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夫が殺された時、悪魔を心から憎んだ。
あの時に、私も殺されていればいいのにと思った。
でもお腹の赤ちゃんが、私を生かした。
悪魔は私に手をあげなかった。
長く、殺される恐怖を抱えて日々を過ごした。
お腹の赤ちゃんのことを思うと、自殺は出来なかった。
悪魔は最後まで、私を殺さなかった。
人の魂を食べながら、私に、被害者の持っていた食糧や水を差しだした。
共に過ごすうちに、悪魔は私によくしてくれるようになっていた。
私の赤ちゃんが、失った忠臣の生まれ変わりかも知れない、なんて、信じているようだった。
人の魂を吸っても、尚、徐々に弱っていく悪魔を、私は、放っておけなくなっていた。
少しずつ、少しずつ、夫を殺した憎い相手だということを、失念していった。
いつしか‥‥私は、動けなくなっていく悪魔に、餌を――人間を差し出す行為を、始めていた。
ストックホルム症候群は、被害者が加害者に好意や共感、信頼を抱く異常心理状態だ。
同時に、加害者の被害者に対する接し方も、変化することで知られている。
加害者と被害者を引き離し、時間をかけたカウンセリングなどで、治療できるといわれている。
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「皆様の要請をお請けいたしまして、現地にドクターカーと産科医師、麻酔技師を手配してございます。医療従事者には守秘義務がございますので、ご安心くださいませ」
斡旋所バイトのアリス・シキ(jz0058)がきびきびと手を回す。
「ドクターカーは無点灯・サイレン無しで現場に待機していただいております。女性の出産は車内で出来ますし、万一に備え、新生児用の治療器具も揃えていただきましたわ」
そしてアリスは、白蛇(
jb0889)に、頼まれていた連絡先メモを手渡した。
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白蛇は、現場に転移する前に、皆に言った。
「わしは悪魔に子を抱かせたい。生まれる命の尊さを知る事は、自身が犯した、命を奪うという罪の重さを知る事に繋がると思うのじゃ」
遺族感情を考えると、概ね2つ。
「犯人に真摯な反省を」或いは「目いっぱい苦しめ」じゃろう。
赤子を抱く事で罪の意識に苛まれ、苦しんで死ねば、どちらも達成するじゃろう。
そこで苦しんだ末の言葉を残せば、それを伝えれば、遺族には多少の救いになろう‥‥。
苦しまぬようなら「赤子を抱かせた」事を遺族に言わずにおけば良い。どうじゃろうか?
「すまんがその案には反対だ。赤子を抱かせた時に、何をされるかわからんぞ」
鳳 静矢(
ja3856)が意見を述べる。
「何十人も殺してきた悪魔が人間の命の始まりを見たいなどと、何を虫のいい話を」
牙撃鉄鳴(
jb5667)も一蹴する。
「奴が執着している忠臣とやらとも、近くには葬らないつもりだ。精いっぱい引き離してやる」
「そうか」
白蛇は呟くように言った。
「忠臣との処置、赤子を抱けなかったという無念‥‥これを以て1つの達成、とも考えられる、か。‥‥ふむ、良いじゃろう。納得した」
皆は、現地へと転移した。
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現地では、ドクターカーが静かに到着したところであり、女性は陣痛を堪えているようだった。
ぼろぼろになった死にかけの悪魔が、女性に寄り添い、やさしく背をさすっている。
奇妙な光景だった。
Robin redbreast(
jb2203)が人形のような表情で、瀕死の悪魔に話しかけた。
「もう陣痛が始まってるみたいだから、お医者さんも呼んだし、お産の準備を始めるよ。ただ、お医者さんは一般人だし、出産に悪魔が立ち会ったら驚いちゃうかもね。お医者さんが協力を拒むかもしれないから、離れた場所で隠れていて、遠くで見守ってもらえないかな」
エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)も頷く。
「子供が生まれるまでは生かしてあげます。が、出産の場に立ち会わせるのは無理ですし、生まれた後も一目赤ちゃんを見せる以上のことはできませんよ」
「命の始まりを見てみたいのならば、立ち会うまでは許したいところだが‥‥ロビンさんの言うとおりだ。医師が恐怖して、出産に障りが出るのは困るだろう」
静矢は、落ち着いた口調で悪魔を説得した。
「赤子を抱く事はさせられない‥‥私達はお前を信じている訳では無い。エイルズさんの言うように、一目見せられれば良いほうだと思ってほしい」
そして静矢は、女性に目を投げ、悪魔に再び向き直った。
「お前が望まなければ、この女性も、お前を護る為に自分とお腹の子を盾にするだろう。‥‥だからお前からも産む様に、女性を説得してくれないか」
「いいだろう」
瀕死の悪魔は、立ち上がることもできない様子で、女性の肩をぽんと弱弱しく叩いた。
「元気な赤子を産んでくれ」
「わかりました。赤ちゃんを悪魔さんに見せてもいいんですね」
女性は改めて皆に確認し、瀕死の悪魔はずるずると損壊した体を引きずって、近くの藪に隠れた。
鉄鳴が席を立とうとすると、華子=マーヴェリック(
jc0898)が持参した水筒のお茶を皆に配った。
「とにかく、皆さん落ち着いてください。女性のお話をよく伺いましょう」
そして<マインドケア>を女性にかける。
心を癒やす暖かなアウルが華子からあふれ出し、一時的に女性の心を、ストックホルム症候群から解放した。
「思い出してください、その子は誰の子ですか‥‥?」
「殺された、夫の‥‥」
女性はぼんやりと遠くを見つめた。
「私、どうして‥‥悪魔のためになんて‥‥」
「旦那さんのカタキに、忘れ形見の赤ちゃんをゆだねて、大丈夫なんですか?」
「‥‥」
女性は答えられなかった。
ドクターカーから、産科医師と麻酔技師が下りてきて、車内の分娩台に女性を運ぶ。
「掴まっていて、いいよ」
ロビンは<パサラン召喚>を使用し、呼び出したパサランを妊婦に掴まらせた。
「皆さんが麻酔の使用をご希望されましたので、そのようにいたします。出産は麻酔を使った無痛分娩で行い、その後患者さまを点滴で眠らせて、警察へ搬送いたします」
麻酔技師が簡単に説明をする。助産婦がわりにと白蛇がドクターカーに乗り込んだ。
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「ほら、歩けないんですか? もっと遠くにいかないと、医師が怯えて出産が失敗しますよ」
エイルズレトラは悪魔を引きずるように、ドクターカーから離れさせようとしていた。
悪魔は体を激しく損壊しており、移動もやっとという状態だった。
そのまま放っておいても死ぬのではないかと思えた。
(最悪、道連れにと、女性と赤子を手にかける可能性も0ではないと思っていたが‥‥ドクターカーの中は見えない。これなら問題ないか)
静矢は悪魔を注視する。
もって数日。人の魂を食らっても、2〜3日寿命が延びるだけだろう。
敢えて手を下すまでもなく、この悪魔は自然に死ぬ、そう思えた。
「悪魔討伐をしないで、悪魔の願いを優先したって、依頼人が聞いたら怒るよね」
ロビンは涼やかに、歌うように言った。
「依頼人は被害者の家族だよね。依頼人が納得すれば、それでいい。あたしは任務遂行のための道具だから」
「何十人も殺してきた貴様に、赤子の誕生を見る資格などない。命の終わりを見続けてきたなら、最期までそれ以外の光景など見ることはできない」
鉄鳴が足を止めた。
悪魔は、体を引きずりながらの無理な移動に疲労困憊し、荒く息をついていた。
「‥‥人間とて、命をつなぐために、動植物魚類を何千何万と殺しているではないか。お前にも赤子の誕生を見る資格などないということか?」
「ああ。命の終わりばかり見続けてきたのは俺も同じだ。天魔や人間問わず、何人も殺してきた。貴様の言うように、食糧の命も奪ってきた。俺にも赤子を抱く資格などない」
悪魔の言葉に淡々と鉄鳴は答える。
「死体はここではないどこか遠くへ運ばれるだろう。ヴァニタスがここで眠っているそうだが、共に埋められるなどとは考えないことだな」
「そうだろうとも。俺に赤子を見せてくれるというのも虚偽なのだろう? 人間というものは悪魔よりずっとタチが悪いものだな。悪魔以上に悪魔らしい」
鉄鳴は、話が終わるのを待たずに、サイレンサーを付けた銃で後ろから悪魔を撃った。即死させないように狙ったはずだったが、悪魔はその一撃で息絶えた。
「一応理解はしますけれどね。人間の殺害は悪魔の生存に必要な捕食行動なのでしょうから。人類を殺傷する天魔として普通に討伐しますよ」
エイルズレトラは、悪魔がもう生きていないことを念入りに確認した。
スマホを出して、天魔死体処理班に連絡する。
「あの女性は、如何なる精神状態であったとしても、人類の裏切り者として嫌悪しますね。まあ、僕が裁くわけにはいきませんから、司法の裁きに処分を委ねますけれどね。極刑を希望しますよ」
「悪魔さん‥‥生まれ変わったら優しい悪魔になって、忠臣の人と仲良く穏やかにね‥‥」
死体処理班に運ばれていく悪魔の亡きがら。
華子だけが、悪魔の死に、涙を流した。
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ドクターカーから、赤子の泣き声が聞こえてきた。
「赤ちゃんは‥‥生まれたのですか」
女性はお産を無事に終え、点滴で麻酔を体内に投与されながら、ぼんやりと尋ねた。
「お産の痛みがそんなに無かったので、よくわからないのですが‥‥」
「安心するのじゃ、わしがこうして取り上げておるでのぅ」
白蛇は、助産婦の役目をしっかりと果たしていた。
新生児保育器の中で、新しいイノチが、精いっぱい泣きながら手足を動かしていた。
「どんな子ですか。性別は? 抱かせてはもらえないのですか」
「抱かせぬ。私刑と言われようと、それがわしが下す、主への罰じゃ。主に出来る、子への最初で最後の贈り物は、その生と、未来‥‥それだけじゃ。性別も教えてはやらぬ」
ドクターカーから降り、白蛇はアリスに予め貰っておいたメモに目を落とした。
警察と、メモの連絡先――新生児から受け入れ可能な児童養育施設に連絡を入れる。
そのメモのことは、仲間にもしっかり内緒にしておいた。
連絡が済むと、白蛇は新生児保育器を大きなカバンに押し込み、<翼の司>に<クライム>して、最速で赤子を施設へと連れて行った。
近くで待機していた警察が、パトカーで姿を現す。
ドクターカーの中で、医師たちが、お産を終えて消耗した女性の命を守りつつ、麻酔の量を調整してうとうと眠らせているところであった。
「お産、終わったんですね。お疲れ様でした」
華子がそっと<ライトヒール>を女性にかける。
女性は麻酔で微睡んでいる状態のまま、警察に保護・拘束された。
ロビンが警察に、女性が自殺する可能性を説明し、警戒と治療をお願いしておいた。
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「お産が終わったようだな」
静矢は、赤子の声を聴いて、ゆっくりとドクターカーまで戻ってきた。
「あの子は女性とその亡夫の子‥‥加害者の子でもあるが被害者の子でもある。そしてあの子自身は何ら罪を犯していない」
「そうですね」
ドクターカーから降りてきた華子がうなずいた。
「生まれた子供の引き取り手についてですが、先ず彼女のご両親と、子供のお父さんである亡き夫のご両親に、お伺いを立てたいと思います。その回答を聞いてから、どこに預けるか、等の話をしましょう?」
華子の言葉に、静矢は首を振った。
「恐らく、女性や亡夫の家族に引き取られたとしても、あの子にとってはいわれなき差別や迫害を受けると思う。その重い枷をあの子に背負わせるよりは、いっそ孤児として、施設に預けた方が良いのではと‥‥私は思うのだよ。学園や、関連する然るべき組織等から、そのように親族の方に提案して頂けないものだろうか‥‥」
「人の噂も75日っていうし、子供も警察にお任せでいいんじゃないかな。世間はすぐ忘れちゃうから」
ロビンは内心、(被害者の家族はただ悪魔の被害に遭った、と怒って悲しむ方が悪魔の性格や事情を知るよりも楽なんじゃないかな、とも思うけれど、別にこだわりはないし、他の人に任せよう)と考えていた。
エイルズレトラは学園と警察に包み隠さず全てを報告し、生まれた赤子の保護を依頼していた。
だが。
「保育器がないぞ」
「ああ、白い髪の撃退士さんが新生児ごと持っていかれました」
そう、既に赤子は白蛇の手によって、警察の推薦する施設に運ばれていたのであった。
そこは総合病院と連携した施設であり、生まれたての赤子を受け入れる余裕も設備もあり、紹介した警察は守秘義務を守り通した。
勿論、地元警察が、その詳細を知るはずもなく。
よって、撃退士の皆にも、赤子の行方はわからなくなっていた。
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学園帰還後。
「女性に関しては、心身の回復を待って、法によって公正な判断をして貰いましょう。私は女性の公正な裁判と、赤ちゃんの健やかな成長を切に願います」
華子は、単身、現地を訪れ、被害者たちを祀る慰霊碑に手を合わせていた。
共犯の女性は回復後、裁判にかけられた。
「如何に異常な精神状態だったとはいえ、女性が犯した罪の重さを考えれば当然の処置だ。子供には生涯会わせないよう主張したいところだな」
鉄鳴は傍聴席から裁判の行方を見つめた。
マスコミなどは、事件を煽り立てて、好き放題にメディアに書きたてていた。
だが、鉄鳴は、被害者遺族には、正確な事の顛末を全て知る権利があると考えていた。
子供の処遇と引き取り先に関することは、白蛇に出し抜かれたため、被害者遺族にのみ報告したかったが、叶わぬこととなった。
マスコミも、女性が産んだ子供の行方を追うことはできず、赤子は誰にも知られないところでひっそりと育っていくのであった。
白蛇は、情報がもれるのを恐れ、赤子を引き渡して以降、施設には一切訪れていなかった。
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私は何をしたのでしょう?
あの時はどうかしていたとしか、思えません。
私が、50人もの人の命を?
そんな――
――それが本当なら、私は、私を、許せない。
ロビンの懸念は的中し、ストックホルム症候群から脱することができた女性は、罪の重さに耐えきれず、裁判中にも、幾度となく自殺を図っていた。
ロビンの忠告を重く見た司法当局は、女性の自殺防止に努め、またカウンセリングを受けられるように手配していた。
悪魔に操られていた可能性も否定できないと弁護側は主張を続け、女性の責任能力が争点になった。が、それはまた、別のお話。
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事件現場となった別荘地には、徐々に人々が戻ってきていた。
小さなスーパーも再び営業を開始し、観光客でにぎわう土地を取り戻した。
そして皆、慰霊碑の前で立ち止まり、道端の花を捧げて、犠牲になった人々を思い、祈っていくのであった。
(終)