●燃えるマリカの体内宇宙
おかしい。
麺だけで20キロは茹でたはずだ。
まるで蕎麦打ちに使うような巨大な特注の器には、既に麺の残骸はほとんど見当たらず、マリカ先生(jz0034)は蓮華で美味しそうにスープをすくって飲んでいた。
(ああいうのって私全然食べられないから、見ているだけで胃が重くなる‥‥)
天谷悠里(
ja0115)が気持ち悪そうに口元を押さえる。
このままでは完食されてしまう。
何か、何かいい知恵はないものか。
「そ、そうだっ。トッピングを追加しましょう、サービスですっ」
後半、心なしか、声が裏返って聞こえたような気もするが、とにかく楯清十郎(
ja2990)は、追加野菜を刻み始める。
「このネフィリム鋼製の中華包丁なら全力の調理にも(スパッ)ま、まな板がぁぁ!」
何処かで誰かが、今ピンチ。
そこへ通りがかったのが、柴犬プリントのエプロンを着用した、ラーメンに命をかける少女、道明寺 詩愛(
ja3388)である。
「何なに、うん? マリカ先生にチャレンジメニューを完食されそうで困っているのですか。これも何かの縁ですかね? ちょっと手伝っていきましょう」
「‥‥有難い」
水無瀬 快晴(
jb0745)が、ラーメンと言えばこの人、な助っ人の出現に、胸中で期待を膨らませる。
そしてマリカ先生の前に、6つの小箱を置いた。
「こちらは全無料トッピングとなっていますので、気軽にラーメンに乗せてお召し上がり下さい」
「味に飽きがちな大食いに挑戦中の人へのサービスでございます」
悠里も補足して、深々と頭を下げる。
煮玉子。
コーン。
(増えるタイプの)ワカメ。
メンマ。
キムチ。
餅。
「ありがとうなのですー」
マリカ先生は遠慮も何もない様子で、トッピングの箱を傾け、どんどん中身を器に投入する。
「あ、バターと海苔とほうれん草も欲しいのですー」
「マリカ先生の胃へ消えてゆく食材さん達へ敬礼‥‥まさに胃袋が宇宙です」
ゴクリ。その食べっぷりに、息を呑むカーディス=キャットフィールド(
ja7927)。
「しかしですね、うーん、マリカ先生にも楽しんでいただけてうれしいのですが、何事もほどほどに‥‥食材もただでは無いのです‥‥コストがかかりすぎてしまいます。そ、それにしても本当に一般人なのですか? あれは」
包帯ぐるぐるに松葉杖という出で立ちのカーディスだが、信じがたいものを見つめる目で、細っこい女性教師を見つめる。
もう既に「あれ」呼ばわりである。
隙を見て厨房に集まり、皆で作戦会議を立てる。
諸伏翡翠(
ja5463)がさりげなく、カーディスのために椅子を用意した。
腰を下ろすのも大変そうな様子なので、すっと自然に手を貸す。
「有難うございます」
痛そうな表情を押し殺し、カーディスは翡翠に微笑んだ。
「まず、リタイアして頂くのは目的ではありますが、満足感を得て円満にギブアップして頂きませんと、当店の評判を下げてしまう可能性がありますね」
「‥‥そこだよな。どうやって、円満にギブアップさせるか‥‥」
清十郎の言葉に続き、快晴が悩み込む。
「すみませーん、お手洗いを借りるのですー」
能天気な甲高い声が、客席から聞こえてきた。
キュピーン!
アウルの閃きが脳裏を走る一同。
考えてみれば、ここに至るまで先生は、幾度となくお手洗いに立っている。
「今のうちにお冷を取り替えましょう! 利尿作用の強い、ジャスミンティがオススメです!」
詩愛が提案した。てきぱきと、自身の店にいるかのように指示を出す。
「スープも変えましょう。醤油→とんこつ→味噌味→デスソースという風に、徐々に味を濃くしていくのです! 何、つけ麺などではスープ変えは、普通にあることです」
「そしてジャスミンティをいっぱい飲ませて、お腹を膨らませるのね!」
悠里が確認する。
こくこく。
いい作戦だ。
皆、そう思った。
「あとは‥‥そう、先生の様子を見ていて、思ったことがあるのです」
あの先生は、恐らく、先輩教員に弱い。
「いらっしゃいませ」と迎えた清十郎と悠里は、店の前をうろうろしながら、マリカ先生がキョロキョロしていたことに気づいていた。
廊下はそこそこ人がいて、学生だらけだったのに、そこは気にする様子がなかったのだ。
となれば、教員か職員がいないか、確かめていたのであろう。
しかも、マリカ先生は、去年入ったばかりの新米だ。マリカ先生にとっては、殆どの先生が「先輩」になる。
「‥‥探しに行ってまいります」
カーディスがよろよろと立ち上がった。翡翠が支える。
互いにスマフォの番号を交換し、ハンズフリーで話せるように仕組んでおく。
「怪我が酷いのだから、無理をしないでくださいね」
翡翠と共に、カーディスはそうっと出店を抜け出した。
折り良く、お手洗いから出てくるマリカ先生。
ハンカチで手を拭きながら席に戻る。
「あら? スープが変わっているのですー?」
「‥‥お味そのものを変えるサービスをしているので、利用して色々な味を楽しみませんか?」
「スペシャルメニューの特別サービス、スープ交換でございます。替え玉もご用意いたしましたので、是非ともご賞味ください。先程は醤油味をお召し上がりいただきましたが、今回はとんこつベースとなっております」
快晴と、どことなく引きつった笑顔の悠里が、接客する。見ているだけでお腹が気持ち悪いが、ここは我慢のしどころである。
「有難うですー」
にっこり笑顔で、マリカ先生はトッピングを容赦なく全種類かけて食べ始めた。
詩愛が営業スマイルで増えるワカメをプッシュする。
「ワカメもたっぷりどうぞー。ビタミンやミネラル豊富で、美容にいいんですよ」
「はーい、遠慮なく食べているのですー」
スープに浸かり、もさもさと増えるそばから、ワカメがマリカ先生の口の中へ消えていく。
何なのだこの人は。
一般人という名の新人類か!?
清十郎は、そばに控えて、マリカ先生の食事の様子をじ〜〜〜っと見つめていた。
(人は、特に女性は、ご飯を食べてるところを見られたくないという心理が働くはずっ! そこを意図せず突けば‥‥)
「ん?」
ちゅるんと麺をすすり込み、マリカ先生は上機嫌で清十郎に気づいた。
「あ、すみません。僕は簡単な手伝いをしただけですが、一応自分が手がけた料理を、こんなに美味しそうに食べてくれる姿が嬉しくてつい、見てしまって‥‥」
「あらあら、それはよかったのですー。見てのとおり、本当に美味しいのですー」
こちらの胸に突き刺さるような、邪気のない、心からの笑顔。
全っ然、先生は清十郎の視線を気にしていなかったのだ。(むしろ歓迎?)
清十郎は心の中で、「オーマイガッ!」と叫んだ。
「‥‥ご飯ものは如何ですか? 無料ライスや無料チャーハンのサービスもありますが」
快晴がぼそりと言う。マリカ先生は花が咲くような笑みを浮かべて、目をキラキラさせた。
「本当なのですー? お任せしちゃうのですー!」
「ち‥‥ちょっと厨房を使わせてくださいね。チャーハンよりお腹にたまるものを作りますから」
何とも言えない表情を浮かべ、詩愛は厨房に戻った。
チャーシューを賽の目に切り、フライパンで醤油と砂糖で甘辛く炒め、普通サイズの丼に山盛りの白米の上にドサっと乗せて、ネギと刻み海苔を散らした。フライパンに水・醤油・砂糖を足し、軽く煮詰め、丼にとろりとかける。
「さあどうぞ。サービスのチャーシュー丼です♪ それからジャスミンティもおかわりどうぞー。口がスッキリしますし、美容にもいいんですよ!」
「あらあら、嬉しいのですー。ジャスミンティはせんせーも好きなのですー。知ってるですー? ジャスミンティは、茉莉花茶とも言うのですー。親近感なのですー♪」
マリカ先生、にっこにこである。
チャーシュー丼は、5分後には空になっていた。
「次のスープと替え玉、お願いするのですー。あ、チャーシュー丼は、あれでもう終わりなのですー? 美味しかったので、出来ればおかわりしたいのですー」
何たることか。
先生の方から催促がくるとは。
このままでは、食材が尽きて、出店自体がリタイアしてしまう。
危機感が店全体を覆っていた。
●挑戦者の天敵を探しだせ!
「メーデー、メーデー。チャレンジャー・ミスエムは、詩愛さんのチャーシュー丼を3杯完食、今は味噌ラーメンがピンチを迎えておりますっ! 麺の残量は、急いで買い付けに行ってあと10キロ確保、他のお客様にお出しする分が無くなりつつあります。ギャラリーは学生のみで、皆さま、入店するどころか、口やお腹を押さえて去ってしまっている始末。ターゲットの確保はまだでしょうかっ?! お怪我をされているところ、すみませんが、出来るだけ急いでください、オーヴァーッ」
清十郎からの、引きつった声が、スマフォから聞こえてきた。
「ラジャー、現在中央出店街。ターゲット確保のため鋭意努力します、オーヴァー」
とはいえ、カーディスは重体の身。
包帯ぐるぐる巻きの上に松葉杖をついて、人ごみを歩くのは大変辛い。
松葉杖に体重がかかって、動くたびに脇の下が痛い。
マンモス校らしく、どこもかしこも、学生である。
教員もいるらしいが、探そうとしてみるとなかなか見つからない。
ましてここは、服装自由な校風である。何人かあたってみたものの、大学部の学生であった。
かなり歩き回ったところで、カーディスは力尽きて倒れ込んだ。付き添っていた翡翠が慌てて左手(彼女の利き手)を出す。その手に触れて、カーディスは遠くを見つめた。
「ぐふっ‥‥私の力はこれまでみたいです‥‥私の屍を‥‥越えて‥‥行け‥‥がくりっ」
「そ、そんなっ!! 私を置いていくつもりですか!」
真剣に涙ぐみ、カーディスの手を握り締める翡翠。
ぐう〜。
カーディスの腹から、胃腸の動く、いい音がした。
――彼を苛んでいたのは、「状態異常:ハラペーコ」であった。
何とか近くのベンチにカーディスを誘導すると、翡翠は近くの出店で惣菜パンと飲み物を購入した。包帯ぐるぐるで、自力で食べることもかなわないカーディスに、惣菜パンをちぎって食べさせる。
「はい‥‥口を開けて‥‥」
一応、介助しているだけではあるのだが、翡翠としては、ちょっと恥ずかしい。
「すみませんねえ、あーん」
カーディスは、食事を済ませると、途端に元気を取り戻した。
「さて、ミッションに戻りますか。傷が癒えたら、今度は私があーんで食べさせてさしあげますからね」
その言葉に、翡翠は真っ赤になった。
30分後。
怪我だらけの体をおして、教職員を探すのは思うよりも大変なことだった。
ぐったりとベンチに倒れこみ、カーディスはスマフォに語りかけた。
「アロアロー、ターゲット発見できず。第2作戦を実行します。オーヴァー?」
●その秘策とは
「ラジャー。こちらはもうお店の食材が尽きようとしています。窓の辺りを歩き回ってください、オーヴァー」
清十郎は奥でスマフォに語りかけると、情報源をメールとして、店員同士で噂話を開始した。
「へえ、 学園長が屋台通りを制覇しに来てらっしゃるんですか。ここにも顔を出して下さるといいですねえ」
快晴がぼそりと、しかし客席に聞こえるように、第2作戦敢行に乗った。
「‥‥アノ先生がどうも、売り子を撮影して回っているらしい」
今まで至福を噛み締めていたマリカ先生の表情が、あら、という感じに、変わった。
さっと振り向く。
廊下をはさんだ窓の向こうには。
‥‥包帯ぐるぐるで松葉杖をついた、学園長らしき人物が、チラっとだけ見えた。
(失敗しましたぁぁぁ!! 変えられるのは肉体だけで、衣装などは別に調達する必要があるんでしたぁぁぁ! つまり、つまりですね、私のこの包帯まみれの松葉杖姿は、カヴァー出来ないのでしたー!!)
オーマイガッ!!
カーディスは第2作戦の失敗を確信した。
だが、鬼道忍軍でない者が、他人の所持スキルに精通している訳はなく。
清十郎から、たくさんの「見かけましたねー」リクエストが飛んできていた。
いわく、筋肉だるまのアノ先生が今、通り過ぎましたねー
いわく、子供みたいな外見のアノ先生を、このあたりで見かけましたねぇー
(清十郎さん、む、無茶ぶりが過ぎますよー!!)
どうあがいても、服装、包帯、松葉杖は変えられない。
「無理ですよっ」
カーディスは天を仰いだ。
駄菓子菓子。
「えー、そんなに先生たちが、近くまで来ているのですー?」
噂が耳に入った段階で、マリカ先生の手が止まっていた。
「はい☆」
引きつっているのがばれないよう、悠里が微笑んでみせた。
先生の顔色が変わる。
「さ‥‥さっさと完食して、トンズラするのですー!」
まだ食べる気だった。
「とりあえずお手洗いを借りるのですー」
もう何十回目になるのか、お手洗いに旅立つマリカ先生。
その隙に麺をかさ増しして、スープにデスソースを思い切りぶち込んだ。
ジャスミンティもおかわりをなみなみと注ぐ。
「もう、本当に食材がないですよ‥‥」
「あれだけ食べてあの体型‥‥人体の神秘ですね」
泣きが入る清十郎と、考え込む詩愛。
「もしかしたら、私たち、根本的なところで、作戦を間違えたのかもしれませんね‥‥?」
●そして、終焉が訪れる
「ご馳走様なのですー!」
デスソースもこれといった効き目はなく、店内の食材を全て食い尽くして、マリカ先生は、満面の笑顔でカラッポになった器を掲げた。
「完食したから、タダでいいはず、なのですー。これで買い食いもできるのですー!」
え、出店でまだ食べる気ですか、マリカ先生!?
「‥‥色々と疲れたよ」
快晴がぼそりと感想を漏らす。
「くっ‥‥ラーメン職人を目指す私が完敗するとは、思わなかったです‥‥」
悔しそうにエプロンを噛む詩愛。
すごすごと出ていき、マリカ先生に、丁寧に挨拶する。
「私は自分のお店に戻りますね。よかったら食べに来てください‥‥何か起こるかもしれませんけど。ご当地ラーメン巡りの出店をやっておりますので」
「はいですー♪ 食べに行っちゃうのですー♪」
マリカ先生はにっこりして、立ち上がった。
お腹がぽこんと膨れているかと思いきや、細っこい体型は変わっていなかった‥‥。
「‥‥『一般人』の認識を改めた方がいいかしら?」
翡翠が心の中で呟く。
(ま、満足してくれたのは何よりだけど、あれだけ食べてもまだ入るんだ‥‥な、何すればよかったんだろ‥‥)
悠里が愕然と先生を見つめる。
「‥‥先生をギブアップさせたお店って、あるのか?」
快晴がマリカ先生に、興味を持ち、尋ねてみる。
「あるですよー?」
マリカ先生は、しらっと答えた。
「食べている間は席を立っちゃいけない、っていうところは、せんせー駄目なのですー。途中で何度かお手洗いに行けないと駄目なのですー」
そこか。
皆、がくりと崩折れた。