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「ダッセー。いい加減な魔法陣だな」
ブルーシートで覆われ、血の匂いもまだ濃厚に立ち込めている美紀の部屋で、現場検証をしながら、ラファル A ユーティライネン(
jb4620)が肩をすくめた。
「しかも呪文もいい加減ときてやがる。おまじない本? こんな雑誌の付録で、本当に魔神が召喚できるわけねーだろーに」
ダァトの知識にも引っかからない、インチキを詰め込んだような魔法陣。おまじない本には、「相手を呪い殺す術」のところに栞がはさんであった。ぱらぱらと内容を見るが、これまたインチキそのものだった。
同じく現場検証に来ていた詠代 涼介(
jb5343)が、美紀の携帯に気づく。
居合わせた検察官の許可をもらい、通信アプリの履歴を遡る。
「特定の相手の既読スルーが、一定期間、続いていたのか‥‥」
最後のメッセージを見る。そこで、涼介は状況を理解した。
通信アプリに依存しすぎると、既読スルー程度でも、相手に殺意を抱く、という話が最近増えている。
今回の事件はそれ絡みだな、と涼介は検察官に携帯を返した。
綿の白い手袋を脱ぐ。
じっとりと湿った夜の蒸し暑さの中、手にかいた汗がひんやりと蒸発する。
「よし、魔法陣は覚えたぜ。魔神とやらがまた引っかかってくれるといーな」
ラファルの言葉に、2人は中野家をあとにした。
そのままラファルは公園へ、涼介は公民館へと分かれる。
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斡旋所から借りた、炭酸カルシウム入りライン引き器で、インチキ魔法陣を再現していく。
「魔神? っつか黒魔術とかの儀式みたいなのして、呼び出した奴に食われるって‥‥ある意味、人を呪わば穴二つを体現させたねぇ」
猪川 來鬼(
ja7445)は、慣れた手つきで常備薬を自らの喉に押し込み、<星の輝き>を明かりがわりにして、公園の広場を照らしていた。
(事情は飲み込めたが、気分が波立つ。あまりいいものではない。確かこれは、これは‥‥ああなんだ、もう作戦時間か。了解した)
青い肌が特徴的なポーシャ=スライリィ(
jb9772)も、フラッシュライトで公園を照らし出す。
「天呼ぶ地呼ぶ人が呼ぶ! ボクを呼ぶ声がする! そう、ボク参上!」
いつもどおりの口上とともに、借り物の懐中電灯を振り回すイリス・レイバルド(
jb0442)。
「お姉ちゃんがオカルト趣味あるから、雰囲気程度は知っておりますとも。でも、愛と絆なボクですが、残念ながら恋愛は専門外ーっ。っていうかおまじないって恋愛モノ多すぎんだよ! 奇跡の第三次性徴期が訪れるように、大きくなる系のおまじないとか、あったっていいじゃん!?」
「なるほどー、イリスの願いは部分的に大きくなりたいってーとこかー、そりゃそーだよなー」
魔法陣をていねいに再現しながら、にやりとラファルが微笑む。
自分に向けられたその視線をたどり、イリスは破裂した。
「誰が小さいか!? うわーん! ちくしょー! マジ泣きしちゃう子もいるんですよ!?」
「大きいだけがいいってわけじゃねーだろ、ムネの大小なんて些細なことだぜ」
ラファルはさらりと返した。
魔法陣の細かいところを、がりごりチョークで書き足しながら、イリスは叫んだ。
「些細じゃねーよ! てゆーか、ラファルちゃんに言われたくねーし!!」
「俺は別に気にしてねーもん」
「ぐぬぬぬ〜!!!」
そうこうしているうちに、魔法陣が完成した。
直径も、美紀の部屋のものとぴったり同じ大きさ。再現率はかなり高い。
あとは生贄にぬいぐるみを捧げるだけである。
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一方、公民館にて。
「こないわね‥‥まあ、こないほうがいいんだけどね」
鎧を全身に纏った騎士のような姿に黒いコート。
大きなお腹を撫ぜ、金髪のロングヘアーの美女、満月 美華(
jb6831)は呟いた。
「公園の方はうまくいってるのかしら‥‥」
「あちらはあちらで任せておいて、いいだろう」
淡々と涼介は答えた。阻霊符は展開させてある。ヒリュウを哨戒に出し、<視覚共有>で、何も異変がないことを確かめている。
公民館には、近隣住民が次々と避難してきている。
中には、美紀の部屋のぞっとするような儀式の様子について、尾ひれのついた噂まで流れていた。
「中野美紀という少女の部屋がおかしな状況だったのは、皆さんのような住民の恐怖を煽るため、天魔が仕組んだことだ。天魔のやらかしたことを故人のせいにするのはいかがなものか」
涼介はわざと噂を曲げて流す。
中野美紀は、大人しいごく普通の少女だった。
‥‥それで良いだろう。
なるほど「天魔のせい」なら、納得できる。
住民たちの不安要因のひとつは、その言葉で解消された。
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「!!」
ヒリュウの視界に、獅子舞くらいの大きさの何かが写りこんだ。
涼介は警戒して腹に力を込め、同時に、美華も警戒態勢をとった。
大きな口の犬のような天魔が、公民館に体当たりをしている。
<透過>しようとして、阻霊符に阻まれた感じだ。
カチカチカチ。
白い歯を音高く鳴らしながら、悔しそうに暗い空を見上げる魔神。
その目に写りこんだのは、來鬼の<星の輝き>と、イリスの七色の光を纏う光纏だった。
魔神は公民館を諦めて、ほんのりと闇に浮かぶ公園に向かった。
「ここで仕留めます!」
フレイムクレイモアを構え直し、美華が斬りかかる。
涼介も、エアケントニスIR2で狙いを付け、<飛行>状態の魔神を撃った。
しかし、2人は目もくれずに、魔神は公園に向かって飛んでいく。
「そっちへ向かいました、來鬼」
走りながら、スマホで連絡する美華。涼介もヒリュウを異界に返して、夜道をひた走る。
意外と魔神の飛行速度は速い。
「了解だよ」
來鬼は美華からの連絡を受けた。
「生贄? 使いませんよそんなモン。煌くボクのイメージとかけ離れているからね! 供物は歌だよ! 歌は神様に捧げるとかそういうアレだよ!」
「いーんだよ、生贄なんてテキトーなもんで! 実際被害者はぬいぐるみで代用してたってゆーじゃねーか、この超合金ロボット玩具でも並べておきゃ、それなりに見えるもんよ」
折しも、魔神を召喚しようと、ラファルは中野家そばのゴミ捨て場に捨ててあった玩具一式を並べ、イリスがノリノリで「旧支配者のキャロル」なる歌を捧げようとしていたところだった。
「皆、魔神がこっちに向かっているから、気をつけて!」
來鬼の言葉に、慌ててスマホのBGMを止めるイリス。
生贄として壊れた玩具を更に握りつぶすラファル。
ヒリュウの<視覚共有>で、警戒を強めるポーシャ。
「我は求め訴えるものなり、我が願い叶いし時、我滅びも辞することなし」
壊れた玩具を握り締めて捧げ持ち、魔法陣の中央に進み出て、禁断の呪文(おまじない本によると)を唱えるラファル。
明らかに効力のない儀式ではあるが、天魔が関わればどんなインチキだって事実になってしまう。被害者は運が悪かったとしか言いようがないが、同情の余地はない。
「さあ、出てきやがれ、魔神サマよぉ」
ばさあ。
羽音がしたと思うと、魔法陣の真上に、獅子舞サイズの犬、いや魔神が浮かんでいた。
美華と涼介が少し遅れて、走ってくる。
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(事前に警察から聞いた惨劇を知って、愛と絆を謳うボクが下手人を逃がすとでも?)
イリスは阻霊符を展開し、翼で飛んで<タウント>を使用した。
きらきらと七色の光がイリスを追う。
「七色の光の軌跡は夜天にかかる虹の如く! ボク超目立つ! アピッて逃げるなんて考えられなくなるくらい、ボクに注目させてやんよっ」
「魔神っていうくらいだから、なんかカッコいいもんかと思ったけど、間抜けな顔よね」
來鬼はマッドチョッパーに<飛燕>をのせて、魔神の足元を狙う。
「これじゃ獅子舞サイズのわんころじゃないのよ。何が魔神なんだか」
ポーシャはヒリュウに<ホーリーヴェール>をかけた。
自身も攻撃ができるように、火のリングを装備していることを確認する。
ルビーのついた5連の赤く美しい指輪に、青い唇を近づける。
美華と涼介が公園に到達した時、魔神は飛び回るイリスに翻弄されていた。
ぱくん。
大きな口を開いては、獅子舞が口を閉じるように、勢いよく口を閉じる。
その中にイリスを捉えようとしては、失敗する。
「芸術的飛行に惑わされたら<クリスタルクロス>が痛いぜ? 捕らえたと思っても<銀の盾>が硬いぜ? その自慢げな歯、全部へし折ってやんよ」
イリスが挑発する。魔神は犬に似た鳴き声を夜空に響かせた。
「俺の<超巨大高射砲スターブラストセイバー>をくらいやがれ!」
ラファルはポップアップする巨大な4連装の高射砲を背中に展開し、魔神を、真下の大地に向かって引きずり落とした。
(しかし、獣だな。見るからに、獣だ)
ポーシャは考えていた。
(悪魔召喚を試みた少女。動機はどうであれ、こんなのに食い殺されるとは。せめて魂を持っていく手合いが出てきてくれれば、なあ)
気分の波立ちがひどい。これは、ああなんだ、アレだ。「口惜しい」だったか?
ポーシャの心の中で、何かが波のようにうねって、心を騒がせている。
「なるほど、そのでかい口で人を食うというわけか。なら今度は‥‥お前が食われてみるか?」
皆、避けろ。そう言って涼介はパサランを召喚し、<のみこむ>を使用させた。
パサランはその場から動くことができなくなり、細かく震え出した。
「本物の獅子舞なら縁起物だったのになぁ。この犬っころが魔神なんてお笑い種だね」
そう言いながら、來鬼は美華と背をあずけ合い、マッドチョッパーを構え直した。
美華はフレイムクレイモアを構え直す。
ぺっ。
パサランがベトベトになった魔神を吐き出した。
そこへ襲いかかる來鬼と美華。
<レイジングアタック>のかけられたマッドチョッパーが唸る。
<神速>をのせたフレイムクレイモアが空気を切り裂く。
息のあった2人の波状攻撃にのせて、ポーシャのヒリュウが<ブレス>をお見舞いする。
涼介はパサランを異界に返し、ティアマットを高速召喚し、<ハイブラスト>を撃ち込む。
「きゅーん‥‥」
犬のような悲鳴をあげて、魔神は倒れた。
獅子舞サイズの体が、みるみる小さくなっていく。
最後にインチキ魔法陣の中央に残ったのは、子犬サイズのディアボロの亡骸であった。
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処理業者に頼んで、ディアボロの遺骸を片付けてもらう。
東の空が白み始めていた。
(かつて父上が目指したものが、少しだけわかった)
ポーシャは薄くなっていく星空を見上げる。
(ポーシャはまさしく、古典的な悪魔になろう。契約によって欲望を試し、唆し、そして智慧に敗れる悪魔だ。存在の強さとは、つまり物語られ続けること。敗れた悪魔は、その最たるものだ。どのような出鱈目な召喚にも、応じようではないか。そして召喚者の智慧と心を、試してやろう)
「まあ、それにはまず有象無象の天魔たちをなんとかしてから、か。長い道になりそうだ」
ふと漏らした言葉に、涼介が反応する。
「何か言ったか?」
「ん? いや、気のせいだろうとも」
ポーシャは公園に描かれ、今や用済みとなって消されゆく、インチキ魔法陣を見つめた。
その手には、大切そうに、あの「おまじない本」が抱えられていた。
竹箒が公園の土を滑るたびに、インチキ魔法陣は形を失っていった。
消されてゆく魔法陣を見つめながら、イリスは物思いに耽っていた。
(‥‥恋愛は有限、ボクにとっては専門外。だけど、他人に壊されていいはずがない)
小声で呟く。
誰にも、聞かれないように。
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「來鬼は行かないのですか?」
後日。
美華は、美紀の彼氏であったアズマに会いに行こうと考えていた。
可能なら、來鬼と一緒に。
「ごめんね美華ちゃん。その日は予定が入っていたんだった」
「そうですか。では、仕方がないですね」
美華は電車を乗り継ぎ、美紀の通っていた学校へと向かった。
手荷物は、調査が済んで遺族に返された、あのスマホだけ。
アズマを応接室に呼び出してもらい、美華は立ち上がって頭を下げた。
そっと遺品のスマホを差し出す。
「ニュースで既にご存知かと思いますが‥‥中野さんは、天魔に襲われて、ご逝去されました」
「‥‥はい」
知っています、と答えるアズマの顔は、夏を迎える野球少年としては、蒼白だった。
「天魔は私たち、久遠ヶ原学園生が仕留めました。中野さんの仇は取りました。ディアボロはもう処分されました。このような悲劇が二度と起こらないことを願ってやみません」
アズマは、俯いて、美紀のスマホを受け取った。
メール履歴を繰り返し遡る。
既読済みになっている、返信を乞うメールの数々。
さみしいよ、と所々に残された、美紀の心の叫び。
最後に残っていたのは、とうとう読まれなかった、アズマが送ったあのメッセージ。
泣くに泣けない、そんな表情で、ひたすらスマホを睨み続けるアズマ。
「どうして、合宿中は携帯返信禁止だったんだろう‥‥」
アズマは呟く。もっと話したかった。もっともっと、彼女さんのことを知りたかった。
(そういえば、中野さんのオカルト趣味に関しては、天魔のせいということで誤魔化したんだっけ)
鬱陶しいことに、マスコミは事件を面白おかしく騒ぎたて、部屋に残された魔法陣のことも報道していた。
公民館で涼介が流したデマを思い出し、美華はそこも念を押すべきだと感じた。
「私は実際に天魔と戦った一人です。あの天魔は、一般人を操って魔法陣を描かせ、自分を呼び出させるように操る能力がありました。マスコミの報道を鵜呑みにしないでください。中野さんはごく普通の人でした。心からお悔やみ申し上げます。お救いできず申し訳ありません」
「‥‥はい」
アズマとの面会はあっさり終わった。
肩を落としたまま、部室棟へ向かうアズマの背中には、期待のエースのオーラは見えなかった。
大事な人を亡くしたのだ。すぐに立ち直って、部活や授業に熱中できるわけがない。
(こんな悲しいことは、もう起こしたくないわね)
美華は来客用玄関から出ると、眩しい夏の空を見上げた。
真っ青な空に白い雲。
セミの声がうるさいほどに響いていて、空はどこまでも高く広がっていた。