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重機の音が止まり、作業員の悲鳴が、閑静な住宅地に響く。
それだけで、何か異変が起こったことが、近所に知れた。
「何があったの?」
ぞろぞろと家から出てくる近隣住民たち。
窓を開けて、半壊したトヨさんの家のほうを眺めるものもいる。
どこに逃げていいかわからず困惑する作業員たち、そして、桜の木のある庭から、激しい戦闘の音。
「久遠ヶ原学園の者だ。この近辺に天魔が出現した故、一般の方はすぐに退避を願う」
<闇の翼>で飛び回り、野次馬を見つけては、避難をするよう誘導する一川 朔夜(
jb9145)。
桜の花を連想させる淡いピンクの髪が、ふわありと風に煽られる。
「全く、何故に、人はこうも好奇心が強いのだ」
「はいはーい! 撃退士です! 大丈夫、安心してなー♪」
「やはー、ほんのちょっとだけお騒がせします。なのなー」
一軒ずつ手分けして近所をまわり、お年寄りや子供に手を貸し、避難所指定されている公園に誘導する亀山 淳紅(
ja2261)と、大狗 のとう(
ja3056)。
(パニックにならないよう、慌てず急かさず丁寧に、なー)
のとうは自分に言い聞かせ、出来るだけ明るい声で、笑顔を忘れずに、避難活動を進めていった。
淳紅は、足の悪いお年寄りをおぶって、公園に向かう。
阻霊符は展開してある。ハンズフリーの携帯から、戦闘の状況が逐一伝わってくる。
朔夜は自力で逃げられないペットの避難も引き受けていた。
大事な家族だと熱意をこめて説得されれば、応じないわけにはいかない。
その頃、インレ(
jb3056)と木嶋香里(
jb7748)とイーファ(
jb8014)が、轟闘吾(jz0016)と共に、白い蛇と戦っていた。
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「助けに来たぞ、若人よ」
「すまねえ」
インレの言葉に頷き、蛇に重たいボディブローを打ち込む闘吾。
ぬめった白い表皮に滑り、思うようにダメージが通らない。
「場所が複雑なので手分けして動きましょう」
香里は<タウント>を使用すべく、桜の木から数m離れたところに位置を取る。
イーファは<光の翼>を使用して重機の上に陣取る。
「偶々轟様がいて下さって良かったです」
「そうだの、本当にのう」
隻腕で右目も不自由ではあるが、重心を下げた前屈みな姿勢を取り、重機や壁などの不安定な足場をうまく利用して、蛇の真上に移動するインレ。
<スタン>効果を狙い、<薙ぎ払い>で蛇を真上から攻撃する。
蛇は地中にするするともぐり、インレの一撃を避けた。闘吾が掴んでいたしっぽもぬるぬるとぬめって、すり抜けていこうとする。
イーファが慌てて<マーキング>を撃ち込んだ。間に合った。蛇は、工事で掘り返されて、土が柔らかくなったトヨさんの家の跡地の地中を這い回り、数秒行方をくらませたが、やがて桜の近くまで迫ってきた。
桜を守ろうと走り寄った香里の、足元の土がぼこぼこと動く。
人喰いザメが海中から姿を現すように、人間サイズのツチノコが牙をむいて香里に襲いかかった。
背後から闘吾の一撃が飛び、香里は、攻撃を甘んじて受けながらも、体勢を崩した蛇を<タウント>で更に引き付ける。
その足で香里は、桜の木から飛び退いた。
「轟様、木嶋様、そのままで!」
イーファが鳴神で蛇を射抜く。表皮を覆うぬるぬるした粘液のせいで、若干矢尻が滑った。
だが、蛇の暴れようからすると、確実にダメージは与えたようだ。
「あやつ、熱に弱い可能性がないかのう」
インレが【それは煌めく焔の如く】で、真上から蛇に、焔をまとった拳の一撃を加える。
あまりの格好良さに、香里の<タウント>の効果を上回る<注目>効果が、インレに発生した。
自分めがけて襲いかかってくる蛇に、インレはカーマインを絡みつける。
がぶり、鋭い牙が肩に食い込むのを感じる。
と同時に、目に見えないほど細い赤い糸が蛇を捉え、お中元のハムよろしく、ぐるぐると巻きつけられる。
動きを止められた蛇の背中に、イーファの矢がぷちぷちと刺さる。
「じいさん、手を貸すぜ」
闘吾が鋼糸に手を伸ばした。
片腕のインレを手伝い、2人で、カーマインを強く引き絞る。
強く強く、体中を締めあげられた蛇は、ワイヤーにぷちぷちと肉を切り裂かれ、粘液をまき散らしながら、ただの肉塊へと変貌していった。
「──なるほど、その老齢の女性の大切な物を守らんとした訳か。その想いは実に尊いモノだ、若人よ。うむ、わしらも手伝おうぞ」
「そうですね。それじゃあ、大切なタイムカプセルを掘り起こしにかかりましょう♪」
戦闘が完全に終了したのを確認し、インレが闘吾から事情を聞き、香里と共に協力を申し出た。
その場にいた皆が、同じ想いで頷いた。
●
淳紅、のとう、朔夜の元に、天魔討伐完了の報告と、タイムカプセルの話が入る。
「怪我人はおらぬか?」
真っ先に戦闘班を心配する朔夜。
闘吾、香里、インレが軽傷を負ったものの、香里のスキルで既に回復したとの答えが、携帯を通じて返ってきた。
「出来ればあまり無理をするでない、と申したではないか。桜の木、その根に眠るタイムカプセルを守りたいという気持ちはわかったが、無理をしてそなたらが傷つけば、恐らく老女はそちらの方を気にするであろうに」
携帯に説教をし、やれやれ、と朔夜は首を振る。
「なあ業者さん、実はな、ちいっとお願いがあんねん」
淳紅は、桜の木の下に埋められた箱の話をして、箱が取れるまでの間、桜の撤去作業の停止、もしくは遅延ができないか、頼み込んだ。
「あんまり時間は取れませんけどね。マンションの工事日程も決まっていますし‥‥」
作業員たちの指揮を執る業者は、少々渋ったものの、天魔の出現と討伐にかかった時間という理由で、プラス2時間ほどの猶予を貰うことができた。
「よっし、せやったら、自分が、避難してくれた皆をお宅まで連れ戻したるわ。のとう先輩は箱のほうに行くんやろ?」
「いっしししー、タイムカプセル、気になるのなー!」
淳紅の言葉にのとうはこっくり頷いた。足取りも軽く、トヨさんの家へ向かうのとう。
「なら、私がそなたを手伝おうぞ」
朔夜が淳紅と手分けして、介助の必要な住民たちやペットを、自宅まで送り届ける作業に入った。
「せや。トヨさんへのメッセージや写真とか、何や伝えたいことある人はおらへんのかな? タイムカプセルとは別の箱に入れたって、トヨさんへのお土産にしたらどうやろ?」
不意に、淳紅の脳裏にナイスアイデアが浮かんできた。
たばこ屋のばあちゃんのことを覚えている人は少なくない。隣近所だけでなく、店が開いていた頃の常連客にもメッセージをもらいながら、淳紅は町をぐるりと一周した。
トヨさんの庭に戻ると、皆が箱を掘り起こそうとスコップを振るっているところだった。
「なあなあ、轟君の友達にもお世話になった子仰山おるんやろ? せっかくやし連絡してみたら? どうせやったら1の思い出にいっぱい足して、10の桜を咲かせようや!」
にぱっと微笑む淳紅。
黙り込む闘吾。
「‥‥連絡先が‥‥わからん」
闘吾は、携帯を未だに持っていなかったのであった。
「あちゃあー、ツチノコ一度もぐって逃げたのかー! <マーキング>でも、地中だと追えないとこもあるのな! 縫い付けて標本にして持って帰りたかったにゃあ」
戦闘の様子をイーファから聞かされ、のとうは、白い肉塊の山と化した天魔の死骸を、見下ろした。
天魔の死骸は、焼却処分されることになっている。
「持って帰りてぇなぁ‥‥学園で飼えないのが残念なのだ」
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箱の掘り出し作業は難航した。石を砕いて土をどけて、邪魔な根を引き剥がして、切り落として。
現場にある小型シャベルや、はつり工具の電動ハンマを活用し、地道な作業が続いた。
ようやく、箱の外面が見えてくる。汚れと劣化で見る影もないが、金属製の箱だ。
インレが左腕を深く突っ込み、タイムカプセルに手をかけた。
「インレ様、掴めましたでしょうか?」
どきどきしながら、イーファがこの瞬間を待っている。
普通に掴める状態からなら、<物質透過>で引っ張り出すことが出来るはず、である。
「インレ、取り出せる? 出来そう?」
のとうもわくわくしながら見つめている。
だが。
「ぬ?」
引っ張っても、箱はカタカタいうだけで、根に引っかかって取り出すことができない。
「何故?」
インレは首をかしげた。
<物質透過>が、できない。
「あ」
慌てて淳紅は、第二のメッセージボックスを下ろし、携帯品をまさぐった。
「ほんま申し訳あらへん、阻霊符展開させっぱなしやったわ」
「「‥‥」」
皆の白い視線が、淳紅に集中した。
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木の窓枠に切り取られた初冬の景色は、如何にも寒々しい。
葉の落ちた木々は黒く、見える空はどこまでも白い。
色のない世界をぼんやりと見つめながら、トヨさんは臥せっていた。
あの家を離れてから、闘吾と会うことはなかった。故に、げっそりとやつれて見えた。
初対面の者でも、死期が近いとわかるほどに。
「トヨさんはもう、惚けていて何もわかりませんよ」
看護師に釘を刺されたが、気にせず皆は病室に上がり込んだ。
「ばあさん、忘れ物だぜ」
闘吾が、タイムカプセルをトヨさんの手に抱えさせる。
トヨさんはのろのろと闘吾を見、面会に来た皆をぐるりと見回し、そして箱に目を落とした。
香里がゆっくりと、トヨさんの耳に口を近づけて、繰り返す。
「トヨさん、闘吾さんと一緒に、タイムカプセルを見つけてきましたよ♪」
淳紅が、造花を貼り付けて綺麗に飾った桜のひと枝を添える。
そして近隣住民や元常連客からのメッセージボックスを差し出した。
のとうがデジカメを構える。
「轟、君、もうちょいばぁちゃんの方に寄ってほしいのだ! はい、笑ってー」
すっと顔を背ける闘吾。帽子のつばを目深に下ろす。
パシャリ、とデジカメから小さな音がした。
「あの桜の木は、枝を刺し木にして、轟様に、盆栽にしていただきました」
イーファが現物を出してみせる。
「本当は轟様とおばあ様の分、2つを盆栽にして、互いにお持ちいただこうかと思いましたのですが、轟様から、鉢物は『病院に根が生える』と言われ、縁起が悪いと伺いましたので、この盆栽は闘吾さんにお預けしようと思います」
でも、トヨさんの桜は、これからもずっと元気ですよ、とイーファは言葉にせずに付け加えた。
トヨさんは、震える手で箱をなぞり、両目に涙を浮かべて、「おじいさん」と小さく呟いた。
澱んでいた瞳に光が灯る。
闘吾にも手伝ってもらって、箱を開ける。
色褪せた写真。変色した紙束、手紙の束もぎっしり。
男子学生服の第二ボタン。古めかしいハンカチ。
そこには、トヨさんの青春が詰まっていた。
「のう、トヨさん。おぬしとおぬしの旦那との思い出話を聞かせてはくれんかね」
インレがそっとトヨさんの肩に触れた。
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――このハンカチはね、あの人がわざと落として、わたしに拾わせたのよ。
話しかけるきっかけが欲しかったって言って。
だから、出会いのハンカチなのよ。
トヨさんは目を細めて、懐かしそうに語りだした。
――初めてのデートの写真ね。
ベンチで休んでも、胸の音が聞こえてしまいそうで、すぐ隣には座れなくてねえ。
変に距離を置いて座っていたもんだよ。
歩く時もそう。弾みで手が触れると互いに引っ込めてしまってね。
初々しかったわね、あの頃は。
歪んだハート型のクッキーの写真。
――彼のために、生まれて初めてお菓子を作ったのよ。チョコチップクッキーね。
バレンタインデー本番までに何度も練習したものよ。
でもプレゼントしようとして、ついハート型にしちゃったのが恥ずかしくて、渡せなくてねえ。
結局強奪されたのだけど、こんなものまで写真に残していたのね、あの人ったら。
交換日記。ラブレター。
――手紙では書けても、口に出せない言葉ってあるのよねえ。
喧嘩をするたびに、ごめんねのお手紙を出して。
仲直りして。また些細なことで喧嘩して。何度も仲直りして‥‥。
いつの間にか、かけがえのない相手になっていたのよ。
――改めて読み返すと、やっぱり恥ずかしいわね。
この箱を埋めた時、読み返したら、恥ずかしすぎて笑っちゃうかもって思ったのよ。
でも、どうしてかしらね、笑えないのよ。涙が止まらないの。
おじいさんと一緒に開けるはずだったのに。おじいさんと一緒に笑えると思ったのに。
おじいさんの遺品である、学生服の第二ボタンを握り締め、トヨさんは泣き崩れた。
――おじいさんも、息子も、わたしを置いて、先に天国にいってしまった。
本当は、もっとながく一緒に生きていたかった。
色々な思い出を、もっともっと紡いでいきたかった。
息子が生きていれば、きっと孫だって出来ていたろうにね。
悔しいわね。
悔しいけれど、これが人間の天命なのね。
一番やさしくて、一番幸せで、一番甘かった時期の思い出の品が、今ここにあるだけ、わたしは幸せなのかも知れないわね。
トヨさんは、目を拭った。
皆、胸が詰まる思いで、トヨさんの聞き取りづらい言葉に、耳を傾けていた。
(少しだけ重ねるところがある。老齢であること、伴侶に先立たれたこと。
違うのは、思い出の品が残っていないこと。
だが、悔いなどない。愛した事を、愛された事を、確りと覚えておる。
――次は、己が残して逝く番だ。イーファを、孫のように愛しいあ奴を。
なれば少しでも、共に幸せな時間を過ごし、幸せな思い出を残して行かねばな)
インレは、可愛がっているイーファをやさしく見つめた。
(人の中でしか生きられない私は、きっと好きな人ができても、先に死なれてしまう可能性が高いでしょう。その時に、こうやって大事な思い出を確りと抱いたまま、生きていければ素敵だなぁと思います)
イーファは、寡婦となった母をトヨさんに重ねていた。
「なんだかお母様を思い出しました。久しぶりに手紙を書いてみましょうか」
「手紙か。そうだな、それが良い。おぬしの母親もきっと喜ぼう」
微笑み合うイーファとインレ。
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面会時間が過ぎ、看護師に病室から出され、皆、学園への帰路に着いた。
「闘吾さんが最初に頑張ったから、トヨさんに喜んで貰えましたね♪ 良かったですね」
香里が闘吾を労った。朔夜も続く。
「大切な思い出はいつまでも色褪せぬもの。老女の救いになれたようで何よりだ」
淳紅は、寄るところがあると言って抜け、単身、墓地へ向かった。
永く放置されている、トヨさんの夫と息子の墓を、きれいに掃除する。
そこにも、あの桜の枝を、ひと折り添えて、祈りを捧げた。
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数日後。
トヨさんに、現像した写真を届けに行ったのとうの前には、空っぽの病室が待っていた。
タイムカプセルを大事に大事に抱え、トヨさんは幸せそうな顔で、眠るように息を引き取ったと看護師が教えてくれた。