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鷹司 律(
jb0791)は、現地への足を手配した二階堂辰巳(にかいどう・たつみ)に、「現場は山林、本日は乾燥注意報が出ています。万が一の消火用に、シャンプーとゴミ袋、そしてお湯を調達したいのですが」と訴えた。
辰巳は一瞬キョトンとして、そして「シャンプーでなければいけませんか? 必要でしたら泡剤消火器を1つ用立てしますよ」と答えた。
「あ‥‥はい、手配していただけるのでしたら」
律は頷いた。辰巳は快く追加の電話をかけた。
「一期一会とよく言うが、グウェンダリンくん、二度会えた事を僕は心から嬉しく思うよ」
津島 治(
jc1270)はシルクハットを丁寧に脱いで礼を取った。
使徒はちらりと治を見ただけだった。
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皆を乗せたマイクロバスは、林道に差し掛かる手前の路肩に停車した。
「いきなり事件起きて護衛いなくなるのに、代表さんちょっとのんきすぎねー? だいじょぶ?」
イリス・レイバルド(
jb0442)が、ここで待機すると告げた辰巳と運転手を見比べる。
辰巳は爽やかな笑顔を浮かべた。
「大丈夫ですよ。ご心配有難うございます」
既に使徒グウェンダリン(jz0338)の姿はない。バスが停車すると同時に、林道の向こうに、地面を滑るように走り抜けていった。
「あの、赤い着物を着た美人さん? って確か‥‥」
続けざまの出征で、傷の癒えていない川澄文歌(
jb7507)が、自身に<ヒール>を施しながら、以前サーバントおこた布団に襲われたことを思い出した。
あの、おこた布団とラグを提供したのは、赤い着物を着た行商の美女だと、当時関わった老夫婦が言っていた‥‥。
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滑るように赤い着物の裾を引いて走る使徒を、撃退士たちが追う。
「はっけーん! 開けたところに、獣みたいなのが3体だね!」
七色の粒子を纏ったイリスは<陰陽の翼>で空から皆を誘導していた。
1台の軽トラに2名の人影。
その荷台には、全長2mくらいの野犬めいたディアボロがのしかかっている。
運転席の天井に足を乗せ、少し車がひしゃげている。
文歌は迷わずに阻霊符を展開した。
残る2体はトラックの周りをウロウロしているようだ。
「あの中に、要救助者がいますね」
狗猫 魅依(
jb6919)、いや、枷を外した別人格・仙狸がおっとりと使徒に問う。
「救助の意志はおありでしょうか?」
「何故見捨てると思うのですか」
グウェンダリンは淡々と答え、じっとトラックを見つめた。
「時にグウェンダリンくん。君の主は君に何を命じたんだい? 言える範囲で良いよ」
「お答えせよとの命はございません」
「そうか。まあ、民草を守ると言っていたので心配をしてはいないのだが、取り残された者が戦場に居るようであるし、彼等を殺さぬよう流れ弾には気を付けよう、お互いに」
治は、他2体の獣がトラックに向かわぬよう、トラックから離れ、引き付けるように燐光珠からの一撃を放った。直線移動する白色の刃が、獣の汚らしい毛皮を切りつける。
空中から、イリスが<タウント>でトラックにのしかかっている野犬の気を引いた。
「さあボクが引きつけているうちに、パパッと民間人の保護をお願いしますよー」
イリスが言い終えるかどうかのところで、ゆがんだトラックのドアがごとりと落ちた。
使徒が中から要救助者を引っ張り出す。
「あなたには救助の意志がありますか」
自分に問いかけてきた仙狸に、逆に問い返す使徒。仙狸が頷くと、1人目の体を注意深く渡された。
使徒は反対側へ回り、同様に残る要救助者を助け出す。
彼らは咄嗟にトラックに避難したものの、天井を透過した獣の爪によって、2人とも頭部に浅い傷を負っていた。
「ぎゃあ! 火ぃ吹きやがったコイツ! 最悪じゃん!」
上空からイリスの声が聞こえてくる。
律は木材や、トラックから漏れたガソリンに敵の攻撃が引火する事を防ぐ為、辰巳から渡された消火剤を、木材やガソリンの匂いのする所に、敵に察知されぬよう慎重に気配を殺して、振り掛けて回っていた。
可燃物を完全に覆いかくして、火種になりかねない攻撃や行動があっても引火しない様、防火処理を施し終える。
(これで仲間達が、心置きなく、救助活動やディアボロ退治に集中できます)
「初めまして‥‥或いは、お久しぶりかしら? 御機嫌よう‥‥死があなたを、迎えに来たわよ」
死(
jb6780)はそう言って、残る2体を135mm対戦ライフルの視界に捉える。少し照準を調整したときに、イリスに向かって火を吹く野犬を目の当たりにする。
「‥‥これは、消防にも待機してもらっておいたほうがいいわね‥‥」
「この時期は、山火事が起き易いのですが、山火事の鎮火と冥魔討伐のどちらを優先します?」
文歌は、要救助者を、戦場から離れた安全そうな場所に寝かせている使徒に、改めて尋ねていた。
内心では(天使さん達が、本当に絵羽ちゃんを守ってくれる存在か、見極めさせてもらいます)と考えていた。
少なくとも、怪我人への扱いは、乱雑ではない。丁寧と言ってもいいくらいだ。
「冥魔が暴れ続ければ、鎮火どころではないでしょう。先に原因を潰してから、鎮火作業を行うものではないのですか?」
事務的に使徒は答える。視線はトラックに乗っている獣を見たままだ。
使徒は銃らしき武器を、火を吹く直前のモーションを見極めて、イリスに向かっていく野犬の口に確実に撃ち込んでいた。獣の上下の顎が縫い止められ、炎として噴き出されるはずだったものが、ぼとぼとと熱い液体になって、こぼれ落ちてくる。
<ピィちゃん召喚>によって文歌に召喚されていた青い鳳凰が、慌てて熱い液体を避ける。
律が防火準備をしていなければ、トラックから漏れ出たガソリンが、熱い液体によって引火していたかもしれない。
暴れる野犬は、ピィちゃんを狙った。
そこへ文歌の<スタンエッジ>が命中する。
「牙と爪まで喰らう義理は無いですしー、ハンマーで殴って牽制しますとも! そぉれぇ!」
イリスのヒュペリオンが、獣の頭部へと吸い込まれるように命中した。
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仙狸は残る2体を<ダークハンド>で『束縛』していた。
律が、ランタンシールドを構えつつ、赫灼珠から直線移動する赤色の球体を生み出して獣を攻撃する。攻撃を済ませるとすぐに潜行し、位置を変えて、今度は<氷の夜想曲>で獣を眠らせる。
獣がふらふらと目覚めたところへ、続いて治の<奇門遁甲>が飛ぶ。
『幻惑』された獣2体は、同士討ちを始めた。
「なるほど。これが学園の撃退士のなさり方なのですね」
助け出した一般人を守りつつ、様子を見ていた使徒が呟いた。
「わたしが手を出す必要も無さそうです」
使徒はそう言うと、2人の民間人を両肩に抱えて、辰巳の待つ車の方へ駆け出した。
「おや、戦線離脱するのかい?」
治が尋ねると、「この者たちには、治療の必要がありますので、先に運搬します」と使徒は声だけを残して走り去った。
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辰巳の指示で、山道には救急車と消防車が既に到着していた。
怪我をした林業関係者2名を、慎重に引き渡す。
救急車は、サイレンを山あいに響かせながら、怪我人に障らないよう、ゆっくりと去っていった。
再び戦場に戻るも、全く手を出す様子の無いグウェンダリン。
沈んだ青い瞳で、ただただ、撃退士たちの動きを見続けている。
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口を縫い付けられ、火を吹くことも出来なくなったトラックの上の1体は、イリスのヒュペリオンと文歌の<スタンエッジ>で、確実にダメージを蓄積していた。
<陰陽の翼>の回数と効果時間が切れて、地上に戻ったイリスを、執拗に狙おうとする。
文歌の<スタンエッジ>も、既に回数が残っていない。
文歌は、青とミスティローズの彩色が美しいクラリネット型の魔法武器、Leggero C8を取り出し、美しい音色を吹き鳴らした。衝撃波に悶絶する野犬。
「と・ど・めぇー!」
大きく振りかぶったイリスのヒュペリオンが、風を切った。ずん、と野犬は倒れ、そして動かなくなった。
一方、残る2体は同士討ちの末、互いに噛み合ってかなりの重傷を負っていた。
うっすら黒く見える牙に仕込まれた毒が、互いに効いたようで、傍目にもふらふらしている。
それでも、相手の喉仏を狙って噛み付き、食いちぎろうと、2体とも、躍起になっていた。
火を吹き合い、双方とも毛皮がすすで黒ずんでいる。焼けた毛が焦げて縮れて丸まり、より汚らしい印象を強めていた。
「牙には『毒』のバステ効果。吹き出す炎は【自然現象再現】スキルと見るわ。火ではあるけれど、『温度障害』のバステ効果はなさそうね」
硝子の罅割れの様な赤線を半身に浮かべ、死が、獣たちの同士討ちを注意深く観察したのち、結論を出した。
「火を吹くぐらいだから、だめかとも思ったけれど、十分に効果はありそうですね」
仙狸は<ファイアワークス>で2体をまとめて爆発させた。回数限界まで撃ち込む。
律の赫灼珠が赤色の球体を生み出して、次々と野犬2体に降り注ぐ。
「この風向きでは、野犬のブレスの火の粉が、林まで飛び火してしまいます! 何とか向きを変えられないでしょうか‥‥グウェンダリンさん、先ほど、獣の口を縫い付けた銃は使えませんか?」
トラック付近の1体を仕留めた文歌が、加勢にくる。
「今更わたしが手を出さずとも、この子達はもう死にますが?」
淡々と、能面のような顔で使徒が答えたその時、ずずんと音がして、2体の野犬が体を絡めたまま、横倒しに倒れるのが見えた。
グウェンダリンは、3体の野犬の死体を調べ、確実に死んでいることを確認し、主に報告した。
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治の<奇門遁甲>のおかげで、2体の獣が同士討ちに没頭したためか、負傷者は少数だった。
獣のブレスの火の粉を浴び、軽い火傷をしたのは、イリス、文歌、仙狸、治。
いずれも文歌の<ライトヒール>で十分に回復可能な程度だった。
しかし、治自身は気づいていた。
彼の<奇門遁甲>の回数は1回のみ。『幻惑』の効果は確かにあるが、あんなに長い時間、効果を発するはずがないのだ。
「グウェンダリンくんはずっと戦いを見ていたようだね。何か気になることでもあったかな?」
「何もありませんが」
使徒はそう言って、黙って背を向けた。
だが、じっとあの青い目で野犬を見続けていたことに、治は気づいていた。
待機していた消防団は、軽く焼けた枯れ草などに処置を施し、山火事にならずに済んだことを感謝しながら去っていった。
ディアボロの死体については、学園関係の処理班がすぐに駆けつけるとのことだった。
「しかしまたも野犬か。何故遭遇する機会が多いのか。いや不満は無い。頭から喰われなければ問題は無い。頭から喰われたら最悪だけれどもね」
犬が、正確には犬に頭からかじられるのが苦手な治は、軽く歌うように口の端をあげた。
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都内某所に無事に戻ってきた一行は、最初に約束していた喫茶店に再び集まっていた。
「お疲れ様でした。まあ、一杯召し上がってくださいよ」
冷たいジュースを人数分用意し、辰巳が気さくに勧めた。
グウェンダリンの前には、何も置かれていない。彼女自身が断ったのだ。
「学園のかたはすごいんですね。スーパーパワーの正義の味方ですね、いやはや、素晴らしいです」
心底感心したように、辰巳は何度も頷いた。
(パンフから見てみると、結構いい人オーラが感じられるけどなー。あの使徒さんとマスターってのが食わせ者っぽい、かな?)
何しろ友達である絵羽を預けている身である。言動には出さずとも辛口評価だ。
イリスは何度もパンフレットを見直した。
「あのさ、ひとつ聞いておくけどさ。天使系からは護らないとか、そんな言葉遊びされたくないんだけどー?」
「民草の平穏を守れとの命です」
グウェンダリンは抑揚なく答えた。
(この使徒さんもいまいち信用ならないしねー。文歌ちゃんが言ってた行商が、本人じゃないとは限らないしねー)
「『不要な人間などいない』‥‥それで平等になったつもりなのかしら‥‥?」
死はレモンスカッシュをストローで吸いながら、辰巳に尋ねた。
「平等とは申しておりませんよ。人は生まれながらに不平等なものです。人は歪な多面体であって、どこかが長じていればどこかに必ず穴があります。私自身もそうだと思っています」
辰巳は「ですから、助けあいが必要なのだと私は思いますし、誰もが誰かに必要とされているのだと思うのです」と続けた。
「万人を受け入れる勇気の無い極楽なんて、失楽と何が違うのかしらね」
「そうですね。いずれは万人を受け入れられるような、そんな規模になれたらとは思いますが、なかなか厳しい現実がありますね」
続ける死の言葉に、素直に頷く辰巳。
「辰巳様、グウェンダリンさんの主さんは、この面談に対してどう反応されたんですか?」
仙狸がおっとりと尋ねると、辰巳は「いやはや、あまり良い顔はされませんでしたよ」と答えた。
(なんとなく予想はしておりましたが‥‥)
若干苦笑する仙狸。
「やっぱり、少なくとも学園と手を結ぶ気はない、ですか‥‥?」
学園と手を組んで、天界勢を敵にまわす可能性を考えれば、それもいいでしょう。
でももし、堕天の行為と認識した天界からの攻撃には、どう対処するつもりなのでしょうか?
「私にはそのあたりはよくわかりませんが、天使さまが対応してくださると信じていますよ」
仙狸の疑問に、辰巳は軽く両手をあげた。
グウェンダリンは黙ったままだ。
(言動や仕草に違和感がないかどうか、ずっと見てきましたけれど‥‥人形のようなかたですね)
最初から文歌は、密かに使徒を観察していた。その所感がこれである。
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会合は穏やかに幕引きとなり、「では、今回はお疲れ様でした。有難うございました。失礼します」と辰巳が頭を下げ、全員分の飲み物代を支払うと、使徒を連れて静かに去っていった。
「僕はグウェンダリンくんと会うのは2度目だけれどもね」
治がぼそりと呟いた。
「彼女、もしかして『魅了』を使っていたのではないかと思うのだよ。僕の<奇門遁甲>が切れたはずなのに、ずっと、あの獣たちが同士討ちをやめなかった理由を考えてみたのだが‥‥」
そう考えると、文歌くんの行商の話とも、今回の戦闘での話とも符合が合うし、何より『魅了』の能力の強さに戦慄するね。
彼女の事に興味が有る、そう思ってずっと観察してきた結論が、それだった。
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原磯は、静かな夜を迎えていた。
帰ってきた2人を真っ先に見つけ、絵羽は飛び出していって、辰巳とグウェンダリンに飛びついた。
「おかえりなさい!」
「ただいま」
辰巳は絵羽の頭を撫でた。他の子供たちにも、もみくちゃにされる。
「二階堂さん。ご飯の時間になっちゃいますよ。早く着替えてきてくださいな」
割烹着姿のおばさんに急かされて、辰巳は「はいはい」と寛いだ笑顔を見せた。