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ネカフェでシャワーを借りたあと、柔らかな椅子にもたれてウトウトしながら、ミチルは夢を見ていた。
「許さん! 19歳で初恋なんて、早すぎる!!」
父親の声が耳に響く。
「金輪際、あの本屋には行くな! 近づくな! 店の前をうろつくな! 店員に声をかけるな!!」
過保護で過干渉の父。母が逝去してから、母の面影を持つミチルのことをやたらと構うようになった。
職場が家に近いせいか、仕事の合間をぬって、ミチルの行動を見張り続ける父。
ミチルの携帯GPSを利用し、ご近所さんの噂話もしっかり収集。
そんなこんなで、ミチルは、近所の書店の若い店員に惹かれていることを、父に知られてしまったのだ。
「信じらんね、子供を監視する親とか、ありえねーだろ」
可愛い顔で毒づくミチル。
「19で初恋は早い? いつの時代の話だよ。あたしはパパの持ち物じゃない」
父の目を盗み、携帯を手放し、家を抜け出して、このネカフェに転がり込んだ。
自分名義の通帳だけはきっちり持ってきた。
でも、貯金はそう多くない。この数日で、あっという間に生活費に消えた。
あの書店に近づいたら、パパに見つかる。そう思うと行くに行けない。
だけど、あの人に会いたい。会って想いを打ち明けたい。
そういう時に、なんて言えばいいのか、ミチルにはわからない。
心臓がどきどきして、全身が汗ばんで、顔が赤くなって、こわばって、何も言えなくなるのだ。
――目が、覚めた。
ああ、やだやだ。夢の中でまで、現実を見せられるなんて、何て日だろう。
気分を変えて、少女漫画でも読もう。
もしかすると、あの人に――名札の苗字しか知らない想い人の、その心に届くいい言葉が見つかるかもしれない。
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そのネカフェには、袋井 雅人(
jb1469)、黄昏ひりょ(
jb3452)、グラサージュ・ブリゼ(
jb9587)が居合わせていた。
「この少女漫画、まだ続いていたんですねえ」
雅人が少女漫画の棚を眺めて、続刊に手を伸ばした。白い華奢な手とぶつかる。
「あ、すみません」
咄嗟に謝って、メガネを直し、まじまじと雅人は女性を見つめた。
「マ、マリカせんせー(jz0034)?」
「え?」
ミチルは怪訝そうに雅人を見た。
「あ、マリカせんせーも来てらしたんですか」
ひりょが微笑んで手を振る。
その脳裏に、水着姿の色っぽいせんせーがぽわんと浮かび、‥‥ひりょは(帰ってこい、俺の理性!)とばかりに、本棚のカドに頭をガンガン打ちつけ始めた。
「ね、私もまだ一度しか来たことないですけど、ほぉら、マンガたーくさん! ジュースは20種類がなんと飲み放題! 疲れたらお昼寝だってできちゃう! シャワーだって借りられるし、ごろごろしたければ畳の部屋も完備! ネカフェ素敵! 素晴らしい! 最高でしょ、ひりょ先ぱ‥‥せんぱ、い‥‥?」
興奮気味に、ひりょにネカフェの素晴らしさを説いていたグラサージュが、先輩の行動に小首をかしげた。
「ああ、いや、何でもない、何でもないんだ、ははっ」
ぽりぽりと頭を掻く。ひりょの鼻から、つーと一筋流れる、紅い雫。
理性、負けかけてます。
「‥‥ひ、人違いじゃないですか? あたしその、教師とかじゃないし‥‥」
逃げるようにミチルは言うと、1冊の少女漫画を素早く抜き取って、自分の席へ戻っていった。奇しくもそこは雅人の席の隣である。
(あれ? では、さっきのつぶやきの主は‥‥)
腕を組んで考え込む雅人。ミチルの泣きぼくろが印象に残った。
(別人かあ。そもそも声が違うもんな。そっくりさんって本当に居るんだなあ‥‥)
ティッシュを鼻に詰め、ひりょは大人しく見送っていた。
(うーん、なーんか挙動不審だけど、ネカフェ通いしてるのを生徒に内緒にしたいのかな? でも、お友達のゆかりちゃん(
jb8277)には、こっそりメールしちゃおっと♪)
ぽちぽちぽち。グラサージュはゆかりにメールを打ち始めた。
『ネカフェに美術教師マリカせんせー登場! いつもとちょっと雰囲気違うけど、せんせーの新しい一面発見しちゃった〜♪』
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その頃、交番前。
「せ‥‥いえ、わたしは食い逃げなんてしませんですー! 信じてくださいですー!」
まだ、マリカせんせーは、大きな泣き声をあげていた。
歌音 テンペスト(
jb5186)が野次馬の群れを割って、交番前に進み出る。
「かっ歌音さん、せんせーを助けてくださ」
「今なら罪は軽くなりますっ、自白して下さいっ!」
マリカせんせーは呆然と歌音を見た。
「せんせーはこんなことする人じゃないんです‥‥ほんの出来心なんです‥‥」
警官に土下座する歌音、明らかに動揺するせんせー。
「ちょ、ままま、待って欲しいのです、せんせーは本当に食い逃げなんて‥‥」
「あたしが頑張って自白させます! だから、だから、おまわりさん、少しだけ時間をくださいっ」
涙ながらに訴える歌音。
「せんせーの減刑嘆願書も、ほら、ここに!」
\どーん!/
100人分の署名が書かれたノートを差し出す歌音。
‥‥100人分、ではなかった。
冊子には、100回、繰り返し繰り返し、歌音の名前と住所が書かれていたのである。
まるで書き取りの練習のように。
「冤罪は絶対にいけませんの。マリカせんせー、身分証を出してくださいませんか?」
野次馬の中から、紅華院麗菜(
ja1132)が姿を現した。
せんせーはトートバッグをごそごそして、身分証を取り出す。警官とコックが確かめる。
「学園教師として十分な収入を得てますこと、チケットの件も含めて十分に支払い能力がありますこと、これで証明できますわね?」
麗菜の言葉に、腕を組んで考える警官とコック。
「収入に関係なく、万引きする人はいるからなぁ‥‥うーん‥‥」
警官の言葉に、必死に身の潔白を訴えるせんせー。
「もし本当に、わたしがコックさんのお店で食べたのでしたら、代金をお支払いするのは当然ですー!!」
「ということです。きちんと確かめもせず、いきなり交番に連れてきたこと自体、少し乱暴ではないでしょうか?」
麗菜が、せんせーの言葉にかぶせるように、畳み掛ける。
そこへ、雅人とデートの待ち合わせのため、ネカフェに向かっていた月乃宮 恋音(
jb1221)が、通りがかった。
「‥‥うぅん‥‥えーとぉ‥‥」
ぽちぽちと恋人にメールを送る恋音。
『マリカ先生が交番で無銭飲食の容疑をかけられている様子』
『待ち合わせ時間に少し遅れる』
『必要なら手を貸して欲しい』
以上の旨を雅人に送信し、恋音はせんせーと警官、コックに詳しく話を聞いた。
「‥‥うぅん‥‥なるほどぉ‥‥」
恋音が考え込んだ。
野次馬の中から、柏葉 小雪(
jb9999)が顔を出す。
「私もお話を聞かせていただきました。マリカ先生は、私は授業を受けたことがないので、これが初対面になりますけれど、平然と嘘をつける人のようには見えません。財布を盗まれたというのは、本当なのではないでしょうか?」
小雪は淡々と、そして冷静に判断した。
「そのお話が本当なら、泥棒の顔は見ましたよね? どんな特徴がありました?」
ゆかり(
jb8277)がせんせーにやさしく問う。
「‥‥マリカ先生は、美術教師ですからぁ‥‥似顔絵が描けるのではないかとぉ‥‥思いますぅ‥‥」
恋音が文具セットとノートを手渡し、せんせーを促した。
「描きますですっ! せんせー、ハッキリ見たのですっ!!」
さらさらさら。
美術実技教師の本領発揮である。
そして出来上がった似顔絵は‥‥
「「「「自画像?」」」」
「違いますー!!」
マリカせんせーは、すっごくリアルに描かれた似顔絵を指し示した。
「ほらほら、ここに泣きぼくろがありましたです! せんせーにはないのです! 本当です、しっかり覚えてますですー!!」
恋音とゆかりが写メをそれぞれ、雅人とグラサージュに送る。
「先生は、お財布を持たずに外出するんですか?」
その間に、小雪がせんせーの荷物をチェックしていた。
「そんな訳ないじゃないですかー! だから、お財布は盗まれてしまったんですー!」
「そうですね。お財布を持たずに、街に出かける人は、そうそう居ないでしょう」
麗菜が冷静に判断し、せんせーの弁護に回った。
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ゆかりからの返信メールがグラサージュに届いた。
件名:こんな人ですか?
添付:似顔絵.jpg
本文:
さっきのメールの、マリカせんせー、泣きぼくろありました? もしあったなら捕まえて下さい!
そいつはパパン三世、食い逃げとスリの犯人です! つまり、せんせーのニセモノです!
捕まえたらメールを下さい! そして、4番町の交番まで犯人を連れてきて下さい!
少し遅れて、雅人の携帯にも、恋音からの協力要請メールが入る。
「えっ、マリカせんせーが食い逃げ?」
トーンを落とした声でぼそぼそと、ひりょがグラサージュに尋ねる。
「‥‥確かにマリカせんせーの食べっぷりは驚嘆するレベルだけど、食い逃げとかはありえないかな」
「そうだよね〜! さすがに食い逃げはないでしょ〜! きっと誰かと間違え‥‥間違え‥‥られた!? あ! さっきの人!」
「うん、泣きぼくろの話といい、どうやら、あのそっくりさんが犯人じゃないかな」
改めてじっくり写メを眺め、さりげなくミチルの顔を見に行くグラサージュ。
「‥‥あった、泣きぼくろ! 顔も写メの絵にそっくり!」
こそこそと2人は相談した。
「マリカせんせーの無実を晴らそう。証拠となる画像もあるみたいだし、とりあえず身柄確保しないとね」
ひりょは<韋駄天>を自分とグラサージュにかけ、店員に出口を封鎖するよう指示した。グラサージュはエレベーターと非常階段も封鎖する。
続いて、応援を頼みに雅人の席に立ち寄ると、既に雅人は密かに<マーキング>をミチルに命中させていた。
少女漫画に夢中になっていたミチルを確保するのは、考えていたよりも容易かった。
雅人に捕まえられ、逃げ出そうとしたミチルだが、逃げ場は何処にもない。肩を落とし、ミチルはマリカせんせーの財布を盗んだことを認めた。
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交番にミチルが到着するまでに、恋音はマリカせんせーが食事をした店の支配人を呼び出していた。
面通しをして、確かにせんせーが【フリーチケット】で食事をしたと証言する支配人。
合流したミチルの荷物から、せんせーの財布が発見され、使用済みの【フリーチケット】も発見される。
コックは、ミチルとせんせーを見比べ、難しい顔をして腕を組む。
「あたし、最初からせんせーは無実だって信じてました!」
歌音が堂々と胸を張った。何となくせんせーの視線が肌に刺さる。
ゆかりが、食事代は立て替えると言ってコックを説得し、示談交渉を始めた。
「どのような事情であれ、自分自身の理由で人に迷惑をかけることは、決して許されることではありませんの」
麗菜の言葉に、ひりょも頷く。
「うん。どんな理由があるにしろ、やってはいけない事はある、それは確かです。過ちを認めた上で、問題を解決しないといけませんね。俺も協力しますよ」
2人に促され、ミチルはせんせーに財布を返し、ごめんなさいと謝罪した。
歌音がミチルに向き直る。
「19歳ともなれば、お父さんに、自立した一人の大人として認めてもらいたいよね。でも自立って『とにかく一人で生きていく』ことじゃないの、『長続きする方法で、他人を頼りながら、生きていく』ことじゃないかな」
マジ顔で続ける歌音。
「ミチルちゃんは『困ったことを他人に相談できる』? それが出来ないと『自分で全部何とかしなきゃ、犯罪してでも』ってなっちゃうのん。そんな生活、長続きしないよね。好きな人とも一緒にいられなくなるし」
徐々にミチルの顔が俯いていく。
「ミチルちゃん、まずあたしたちに相談して。その次に相談するのは誰かな? 大好きな人じゃないのかな?」
歌音の言葉に考えさせられた様子で、素直に事情を説明するミチル。
「‥‥『19歳で初恋は早い』‥‥ですかぁ‥‥?」
呆然とする恋音(15歳)と雅人(17歳)カップル。
「まだ、告白もしていなかったんですね。頼れる人が誰もいなくて、それでネカフェに‥‥」
「ミチルさんのお父さんは相当、独特なようですね」
小雪自身も父子家庭だが、そこまで束縛されたことはない。
示談も無事成立し、皆は近くの公園に場所を移して、ミチルの父を電話で呼び出した。
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「娘が本当にご迷惑をおかけしましたッ!」
ミチルの父は、現れた直後、皆に何度も深々と頭を下げた。そして娘に向き直る。
「全く、犯罪にまで手を染めるなんてッ! パパのどこが不満なんだッ!! どれだけパパが心配して捜し回ったと‥‥ッ!!」
「余計なお世話だし不満だらけだよ! あたしを見張るのも束縛するのも、大概にしてよっ!!」
思わずゆかりが口を挟む。
「落ち着いて、お父さん。ミチルさんはあなたの宝石じゃ無いんですよ?」
「そうです。とにかく落ち着いて、話し合いましょう」
小雪も頷く。
「うぅん‥‥そのぉ‥‥まだ、おつきあいもされていないのですよねぇ‥‥?」
恋音は、父親の胸中に、娘に置いて行かれる恐怖があるのでは、と考えていた。
「‥‥ミチルさんが家出するほど追い詰められたことも、そんな彼女が犯罪を犯すようになったのも、育てた親の責任ではないでしょうかぁ‥‥?」
「お父さん。本当に大事なことは何かを良く考えてみて下さい! ミチルさんが幸せになることじゃないんですか?」
雅人が、がしっと父親の肩を掴む。
「ゆかりさんの言うとおりです、ミチルさんは立派な一個人なんです。お父さんの持ち物でも、宝石でも無いんですよ!」
「19歳ともなれば、立派な大人と言ってもいいと思うぴょん」
歌音もミチルを援護する。
「人はね、自動的に大人になるんじゃないの、大人として扱われることで、徐々に大人に近づいていくのん。お父さんは、いつまでもミチルちゃんを子供のままにしておきたいのかな?」
父親は皆の言葉に黙り込んだ。やがて言葉を絞り出す。
「‥‥考えて、みます」
「そうよそうよ。パパが考えを変えてくれるまで、あたし家には帰らないから!」
ミチルは、皆に向き直った。
「ね、安いアパートか、居候出来る誰かの部屋とか、紹介して? あと、バイト先も紹介してくれると助かるな」
かくて、家出娘は、もう少しだけ、家出を続けることになったのであった。
今度は撃退士たちの協力を得て、犯罪に手を染めることなく。
父がいずれ考えを変えてくれることを信じて。
「でさぁ」
父親と分かれ、撃退士たちと歩きながら、ミチルは真っ赤になった。
「告白って、その、‥‥どうしたらいいの?」
恋音&雅人に尋ねる。不意打ちされた2人は、思わず慌てふためいた。