●大敵、それはバスの揺れ
格安ツアーというだけあって、10人乗りのマイクロバスがちんまりと待っていた。ツアコンはついていない。ツアコン代わりに、アリス・シキ(jz0058)が参加人数を確認し、運転手が皆の荷物をトランクに運び込む。少し離れた場所で、持ち込んだスポドリで酔い止め薬を服用している麻生 遊夜(
ja1838)の姿が見える。
運ちゃんに参加費を手渡しながら、宇田川 千鶴(
ja1613)と石田 神楽(
ja4485)が仲良くバスに乗り込む。続いて同様に、メイド姿の氷雨 静(
ja4221)、レグルス・グラウシード(
ja8064)、そして女性同士カップルな雰囲気の水鏡(
jb2485)と鴉女 絢(
jb2708)が乗り込む。遅れて遊夜も続いた。
真剣にツアー客リストを睨んでいたアリスが、その中に恋人の名を発見した時、聞きなれた声が聞こえた。
「肩」
宣言通り、ぽむ、とアリスの肩に手が置かれる。恋人の鈴代 征治(
ja1305)が笑顔で立っていた。運ちゃんに旅費を支払い、アリスをエスコートするように2人席に乗り込む。
「え、え、え、え」
赤くなって困惑するアリスに「頭」と事前に言ってから、よしよしする征治。
「ツアコンがいないんだね。手伝えることは言ってね?」
「は、はい。有難うございます」
自主制作して全員に配布した『ツアーの手引き』で思わず顔を隠すアリス。
「ふむふむ、恋人っぽく振舞うには参考になるな」
水鏡が絢と一緒に、思い切り、真後ろの席から2人を覗き込んでいた。
最初のうちこそ、バスの中は賑わったものの、徐々に会話が途切れていき、そして静かになった。神楽がスマフォで目的地などを検索し、前日まで大掃除をして疲れて眠ってしまった恋人の千鶴を優しく見守っている。
「いろいろ日本の年末のイベントをするんだね、楽しみだよ!‥‥あーあ。ここにふゆみが居たらなぁ‥‥」
レグルスがぽやんと窓の外を見つめている。恋人の新崎ふゆみ(
ja8965)は別のツアーに行っているらしい。仕方がなく、メールでお喋りをしていた。だが、揺れるバスの中では結構辛い。
「‥‥あー、やっぱ気ぃ張ってねぇとダメだな。依頼では平気なのぜ? すまんね、ちっと寝させてもらうぜよ」
遂に遊夜がギブアップし、アイマスクをつけて寝る態勢に入った。それまで遊夜と仲良く話していた征治も、網棚から毛布を下ろす。
「僕も寝ておこうかな。アリスは眠れる?」
「‥‥」
返事はなかった。アリスはカチコチに緊張して、ショートしていた。
とっぷりと日も落ち、バスが目的地の宿に到着した時、眠れた人以外は全員、車酔いでぐったりしていた。
●二年参り
宿となるホテル(結構ボロイ)に荷物を預けて、すぐ裏手にある里山の山道を登っていく。
その先にはお寺があり、おおよそ2〜3人×2組で1回ずつ、除夜の鐘がつけることになっていた。
山道とは言っても、撃退士には苦でもない、緩やかな勾配だ。さくさくと登り切る頃、除夜の鐘の始まりを告げる音が聞こえてきた。
除夜の鐘は、年が変わる前から、住職が儀式を行いつつ何度かつくことになっている。
鐘をつきに来た参拝客がずらりと行列になっていた。
先ずお寺への参拝を済ませ、大きな焚き火や篝火で温まりつつ、列に並ぶ。テントが幾つか並んでいて、甘酒、おでん、年越しそばのサービスを行っていた。勿論、先に鐘をつかなければいけない理由はないのだが、行列を見る限り、早めに並んでおかないと鐘をつかせて貰えなくなる心配があった。
「5!」
誰かが、カウントダウンを始めた。一斉に皆が時計や携帯を見つめる。唱和する声がどんどん増えていき、いつしか皆で声を張り上げていた。
「4!」
「3!」
「2!」
「1!」
「おめでとー!!」
「あけましておめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
誰かがクラッカーを鳴らしたようだ。爆竹の音も微かに聞こえてくる。
「あけましておめでとうございます」
「本年もよろしくね」
さあ、挨拶を交わしているうちに、いよいよ除夜の鐘が響き始めた。
「‥‥煩悩と一緒にこの吐き気も持ってってくんねぇかなぁ?」
まだ車酔いが残っていて、ふらふらしている遊夜である。結局バスの揺れに負けて、寝つけなかったらしい。征治とアリスが心配する中、応急手当の心得のある静がてきぱきと対処した。
「これで大丈夫でしょうか?」
「少し楽になったのぜ‥‥ありがとさんな」
遊夜に礼を言われ、静が慎ましく微笑んだ。
皆でたわいもないお喋りをしながら、列が進んでいくのを待つ。少し坂道を進むたびに、ゴーン、ゴーンと鳴る鐘の音が徐々に近づいてくる。
「へえ‥‥これを108回もつくの? 大変だね!」
「うーんでも、厳密に数えてはいなさそうだね! この行列だと、108回じゃおさまらないよ!」
レグルスの呟きに、絢が答える。
「除夜の鐘をつくのって初めてです。今年もよい年でありますように」
慎ましく並んでいる静。絢は確りと水鏡と手を繋いで、珍しそうに順番を待っていた。順番待ちの間に使い捨てカメラで、あっちこっちを記念撮影!
そして気づいた。征治とアリスの手が、一緒に征治のコートのポケットに収まっていることに。
「ははあ‥‥」
千鶴と水鏡が意味ありげに微笑んだ。
思いの外ずっしりと大きい鐘、そして抱えるのも大変そうな太い〆縄を目の当たりにして、皆、徐々に興奮してきた。
「出来るだけ大きい音を立てるんだ、ふゆみに届くように!」
レグルスが張り切る。
除夜の鐘をつくのは意外と容易ではない。住職の指示に従い、勢いをつけるために何度か鐘つき棒を後ろへ揺らして、丁度いいタイミングで鐘にぶつけないと、ゴーンといい音が鳴らないのだ。皆で協力しあい、「せーのっ」の合図でゴーンと鐘をつく。
空気が震え、清浄な気持ちが音と共に流れてきた。皆、思わず手を合わせる。
「さあて、おでんでも食べるとするかねぇ。卵もらうぜぃ」
すっかり調子の良くなった遊夜が、おでんのテントに向かった。続いてお蕎麦も頂く。
何となく皆、サービスの飲食物を手に、自然に焚き火の前に集まっていた。
「ん、温まるねぇ‥‥そういや何で年越しに蕎麦なんだっけか?」
「蕎麦は、長く伸ばして細く切って作るので、“細く長く”ということから『健康長寿』『家運長命』などの縁起をかついで食べるようになったという説がありますよ。他の麺類よりも切れやすいことから『旧年の一年分の災厄を断ち切る』という意味もあるようですが、他にも諸説ありますね」
遊夜の言葉に解説しながら、自身も「これぞ日本の大晦日‥‥は過ぎちゃいましたけどね」と蕎麦をすする征治。隣でアリスは千鶴と神楽と一緒に、甘酒をゆっくり味わっていた。
更に隣では、水鏡が絢におでんを「あーん」で食べさせてあげていた。
さて、鐘の音で身も心も清めた一行は、寺にもう一度参拝していくことにした。
お守りやおみくじがないかと探してみた神楽だが、それらしきものは見当たらなかった。
(新年もよい年でありますように)
静がそっと手を合わせる。
(俺の願いは沙耶さんの幸せのみ‥‥!)
遊夜が真剣な面持ちで手を合わせた。脳裏に、恋人である樋渡・沙耶(
ja0770)の笑顔(想像図)が浮かんだ。
(今年も、ふゆみと一緒に、いろんなことができたらいいな)
レグルスも手を合わせる。
(友人達の安全と、新年も神楽さんと一緒にいられますように)
手を合わせた千鶴が、横で拝んでいる神楽をつついた。
「何お願いしたん?」
その問いに「私の願いですか? 主に世界平和を。おまけにちょっとした事を」と答える神楽。
「世界平和ってまたでかいな‥‥神楽さんらしいわぁ」
敢えて自分のお祈りには触れず、千鶴は微笑みを浮かべた。
(もう一つの願いは、千鶴さんがこの先も無事、生き残れますように‥‥だけど、これは黙っておきましょう)
(アリスと幸せな一年が過ごせますように)
征治も真剣に手を合わせていた。隣でアリスが何か祈っている。
「アリスは何をお願いしたのかな?」
微笑んで尋ねてみると、恋人からも少しはにかんだ微笑みが返ってきた。
「黙秘致しますのー」
「えー。それはないよ」
「では、機会がございましたら、お話致しますわね」
征治に答えたアリスの瞳が、少しだけ、遠かった。
●宿へチェックイン
「水鏡ちゃんとツイン部屋〜♪」
絢は楽しそうに荷物を運び込んでいた。
「初日の出が、午前5時半より少し前、か。教えて貰った見晴台までの道程を考えても、5時間は余るな‥‥」
水鏡が『ツアーの手引き』を読んで、考え込んだ。
「どうする? 今のうちに寝ておくか?」
「そだねー。お風呂は初日の出を見た後がいいらしいね。初日の出見物はすっごく冷えるんだって」
『ツアーの手引き』を読みながら、絢は寝間着――ストライプの下着にYシャツのみに着替えていた。
「この格好は信頼の証だからね、水鏡ちゃん!」
絢の言葉にクスリと笑って頷く水鏡。
「ボクも寝ようかな。一緒の布団に入って、今日楽しんだことを話して盛り上がりたいな」
「まだまだこれからだよっ。初日の出に露天風呂に初詣にお土産店めぐり! たっくさんあるんだから!」
それでも、除夜の鐘の感想を言い合ううちに、絢がとろとろと寝てしまった。
水鏡はそっと布団を整え、絢の無防備な寝顔をこっそりデジタルカメラで撮った。
「神楽さんとツイン部屋希望や」
千鶴は神楽と共に鍵をもらって去っていった。
「中学生は健全に大部屋なんだよ!」
カウンターでレグルスがホテル側と交渉をしていた。
「私は個室でお願いします」
「あ、僕も‥‥」
個室希望者は、静と征治と遊夜とアリスで、大部屋を希望しているのはレグルスだけだった。
「‥‥わかったよ。僕も個室でいいや」
最終的にはレグルスが折れる形となり、それぞれに鍵が配られた。
ツイン部屋では、神楽がお茶を煎れ、千鶴と2人で飲みながら、除夜の鐘の感想を言い合っていた。しかし、移動疲れもあったのか、2人きりになってリラックスした途端に、千鶴の瞼が重くなっていった。
「‥‥ん、そろそろ限界ですか?」
眠そうな千鶴を見て苦笑しつつ、神楽はベッドへ誘導し、そのまま寝かしつけた。
「おやすみなさい。良い夢を。4時間したら起こしますからね。初日の出を見損ねては大変ですから」
「ん、おやすみ‥‥」
千鶴は眠りに落ちる際、幸せそうに相手に微笑み、素直な返答が、やがて、すうすうと安らかな寝息に変わって、聞こえ始めた。
遊夜は軽くひとっ風呂浴びて、瓶の珈琲牛乳を飲んでいた。勿論、腰に手をあてて。
「うむうむ、良い風呂であるのぜよ。男衆で一緒にまた風呂に入るだろうが、まあ何度入っても良い感じであるな。さて、初日の出見物まで、仮眠するとしますかねぇ」
「4時間か‥‥仮眠をとっておかないと。初日の出まで時間があるなあ‥‥なんだろう、興奮しているのかな? 寝つけないなあ」
日の出前は気温がぐっと下がる。よって、皆で露天風呂に行くのは初日の出を見た後にしようと決まっていた。征治はベッドから天井を眺めて、スマフォを取り出した。メールをぽちぽちと打つ。
『そっちに行ってもいい?』
扉が開いた瞬間ドキっとした。征治は間違えて妖精の部屋に入ったのかと思った。
「どうぞお入りになって。すぐにお茶を煎れますわ」
「あ、いや、アリスこそ座っていてよ。ツアコン代行大変だったでしょう? きっと緊張と疲れでぐったりしていると思ってさ」
「有難うございます。大丈夫ですのよ?」
微笑む恋人をもう一度そっと見る。ガウンを羽織ったネグリジェ姿が、やはり子供向けの絵本に出てくる妖精を連想させた。因みに色気も露出もない普通のネグリジェである、念のため。
2人でベッドに並んで腰掛け、お茶を飲みながら、暫くとりとめのない話をした。
「で、お寺では何をお願いしたの?」
「‥‥征治と、皆様と、母だった人――ナディアさんの幸せを、お祈り致しましたわ」
アリスは遠くを見ていた。幽閉状態から解放され、学園の学食で働けるようになり、外の世界を知った実母は、いい相手を見つけて結婚してしまった。その際に、子供が居ると邪魔だから、という理由で、アリスは縁を切られていた。二度と会うことも許されない、他人になった。
征治にはかける言葉が見つからなかった。だから、そっと手を繋いだ。真っ直ぐに見つめた。
「僕は、アリスをもっと幸せにしたい。もっと、ずっと、笑顔が絶えないくらいに」
「‥‥はい。有難うございます。わたくしも同じ気持ちですの。征治を幸せにしたいのです」
2人はやさしい想いを伝え合った。
恋人同士の甘い時間が流れ、現実は夢の世界となり、時計の針が止まった。
――気づいた時、征治はアリスに揺さぶられていた。
「征治、征治。もうじきアラームが鳴りますの」
急に目が覚めて、思い返した。「少し寝ててもいいよ。側にいてあげるから」とカーテンを閉め、眠りに落ちていく恋人に布団をかけてあげて、手を繋いでずっと見守っていたこと。寝顔がすごく綺麗だなと思っているうちに、自分もいつの間にか寝落ちていたこと。薄らぐ意識の中で、予定より1時間早くアラームをセットしたこと。
アリスの言葉通り、すぐにアラームが鳴り始めた。急いでスイッチをオフにする。
「じゃあ、初日の出を見に行こうね。すんごく冷えると思うから、温かい格好でね」
征治は妖精の部屋から慌てて自室へと駆け戻った。
●初日の出見物
見晴台まではさほどの距離ではなかった。
皆、しっかりと着込み、カイロもバッチリ貼って、暗がりを歩いていた。一番後ろを、神楽&千鶴ペアが歩いている。
「さ、寒い‥‥」
レグルスが歯をカタカタ言わせていた。「カイロ要りますでしょうか?」と静が差し出す。
見晴台には、複数の人々が既にカメラをセットして待機していた。
白い息がそのまま直ぐに凍ってしまいそうに、寒い。
とにかく、寒い。
寒さの中で待つ時間がこんなに長く感じられるものだとは、誰も想像していなかった。
やがて、空が白んできて、星々が姿を消していく。
もう少し、もう少しと思うが、やはり‥‥寒い。
水鏡が絢を後ろから優しく抱いてあげる。「あったか〜い」と絢も抱きつき返した。
待望の一瞬が訪れた。
カメラが一斉に真っ赤な光を捉える。千鶴と神楽も撮影に加わった。千鶴はデジカメで初日の出を写真に収め、その場で神楽に見せた。神楽は、「A HAPPY NEW YEAR!」という文面を添えて、知り合い数名に初日の出の写真を即送信した。
千鶴の撮った写真を見て、「綺麗に撮れていますね」と褒めるのも忘れない神楽である。
「初日の出も見るのは初めてです。綺麗‥‥」
「やっぱ見とかないと、一年が始まった気がしねぇやな」
静と遊夜が、赤い光の膨らんでいく様をじっと見つめていた。
(これからの一年が僕とアリスにとって素敵なものでありますように)
征治は知らず知らず、初日の出を拝んでいた。
●露天風呂でキャッキャウフフ
ガチガチに冷え切った体で、一行は宿に戻った。
この宿には、男女別の露天風呂が備えられている。男衆、女衆に分かれ、それぞれ風呂へと向かった。
まずは内湯で身体を洗う。男湯でも女湯でも、互いに背中の流しっこが始まっていた。
女湯にて。
「皆様、素晴らしいスタイルでいらっしゃいます‥‥」
静が恥ずかしそうにタオルで体を隠す。そして長い髪をピンでまとめてシャワーキャップに収めようと苦戦しているアリスを見つけ、「触れてもよろしいですか?」と断り、メイドの性癖で思わず手伝ってしまう。
そして、お互いに、気づいた。
「あら?」
「はい?」
「‥‥失礼ですが、あの、‥‥」
言いたいことは伝わった。アリスは顔を赤らめて「60AAなんですの」と囁いた。
「私は65AAなんです。私たち、仲良くなれそうですね」
ここに、つるぺた同盟が発足した‥‥ように思えたが。
「あ、でも身長が‥‥」
「大丈夫ですの。わたくし、彼氏さんにアドヴァイスを頂きまして、毎日牛乳と小魚を頂いて、運動を――水泳なのですが、出来る範囲で常にしておりますの。1年で7センチほど伸びましたわ。氷雨さんもきっとまだ伸びますのよ」
アリスの言葉に、静は少し希望を抱いた。
(B〜Cくらいって普通、なのかなぁ?)
絢は、つるぺた同盟と、水鏡の見事なEカップの胸を見比べた。
むぎゅ、と水鏡を後ろから抱きしめる。
「ねえねえ、大きくなる秘訣ってあるの?」
「ふっふっふ‥‥」
水鏡は、体を洗い始めるために、もこもこに泡立てたボディスポンジを絢に向けた。
「鶏肉をよく食べて、胸筋を鍛えて、マッサージするといいかもな。という訳で‥‥絢はそのままストップだ。今から背中どころか、全身洗ってあげよう!」
クスっと笑って、みるみる絢を泡だらけにしていく水鏡。
「ついでに胸もマッサージだっ」
「わ、わ、ちょっと!? ひゃー!!」
絢は抵抗ついでに千鶴に抱きつき、助けを求めるも、水鏡に捕まってしまい、暴れ、最終的にはすっ転んで動かなくなり、好き放題洗われることとなった。
「‥‥‥」
「‥‥‥」
「はい、泡を流して綺麗綺麗っと♪」
つるぺた同盟が硬直して見守る中、水鏡は丁寧に絢の体を覆っていた泡を流していた。
「あそこまではやらんから、氷雨さん、シキさん、お背中流しましょか?」
千鶴がちょっと引きつった笑顔で、ボディスポンジを手に近づいてくる。
「わ、わ、わたくし自分で出来ますのっ。遠慮いたしますわ」
怖くなったのか、アリスが固辞した。
「では私、お願いいたします」
静が千鶴に背を向ける。肌を傷めないようにそっと洗ってざーっと泡を流す。それだけなのだが、アリスには十分恐怖を与えたようであった。
(人様に触れられるのってやっぱり怖いですのー!!)
男湯にて。
さしたるトラブルもハプニングもなく、内湯で背中を流し合い、露天風呂に浸かっていた。
「何だか女湯が騒がしいであるな」
遊夜が頭にタオルをのせて、のんびりと寛いでいた。
「ああ、生き返ります〜」
「で、みなさんどうなんですか?」
髪をしっかりシャワーキャップで保護して寛ぐ神楽に、ざっくりと征治が話しかける。
「どうって?」
「いやまあ‥‥あれとかこれとか」
その問いに、神楽は大人っぽく微笑んだだけであった。
レグルスが答えて、恋人との熱い関係を語り始める。とはいえ中等部らしい、初々しい感じの話が多かった。
「そっちこそどうなんです」
征治は神楽に逆襲された。
再び女湯にて。
「露天風呂だあ〜」
立ち直りも早く、絢がざぱーんと飛び込む。
「男湯とは竹垣で分けられてはるのね。話し声が筒抜けやわ」
千鶴がまさか覗いたり出来ないだろうか、と安全確認をしてから、湯に浸かる。
皆で湯に浸かり、ほわーんと寛ぐ。
「ところで‥‥氷雨さん? お相手さんはどんな方やの?」
最近出来たと噂になっている恋人について、尋ねる千鶴。
お湯の所為だけではなく、動揺で顔を赤くし、はにかみながら答える静。
「と、とってもお優しい方なのです。頼りになって包容力もあって‥‥少しヤキモチ焼きですが、私には勿体無いくらいです。大好きなのですが自信がなくて‥‥宇田川様も石田様とお付き合いなされておられるのですよね? 長く上手にお付き合いするコツなどあるのでしょうか?」
「せやねえ‥‥うちらもまだ長くはないけど‥‥気が合うからかな。2人に合った秘訣を一緒に探っていくんも楽しいと思うで?」
「恋人とは普段どんなことをしてるのかな? ボクは恋人というものをよく知らないから、色々と勉強になると思ってね」
水鏡から今度は質問が飛ぶ。
静は真っ赤になって俯いた。
「じゃあ、シキさんは?」
「わわ、わたくしですの!? いえあの特には何もっ、お、お茶をご一緒したりですとかっ」
「そー言えばシキちゃん、彼氏さんのポケットに手を入れていたよね? あれって中で手を繋いでいるんだよねー?」
「はわわわ‥‥」
絢に追及されまくるアリス。静が真剣そのものっ!、といった風体で聴いている。
「じゃあキスはもう? まだ?」
「‥‥‥はうぅぅぅ、か、勘弁して下さいませっ」
じりじりと下がっていき、竹垣付近まで後退するアリス。
「ええね、シキさんの惚気話なんかも聞かせて頂ければ」
「の、のろ‥‥!?」
千鶴までがアリスを弄り始めた。
「そ、そう仰る宇田川さんはどうなんですのっ」
「さあてねえ?」
微笑んでさらりと躱す千鶴。
「は、はうぅ〜。わ、わたくし先にあがりますの〜」
「だーめ! 答えるまでは逃がさないぞー!」
絢が入口の方へ移動した。
「そ、そ、そんな‥‥」
もう一度言っておくが、会話は男湯に筒抜けである。
「うむ。爆破目標であるな」
まだ恋人と碌に手も繋げないでいる遊夜がこくこくと頷いた。
「えー、可愛い彼女さんを自慢したい、見せびらかしたいって、おかしいですか?」
「爆破目標だね」
「そうですね」
念押ししておくが、会話は女湯にも筒抜けである。
「はうっ!?」
聞こえてきた男衆の会話に固まり、アリスは露天風呂からの脱出を試みた。
「ゆ、湯あたりしてしまいますの。通して下さいませ」
絢に懇願して、何とか脱衣所へ向かう。
「私たちもそろそろあがりましょうか」
静が空気を読んで、自身も湯船を出た。
男女が合流し、瓶入りの珈琲牛乳を(お約束として)味わう。
初日の出見物で冷え切っていた体は、ほこほこに温まっていた。
●お宿で着付け、そして初詣にお店めぐり!
格安ホテルなだけあって、朝食は大したものではなかった。
だが、着付け師の腕前はなかなかのものであった。
千鶴は、持参した白い着物に濃色の帯を着つけてもらうことにしていた。華奢な体躯で着崩れしないよう、長襦袢の下にたくさんのタオルを詰め込まれ、胸を平坦にし、襟足も適度にあけ、なかなかしっかりとした仕上がりとなった。帯もバッチリである。仕上げに、ショートの白銀の髪に和風コサージュをあしらわれた。控えめな扇の柄と帯と、よく合っている。着付け師のセンスは絶妙であった。ほんのりと化粧をした姿が控えめな色気を感じさせた。
「いいですね。素敵ですよ、千鶴さん」
恋人に合わせて紺色の袴に濃色の羽織を纏った神楽と合流して、2人で仲良く出かけていった。
そして、縁結び神社の華やかさに、2人の腰が引けた。
「おや、大盛況」
神楽が遠くから見つめて、感想をぽつりと漏らす。
「ま‥‥今更私らには必要ないか」
千鶴も頷いた。2人はそそくさと神社を離れ、土産店が並ぶ大通りへと足を運んだ。
神楽は、学業成就のお守りを購入し、一つは自分、一つは千鶴にとプレゼントする。
「おおきに」
千鶴は大切そうにお守りを受け取った。
「‥‥彼らに、買って行きましょうか、これ」
神楽は、ふと目に付いた鰹出汁を手に取った。
「‥‥鰹出汁‥‥」
本気で購入するか悩む千鶴。そんな恋人を見て、神楽は迷うのをやめた。
「有難うございました〜」
レジの店員がぺこりとお辞儀をする。
鰹出汁が入った紙袋が、神楽の手からぶら下がっていた。
遊夜は、可愛い恋人と連絡を取り合い、振袖で来ると聞いて、黒紋付羽織袴の着用を決めていた。眼鏡も綺麗にしてもらい、髪も和装に合うように整えてもらい、かっこよくキメる。
恋人である沙耶は、超・過保護な親とともに、たまたま近くに来ており、親の目をかいくぐって初詣に一緒に行くとのことであった。ゆえに一緒にいられる時間は少ない。
いざ出陣! デジタルカメラを持ち、人ごみでごった返す中から待ち合わせ場所の沙耶を探す。見つけた。遠くからすかさず、デジカメでズームしてパシャリ。
デジカメをしまって、駆け寄り、新年の挨拶を交わす。
「おー、この振袖が言ってた奴かね? これまた可愛いねぇ」
恥ずかしそうに俯いている可愛い恋人にうんうん頷いて、一緒に神社で参拝を済ませる。
「元日から一緒に歩けるたぁ、今年は幸先がいいやな。俺ぁ宿で着付けてもらったんやけど、どうよ? かっこよくねぇ?」
「似合って、います。でも、写真は、許さない‥‥恥ずかしいから‥‥」
折角だから2人の晴れ着姿を写真におさめたい。そんな遊夜の希望は打ち砕かれた。
「ま、まだ時間は大丈夫かね? ちっとその辺ぶらぶらしようぜ、このまま分かれんのはさすがに寂しいしな」
「でも‥‥親が‥‥」
沙耶は携帯を気にしていた。
「まだお呼び出しはかかってねぇんだな? それじゃま、お呼び出しが来るまでは、エスコートさせて頂きまするよ‥‥お姫様。つっても、どこに何があるか知らねぇンだけど」
楽しげにクスクス笑いながら、沙耶をエスコートする遊夜。パンフレットをもらい、何処に行こうか考え始めたところで、沙耶の携帯が鳴った。
振袖のシンデレラの魔法の時間がとけていった。
(沙耶さん‥‥)
見送るしか出来ない自分が悲しかった。
「樹様も近くにいらっしゃっていたのですね。その‥‥縁結び神社があるそうですので、ご一緒しませんか?」
静は最近出来たと噂の恋人、龍仙 樹(
jb0212)と待ち合わせて、新年の挨拶を交わし、共に縁結び神社に初詣に出かけていた。
参拝を終えると、どちらからともなく手を取って、裏手の鎮守の森へ足を踏み入れる。少しずつ喧騒が遠のいていく。やがて、人気が絶えた。
「本年も‥‥どうかよろしくお願い致します」
そっと唇を重ね合う2人。はにかんで一旦離れた静を再度強く抱き締め、もう一度やさしく唇を重ねる樹。
「‥‥大好きです、静さん‥‥こちらこそ、宜しくお願いします」
鎮守の森から雑踏に戻り、2人は神社の縁起物店を見て回った。静が選んだのは可愛い蛇のキーホルダーである。
「‥‥お揃いでございますね」
はにかみつつも嬉しそうに、2人で同じものを買う。
「ええ‥‥二人一緒です、ね」
樹も少し照れくさそうに微笑んだ。
ふゆみが元気よく走ってくる。レグルスと手をつなぎ合い、新年の挨拶を交わす。
「だーりん会いたかったよ!」
「僕もだよ!」
時間が無いということで、2人は早速お土産店を見て回った。
「えーと、大学部にいる実の兄と、このあいだ入った『不良中年部』の顧問にお土産をと思っているんだよね。これ、何だか知らないけどおもしろいね! たしか来年のエト、ってのがヘビなんだよね、これにするよ!」
迷わずに『指ハブ(かみつきへび)』を購入するレグルス。
「ん〜、やっぱりお土産は温泉まんじゅうかな〜」
ふゆみは母親と妹弟に定番菓子を買っていく。
「あ、そろそろ時間だ! じゃーね、だーりん!」
名残惜しそうに後ずさりして、そしてくるりと向きを変え、去っていくふゆみ。
(やっぱり、最初から最後まで一緒に居たかったな‥‥)
後ろ姿を見送るのが切ないレグルスであった。
折角だから、と水鏡も浅葱色の着物を着つけて貰っていた。胸が大きいので、若干苦労する。
「ほう、和装ブラというのがあるのだね。折角の胸を潰すのは惜しいけれど、そういう服なのだね」
しゃん、と帯を絞められ、着心地に幾ばくかの不満を訴える。
「な、なかなか苦しいのだが‥‥」
「あ、足さばきは、膝をこするように、つま先から膝までの部分だけで歩いて下さいね。でないと着崩れしてきますから」
すり足について教える着付け師。「こ、こうか?」と水鏡はやってみる。気を抜くとさかさか歩いてしまいそうだ。人間界に通じている絢のほうが、着物を見事に着こなしていた。
2人で仲良く手を繋ぎ、らぶらぶしながら神社に向かう。参拝後、水鏡と絢は一緒に縁結びのお守りを買った。
「ここここれは別に好きな相手がいるとかじゃなくて‥‥えっと‥‥そう! 水鏡ちゃんとの縁結びのやつだよ! らぶらぶだよ!」
絢が何故慌てているのか、水鏡には分からなかった。
続いておみくじを引く。
「こい大吉! 私の引きを見せてやる!」
『中吉』
気合を入れて引いたおみくじの結果に、絢はがっくりした。
「この『大吉』というのはなんだ?」
絢が狙っていた結果を、水鏡が引き当てていた。
●そして帰路へ
帰りのバスの中はとても静かだった。
征治の網棚には、果物の詰め合わせが乗っている。アリスのバイト先の所長へのお土産だそうだ。皆、寝ていた。とてもよく寝ていた。遊夜も、車酔いに悩まされる余裕もなく寝落ちていた。皆の静かな寝息だけがバスの中に響いていた。
全てのひとにとって、今年一年が良き年でありますように。