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確か、軽自動車を3台、借りる予定だった。
鈴代 征治(
ja1305)と、宇田川 千鶴(
ja1613)は、呆然とそれを見つめた。
「ん、何か不都合でもあるのかい?」
アリス・シキ(jz0058)の保護者である依頼斡旋所所長が、不思議そうに2人を見つめる。
「いえいえ、少々予想外だっただけですよ」
石田 神楽(
ja4485)がにこにこ微笑んだまま、所長に答えた。
キャンピングカー、だった。
3台とも、軽のキャンピングカー、だったのだ。
「広くて使いやすそうで、いいと思うわよ。色々準備してきたから、荷物ばっかりかさばっちゃって、皆が乗れないかもって心配しちゃったわ」
フローラ・シュトリエ(
jb1440)が、よいしょよいしょと荷物を運び込む。
テント3つに寝袋と毛布人数分。BBQセット。食材、飲料、食料、お菓子、おつまみ。
掃除道具。脱臭剤。サル対策用の動物忌避剤。殺虫剤。
洗面用具、タオルいっぱい、新聞紙、トイレットペーパー、ウェットティッシュ。
とらいごん(
jb7882)が調達した、人数分の懐中電灯、ランタン、ヘッドライト、電池の替え。
オハカマイリに必要な、お線香やバケツやタワシなど。
その他、書ききれないほどのこまごました荷物。
全てが車に整然と収納され、その上、運転手が交代で仮眠を取るだけのスペースも確保できた。
「すげー! すげー!」
花菱 彪臥(
ja4610)が、はしゃいで、車の中をごろごろと転げまわっている。
「へえ、机もあるんだな」
Sadik Adnan(
jb4005)も、珍しそうに車内を覗き込む。
「テントや寝袋は、この車があれば要らないような気もするが、そこは好きずきだしな。まあ、綺麗にして返してくれりゃいいさ。車は、ガソリン満タンにして返せよ?」
「こんなに色々揃えていただいて、その上、報酬もいただけるなんて、本当にいいんですか?」
所長に敬語で尋ねる、永連 紫遠(
ja2143)。所長はさっくり笑って手を振った。
「気にすんな。お嬢のためだから、な」
●
久遠ヶ原島からフェリーで本州に渡り、その後、何時間走っただろうか。
運転手を交代しながら、3台の軽キャンピングカーは走り続けた。
灰色のビル街を抜け、頭を垂れる稲穂で金色に輝く田圃を横目にし、山道へ入り、狭い峠道へ至る。
夜には、柘植村に到着し、食事と風呂と布団にありつき、車もガソリンを補充してもらう。
お墓に供える花も、ここで調達できた。
悪路にガタガタと揺れる車の中で、辞書を引きつつ、情報誌を読んでいたサディクが、車酔いをして、村人の手当てを受けていた。
そして。
「とうちゃくだぜー!」
途中途中、道を塞ぐ木切れや岩をどけていた彪臥が、遂に仕事を終え、額を拭った。
もう、目的の村には入っている。
木製の標識は、すっかり腐って読めなくなっていたが、周囲には確かに、かつて人の手が入った形跡があった。
時刻は昼前。征治、紫遠、とらいごんの予定していた通りだ。
事前に屋敷の位置を調べておいた神楽が、にこにこして、門らしき残骸をくぐり、車を駐める。
後続の車2台も続く。
かつては整えられていたと思しき庭園の跡地に、3台の軽キャンピングカーが並んだ。
車内から周囲を見回す。目に飛び込んでくるのは、森の緑と、空の青だけ。
「景色も空気も綺麗で、えぇ所やね」
千鶴は微笑んで、アリスに声をかけた。
「自然豊かなだけあって、確かに空気は綺麗ですね。今はこうした村も少ないでしょうに」
にこにこと神楽も頷き、長い運転で疲れた体をほぐした。
「窓を開けたり、外に出たりする前に、簡単にお昼をすませちゃいましょう。サルに狙われるのもあれだものね。飲み物も食べ物も、色々積み込んできているわよ」
フローラの提案で、キャンピングカーから降りる前に、車ごとに軽く食事を済ませる。
車外へ出て少し歩くと、森が茂り、木々に呑み込まれそうな、純和風の大きな建物が見えてきた。
遠くから近くから、ガサガサと葉ずれの音がする。噂どおりサルでも居るのだろうか。
もしかすると、昼食の匂いに誘われて、やってきたのかも知れない。
「‥‥」
改めて屋敷に近づき、アリスは声を失った。
‥‥こんなにお屋敷は、小さかっただろうか。
5歳の自分が見上げていた時は、もっともっと、途方もなく大きくて、広いと思っていたのに。
そして気づいた。
「あら?」
周囲を見回す。
サディクの姿が見当たらなかった。
「大丈夫だよ。柘植村でもあの子はふらふら出歩いていたし、でも、いつの間にか戻ってきていたからね。今回もちゃんと戻ってくるよ、大丈夫だって」
紫遠がアリスを勇気づけるように、明るく言った。
その頃、サディクは。
ヒリュウの「キュー」を使い、超音波でサル達を足止めして、強い視線で見つめていた。
『ボスを出しな。できなければ、居場所を教えろ』
サル達に舐められないよう、しかし、過剰には怯えられないよう、注意しながら睨み続ける。
『なに、ただ挨拶がしたいだけだ。無断でナワバリに入った以上は筋を通したいからな。あたしらは明日には出て行く、伝えたいのはそれだけだ』
どこまで通じたかはわからないが、とにかく、ありったけの念をこめて、サディクは真っ直ぐに、サル達を見つめ続けた。
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屋敷は、障子が破れ、木戸が割れ、建物自体もたわんでいた。ところどころ壁が崩れており、屋内が長期間、風雨にさらされていたようだ。広い広い和室も、畳が完全に駄目になっている。
「‥‥靴のまま、おあがりくださいませ」
惨状を見て、少々動揺した様子のアリスに、ぞろぞろと続く皆。
まるで湿った腐葉土を踏みしめているような感覚が、靴越しに伝わってきた。
「最初にお墓参りで、構いませんか?」
征治が全員に確認をとる。
「今回はこのお屋敷を拠点にするのよね。この様子だと、掃除を先にして、明るいうちにテントを設営したほうが良くないかしら?」
考え考え、フローラが提案する。
「オハカマイリは、そんなにお時間がかかりますの?」
かくりと小首を傾げて、アリスが尋ねた。
(え、お寺参りに行くのではなかったのでしょうか‥‥?)
とらいごんが、心の中で、おっとりと呟いた。
(皆さん、行かないのでしょうか‥‥折角来たのですし、お寺、見てみたいのですけれど‥‥)
色々と意見を出し合った結果、お墓参り優先ということで、結論が出た。
「そもそも、今回の任務はそれだもんね!」
そう言えばそうだ。紫遠の言葉に、皆、納得した。
小さな墓地は、屋敷の裏手、そう遠くないところに、ひっそりと存在していた。
「どれがお祖父さんのお墓か、わかる?」
放置された墓石は、どれもすっかり苔むしており、刻まれた文字もわからないほどだ。
卒塔婆らしき木片もとっくに腐っている。
アリスは目を閉じて、征治の問いに、首を横に振って答えた。
「お祖父さんのお名前はわかりますか?」
神楽が穏やかな声で尋ねた。
「はい。シキ・ウツセ、です」
その場にいた全員で、墓石の側面を調べることになった。
皆で効率よく手分けしたため、10分程度で作業は終了した。
周囲の雑草をとり、墓石をタワシで磨き、すっかり綺麗にしてから、墓前に花や米を供える征治。
(後は鈴代さんにお任せした方がえぇよな、やっぱり)
2人を気遣って、そっと距離を置く神楽と千鶴。
お邪魔かな、と不安になりつつ、墓前に残る紫遠。
好奇心が抑えられず、とうとう、ひとりでお寺に向かうとらいごん。
サルに襲われないかと警戒しているフローラ、襲われないことを確信しているサディク。
優しくて、厳しくて、思慮深かった祖父の思い出を語りだす、アリス。
(シキねーちゃんのじーちゃんは、スゲーやさしかったんだな。俺にも、じーちゃんって、いるのかな‥‥?)
ちょっとだけ、うらやましーなー。
そんなことを考えながら、おとなしく墓前に佇む彪臥。
お線香の香りが周囲を包んだ。
その時。
ぱぁん! ぱぁん!!
「!?」
皆が目を向けると、墓石に向かって、ふかぶかと頭を下げるアリスの姿。
「‥‥あのね、アリス。2礼2拍手1礼は、神社じゃないかな‥‥?」
「えっ」
苦笑を浮かべた征治に指摘され、真っ赤になるアリスであった。
「ふふっ。大事な思い出の場所があるって、えぇ事やね」
千鶴は神楽と共に、少し離れた位置から、微笑ましく皆を見つめていた。
「こうやって、亡くなってもちゃんと思い出してくれる人がおるのは、羨ましいね」
「そうですね。思い出す事が足枷になる人も居ますが、それでも誰かの中に残っている、という事ですからね」
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お墓参りが無事に済むと、拠点となった屋敷の探検が待っていた。
迷路のような屋内をさ迷いつつ、何とか、使えそうな部屋を探す。
あった。
まだ、時間の流れに侵食されきってはいない部屋。
見上げれば、太くて立派な梁。
昔話に出てきそうな大黒柱。
黒くてつやつやの、板ばりの床。
とらいごんの持ってきたランタンが、壁に取り付けられる。
日は若干傾いてきた頃か。
暗くなる前に、掃除とテント設営を済ませなければいけない。
「高いところの掃除は任せろ!」
小天使の翼を用いて、彪臥がほうきを振り回す。
あちこちにあった蜘蛛の巣が、残らず一掃された。
屋敷の掃除・簡単な修繕中。
紫遠は、地図上では存在しないはずの村を、歩き回っていた。
(かつては此処でも、子供達が駆け回ったりしたんだろうか。今その子たちはどうしているのかな)
つらつらと、そんなことを考えてしまう。
聞こえてくるのは、木々の葉ずれの音。鳥やサルの声。あとは、静寂。
久しぶりに静けさを全身で堪能し、紫遠は、掃除組の手伝いに戻った。
掃除をあらかた終えた彪臥も、廃村散策を楽しんでいた。
「お、家がすっげーボロボロ! しかも傾いてるぜっ。どんな人が住んでたんだろー。みんなどこ行っちゃったのかな?」
時の流れるまま、静かに朽ちていく廃屋。
それを見つけては、何かないかと覗き込んでみる。
「おーい」
誰かいないかと呼んでみても、気配もなければ、勿論返事などあるはずもなく。
‥‥彪臥は次第に飽きてしまった。
とらいごんは、ほくほくであった。
朽ちかけた寺を思う存分探索した結果、古い木彫りの像を見つけたのだ。
手にすっぽりおさまる大きさなのに、とても精巧で、緻密に彫られている。
(これは素敵な品物です。宝物にしましょう)
しまって置くなんて勿体無い。この精密な彫刻を、皆に見てもらいたい。
とらいごんは、屋敷に戻って最初に出会った千鶴に、見せびらかした。
「悪いことは言わんから‥‥元の場所に戻しや?」
じっくりと彫像を見て、千鶴がとらいごんに、微笑みを向けた。
ちょっとだけ、凄みがあるような、ないような、そんな笑みだった。
「あ、‥‥はい」
宗教的な知識や常識に疎いとらいごんは、千鶴に素直に従った。
●
掃除も修繕も終わり、BBQの準備が進められる。
BBQセットが広げられた。
炭が赤く色を変え、網の上の食材が良い匂いを立て始める。
「ごめんね。悪いけれど、人間の食べ物の味を覚えて欲しくないのよ」
フローラは動物忌避剤を用意し、周囲、特にサルへの警戒を怠らなかった。
しかし同時に、フローラの手は、ほどよく焼きあがった肉を箸でつまみあげ、たれをつけ。
もぐもぐもぐ。うん、美味しい!
「そうよ‥‥この美味しさは、サルに教えるには勿体無さすぎるわ‥‥はふはふ」
「千鶴さんは、私よりも運動量が多いのですから、たくさん食べないと駄目ですよ」
「大丈夫、ちゃんとつまんでるから、神楽さんも食べや」
神楽と千鶴は、仲良く役割を交代しながら、BBQを楽しんでいた。
野菜を中心に口に運ぶ神楽、もっと肉を食べさせようとする千鶴。
にこにこ笑顔の裏で密かに、熾烈な「食べなさい戦争」が勃発していた。
「あ、これもう食べごろ! すぐに固くなっちゃうから、早く食べて食べて!」
紫遠が、焼けた肉を、取り分け皿に盛り始める。
あちこちから、箸がのびた。
「ちゃんと食べてる?」
野菜と肉を交互に串に刺して、焼いて食べながら、アリスの心配をする征治。
「はい、いただいてございます。サディクさん、お手の届かないものがございましたら、お取りいたしますわ」
「ん、大丈夫。ありがと」
サディクは召喚獣と一緒に、口をもぐもぐ動かしていた。
皆のお腹が満足した頃には、日が暮れていた。
弱々しいランタンの明かりが、かえって闇を深く深く沈ませる。
ランタンをひとつ消すごとに、夜空に星が散りばめられていく。
「綺麗やねぇ」
「そうですね」
降るような星空を見上げる、千鶴と神楽。
「星座もわからないくらい、星がいっぱいです」
夜空に見とれる、とらいごん。
「なあ、シキ。『こじんをしのぶ』って、どういう感情なんだ? あたしにはわからねぇんだ」
率直に問われ、アリスはサディクに答えた。
「そうですわね‥‥そのかたを思い出して、懐かしさや感謝が色々と混じった感じ、ですかしら?」
「そっか」
サディクは、ぼんやりと、瞳を、空に向けた。
●
翌朝。
テントをたたみ、ゴミを片付け、使用した道具などを綺麗にして、皆は廃村をあとにした。
残してきたのは、墓前の花とお米とお線香だけ。
往路と同様、柘植村で朝食をいただき、休憩し、その後はひたすら車を走らせる。
「やっぱ、デコボコ道を走るのってたのしーな!」
がくんがくん揺れる車内で、彪臥がはしゃいでいた。
「ちょっとした遠足みたいだったね。こういうのもいいね」
征治は、時間に取り残されて、静かに朽ちていく村に、屋敷に、想いを馳せる。
――アリスを育ててくれた村に、お祖父さんに、有難うございます。
――これからは、僕が彼女を支えていきますから、空の上から見ていてください。
墓前で捧げた祈りを、胸の内で繰り返す。
何度も繰り返すうちに、それは祈りから決意へと変わってゆく。
「どうだった? 良い思い出になったかな?」
「はい。有難うございました!」
念願かなって笑顔を見せるアリスの様子に、征治はほっと息をつき、微笑した。
「オハカマイリはすごい儀式でしたの! お墓って、石‥‥ですわよね? でも、お祈りをいたしましたら、お祖父さまのお声が聞こえましたように思いますの、本当ですのよ」
峠道を抜け、田園風景が流れ去り、徐々に建物が増え、いつしか窓の外はビル街になる。
地図にない村にまたいつか集まって、あの星空を見よう。
記念写真を撮ることを失念するくらい、美しかったあの空を。
「ただいま」
久遠ヶ原島は、いつもどおり、静かに皆を受け入れた。