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「ちょーっと待ったー! チョコが危険で危ないから駆けつけてきたわ!」
マリカせんせー(jz0034)が調理室にいるというだけで、それは今まさにジャストナウ警報器が鳴らされているようなもの。
「あらー?」
雪室 チルル(
ja0220)の言葉に驚いて、せんせーはレンジのボタンをぽちっと押してしまう。
中には、アルミ包装のままの板チョコがそのまま入っている。
こういう時だけ、正しいボタンをチョイスするせんせー。
「うわああああああ!!」
飛び込んできた紺屋 雪花(
ja9315)が、すんでのところで、レンジの停止ボタンを押す。
「ま、間に合った‥‥!」
肩で息をする雪花。
「なるほど、栄養剤に浸かってふやけた洗剤臭い生ゴメですか‥‥」
今までのせんせーの料理の逸話を調べてきた、只野黒子(
ja0049)が呟く。
「それから何でしょう、元はそうめんだと思われる炭を、薄めないめんつゆに泳がせて、お惣菜のうなぎの蒲焼をぶった切ってトッピング、そこにスイカと缶のみかんとラズベリーソースをかけて、チョコレートアイスクリームを載せたわけですか。どこからその発想が出ていらっしゃるのやら、私にはわかりかねますが‥‥」
「マリカ先生は勘違いの申し子なのですね」
自身も「摂氏600度まで加熱してチョコを手作りした」とかつて言い張っていた秋嵐 緑(
jc1162)が、まさに他人ごととして頷いた。
「そこまでいくと潔すぎて、淑女的に非常に興味深いな。帰宅したら試してみよう」
アイリス・レイバルド(
jb1510)が無表情で呟いた。
「アイリス様、流石に真似るのはやめておかれたほうが‥‥」
「いや、私も別ベクトルでゲテモノが大丈夫だ。苦痛に強いので味が酷くても問題はないし、体が丈夫なのでお腹も壊さない」
黒子が止めるが、アイリスは興味津々の様子だった。勿論、無表情のままだが。
「きっと大丈夫です。誰しも最初は初心者です。私は、せんせーに美味しく作れる様になって欲しいです。皆さん、一緒に頑張っていきましょう♪」
サロン『椿』の女将である木嶋香里(
jb7748)が、やる気まんまんで、高等部学生服のジャケットを脱いだ上に翡翠色のエプロンを装着する。
「最低限の自炊ができる様に、写真たっぷりなレシピ本を作ってきました。これで全力を尽くしたいと思います」
サラ=ブラックバーン(
jc0977)が、「こんなこともあろうかと」と手作りのレシピ本をごそごそと取り出す。
「僕は作ったことがないのですが、一応勉強はしてきました。今日はよろしくお願いします」
授業で使うタブレットを広げながら、御薬袋 流樹(
jc1029)は皆に挨拶した。
「さあ、楽しく美味しくレッツクッキング!」
妙に滑舌よく緑が言うと、せんせーはぐるりと皆を見渡して、こくんと首をかしげた。
「あらあらー、どうして皆さん集まっているのですー? せんせー、皆さんをドッキリさせようと思って、内緒にしてましたのにですー」
「ドッキリしましたよ!! レンジにアルミはだめです、だめ!! 絶対だめ!!!」
雪花がまだ、ぜいぜいと肩を上下させていた。
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「ヴァレンタインのチョコ作ってるんですか? 実は誰か好きな人とか‥‥?」
<It's Show Time!>で自分に注目させながら、雪花はそっとせんせーの前から包装されたチョコアソートを除ける。
「いえいえー、学生の皆さんに差し上げる義理チョコなのですー。勿論、紺屋さんにもさしあげるので、期待していて欲しーのですー」
(やべえ‥‥俺これ食うの? なんとかまともに完成させねぇと‥‥)
命がけの使命感と切迫感が雪花を襲う。
「義理チョコを沢山となると大変そうですね。俺もマリカせんせーになってお手伝いするのですー、せんせーの分身なのです!」
<変化の術>でマリカせんせーに変身する雪花。
甲高いキンキンした声も、両声類の意地で頑張って真似る。
「どんなチョコが作りたいのですー? 参考にしているレシピはあるのですー?」
「えーと、それがよくわかんないのですー」
マリカせんせーは、雪花せんせーに正直に答えた。
「とりあえず、美味しければなんでもいいのですー。しょせん義理なのですー」
あげる人の前で、しょせん義理って言うなよせんせー‥‥。
「ま、まずはマリカせんせー、一緒に基本の確認をしませんか?」
香里が、雪花の取り上げた高級チョコアソートをしまい、製菓用チョコを取り出してせんせーの前に置く。
「一緒に確認し合いながら作業を進めていきましょう♪」
「んー、わかりましたのですー」
何となく自分の手順を否定された気分になっている様子の、マリカせんせー。
‥‥せんせー、レシピを最初に調べないのが、いけないんですよ?
「まあ船頭が多くても場を混乱させるだけだしな」
アイリスがうむと無表情で頷く。
「というわけで、私は淑女的に補助に回ろう」
「せんせー、先にあたいが作業を見せるから、それを真似してもらえないかしら!」
チルルが製菓用チョコを包装から出し、刻み始めた。
「ふふふ‥‥さいきょーのあたいが、チョコのてつじんっぷりを見せてやるんだから! チルル・ザ・ショコラティエよ!」
「なるほどー、最初はチョコを粉々にするんですねー」
せんせーはチルルの手元をよく見て、そして、製菓用のチョコをそのままミキサーに放り込んだ。
「包丁で刻むより、こっちのほうが効率的な気がするのですー」
ミキサーのスイッチに手をかけたその瞬間。
「あ、あんな所にUFOが」
「え? どこですー?」
緑がちょう棒読みで、せんせーの気をそらすことに成功した。続いて調理室に響き渡るボウルの音。
「おっとすまない、手が滑って落としてしまった」
アイリスがさりげなく拾う間に、サラがささっとミキサーのコンセントを抜いておく。
その隙に、雪花せんせーがさくっとせんせーのチョコを細かく刻んでおいた。
「つ、次は湯煎ですね、お湯を張った鍋にチョコを入れた鍋を浸けて、間接的に熱を加えて溶かすんですよ」
香里が冷や汗を拭いながら丁寧に見本を見せる。
「湯気や水蒸気が入らないように気をつけてくださいね」
もくもくとせんせーの鍋には湯気が入りまくっていた。
心が折れそうになりながら、雪花せんせーは大理石のまな板を探し出していた。
テンパリングしてチョコの脂質を変化させ、固まった後も柔らかく成形可能にしようというのだ。
言うまでもなく、せんせーにそんな技術はなかった。
「温度計が50度になったら火からおろして、混ぜながら32度までさげますよー」
香里の指示した頃にはせんせーの鍋の中では、炭と油と水分の分離した何かが、できあがっていた。
「あらー、おかしいですー? 木嶋さんの言うとおりにしたのに、何でですー??」
アイリスがやってきて、迷いも恐れも怯みも無く、ぱくりと試食した。
「ふむ‥‥冒涜的な味だな。カラい。つまり、完璧に炭だ」
「やっぱり最初から作るのは、難易度が高いのではないでしょうか」
流樹がタブレットで検索して、一番写真の多い、型抜きチョコを提案した。
「僕はせんせー同様、本当に初心者なのですが、これとかならできるでしょうか?」
流樹が提案したのは、湯煎で溶かしたチョコを型に流し入れ、気泡を爪楊枝で潰し、冷やし固めるというものだった。
「これならきっと出来るのです! 型にチョコをいれて固めればいいのですねー!」
せんせーは喜々として、石膏の袋を取り出した。
「おっとすまない、ヘマをしてな。何か血止めに出来るものは持っていないか?」
「あらあら、大変なのですー。救急箱はえーと、確かカバンの中にあったのですー」
適当に手に傷をつけたアイリスに慌てふためき、せんせーはカバンの中をがさごそする。
その間にサラが石膏袋を隠した。
「せんせー、石膏は食べ物には使えないんですよ」
「えー、どうしてですー? 型を作るには都合がいいのにですー」
ぷうと頬を膨らませるせんせー。
「まさかと思いますけれど、絵の具とか持ってきてないですよね?」
「そんなの、あるに決まってるのですー! せんせーは美術教師なのですー」
「それは危ないですね。此方に代えておきましょう」
緑が、食紅の類を取り出して、並べておく。
当然ながら、絵の具はことごとく、サラにボッシューされた。
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「先生のチョコは炭になってしまったようですね。少し休憩していてください、その間に私がやっておきます」
黒子がチョコを刻むところからやり直す。
「ネットでこういうやり方を見つけたんですが、これで間違いないですか?」
流樹が香里に確認を取る。
皆で型に流し込み、冷蔵庫で固める。
せんせーも手を出そうとしたが、「あ、あっちでインドゾウの大群が」と棒読みで告げる緑に気をそらされて、気がついたら作業が終わっていた。
所在なくせんせーは、サラに渡されたチョコマドレーヌを、もさもさと食していた。
「おおお、どうよこの完璧な溶け具合! あとは丁寧に固めれば完璧ね!」
「テンパリングもバッチリだし、きっといい感じに仕上がるのですー」
だまにならず、綺麗に溶けたチョコを混ぜながら、チルルと雪花せんせーが自画自賛する。
「いーのですー、どうせ、せんせーは料理音痴なのですーぷー」
「いえ、先生の出番はこれからです。デコレーションをお願いしようと思っているのです」
流樹が、生クリームやアラザン、チョコペンなどを用意して、調理台の上に並べた。
「固まったチョコに、生クリームやチョコペンでいろいろ描いて、アラザンで飾るそうなのですが、僕には美的センスがないので、マリカ先生に見本を見せていただきたいのです」
そう言いながら生クリームを泡立て始める流樹。
「手伝います」
控えめに緑が言う。サラも頷き、アイリスも生クリームのホイップに取り掛かった。
それぞれ、手分けして、食紅で色をつける。
再び絵の具を取り出されないための予防策だ。
ひたすらマドレーヌをもぐもぐしているせんせーに、黒子が話しかける。
話題は適当に、色恋沙汰とかファッションなんかがいいんじゃないですかね、と考えていた。
(しかし。自分は、色恋沙汰どころか戦争一色。なので、他人の色恋沙汰を話題にしましょうか‥‥と思いましたが、うーん、周りも似たようなものですね)
「ヴァレンタインといえば、一般世情の色恋沙汰に関わるイベントですが、せんせーは意中の人とかいらっしゃるんでしょうか?」
「いませんよー?」
もぐもぐしながら、せんせーは次のマドレーヌに手を伸ばした。
「そう言えば最近流行の、あの、胸だけ出ているセーター。あんなのは如何思われます?」
「んー、若くてナイスバディさんなら、似合えば別に何を着てもいいと思うのですがー、胸だけ寒そうなのですー。よく見ると鳥肌が立っていたりするのですー」
それに、デコルテから胸にかけて、脱毛もお手入れも必要になるのですー、大変そーなのですー。
率直にせんせーは女性視点の意見を語った。
チョコが固まるのを待っている間。
緑は使った道具や食器を、ピカピカに磨き上げていた。
(綺麗過ぎて、鏡並みにピカピカ過ぎて眩しィっ!? ってなるくらいのレベルに仕上げたいです)
せんせーが焦がした鍋には、重曹を入れて少し煮てから、重曹水を捨ててこすり洗い。
女将である香里も、調理道具を丁寧に扱う癖が自然とついていたため、手伝った。
「どうですか、見てください、この輝き、まるで鏡のようです。ミラーシールド!」
緑は完璧に磨き上げた鍋底を、盾のように構えた。
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固まったチョコを型から抜いて、デコレーション開始である。
黒子は「彼女いない歴更新おめでとう」と、ホワイトチョコペンでデコレーションしていた。
「あらー、人情チョコってやつですねー?」
「まあ、確かに、人情ですね」
黒子はせんせーの言葉に苦笑した。
「さ、先生! これでかっこいい感じに仕上げを頼むわ!」
チルルは、生クリームと溶けたガナッシュを絞りだし袋に入れた状態にして、マリカせんせーに差し出した。
『 義 理 』
せんせーはすごくかっこいい字で、チルルの差し出したチョコにガナッシュを絞り出した。
更に、流樹の持ってきたアラザンと生クリーム、チョコスプレーで、『義理』の文字が輝いているかのようにデコレーションする。
ここまで義理であることを強調する必要があるのか、というくらいに、義理チョコであった!!
「どんなものでも愛情があれば、それは黄金にも負けない代物となるのですよ」
うむうむと緑が頷く。
黄金にも負けない義理って一体。
「せんせー」
雪花せんせーが、マリカせんせーを呼び止める。
「全て食べられるもので作るアートが最近流行ってるのです! こんな義理チョコ貰えたらとっても幸せなのです!」
自分たちで用意したチョコだけを使い、チョコオンリーで出来た絵や立体物に挑戦して欲しいと彼は考えていた。
「え、立体にもできるんですー? どんな風にするんですー?」
キョトンとするせんせーに、タブレットで検索して、画像と手順を見せる流樹。
「先生は作るチョコアートのデザイン画を描いていてくださいねー! 下準備はその間にこちらでやってしまうのですー!」
雪花せんせーは、チョコを加工しやすくするための準備に取り掛かった。
「試しにリング型に彫ってみたが、出来はどうだろうか?」
アラザンをあしらったリングチョコを作り、アイリスはその出来栄えについて意見を聞いた。
「なるほど、チョコアートは、こんな感じになるのですねー。造形なら任せて欲しーのですー」
結果、チョコで出来た花飾りを作り終え、せんせーはやっと自信を取り戻したようだった。
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デコレーションが全て終了し、片付けも終わった。
「それじゃあ一緒にお茶にしましょうか♪」
香里が紅茶を淹れ、サラはマリカせんせーの顔を模したラテアート入りのカプチーノを振る舞い、せんせーの買ってきた高級チョコアソートを皆でつまむこととなった。
黒子は「人情チョコ」をラッピングしていた。
誰かにあげる気なのだろう。
(誘導して訂正して、褒めてから、マドレーヌ作戦、だったはずが‥‥ううむ、褒める場所も隙もなかったです)
サラは、気づいた時にはご褒美用のマドレーヌがなくなっていたことを反省した。
(マリカ先生のお料理の間違いを正すのは、こんなに大変なんですね‥‥)
「せんせー、お料理は楽しかったですか?」
香里の問いに、ぶんぶんと首を横に振るせんせー。
「造形なら任せて欲しーですけれど、もう手作りはやめにしますですー!」
こんなに色々やらなくちゃいけなくて、時間も手間もかかるのに、食べるのは一瞬なのですー。
それなら、買ったほうがずっとずっとお得なのですー。
せんせーはかなり懲りた様子だった。
――この瞬間、学園の全生徒の舌と胃袋が、危険が危ない義理チョコの危機から、救済されたのであった!!