●
リゾートシップ・レディララバイは、海に浮かぶ豪華ホテルだ。
船長というか、船主は、地元の大地主である、二階堂辰巳(にかいどう・たつみ)。
20代後半にして、既に前髪が危険域なのを気にしている、善良な一般人である。
この船には、広々としたデッキのみならず、照明や音響設備の整ったステージ付きのパーティホール、大食堂、調理室、劇場、これまた広々とした男女別の浴室、換金の出来ないメダルカジノ、温水プールにテニスコート、様々な施設が整っていた。
●
そして、原磯沖に停泊中のリゾートシップの中で、殺人事件が発生した。
瞬く間に噂が船内を駆け巡り、パーティ会場でも、お風呂場でも、ざわざわと、どよめきがあがる。
不安に駆られた客人たちが一斉に、広いデッキへ集まってきた。
「最初の遺体はぁ、どうしたんですぅ?」
高めの身長に発育の良い体型、穏やかな容貌の美少女が、口を開く。
実は彼女は、茨城県警にも籍を置く、監察医・風香院 涙羽(
jb9001)である。
おっとりとした口調で、事件現場を検分していた。
しかし、既に使徒グウェンダリン(jz0778)に綺麗に掃除されて、跡形もない。
「ああ、ぼくが海に蹴り落としたよ。悪魔族なんて招待したおぼえもないからね。今頃は魚の餌さ」
容疑者1・双貌のドォル(jz0337)が、縦半分の仮面をつけたまま、にこやかに答えた。
「僕はきさカマ! May(メイ)探偵なんだよ!」
茶色い髪に青い目の、元気いっぱいカマキリ探偵、私市 琥珀(
jb5268)が名乗り出た。
「本当はMay探偵だから、四月は営業外なんだけど、事件が起きたんだからしょうがないよね。今回はApril探偵として頑張るよ! 報酬は勿論はずんでね! 期間外手当もつけてよね!」
「私市さんはただの探偵なのですねぇ。我々、警察の仕事に首を突っ込まないで欲しいのですぅ」
「何だって? 学園生探偵のこの僕が、協力してあげようっていっているんだよ!」
監察医・涙羽の垂れ気味の瞳と、きさカマの青い瞳の間に、バチバチと稲妻が走る。
「とにかく、怖いです‥‥さ、殺人なんて‥‥本当にあったんですか?」
善良な市民? いや、和服で招かれたアイドル歌手、川澄文歌(
jb7507)が、藤色の着物の裾をからげ、紫の瞳を不安げに細めて、赤い着物のグウェンダリンの後ろに隠れる。
紫がかった黒髪のアホ毛が風で揺れる。
「殺されたの、冥魔界のアイドルなんですよね?‥‥わ、私も狙われたら、どうしよう‥‥!」
鳳凰があしらわれた翡翠色の着物ドレスに身を包んだ、木嶋香里(
jb7748)も、「湯煙美人女将」というキーワードを知り、蒼白になった。170cmと高めの身長、引き込まれるような薄い紫の瞳、抜群のスタイル、青いリボンで纏めた肩下に届くポニーテールが印象的で、「美人女将」と言われても納得できてしまう容姿なのだ。
「私、和風サロン『椿』の女将なんですよ‥‥本物の女将なんです。私も狙われてしまうのでしょうか‥‥?」
香里も、かなり不安そうだ。
爽やかな印象の青年、黄昏ひりょ(
jb3452)と共に歓談していた、マグノリア=アンヴァー(
jc0740)は、ゴシック気味の魔女服と、魔女風の帽子を被っており、髪は肩までの巻き髪セミロングだ。毎日二時間かけて、真っすぐな髪を綺麗にコテで巻いている。
マグノリアは、不意に返り血で真っ赤な人物へと目線を向けた。
「俺は、この船にはゲンちゃんの屋台の手伝いとして乗船したぞ。マグロの解体ショー、やきそばの鉄板を使ってマグロステーキを焼いたり、マリカせんせーやゴウ兄妹にマグロ料理を振る舞ったりしていただけだ」
エプロンを血で真っ赤に染めた、詠代 涼介(
jb5343)とゲンヤじいさんは、のこぎりかと思うような包丁を振り回して、自らの無罪を訴えた。感情をあまり表に出さなさそうな、落ち着いた感じの少年は、まるで刀でも操るかのように、血塗られた特殊包丁を見やる。
「ワタクシは屋台のお2人を信じますの」
マグロの解体ショーを、ひりょと楽しんでいたマグノリアは、確かに2人がマグロを解体していたと証言した。
「というか、悪魔の女の子は、V兵器じゃないと死ねないよね? V兵器が使えるのって、撃退士かアウル覚醒者か、天魔族だけじゃなかったかな」
「「Σはっ!!」」
鋭いひりょの言葉に、監察医・涙羽と、きさカマの緑色の脳細胞に、電撃が走る。
デッキに集まった皆を、よくよく見回してみれば、V兵器を使えない一般人も多い。
マリカせんせー(jz0034)。
車椅子の小学生女児、轟(とどろき)モミジ。
バイト少女、ミチル19歳。
船主、二階堂辰巳。
‥‥彼らに、悪魔ジェルトリュード(jz0379)を殺害することなど、不可能だ。
学園の中退者、絵羽(えわ)は、辛うじてアウル能力者ではあるので、一般人と覚醒者の中間にある人物と考えられる。
つまり、容疑をかけられてもおかしくない、ということだ。
「ええ、そんな〜。わたし、学園で、V兵器をヒヒイロカネから出すことも出来なかったのに〜」
絵羽からは異議を申し立てられるが、これは仕方がない。諦めてもらおう。
「そうなると、容疑者はアウル覚醒者か、天魔に絞れるね」
きさカマがきらりと目を光らせた。
・黄昏ひりょ(客人)
・詠代 涼介(屋台バイト)
・川澄文歌(客人、アイドル)
・木嶋香里(客人、女将)
・風香院 涙羽(客人、監察医)
・マグノリア=アンヴァー(客人)
・轟闘吾(大学部、番長)
・アリス シキ(大学部バハテ科)
・双貌のドォル(原磯結界の主、天使)
・グウェンダリン(シュトラッサ―)
・絵羽(学園退学者)
・ゲンヤじいさん(初等部、92歳)
犯人は、この中にいる。
「‥‥どうしてこのリストには、私市さんのお名前が無いんですぅ〜?」
涙羽に突っ込まれる、きさカマ。
「探偵が犯人なんて、あり得ないんだよ」
「あり得ますぅ、私、以前にそういう内容の推理小説を読んだことがあるのですぅ」
またしても、2人の視線に稲妻が走った。
●
「そういうわけで、皆のアリバイを調べるのだよ。全員にアリバイがあったら、現場検証をして、怪しい点がないか探すんだ。それで、アリバイに粗がある人を指摘して、事件をスピード解決だ! 僕って賢いね!」
きさカマはひとりずつ、容疑者を呼ぶことにした。
・黄昏ひりょ(客人)
「あ、俺はマグノリアさんと一緒に、詠代さんとゲンヤおじいさんのマグロ解体ショーを見ていました。轟さん兄妹も一緒でした」
・マグノリア=アンヴァー(客人)
「はい、ワタクシは、ひりょさんの仰るとおり、マグロの解体ショーを見ておりました。轟さんご兄妹も一緒でした」
・詠代 涼介(屋台バイト)
「刃物を扱うんで、神経を張るからな。客までは見ていなかったな。解体ショー直前までは、ゲンヤじいさんと、マグロステーキを焼く段取りを打ち合わせていたと思う」
・ゲンヤじいさん(初等部、92歳)
「ヨミくんと一緒じゃのう。マグロステーキを焼く準備をしていた気がするわい。マグロはのう、ノコのような包丁でないと、捌けんのじゃよ(以下老人の長い話が続く)」
・轟闘吾(大学部、番長)
「‥‥詠代に言われて、解体ショーを見ていた‥‥。妹のモミジと一緒にな。‥‥黄昏とアンヴァーが証人だ」
・川澄文歌(客人、アイドル)
「パーティ会場のステージにいたよ。踊ったり歌ったりしていて‥‥デッキには来ていないと思います」
・木嶋香里(客人、女将)
「パーティ会場だけでなく、船中で、お客様にお出しするお料理を手伝っていました。配膳は、シキさんやグウェンダリン、絵羽さんも一緒でしたよ。ステージに文歌ちゃんがいたかどうかは、ちょっと覚えていませんが、確かに歌は聞こえていたと思います♪」
・アリス シキ(大学部バハテ科)
「わたくしも、木嶋さんや絵羽さん、グウェンダリンさんを手伝ってございましたの。グウェンダリンさんのご指示で、お風呂に粉末温泉のもとを入れましたのは、わたくしですのよ」
・グウェンダリン(シュトラッサ―)
「マスターのご命令どおり、お客様をおもてなししておりました。悪魔の死後に、マスターの命でデッキを綺麗に掃除いたしました。それは認めます。でも殺害には関与しておりません。わたしなら迷わず銃を使います」
・絵羽(学園退学者)
「わたし、よくわからないです。お客様のおもてなしで忙しかったですし、そう、シキさん、グウェンダリンさん、あと、木嶋さんでしたっけ、着物ドレスのお客様にも、お手伝いいただいて。お料理を運んだり洗い物をしたり、すっごく忙しくて‥‥悪魔さんのお話は、ずいぶん後になってから知りました」
・双貌のドォル(原磯結界の主、天使)
「ぼくは二階堂くんとずっと一緒にいたよ。デッキで日光を浴びていたんだ。屋台が見えていたから、おじいさんや詠代くんからは見えていたんじゃないかい? マリカせんせーと話をしていたよ。ぼくは芸術に興味があってね、色々と話していて楽しんでいたよ」
・風香院 涙羽(客人、監察医)
「あらあら、なんですぅ? 私を疑うんですぅ? 私はお風呂にいましたよぅ。シキさんが温泉のもとを入れに来たのも覚えていますぅ」
・きさカマ本人
「うん、僕はお腹を壊してずっとトイレにこもっていたね。多分、臭いが証明してくれると思うよ」
‥‥。
全員の白い視線が、きさカマに向かう。
「というわけで、誰もアリバイに粗がない。つまり、遺体を投げ捨てたドォルさんが最も怪しいね。犯人は貴方カマァ!」
「最も怪しいのは私市さんですぅ!!」
びしりと涙羽に指を突きつけられる、きさカマ。
「なんでそうなるんだよ? 男子トイレに行ってみれば、すぐ本当だってわかるって!」
「汚いお話はやめてくださいですぅ! 脱臭スプレーくらい、常識的に使ってくださいですぅ。次に使う人のことを考えてくださいですぅ」
「そんなこと言ったら、ひとりで風呂に入っていた監察医さんはどうなるんだよ?」
「あらあら、私は、ちゃんと目撃されているはずですぅ」
ね、シキさん、とすがるような視線を送る涙羽。
そうでしたかしら、と首をひねるアリス。
何しろ、おもてなしであれこれと雑用が入り、とにかく忙しかったのだ。
「まあまあ。とにかく、殺人事件なんて大袈裟にしないで、楽しくパーティを続けようじゃないかい。どうせ殺されたのは悪魔族でしょ。天使族ならともかく、悪魔族がどうなろうと、ぼくたちには関係ないからね」
ドォルはにこやかに言い切った。
●
とはいえ、その後のパーティは疑心暗鬼にあふれていた。
「さぁ、はりきって、皆さんをおもてなししましょう♪」
涼介とゲンヤじいさんが捌いたマグロを、丁寧に香里とアリスが調理する。
それを、銀鼠色の着物に着替えた文歌が、たすきで袖をからげて、お膳に丁寧に盛り付ける。
「あ、これはこちらに置いて、これはこっちに添えて‥‥」
どこか控えめなグウェンダリンと、年下の絵羽に対し、何となく、しっかり者の文歌が盛り付けを仕切ってる様に見えなくもない。
「文歌おねーさん、女将さんみたいですね」
「えっ、私、そんなふうに見えます? そんな、正統派女将の香里ちゃんがいますから、私なんて、女将どころか、仲居がせいぜいですよ〜」
絵羽に指摘されて、文歌は照れて頬をおさえた。
「毒なんて盛られていないので、大丈夫ですよ♪」
「本当ですの、本当に大丈夫なんですのよ。新鮮でおいしいマグロ尽くしのご飯ですの〜」
香里とアリスの手掛けたマグロづくし膳に、長らく手をつけようとしない客人たち。
率先して2人が食べて見せても、なかなか皆の不信感を払拭できない。
「これってゲンヤじいさんのですよね‥‥」
「詠代さんには、あの悪魔娘を殺したい動機もあるそうじゃないですか‥‥何でも、依頼で因縁が出来たとか、そうでもないとか、なんとかかんとか‥‥」
ひそひそ。ひそひそ。
大食堂は嫌な雰囲気で満ちていた。
「あのなあ」
耐えかねて、涼介は声を荒げた。
「確かにあの時、俺は包丁を扱っていたし、ジェルトリュードを殺したい動機もあるから、俺が疑われるのはわかる。だがな、疑うならまず証拠を見せてみろよ、証拠を!」
よくありがちな台詞を吐いたところで、涼介は仁王立ちになり、演説を始めた。
「第一、俺ならこんな安易な殺し方はしない。正々堂々と戦って倒す。それから手足と翼を折って身動きを取れなくして、ここでは言えないようなことを色々やって、たっぷりとひどい目に遭わせてから‥‥いや、冗談だぞ、冗談」
目を血走らせながら冗談と繰り返す涼介。
「あらあら、やっぱり犯人はぁ‥‥!」
涙羽に凝視され、涼介はぶんぶんと手を振って、冗談であることを強調した。
「冗談だ、冗談‥‥多分だが、な」
まだ血走っている眼で、ぼそり、と最後につぶやいた。
『♪HappySong☆
みんなに届け HappySong☆
‥‥
これが私の夢のカ・タ・チだよー☆♪』
文歌の持ち歌が、大食堂に響き渡る。スキルとしてではなく、今回は持ち歌として、お客様に披露しているのである。
底抜けに明るい歌が、疑心暗鬼で暗くなっていた雰囲気を吹き飛ばした。
「いただきましょう」
一般人代表であり、善人代表でもある、辰巳がまず箸に手をつける。
「おお、本当に美味しいです。舌でとろけるようなマグロですよ。皆さんもどうぞ」
「本当ですー、おいしいのですー!」
大盛りのご飯をお代わりしながら、マリカせんせーが歓声をあげた。
「そうですね、折角ですから、楽しい旅行にしたいです♪」
にこにこと香里が食事を始める。
少しずつ、少しずつ、大食堂の空気が和らいでいった。
●
マグノリアは、マグロづくし料理を食べて、「美味しいですの!」と絶賛していた。
「トロだけに、舌の上でとろけて、トロットロだね」
「もう、ひりょさんったら!」
楽しい会話と、ジョーク交じりの食事会。
捌きたて、調理したての新鮮なマグロは、それだけで大変なご馳走だった。マグロは部位によって味も変わる。料理法によってまた違う味わいが楽しめる。
ひりょとマグノリアにとって、今回は、特別な旅行となるはずだった。
(マグさんとは波乱万丈な思い出が結構ある。でも、思い返すと一つ一つがいい思い出なんだ)
ひりょは笑顔で料理を堪能しながら、マグノリアを見つめていた。
「美味しい」と感動のため息をつくたびに、マグノリアの巻き髪が微かに揺れる。
(だから、「今回もいい思い出になったらいいな」と客船でのパーティーにお誘いしてみたんだ)
「さて、問題はこの中に、あの悪魔の言った犯人、『湯煙美人女将』がいる、ということだな」
きさカマが、和んできた雰囲気をぶち壊した。
皆の箸がいっせいに止まる。
(美人? そこは重要な所なのか?)
何かが引っかかって、ひりょは考え込んだ。
(ひりょさん‥‥とても激しい妄想をして、もしや、鼻の下を伸ばしているのですか!?)
ちゃんと見れば、とてもそうは思えない真面目な表情なのだが、今のマグノリアには嫉妬フィルターがかかっている。
ムッとしたマグノリアは、強い口調でひりょをなじった。
「何ですの! ワタクシより、美人女将のほうが気になりますか!」
「そうじゃないよ! ただ、何で美人ってところが重要なのかって‥‥!」
「ええ、ええ、重要でしょうとも! 男の人はみんなそうですの。美人には誰だって何だって甘いんです! ひりょさんは、ひりょさんだけは、違うと思っていました!」
ぷんぷん怒りながら、お膳もそのままに、駆け足で大食堂を立ち去るマグノリア。
船の廊下には、揺れに備えて、必ず手すりがついている。
マグノリアは手すりを掴んで、デッキ方面へ走る。
「追ってさしあげなくて、よろしいんですの?」
「うーん‥‥少し、頭を冷やしてからにするよ。有難う、シキさん」
心配して声をかけたアリスに、ひりょは笑って見せ、そして真顔に戻った。
(少し気持ちを落ち着けた後、マグさんを追いかけて、誤解を解いて、ちゃんと謝ろう)
船のデッキで潮風にあたりながら、頭を冷したマグノリアは、やっぱりひりょに謝ろうと思い、大食堂へと戻ろうとしていた。
(考えてみれば、鼻の下を伸ばしている顔じゃなかったです)
デッキテーブルには、番長が使おうとした、ガラスの重そうな灰皿が、ぴかぴかに磨かれたまま、放置されていた。吸殻のあともなく、使われた形跡もない。
船内に戻った途端、突然、停電が起き、真っ暗で方向感覚を失い、混乱してしまったマグノリアは、何かぐにゃっとしたものを、ヒールで踏みつけてしまった。
そして明かりが戻ったと同時に、悲鳴が聞こえ、目の前に良く知らない誰かが転がっていた。
絵羽の死体だった。
背中から刃物で刺し貫かれている。
遺体の近くには、先ほど見かけたのと同じような、ガラスの灰皿が転がっており、絵羽の後頭部に激しい打撲痕が見つかった。
「えっ‥‥! わ、私は何もしていません! 巻き込まれただけなんです!」
絵羽の遺体のすぐそばに立っていたのは、第一発見者である、美人女将、香里だ。
「本当なんです、信じてください!」
「ワタクシも‥‥通りがかっただけなんです!」
マグノリアも無実を訴える。
「包丁による刺し傷だね。鈍器で殴ってから刺した感じかな? 死因はあの悪魔とおんなじみたいだね」
噂を聞きつけ、きさカマがやってきて、絵羽の遺体を調べる。
「マグノリアさんは黄昏くんと口論をしていた。でも、そう言えば、どうして女将さんは、絵羽さんもだけど、大食堂にいなかったんだろう?」
疑問に思い、きさカマが尋ねる。
「皆様に、あとの口(デザート)を配膳しようと、席を立ちました‥‥」
しどろもどろに、香里が答える。
まだ、動揺しているのだ。
●
(誤解させてしまった‥‥マグさんには悪いことをしたな。でも、『湯煙美人女将』って気になるよな。もしかして、女将と美人は同一の人を表す言葉じゃなくて‥‥)
ひりょは、マグノリアを追おうと廊下を足早に歩いていた。
そして、見てはいけないものを、見てしまった。
びりっと電気的な刺激が全身を貫いたと思うと、強制的にひりょは意識を刈り取られ、その場に崩おれた。
大事な眼鏡が、衝撃で吹き飛ばされる。
物陰から飛び出した真犯人が、万能包丁を振りかざし‥‥ひりょを、背中から深々と刺し貫いた。
だが。
「謝りたかった。なのに、ちょっとした事から口論になっちゃって‥‥。謝りたい、そう思うのに体が動かなくなっていく‥‥ここまで、なのか‥‥。マグさん、ごめん‥‥」
真犯人は動揺した。
手ごたえは確かにあった。この一撃で、ひりょは、死んだ、はずだ。
ひりょの遺体は、ゆらりと立ち上がり、遠のいていく意識の中で、懺悔の言葉を口にしていた。
「マグさんに‥‥謝らなくちゃ‥‥あ、あれ、どうし‥‥」
虚ろな瞳のひりょにまじまじと顔を見られ、真犯人は逃げ出した。
勢いで思わず、弾きとばされていたひりょの眼鏡を、したたかに踏みつける。
眼鏡は、バキンと音を立てて、粉々に割れた。
「ぐわあああ!」
ひりょは絶叫し、その場に崩れ、転げまわって絶命した。
(まさか、彼、眼鏡が本体だった‥‥!?)
真犯人はちらりと思うが、再び【潜行】して、その場から姿を消した。
停電が復旧した時、ひりょの死体も発見されていた。
発見者はやはり、あとの口(デザート)を配膳しようと廊下に出た、グウェンダリンとアリスだった。
監察医・涙羽がおっとりと検分する。
遺体のそばには、激しく踏みつけたように、粉々に割れた眼鏡。
背中に包丁らしき深い刺し傷があり、更に全身打撲、及び、全身いたるところを粉砕骨折しており、頭蓋骨も陥没し、顔中が血まみれだった。
偶然、その形に血糊がたまったのか、ダイイングメッセージなのか、「M」とも「E」とも「3」とも「Σ」とも「F」の描きかけとも見える、謎の血文字が、床に残っていた。
「黄昏さんは、直前にマグノリアさんと口論をされていますからぁ、ダイイングメッセージはMなのですぅ? でもその時、絵羽さんの事件が起こって、マグノリアさんはここには居ませんでしたからぁ‥‥」
うむむと涙羽が悩みこむ。
遠くから、大食堂で文歌の歌う、『みんなに届け HappySong☆』が聞こえていた。
●
「被害者‥‥死者が3人も出たんですか?」
船主である辰巳は、顔色を変えていた。
「あらあら、もうこれは立派な、連続殺人事件ですぅ‥‥」
おっとりと涙羽がうなずく。
「そんな、怖いのですー! 一般人だっていっぱい乗っているのにですー!」
モミジの車椅子を押しながら、マリカせんせーが涙声で鼻をすすった。
「せんせーたち、無事に学園に帰れるんでしょうかー。心配なのですー」
「何とか、犯人を捕まえないといけませんね‥‥」
辰巳も難しい顔をする。
「その役割は、April探偵の僕がやっぱり適任だね! 船主さん、事件を無事に解決したら、この船は僕が報酬としてもらい受けるよ! 『マンティス号』の船長王に、僕はなるカマァァァ!」
テンションゲージMAXで、きさカマがのりのりに告げた。
「まあ、船の一隻くらい差し上げてもいいですけれど、報酬はそれでいいんですか?」
「カマァァァァ!!!」
大金持ちは流石に違う。
あっさりと請け合う辰巳と、きさカマの会話に、涙羽は頭を抱える。
「脳細胞が緑色をしている、カマキリ並みの頭脳の私市さんに、この事件を解決できるとは、とても思えませんですぅ‥‥」
「何だってカマァァァァ!!?」
またしても、探偵と警察の対立が深まる。
そう、この2者が揃ってしまったサスペンスドラマでは、よくある光景なのである。
「聞き捨てならないカマァ! この事件は僕がきっちり解決するカマァ!!! そして明日からこの船はApril探偵の船になるんだよ!」
魔具のヴァンガードフラッグを取り出し、大きく振る、きさカマ探偵。
船が我がものとなった暁には、一番てっぺんに、ヴァンガードフラッグを突き刺し、『マンティス号』と改名したうえで、探偵を辞めてカマキリ船長になるのだそうだ。
「どうでもいいんだけれど、この船は海洋にはでられないよ。結界があるからね」
ドォルに言われるが、細かいことは気にしない、きさカマ探偵。
「あら、そう言えば、どうしてドォルさんとグウェンダリンさんは食事をとらなかったのですぅ? 何か深刻な理由でもぉ‥‥?」
涙羽は大食堂で、2人の前にお膳がなかったことについて、不思議に思っていたため、追及する。
「ぼくたちは、そもそも食事をする習慣がないし、それが例え魚であっても、死体を食べるんだって考えたら、気持ち悪くなっちゃって、生理的に受け付けないんだよ」
「ええ‥‥わたしも、お店でイクラを間近に見たことがありますが、赤い目玉かカエルの卵みたいで、とても口に入れたいとは思えませんでした」
グウェンダリンも証言する。
勇気を出して箸でつついては見たものの、グロテスクにしか見えず、食べてみる意欲も失われたのだそうだ。
「食事をしない天使族ですぅ?‥‥むむ、この連続殺人事件に、何か関係があるでしょうかぁ?」
監察医・涙羽は、悩みこんだ。
恐らくは、3件とも、ブレーカーの一部を切って、部分的に停電させたうえでの、殺害である。
まず、昼の12時に、ジェルトリュードがデッキで死んだ。
次に、午後8時頃、船内、大食堂そばの廊下で絵羽が。
その直後、午後8時半より前に、船内、デッキへ向かう廊下でひりょが。
そう言えば死ぬ直前に、ジェルトリュードが「今夜12時」と宣言していたはずだが、どうやら時間は関係なさそうだ。
もしかすると、真犯人を見つけられないでいると、夜の12時に、また被害者が1人、増えるのかもしれない。
さて、それはともかく。
暗転した一瞬で、3名を殺害可能な位置にいたのは誰だろうか?
「最初の事件は、悪魔本人以外には難しいと判断しますぅ。死者は、本人と入れ替わった、同じ姿のディアボロで、本人はまだ船内に潜伏し、事件を起こそうとしていると推理できますぅ」
涙羽はそう言って、腕を組んだ。
「本物の悪魔が生きていて、今もどこかに潜伏し、第2・第3の事件を起こしたと考えられますぅ」
「僕の判断はちがうよ! 遺体を投げ捨てたドォルさんが犯人だよ、それ以外に考えられないもんね! だって最初の殺害現場も清掃させちゃったカマァァァ!! 証拠隠滅カマァァァ!!!」
興奮する、きさカマ。
ふと見ると、バンカラ姿の巨漢が手招いている。
「やはり話しておかねばならぬと思うことがある‥‥あとで話が出来ないか?」
番長は、きさカマと涙羽に、そう言って背を向けた。
――続いて、次の原磯ニュースです。
大食堂の巨大モニターに、古めかしい印象のニュース番組が流れていた。
――本日、原磯海岸で、悪魔の少女とおぼしき遺体が発見されました。遺体は背中に刺し傷があり、原磯駐在所では他殺事件ではないかとみて、現在、住民で対策本部を設置し、今後について会議中です‥‥それでは次のニュースです‥‥ここ原磯でも、桜が満開となりました‥‥(略)
●
船についている人工温泉(温泉のもとを入れただけ)は、意外にも広くて豪華だった。
女湯は、ヒノキ造りで、風呂から素朴な良い香りが漂っている。
「文歌ちゃん、先に来ていたんですね♪」
香里が洗い場から浴場へ入ると、そこにいたのはアイドル・文歌だった。
「結構、熱唱したから、汗だくになっちゃったよ。こんなに広いお風呂だと、足ものばせて気持ちいいよー。香里ちゃんも早く入ろっ♪ あ、お背中流してあげようか?」
長い髪をタオルで巻きあげて、女性たちは体を伸ばし、適温のお湯を楽しむ。
しばらくして、マグノリア、涙羽、グウェンダリンとアリスも入ってきた。
静まり返った浴場に、アリスのか細い声が響く。
「あの、マリカせんせーもお誘いしたのですが、ミチルさんとご一緒に、モミジちゃんの介助をなさると仰ったので、わたくしたちがあがってからになるそうですの」
モミジは、以前、天魔に襲われて、両足を失った。
お風呂に入るときは、両足の義足を外す必要があるし、介助の手も欲しかった。
マグノリアは涙をこらえて、お湯に身を浸していた。
亡くなったひりょと、最期まで和解できなかった。
あの時、自分が飛び出さなければ、ひりょは殺人犯と出くわすこともなかったのだ‥‥きっと。
「ワタクシが殺したようなものです‥‥」
「マグノリアさん、大丈夫ですぅ。殺人犯は、必ず見つけてみせますぅ。カタキは取りますよぉ」
涙羽がマグノリアを励ます。
「きっとあの悪魔本体が、この船に隠れているのですぅ。『湯煙美人女将』なんて紛らわしいキーワードを残して、きっと誰かに罪をなすりつけるつもりだったのですぅ」
ぶるりと女将・香里が震えた。
「私、本当に何も‥‥。巻き込まれてしまっただけで‥‥」
「誰も香里ちゃんを疑っているわけじゃないよ。安心して。私が守るよ」
正真正銘の美人女将を、全裸でぎゅっと抱きしめる文歌。
勿論、女性陣の体は、都合よく部分的に湯煙で隠れている。
時々湯煙が薄くなる時もあるが、それは視聴者諸氏の脳内で確認していただきたい。
「‥‥皆さま、すごいですの‥‥」
Kカップの涙羽、Gカップの香里のムネを見つめ、自分のムネに思わず目を落とすアリス。
「お風呂から上がったら、私が文歌ちゃんの着付けをしてあげますね♪ 文歌ちゃん、今回は色々なお着物でみえてますものね。とても上品なお着物ばかりで、合わせ帯の柄も、どれも素敵だと思いますよ♪」
「有難う、香里ちゃん‥‥!」
文歌は香里に抱き着くと、招待主のドォルに、舞台歌手として、和装と歌謡曲でのおもてなしを所望されたのだと打ち明けた。
天使ドォルは、アイドルソングと歌謡曲の違いが、よくわからなかったのだ。
大食堂やホールのステージで、お客様に歌でおもてなしをするべきなのは、辛うじてわかっていたようだが、人間界の芸能事情までは、流石にまだ、学べていないらしい。
突然、男湯のほうから悲鳴が上がった。
「どうしたんですぅ?」
瞬発的に動いたのは、監察医・涙羽だった。
おっとりした印象が急に薄れ、涙羽は体に素早くバスタオルを巻き、バスローブをその上からばさりと羽織って、ぎゅっと腰紐を締めた。
「カ、カマァァァ!」
悲鳴の主は、きさカマだった。
恐る恐る覗き込むと、岩風呂風に作られた広い浴室に、着衣のままの闘吾が倒れていた。
手早く涙羽が検死をする。
闘吾の背中には深い刺し傷があり、浴室のお湯であたためられ、血がとめどなく広がっている。
刺し傷は、肺に達しており、明らかに致命傷であった。
今までの被害者と同じである。
「気づいたことがあるから話そうって、約束だったのだよ。それで来てみたら、先輩がこんなことに‥‥カマァ、いったい誰がこんなひどいことを!!」
「第1被害者の悪魔ですぅ! あの小娘、まだ船内をうろついているのですぅ!」
涙羽は言い切った。
「死んだと見せかけて生きている、これはサスペンスドラマの常とう手段なのですぅ」
「だが、これはサスペンスドラマじゃない。俺たち、実際に危険に瀕しているんだぞ?」
風呂に入りに来て、現場に出くわした涼介が、切実な声で訴える。
隣でゲンヤじいさんが、「何だか錆び臭いわい、そういう泉質の温泉なのかのぅ」と、のんきに風呂の支度を始めている。
「とにかく、全員、同じ部屋に集まるカマァ! ひとりで行動すると危ないんだよ!」
きさカマの言葉に納得し、皆、身支度を整えた。
「あ、少し待ってください。まだ文歌ちゃんの着付けが終わっていないんです」
女将・香里が文歌に、黒い着物を手早く着せ付けながら、声を上げた。
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パーティ会場でもある、ステージのある大ホールに皆が集合する。
「僕以外は全員容疑者といっても過言ではないカマァァ!!」
「あらあら、私の推理が間違っているという証拠でもあるんですぅ?」
きさカマと涙羽は、またしても睨み合う。
探偵と警察が対立するのは、サスペンスのお約束なのだから、仕方がない。
「悪魔はきっと、<物質透過>などで姿を隠し、私たちの命を狙っているのですぅ。そうに違いないのですぅ」
「異議ありだ。あの悪魔小娘なら、包丁みたいな小道具なんか使ったりしないだろう。どかんとスキルをぶっぱなして、船ごと沈めてハイさよーならだ。そういう小娘だぞ、あいつは」
ジェルトリュードと実際に面識のある涼介が、肩を竦めた。
「黙るんだカマァ、容疑者1・詠代涼介! あの悪魔娘への殺しの動機は、詠代くんが一番強いってことを、忘れちゃいけないな!」
探偵・きさカマは、とある依頼でのジェルトリュードと涼介との邂逅について語り始める。
「そして容疑者2・木嶋香里! 名実ともに美人女将であり、そして昼間は着物ドレスで登場したと思いきや、夜になってからは洋服を着ている。これは『和服美人が犯人もしくは重要人物の場合、クライマックスでは洋服に着替えている』という、よくあるサスペンスドラマの法則に合致するんだカマァ!」
「そんな‥‥言いがかりです!」
香里は泣きながら無実を訴えた。
「大体、私にはアリバイがありますよ。厨房でゲンヤおじいさんと詠代さんとシキさんと一緒に、お料理をしていましたから。配膳をしてくださった、グウェンダリンさんも、亡くなられた絵羽さんも、ご存知のはずです」
「はい。確かに彼女はお料理をしていたようです。ああいった行動をお料理というのか、わたしにはよくわかりませんが」
グウェンダリンが、若干心もとない証言をする。
「きさカマさんだって、容疑者じゃないんですか? ひとりだけアリバイがなかったじゃないですか!」
香里を疑われたのが気に障ったのか、文歌が食って掛かる。
「カマァァ、僕が犯人なら、真っ先に二階堂さんを狙うよ! だってこの船が欲しいからね! でも報酬でもらえることになったから、動機としては不十分だよ! 僕は絶対に犯人を探り当ててみせるんだ!」
きさカマは涼しい顔だ。
「そういう川澄文歌さんは、容疑者に入らないと思っているのカマァァ? 死んだ悪魔は、冥魔界のアイドルだったと川澄さんは最初に言っていたよね? アイドル同士、熾烈なファン獲得争いでもあったんじゃないのカマァァ?」
ぴきり、文歌のこめかみがひくついた。
あっはははははは、文歌は狂ったように、高笑いを始めた。
「文歌、ちゃん‥‥?」
「私が犯人? そう断言するのなら、勿論、証拠はあるんですよね?」
驚いて怯える香里、人格が変わったかのように、強気に出る文歌。
「アイドルと言っても、川澄さんは、着物を幾つ持ってきているのカマァ? 流石に舞台を任された身とはいえ、お色直しはそんなに頻繁にはしないものだよね? 着物って存外に高いからね」
きさカマはそう言って、ぐっしょりと濡れた着物一式を2揃い、涙羽に持ってこさせた。
「停泊中でしたからオオゴトになりませんでしたけれど、この着物はスクリューに絡まっていたそうですぅ。着物を、海に投げ捨てた人がいるってことらしいですぅ」
涙羽はそう説明して、文歌を見つめた。
「あらあら、どうしたんですぅ? 川澄さん、怖い顔をして。着物には返り血がついているようですよぅ」
つまり、人間の仕業ですぅ、と涙羽は、ブラフで掲げていた持論を撤回した。
「DNA鑑定に回せれば早いんですけれどぉ、片田舎の船の上では難しいですねぇ。私の推測ですがぁ、捨てられた着物は藤色と、銀鼠色。そして、高価そうな帯が2本」
涙羽は、ゆっくりおっとりと、言葉を重ねる。
「川澄さんのお色直しと着物の色が、一致しているんですぅ。私のプロファイリングでは、勘づかれた相手を口封じするために、犯罪を重ねたとみていますが、返り血対策だけは怠ったようですねぇ‥‥」
そして、じっと文歌を見つめた。
「どうですぅ、真犯人、川澄文歌さん?」
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文歌は、普段の明るいアイドルとしての顔をかなぐり捨て、般若のような顔つきになっていた。
「わ、私、‥‥許せなかったんです!‥‥あの小娘、私に何て言ったと思います?」
ジェルトリュードの小憎らしい顔を思い出す。
『アイドルが汗をかくなんて、信じらんない。全く、人間族なんて、ほーんと汚らしい劣等生命体よね』
『トイレなんて行くわけないじゃない。アイドルたるもの、ファンの夢を打ち砕くことは許されないわ。‥‥ははーん、あんた、アイドルの風下にも置かれない存在ってわけね。我慢しないで行けば? 知っていると思うけど、トイレのことをご不浄ともいうのよ。あんたみたいなご不浄アイドルには丁度いいおこもり場だわ』
『汗を宝石に例えるなんて、またキモイ宝石だわね。中に細菌ウヨウヨしてるんでしょ。ただの排泄物じゃない。光りもしないし、ああ悍ましい』
『ねえ、本当にあんたアイドルなの? 恋愛禁止って知らないの? アイドルの放つ愛は、ファン全員に、惜しみなく捧げられるものであるべきじゃないの?』
『なーんだ。話してみるんじゃなかった。時間の無駄だったわ。人間界のアイドルは雑菌の塊ね』
「あんなふうに楽屋で言われて‥‥許すことなんて、できなかった‥‥!」
ぷるぷると震えだす文歌。
「最初は、アイドル属性が被っていたから、キャラ被りが怖かったんです。でも、話してみたら、キャラ被りなんてもう、どこかに行っちゃって‥‥殺意しか、わかなくて‥‥!」
「わかる。あいつは俺でも殺したくなる存在だ」
涼介がうんうんと頷いた。
文歌は自供を続ける。
「絵羽ちゃんにも、番長さんにも、申し訳ないと思ったよ。あの会話を聞かれていたことに気づいた時には、もう、機会をみて殺そうって決めていたんだ。番長さんは口が堅いから、誰にも言わないって信じていたんだけど、私が勝手に期待していたんだけど、裏切られちゃったから‥‥」
文歌はマグノリアに向き直ると、頭を下げた。
「ひりょさんは‥‥ごめん。絵羽ちゃんを殺したところ、見られちゃった‥‥」
マグノリアが、泣き声のような悲鳴をあげる。
「そんな、ひりょさんにワタクシ、まだ謝っていなかったですの‥‥! 謝らせてほしかったです、どうしてあんな、ひりょさんだけひどい目に‥‥!」
「わ、わからないよ。私は、【潜行】してから、相手を鈍器やスキルで【スタン】させて、包丁で思いっきり刺しただけだよ。全力で殺しにかかったのは確かだけれど、あんな、全身粉砕骨折とか、あそこまでひどいことになるなんて、知らなかった‥‥よ」
「じゃあ、誰よりも先にお風呂にいたのは‥‥」
「うん。返り血を洗い流すため。これだけ言えば、私が真犯人だって、信じてくれるよね?」
真っすぐに、きさカマと涙羽を見つめる文歌。
「4月某日午後10時47分。川澄文歌、殺人容疑で逮捕しますぅ。被害者の特徴から、警察の範疇ではないと判断し、学園に連行しますぅ」
涙羽は、警察手帳と手錠を取り出し、文歌の手を拘束した。
「あなたには弁護士を頼む権利がありますぅ‥‥(略)」
●
青い結界を透かして、朝の光がリゾートシップに流れ込む。
ヴァンガードフラッグを船の一番上に突き刺し、名実ともに「カマキリ船長」となった琥珀が見守る中、拘束された文歌が涙羽に連れられて、タラップから港にゆっくりと降りていく。
2人を結界の外へ送るため、天使ドォルも一緒についていく。
「ドォルさん、ひとつだけ、聞きたいことがあったんです」
文歌は確認した。
「なんだい?」
「ここに招いた一般人の皆さんからは、感情の吸収は‥‥」
「勿論していないよ。そんなことをしたら、客人にとって失礼にならないかい?」
それはよかったです。
にっこり笑って、文歌は一足先に、学園へと護送されていった。
「本当にこの船、もらっちゃっていいのかな?」
カマキリ船長は、何度も辰巳に確認していた。
「いいですよ。船の一隻くらい。でも、ドォルさんがいないと、原磯から出られませんけれどね」
「それじゃ、海洋王にはなれなさそうだね。でも、まあ、船長王にはなれたから、いいのかな」
「うああん、ひりょさん〜」
マグノリアは息絶えたひりょの遺体に寄り添っていた。
粉々に砕けた眼鏡を見つめる。
眼鏡の砕け方と、遺体の損傷具合が、似ている気がした。
「もしかして‥‥!」
マグノリアは船を降り、原磯の眼鏡屋で新しい眼鏡を買う。
それをひりょの遺体にかけてみると‥‥。
「ん?」
ひりょの魂が新たなる眼鏡に乗り移り、遺体は目を覚ました。
あの酷い傷は、跡形もなく治っていた。
「あれ、俺、どうして‥‥」
「ひりょさん!」
マグノリアは「ごめんなさい」と一言やっと言ってから、わあわあと泣き出した。
ひりょは、泣きじゃくるマグノリアを見つめ、そっと巻かれた髪をなでた。
「そうだ、文歌さんが、灰皿で絵羽さんを‥‥」
「もう、いいんです。ひりょさん。全部、解決したんです」
ハンカチで涙を拭いて、マグノリアはひりょに、にっこりと笑って見せた。
●
笑顔の2人が、ズームアウトする。
画面に、『終』の白い手描き文字が、いっぱいに写り込む。
皆、モニターを見ながら、拍手をしていた。
「いやあ、川澄さんは、迫真の演技だったね。やっぱり本物のアイドルは凄いなあ」
琥珀がパチパチと手を打ちながら、称賛する。
「血糊はなかなか、使いづらい‥‥」
被害者役だった番長が、率直な感想をもらした。
絵羽もうんうんと、頷いている。
「温泉シーンのポロリがいまいち目立たないな、あれがないと視聴率を下げる要因になるらしいぞ」
涼介が冷静に突っ込みを入れる。
「私、どうしてこんな、つんけんしている役どころなんですぅ?」
おっとりと涙羽が小首を傾げる。本来の彼女は、カウンセラー気質の、頼れるお姉さんなのだ。
「それは、お約束として、探偵と警察が、犬猿の仲だからなんじゃよ」
テレビに詳しいゲンヤじいさんが、解説する。
そう、一同は、
『湯煙美人女将殺人事件』というサスペンスドラマを自主制作していたのであった。
テロップの最後に、「ゲスト出演:何原某子」とある。
ジェルトリュード本人ではなく、そっくりなエキストラ(原磯住人)を起用したのだ。
かなり濃い撮影用メイクとカラコンとウィッグで誤魔化して、本物に限りなく似せてある。
「‥‥あいつに見せるのか? これ?」
「見せるわけないですよ♪」
かくて、本物のジェルトリュードのあずかり知らぬところで、彼女を黒幕に仕立てたドラマが作られていたのであった。
このことを彼女が知ることは、この先も恐らく、ないであろう。
「ま、ともかく、ジュースで乾杯ですね!」
「かんぱーい!」
「おつかれさまー!」
自主制作ドラマのスタッフたちは、ロケ地・原磯を出ると、千葉某所にあるカラオケボックスで、打ち上げに興じていた。
そのドラマは、自主制作動画愛好会連合の、定期上映会に出展されることになっている。
どんな評価をもらえたのか、それはまた、彼らは別の機会に知ることになるだろう。
(おしまい)