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傘を雨が激しく叩く。
マリカせんせー(jz0034)の嘆願に、足を止めてくれた6人の助っ人たち。
「フフフ‥‥今回のあたいには秘策がある!」
ゴーグルを着用した雪室 チルル(
ja0220)はそう言って、「どこかで蛍光塗料が手に入らないかな?」と尋ねた。
相合傘で通りすがった、デート中カップル、浪風 悠人(
ja3452)と浪風 威鈴(
ja8371)は顔を見合わせた。
「部活棟の中なら、ペンキくらいあるんじゃないかな?」
「‥‥ああ‥‥うん‥‥出店の時に‥‥看板、つくるし‥‥」
(こんな日は普段慣れ親しんだ道が、別の道になったと錯覚する事はないだろうか)
傘もささず、ずぶ濡れになって、別の世界へと迷い込んだような感覚を楽しみながら徘徊していた、アイリス・レイバルド(
jb1510)は、「コンビニから防犯用カラーボールでも借りてぶつけるか? 私のこのずぶ濡れの格好では迷惑千万だがな」と提案した。
「コンビニまで、けっこう遠いのですー」
せんせーの言葉に、礼野 智美(
ja3600)が「阻霊符で<透過>を阻み、ハンカチに石を包んで、敵の上から投げてみるか?」と別の案を出す。
「ペンキを取ってくるなら、僕が行きましょうか?」
レインコートに長靴、ゴーグル着用で自転車に乗っていた、鈴代 征治(
ja1305)が言う。
「自転車なら、ほら、早く往復できますし」
ちなみに、今月から、自転車の雨天走行中は傘差し運転が禁止になったため、征治のビニール傘はサドル下にきちんと差し込んである。
「助かるのですー! 部活棟共同倉庫まで、自転車なら1分もかからないのですー。お願いするのですー!」
征治はせんせーの言葉に、急いで自転車を走らせた。
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アリス・シキ(jz0058)は濡れ鼠になりながら、不可視の物体を【束縛】し続けていた。
ツンとした匂いと熱が、大雨の中でも伝わってくる。
チルルが、戻ってくる自転車の音に気づいて、阻霊符を展開する。
「お待たせ、アリス! もう大丈夫だよ!」
征治がそう言って自転車を下り、目標物の位置の見当をつけ、ペンキをぶちまける。
雨の中に、中くらいのバランスボールくらいの大きさの、カビで出来た「まりも」状の何かが、ペンキまみれになって、浮かび上がった。
地上1mくらいを、ふよふよしている。
「せ、征治〜! 有難うございます!」
アリスの顔に安堵が広がる。
そのまま全員で、ぐるりと敵を遠巻きに囲む。逃げられないようにするためだ。
「異端を暴いて晒すのが、私の生き様だからな」
アイリスが<星の輝き>で、更に、球体の影を見やすくした。
「ペンキも効果的だが、影が薄ければ光を当てて浮き上がらせる、暴いて晒すと言っただろう」
「雨は好きだけど、カビはキラーしないとね! 皆、下がって、気をつけて!」
悠人が<アンタレス>を放った。
ペンキで上半分が見えている球体は、ふよふよと<アンタレス>を躱した。
その間に、智美は<血界>を使用し、身体中に真っ赤な紋様を浮かび上がらせていた。
「喰らうが良い!」
続けざまに<コメット>。無数の彗星が、カビカビ星人に降り注ぐ。
「こんなもん、はびこらせてたまるか」
グロテスクなカビカビ星人の本体を改めて見て、吐き捨てるように智美は呟く。
「うっわぁ‥‥」
カビカビ星人の本体を目撃した悠人は、一瞬、恐怖を覚えた。
それほどまでに、禍々しい‥‥そして気色の悪い汚物であった。
(威鈴にあれを見せるわけにはいかない! 何とかして討伐しないと!!)
デート気分が一気に吹き飛ぶ。モイスチャーメガネの奥の目に、本気の光が宿った。
(次の<アンタレス>は、絶対に外さないっ‥‥!!)
「‥‥デートの邪魔した‥‥まじおこ‥‥狩り取ってやる‥‥! 皆、どいて‥‥!」
怒りに我を忘れた威鈴が、敵に近づき、直線状の攻撃<ダークブロウ>を放つ。
「雨‥‥綺麗だけど‥‥カビ‥‥は嫌」
「はわあ!」
危うく威鈴の<ダークブロウ>がすぐ横を掠め、アリスが悲鳴を上げた。
「わあ、アリス大丈夫?」
隣の征治が尋ね、「はい、驚いただけですの」と、震え声でアリスは答えた。
「カビカビ星人、早く退治されてください!」
征治は聖獣のロザリオを掲げた。
直線移動する無数の光の爪が生み出され、ガツンガツンと球体を削りにかかる。
避けられた。
「ならば!」
槍に換装し、素早く距離を詰めて<神速>で突き落としにかかる。
目にもとまらぬ速さで、ペンキを頼りに、カビカビ星人へと鋭い攻撃を繰り出す。
今度は命中!
ペンキをかぶった、グロテスクな球体の様子が、ありありと見て取れた。
「うぷっ」
傘をさし、心配そうに遠くで見ていたマリカせんせーが、見てはいけないものを見てしまった。
あくまでも、せんせーは一般人である。
カビカビ星人の正体を直視できるほどの、強靭な精神力はなかった。
せんせーは快適になった店内に戻り、ミルク様を撫でて、平常心を取り戻すことに決めた。
「ほう。なかなか興味深い物体だな」
アイリスはグロ耐性が高いため、動じることもなく、カビカビ星人を観察していた。
構えたウォフ・マナフを振り下ろす。
魔鎌の周囲に、魔法で金色の刃が形成され、カビカビ星人の本体に吸い込まれていった。
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「なあ威鈴、何だか‥‥さっきよりもアレ、少し小さくなっていないか?」
太陽剣ガラティンを手に、悠人は、不安そうに妻に話しかけた。
威鈴とアイリスは目を細め、ペンキをかぶった球体を凝視する。
(もしやこれは‥‥!)
危険を察知したアイリスが、素早く<シールゾーン>を展開する。
今にも自爆して胞子を撒き散らそうとしていたカビカビ星人は、【封印】を受けて、攻撃の手段を失った。
やむなく、今度はチルルの方向へ、体当たりを試みるカビカビ星人。
堂々と進行方向に立ちはだかるチルル。
その手にしているものは。
「カモン! 来なさい! あたいの火炎放射器V-07が火を吹くわよ!」
カビカビ星人に、思う存分アウルの火を浴びせるチルル。この武器は、ヒャッハーという掛け声と共に使用すると、汚物を消毒できるらしい。
改めて、ペンキまみれのカビカビ星人を見る。汚物以外の何ものでもない。
「汚物は消毒よー! これでも食らえー! ヒャッハー!」
チルルは、魔法の言葉(「ヒャッハー」)を口にした。
雨が降っても轟々と唸る炎に、気分はどこかのモヒカンのようだ。
恐ろしい勢いで球体が燃え上がる。
雨にも負けず、風にも負けず、アウルの熱と炎がひたすらに球体を焼き尽くす。
「よーし、こんがり上手に焼けましたー! ってこういう時に言うのよね!」
多分違います。
焦げ焦げになったディアボロの残骸が、アスファルトにひらひらと落ちていく。
討伐任務、完了である。
後片付けは、いつもどおり、専門の業者に頼むことにして、皆は自分たちの状態を確認した。
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勿論、全員ずぶ濡れである。
レインコートの奥まで、雨水が染み込んできている。
シャワーを浴びたかのように、髪から雨水がぼとぼと絞り取れる。
「それにしても凄い雨ね‥‥替えの服を持って来ればよかったわ」
チルルは小さくくしゃみをした。
「お疲れ様。僕達が来るまでよく一人で戦ったね」
征治がアリスをねぎらう。
何となく言いにくそうに、智美がタオルを持って近づいてきた。
「あのぅ‥‥とりあえずシキさんは、胸と腰に巻いた方が良いかと‥‥」
「ひあ!?」
智美にタオルを渡されて、アリスははじめて、自分の調理用白衣が透けて、肌にぺったりと張り付いていることに気がついた。
真っ赤になってタオルを受け取るアリス。
「‥‥か、風邪を引かないように、早く着替えたほうがいいんじゃないかな‥‥!」
征治の声が僅かに裏返る。濡れそぼったアリスから、頑張って目をそらす。
アリスの長い髪に隠されて、服が透けていることに気づかなかった。
「タオルが足りなかったら、いっぱいあるからね。言ってね」
「あああ、有難うございます‥‥」
何となくぎくしゃくと会話をする2人。
「と、とりあえず、皆様、ずぶ濡れですし、部室に戻りまして、お着替えをいたしましょう。ねこかふぇには制服が常備されてございますの、お貸し出しいたしますわ」
部長として、アリスは皆を部室に招いた。
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レインコートとレインブーツで完全武装していた智美以外は、見事に濡れ鼠だった。
智美も濡れ髪をタオルで包んで巻き上げ状態にしている。
奥に設置されている、狭いシャワールームを、順番に使う。
濡れた服やタオルなどは、アリスが集めて色分けし、バックヤードの洗濯乾燥機にかけた。
「黒い服はないのか?」
何故かわなわなと震えながら、無表情でアイリスは尋ねた。
「Tシャツはオレンジですー、でも帽子もレギンスもギャルソンエプロンも黒なのですー」
マリカせんせーがにっこりとアイリスに着替えを渡す。
「ほら、そのままじゃ寒いでしょう? 早くシャワーを浴びて、着替えてくださいですー。服は乾いたらお返しするですー」
「い、いや寒くはないぞ? 時折雨宿りして体温を戻していたからな」
わなわなと微妙に震えながら、黒いTシャツをしつこく探すアイリス。
結局、せんせーに更衣室へ連れて行かれ、濡れた服を引っペがされて、隣接するシャワールームに放り込まれた。
「あの、黒服がどうしても良いということでしたら、わたくしのゴシックドレスをお貸しいたしますが‥‥?」
既にシャワーを済ませ、予備の調理師白衣に着替えたアリスが、気遣って、アイリスに声をかけた。
「頼む!」
シャワールームの中から、アイリスは即答した。
「‥‥まさか、ここって、女性用の制服しかないってこと、ありませんよね?」
別の意味でわなわなしているものがいた。悠人と征治である。
「確かに男性用の制服もあったはずですー。ええと、どこへ仕舞っちゃったんでしょうー?」
ねこかふぇのバックヤードをひたすら探すせんせー。
「あ、ありましたー! でも1つだけですねー、女子制服はいっぱいあるんですけれど‥‥」
「「貸してください!」」
2人の声がハモった。そして、「あ、じゃあ、どうぞ」「いえいえ、どうぞ」と譲り合いが始まる。
「調理師用の白衣は、わたくしサイズですので、お2人にはきついと思いますの‥‥」
困り顔でアリスが解決策を考える。
暫く考え込み、マジ顔で悠人が顔を上げた。
「威鈴、俺、女子用でもいいかな? シキさん、せんせーも、気色悪くないなら、どうでしょう?」
「わたくしは構いませんけれど‥‥」
「大丈夫ですー、浪風の旦那さんなら、きっと似合うのですー」
威鈴は、ねこかふぇ店員2人の反応を見て、自分が着ている服を見て、「‥‥お揃い?」と小首を傾げた。
「そうだね、お揃いだね」
「ああ‥‥なんかすみません、譲っていただいて」
征治が頭を掻く。
かくして悠人は、女子制服を着ることになった。
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「紅茶のシフォンケーキでございます」
調理師姿に三角巾、調理用エプロンをしたアリスが、皆に手製のケーキを振舞う。
ケーキにはホイップクリームが添えられ、ミントリーフが飾られていた。
配膳されたあたたかい紅茶に口をつけて、皆ほっと息をつく。
快適な湿度と温度の空間って、すごく幸せ。
「添え物ですが、メレンゲをどうぞ」
女子用制服を着こなした悠人が、手作りのメレンゲを配って歩く。威鈴も配膳を手伝う。
「卵白をしっかりと泡立てて砂糖を加え、バニラ味・ミント味に分けて、低温でじっくりと焼き上げた、さくっと軽い焼き菓子です。クッキーより簡単だし、ほろっとした口溶けのよさもいいんですよ」
「ミルク様には、あたいが、おやつ煮干をあげるわね!」
無事だった猫餌パックから、猫のおやつを取り出し、チルルはミルク様にご褒美をあげた。
「一番最初に気づいたの、ミルク様って聞いたわよ。偉い偉い! いい猫ね」
「なお〜ん♪」
甘えた声を出して、ミルク様はチルルに擦り寄った。
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(日付も近いし、覚えていてくれているかな‥‥?)
濡れないようにビニールで覆った荷物をこっそりと見遣り、征治はそわそわしていた。
「征治、遅くなりましたが、お誕生日とおつきあい記念日、おめでとうございます」
調理師姿のアリスは、そう言って、小さな包みを2つ、手渡した。
「よかった‥‥忘れられているかと思ったよ。有難う」
征治は2つの包みを受け取った。
ラッピングを解き、開けてみると、1つは「身体安全祈願」と刺繍のされているお守りだった。手作りの小さな袋に入っており、首から下げて身につけることが出来るようになっている。
もう1つは、月の意匠の施されたネクタイピンとカフスのセットだった。6月の誕生石ムーンストーンがさり気なくはめ込まれていて、儀礼服に合う、シンプルでスマートなデザインのものである。
「わあ、有難う、嬉しいよ。僕からも記念日のプレゼントだよ、受け取って欲しいな」
征治からアリスへ渡されたプレゼントは、どことなく誰かに似せて作られた天使の銅像と、可愛らしくて実用性にも優れた、メイドの靴だった。
「有難うございます、大切にいたします」
嬉しそうにアリスは、プレゼントを抱きしめた。
「何の記念日なの? あたいたちも一緒にお祝いするわよ!」
チルルに問われて、征治は照れながら「おつきあいを始めた記念日なんですよ」と説明した。
「そうなのか。めでたいな。これからも仲良くするといい」
「同感だ」
アイリスが無表情で紅茶を口に運び、智美も頷く。
「そんな時にこんな事件に遭遇しちゃうなんて、災難でしたね。でもおめでとうございます」
悠人に続いて、威鈴も小声で言った。
「‥‥2人とも‥‥おめでとう、なの‥‥」
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洗濯乾燥機も止まり、めいめい順番に更衣室へ入り、自前の服に着替える。
智美の髪もすっかり乾き、ドライヤーで丁寧に整えた。
「今日は助かりましたー。皆さんありがとーですー」
制服を脱いだせんせーが、完全防雨装備で、皆に頭を下げた。
ねこかふぇの営業中の札が裏返され、ミルク様がペット用キャリーバッグに収まる。
「また何かあったら、呼ぶといい。幾らでも手を貸すぞ」
智美が言う。
アイリスがぼそりと呟いた。
「着替え用黒服は、常時携帯しておかなければ‥‥うむ。ひとつ学んだ」
結構、小柄なアリスのゴシックドレスは、アイリスにはきつかったらしい。
「さあ、アリス行こうか。せんせー、自転車ここに置かせてもらいますね」
征治はレインコートを着たアリスに、傘をさしかけ、相合傘で帰っていった。
「俺たちも行こうか。威鈴、今日も有難うね」
「‥‥うん」
悠人と威鈴も相合傘で、少し遅くなったデートの続きを楽しむことにした。
強い雨は、まだ止む気配がない。
薄暗くなっていく学園内を、ぽつりぽつりと点りだした街灯が、照らし始めていた。