●
「ひりょさん、大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫‥‥無理はしないよ。ありがとう」
仙台で大怪我を負った、黄昏ひりょ(
jb3452)のことを、川澄文歌(
jb7507)が心配そうに覗き込む。
「あの様子だと、これ以上マリカ先生のお腹を空かせて待たせてしまうと、今度はマリカ先生がぴんちだね」
痛みに顔を引きつらせながら、それでも微笑むひりょ。
「どどーん!」
礼野 智美(
ja3600)が新米の袋を抱えて、勢いよく、調理実習室の扉を開いた。
「先生、これでも炊いて先に食べていてくださいね! すぐにきのこをとって帰りますよ!」
すかさず、新米はマリカせんせー(jz0034)の手からとりあげられた。
調理実習室に残っているものが、手際よく炊飯に取り掛かる。
「何しろ、あのせんせーは、お米を研ごうとして、洗濯機に放り込むらしいからね」
ひそひそと、しかし事実が小声で、一川 夏海(
jb6806)の耳に入る。
「洗濯機だァ!? 料理の域を超えてンじゃねーかァ!? ざけんなァ!?」
「いやこれが、本当のことで‥‥」
「うわァ、駄ー目ーだァ! マリカセンセーに料理は、させるもんじゃねェ!」
鈴代 征治(
ja1305)は、フォーチュンブートニアを眺め、恋人の無事を祈っていた。
9月1日の誕生日に、対となるフォーチュンリストレットを、アリス・シキ(jz0058)に贈ったばかりだった。
(無事に帰ってきたら、またデートしよう)
里山で待っているはずの恋人に届けと、想いをブートニアにこめる。
(動物園も、水族館も、ゲーセンも、海水浴にも行ったけれど、まだまだアリスと一緒に行きたい場所はたくさんあるんだ。一緒に行って、遊んで、一杯撮影して、また記念日にディフォトシアター見て、思い出していっぱい話して‥‥)
そのささやかな幸せを、取り戻そう。この手のひらに。
事前に、文歌は卜占で天候を占っていた。雨が降りそうで降らなさそうな天気は、続く見込みである。
「どうかの? 雨になりそうかの?」
橘 樹(
jb3833)に尋ねられて、文歌は頭を振った。
「流石に、お天気は思うようにはいきませんね。でも念のため、レインコートは着て行きましょう」
●
里山の湿った地面へ、ざくざくと長靴で踏み込む。軍手で生い茂る草木をかき分け、道なき道をゆっくりと進む。
携帯電話と光信機のアドレスは、全員交換済みだが、景色が鬱蒼としてくるにつれ、携帯に「圏外」の表示が多くなっていった。
遠くに見え隠れする山々の頂上付近が、黄色く染まっている。
秋の風が、冷たく木々を揺らす。
「群生地は、地図に落とし込むと、どこらへんじゃろうの?」
樹がおじさんに聞くが、長年の勘で培われた土地感覚であり、地図には曖昧な「このへん?」という記号しか書き込めなかった。
「地図が出回ると、勝手に山に入って、荒らしたり採ったりするものも出るからね。あんまり正確な地図みたいなのは作らないようにしているんだ」
おじさんが答えた。
「ふむ、人のものを奪うなどよろしくないのう。それでは仕方があるまいて」
樹は念のために方位術を使用しつつ、おじさんにはりついていた。
やがて、オイルを水面に流したような虹色が、木々の梢を透かして、遠くに見えてきた。
全員、緊張の面持ちで、身構えた。征治が自身に<聖なる刻印>を使う。
●
最初に、素早い動きで、きのこ番人に向かったのは、智美だった。
スーパーで買ったえのきをちらつかせて、「おい番人! お前の相手はこっちだ!」と声を張り上げる。
(番人よ。同じくきのこを愛するものとして、生まれ変わったら、一緒に美味しいきのこを食べようなんだの‥‥)
うるりと樹が番人を(すごく遠くから)見つめている。
続いて文歌が夏海に、<聖なる刻印>をかける。
「テレビでしか見たことねェ『松茸』ってのにありつけると思ったのによォ‥‥。何よろしくやってんだ、あの嬢ちゃんは‥‥」
双魚の盾を構えながら、夏海がアリスに向かって全力移動。
ほぼ同じタイミングで足元を滑らせるように、征治も全力移動で、アリスと番人の間に割り込む。
「アリス!」
「シキさん、大丈夫です? 鈴代先輩やひりょさんたちと一緒に助けに来ましたよっ!」
征治と文歌が声をかけても、濁った瞳は木々を映すだけ。
「曇った目で俺とヤろうってか! 上等だ、覚えてねェとは言わせねェぞコラ!」
夏海が凄む。
真っ白いストレイシオンが、智美と番人の間に入り、<防御効果>を使用した。
続いて<韋駄天>で走り込んできたひりょが、忍法「雫衣」を使って、番人を挑発すべく、きのこを沢山身につけた服を着ているように錯覚させた状態で、声を張り上げる。
「おい、番人、お前の守ってるきのこ、もう結構戴いちゃってるぜ? 取り返しに来いよ!」
(この胞子をなんとか出来れば、怖い相手じゃないんだろうが、こんな時に大怪我してしまうなんて、くそっ)
仙台での大怪我のために、胞子の魅了に耐えられるかは、わからない。
わからないから、ひりょは、比較的安全と思われる風上から、せいいっぱい悪そうな声を作って叫んでいた。
番人の反応はない。そこまで知力が高くないのかもしれない。
代わりに反応したのはアリスだった。白いストレイシオンがひりょに向かって<チャージラッシュ>を仕掛ける。
その攻撃を<庇護の翼>で受けきる夏海。
「このアホ! 早く正気に戻りやがれ! 顔見知りだからっつって容赦しねェぞ!」
思わずストレイシオンに蹴りを入れると、アリスが脇腹を押さえて崩れ落ちた。
「てめぇの苗字は『春夏秋冬』と書くそうだが、今はさしずめ『死鬼』ってとこだな」
「アリス! 大丈夫、アリス!?」
うずくまっているアリスのもとへ征治が走り寄るが、後ろから番人の鈍器が襲ってくる。
番人は、征治を狙ったわけではなく、目の前の智美とやり合おうとしていた。
自慢の鈍器がくにゃっと伸びて、勢いよく振りかぶられ、ブゥンと風を切る音を立てる。
それが勢い余って征治の背にあたったというわけだ。
滑りやすい足もとで、征治はバランスを崩し、アリスから距離をあけてしまう。
「アリス殿は、まだ正気にならぬのかの?」
樹がハラハラと見ている。
いつでも番人を狙えるよう、魔法攻撃を準備して、おじさんを守って待機中である。
「シキさんさえ正気に戻せれば、あの番人を攻撃できるのに!」
ひりょと文歌も、唇を噛み締める。アリスは脇腹を押さえながらもストレイシオンを立て直し、番人の加勢に入ろうとしていた。
そこへ、やっと駆けつけた文歌の<聖なる刻印>が、ようやくアリスを射程にとらえる。
魅了の胞子はまだ飛散していたけれど、はっといつもの表情を取り戻すアリス。
白いストレイシオンが、自分の世界に帰っていく。同時に、脇腹を押さえて顔を歪めるアリス。
「待たせちゃってごめんね、アリス。さあ、帰ろうか」
安心させるように両手を広げて、ゆっくりと近づいてくる、見知った顔。恋人の征治だ。
「おなかは大丈夫? 今、救急箱で手当てをするから、軽く見せてもらえないかな」
「ほ、本気で蹴ったりしてねェよ! アウルも乗せてねェし! ちょいとまあ、はずみってやつだ!」
夏海が慌てるが、軽い打ち身で済んだこともあり、誰も彼を責める者はいない。
(大切な仲間だから、何かあったら俺が駆けつけるよ、とは、ずっと思っていたけれど)
ひりょは、アリスが征治の手当てを受けながら、静かに泣きだしたのを見て、自然に微笑んだ。
普段の彼女なら、人目を気にして、こんなふうには絶対に泣いたりしない、と思う。
色恋話も、極力避けるアリスだ。
(やっぱりお姫様を助けるのは、王子様の役目‥‥かな?)
「てぇいっ!」
にょき、と突き出された、伸縮自在のきのこ型鈍器をあっさり躱し、智美は軽く足払いをかけた。
思ったより素早い動きで番人は後ろへ飛びのき、湿った落ち葉に足を取られて、スローモーションのように転倒した。
むにょ、むにょ、むにょ、むにょ
そこからは、番人ひとり劇場である。
魅了の胞子を振りまきながら、短い四肢を動かして、じたばたともがいている番人。
うにょんと伸びる自慢の鈍器も、うまく振り回せない状態だ。
虹色のきのこ頭が重すぎたのだろう。
むにょ、むにょ、むにょ、むにょ
鈍器を長く伸ばして、体を支えるように起き上がろうとする。
ころん。転がって失敗。
再び鈍器を以下略。
ころんと転がって失敗。
転んでしまうと起きられない。なんと、番人にそんな弱点があったとは。
さあ、一緒に行こう。
樹がおじさんを守ってくれている。
番人?
――んー、智美1人に任せておいても、大丈夫じゃないかな?
●
「皆様にご迷惑をおかけいたしましたの。ごめんなさい」
しゅんとうなだれ、涙声で、アリスは皆に詫びた。
征治が渡したサンドイッチにも、ミネラルウォーターにも、手をつけていない。
腕に光るフォーチュンリストレットに、ぽとりと、ひとしずくの涙がまた落ちる。
「いやいやアリス殿、無事でよかったであるよ♪」
樹がにこにこと見守っている。
「本当です。シキさん、無事でよかったです」
文歌は微笑んで、冷えきったアリスの手をとった。
「うん。本当に無事で良かった、良かったよ‥‥」
自らの怪我を隠しつつ、ひりょも微笑んで、アリスを励ます。
「アリスだけじゃなくて、僕たちはやっぱり一人一人だと弱いんだよ。でもみんなで助け合えば、なんだってできるんだ。だから、大丈夫大丈夫」
防寒着を上から着せかけ、更に愛用の学ランをかぶせて抱きしめ、征治は恋人の頭を撫でた。
まだ、自分を責めて、アリスは小さく震えていた。
「あ、ひりょさん、包帯が外れてますよ! 無理したらダメですって言ったのに‥‥」
「ああ、ごめんね」
ひりょの包帯を巻き直し、手当をする文歌。心配そうで、でも少し、嬉しそうでもある。
「ひ、ひりょさん、そのお怪我は‥‥?」
驚いて尋ねるアリスに、さも何でもないかのように振舞うひりょ。
「ん、仙台でちょっと、ね。でもたいしたことないんだ、大丈夫だよ。ありがとう」
「本当に、本当に、ごめんなさい。有難うございます」
改めてアリスは皆に、頭を下げた。
「なあオッサン。あれは食えるキノコか? 食えないキノコか?」
遠くから番人を指し示し、冗談めかして尋ねる夏海に、おじさんは「怪人には見えるけど、食べられるようには見えないよ」と答えた。
「よォし、食えないキノコならすぐに別れを告げてきてやるぜっ!」
夏海、ダッシュである。
番人?
そろそろ、2人(智美と夏海)に、コインスライスされている頃じゃないかな??
●
首尾よく番人がみじん切りにされたあたりで、きのこ狩り再開である。
「ヘイ、オッサン! 早速ですまないがここに松茸ってあるのか? 一度食ってみてェと思ってたトコなんだ、案内してくれよ!」
興奮気味な夏海に、「松茸は別の場所だねえ」と答えるおじさん。
「でも帰り道から行けるし、大事なきのこの群生地を守ってもらったんだ、特別に案内するよ」
おおお。感動の嵐が夏海の中に押し寄せる。
「ホントか!? オッサン‥‥、あんたメイドになる気はないか?」
「!?」
メイドバーの店長の顔で、夏海に至極真面目に問われ、おじさんは狼狽えて「メ‥‥メイド・イン・ジャパァン?」と答えていた。
「‥‥そのメイドじゃねェよ‥‥」
きのこの群生地に足を踏み入れた途端、樹の顔色がぱあっと明るくなった。
「ふおお、なんて美しいんだの‥‥!」
あのきのこが、ああ、あちらにも珍しいきのこが、と、そわそわし始める樹。
あっちを見ても、こっちを見ても、美味しそうなきのこばかり。
「これとこれには近づかないように! あと、株まで取り尽くさないようにも、気をつけておくれよ」
おじさんの注意をしっかり受けて、皆できのこ狩りにいそしむ。
「野生のなめこってこんなに大きくなるんですね」
文歌とひりょが協力してきのこをビニール袋に詰めていく。
「うおおー腰いてェー!」
夏海が屈んでいる姿から立ち上がり、腰を伸ばしてうーんと背をそらす。
怪我の影響でひりょが不自由している場所では、文歌やアリスが自然に手を貸す。
文歌はきのこを取りながら、綺麗な声で歌を口ずさんでいた。
3人で仲良くきのこを取っている姿を、征治が写真におさめる。
「征治、ご自分でいただく分もお取りになりませんと、召し上がる時に足りなくなりますわよ?」
アリスに言われて、慌ててきのこを取る作業にもどる征治。
少しずつ、少しずつ。
いつの間にか、アリスの顔に、笑顔が戻っていた。
●
帰りに、松茸狩りと、智美のリクエストでスーパーに立ち寄ってから、やっと調理実習室へ。
お腹を空かせた女教師は、お米の炊けるいい匂いに半ば卒倒しかけていた。
収穫したきのこは、それぞれおじさんとアリス、そして樹が下調理をして、美味しそうなきのこ鍋に変貌してゆく。
夏海のリクエストした松茸だけは、網でじっくりと焼かれていた。
「松茸は、つぼみのうちは――カサの開き具合のことだけれどね――網焼きに限るなあ。一番香りがよく出るんだよ」
確かにふわりと、芳醇ないい香りが立ち込めている。
「食べる時に手で裂くのさ。この香り、何とも言えないぞ。ホイルで包み焼きにするのも美味いけれどね」
おじさんが、焼きたてを手で裂いて、ちょっぴりの醤油と塩につけ、はふはふとお手本を見せる。
「あくまでも薄味でな。松茸の香りが損なわれてしまうからね」
「おおおおお!」
夏海は人生初の松茸に、盛り上がっていた。
「せんせーも松茸食べたいですー」
指をくわえる女教師1名。
「残念だったなァ、もう食べ終わっちまったよ」
夏海が満足そうに指を舐めた。
国内の松茸の産地は少ない。おじさんの、とっておきの隠し場所からも、2本しか取れなかったのだ。
炊いておいたお米で、文歌とひりょで、せっせとおにぎりを作る。
スーパーで購入した豚肉、玉葱、葱、豆腐を使い、智美はお鍋も用意していた。
「寄せ鍋の用意が出来ましたよ」
「きのこ鍋も良い具合に煮えてございますわ〜」
他にも、樹の作ったソテーや土瓶蒸し、炒め物から煮物まで、様々なきのこ料理が並んでいる。
調理実習室に、美味しそうな香りが立ち込めていた。
文歌とひりょの握った塩おにぎりで、皆で揃って、いただきまーす!
「うぉわっ!? 椎茸じゃねェか! 椎茸、俺は、てめぇだけは存在を認めねェ!!」
夏海がここでもフィーバーしていた。智美の鍋から椎茸を別の箸で端に追いやる。
「椎茸も美味しいですのに〜」
それをひょいひょいと拾い食いするマリカせんせー。
「この、歯ごたえが、たまらんの」
樹もおいしくきのこをいただいている。
皆でいただく秋の味覚。
校舎の窓から見える木々の葉も、心なしか、色づき始めているように見えた。