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もわわん、とかなんか、漠然と薄い桃色の空気が辺りに漂った。
でもそれは厳密には空気ではなくて、今回の敵であるディアボロの吐き出した「アガル息」とかいうやつだった。
そのアガル息を吸いこんじゃうとどうなるか。
「えびばでせーーーーい! いぇーーーーーッッ!!」
こうなる。
でももしかしたら、息を吸いこんじゃってなくても、彼女、笹本 遥夏(
jb2056)はこうなっていたんではなかろーか。と、二階席から今回の「演芸祭り」を楽しみに来たエルフリーデ・シュトラウス(
jb2801)はちょっと思ったりもする。なんせ彼女は、劇場のぼっろぼろの扉を開いた瞬間からもう、何より舞台目掛けて走り込み、翼が生えたみたいに軽やかな動きで舞台に飛び乗っていて、これはのっけからやったるで感満開だったとしか思えない。そんな勢いだった。
「ほないっとこかー!!!」
銀色の杖ケリュケイオンをバットみたいに振り回しながら、遥夏は舞台上を走りまわり、叫んでいる。ばっこーん、とディアボロを一匹ぶっ叩いた。続いて、もう一匹。更に、もう一匹。舞台上のディアボロを全て舞台の下に打ち落としておいて、「どないやー! どないやー! みんな準備はええかー! どんどん回してくでー!」とか、気分はすっかりレゲエのセレクター気取りで、その辺にあった台の上に片足を乗せ、叫ぶ。
「そっちはいけてんのー?!」
と、そんな彼女がびし、と最初に目を向けたのは、空木 楽人(
jb1421)の後ろでちょっともじもじしちゃってたエンフィス・レローネ(
jb1420)だった。
って、今までそんなテンションに遭遇したことないです! 未知との遭遇です! みたいに顔を真っ赤にし、彼女は暫く固まった。固まったけれど、ふわわん、と漂って来たアガル息を吸いこんじゃうと。
「いけるなら返事してやー! えびばでせーい! いぇーーーッッ!!」
「い、いいい……いぇーぃ!!」
途端にくわ、と目を向き、精一杯張り切りました感満開で両手の拳を握り、叫ぶ。
とか、なる。
アガル息恐るべし。あれは絶対、息のせいだ。何せ、集合した際に見た彼女は、どう見ても内気で人の後ろに隠れちゃう系の可愛らしい少女だったのに、それが今やどうだ。もういいよ、もう頑張らなくていいんだよ、と肩とか叩いてあげたくなるくらい必死に「いぇーい」を連呼しているではないか。
「う、うん……うんエンちゃんエンちゃん、うん大丈夫うん。ちょっとうん、落ち着こうかうん」
見るに見かねた楽人がその背中をとんとん、と叩いてあげている。
「とか言って、あんまり気ぃ抜くなよ、これで怪我したら笑われるぞ」
舞台下に落ちたディアボロ達に向け、阻霊符を使用する矢野 古代(
jb1679)が、舞台の下から野次を飛ばす。「見張りは俺に任せてもいいけど、楽しむのもほどほどにな」
さすが34歳オールバック。大人の余裕である。溢れんばかりのサービス精神である。
しかしまあそれはそうだろう。大の大人が、こんな所で子供達に混じって芸をやるなどとはさすがに言うま。
「あ、俺の番もちゃんと作ってね。後の方でいいからね」
えへへ。
笑っている。34歳オールバック、笑っている。
ディアボロ達にしっかり張り付き応戦しながらも、彼はやる気だ。全然やる気だ。めっちゃやる気だ。しっかりパフォる気だ。
「じゃあ僕、雪玉出すね」
そこで不意に天宮 佳槻(
jb1989)が言った。ヒヒイロカネから六花護符を取り出し、応戦する古代の援護に向かおうとする。その姿はまさしくただの攻撃しようとしてる人だった。つまりは、真面目だった。全然真面目だった。めっちゃ真面目だった。びっくるするくらい真面目だった。アガル息にも、全然上がってなかった。
と、思ってたら、やっぱりちょっと上がってたようで、その証拠に、ヒヒイロカネから武器だけを取り出すはずが、うっかり他の携帯品まで取り出した。おにぎり、アンパン、カレーパン、焼きそばパンってどんなけパン好きなんだ。
って思わずエルフリーデが思っちゃっても、佳槻はクールだ。「え、はいパンめっちゃ持ってますけど何か」くらいの顔で、淡々とパンをヒヒイロカネに戻して行く。真面目な顔して。真面目な顔してパンは戻す。戦闘中だろうが、落ちたパンは戻す。
とかいう間にも、「初めての依頼だ、しくじらずに頑張っていきたい」とかなんか、こちらも真面目な事を口にしていた九条院 早鬼(
jb2942)が、「ふん、上がる息などと、馬鹿馬鹿しい」とか言いつつ、さと何かを取り出した。きっと武器だ。と思ったその手には、え、マイク?
「歌ってやろう」
気のせいじゃなかった。マイクだ。あれはマイクだったのだ。へーい、マイクー。
「よっしゃー! ほなみんな準備万端やなー! いくでー! 今日の一人目はこの人やー!」
そして喧騒の最中、満を持して彼女は登場する。
舞台袖から。
ふりふりの白いドレスをひっらひらさせながら、登場する。
「もっともっとけむり欲しいよ! ピンクのけむりーもっともーっと出して! ましゅろを見えなくして!」
真守路 苺(
jb2625)である。
いや、手品姫ましゅろである。
「音はこの人が担当すんでー! いったれ楽人さん!」
「はいはい、音は任せて下さいね」
ギターを鳴らしながら、楽人が舞台に昇った。のんびりとした彼らしい、透明感のある柔らかい音色で、メロディを鳴らす。
「いっちばん、ましゅろですっ。手品します!」
銀色の髪を揺らしながら、ぺこ、と可愛らしく一礼したましゅろは、顔を上げた瞬間、言った。
「ましゅろ、てきはこわくないよ。だってえるふりーでとこしろが客せきからてきをばんばんってしてくれるっていってたもん」
そして二階席で見ているエルフリーデに両手をふりふり。
全く同じ悪魔なのに、130年近く生きている自分と子供の悪魔とではやはりこうも違うのか。とかなんか考えながらも、エルフリーデもまるで会場に来てるお母さんみたいに片手を控え目に、ふりふり。
「さあがくと! ばっくみゅーじっくはもちろんあの曲。月桂樹のネックレスだよ!」
そしてましゅろはくるんとした赤い瞳で、楽人をじー。
ってそんな、誰でも知ってるヒット曲だよね、みたいな目で見られても、全然知らないので楽人は困った。
「え、あうん」
えーわーどーしよーめっちゃ見てるーわーどーしよー、えー……えーもう、い、いいや、適当に弾いちゃえ!
って弾きだしてみたら、物凄い気持ち良くなっちゃって、彼は普段ののんびりさ加減からは想像できないくらい、ガンガンにギターを弾きだした。ロックだった。アガル息だった。ハッスルだった。
「みててね、みててね、みんなみててね! いまからましゅろ、何もないとこからかわいいおかしいっぱい出すよ!」
でも、こっちはこっちで早速自分の服に隠したお菓子を出すのに夢中になったましゅろは、楽人の弾いている曲が全然月桂樹のネックレスじゃない事に気づいてない。どころか、どういうわけか包装が取れてしまっていた飴玉が服にはりついちゃって慌てちゃって、取ろうとしてまた別の飴玉の包装が取れちゃって手にはりついちゃって、それを取ろうとしたら反対の手にはいりついちゃっ、きー! ってなった。
最終的にきー! きー! きー! ってなって、両手をばたばたば振った。最初からあんまり手品でもなかったけれど、最早全く手品ではなく、幼稚園児の癇癪みたいになった。
「ばかー!」
と半泣きで叫び出す。「ちがうもんちがうもん、ましゅろ悪くないもん! がくとがきゅうにギター違うのするから、わかんなくなっちゃったんだもんっ」
意外とそこ、気付いてないようで気付いてたましゅろである。しかも分が悪くなると、そこを持ちだしてくるあたり、やっぱり可愛くても悪魔である。
「ましゅろがわるいんじゃないもん! てきがわるいんだもん、はやくやっつけちゃえー! ばかー!」
「わーわーましゅろさんましゅろさん、泣かんどき泣かんどき、立派やったで! 大丈夫やで!」
清く正しいエンタテイナー精神に則り、遥夏が、すぐさま励ましフォローを飛ばす。
「ほんと? ましゅろ、すごい?」
って今まで泣いてたの絶対嘘だったんですよね、みたいにけろっとした顔でましゅろが顔を上げる。
「え、う、うん! すごい、すごいよぉ、のりのりやったよ〜」
って今更もう引き返せない遥夏である。
「じゃあね次はぜったい成こうするからね、見ててね!」
で、お菓子がなくなるまでチャレンジする気を漲らせるましゅろの向かいでは、「次は俺が行こう!」
ディアボロの応戦を佳槻に任せた古代が、颯爽と名乗りを上げたかと思うと、凄い勢いで舞台へと走り込んできた。
「礼儀とは極めれば一つの芸術となる! すなわちこのDOGEZAは一つの芸の極致!」
そして助走の勢いのまま舞台の上、どころか空中へと飛び上がると、ロングコートの裾ばっさーさせながらシュルシュルシュルシュルッと四回転し。
楽人のギターが、ビートを刻むように低音を刻む。だかだかだかだかだかだかだかだか。
古代はその間にもズサーッ! と煙とか立てる勢いで正座で地面に着地して、舞台前まで滑り込んで来た。
だかだかだかだかだかだかだかだかギュイーン。
ビートを刻むように低音を刻んだギターが、最後に渋く、唸る。
「DO・GE・ZA」
遥夏の掠れた低音の声が呻いた。と同時に古代はガツンと額を地面につけた。
「見よ、ディアボロッ! 俺のこのクアドラプルアクセルDO・GE・ZAをーッ!!!」
と、古代は今日一くらいには張り切った声を上げた。つまりは、頑張った。34歳、独身、片田舎の農家出身二男坊、頑張った。なのに。
ディアボロはまぁっっったく見ていなかった。
というより、その前のましゅろの焦り具合で若干うっとりしかけていたので、もうなんかわりとどうでもいい感じでふわっと舞台を見ていた。だから古代は思わずその隣に突っ立ていた佳槻を見た。ちょっと助けを求めるみたいに、見た。
目が合った。
「え、あ、うん凄いよ」
棒読みだった。完全に無感動だった。むしろ、無感動を通り越し、若干引き気味だった。
俺のDO・GE・ZAはまだ、人を感動させるレベルではなかったのだ……!
「……いいのさ、俺はこんな事なんかで傷ついたりしない……張り切った自分を後悔なんかしないさ、心が折れたりなんか、しな……うう」
矢野古代34歳、思わず男泣きする。
「で、でも、こ……古代が悪いんじゃないもん! あんなてきなんかはやくやっつけちゃえー! ばかー!」
そして、ちょっと壊れた。
「こ、古代さん! 大丈夫や! い、今の男泣きのくだりのお陰で、敵がすっかりうっとり状態に!」
「そこかよっ!」
「古代さん。えーっと……僕には音楽しかないので、音楽で励ましてみます」
いそいそと寄ってきた楽人が、そっと弦を弾きメロディを綴った。
そんな心優しいお兄様のギターソロ姿に、エンフィスはうっとりしたキラキラした瞳で今日も見惚れる。
……こうして、いつも一緒に居ると心配ばっかりかけちゃうから、本当はいつまでも一緒に居るわけにはいかないのかも知れないけど。
でもやっぱり……いつまでも、格好いいお兄様と一緒がいい……。
「だから私もお兄様と一緒に頑張ります!」
そう宣言するとエンフィスは、ぴょこん、と舞台に飛び乗り、ギターを弾く楽人の隣に並んだ。そしてヒヒイロカネから林檎と片刃のナイフ「ダーク」を取り出し、リズムに乗りながら、しゅるしゅると器用に皮を向き始めた。
流れるように、踊るように、るんるんらんらん林檎の皮を剥き。
「わーエンちゃん凄いねえ。上手だねえ。エンちゃんは本当に僕の自慢だよ」
うんうんうんうん、と彼女の成功をすっかり自分の事のように嬉しがり、更に上がっちゃった楽人は、ヒリュウのひー君を召喚すると、「さあ、一緒に踊りましょう」とか、なんだかもう良く分からないモードになった。
嬉しすぎて踊りたくなったのかも知れない。
「よしそして一緒に歌おうぞ!」
待ってましたーとばかりにマイクをひっつかみ早鬼が熱唱し出した。
「そして一緒にラバダブやー!」
その歌に乗って遥夏が、自作のリリックを披露する。
ヒーロー目指してこの状況、天魔と戦う毎日WOU
誰に何言われてもうちはうち。いつでも通すでエンターテーナー。
みてや聞いてや、ここでがっつり浪速のサウンド。
うるさかろーと悪気はないで、
今日も明日も仲間と一緒にワンラブ、ワンウェイ。
邪魔する奴は、怒るでしかし。
お前の事などブッ飛ばすー。
と、そこで遥夏は、スキル発動のポーズを取った。
「YEAH!」
の声と共に、ディアボロの周りに出現した魔法陣から、花火のような爆発が起こる。
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こうして撃退士達のいろんな意味での頑張りにより、ディアボロ二匹はきっちり始末された。
そして今、「あれは……あれは何かの間違いなんだ。あれは違うんだ、私ではなかったんだ、だから今日見たものは、おぬしらの記憶からすぐさま末梢してくれ」とかなんか、すっかりディアボロの息にやられちゃってた早鬼が、いつもは猛禽類のような鋭い目元をほんのり赤くし、仲間達に必死の懇願を行っている。
エルフリーデは、ぎりぎり生きていたディアボロの四肢と尾をスマッシュハンマーで叩き潰し、骨を粉砕し、残った胴体を麻袋へと詰める作業に没頭していた。
「運ぶのは俺がやろう。重いもの持つのは男の仕事だしね」
その様子をのんびり眺める古代が、すっかり大人の落ち着きを取り戻し、提案する。
と。
「あ、じゃあこれはましゅろが貰うね!」
可愛い顔して怖がるどころか、むしろ若干はしゃいだ感すら滲ませるましゅろが、潰れた尻尾をびろーん、と掴んだ。「えへへ。これ、ラップして永野先生に持ち帰ってあげよーっと」
でもそれはきっと嬉しくない。むしろ、当分生肉とか見れなくなる、と佳槻は思わず同情せずにはいられない。
「しかしまあ、何を考えてこういうディアボロ作ったんだろ。面白かったけど」
ギターの片づけを行っていた楽人は、ふと浮かんだ疑問を口にしている。隣でエンフィスが、「確かになんだかよく分からない天魔だったけど……でもお兄様と一緒だったから……大丈夫、だったよ」と、もじもじした。かあいい。
「まあ多分あれだな。失敗作なんだろう」
悪魔目線でエルフリーデは、そう結論した。「私はそれよりこんなものを捕らえて来いなどと言う奴の気が知れん」
「でやー、終わったかー」
と、そこで、舞台の上で大の字に伸びていた遥夏が、気だるげな声を上げ手を振った。
「まあなんしかあれや。テンション上げすぎて疲れたわ、さっさと帰ろー」
確かに、今日の仕事はこれで終わりだ。
エルフリーデは麻袋の口をきゅ、ときつく縛り上げ、「そうだな」と、頷いた。