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『すし処 ゆみづ』店内では、撃退士たちが膨れたお腹をさすりながら、ポカーンとしていた。
「‥‥え? あんたたちの奢りじゃないの?」
雪室 チルル(
ja0220)は、食べ終わったお皿をテーブルに置いた。
「オゴリってなんだい?」
すごく無邪気に、双貌のドォル(jz0337)が首をかしげる。
目の前には、綺麗に平らげられたお皿がずらりと、カウンターやテーブルを埋め尽くしている。
「人間の世界は食べたら払う! これ原則!」
「ぼく達はひとつも食べてないよ?」
言い返されて気づくチルル。確かに、天使勢は見ていただけで、何ひとつ口にしていない。
「確かに、今回は食べていないけれど、ね?」
森田良助(
ja9460)は、念を押すように言った。
「人間界で買い物する時は、お金を持ってくるように、気をつけて欲しいかな」
「お金?」
首をかしげた天使勢に、津島 治(
jc1270)が、懇切丁寧に教え始めた。
「品物を手に入れる、飲食をするのに、基本は此の貨幣が必要だ。見てくれ給え。数字が書いてあるだろう?」
お札を出して、しっかりと天使勢に見せる。
「此の数字は価値を示し、此れを超える品物は買う事は出来ない。金を支払わず、入手飲食をすれば種族に関係無く、罪に問われてしまうのだよ。また、本物を用いる事も不可欠だ。解らなければ所持金を見せ、手持ちで足りるかを店の者に聞くのも手だ。同じ品でも価値が異なる事も有るから確認は必要だ」
ふむふむ。ドォルは興味深そうに耳を傾けた。
「他に不明な点は有るだろうか?」
「特にないよ。この貨幣とやらを持っていなければ、人間界では何も手に入らないということだね」
治が頷く。ドォルはカウンターの席を立つ。
「ご教授感謝するよ。さて、じゃあ「人の子の食べかた」も観察できたし、帰ろうか、グウェンダリン」
赤い着物の使徒グウェンダリン(jz0338)も静かに席を立つ。
「ちょっと待ってください」
狗猫 魅依(
jb6919)が、食事を終え、仙理の人格に入れ替わった。
「とりあえずグウェンダリン、私は『原磯の皆様と一緒に』と言ったと思うんですが?」
「‥‥?」
目の笑っていない笑顔の仙理、人形のように無表情なグウェンダリン。
「どうして食べ方もわからないのに、知っている人間のいないところで、初めて食事をしようと思うんですか‥‥?」
「知っている‥‥人の子‥‥?」
呆れたように溜息をつく仙理に、虚ろな目を向けるグウェンダリン。
まず、意味からわかっていなさそうである。
「とりあえずまあ、全部食べちゃったわけですから、私たちも代金は払いますが‥‥」
仙理はドォルに目を向けた。
「主様? この子借りていきますね。お2人は全く食べていなかったようですが、さすがに少しは手伝ってもらいたいですし」
くいくいと、グウェンダリンの袖を引っぱる。
するり、とグウェンダリンは、仙理の手を逃れ、ドォルの横に控えた。
「やだよ。ぼく達は何も口にしていないからね、先ほどの話だと、ここに残る必要もないよね? まして、大事な使徒を人の子に貸す理由もないよね?」
イリス・レイバルド(
jb0442)が、まあまあと割って入った。
「とりあえずドォルくんさー、あのユニコーンにブルーシートとか、かけてもいい?」
「? どういうことだい? そもそもブルーシートってなんだい?」
そこからか。
一行に疲れが押し寄せた。
「いやアレ、既に暴れたんだよね? 一般人からしたら戦車のようなもんだし、カテゴリ乗り物と武器の掛け算だから。能ある鷹は爪を隠すって名言を知らないのかよ、武器は隠すもの、これマナーね」
「うん、そんな言葉もマナーも知らないや」
ドォルは人間界に疎かった。とっても、疎かった。
「要するに、ぼく達が帰ればいいんだよね? 人の子の「食べかた」は観察したし、食べ物には全く手をつけていないから「お支払い」とやらも、ぼく達には関係ないし。うんうん、次から貨幣かクレカを持ってくるようにすればいいんだね」
すごいや、ぼく、ひとつ賢くなったよ。ドォルはそんな感じの雰囲気だった。
見た目が20歳前後なだけに、挙動がどこか幼く感じられる。
「と、とにかく、ひとつ大事なことを教えてもらったんだから、ボクらに借りが出来たって事だけは言っとくよ!」
イリスがびしっと指を立てた。
「‥‥借り? なんでだい」
ドォル、きょとんとしている。
ダメだ‥‥全然、分かっていない。
その横で良助が、涙目で頭を抱えていた。
(天魔の討伐に出されたと思ったら、6万も支払えといわれたでござるの巻。なんで僕がこんな目に‥‥陰謀だよ‥‥天魔の陰謀だよ‥‥)
「そうそう、先日のグウェンダリンくんの衣装は、如何なる反応だったかな?」
「笑われました」
先だって、ワンピースとサンダルをプレゼントした治は、グウェンダリンにさりげなく尋ねた。
淡々とグウェンダリンの答えが返ってくる。
「おや? とても良く似合っていたと思うのだけれど‥‥?」
期待していた評価との落差に、治は首をひねった。
かくして、天使勢は店を立ち去ることに決めた。
やむなく仙理が、手紙をさらさらと書いて手渡す。
「この手紙を、辰巳様に届けていただけますか? 連絡先とかそういうことは書かれていないので」
・この二人が食事に興味を持ったみたいなのでたまにで良いから皆で誘ってほしい事
・売買の事と金銭感覚の指導
・その他最低限の一般常識の指導
「うーん、何だかよくわからない内容だけど、彼に渡せばいいのかい?」
「お願いします」
仙理はふと、ドォルを見て、疑問を持った。
「そういえば‥‥どこかで会ったことはありましたか?」
「さあ、どうだろうね。ぼくは人の子を覚えるのが苦手なんだ」
「嗚呼、もう行ってしまうとは寂しいね。此の金平糖は手土産だ。甘い。そんな味がするのだよ。感じた味が不快で無ければ、好きという味なのだよ。早めに食べるのだよ」
治は、グウェンダリンに、小さな包みを渡していた。
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ドォルとグウェンダリンはユニコーンの背に乗り、空へと駆けていった。
見る間に小さくなり、青空に消えていく。
「次は絶対にお金を持ってきてね。絶対だぞ!!」
良助の声が遠く響いた。
せっせと、空いた皿を、ひとりカウンターに運んでいた黄昏ひりょ(
jb3452)は、「ユニコーンにバイトを手伝ってもらう事も考えたけど、地元の方の心情を考えると、諦めざるを得なかったよな。暴れたのを見た人も多いだろうし、地元の人も姿を見ただけで不安になると思うから」と呟いた。
「あの天使勢に、労働の意義を教えられなかったのが口惜しいです」
グウェンダリンと共にバイトをしたいと思っていた仙理は、唇を尖らせた。
「もっと何か、労働意欲を掻き立てるような説得でもできていたら、違ったでしょうか‥‥」
「でもさ、店内に天使と使徒がいたら、地元の人がひいちゃって、『ゆみづ』のお店のPRにはならなかったかもだし。ここは前向きに考えよう!」
ひりょは皆を励ました。
(少なくとも、皆で食べちゃった分は、働かないといけないわね)
どうすればいいか自問自答しているチルルの脳裏に、ランプが灯る。
1.さいきょーのあたいに、突如お金を入手するアイデアがおりてくる
2.別の仲間達が来て払ってくれる
3.地道に自分たちで稼ぐ。現実は非情である
(やっぱり3しかないわね‥‥まあ、さいきょーのあたいなら、ろくまんくらい、楽勝よね)
‥‥宝くじやパチンコが浮かばなくて、本当に良かったです。
さいきょーの負け方をする可能性も、ありますからね。
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「久遠ヶ原の学生さんはすごいと聞きましたが‥‥すごいですね! 只者ではないですね!」
‥‥ざわ‥‥ざわ‥‥
人垣がチルルを取り囲む。
満足そうに学生証を懐にしまうと、チルルは、数々の戦いに参加したことや、沢山の人たちを救出してきたことなどを自信たっぷりに話し、その上で、そんな立派なあたいたちが、ここでアルバイトをするということは、宣伝効果につながるわよ、という流れで、自身を含む仲間たちを売り込んだ。
「いや、そんなにすごいわけでも‥‥実は、社会勉強も兼ねて、皆で一日アルバイトをしよう! という課題が出ていてですね」
ひりょが汗ばんだ額を拭きながら、おずおずと口を挟んだ。
チルルが大きな氷塊をたやすく砕き、なるべく大き目の魚を覆うように、しっかりと氷詰めする。
(力加減は間違えない様に、生ものを扱う際には慎重に行うわよ‥‥!)
冷たい氷と水と冷えた魚で、ビニール手袋をしていても、手がかじかむ。
「コツはつかんだわ!」
慣れて来たところで、一度に複数の氷詰めを行い、作業効率の大幅改善を試みるチルル。
それを運ぶひりょ。
運び先を間違えないように何度も確認しながら、迅速に魚を輸送し、箱の数をさばいていく。
氷詰めを終えたチルルは、今度は配送便トラックへの積み込みと積み下ろしに取り掛かった。
撃退士ぱわーをアピールするために、一度に大量かつ大重量の物を優先して運ぶ。
「うっかり足を滑らせないように、慣れるまでは、余裕を持って運ばないとね!」
慣れて体勢が安定してきたら、より沢山の荷物を扱うことで、チラチラと雇い主に賃金アップを仄めかす視線を送る。
「すごいですね! やはり、只者ではないと思いました!」
ひととおり運び終えてしまうと、チルルに対して、雇い主が拍手をしながら近づいてきた。
「どうでしょう、これからもここで働いては?」
「そ、それは遠慮するわよ。あたいには助けを待っている人がいるからね!」
チルルは雇い主と交渉し、賃金30%アップで手を打った。
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「そろそろ暑くなってきたなあ。皿洗いのバイトはまだ空いているかな?」
ひりょは一番暑い時間帯を皿洗いにあてることに決め、大衆食堂の裏手に回った。
暑い時間帯は、食堂が混む時間帯でもある。
治が丁寧に慎重に洗い物をしている横で、<韋駄天>も使用し、迅速かつ丁寧に皿を洗い始めるひりょ。
2人とも、皿を割らないよう、傷つけないように、コツコツと地道に洗い物を片付けていく。
「お待たせしましたー」
「有難うございましたー」
仙狸が接客のバイトを行っている。次々と料理を配膳し、手際よく汚れた皿を回収してくる。
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『ゆみづ』に残っていた良助は、宣伝とアピールを行うため、店主にアピールポイントやおすすめメニューなどを聞き出し、それと店名、店の場所を書いた看板を作っていた。
おすすめメニューは、自分たちも食べて美味しいと実際に感じたものばかりだった。
ユニコーンも天使たちもいなくなり、それなりに有名店であった『ゆみづ』には、何もしなくても、そこそこ客が入り始めていた。
店の隅のテーブルを借りて、作業をする良助。
大衆食堂の皿洗いから戻ってきた治も、宣伝用のビラとたすきを作り始める。
「其の看板は如何するのかな?」
治が尋ねると、良助が答えた。
「ケセランにぶら提げて、たゆたわせるんだ。こっちは僕が持つ用だね。この漁港は観光地としても有名のようだし、人が集まっている場所を見つけたら、パサランを呼んで、外国人や女性・観光客をターゲットに、盛大にアピールしてみるつもりだよ」
ふむ、なるほど。治は頷いた。
「僕は其処の角地辺りで、たすきをつけ、手品やジャグリングで人目を惹こうと思っているよ」
良助が明るく応じる。
「僕も相方と組んで、空中ジャグリングをする予定なんだ。お互い、事故や怪我のないように頑張ろうね!」
「全くだ。皆でこの『ゆみづ』を、漁港一の有名寿司店に仕立てあげようではないか」
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「さー、寄ってらっしゃい見てらっしゃい、可愛いヒリュウと女の子の大道芸だよー! たっぷり楽しんだあとは、すし屋『ゆみづ』にどうぞお越し下さーい!」
「いえーす! 撃退士仕込みの空中ステージ、魅せちゃうよ♪」
良助とイリスの声が、漁港と駅とを繋ぐ道の、広まった場所に響き渡る。
イリスは小さな貸し道具店を探し出して、ジャグリングの道具や衣装を準備していた。
「ボクの曲芸飛行に酔うがいいさっ♪」
飛ぶだけで、燐光を発する七色の粒子が綺麗に尾を引く。
きらきらと光の粒子を纏うイリスは、空中三段回転、きりもみ飛行、30mからの垂直落下など、様々な曲芸飛行を披露した。
「おおっこれは、虹を描きながらの大回転だー!」
実況中継で盛り上げることを忘れない良助。
時々イリスは空中で静止して決めポーズ! そしてさりげなく<タウント>!
観客に手を振ったり、ウインクを飛ばしたり、サービスも忘れないイリスであった。
「そろそろいいかな?」
「おっけー! カモン!」
合図を交わし、良助がヒリュウを呼ぶ。
宙に浮いたヒリュウとイリスの間で、ジャグリング用のクラブが飛び交う。
パッシングと言われる技である。
愛らしいヒリュウが懸命にクラブを受け取り、投げる姿が愛嬌を誘う。
「さぁて、アテンションプリーズ! ヒリュウくんは無事に火の輪を潜れるでしょうか!」
大きめのフープに<トーチ>の火を絡ませ、掲げるイリス。
ヒリュウは怖気づいたように後ろに下がる。
勿論、演出だ。
「行け、ヒリュウ!」
良助の指示で火の輪に飛び込むヒリュウ。上手にくぐり抜けるが‥‥しっぽが炎を掠めてしまう。
「あち、あちち!」
同時に、良助の上着の裾が燃え出す。
「わわ、大丈夫ですか?」
暑い時間に外で働く仲間を気遣い、冷たい水を差し入れに来たひりょが、慌てた。
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日が傾きかけ、『ゆみづ』も閉店間近。
「あたい、頑張ったわよ!」
隅のテーブルを占拠し、チルルが汗を拭きつつ、給料袋を、でん、とテーブルに出す。
続いて、皆、それぞれに、今日の売上げや給料袋を差し出した。
ざらざらとあけてみる。
札は分けて種別に管理し、小銭を積みながら数える。
ご、ろく、なな‥‥ななまん、にせん、ごじゅうえん。
6万円突破である。
「やったー!!!」
全員、安堵と疲労のため息をつく。
『ゆみづ』の伝票を持って支払いを済ませ、残りの1万2千50円をどうするか考える。
「皆でこんなに頑張ったんだから、ひとり2千円ずつもらって、端数の50円は‥‥『ゆみづ』のお会計のところにある、募金箱に入れちゃうのはどうかな?」
ほっとした顔で、ひりょが提案した。
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原磯にて。
手紙を受け取った二階堂辰巳(にかいどう・たつみ)は、苦笑していた。
「天使さまに、人間界の一般常識や金銭感覚の指導、ですか。流石にそこまでは、私たちでは手が回りませんねえ。困りましたねえ」
「そんなの気にしなくていいよ。今回も勉強にはなった気がするし、また何かあったら、人の子に教わりにでも行くさ」
ドォルは、相手の迷惑などには、全く考えも及んでいないようだった。
「それにぼく達は、人の世に根を張るつもりは無いからね。ちょっと人間を知りたい気になった、ただそれだけだよ」