●事前準備
全員に無線機が配布され、イトウビル内の見取り図、及び周辺地図が公開された。
また、伊藤ハジメ氏と、取り巻きの8人の元撃退士の顔写真が警察より提供された。
行方不明とされている人質5人の写真も、同時に入手する。
警察と綿密に打ち合わせを行い、そして――突入の時間がやってくる。
●午前11:00
ビル内の一般企業と伊藤側に内通の可能性があれば事前連絡を控えるべき、と姫路 ほむら(
ja5415)が提案した。だが、警察の事前調査ではそのような疑いはなかったため、鈴代 征治(
ja1305)の提案により、イトウビル内の無関係企業の電話が一斉に鳴った。電話は警察から直接かけられ「これより許可が出るまで、オフィスを出ないこと」を通達するものであった。
当の征治は4基のエレベーターを1階に集め、ものを挟み込んでドアを閉まらなくしていた。
カルム・カーセス(
ja0429)は伊藤のオフィスへ向かって非常階段を駆け上がる。
字見 与一(
ja6541)、ファング・クラウド(
ja7828)、御影 旭(
ja8029)は非常階段から屋上を目指す。
ハーヴェスター(
ja8295)は光纏し(外観は変わらなかったが)、遁甲の術+壁走りでビルの壁面を登り屋上へ移動する。
警察の許可を得て、イトウビルより40m離れたビルの屋上から、「スナイプゴーグル」及び「スナイパーライフルMX27」を装備した十八 九十七(
ja4233)が、ハーヴェスターの動向を見守る。
ほむらは一階のエレベーター付近で、ターゲットがヘリを使わずに1階から脱出を試みた際の足止めとなるべく、待機した。
同時刻、警察部隊がビルに突入を開始した。
●午前11:10
1階をほむらに任せ、征治は非常階段から屋上を目指して駆け上がる。
続いて、どやどやと警察部隊が階段を登っていった。撃退士と違って一般人で構成されている警察部隊は(鍛えられているとは言え)遅い。階段の狭さもあり、屋上まで階段を登りきるのには、たっぷり30分はかかるのではないかと想定された。
カルムが伊藤のオフィスに到着する。
オフィスはもぬけのからで、荒本だけが残っていた。
(荒本のヤローに会ったらぶっ飛ばしてやるつもりだったが‥‥ちょいと気が削がれちまったか)
内心で呟き、すっと荒本に向き合うカルム。
「別に戻って来いなんて言うつもりはねえし、戦えとも言わねえ。生き抜く事も、逃げ続ける事も、それはそれで戦いだ。どこまで行ってもな」
荒本は反応しない。
「‥‥けどな、テメーらなら今の俺たちよりも多くのものが救える事、テメーらみたいな思いをする人間を少なく出来るって事、それだけは覚えときな」
「なん‥‥だと」
初めて荒本が口を開いた。
「愛娘どころか園児たちを1人残らず救えなかった俺に、何が出来る?」
「そいつぁ自分で考えな」
カルムは突き放すように言い放ち、そして偉そうな口調で続けた。
「少なくとも、人質さんのご家族は悲しんでいるだろうな。それから、真面目にコツコツ働いていながら、大企業が傾いていく所為で手取り収入がどんどん減っていく労働者も辛い立場だろう。元凶は――言わずとも、わかるだろう、な?」
カルムはオフィスを去り、屋上を目指す。「待て、どういう意味だ」と荒本があとを追ってきた。
屋上へ乗り込もうとした、与一、ファング、旭の前には、7人の元撃退士――と思しき、少年少女たち――が立ちはだかっていた。
場所は非常階段内。戦うにしても、1対1でしか向き合えない狭さ。
屋上に彼らが集結しているのは、九十七からの無線報告でわかっていた。
こそこそと隠密状態で探っていたハーヴェスターだが、見通しの良い屋上ではすぐに見つかると踏み、元撃退士たちの後ろに回った。
階段内部では挟撃状態となるも、屋上に散らばった元撃退士に囲まれてしまっている状態である。
無線機から、淡々とした九十七の声が聞こえた。
「こちらの用意は整っているのですよ、ええ、はい。いつでも狙撃可能ですの、ええ」
「攻撃の意思はありません。落ち着いて、少しばかり話をしましょうか」
与一が武器をおろして、対峙している元撃退士に、話しかけた。ゆっくりとかき分けるようにして、階段から屋上へ。ハーヴェスターを囲んでいる取り巻き元撃退士たちに、穏やかに話しかけた。
「あなたがたは、天魔によって酷い目に遭わされたと聞きました。その時の気持ちを覚えていますか? 仮に、『方舟』を造って、天魔から逃げ続ける生活を送ったとして。それで天魔がこの世界から退くわけではありません。あなたがたが行動を続ければ続けるだけ、天魔の撃退は遅れる。連中は何処かで人を襲い、また惨劇は起こされる。あなたの味わった苦しみを、他の誰かが味わうことになる‥‥。大切な人を護りたい気持ち、分からないではありません。ですが本当に、本当に護りたいと思うのなら。あなたの力は、こんなことに使うべきではありません」
「そうだな。どうして、こんな真似をする」
旭が声を張り上げた。
「本当に大切な人達を、その生活を守りたいなら、その為に誰かを踏み躙ってはいけない!! 貴方とて、その人達にとってかけがえのない人間であるはずだ。貴方がたの今の行為を望まないだろう。貴方がたがすべきなのは、大切な人の傍で、共に生き、守る事ではないのか? その人達に重い十字架を背負わせる事にもなる。それに海上とて危険だ。偽りの安全の為に、貴方の大切な人を傷付けないで欲しい」
「天魔に大切なものを奪われただと、だからどうした!! オレも恋人を殺された!! だからどうした‥‥貴様らとてわかるだろう、兄弟にも均しい部隊の‥‥部隊の皆が、惨殺される様を!! そこで怯えるな! 諦めるな!! 諦めは人を殺す。諦めを拒絶した時、人間は人道を踏破する権利をもつ『人』になる‥‥お前らは何だ、犬か、人か、化物か?」
挑発するように、ファングも荒々しい口調で説得に混じる。恐らく過去のつらい記憶を思い起こしたのだろう。かなり感情が昂っているように見えた。
「大切な人なんて、パパ以外には、もういないわ」
元撃退士のひとり――可憐な少女に見える1人が呟いた。
「私たちはパパの言いつけで、人を食い物にして、暴利を貪っているにも関わらず、誰にも罰せられることのない大手企業を、ちょっと痛めつけてあげているだけ」
「一部のお金持ちだけが安全ないい暮らしをしているなんて、ずるいとは思わないんだ?」
「伊藤さんは、私たちのパパなの。だからパパのいいつけは守るのよ」
外見年齢と挙動が幼いだけだ、というのは、事前の説明で理解している、はずだった。天魔事件で心にダメージを負い、子供返りしてしまった7人の元撃退士たち。
撃退士は肉体能力においては、一般人を凌駕する。しかし、心や頭脳、知性は‥‥変わらない。
寧ろ、脆弱なものすら、居るかもしれない。
ここに、その典型が揃っていた。
伊藤ハジメが甘い言葉で取り込んだ、元撃退士たちが。
彼らには、伊藤ハジメが絶対であり――そして、唯一の心の支えであるようだった。
では、肝心の伊藤は、今どこにいるのであろうか?
●午前11:20
ほむらが、元撃退士が全員屋上にいると旭から無線で聞き、非常階段をかけあがる。
ほぼ同時に、征治、カルム、そして荒本が屋上にたどり着く。
「おにーちゃんっ」
荒本に、無邪気に抱きつく元撃退士の少女(に見える者)。
「本当はもう分かっているんじゃないですか? 失ったものはどんなに泣いても戻らないけど、誓いを立てることはできる。そんな貴方だからこそできる事、伝えられる事があるはずです。力を貸して下さい、荒本さん」
征治が、階段を登りながら、どこをどう見てもリーダー格の荒本に、丁寧に訴えかけた。
「俺は、伊藤のように、頭がよくない。あれをしろと言われて従うことしか分からない」
荒本は、寄ってきた元撃退士たちの頭を撫でて回った。
「『方舟』があれば、救われるものが増えると聞いた。人々からお金をむしり取って遊んでいる輩がいると聞いた。だから、ヤツラから金を奪った。金は伊藤に全部渡した」
天魔事件を切欠に、壊れてしまった荒本の知性。
前回、苦労を強いられている労働者のくだりで、説得に応じなかったのは、説得内容そのものが、理解できなかったからだったのだ。
「では、パパを、渡してください。話をさせてください」
与一が穏やかに続けた。
いやいや、と元撃退士たちが首を振る。
その隙に。
カルムとハーヴェスターが、待機していたヘリのテイルローターを破壊していた。
●午前11:30
ほむらが屋上にたどり着き、伊藤以外の役者が揃った。
「目的は伊藤だ。逃げるなら好きにしな。邪魔するってんなら、気は向かねえが、荒事になっても仕方ねえな」
カルムが偉そうに元撃退士たちに告げる。
「争いは避けたいです。どうしても話し合えませんか」
与一が食いつく。
(シンパシーで人質のみなさんか、伊藤さんの位置がわかりませんか?)
征治が与一に囁きかける。
(額に手をおくのが難しい状況ですよ)
無念そうに囁き返す与一。
「残念だけどヘリはもう使えないですよ。階段は我々が制圧済み。しかも、こちらには狙撃班がいます。いっそビルから飛び降りますか?」
ハーヴェスターがにやにやと笑みを浮かべた。
「パパ!」
元撃退士たちが、ヘリに取り付く。
伊藤は、ヘリの中にいた。
覗き込んだ面々は、一様に、違和感を抱いた。
●午前11:40
「伊藤さん、話があります」
ほむらがヘリの中の伊藤に話しかける。
「大企業が潰れたら、下請けやパートも影響を受けますし、消費活動も減り、他も収入減となります。これは弱者を増やす行為だと思います。比例して増えた弱者を全て舟にのせる気ですか? それとも選ばれた弱者だけ舟に?」
伊藤は、言葉を返さない。
「海上でも天魔に襲われるのに、豪華客船に紛れこんでいた事もあるのに、奴らの移動速度から逃げられる筈ないのに! 無駄な夢を見ていないで、自分で守れる範囲だけを頑張れよ! 強者を痛めつければ、奴らは弱者を痛めつける行為に出るんですよ!‥‥」
伊藤は答えない。目を瞑り、死期の迫った老人のように、介護ベッドに寝かされていた。
元撃退士の少年――に見える相手がほむらの前に立ちはだかる。
「パパは、病気でどんどん体を悪くしてるんだ。いじめちゃだめ!」
「い、いじめ、って‥‥」
絶句するほむら。人質まで取っておいて、逆だろう、と心底から思う。
「わたしも、自身が撃退士であれば、そう出来たかもしれないな」
伊藤は呟いた。
「わたしの小さな町工場は、大企業の進出で潰された。家族は飢えと貧困に喘ぎ、そして、――天魔に襲われた。逆恨みと言いたくば言えばよい。偶然取引先に出向いていたわたしだけが遺された。そんなわたしも、もう長くはないだろう」
「ダメだ、ヘリがおかしいよ、壊れちゃってるよ。飛べない! どうしてだろう?」
運転しようと乗り込んだ元撃退士の少年――に見える――が、小首をかしげた。
非常階段の方から、騒音が近づいてきた。
とうとう警察部隊が、屋上に到着したのだ。
●午前11:50
この時刻をもって、伊藤ハジメ氏、逮捕となった。
●後日譚〜その1
荒本を始めとする元撃退士たちは、久遠ヶ原学園と関係各所の協議の結果、専門の病院に引き取られることになった。
造船途中だった『方舟』は裁判所により差し押さえられ、しかるべき手続きを踏んで大手船会社へ売却される見通しとなった。巨額になるであろう売却益は、被害に遭った企業に返還される模様である。
当然ながら、人質は警察が発見・保護し、身柄を家族に引き渡した。痛めつけられていたものは無く、どちらかというと客人のようにもてなされていたという。健康状態も良好であった。
伊藤ハジメ氏は、裁判の結果を待たずして病死したとのニュースが流れ、多くの課題を残したまま、首謀者の死を以て、事件は一応の幕引きを迎えることとなった。
●後日譚〜その2
事件の発端となった、ヒトトセグループのアリス・シキ(jz0058)誘拐事件。
会長であるシキ・ケイグに、面会する機会が与えられた。
金持ちのボンボンがそのまま大人になったようだ、と評されるケイグ。
そんな噂通りの人物であった。
「やあ、よく来たネ、ユウコ」
「ユウコ、だと? テメー、自分の娘の名前もマトモに覚えてねーのか」
実の娘の名すら間違う父親に、カルムが呆れる。
「ユウコ? ああ、漢字で書くと有子だからですか‥‥」
ほむらも呆れた眼差しを向ける。ケイグはどことなくいやらしい目で舐め回すように、娘の成長ぶりを観察してくる。
「屋敷へ戻って、父さん専属の撃退士にはなってくれないのかナ? まあ、チトセ専門でもいいけどサ」
父親らしからぬ、軽々しい口調。なんとなくだが、不快な気分になる。
「変な目。キモチワルーイ。化物ぉ」
10歳の弟、嫡男チトセは、化物を見る目でアリスを見ていた。
征治の丁寧な挨拶にもケイグは、「あ、ん」と面倒そうに生返事を返すだけ。
「ちょっと、ケイグ会長さん、実の娘だといいますのに、シキさんを見る目つきが非常に、ええ、とてもとても、こう、いやらしいのですねぃ。こちらが見ているだけで不快になりますわ、ええ、ええ」
どこかねっとりとした視線に不快感を露わにする九十七が、アリスをかばうように一歩前に出た。
ケイグは鼻で笑い飛ばし、そして、言い切った。
「ぼくの娘だから、ぼくが好きにしていいはずだよネ? まして、ユウコはシキ家には居ないはずの人間なんだから、ぼくが何したって許されるよネ?」
粘着質な口調で言い放ち、実娘を抱き寄せて、セクハラ紛いの行動に出ようとする。
咄嗟に実父を、力の限り突き飛ばすアリス。
両腕を開き、2人の間に立ち塞がる旭。
「落ち着いて下さい、相手は一般人ですよ!」
耐え切れずにケイグを殴ろうとしかけた征治を与一がおさえつける。
「一般人とはいえ、許していいことと悪いことがある、そうだよな?」
ファングが目を光らせ、ケイグに迫る。ケイグは急にブルって、緊急ボタンを押した。SPや護衛の人々がぞろぞろと入ってくる。
「権力とエゴで他人を従わせる。ただ単純に、私はこの手合いが嫌いです」
吐き捨てるように言うハーヴェスター。
「仕方がないですねぃ。ここは一旦ひきますわ。ですが、晴らせなかった分のウサ、後で合法的にみぃぃぃぃっちりと受けてもらいます故‥‥ご覚悟くださいねぃ?」
九十七と旭がアリスを庇いながら、屋敷を出てゆく。険悪な雰囲気の中、皆も続いた。
「‥‥アリスは、あんなお父さんでも、好きなの?」
思わず聞いてしまう征治。
「‥‥‥認めて頂きたいと思っておりましたけれど‥‥もう、分かりませんわ」
アリスはずっと俯いていた。