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存在の気配は消えたが、双貌のドォル(jz0337)の視線が、どこか付きまとっているようだった。
「生憎と、祈る神仏などなくて、な」
アスハ・A・R(
ja8432)が、彼の問いに、淡々と答える。
死にたがりとの通り名をもつ、津島 治(
jc1270)も、自然と頷いていた。
(信仰心か。神仏を崇めたてる事だったか。生憎、僕は、そういった信仰心を持ち合わせていないのでね。声の主に応えられるかは疑問だろう。僕は只、死に執着するだけの、煩悩の塊なのだから)
「自分は手を下さないなんて悪趣味ですよ。出てきたらどうです?」
川澄文歌(
jb7507)が挑発すると、あはは、と楽しげな笑い声が何処かから響いてきた。
「悪趣味、悪趣味かあ。いい言葉だね。ぼくは好きだなあ。悪趣味、いいじゃないか。くつくつくつ」
悪びれた様子もなくドォルの声は続けた。
「おやおや、綺麗な月が雲に隠されてしまうよ」
満月に近い月が、煌々と夜空を照らし出している。薄い雲がヒヤリとする風で流れており、ゆっくりと月に覆い被さろうとしていた。
「観察されてる状況で戦うのは気が進みませんが‥‥今は時間が惜しいですね」
狗猫 魅依(
jb6919)、いや、枷を外した人格、仙狸が呟いた。
「‥‥それぞれの信仰心、ねぇ?」
何かその言葉に、裏の意味があるのでは、と、水無瀬 快晴(
jb0745)が呟く。
「私の信心は、仲間を信じるという信心です」
きりりとした声で、御堂・玲獅(
ja0388)が、気配を絶った天使に答えた。
あはははは、と天使の笑い声が響いた。
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「住職様以外のものも、護って見せろ、とでも言われてるだけかもしれませんが‥‥」
仙狸は、離れの厨房に逃げ込んだお坊さんたちから話を聞き、お堂と大広間の入口に蜘蛛が陣取っていること、蛇人間が住職を捕まえていることを確認した。
「大広間に大蜘蛛がいるのはわかるけど、何故お堂の前にもいるのかな? お堂内にも、何か秘密があるのかも?」
お坊さんから、建物とご本尊が重要文化財であることも念押しされた文歌が、お堂に向かうアスハとスマフォの連絡先を交換した。
「お互い、何かわかり次第、情報を交換しよう、カワスミ」
「はい、承知しました」
2人ともハンズフリーにして、準備を整える。
仙狸は厨房の建物の裏からお堂の裏へと回り込み、アスハは大蜘蛛の待つ入口からの突入を考えていた。
「お堂で何かする為の時間は、稼ぎだします」
玲獅がお堂班の2人に約束した。
皆、大広間へ向かう。早く住職を助けないと、住職の命が危ない。
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玲獅が<生命探知>を行うと、大蜘蛛、蛇人間、住職、その他にも鼠や虫の類がわんさと寺の中にいることが判明した。大蜘蛛は、渡り廊下から大広間の入口にかけて、立ちふさがるように、月明かりの中に見えているが、大広間の中がどうなっているかは、詳しくはわからない。
ゆっくりと月が薄雲に隠される。
黒っぽい大蜘蛛の動きが、雲の影に暗く沈み込む。
「こっちだ!」
快晴が蜘蛛の気を引きつけようと、銀色の光纏を手にした武器に流れ込ませ、エネルギーブレードの刀身が緑色に眩く発光し始めた。
「暗くて足元とか、よく見えないよ、気をつけて、カイ!」
恋人の文歌が蜘蛛に向けて、フラッシュライトのスイッチを入れた。浮かび上がったのは、蜘蛛の糸に絡め取られながらも、白蛇の盾を掲げる玲獅と、エネルギーブレードを構える快晴の姿だ。
2人は動きを妨げられ、もがけばもがくほど、きりきりと強く糸に締め上げられていく。
「蜘蛛に仏。かの小説を思い出す組み合わせだ。糸は吐いてきそうだと思っていたよ」
治が筒鳥翔扇に風をまとわせて投げつける。扇は蜘蛛の糸を切り裂いて、ブーメランのように治の手元に戻ってくる。
「有難うございます。どうやらあの糸には、【スタン】の効果があるようですね‥‥しかも、相当強力です」
玲獅は油断なく白蛇の盾を掲げながら、体にまとわりついた糸を払い落とした。
文歌がスマフォで、お堂班のアスハに蜘蛛の糸の情報を送る。
続いて、治が燐光珠から、直線移動する白色の刃を生み出して、蜘蛛に切りつけた。
蜘蛛の糸は幾分か、渡り廊下から落ちたものの、蜘蛛本体への攻撃には至らなかった。
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「そっちは【スタン】、か。こっちは、【封印】のようだった、が」
文歌から連絡を受けたアスハは、スマフォに繋いだワイヤレスインカムで情報交換をしていた。
渡り廊下は蜘蛛の糸があちこちに張り巡らされ、月の明かりが隠れると途端に暗く、見えなくなる。
ねちゃ、ねちゃ、と、粘っこい糸の感触が靴ごしに感じ取れる。
「両方を使い分ける、のかもしれない、な。そちらも用心してくれ」
アスハは、蜘蛛の糸をかいくぐり、真正面に踏み込んだ。
「久々に使う、な‥‥撃ち抜け‥‥!!」
そのまま、<撃穿杭>を発動させる。
右腕にアウルと魔力を集中させ、回転式弾倉付バンカーが一時的に形成される。
杭状に凝縮したアウルをありったけ、蜘蛛の口へと撃ち込んだ。
解放されたアウルは、その奥の空間にまで衝撃を伝播し、空薬莢の跳ねる音が、お堂の暗がりに音高く鳴り響いた。
蜘蛛は苦しげにのたうち回り、ずずんと音を立てて、もげた足が1本、柱が崩れるように降ってきた。
危うく躱すアスハ。
「手応えあり、か‥‥」
だが、蜘蛛は体勢を立て直し、攻勢に転じた。アスハはニヴルヘイムを緊急活性化し、<シールド>で対抗しようとした。
しかし、7本の足による連続攻撃を防ぎきることはできなかった。
「ぐっ‥‥!?」
押さえた脇腹から血がじわじわと滲み出す。<命ヲ刻ム>を使うべき時か、そう思った瞬間。
蜘蛛の背後で、仙狸の掲げた、メフィストの道化人形から、直線移動する黒いナイフの様なものが生み出され、蜘蛛に命中した。
錐もみ状態で転げ回り、蜘蛛の足が1本また吹き飛んだ。
「なるほど、カオスレートは天界サイドで決定ですね」
仙狸は<偽神器―邪槍『イルエンレヴィアス』>を発動させた。純粋な冥魔の力を凝縮した槍を形成し、蜘蛛を貫く。
よろよろと蜘蛛は体勢を立て直し、目の前のアスハめがけて足を次々と振り下ろす。
アスハはニヴルヘイムで受ける。徐々に視界が霞んできた。
<偽神器―邪槍『イルエンレヴィアス』>の2発目が、仙狸から飛ぶ。蜘蛛の体の半分が吹き飛び、体液が飛び散った。
蜘蛛はあがくが、仙狸への攻撃は届かない。
アスハは<命ヲ刻ム>を使用して、蜘蛛から生命力を抜き取った。
片腕を包み込んだアウルが、蒼い巨狼の頭部状へと再形成され、蜘蛛の体を喰い千切り、己が血肉と化す。
暴れる蜘蛛をガツガツと喰らいながら、アスハは思っていたより、深手を負っていたことに気がついた。
「アスハさんと挟撃したのは正解でしたね。怪我は大丈夫ですか?」
仙狸は、裏手から回って、物質透過でお堂の中に侵入していたのだ。
メフィストの道化人形で蜘蛛にとどめを刺す。
ねちゃねちゃする糸を払い落としながら、伽藍のほうへ歩み寄る仙狸。
「埃や跡など、仏像を動かした形跡はない、か?」
「あんまり喋らない方がいいですよ。傷に障りますよ」
アスハに問われ、仙狸は祭壇を根気よく調べ上げる。
埃など何処にもない。とても丁寧に扱われているのか、祭壇は綺麗に磨かれていて、伽藍全体を見渡してみても、汚れなど見当たらない。
「本物なら、経文が中に仕込まれている筈、だ」
確かに、ご本尊は背中が開けられるようになっていた。仙狸が開けてみると、中には古文書のような小さな巻物と、きらきらする結晶の粒が入っていた。
どことなく、結晶の粒から、脈動を感じる。
ご本尊を元に戻し、祭壇を後にし、蜘蛛の死体を踏みにじって渡り廊下に出てから、仙狸は結晶の粒を握りつぶした。
どこか――大広間の方で、しゃらしゃらと、甲高い、何かが鳴り響く音がした。
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大広間前では、快晴と玲獅が、蜘蛛の引きつけに苦戦していた。
ぎりぎり糸が届かない位置から、Clavier P1の鍵盤を叩き、蜘蛛に衝撃波を浴びせて挑発しては、じりじりと渡り廊下を下がる快晴。
白蛇の盾を構えて快晴を守りながら、同様に下がる玲獅。
「あの脇をすり抜けるにしても、糸が邪魔だね。何とか蜘蛛ごと、入口から引き離してしまいたいものだ」
治がそう言って、扇であちこちに張り巡らされた糸を切り落として回る。
「しかし大きい蜘蛛だ。爪が鋭いな。刺された場合、死因は刺殺だろうか、くすくす」
「このままでは埓があかないね。ピイちゃん、お願い!」
文歌が鳳凰を召喚し、<式神・縛>で蜘蛛を【束縛】する。続いて<スタンエッジ>を叩き込むが、【スタン】は抵抗されてしまう。
「御堂先輩、カイ、気をつけて。この蜘蛛、結構強いよ‥‥!」
しゃらしゃらと音がしたのは、その時だった。
振り返ると、結晶を握りつぶした仙狸と、脇腹を押さえ、傷だらけのアスハが渡り廊下に立っていた。
ゆっくりと月が薄雲から顔を出す。月明かりの中、アスハの出血がどす黒く影のように見えていた。
「水無瀬さん、川澄さん、ここはお任せします」
玲獅は用心深く、一旦蜘蛛から離れ、アスハのもとに走る。
<ヒール>を2回使用して、アスハの体調は万全に戻った。
「今【束縛】が効いているの、か。僕の<撃穿杭>もあと2回残っている。蜘蛛を倒すつもりなら叩き込む、が‥‥中の蛇も気になる、な」
アスハはそう言って、口を閉じ、耳を澄ませた。
ずり、ずり、と、何か重たいものが、畳を這いずる音が聞こえている。
「中を見てきましょう」
仙狸が<物質透過>で大広間の中に入った。
お坊さんから聞いていた、きらきらした蛇人間は、いなかった。そこにいたのは、ごくごく普通の、ナーガ状の蛇人間。
周囲の畳の上には、蛇人間の皮膚を固めていたらしい結晶が飛び散って、割れたステンドグラスのような、大量の破片がきらきらと光っていた。
「シュー」
蛇人間は仙狸を見つけると、住職をその場に落とし、体をくねらせながら全力で移動し、襲いかかってきた。
慌てて<物質透過>で廊下に下がり、阻霊符を発動させる仙狸。
<物質透過>を妨害されて、どしん、と壁に何かがぶつかった音がした。
「早く広間に入らないと! 住職様が危ないよ!」
「いや、ここは‥‥阻霊符を敢えて止めてもいいかもしれない‥‥ね。蛇人間も廊下に来てくれれば‥‥ご住職は広間に、安全に隔離されるかもしれない‥‥」
焦る文歌に、快晴が落ち着いた声で呼びかけた。
「ではその作戦でいきましょうか。阻霊符を止めますよ」
仙狸が阻霊符を止めると、壁をにゅるりと<透過>して、蛇人間が渡り廊下に姿を現した。
入れ替わりに仙狸が<透過>で大広間に侵入し、すかさず阻霊符を再発動する。
直後、皆のスマフォに、仙狸からのメッセージが入った。
『ご住職は無事です。まだ息があります。気を失っているようですが』
あとは、目の前の蜘蛛と、結晶を砕かれて無敵化が解けた蛇人間を、どうにかするだけだ。
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文歌が蜘蛛を<式神・縛>で再度【束縛】する。
蜘蛛に向けて、アスハは正面から踏み込み、残り2撃の<撃穿杭>を撃ち込んだ。
その後、雪村で、長い足を狙って斬りつける。
【束縛】が解けた蜘蛛が、アスハに向かって吐いた糸は、片っ端から治が扇で切り裂いて、【スタン】や【封印】の効果が発生しないよう、連携をとった。
蛇人間は、快晴がエネルギーブレードで応戦していた。
快晴が<ランカー>を打ち込んで後ろに下がったタイミングで、文歌から<スタンエッジ>が飛ぶ。しかしなかなか【スタン】が通らない。
体をくねらせ、蛇人間は快晴をその身に絡め取ろうとするが、<ランカー>のお陰で間合いがうまく取れず、空振りが多い。
不意に、バサリと翼が風を切る音がした。
「やあ、その辺で止めておいてあげてくれないかい。ぼくは撃退士のきみ達と敵対する気はないし、サーバントだってもとは人間だからね。第二の生を無残に終わらせてしまうのも忍びないよ」
若い男の声が、境内の何処かから聞こえてきた。
木々や建物に反響して、声の主の位置の特定は出来ない。
「ああ、蜘蛛の1つは死なせてしまったんだね。サーバントに悪いことをしたなあ」
当然のことながら、全員、天使の声に身構えた。
声がした瞬間、ぴたりとサーバント2体の攻撃が止まる。
「敵対の意志はない? じゃあ、どうして住職様を捕らえ、こんなひどい真似をしたんですか!」
文歌が問い詰める。
ドォルはくつくつと笑いながら「クイズだよ。というか、人間、特に撃退士というものを知りたかったんだ」と、無邪気な口調で答えた。
「きみ達の信心を問おう。これが設問だね。信心深きものであれば、ご本尊に手を触れるなんて、畏れ多くて、できるはずがないだろう? でもきみ達には信心なんてものはなかったんだ」
楽しそうに天使は種明かしをする。
「ご本尊に仕込んだナーガの結晶を見つけ出し、きみ達の1人が破壊した。結晶で無敵化したかわりに、行動制限されていたナーガは、自由と本来の弱さを取り戻し、寺の人間をさっさと手放して、好き放題に暴れ始めた――と、こういうわけさ」
それにしても立派な建物だねえ。天使は、感心しているようだった。
「このままサーバントを野放しにしていたら、この古めかしくて美しい建物に傷をつけてしまうかもしれないな。ぼくは退散するとしよう。サーバント諸君も撤退だよ。これ以上暴れることは、ぼくが許さない」
ばさばさ。鳥の羽音がする。
蜘蛛と蛇人間は、渡り廊下を踏み越え、ゆっくりと境内へ降りていった。
そして、長い長い参道の石階段をどこまでも下りてゆき、やがて姿を消した。
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「大丈夫ですか、住職様?」
皆が大広間へ入ると、仙狸が膝枕をして、疲弊しきった住職を休ませていた。
「蛇人間に捕らわれていた間の、住職の痛みを、僕が変わって受けてあげたかったものだ。さぞや辛かったろう。苦しかったろう。嗚呼、代わって欲しかった。失礼、口が滑ったね」
死にたがりの治が、ついと思ったことを言ってしまい、シルクハットを取って謝る。
「スマフォで呼んだので、もうじき救急車が来ます。あとの処置は救急隊員に任せましょう」
仙狸は、その後、大広間にいて聞こえなかったドォルの言葉を、仲間から伝え聞いた。
「‥‥非常にはた迷惑な天使ですね」
素直な感想が口をついて出た。
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住職は救急車で運ばれていき、数日入院することとなった。
高齢でもろくなっていた肋骨の数本に、ひびが入っていたのだ。
重要文化財である建物に被害はなく、掃除が若干大変だった程度で済んだ。
ご本尊も無事だ。中の経文に被害はなく、入れられていた結晶の粒もとても小さかったため、特に仏像を傷めるようなことは起こらなかった。
住職が無事に退院すると、お寺にはもとの平穏な日常が戻ってきた。