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結界の中は、薄赤い天空から日差しがぼんやりと差し込む、奇怪な雰囲気だった。
別動隊に導かれ、一行は推定・ケッツァー治療院――越谷市立病院跡の前まで、やってきた。
高い城壁に囲まれ、城壁の上を守る鉄条網の向こうに、可愛らしいお城が建っている。
入口はすぐに見つかった。悪魔はここを通るのだろう。
だが、門はかたく閉ざされている。正規の「ベリアル様FC会員証」と合言葉がないと、開かれないようになっているのだ。
門番らしきディアボロが、彫像のように佇んでいる。
撃退士の姿を認めると、ぎりぎりと向きを変え、得物を構え、ゆっくりと台座から降りてきた。
同時に、城壁が変形する。入口だった場所を次々と壁が塞いで、通せんぼをする。
「てめぇらが行く病院は人間界にゃねーんだよ!」
天王寺千里(
jc0392)が、集まりつつあるディアボロ達に、ライフルを乱射して、突破口を開こうとする。
「回復したけりゃ魔界の病院に行けよ。いい道具揃ってんだろ? 人間様の病院を勝手に使っちゃカッコつかねーな」
ライフル乱射を受けたディアボロ達は、ぬいぐるみ様の体のあちこちから綿をはみ出させながら、それでも襲い掛かってくる。
「戦闘ならボクにまかせて‥‥」
御剣 正宗(
jc1380)は、小太刀二刀・鷹狼を抜き放つと、渾身のエネルギーを溜め、振り抜いた。
黒い光の衝撃波が、右側から襲ってくるディアボロの群れを直線状に薙ぎ払った。
<封砲>である。
左側からも続々とディアボロが現れて、襲ってくる。
正宗と同様、浪風 悠人(
ja3452)が同じように<封砲>を放った。
左右から挟撃してきた雑魚ディアボロたちは、2人に薙ぎ払われて、焦げた綿の塊になる。
それを踏み越えて、次々と雑魚ディアボロ達が現れる。
「気付かれるまではなるべく穏便に、と思っていたのだがな‥‥」
サガ=リーヴァレスト(
jb0805)は、妻であるキサラ=リーヴァレスト(
ja7204)と共に、トラップ解除役の浪風 威鈴(
ja8371)を守っていた。
「別動隊が‥‥囮や陽動を引き受けてくれています‥‥ので‥‥既に気づかれていると‥‥思います‥‥」
キサラが言うように、派手な戦闘が、結界内のいたるところで行われている。
結界の主が、撃退士の襲撃に気づいているのは、間違いないだろう。
電気のこぎりのような音を上げる、愛刀・神風丸を振り回し、千里が警備ディアボロに詰め寄る。
「来いよ! とことんぶっ潰してやるぜぇ!」
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ジェルトリュード(jz0379)の歌攻撃に備え、皆の装備は厳重だ。
悠人は、耳に綿を詰め、その上から耳栓をして、更に上からテープで密封している。それを魔装プルソンヘルムで押さえ、完全防音状態を作っている。
仲間とはジェスチャーで交信予定だ。
キサラは、イヤホン式の光信機をつけ、いざとなったら両手で耳を塞ぐ寸法だ。
光信機は彼女の夫・サガのものに接続されている。
サガは、密閉型ヘッドホンを用意し、イヤホン式の光信機をつけた状態で被っていた。
ジェルトリュードの攻撃は、音波を利用した物であり、その性質から、耳から入った音が内部で威力を発揮した為に、悠人の<アウルの鎧>を無効化したのだろう、と想定していた。
「まだ未知数な敵が相手だ、色々試すと考えれば悪くないだろう」
密閉型ヘッドホンのお陰で、光信機から聞こえてくる妻の声しか聞こえない。
キサラは、サガに、状況の説明などを伝え、音を遮断しているリスクを減らそうと努めていた。
千里も、悪魔対策として、耳栓をロウで固めて完全防音仕様に改造していた。
仲間との意思疎通はジェスチャーで行う予定だ。
正宗も耳栓を携帯していた。今は光信機をつけているが、ジェルトリュードと遭遇した際に付け替えるつもりだ。
問題は、威鈴である。彼女は、防音については、何の対策もしていなかったのだ。
心配した夫・悠人が救急箱から脱脂綿を取り出し、妻の耳に詰めようとする。
「壊し‥‥きる‥‥邪魔なんて‥‥させない‥‥」
完全防音状態の悠人には聞こえなかったが、威鈴は城壁の向こうに僅かに見える城を、ただただ睨み付けていた。
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わらわらと湧いてくる雑魚ディアボロを退けつつ、一行は迷路状になった城壁を進む。
警備ディアボロは、前衛の正宗が<スマッシュ>で攻撃し、千里が神通丸を振り回して撃退する。
<サーチトラップ>で、威鈴が前方の城壁に隠された穴を見つけた。
前を通ると何かが飛び出してくる仕掛けのようだ。そう言えば、先遣隊が「近づくと鉄槍や銃弾が飛び出す壁の罠などが幾つもあった」と報告していた。
罠を解除するため、隙だらけになった彼女を、サガとキサラが守る。
サガは大剣・漆黒の日輪で、キサラはログジエルで、威鈴を守って雑魚ディアボロと応戦する。
「‥‥援護‥‥します‥‥」
真剣な面持ちで、引き金を引くキサラ。2人は、ぬいぐるみのような可愛い外見に騙されてはいけないと心の中で繰り返し、大剣を、弾丸を、容赦なくディアボロにうち込み続けた。
数でおしてくる雑魚ディアボロを引きつけ、すっと【潜行】し、死角に回ってから<氷の夜想曲>を放つサガ。
「影に紛れて討つのは、得手の中の得手でな」
そして、仲間を巻き込まない範囲で<クロスグラビティ>を叩き込む。
「レートを生かさずとも、私達ハーフ悪魔には<悪魔殲滅掌>と言う技があってな?」
累々と焦げたディアボロが積み重なっていく中、サガはにやりと微笑んでみせた。
「これを活性化させてある以上、冥魔眷属への威力があがっているのだ」
「罠解除‥‥成功‥‥」
威鈴が呟いた。その声は誰にも届かないが、立ち上がった威鈴の、安堵した様子に、誰もが悟った。
「進もう」
悠人が妻の頭を撫でて、迷路を進むごとに、徐々に徐々に近づいてくる城を、睨み付けた。
今では病院の面影もない。メルヘン世界に出てくる丸っこいお城、そのものだった。
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「あーもう! イライラするわね!!」
ジェルトリュードは、城の屋上から、一行が迷路状の城壁を進んでくるのを、見下ろしていた。
「鎮まれ、あたしの銀の邪眼! 何だって害虫如きに、このあたしの結界(ワールド)を踏みにじられなければならないのよ。奴らがあたしの城に入り込んできたら、贖罪させてやるわ。そう、心から信じるしかない“世界の真実”というものを、思い知らせてあげるのよ‥‥それが‥‥あたしからの宿命の答え‥‥ふふ、喉が疼くわ」
あたたかい紅茶をゆっくりと飲み干し、ジェルトリュードは屋上に設置された玉座を見た。
そこには、悪魔的魔術回復装置の本体である、宝石のようなきらきらした結晶体が、輝いていた。
教訓:何とかと猫は、高いところを好むらしい。
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一行が、迷宮のような城壁を抜けるまで、かなり手間取った。
城壁のそこかしこに罠が仕掛けられており、威鈴の<サーチトラップ>は底をついた。
しかし、似たようなものが多かったため、スキルが尽きたあとも、見つけ次第解除は可能だった。
だがほぼ全員が音を遮断しているため、罠の発動音に気付かず、鉄槍や銃弾の洗礼をうけてしまう者もいた。
総合的には大したダメージではなかったが、【毒】が塗ってあるものもあり、地味に一行の足を鈍らせた。
そこへ、雑魚ディアボロが数でおしてきて、面倒な戦いとなった。
戦闘後は、どちらから来たのか方向感覚がわからなくなり、来た道を戻っていたこともあった。
だが。
漸く目の間に、城の入口が見えていた。
可愛らしく丸っこい、西洋の城か、遊園地に設置されている城のような見た目。
一行は用心深く、中に入り込んだ。
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結界内は、概ね、電気が止まっているものだ。
もとは大きな病院だったお城の中も、薄暗く、壁には悪魔的照明(かわいい)が焚かれており、童話の世界に入り込んだようだった。
言ってしまえば、魔女の城に攻め込んだようなものだ。
ピーンと院内スピーカーが動きだし、魔術的に、ジェルトリュードの声を運んでくる。
『悪魔的に優しきものにしか侵入を許したことのない、あたしの城にようこそ。歓迎なんてしないわよ。一切容赦しないから、ゆえに、さっさと出て行って欲しいところね』
小憎らしいが可愛いジェルトリュードの美声が響いた。
「‥‥」
「‥‥」
勿論、防音対策バッチリのメンバーには、何も聞こえていない。
キサラも光信機のイヤホンごしに、うっすら何か喋っているらしいなー程度にしか聞こえていなかった。
悠人は、薄明りの中、周囲を見ながら進み、地図・案内板等が残ってないか探した。
‥‥あった。
(治療室がありそうな場所を絞って探索しよう。手術室か検査室のあるフロアが怪しいんじゃないかな)
手術室は3F、検査室は地下1F〜3Fに存在する。
悠人は案内板を指さして、皆に(ここを探索してみよう)と意思を伝えた。
千里がジェスチャーで案内板を示す。
(回復装置の場所は、人目につきにくい地下室とか霊安室あたりじゃねぇか?)
とりあえず、地下も回ることには千里も同意し、探検が始まった。
さて、襲ってくる警備ディアボロを数体倒し、軽傷を回復しながら、実際に行ってみてびっくり。
まず手術室。
扉そのものが綺麗になくなっていた。
数ある検査室も同様だ。
ジェルトリュードには、人間界の医療知識などわからなかったうえ、電気が止まっているせいで、最新鋭の医療機器は、邪魔なオブジェにしか思えなかったのである。
邪魔でしかないオブジェがいっぱい転がっていて、しかも動かすのが面倒とくれば、部屋ごとなかったことにすればいい。
そんな安直な考えがあっさりと読み取れた。
霊安室らしきものも見当たらない。
地下は、放置されたまま、新たなる壁に塗り込められてしまったように見えた。
では、悪魔回復用の魔術装置は、一体どこに?
A)新棟のどこか
B)4F以上の病棟のどこか
→ 一行は、警備ディアボロの動きをみて、Bルートを選択した。
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可愛らしく丸っこい螺旋階段をのぼりながら、一行は緊張感を高めていた。
上からやってくる警備ディアボロをいなし、協力して撃退しながら、少しずつ進んでいく。
4Fに入ると、天井がくりぬかれ、最上階まで突き抜けた、大きなパイプオルガンがあった。
鑑賞席の代わりに、ベッドが並んでいる。ここが悪魔的治療室なのだろうか?
ぐるりと4Fフロアを歩き回る。
魔女がかき混ぜていそうな、大きな深鍋が火にくべられるようになっている部屋が見つかった。棚には、病気に効くと言われている薬草や、小動物を干したもの、よくわからない薬の材料みたいなものも揃っていた。
フロアをざっと見ても、魔術装置らしきものは、パイプオルガンくらいしか無い。これが魔術装置なのだろうか?
一行は、自信がもてなかった。魔術装置の端末にも思える。
くりぬかれた天井の向こう、屋上から、何か強い力を感じるのだ。
「?」
途中でキサラが立ち止まった。
「‥‥ホルンっぽい音が‥‥した‥‥ような?」
キサラがサガに光信機で伝える。
螺旋階段を見上げると、何ということだろう。
上階に、小さく見えるジェルトリュードが、小憎らしい顔を向けて、ホルンを抱えていた。
あの、バステ付与スキルを使ったのだ。
全員に【腐敗】と【封印】がかけられている。
ジェルトリュードの姿を認め、キサラは慌てて、光信機のスイッチを切った。
「‥‥音の攻撃が‥‥来そうです‥‥」
両手で耳を塞ぐキサラ。
同じように、耳を塞ぐ威鈴。夫の詰めた脱脂綿は、耳に入れっぱなしだ。
「さっきの放送、聞こえたかしら? あたし、あんたたちの宣戦布告をわざわざかってあげて、饗宴の贄と捧げたわよね。よくもまあ、人様の城に堂々と入り込んでくれるじゃないの。害虫と喚(よ)ばれるに相応しい行動、即ち悪魔的な“禁呪”のひとつをあんたたちは犯しているのよ」
ジェルトリュードの半分意味不明なセリフも、皆には殆ど聞こえていない。
(彼女には歌わせない!)
悠人が、『不幸を司る者』という意味の英字が十字架と共に刻み込まれている黒い銃を取り出し、ジェルトリュードのコードレスマイク目がけて、撃つ!
辛うじてジェルトリュードに、攻撃を避けられた。
「その癪な声、途絶えさせてもらおうか」
サガが、大剣・漆黒の日輪を煌かせ、螺旋階段をかけあがる。
威鈴がスナイパーライフルを構え、射程ぎりぎりからジェルトリュードを狙う。
千里もアサルトライフルを構えた。
「あたし、遠くにいる奴から狙うことに決めてるのよね。悪魔騎士道に忠実なのよ。わかるかしら? わかんないわよね、害虫じゃあね」
ジェルトリュードはマイクを手に、歌い始めた。
「容赦なくいくわよ!」
だが、耳を封じた一行にとって、対策は万全だ。両手で耳を塞ぐため、威鈴がスナイパーライフルを手放さざるを得なかったのは、やむを得ないだろう。
それでも、脳を揺さぶられる感覚に襲われる。完全防音でも、脳震盪を起こしそうだ。
「皆様‥‥下がって‥‥<癒しの風>を‥‥あ」
キサラが回復をしようとして、【封印】が続いていることに気づく。
どうしよう。威鈴は苦し気に膝をついている。第2波が来たら、彼女は倒れてしまう。
「妻の安全のためにも、ここは通してもらいますよ」
6Fフロアへとじりじり近づき、悠人が黒い銃で再びジェルトリュードのコードレスマイクを狙う。
「こういう時は力押しに限る‥‥ボクにだって、できることはある‥‥!」
冷静に様子を窺っていた正宗が、機をみて走り出した。天使の羽と悪魔の羽、アシンメトリな翼を寝かせて、空気抵抗を最低限に抑え、螺旋階段を駆け上る!
サガ、千里も正宗に続き、ジェルトリュードの意識を、キサラと威鈴から引き放した!
「遠距離が得意ということは、近距離が苦手だろうか?」
サガは6Fフロアで足を止め、大剣・漆黒の日輪でジェルトリュードに殴り掛かる。
「この程度の痛み、何てことないわ」
傷を負いながらも、ジェルトリュードは歌と赤い光を放った。広範囲攻撃だが、巻き込まれたのはサガと悠人のみ。サガは耐えきれず崩れ落ち、悠人は急いでぐったりしたサガを抱え上げた。
すぐにキサラのもとへサガを運ぶ。
サガ達が小娘の注意を引きつけている間に、全力で正宗と千里は屋上へと達していた。
輝く玉座、パイプオルガンに繋がれた魔晶石。これが魔術装置の源だ。間違いない。
「悪ぃがこいつはスクラップにさせてもらうぜ。残念だったなお嬢ちゃん!」
斧でガンガンぶち壊す千里。
正宗も、派手に魔晶石に攻撃を加えた。
あっけなく、魔晶石は割れた。
薄紅色の光があふれ出して、結界内の冥魔眷属たちの傷を癒し、空気に溶けて消えていった。
「何てことしてくれちゃったのよ!」
真っ赤になって怒るジェルトリュードを残し、一行は素早く撤退した。
城外へ出てから、キサラが残された回復スキルを精いっぱい使って、皆の傷を癒す。
悠人は、撤退の際、パイプオルガンの椅子に、黒猫のぬいぐるみ、苺のショートケーキ、紅茶、そして『約束の品です』と書かれたカードを入れた箱を置いておいた。
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「回復の魔晶石、壊されちゃったわ‥‥」
どうしよう。これでは重体相当のケッツァー仲間を癒せない。
ジェルトリュードには、重体を回復させるスキルはない。
ひとり城の中で地団駄を踏んでも、どうにもならない。
ふと、悠人の残していった大きな箱に目を留めた。罠かと最初は疑ったが、開けてみてジェルトリュードは目をぱちくりさせた。
「何よこれ。お詫びってわけ? 『約束』?‥‥ま、いいわ」
ショートケーキを口に運び、紅茶を飲んで、彼女は「まずッ」と呟いた。