●ごめんね、赤ちゃん
「あの、せんせー‥‥ご相談が、ちょっと」
「はい?」
時はツアーの数日前。所は、冬休み直前の職員室。
星杜 焔(
ja5378)の問いかけに、笑顔で振り返るマリカせんせー(jz0034)。
視線が、星杜 藤花(
ja0292)の腕の中へ移動する。
抱かれていたのは、赤ちゃんだった。
「この子をツアーに連れて行きたいんですけれど‥‥」
「あらあら、ちょっと待ってくださいですー」
急いで、ツアー主催のホテルに問い合わせるせんせー。
「えーと、おむつは‥‥?」
「持参します。ゴミも、持ち帰ります」
藤花がおっとりと答える。
電話を切ったせんせーの顔が、どことなく、暗く翳っていた。
「ごめんなさいです‥‥おむつが取れていないと、ダメだそーですー」
「‥‥そうですか」
藤花が肩を落とす。がっかりムードが、職員室の一角に漂った。
マリカせんせーが精一杯、明るい声を出す。
「ど、どなたかに預けられそうですー? 必要なら、せんせーも一緒に、年末年始もあいている託児所を、探しますですー」
●一緒に行きたい!
「幾ら引率の先生がいても、小等部2年の子供二人だけで2年参りなんて行かせられません!」
礼野家、神谷家の合同家族会議が、紛糾していた。
随分長いこと話し込んで、やっと、結論が出た。
礼野 明日夢(
jb5590)は、礼野 智美(
ja3600)と一緒に。
神谷 愛莉(
jb5345)は、神谷 託人(
jb5589)と一緒に、ツアーに参加することになった。
やっとOKをもらえて、喜ぶ明日夢と愛莉。
智美がマリカせんせーに、電話で2人2組の参加の意思を伝える。
「‥‥別々の班だってさ」
「えっ‥‥そんなぁ‥‥」
「バスの定員の関係らしいな。まぁ、ツアーなんだから仕方ないだろう?」
絶句して俯く明日夢の様子に、思わず苦笑する智美。
「現地で、せめて2年参りくらいは合流できないか、聞いてやるよ」
●出発当日〜大晦日、午前10時
仁美 琥珀(
jb7162)は、ツアーが楽しみで楽しみで、朝5時から、集合場所であるバス停に待機していた。
「眠いなぁ‥‥でも、我慢、我慢。海が呼んでいるんだもん! 海、海、うーみー!!」
冷たい風がひゅうと通り抜ける。琥珀のマキシスカートが、バタバタと旗のように翻る。
久遠ヶ原島の海の香りとは、また、違うのだろうか。楽しみだなあ。
いっぱい泳ぐぞう!!
カシャ。ギィネシアヌ(
ja5565)のデジタルカメラが、ベンチで微睡みかけていた琥珀の顔をとらえた。
「ふっふっふ、寝顔はバッチリ、いただいたのぜぃ!」
「えっ」
琥珀がぱっちりした目で瞬く。バス停近くの時計を確認すると、もう9時を回っていた。
「大丈夫かや? 汝、唇が紫色じゃぞ?」
ギィネシアヌに手を振りつつ現れたヴィレア・イフレリア(
jb7618)が、琥珀の顔をのぞき込む。
人見知りをして、おどおどと琥珀は身を引いたが、その体は、芯まで冷え切っていた。
ニットの帽子・イヤーマフラー・セーター・手袋・マフラーを着込み、防寒対策万全の鈴代 征治(
ja1305)が、近くの自販機であたたかい珈琲を買って、琥珀に差し出した。
「どうぞ。少しは温まりますよ」
「あっ、有難うございます」
慌ててお礼を言い、琥珀は缶コーヒーをふうふう吹きながら、有難くいただいた。
礼野家2人組と神谷家2人組、アリス・シキ(jz0058)、星杜夫妻、そして引率の教師陣の順に、次々とバス停に到着する。
(わあ、おともだちもいっしょだ、うれしいな〜)
焔は「よろしくおねがいします〜」と皆に一礼した。藤花も頭を下げる。
ギィネシアヌと征治が、デジタルカメラで、ツアー出発の記念撮影を提案した。
思い出の最初の1ページが、次々と画像に収められていく。
征治の新しいデジタルカメラは、二眼レフ型で、「おおお〜! すげー! カッコイイな!」とギィネシアヌは興味を持った。
最新機能を色々と披露され、ギィネシアヌのテンションがぐーんと上昇する。
マイクロバスに荷物を積み込み、いざ、出発!
「きっと、どこかで合流できるよね」
愛莉とバスが分かれてしまい、残念そうに、でも一生懸命笑顔を作って、明日夢は手を振った。
バスの窓から、ガラス越しにも、いっぱいいっぱい、手を振った。
●マイクロバスの中〜往路にて
バスが走り始めて、どのくらい経っただろうか。
何故か、温かい梅昆布茶が紙コップで配られてきた。
「寒い中集まってくれて有難うです〜。楽しいツアーにしましょうです〜♪」
引率担当・マリカせんせーからの差し入れだった。事前に配布したパンフレットを、開く。
「礼野智美さんからのリクエストなのですけど、あちらの班と、2年参りは合流したいと思うのですー。まあ、時間と場所を合わせるだけなんですがー、皆さんどうですー?」
にこにこと、せんせーは座席を見回す。
やわらかな視線が明日夢に注がれていることに、皆、気づいた。
「そういうことですか。折角ですし、皆さんで楽しみましょうよ」
征治が微笑んだ。
「いいと思いますよ。私も賛成です〜」
先生相手なので、焔が丁寧な言葉遣いで応える。
「私も賛成です。やっぱり、一緒に行きたい人と、お参りしたいですから‥‥」
連れてこられなかった赤ちゃんのことを思いつつ、藤花が応えた。
(いつか絶対、3人で来ようね。今回は、新婚旅行と思って欲しいかな〜)
焔が藤花に囁く。
ギィネシアヌとヴィレアも、こくこくと頷く。
「うむ、汝も、其方のほうが楽しめそうじゃな。我は構わぬぞ」
「ヴィーちゃんの言うとおりなのぜ! こういうお祭りは楽しんでナンボだかんな!」
「わたくしも異論はございませんわ。どうぞですのよ」
アリスも微笑む。
「うー‥‥みー‥‥にへらぁ」
‥‥琥珀は、口の端をヨダレで光らせながら、幸せそうに爆睡していた。
「義弟のために、本当に有難うございます。‥‥そういうわけだ、アス。皆さんにお礼を」
「は、はいっ!」
智美に促され、感激で泣きそうになっていた明日夢は、ごそごそ座席を立ち、「ありがとうございますっ!!」とめいっぱい感謝を伝えた。
「に、2年参りは、エリと一緒だぁ、やったあ〜!」
明日夢はバンザイしそうになり、智美の視線の前で、ぐっと堪えた。
●お昼休憩〜午後1時
午後1時から1時間、まったり休憩である。運転手は食事後、20分ほど仮眠を取るらしい。
マリカせんせーは携帯を片手に、別のマイクロバスに乗っている引率の先生と、2年参り合流の打ち合わせをしていた。
色々なお店が並び、フードコートも完備されている、広い広い休憩所。
皆、マイクロバスの狭い座席でこわばった体をほぐしながら、思い思いに見て回っていた。
「何をいただきましょうか? あ、ここのパン屋さん、すごく良い匂いがしますね」
藤花は匂いに惹かれて立ち止まった。
「九穀ロールパン? へえ、変わったものがおいてあるね〜」
焔も興味を示す。
「生姜のメロンパンなんていうのもあるよ〜。焼きカレーパンも美味しそう。ここにしようか〜?」
宇宙規模の胃袋をもつ焔である。
パン屋の商品棚は、みるみる空になっていった。
さて、フードコートで夫妻がパンをもぐもぐしていると。
「ふふふのふー、仲睦まじくて何よりであるな! 一枚写真撮ろうか?」
ギィネシアヌがデジカメを構えていた。
「あ、ぎーちゃん。そうだね〜、お願いしちゃおうかな?」
ほにゃんと笑って、焔がピースをする。藤花がそっと寄り添う。
パシャリ、と仲良し夫妻の画像がデジカメに記録された。
中華飯店にて。
ラーメンと炒飯を食べ終わった征治は、いちご杏仁をつついているアリスを、微笑ましく見つめていた。
(アリスと過ごす二年参りも二回目。このツアーに参加できて本当に良かった。こうやって大晦日と新年を毎年迎えられたらどんなに幸せなことだろう)
また一つ恋が積み上がって、重みを増していく。
それは二人の未来へ続く道。幸せなゴールへのスタートを、もう歩き始めているってことなんだ――征治はそう考えていた。
「少し、違うと思いますわ」
征治がその考えを口にすると、アリスは微笑んでこう言った。
「‥‥幸せなゴール、ではございませんの。『幸せなスタート』だと思いますのよ」
その瞳には、バス停や車中でちょこちょこ見かけた、互いを優しくいたわりあう星杜夫妻の姿が、焼きついていた。
(空気は冷たいけれど、日差しがぽかぽかして気持ちいいなあ)
琥珀は先にバスへ戻り、とろとろと微睡んでいた。
(礼野さんたちと食べたフルーツピザ、美味しかったぁ)
●ホテル到着〜午後6時
マイクロバスは、ホテルというか民宿というか、ちょうどその中間くらいの印象の建物の前で、停まった。
従業員と女将――寧ろ経営家族?――が、入口に並んで、歓迎してくれる。
アットホームな雰囲気が伝わってきた。
部屋割りは、ヴィレア、ギィネシアヌ、琥珀、征治、アリスが、洋室シングルルーム。
星杜夫妻と礼野義姉弟は、それぞれ和室8畳間。
マリカせんせーは、和室6畳間であった。
鍵を渡され、めいめい、荷物を置きに行く。
(テっ、テレビが無いのぜ!!)
シングルルームに入った途端に、ギィネシアヌは驚愕に襲われた。
荷物を置く場所、浴衣の置いてあるコート掛け、シングルベッド、ソファ、書き物机、あとは窓があるだけ。部屋風呂もない。
窓を開けると、海が一望できるようだ。今はだいぶ暗くてよくわからないが、波の音が確かに聞こえている。
「うーみー!」
琥珀は海岸に走り寄った。潮の香りが全然違う。暗がりにイヤーマフラーと服を隠し、人魚の姿をあらわにして、飛び込んだ。
水の中は、外気温よりもあたたかい。泳ぎを存分に堪能して、透きとおった声で歌った。
「ん? ヴィーちゃん、何か聞こえないか?」
ヴィレアとお風呂へ行く相談をしていたギィネシアヌが、琥珀の歌声に気づいた。
「確かにのぅ。歌声‥‥かや? ここには露天もあるそうじゃし、そこで誰やら歌うておるのじゃろ」
智美は、明日夢の付き添いで、一緒に暗い港を散策していた。
ホテルに借りた懐中電灯で、足元を確認しながらゆっくり歩く。
「初日の出が綺麗に見える所を、探しておきたいのです」
「そりゃ、桟橋より自然の砂浜の方が風情あるだろう‥‥あ、防寒だけはしっかりしておけよ」
「はい」
年の割にはしっかりしている、と義弟のことを思う智美であるが、やっぱり心配には変わりない。
「そうだ。アス、2年参りだけど、和服着るか?」
「着たいですけど‥‥」
「そうか。じゃあ、俺が着付けしてやるよ」
「えっ? 姉さん出来るんですか?」
意外そうな義弟の声。
「一応礼野は、旧家だからな」
智美は苦笑した。
「お魚〜、お魚〜、お夕飯はお魚〜♪」
露天風呂にて、透き通った歌声が響き始める。
上機嫌の琥珀が海から戻り、男湯でバスタオルを肩からかけて、浸かっていた。
「楽しみ〜、楽しみ〜、るんるん♪」
気持ちよく鼻歌を歌っていると、内湯からの扉がガラリと開いた。
タオルで体を隠した男が、近づいてくる。
あっ! 私、魚尾を隠してない!
「きゃああ!」
「えっ」
咄嗟に湯に体を沈める琥珀。
狼狽する男性客。
ここは男湯。
琥珀は一見美少女。
胸はバスタオルで隠されて、見えない。
イコール。
「ご、ごめんなさぁぁぁい!!?」
男性客は慌てて内湯に逃げていった。
ここが男湯であることを、再確認する。
「あ、あれ??」
首をかしげていると、琥珀が、下半身にタオルを巻き忘れたまま、尾で器用にちょこちょこと走って、無人の脱衣所に去っていった。
「‥‥えっ、な、何‥‥えっ、あれえ?」
男性客が混乱して、脱衣所を見ると、謎の美少女はもう居なくなっていた。
●お夕飯だ!〜午後7時
湯あがりほこほこの藤花が、お風呂入口で、同じくほかほかの焔と合流する。
「どうかな? ゆっくり浸かれたみたいだね〜」
「はい。とても良いお湯でしたよ。バスでの疲れがすっかり取れました」
2人並んで、中食堂までの道を歩く。
「ご飯は、どんな海の幸を使っているのでしょうか。年越しそばは、どういう類のおそばなのでしょうか。やはりちょっと気になりますね‥‥」
「藤花ちゃん、お腹すいたのかな〜?」
「そ、そうではないのですよ? やはり焔さんの傍にいると、そういう料理などにも刺激を受けてしまうのです」
「そうだよね〜。俺も、ごはんの時間が楽しみだよ〜」
「お食事のご用意をさせていただきます」
女将(?)が挨拶をして、従業員がテーブルにご馳走を並べた。
「当ホテルでは、漁師さんから獲れたてのお魚をいただいて、調理しております。この季節ですと、太刀魚(たちうお)、甘鯛、金目鯛、ひらめ、かわはぎ、真鯛、ふぐ、ブリなどがご提供できます。ふぐは、免許をもつ、ふぐ船の漁師さんが捌いてから、処理いたしております」
従業員が『本日のお魚一覧』という紙を配って回る。
ほかの魚貝類――帆立、牡蠣、カニ、たこ等は、直送便で送られたものを調理しているそうだ。
「美味しそう‥‥」
琥珀がヨダレを垂らさんばかりに、お膳をガン見している。
料理をフレームにおさめる征治とギィネシアヌ。
征治は、建物や風景も抜かりなく、二眼レフ型デジカメに保存していた。
いただきまーす!
皆で挨拶して、お箸に手を伸ばす。
お刺身最高! 揚げたてのアツアツフライも美味しい。他にも、塩焼き、照り焼き、煮魚、これぞ魚づくし!
太刀魚の中骨を2度揚げして南蛮漬けにしたものなんて、ご飯が進んでとまらない。
牡蠣のレモンソースも、カニ汁も、大正海老の塩焼きも、帆立のバター焼きも、何もかもが美味い。
つまり。
宇宙規模の胃袋(焔)と、ブラックホール胃袋(マリカせんせー)が、その威力を存分に発揮してしまったのであった――。
●年越しそば〜午後11時
従業員に案内され、皆は別の部屋に通された。
夕食後に風呂と仮眠を済ませた明日夢が、まだ眠そうに目をこすっている。
ガラスで覆われた向こう側に、おそばの調理場が見えていた。
ホテルの従業員だろうか、慣れた手つきでおそばを打ち、四角い包丁でとんとんと切っていく。
おそばは一旦奥に引っ込み、茹でられ、かけそばとなってカウンターに並んだ。その様子も征治がカメラにおさめる。
「打ちたてのおそばなんですね。どんなお味なのでしょう」
藤花が、焔の分もいただいて、大切な旦那さまのもとへ戻った。
「やあ、美味しいね〜」
「本当ですね」
夫婦水入らずで、美味しくおそばをいただく。
(何で夕飯食べたのに、また食べるんだろう?)
素直にちるちるしながら、琥珀が首をかしげた。
「ほぉ。これはなかなか、美味いものじゃ」
ヴィレアが遠慮なくすすりながら、こくこくと頷いた。
「人間の人生で、初日の出を見られるのは、あと100回もないのぜ‥‥そう思うと、ちと感慨深いものなのだ」
おそばを食べ終え、ギィネシアヌがしみじみと呟く。「じゃろうのぅ」とヴィレアが頷いた。
「ではギィネよ、今日ばかりは、朝寝は我慢せんとのぅ」
「そこなんだよなー‥‥で、でも、正月は特別なのぜ、頑張って起きてるからなっ!」
そばを食べ終え、ヴィレアが食器を返して、ギィネシアヌの腕を取る。
「振袖を貸し出して貰うのじゃったな」
「お、おう。あんまり派手なのは苦手ゆえ、大人しめの雰囲気のものがいいのだが‥‥」
「良かろう、我に任せるが良いのじゃ」
●レンタル着物〜午後11時半頃
ヴィレアはレンタル着物を選び始めた。
「赤地に金糸で柄の入った物が良いかのぅ、多少派手な位が丁度良いのじゃ」
「も、もーちっと大人しくならねーかな?」
体に合わせながら、ギィネシアヌがそろーりと声をかける。
ヴィレアは「うむ、これが良いのぅ」と、自身の選んだ着物をギィネシアヌに預けた。
「シキさんシキさん、これなんて如何でしょう。素敵ですよ」
藤花は、迷うアリスに、レトロモダンなモノトーンの市松模様の小袖を勧めた。
「あっ、有難うございます」
「いえいえ」
微笑んで、自分には、比較的控えめな色柄の、ウールの小袖を選択する藤花。
「うーん‥‥焔さんには、これがいいでしょうか‥‥」
男子更衣室(和室)では、琥珀が、眠い瞼を持ち上げながら和服に着替えていた。
着付け自体は覚えていたので大丈夫だったが、あわせが女子の方向だとか和服自体が婦人ものだとか、色々と突っ込みどころは満載であった。
「細かいことは、気にしなーい!」
更衣室を出ると、男子更衣室にいるのが不自然なほど、バッチリ大和撫子に見えた。
和装にイヤーマフラーが若干浮いて見えるが、それも気にしない!
女子更衣室(和室)にて。
智美は、明日夢に袴を着せつけると、自らも紳士用袴を纏った。
「お、お客様。それは紳士ものですよ? それに、折角のお正月ですのに、振袖でなくて、よろしいのですか?」
従業員に驚かれてしまう。
「あ、すいません‥‥振袖は、着付けも出来るけど、行動がちょっと‥‥なので‥‥」
ヴィレアは着付けを済ませ、やっと、ひどいことになっているギィネシアヌに気がついた。
「む、ギィネよ、どうかし‥‥あぁ、着付けかや? うむうむ、我が手伝ってやろう!」
「うう、ぶきっちょですまぬのぜ‥‥」
「何、気にするでない」
たくさんの紐に絡まって動けない自称魔族は、最初から丁寧に着付けて貰うことになった。
「‥‥さ、これで出来上がりじゃ、後は何か羽織る物が無ければ流石に寒か‥‥」
「ひゃっはー!!!」
「あぁこれ待たぬか!?」
テンション上昇で、いきなり駆け出すギィネシアヌ(18歳)。
子供用の袴に儀礼服のコート、もふらの襟巻で、防寒対策を試みている明日夢の横を、するりと走り抜ける。
予想どおり、袖を踏んで、ずどーんとすっ転んだ。
思わず、その場にいた全員が、目を覆った。
駆け寄って助け起こし、藤花がギィネシアヌの乱れた和装を直す。
「はい、これでいいですよ」
ぽんぽんと帯を叩く。
「すまぬのぅ。まさか、飛び出していくとは思わなかったのじゃ」
ヴィレアがギィネシアヌの保護者のように見えた。
(着物姿のアリスは、精巧な日本人形みたいで、滅茶苦茶可愛いんだろうなあ)
女子更衣室前で、にこにこして待っていた征治の耳に、「ひゃっはー」と「ずどーん」が飛び込んできた。
(な、中で何が起きているんだ‥‥??)
●神社で2年参り〜午前0時
神社の参道は既に人でいっぱいだった。その行列に加わる。参道周辺には、縁起物を中心とした露店がずらりと並んでいた。
「カウントダウ〜ン!」
誰かが声を上げた。一斉に、声があがる。
「3!」
「2!」
「1!」
ボォー!! 船の汽笛が鳴り響いた。
「明けましておめでとうございます!!」
「おめでとうございます!」
参道に並びながら、皆で頭を下げ合う。
(良かったです‥‥人でぎっしりですね‥‥)
明日夢は、(これならエリも暴れないかも‥‥)と、期待していた。
「姉さんに着付けしてもらったの、どう?」
「うん、いいと思う♪ アシュすごく似合っているわよ」
(エリの和服って記憶になかったけど、いつもとはちょっと違って髪も結ってて、可愛いです‥‥)
思わずぼうっとする明日夢。
そんな2人を見守る、保護者2名。
「すいませんね、愛莉の所為で‥‥」
託人が智美に謝る。
「いや。家が祭る姫神様は寛容な方だし、姉上が言ったように元旦は姉上の奉納舞が中心、俺が舞う剣舞は2日だから。学園に戻ったらその足で帰省すれば何とか間に合うし。お前が心配する事じゃないさ」
すらっと智美は、詫びる託人の言葉を流した。
(お兄ちゃんを盗る敵とお兄ちゃんを、大晦日と元旦一緒にしないっていう、あたしの目的が‥‥)
ちょっとぶすっとして、託人を見上げる愛莉であった。
「は、初めて、口紅をつけてみましたの。おかしくございません?」
「とんでもない。アリスすっごく綺麗だよ。歩きにくくない? 大丈夫?」
足元に気を遣いながら、征治が恋人の手に手を添える。
人との接触を苦手とするアリスを、人波から守るために、自分の体を盾にする。
じりじりと行列が進み、前を行く星杜夫妻が鳥居をくぐった。
かがり火が明るく、境内を照らしている。
麹の生甘酒の振る舞いを頂いて、賽銭箱の前に並び。
お賽銭は、二重御縁の意味を込めて、二五円。
二礼二拍一礼。
(本当の平和が訪れますように‥‥いま、夢のように幸せです‥‥今度こそ、この幸せを守れますように)
焔は、心から、祈りを捧げていた。
2人はお守りや破魔矢をいただいてから、藤花が絵馬に、家族三人の健康と平穏な生活を祈って書き、奉納した。
「いつ見ても字がきれいだねえ‥‥」
奉納された絵馬を見て、焔が微笑む。
御神籤の結果は中吉であった。
「さあ、僕たちの番だよアリス」
征治がアリスの手を引く。
お参りして、お賽銭を投げて、ガラガラと鈴を鳴らして‥‥。
‥‥
‥‥
‥‥?
アリスは、うんうん祈っている征治を見つめた。
(新年は重体になりませんようにアリスが健康でいてくれますようにもっと仲良くなりたいあとそれにああもう願い事がいっぱいありすぎて選べないよ!)
「せ、征治? 後ろ、詰まってますのよ?」
「す、すみません!」
慌てて2人は脇へ退いた。
「さ、さ、さぶーっ!」
ギィネシアヌは、ヴィレアにくっついて、暖を取っていた。ヴィレアは自分の上着を半分脱いで、着せかけてあげる。
参道に並ぶ露店の数々に、ヴィレアは興味津々の様子だった。
「いやぁ‥‥テンションあがってる時は、寒いのにも気づかねぇもんだな!」
ごそごそとヴィレアの懐に潜り込み、ギィネシアヌは震える手でデジカメを握っていた。
お参りの作法は、適当に、見よう見真似でこなし、ヴィレアが賽銭を投げ入れる。
2人は手を合わせた。
(神頼みってのも、自称魔族の俺としてはちょっとアレなんだけど、俺以外のヴィーちゃんや友たちが怪我なく、健やかに過ごせますように)
(そうじゃな、ギィネや皆の無病息災でも願うとするかのぅ)
●自由時間〜午前1時頃から5時頃
2年参りはつつがなく終了した。
折角なので、建物や風景、人物をデジカメにおさめ、記念写真を撮りっこし、社務所で甘酒をいただき、露店を覗いて回った。
ホテルに戻ると、暖房の有難さが身にしみていた。
手も足も氷のように冷たい。
「この時間でも、お風呂、使えます?」
従業員に聞くと、OKとのことだった。
着物を返したあとで、皆、再びお湯に浸かりに行くことにした。
「あれ〜、仁美くん?」
唯一人、琥珀だけは、普段着に着替えたあとも、風呂場に向かわなかった。
廊下で呼び止めた焔に、にっこりと微笑む。
「‥‥海に、行ってきますね」
お風呂からあがると、体がほかほかして、自然と眠くなる。
「あら、もうおあがりになりましたの?」
征治が欠伸を噛み殺していると、待ち合わせていたアリスが女湯から出てきた。
「そっちの部屋に行ってもいいかな? ちょっと眠くてさ。初日の出を見逃したくないんだ」
きょとんとしているアリスに、畳みかける。
「どっちかの部屋で寝れば、寝過ごすこともないよね‥‥?」
スマホのアラームをセットし、ベッドに崩れ落ちる征治。
その頭をそっと自分の膝に乗せ直し、アリスは微笑んで「おやすみなさいませ」と囁いた。
「今年もよろしくね。アリス。大好きだよ」
眠っている征治の唇が、僅かに動いた。
●初日の出〜午前6時から8時頃
海辺に集まった皆は、東の空を見つめていた。
目の前に、神々しい光。赤い球体が、新たなる一年に、生まれ出ようとしている。そんな荘厳な雰囲気の中。
藤花は、焔の肩に寄りかかり、抱きとめられ、うとうとしながら染まりゆく空を眺めていた。
征治とアリスは言葉もなく見入っていた。
(ここに僕がいて、隣にアリスがいる。世界と二人は、また新しい年を迎えるんだ‥‥)
智美と明日夢は、明日夢が見つけたとっておきの場所から、初日の出を拝んでいた。
琥珀は、海岸から見えない部分で、初日の出を見つめていた。
「初日の出は堪能したし、ヴィーちゃんと朝風呂行くのぜ! さみーし、自称・蛇にはつらいのだ」
ホテルに戻り、颯爽と風呂場に向かうギィネシアヌ。ヴィレアが苦笑しながら後を追う。
「我が誘おうと思うておったのじゃが‥‥のぅ」
半身浴用の浅い風呂で、微睡んでヴィレアに寄りかかるギィネシアヌ。
「ギィネ?‥‥ふふ、仕方ないのぅ」
眠そうなギィネシアヌの様子に、無理には起こさず受け止め、暫しそのまま湯を楽しむヴィレアであった。
●さよなら、ホテル〜午前8時から10時
朝ごはんは、おせちと、お雑煮だった。
如何にもお正月という雰囲気で、皆、2年参りの様子や初日の出の美しさを語りあいながら、美味しくいただいた。
「海に行ってくるね〜っ」
琥珀は早々に食べ終えると、長いスカートを翻して単身、海へ向かった。
勿論、出発間際まで泳ぐつもりである。
皆が荷物をまとめ、ロビーに集めている最中に戻ってきて、慌てて自分の荷物を出す琥珀。
危うく、マイクロバスに乗り損ねるところだった。
従業員たちが手を振って見送ってくれる。
マイクロバスは、午前10時きっかりに、ホテルを後にした。
●そして、久遠ヶ原学園へ〜午後6時
往路でも使った休憩所でお昼をとり、順調に、学園へ向かうバス。
車内では、最後の写真撮影会や、談笑、眠いものはやすむなど、思い思いに皆過ごしていた。
「ああ‥‥神社、明るくなってから、改めて散策してみても良かったなあ」
征治がデジカメデータを確認しながら呟いた。
「古い神社みたいだったし、建物の造りとかも気になっていたんだよね」
ギィネシアヌと征治は、皆のメールアドレスを収集し、帰宅後に、全員に写真データを送ると約束した。
フェリーを経由し、学園前のバス停に到着した時には、すっかり暗くなっていた。
「危ないから気をつけて帰るのですー、それでは解散です〜」
荷物をバスから運び出し終えると、マリカせんせーが、全員揃っているか、及び、車内に忘れ物をしていないかを確認し、ツアーは終了となった。
(何だか、泳いでばっかりだったなあ。でも、楽しかった!)
琥珀が皆に一礼して、荷物を抱え、歩き出す。
ギィネシアヌとヴィレアは、「おやすみなー!」「またのぅ」と皆に手を振りながら、歩き出した。
「送っていくよ」
挨拶の後、征治はアリスの首に自分のマフラーを巻きつけ、荷物を抱えた。
智美と明日夢も、住んでいるマンションに向かった。
「早く帰ろうね〜。きっと赤ちゃんが待っているよ〜」
焔は、藤花に手を差しのべた。
誰もいない夜道で、2人仲良く、手をつなぐ。
●ただいま
赤ちゃんを無事に引き取り、いつものように寝かしつけ、焔は(この寝顔を守れるように、撃退士のお仕事も頑張らなくちゃね‥‥)としみじみ考えていた。
(今回は連れていけなかったけれど、いつか3人揃って旅行をしたいな〜。家族の思い出を、自然の匂いや眺めを、人々と触れ合える機会を、いっぱい、いっぱい、あげたいから。小さい頃の経験は、こころのどこかに残るものだから‥‥)
藤花がすうすうと、安らかに寝息を立てている。
大事な奥さんにそっと毛布をかけて、焔は、部屋の明かりを消した。
「今年もよろしくね、藤花ちゃん‥‥」