●半年前〜報告書のない、荒本最後の任務
静まり返った戦場。ディアボロの死骸が累々と転がっている。その死骸に拳を叩き込む。荒本隆三(アラモト・リュウゾウ)は肩を震わせ、何度も何度も拳を叩き込み続けた。わかっている。間に合わなかった。小さな命を誰ひとり救えなかったのだ。自身の娘の通う幼稚園の救出依頼は失敗した。今、殴り続けているのは、愛娘の変わり果てた姿だ。殺してやらねば。父親たる自分が殺し尽くして、楽にしてやらねば。
「天魔が憎いか?」
当然だ。
学生結婚で授かった娘を出産後、病で命を落とした妻に、必ず娘を育て上げると誓ったのだ。
その誓いは突如破られた。悪魔によって、愛する娘と園児たちは全員ディアボロに変えられてしまった。
「なら‥‥手を組まないか。私にはアウル適性はない。だが知識と知恵ならある。互いに協力しようではないか」
後から現れた男は、明らかに偽名らしく、伊藤(イトウ)ハジメと名乗った。
●匿名の筈の依頼人
「あぁん? 何がだい?」
偶に遊びに来るカルム・カーセス(
ja0429)のグラスに高級洋酒を注ぎながら、依頼斡旋所所長ディレン・エルゥは女性にしては野太い声で尋ね返した。
「今回の匿名依頼のことさ。俺に言ってくれりゃいつでも協力すんのによ、水くせえじゃねえか」
「これが(お金のジェスチャーをして)今回は払えないもんでね。まぁでもバレる相手にゃ筒抜けだと思ってはいたさ。ああ、未成年に飲ます酒はないからな」
カルムについてやってきたジェーン・ドゥ(
ja1442)と、星杜 焔(
ja5378)、鈴代 征治(
ja1305)には紙パックのオレンジジュースがほいほいと投げ渡された。
征治は丁寧に礼を言って所長のパソコンを借り、荒本の表向きの行動、取引先との密談、刑事事件や関っている人間の来歴などを探ろうと試みる。‥‥欲しいデータは、既知のものを除くと、何も見つからなかった。ヒトトセグループの黒い噂も見当たらない。巧妙に隠されているのか、或いは本当に何も無いのか。
「シキさんに対する行い、怯える女中達、マッド医学博士の存在等、ヒトトセグループは健全企業とは思い難いのに、何も出てこないだって〜? 他の企業はどうかな〜?」
焔が征治の操作するパソコンのモニターを見つめる。やはり、幾ら調べても何も出てこない。
「そう、そう、そう、第三秘書、棚邑(タナムラ)だったか。彼と連絡を取りたいね。セカンドハウスの使用と、作戦協力を要請したいし、それと、それと、それと、屋内戦闘時の逃走妨害に利用できる設備、例えばシャッター等がないかも、聞いておきたいね」
ジェーンは棒付き飴を舐めながら、独特の口調で言うと、セカンドハウスの見取り図を見つめる。
「あと、あと、あと、荒本の戦闘スタイルや実力は、どの程度のものだったか、わからないかな」
「最後は単身で依頼を受け、何の報告もなく行方を眩ませた、とあるね〜。‥‥幼稚園救出依頼〜?」
焔が再びパソコンのモニターを見つめ、呟いた。
「生還者なし、依頼人自殺、当時大学院生の担当撃退士――荒本は行方不明、足取り途絶える。何も、何も、何もわからないね」
ジェーンも身を乗り出す。カルムが呟いた。
「野郎が天魔狩りをやめた理由‥‥やめた時期に起きた事件が、それか」
カラン。グラスの中で氷が音を立てた。
「取り敢えず姐さん、調べが付いてる事を残らず教えてくれ。ヤツはセカンドハウスにゃ決まった時間に来てんのかね? その間の部下の動向なんかが分かれば助かるぜ」
カルムが洋酒を注ぎ返した。
「後は、船がどの位の規模のもんなのか、とか分からねえか。ただ逃げるだけなら、他に手間も金も掛からねえ方法はありそうなもんだが、ある程度でかい船なら長期間海の上、なんて事も出来るからな。もしくはどこか目的地があるのか。野郎が金巻き上げてるとこ以外で、頻繁に出入りしてる場所とかあんのかね?」
「そこまで調べがついていたら、添付していたさ」
所長は苦笑した。
「ふむ‥‥よし、わかったよ〜。俺がちょっと乗り込んでみるかな〜。裏社会の社交場っていったら、やっぱり繁華街のバーだろうね〜」
焔がオレンジジュースをちゅーと吸いながら出ていこうとする。
「あ、あとさ、シキさんのお母さんがシキ家へ来た経緯と、足を引きずる様に何かの異常事態を感じるんだよね〜。それもネットで調べがつくようなら、やっておいて欲しいかな〜。よろしくね〜」
カタカタ、キーボードが音を立てる。やがて欲しかった情報がモニターに映し出された。
西欧諸国と東欧諸国の政治的断絶が解消されたのち、各・元財閥組織は、慈善事業として、貧困にあえぐ東欧諸国からの移民を受け入れ、個人的に労働力として雇用したらしい。その折には家族も共に来日を許されていた。
アリス・シキ(jz0058)の母親、ナディア・シルヴェストリは、その時にヒトトセグループ会長に家族ごと引き取られ、母は女中、父は庭師として、会長宅で働いていたようだ。先天的に人より色素がやや少なく、片足も不自由だったナディアは、補助具を与えられ、日光を浴びないように気遣われながら、母に女中として教育され、今ではセカンドハウスの厨房に立っているということらしい。
ケイグの父、シキ・ウツセ(故人)は、人望も厚くよく出来た人間だと評判の存在だったようだ。一方で現会長ケイグは、あまり評判が宜しくない。所謂お金持ちのボンボンがそのまま大人になったような、短絡的で単純で勝手な人柄だという。ヒトトセグループから離れ、ケイグ自身をターゲットに検索し直すと、ネットの奥にはそんな情報がわんさかと溢れていた。
●セカンドハウスにて
棚邑と連絡をとりあい、セカンドハウスにて戦闘に持ち込むべく待機する皆。前回徹底的に監視カメラを破壊したため、屋敷内部から外を窺うことはできない。(何しろ修理費もない)
棚邑をはじめ、屋敷内の人間の避難と安全確保に動くカルム。
「戦場からなるべく離れたとこに居てくれよ」
その折に、あの大量の監視カメラは、アリスとは全く関係がなく、荒本の悪事を何とか撮影し、警察や司法機関に証拠として提出するつもりで仕掛けていたという話を、棚邑から聞いた。
荒本は暴力らしい暴力に訴えることは少なく、威圧感や脅すような眼光で誘導するため、なかなかシッポを出さないのだそうだ。そして警察は、ある程度の証拠をつきつけても、被害者が出るまでは動いてくれないという。警備会社に頼んでも、『咆哮』を使われると、皆、逃げ出してしまう。
金で警察を動かすということも考えたそうだが(ケイグが)、既にそんな資金は無かった。
「人を守る撃退士がなぜ‥‥お灸は据えますけど、まだきっと彼は大丈夫‥‥私と違って、取り返しのつかない過ちはまだ犯してないから‥‥」
目に義憤を湛え、時折、危険そうな咳をする真田菜摘(
ja0431)。
「ターゲットは元先輩‥‥か。まぁ例えそうだとしても、これだけの悪さをしているんだ。見過ごす訳にはいかない」
南雲 輝瑠(
ja1738)は奇襲をかけるべく、室内に潜伏する。
「じゃあ僕は屋根の上に隠れて、窓を蹴破る感じで参戦しますね」
楯清十郎(
ja2990)がひょいと姿を消す。
「報酬? そんなのシキちゃんの笑顔で十分だ! 安心して美味しくお菓子も食べれないってもんですよ! ということで、よくわからないけれど、危険な香りがするけど、がんばる!」
お菓子をもぐもぐしながら、携帯で征治と連絡を取り合う二階堂 かざね(
ja0536)。
「とりあえずだ、シキちゃんにまた何かしようとするなんて許さないぞ! ってゆうか、もう許さないんだけど!」
「‥‥別に正義漢を気取るつもりもないが、我欲の為だけに力を悪用するってのは、どうもな。とりあえず二度とつまらない事を考えないように教育してやろうぜ」
榊 十朗太(
ja0984)が十字槍を構える。
「組織、組織、非合法組織。心踊る言葉だ、心弾む言葉だ、秘密結社ならもっと素敵だったけれど。しかし、ヒトトセグループの今の長の判断も、杜撰というか短絡的というか、まあ、まあ、どうでも良いさ。面白そうな事だもの、関わらねば損というものだ」
ジェーンは口の中で飴を転がす。
皆、すぐにでも戦闘ができる態勢で待ち、回復役として地領院 徒歩(
ja0689)が控える。屋敷の外では征治が監視していた。
黒いリムジンが近づいてくる。セカンドハウスの女中のひとりが歩みでて頭を下げる。リムジンは門の前でスピードを落とし、そして、――セカンドハウスには入らず、通り過ぎようとしていた。
「予定と違います! リムジンが離れていきます!」
かざねの携帯に入ってきた情報に、騒然となる一行。
「【異界の呼び手】は‥‥とどかねぇか。エナジーアローも微妙だな」
窓から庭越しにリムジンを見遣り、カルムが悔しげに舌打ちをする。
屋根の上で待機していた清十郎が、小天使の翼を使用してリムジンの屋根に飛び移ろうとする。自由落下にスキル効果が加わり、何とかリムジンの屋根の上に取りつく。しっかりしがみついたまま、陰陽護符を取り出すと、白と黒に光る玉の様なものがフロントガラスを割り、車は激しく蛇行運転しながら電柱にぶつかって停止した。
勢いでリムジンの屋根から放り出される際にわざと跳躍し、ごろごろと地面に転がって、落下ダメージを相殺する清十郎。なるべく素早く起き上がろうとする。
停止したリムジンから人が次々と降りてきては、逃げていく。中肉中背の男がゆっくりと、女性を抱えて、ひしゃげた扉を蹴破って出てきた。
人相からして間違いない。荒本だ。インカムのようなものを装着している。
彼が抱えているご婦人は‥‥誰だ?
「状況が変わった。伊藤、指示をくれ」
荒本が何か呟いた。誰かと連絡をとっているようだ。
「‥‥わかった。時間を稼ぐ。迎えを頼んだ」
セカンドハウス内では、かざねの携帯に入ってきた外からの情報で、作戦が大幅に乱れ、混乱が起きていた。
「と、とにかく清十郎くんのところへ駆けつけるのです! かざねダーッシュ!」
「俺も行くぜ!」
かざねと輝瑠が移動力を上昇させて走り出す。皆も、少し遅れて続いた。
●路上の口プロレス
立ち上がり、背を丸めて、荒本を精一杯睨みつける清十郎。その体は鮮緑色の光に包まれ、周囲を小さな結晶が浮遊している。
「どんな理由があるにせよ、撃退士の力で人々を苦しめるのは見逃せませんね!」
ディバインナイトと、歴戦の阿修羅の、タイマン対決。
状況は清十郎にとって、芳しく無いようにも思えた。
(何とかこの状況を維持して、味方が来るのを待つのです‥‥!)
覚悟を決めて、じりじりと間合いをつめていく。自身の武器は聖火つきの射程3の鎖鎌。相手の持ち技は射程3の飛燕。
しかし、一向に荒本から仕掛けてはこない。荒本の薄赤い光纏が見えたように思えたが、彼は女性を抱えたまま、低い声で「動くな」と言ったきりだ。
女性は意識を失っているようで、ぐったりとしている。
「大切な誰かを失う者を作りたくないなら、動くな。‥‥動かないでくれないか」
荒本は鋭い目つきで清十郎に告げた。す、と手が女性の細い首元に伸びる。
「この者はヒトトセグループ後継者、チトセ坊やの母親だ。10歳で母を失うのは辛かろう。だから動かないで欲しい。金さえ貰えればここに用はないし、この女性にも危害は加えない」
「もう、ヒトトセグループの経営はぐ〜らぐらに傾いているんですよ〜。あなた方は奪いすぎましたね〜」
焔がそこへ現れた。裏社会の社交場とやらに行ってきたためか、ガラの悪い兄ちゃんという風体だ。その格好で、敢えて丁寧語で話す。
「第二の久遠ヶ原島、移動できる居住区間、超大型クルーズ船――なるほどね〜。沖合に停泊させ、非常時には錨を上げて、天魔やゲートから逃げ回って生活できる、夢の豪華船ですか〜。それはお金もかかるわけですね〜」
かざねと輝瑠がたどり着き、遅れてぱらぱらと皆も集まる。
「持てるものからむしり取ればいい、そう思ったのはわかります。でも、どんな富豪でも、限度というものがね、あるのですよ。ヒトトセグループ然り、他の元財閥組織も然り。経営が傾くまでむしり取るのは、ちょっとやりすぎとは思いませんか? 傘下には沢山の従業員が雇用されていますし、その家族の生活もかかっているんですよ?」
焔は笑顔を崩さず、畳み掛けるように、今度は、はきはきと言葉を重ねた。
「では、どうしたらいい。富豪どもに交渉して、金を工面するよう要求しろというのか? やつらは金を出す代わりに、自分たちに優先的に乗船権を与えろと言ってくるだろう。俺は、金持ちや恵まれたものばかりが生き残るのは正直、遺憾だ。俺は、俺らは、弱い立場の者にこそ生き延びて欲しい」
――俺ら。
はっきりと荒本は、同目的で動いている仲間の存在を口にした。
この瞬間、猫が獲物を甚振るように心理戦を仕掛けてきているのは、別の人物だと判明した。
「何故フリーの撃退士に戻らないのです‥‥? 地道に依頼をこなしていれば、強請りなどせずとも、お金を稼ぐことが出来るのではないですか?‥‥」
菜摘が大太刀を構えたまま、荒本を見据えた。
「俺は、もう、任務であっても、あんな光景は見たくないんだ‥‥」
「ふむ‥‥あんたにどういう事情があるかは分からないし、個人的に知りたいとも思わないが、あんたはやり方を間違えたんだな。俺達は別に正義の味方でも何でもないが、力を持つ以上それに伴う責任とか義務って奴が生じるのは当たり前だろうに。結局、あんたは辛い事からは逃げる事しかできない臆病者だったんじゃないのか?」
「そのとおり、だな」
十朗太の言葉に苦笑する荒本。
「で‥‥どうするんだ? 撃退士学生ばかり集まって、ここで荒事でも起こすつもりか? それならそれで構わないが、まあ、人質の命は保証出来なくなるぜ」
くい。気絶したままの女性の首にあてがった手を、荒本は更に強調して見せつける。
そこへ一台の車がやってきて、荒本の隣に停まった。荒本は女性を抱えたまま、車に乗り込んだ。車は何事もなかったかのように走り去る。
「車を尾ければ、アジトへ行くかも!」
追おうとするかざねを輝瑠がやんわりと止めた。むう、と膨れるかざね。焔が頷く。
「あの人は人質と言っていたけれど、本気で傷つけるつもりはなさそうだったね〜」
●反省会
「隠しカメラを全部壊して放置したのは失敗だったな。あと女中さんの出迎えも、考えてみれば不自然だ‥‥恐らくアレで気づかれたんだぜ」
カルムが頭を掻いた。女中さんは「力及ばず済みません」と頻りに頭を下げている。
「そう言えば第四学食の厨房に、外人さんが入ったらしいね」
清十郎がしれっと言う。彼はナディア・シルヴェストリを密かに学園に就職させたのであった。
<続く>