※このお話は夢の中の出来事です。ゆえに、設定などが架空のものになっている場合がございます。
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蒼い月が沈み、紅い月が昇る。
かつては太陽と呼ばれ、地上を照らしていた紅い月。
今では、大気を覆う濃密な灰によって、微かに天球に見えるだけ。
「周波数調整」
軍服とアンティークドールのドレスを混ぜたような衣装のニンギョウ、リーダーのエヴァ・グライナー(
ja0784)が号令をかける。
「私の声が聞こえる?」
埃っぽい空気の中、ざらざらと通信に雑音が混じる。
ニンギョウ兵士たちは、イエスの意味で、指を立てた。
オペレーターのユウ(
jb5639)が、壊れかけの体を起こして、作戦を提示する。
「ルート1、廃墟突入。最短距離で進めますが、敵情報が余りありません。待ち伏せの危険が高いと思われます。斥候もしくは先遣隊の派遣を提案します」
がりがりとユウの内部から、ずれた歯車の摩擦音が微かに聞こえてくる。
「ルート2、砂漠越え。瓦礫・砂礫を超えてゆくため、施設到着時刻は、蒼い月が天頂に来る頃と判断します。但し、無事に到着するためには、全員のメディカルチェックを並行で行い、定期的なメンテナンスの実施も必要と思われます。遅くても紅い月が昇るまでに到着できれば順調と言えるでしょう」
「ではルート2を選択するわ。敵のホームエリアで、数もわからないのに、相手にする気はないもの」
メンテナンスエンジニアの宇高 大智(
ja4262)が、エヴァの指示で、ひとりひとりの球体関節に、砂よけの布を巻いていく。
「この隊は、隠密するには人数が多すぎる。少人数での偵察は必要じゃないですかね。誰が犠牲になるか決めておいたほうがいいんじゃないですか」
気だるげに、そして皮肉げに、城里 千里(
jb6410)が呟いた。
「そうね。斥候や先遣隊は必要だわ。砂漠も見張られていないとは限らない」
エヴァはぐるりとニンギョウたちを見回し、その任を佐藤 としお(
ja2489)に委ねた。
としおは任務内容を復唱する。
「空気の様に隠密に行動し、敵に見つかる前にこちらが先に相手を見つける事、それから先は仲間に状況を伝え、戦況を有利にする事、それと仲間の援護だな」
「そうよ。お願いね」
「や、やめましょーよー、ひとりで斥候なんて危険ですよー」
レンタス(
jb5173)の言葉に、としおは背中を向けたまま、手を振った。
どこか、仲間を拒絶しているようなその背中に、レンタスは言うべき言葉を失う。
ゴツゴツと痛い砂混じりの風が吹く。
ジェラルド&ブラックパレード(
ja9284)の燕尾服の裾を大きくはためかせ、ジェガン・オットー(
jb5140)のマントを引きちぎらんばかりに、埃っぽい風が吹く。
砂が眼球をたたき、口の中にざりざりと侵入する。
ニンギョウ兵士たちは、風をものともせず、互いのネジをまく。
そして、砂漠方向へ、歩き出した。
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僕の胸には、パーツが足りない。
どんなにメンテナンスを繰り返しても、風がすかすかと通り抜ける。
<あの人>の気配がこの世界から消えたとき、僕の胸に隙間があいた。
理解できない。理解したくない。
<あの人>は、数多のニンギョウたちの中から、何故か僕を選んでくれた。
遠くから撃つ事しか出来ない僕を、いつもそばで庇ってくれて、いつも僕の体を気遣ってくれて。
<あの人>が傍にいるだけで、何故だろう、スペック以上の成果が出せた。
そんなとき、いつも笑顔で僕の体をメンテナンスしてくれた。
いつしか僕はその笑顔が見たくて戦っていた‥‥。
信じられない。
信じたくない。
僕は<あの人>を守れなかった。
守れなかったんだ‥‥。
としおは、風の吹き抜ける胸を押さえ、<索敵>に集中していた。
今のところ、敵の気配なし。
‥‥もし、僕が機能停止したら、この胸がすーすーする感覚は、なくなるのかな?
<あの人>と同じ所へ、行けるのかな?
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大気が灰に覆われた今、地表の温度は下がり続けている。
冷たい砂漠を歩き続けるニンギョウたち。
目的の施設まで、半分を過ぎた頃だろうか。
としおと回路をリンクさせていたユウが立ち止まった。
「佐藤さんの<索敵>レーダーに敵影あり。敵兵士2体、ともに3時方向、距離50m。戦闘体勢への移行、もしくは潜伏及び更なる迂回を、提案します」
「距離50mか‥‥そうね、ここは潜伏してやりすごし、迂回しましょう。今エネルギーを無駄に消費することはないわ」
まだ施設までの道のりは長い。大事な宝物である香水瓶を握り締めて、エヴァは決断した。
香らない香水瓶に、エヴァの顔が映り込む。
私には、どうして、感情回路があるのかしら。
仲間と共に大きめの瓦礫に身を隠し、風を避けながら、エヴァは自問する。
分かりあって、分かち合うために、ほかのニンギョウたちに働きかけてもみた。
しかし、誰にも、感情は芽生えなかった。
戦いで仲間のニンギョウが倒れるたびに、胸の奥がぎゅっと軋んだ。
表現すべき語彙をもたなかったけれど、でもそれは<痛み>に近かった。
痛みなんて、私には無いのに。
カラダに傷がついても、なんともないのに。
「ねえ、笑ってみせてよ」
メンテナンスを終え、関節に布を巻き直してくれている大智に、わがままを言ってみる。
ぼろいマントを頭からかぶった大智は、真っ直ぐな緑の瞳をエヴァに向けた。
「それは何だ?」
「‥‥笑い方を知らないのね」
あなたもか、エヴァは内心で呟いて、地面に目を落とした。
雑用を積極的にこなしつつ、レンタスが、意味がわからないという顔でエヴァを見る。
「リーダーには感情回路があるんですか」
千里が心底、面倒そうに呟いた。
(ニンギョウになってまで、すべきことに縛られるなんてアホらしい)
としおが斥候から戻り、皆と合流する。
大智にメンテナンスされているとしおを見て、ユウが更なる提案をした。
オペレーター能力で、近隣の地形から敵のとりうる行動を検証する。
「この先、施設までに、敵とぶつかる危険が高まります。斥候として、佐藤さんのほか、<索敵>レーダーをお持ちの城里さんを動員することを、提案します」
「そうね。ここからは慎重に進みたいわね」
「‥‥え、何?」
俺の出る幕ないんじゃないのー? 面倒いな‥‥。
千里は聞き返し、仕方がないなとため息をついた。
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ぎし、ぎし、砂を踏む音が、静寂をかき乱す。
ぎり、ぎり、ゼンマイのゆっくり回る音が、薄暗い空に消えていく。
研究施設が見えてきたところで、敵影が3体、<索敵>レーダーに引っかかった。
場所は施設入口付近。2体は見張り、1体は指令中継機ではないかと、ユウが推測する。
『リーダー、オーダーを。ここを突破しなければ、潤滑オイルは手に入りません』
執事のように恭しく、銀髪の青年――ジェラルドが膝をかがめた。
「わかったわ。敵を掃討し、施設に突入するわよ」
少し考え、エヴァが決断した。
「そ、そんな‥‥危ないですよー‥‥」
慎重派のレンタスが狼狽えるが、エヴァの瞳には強い光が点っていた。
「レンタス、あなたは何としても大智を守り抜きなさい。エンジニアの大智が破壊されたら、オイルが入手できても、私たちはおしまいなのだから」
『掃討戦を開始いたします。ordered acceptance‥‥operations start‥‥』
ジェラルドの目が赤く光り、長い銀髪が風になびく。冷たい印象が増す。
そのまま滑るように、敵の見張りニンギョウに接近し、ワイヤーでその首を落とす。続く動作でもう1体。
『ボクは、ニンゲンに最後に作られた最新鋭のニンギョウ兵士。旧式ごとき、相手になるわけがないでしょう?』
優雅に舞い、圧倒的に高性能なその戦闘能力を見せつける。
「仲間を呼ばれたり、アラート鳴らされたりは厄介なんでね、黙ってもらうよ」
千里は指令中継機と思しき個体を狙う。<専門知識>で急所を解析し、二丁銃で撃ち貫く。
ぱすーん!
どこかからビームが放たれた。ジェガンのカラダがよろめいた所へ第二射。
ジェガンは勢いで激しく転がり、パーツを破損し、中綿をまき散らして、沈黙した。
吹き飛ばされたパーツには、カチカチと回るゼンマイと歯車。
「ジェガンさん!」
大智が助けに行こうとして、ユウに止められる。レンタスも大智を庇って立つ。
「いけません、あなたを守り抜かなければ、私たちも終わってしまいます!」
としおがスナイパーライフルで、ジェガンを狙撃したものを狙う。
それは――施設そのものに内蔵された、侵入者排除システム。
「これを壊したら、この建物の扉が自動的に閉まる‥‥だから、大智さんを連れて先に行け、リーダー!」
としおの目には、戦闘の音に気づいた敵小隊が、廃墟方向から近づいて来るのが見えていた。
その<索敵>レーダー情報は、回線をリンクさせているユウにも伝わる。
ユウは、ぼろぼろのカラダを引きずって、ビームと銃弾の降り注ぐ中、エヴァと大智の背を押した。
レンタスも急いで続く。
4体が研究施設の入口をくぐろうかという時、つと、エヴァの大事にしていた宝物、香水瓶の蓋が落ちた。
飛沫が、としおの顔にかかる。
慌てて蓋を拾い直し、施設へ入り込んだエヴァが顔を上げると、侵入者排除システムがとしおによって撃ち抜かれ、今まさに非常扉が閉まっていくところだった。
この建物の外で、非常扉のすぐ向こうで、千里が、ジェラルドが、としおが、戦っている。
「あった!」
大智は、液状の潤滑オイルと、ゼリー状のグリースを探し当てていた。
「パーツも結構揃っている。これで当分の間、まともなメンテナンスが出来るな」
「でも、修理が必要なのは、外で戦っているみんなよ! 早く、誰かこの扉をあけて!」
エヴァはそう言って、扉をがんがんと叩いた。
非常扉はびくともしない。
「ねえ、いい案はないの、ユ――?」
――エヴァの声が滲んだ。
オペレーターは、その場で沈黙していた。
大智とエヴァを銃弾とビームから庇い、背中から大ダメージを受けていた。
カラカラと、噛み合わない歯車が、虚しくユウの体内で音を立てている。
「ここまで壊れていたら、直すのは難しいな」
ユウを点検し、基幹部分に故障を見つけ、大智は修理を諦めざるを得なかった。
『System down‥‥Can not be reboot‥‥』
非常扉の向こうから、ジェラルドの声が聞こえ、どさりと崩れ落ちる音がした。
「ここは絶対、通さない!」
としおのあがく声が聞こえた。
「食らいなよ、発煙筒も手榴弾も余ってるんでね」
千里の声が聞こえた。
「前時代のオーパーツには、どうやら興味はなさそうだけど」
戦場を共にした仲間と、非常扉一枚を隔てているだけなのに、こんなに胸がざわざわするのは何故?
戦況を知りたい。状況が見えない。
エヴァの胸の奥がきしきしして、痒い感じで、かきむしりたくなる。
「そうですねー、施設の中から、扉を開けられませんかー?」
レンタスが、あちこちのレバーやボタンをいじっている。
やがて、静かになった。動くものの気配はない。つまりその意味するところは、味方も‥‥。
うなだれるエヴァの横で、レンタスは、漸く、非常扉を手動で開けることに成功した。
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‥‥思い出したよ。エヴァさん――<あの人>の娘、僕の妹。
僕を大事にしてくれた<あの人>には、娘がいた。
でも、<あの人>の娘さん――エヴァさんは10歳で死んでしまった。
<あの人>は、娘にそっくりの、感情回路を埋め込んだニンギョウを作って、僕の「妹」にしたんだ。
だからかな、涙が頬を伝う感触がするよ。
わかっている。これは香水。ニンギョウのエヴァさんの大事にしている、瓶の中の液体。
それが僕の頬に飛んだだけのこと。
あぁ‥‥やっと胸のパーツが埋まったよ。
今度は同じニンゲンとして‥‥どこか、別の世界で、<あの人>やエヴァさんに、会えるかな‥‥会いたいな‥‥。
「どういうこと? どういうことなの? もしかして、私の<過去>を知っているの?」
がくがくと、としおを揺さぶりながら、エヴァは声を荒らげた。
「まだ沈黙しないで! リーダーの言うことに従いなさい! 聞きたいことがあるんだから、いっぱいあるんだからっ!」
エヴァは自身の中綿をえぐり出し、引きちぎり、としおの穴だらけのカラダに押し込んだ。
なんとか息を吹き返して欲しい。
大智の制止も振り切って、自身の中綿をちぎっては、としおに詰める。
蓋がずれて、漏れた香水が、瓶の外側を泣いているように濡らす。
嗅覚のないニンギョウたちには、香水の香りがわからない。
ゆえに、誰も気づかない。
ガタン、と音がした。
機能停止したはずのジェラルドが、一定の時間を経て自動修復し、立ち上がれるまでに回復したのだ。最新式のニンギョウ兵士だけあって、その優秀さは飛び抜けている。
ジェラルドは敵を探す。
沈黙し、転がっている敵のニンギョウ兵士を見つけては、破壊する。
破壊する。破壊する。破壊する。
優雅に、しかし容赦なく、ジェラルドひとりの戦いは続く。
「やめて! もうやめて!!」
エヴァの悲痛な叫び声に、ジェラルドは恭しく従い、振り上げた手をゆっくりと下ろし――
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――目が、覚めた。
ちゅんちゅん、スズメの声がする。爽やかな春風が、樹の枝をさやさやと揺らす。
カーテンを開けると、いつもの景色。
眩しい太陽と、爽やかな風と、あおあおとして鮮やかな緑の草木。
「おはよう」
「おはよー!」
挨拶を交わして、いつものように学園へ向かう。
「あれ?」
ふと足を止めて。
「何か永い夢を見ていたような――?」
空を見上げる。
直視できないほど輝いている太陽、とびきりの青い空に、微かな違和感を覚えながら。
「ま、いいか」
そこには、いつもと何も変わらない日常が、待っていた。