんですが、皆様はどうでした?」
もっともだ。
と、その辺りで、皆のポイントは意外に9とか溜まっていて、はーわりと簡単でしたよね、じゃーそろそろ倒しときます? みたいな空気になりつつあって、でも一人だけそうじゃなくて焦っている人がいた。
それは未だ「んー」とか唸りながら、
「皆さんのポイントたまってるどーしよー、どうしようどうしよう」
とか、物凄い焦って焦り過ぎて、思い浮かばない自分自身にイライライライラっ! とかしてる自分に全く気付いていない明斗。
ではもちろんない。
彼のポイントは最早10だ。気付いていないのは彼だけだ。
ではそれは一体誰か。
温厚代表、皆のお父さん、矢野古代・三十路である。
「くそう。やはり10ポイントの壁は高かったか……」
いや、そうでもない。
皆わりとちゃんとイライラ出来ている。
「怒るのって苦手なんだよな。でも敵を倒すためには仕方ない……これだけは使いたくなかったが」
彼はそう言ってロングトレンチコートの間から一冊のノートを取り出した。
秘密兵器なんだろう、多分。
そういう出し方だったし。
だからあそこには、あらゆる怒りや苛々が克明に記されていたりするのかも知れない。
と。
古代は感情たっぷりに、ノートの中身を朗読し出した。
「連絡超。○月○日。
くくく、今日も我の正体は暴かれることはなかったな。
俺が魔界の王子である、ヤノーノコシッーロー十四世(14歳だから)であることは、隠し通さなければいけない秘密だからな。そう。ヤノーノ帝国がこの人間界を支配するその時までは。くくく。
そんなわけで魔界の王子をやっていくのも大変です。でも頑張ります。
先生は、どう思いますか。
そうですか。それは大変ですね。
ところで王子、宿題は数学と理科ですよ。明日忘れないようにして下さいね。
それから悩みがあるなら先生がいつでも相談に乗るので、気軽に話して下さいね」
気付けばそれは、苛々した話ではなく、痛々しい話だった。
けれど彼の中では、「こんなものを書いてしまった自分」というのが余程腹立たしいらしく、ゲージを振りきる勢いで、ポイントをどんどん加算させていく。
「○月×日、今日も……」
誰も何も言わなかった。
誰も一切共感出来なかった。
ただただ痛々しかった。
和國などは、自分より一つ年上だった頃の古代の痴態に泣きだしそうになり、「分かったから! もう分かったからやめて、古代さん!」と縋りついている。
初尾は指摘すべき箇所が多すぎる気がして、最早突っ込みどころ絞ることすら出来ない。
「こんな……こんなものを読むことになったのも貴様のせいだサーバントーっっっ!」
「分かる、分かるよ、そんな自分が許せないんだよね! さあ一緒に倒そうバルーンを!」
そんな自分は許せない。
なるほどそんな怒り方もあるのだ。
奥が深い。
初尾はちょっと感動した。
かというとそうでもない。
とにかくポイントが溜まった皆は、ここぞとばかりに思いきった一撃でサーバントを打っ叩き、すっきりとした。
きっちり始末されたサーバントは、メレクがシートに包んで持ち帰る事を提案したので、皆でそれを手伝い、持ち帰ることにした。
帰りには打ち上げでカラオケに行くらしー。
と、これは和國と九朗が言っていた。
サーバントを打っ叩いたくらいでは、彼らの苛々は収まらないのだそーだ。
さもありなん。