※当報告書におきましては、漢字が文字化けするおそれのある用語については、カタカナ又はひらがなで表記しております。
●おひな様になろう
翡翠 雪(
ja6883)、浪風 威鈴(
ja8371)、御剣 正宗(
jc1380)、櫻木 ゆず(
jc1795)の4名は、おひな様のコスプレをすべく、広い更衣室に呼ばれた。
最初は化粧からスタートだ。顔や襟足の産毛を剃り、眉を抜き、真っ白いおしろいを塗りたくられる。薄くなった眉を、うすめた墨でなぞり、更に額に2つの丸(殿上眉)を描かれる。
真っ赤な口紅をちょこんとさし、平安美女たちが完成した。
「うっわ‥‥予想より、結構いけてる‥‥ボク‥‥!」
正宗は、鏡を見て、まるで人形のように仕上がった、タマゴ肌の自分に見とれていた。
続いて、着付けである。
ホテルの専属着付け師に混じり、木嶋香里(
jb7748)も着付けのお手伝いを始める。
まず、砧(きぬた)で打ってつやを出した、緋色の長袴を身に着けてもらう。
次に単(ひとえ)を着て、五布(いつつぎぬ)を重ね、一番上に唐衣(からぎぬ)を纏う。
そして裳(も)を唐衣の後ろを覆うように重ね、後ろに長く引く装飾的な帯、引腰(ひきごし)をアクセントに垂らす。
これで、いわゆる十二単、五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)の完成である。
「お、重いです‥‥」
ゆずが困ったように笑みを浮かべる。
「これから、大垂髪(おすべらかし)に髪を結いますから、じっとしていてくださいね♪」
香里がゆずの、ひと房だけオレンジ色の髪をさらりと梳いた。
「とは言いましたが‥‥」
香里は、着付けまで済んだおひな様たちを見ながら、考え込んだ。
雪はピンク髪、威鈴は銀髪、正宗は金髪、ゆずは茶髪だ。そして皆、当たり前だが、長さが足りない。
「皆さん、黒髪のウィッグでも構いませんか? どうしても自前の髪色で、という希望がある人は、言ってくださいね♪ 足りない髪はエクステで足していきますので、大丈夫だそうですよ♪」
こうして希望者は、顔の横を膨らませて固め、前髪を上げて結う「おすべらかし」を体験することになった。髪上げ具として使われる金属板「サイシ」を、紫の紐と3本のかんざしで止め、小さな珠を幾つも繋いだヨウラクを、額櫛(ひたいぐし)から下げ、後ろに流した髪は四か所で結ぶ。
後ろにぞろりと引きずるほどの長い髪が必要とされるため、エクステがかなり必要だった。
だが、ホテル専属の髪結い師の腕は確かだ。
見事に4人をのおすべらかしを完成させてしまった。
手に持つための優雅な扇、檜扇(ひおうぎ)を渡されて、おひな様の着付けは完成である。
(アキラ、どんな顔で見てくれるかな)
ゆずはパートナーのアキラにお披露目する瞬間を、楽しみにしていた。
●お内裏様になろう
浪風 悠人(
ja3452)、翡翠 龍斗(
ja7594)、ユーラン・アキラ(
jb0955)、星野 木天蓼(
jc1828)の4人は、おひな様たちが着付けをしている間、別の広い更衣室へと案内されていた。
やっぱり最初は化粧からスタートだ。髭はもちろん、顔や襟足の産毛を剃り、眉を抜き、真っ白いおしろいを塗りたくられる。薄くなった眉を、うすめた墨でなぞり、更に額に小さめの2つの殿上眉を描かれる。
真っ赤な口紅を上唇にだけちょこんとさし、雅やかな平安貴族たちが完成した。
この時に、女性とは手順が違い、髪を上げて結ってしまう。
白い袴を重ね履きした後、シタガサネを着用し、丸襟で唐風の「縫腋ほう(ホウエキホウ)」という装束を身に着ける。後身を長く引くシタガサネの裾(きょ)は、撮影時には畳んで背中にあてるようにおさめるそうだ。飾剣(かざたち)を下げるための平緒(ひらお)を垂らし、革製の石帯を締める。
結い上げたモトドリは冠の巾子(こじ)へおさめ、ずれないようにコウガイを挿して固定する。冠の後ろにリュウエイという、ぴんと立った羽状の飾りを挿せば、お内裏様、完成である。
笏(しゃく)を手にし、皆、めいめい自分の姿を鏡で確認する。
「大分イメチェンしてるなあ。ゆず、俺だってわかってくれるかな?」
不安そうに、アキラは、美白された顔を覗き込む。元が小麦色の肌なだけに、違和感も大きい。
スタッフに混ざり、手早く着付けに加わっていた香里が、ぱたぱたと速足で次の更衣室へ向かっていく。
「有難うな」
アキラは香里の後ろ姿に、声をかけた。
●右大臣がふたり
雪室 チルル(
ja0220)と天羽 伊都(
jb2199)は、右大臣を希望していた。
チルルは、右大臣が近衛少将であるという役割を聞いて、各地を旅したどこかのご隠居の連れを思い出したが、細かいことは気にしない方針で行くことに決めた。
顔と眉と襟足を剃り、おしろいで真っ白になり、眉を薄めた墨でなぞられ、緋色の紅を上唇だけに控えめに挿す。髪は結い上げて男マゲにする。
2人して、緋色のケッテキノホウを着こむ。ケッテキノホウとは、官人が朝廷に出仕するときに着用する衣服であり、上衣の一つである。袖付けより下側で脇を縫わず、前身と後身が分かれたまま裾(きょ)が縫い合わさっておらず、乗馬等に障りのないよう工夫された衣装だ。
「これが黒いと、左大臣の衣装になるのね。黒のほうが地位が上なのね」
簡単に説明を受け、チルルは頷いた。
更に、剣を腰に下げるための帯であり、唐組という豪華な織に緻密な刺繍を施した平緒(ひらお)を垂らし、束帯姿を引き締める。
警固の任務の際にかぶるケンエイ冠(エイを巻いた冠)をかぶり、オイカケという、耳当てのような馬毛製の装飾をつけて、右大臣完成である。
刃のついていない儀仗の剣(ぎじょうのけん)、美しい儀仗の弓(ぎじょうのゆみ)、大型の鳥の尾羽で作られた矢羽を渡される。
早速和弓をもって、鏡に向かってポーズをとってみるチルル。
「結構動きやすいじゃない!」
「化粧が人形みたいだなあ。これはこれで面白いけれどね」
しげしげと鏡を覗き込む伊都。
「ノンアルコールの甘酒カクテルを用意してありますから、お2人ともどうぞ♪」
着付けの手伝いをあらかた済ませた香里が、ワゴンを押してきて、各更衣室に差し入れた。
●三人官女になろう
華桜りりか(
jb6883)、稲田四季(
jc1489)は、アリス・シキ(jz0058)を加えて三人官女のコスプレをしようと考えていた。
勿論、専用の広い更衣室に通される。
他と同じく、産毛を剃って、おしろいで真っ白に化粧をする。
最年長であるりりかとアリスは、中央のひとりは、眉を剃りお歯黒を塗るのが伝統的、と言われ、驚いていた。
当然ながら、お断りである。
「んぅ‥‥んむ、あの‥‥えと‥‥んと‥‥う‥‥? さ‥‥撮影というのは少し恥ずかしいのですが、可愛くて綺麗な衣装が着れるのは気になるの‥‥です。お歯黒は可愛くないの‥‥です」
「まあ、現代の感覚では、そうですよね。じゃあ無しにしておきましょうね」
ホテルのメイク師はそう言って、りりかとアリスのメイクを終わらせた。
人形のような真っ白いタマゴ肌、薄い墨でなぞった眉、控えめな赤い口紅。
衣装は、白の小袖に赤い長袴、その上に打掛をかさねて羽織る。
髪はおすべらかしに結って(ここでもウィッグやエクステを使うか尋ねられた)後ろに流す。
3人に渡されたのは、長柄(ながえ)という長い柄のある酒器と、島台(しまだい)という祝儀の飾りの置物と、提子(ひさげ)という鍋に似た形の金属製の酒器である。
「3人官女として並んで撮影する時は、左右の端の人が酒器を持って、外側の脚を少し前に出すように立ち、真ん中の人は島台を持って座りまーす。よろしくお願いしますね」
撮影スタッフから、声が飛ぶ。
「何だか、あたし達、本格的に人形になっちゃたみたいじゃない?」
四季が鏡を覗き込んだ。丁寧に施したフレンチネイルが、きらりと打掛けの袖から見え隠れする。
「いいなー、お内裏様とお雛様! 男の子、誘ってもよかったんだけどさ、そーゆー関係じゃないのに、カップルに混ざるのって逆に悲しいじゃん‥‥!」
「そうね、‥‥お雛さまも可愛いけど、女の子同士で楽しむのも良いと思うの‥‥。アリスさんと四季さんとご一緒に、三人官女なの。アリスさんとは初めまして、よろしくお願いします、です」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。りりかさん、四季さん」
りりかの言葉に、アリスはひざを折るようにして挨拶をした。
頭(おすべらかし)が思ったよりも、重いのである。
「可愛いけど重い衣装は‥‥なんだか修業、です?」
かくりと首を傾げようとして、りりかも頭の重さにふらついた。
「あーあたしもよろしくね! おんなじシキ同士だよねっ。仲良くしてね!」
「はい、勿論ですわ!」
四季とも笑顔で挨拶するアリス。
そこへ香里が、甘酒カクテルのワゴンを持って入ってきた。
「人が足りないと聞いていたのですけれど、三人揃っていますね」
香里は、人が足りなければ、三人官女に混じるつもりだった。左大臣もいないようなんですよね、と悩み始める。
「やりたいものやったらいいんじゃない? ばらでもいいみたいだし」
「‥‥そうですね♪」
四季に背を押され、香里も、三人官女の恰好をさせてもらうことに決めた。
●撮影会
概ね、同じタイミングで、更衣室から皆がスタジオに入っていく。
お互いの恰好を、初めて目にする瞬間だ。
「もうひな祭りの季節ね! 当然あたいも混ざるべきよね! 右大臣として皆を護るのよ!」
チルルは、借り物の儀仗の弓を構え、誇らしげに胸を張る。
勿論、氷結晶の意匠が施された和弓(V兵器)も携帯している。使いこなせているとはまだ言えないが、恰好がいいので撮影に支障はない。
はずだ。
(着物も中々似合ってるじゃないか)
悠人は、物陰に隠れてこちらを見ている、愛妻・威鈴の姿を見つけ、手を振って呼んだ。
「素敵だよ威鈴。綺麗だね。緑の目が一層映えて美人に見えるよ。可愛い」
「おひな‥‥さま‥‥? ボク‥‥似合って‥‥る、のかな?」
恥じらいに白い頬を赤く染め、威鈴はそろそろと物陰から出た。悠人が裾(きょ)を引きながらゆっくりと歩み寄る。
「似合っているよ、すっごく。可愛い可愛いおひな様だよ」
そう言って妻の頭を撫でようと手を伸ばし、悠人は手をとめた。きっちりと結い上げられた、おすべらかし。撮影前に、これを乱したり崩してはいけない、そう思ったのだ。
赤くなって俯く威鈴を、そっと抱き寄せる。
「撮影、頑張ろうな」
うん、と威鈴は小さくうなずいた。
「アキラ‥‥?」
「ゆずか‥‥?」
おずおずと檜扇で顔を隠しながら近づいてきたおひな様を見て、カチコチに緊張するアキラ。
「い、意外と似合ってるじゃん。綺麗、だよな」
赤くなってそっぽを向くアキラだが、その袖にはばっちりと携帯が隠されていた。
「ア、アキラだって‥‥!」
普段とは全く違う、お内裏様の恰好のアキラに、ドキドキするゆず。
2人、顔を見合わせて、同時に初々しく照れ笑いを浮かべた。
その瞬間、かしゃん、と音がした。
アキラの袖から。
「あー! アキラっ! 今、私のこと撮った?」
慌てふためくゆずを、更に携帯のカメラで撮影するアキラ。
「いいじゃん、綺麗だよ」
「やだぁ、恥ずかしいよお!」
恥ずかしくて、ゆずが怒ってみせるが、そんなやり取りすらも楽しい2人。
ゆずも本気では怒れず、つい、笑みがこぼれてしまう。
そこをまた、アキラが激写。
「んもう! 写真はダメー、ダメダメダメ!」
「でもゆず、俺ら、撮影バイトに来ているんだよな?」
「そ、そ、そうだけど、何か、照れちゃう‥‥よ」
カチカチに緊張して、隣同士で並んでいた2人だが、この写真騒動で、いつの間にか緊張はほぐれていた。
「ひな祭りのアルバイトも、いいですね。しっかり働いて、後でお約束した、ちらし寿司を食べましょう」
雪はお雛さまの格好のまま、夫の龍斗を探した。
龍斗はホテルに来る前から、雪にお願いして、ちらし寿司を作って貰う約束をとりつけていたのだ。
何しろ、自分で作ると、何故か、食べることの出来ない物体Xが完成してしまうのである!
「雪‥‥すごく似合っています。綺麗です‥‥」
お内裏様の恰好をした龍斗は、素直に心からそう言って、デジカメを向けた。
「何をなさるんです?」
「邪な気持ちはありません。脳内フォルダよりもデジカメに納めたいんです」
今という時間を、永遠のものにするために。
雪は軽く息をついた。
「良いでしょう。そういえば、結婚式は洋式でした。和式の婚礼も興味深いですね。折角ですから、綺麗に撮ってくださいね、龍斗さま」
正宗は、完璧なおひな様と化していた。何処から見ても、女性にしか見えない。
「まさにボクの為にあるようなバイトじゃないか‥‥ボクの女子力が試される時が来た‥‥」
すり足で優雅に歩きながら、あちこちに設置されている鏡を見る。
「雛祭りといえばやはりこれだろう‥‥男でもお雛様は出来る‥‥ボクがその証明だ‥‥」
そして、パートナー、というか、利害が一致した友人、いや師弟か、どっちだ、ともかく木天蓼を探す。
「これはミーの知名度を上げるチャンスじゃないですかにゃ? ミーのかっこよさを存分に発揮させていただきますにゃ! ハーレム計画の第一歩を飾るのですにゃ!」
鏡に向かって、あれこれとポーズを決めている、猫しっぽのお内裏様が1名、見つかった。
「これとか、かっこよさそうですにゃ‥‥これもいいかもですにゃ‥‥」
「‥‥何をしているんだ‥‥?」
「あ、ブレード先輩、ミーは撮影に先だって、ポーズのレッスンをしていたですにゃ。ミーの魅力を引き出すにはどうしたらいいか、知恵を貸して欲しいですにゃ!」
「‥‥」
正宗は、黙ってゆっくりと首を左右に振った。
シャッター音を消し、伊都は密かに周囲のメンバーをデジカメで撮影していた。
(妹は大丈夫かな‥‥今度実家に帰ってみようかな。実家の柏餅も食べたいな‥‥)
戦闘時とは打って変わって、リラックスした様子で、個人的撮影に臨む。
四季とりりか、アリスが並んでゆっくりと歩いてきた。
「やっぱりシキ先輩が真ん中で三方だよね。ちょうど三人になるし、美女が増えたら最高の写真になるよ!」
元気よく喋っているのは四季である。
りりかは穏やかな笑みを浮かべて、周囲をスマホでぱしゃぱしゃと撮りまくっていた。
「それにしてもこの衣装、きっとおひな様に負けていないぐらい重いよ‥‥! 立っているだけで、肩が凝っちゃいそうだよ‥‥!」
ちゃっかりと四季は本音を呟いていた。
撮影会が始まった。
順番にスタッフに呼ばれ、セットに招かれる。
アキラとゆずは、すっかり緊張もほぐれたようで、とっても幸せそうな笑顔で写真に納まった。
「いい表情ですね! はい、目線こちらにお願いします!」
カメラマンのアシスタントが、両手を使い、被写体2人の視線を誘導する。
何十枚と撮った写真は、すぐにパソコンでチェックして、現像&メディアに焼き込むベストショットを、10枚まで選ぶことが出来る。
写りの悪い部分にはデジタル修正や補正をかけ、綺麗な肌の質感や、髪の艶感、衣類の豪華さを際立たせることが出来るのだ。
「いっくよー!」
右大臣・チルルが弓を構える。和弓に構え直して、もう数枚。
伊都もチルルに影響されて、儀仗の剣をかっこよく構えてポーズをとった。
「どんなポーズがいいのでしょうか?」
悠人が尋ねると、撮影スタッフは、「お好きなポーズでいいですよ」と微笑んだ。
「まずはお2人で親王台の上にお座りいただいて、ひな人形のようにしていただければ」との注文に、早速応じる、悠人と威鈴。
「多少の絡みが必要でしたら頑張りますが‥‥」
「では、撃退士さんなら出来そうだと思いますので、おひな様をお姫様抱っこして差し上げてください」
ずしりと重い(衣装が)威鈴を、軽々と抱き上げる悠人。シャッター音が響く。
その他、2人で見つめあうポーズ、おひな様の頬にお内裏様が軽く唇を触れるポーズなどを撮って、浪風夫妻の撮影は終了した。
三人官女は、中央のアリスと香里を入れ替えて、2パターン撮ることになった。
りりかが<鳳凰召喚>を行い、呼び出した鳳凰に用意しておいた花弁を撒かせたり、背景になってもらったりして、幻想的な雰囲気を醸し出す。
「着物で写真も撮れて、お寿司も食べられる! 楽しみー♪ 早く終わらないかなっ」
四季は、ちょっと疲れたのか、撮影の合間に軽く音をあげていた。
「何で男同士で撮るのかって? 所謂利害一致という奴だ‥‥」
「そうですにゃ。ミー達は悪魔でもお友達ですにゃよ?」
正宗おひな様+木天蓼お内裏様のコンビは、どちらかというとコミカル路線のポーズを要求されていた。でも、正直、正宗は堂々としていて、本物の女性モデルのようだ。
今の彼を見て、男だなんて誰が信じただろう。
男の娘ってすごい。と、撮影スタッフほか、ホテルスタッフは内心、感嘆していた。
●手巻き寿司パーティ
撮影会は順調に幕を下ろした。
重たい衣装から解放され、撮影用の厚化粧を落とし、皆、それぞれの私服に着替えを済ませた。
女子たちは、お化粧直しに時間をかけている。
「やっと身軽になったぁ〜!」
四季がうーんと伸びをした。くるくると首を回す。
「俺ら、これからデートだから」
アキラはゆずを連れて、ホテルから出ていった。
「では私はお買い物に行ってきましょう。龍斗さまのため、腕によりをかけて、普通のちらし寿司を作りますよ。‥‥生憎、私の家事スキルは凡庸なので、恐縮ですが」
「そんなことはない。雪の作る料理は、いつも美味しい‥‥」
少し照れながら、龍斗は雪にだけ聞こえる小声でささやいた。
スタッフの誘導により、皆はスタジオフロアからエレベーターで移動し、大宴会場に来ていた。
そこには、手洗い場、お手拭き、アルコール消毒液が完備され、手巻き寿司の準備が整っていた。
手を清潔にしてから、チルルが宣言する。
「あたい、準備万端よ! これでおもいっきり大きな太巻きにチャレンジするんだから」
特大サイズの巻きすを用意して、チルルは、海苔を敷き詰め始めた。
その上に酢飯をひろげ、好きな具材を目一杯詰め込んで、ぎゅうぎゅうに圧縮しながら巻いていく。
「なんか、凄いね‥‥」
伊都が思わず感想を漏らす。太巻きを超えた直径の物体を完成させると、チルルは「いただきます」と口へ運んだ。
チルルの好きな具材ばかりが、たんまりと、ぎっしりと、詰め込まれた特大の太巻き。
それにかぶりついている様子は、恵方巻をもっと激しくしたようだった。
「もごもご‥‥もごもご‥‥もご‥‥!?」
どうやら、様々な具材が混ざり合い、口の中で不協和音を奏でているらしい。
だが、そんなことは些細なことだ。チルルは責任をもって太巻きを食べきると、「お茶、お茶〜!」とポットに手を伸ばした。
「気をつけてくださいね、熱いですよ」
香里がポットからお茶を注いで、湯呑を慎重にチルルに手渡す。
「あち、あち、あち」
チルルは悲鳴を上げながら、何とかお茶を飲み干した。
「ふー、やっとひと息つけたわ。好きだからって、あれもこれも混ぜるとカオスな味になるのね、あたい覚えた!」
そこへ木天蓼がしっぽを振りながら近づいてきた。
「はぁい、太巻きのお嬢さん、ミーとデートしませんかにゃ? 連絡用に、メールアドレスも交換したいですにゃ!」
「はぁ?」
チルルはじと目で木天蓼を見つめた。
「お寿司じゃなくて、あたいの<氷迅『アイシクルブリッツ』>を食らいたいの?」
「け、結構ですにゃ〜!」
木天蓼はぶるりと全身を震わせ、素直に退散した。
悠人は新鮮な海鮮ネタを中心に選び、手巻き寿司の巻き方を威鈴に見せながら教えていた。
威鈴は、何とか綺麗に巻こうと、真剣な目で悠人の手つきを見つめていた。
「はい、これで出来上がり。威鈴、あーんして。はい、ぱくっ」
「ぱく‥‥」
恥ずかしそうに口を開けて、威鈴は夫の手巻き寿司をいただく。悠人はにこにこしながら、その様子を見ていた。
「美味しい?」
「‥‥うん」
悠人は、威鈴が自分で綺麗に巻けるようになるまで、辛抱強く教えながら、はいあーんと食べさせてあげていた。
「‥‥羨ましいですにゃ」
ここでも木天蓼は、威鈴を見つめていた。
「あんな美人に、ミーもあーんしてもらいたいですにゃ」
「うちの嫁に何か用ですか?」
笑顔に青筋を浮かべ、悠人は指をぱきぱき鳴らしながら近づいてくる。
「こ、こわいですにゃ〜! ちょっと羨ましく思っただけですにゃ、堪忍してくださいですにゃ」
猫耳の生えた頭を庇い、木天蓼はその場を逃げ出した。
「自分で巻けるのは楽しいの、ですね」
りりかは、色々な具材を巻いては味見して、手巻き寿司パーティを楽しんでいた。
「これ、美味しいの、です。四季さん、どうぞなの、です」
「すごい種類だよねー! 全部、巻いてみたいよー! あー、もらうもらう、いただいちゃう!」
ホテルでランチというだけで、テンションMAXの四季である。彼女の言によると、庶民育ちなのだそうだ。
「んー、美味しー! 上等な海苔使ってるよね、絶対! りりかも食べなよー、あたしも巻いてあげるからさー!」
仲良くお寿司を楽しんでいる2人の肩に、ぽむと手を乗せる木天蓼。
「綺麗で素敵なお嬢さんたち、ミーとも仲良くしてくれないですかにゃ? 一緒にお寿司を食べたいですにゃ」
下心みえみえの表情で、木天蓼はりりかと四季を口説いた。
「んぅ‥‥んむ、あの‥‥えと‥‥んと‥‥う‥‥?」
困惑するりりか。
「出来ればメアドの交換もしたいですにゃ、デートとかにも行きたいですにゃ。ミーのハーレムにも来て欲しいですにゃ‥‥ぎに”ゃ”ー!!!!!」
四季のピンヒールが、木天蓼の靴にめり込んでいた。
片足をあげ、踏まれた部分を押さえて、ぴょんぴょん跳ね回る木天蓼。
「全く、みっともない‥‥」
それまで静かに寿司を食べていた正宗がやってきて、涙目の木天蓼の襟首を掴んで、ずるずる引きずって去る。
「完全アルコールフリーの甘酒カクテルはいかがですか♪」
「そこのおねーちゃんも、いつかミーとデートしようですにゃ〜!」
「しつこいぞ‥‥」
甘酒カクテルを配って回る香里にも、声をかける木天蓼。呆れる正宗。
「ブレード先輩は何もわかっていないですにゃ! ハーレムを作るためには、地道な努力が必要なのですにゃ〜!」
買い物から戻り、調理室を借りて、雪は夫のリクエストである、ちらし寿司を作っていた。
(花嫁修業、もっとしておくんだった。兄達に混じって、武芸を磨くのに夢中だったからなぁ‥‥。あの頃は、結婚なんて微塵も考えていませんでした。でも今は、あの人がいる。こんなに幸せなことはありません。人の温もりが、こんなに愛おしく感じる日がくるなんて‥‥)
うちわで扇ぎながら酢飯を混ぜる手に、精いっぱいの愛情をこめて。
美味しく出来ますように、と祈るような思いが、胸の奥に満ちていく。
夫が笑顔になってくれると信じて、きゅうりやハムを型抜きし、エビを茹で、錦糸卵を作り‥‥。
出来上がったちらし寿司を持って会場に入った時には、戦場に征く時のように、ドキドキしていた。
龍斗はちらし寿司を口に運び、雪の知る中でも、最高の表情を見せた。
「‥‥俺は、雪がいないと‥‥生きていけない、な。矢張り、最高の奥様です」
「そんな。あなたのおかげです。私の幸せに、龍斗さまは不可欠なんですから」
愛し合う2人の目には、互いの存在しか映らず。
「にゃ〜、料理の出来る女性って、素敵ですにゃ」
――木天蓼は、雪に、完全に存在を消されていた。
●流しびな
立食パーティが終了すると、正宗と木天蓼を残し、皆、去っていった。
時刻は夕暮れ。そろそろ、足元が危なくなってくる頃合いだ。
「残ったのがブレード先輩だけだなんて、運命は意地悪ですにゃ」
結局、ハーレム計画の序幕として、可愛い女子とのメアド交換を企んでいた木天蓼だが、その計画は頓挫したらしい。新たにゲットできたメアドは皆無だった。
「ミ、ミーは負けませんにゃ! まだまだチャンスはありますにゃ!」
「‥‥勝手にしろ‥‥」
盛り上がる木天蓼を放置し、正宗は、ホテルマンの説明を受けながら、しげしげと流しびなの紙人形を見つめていた。
和紙を折り紙のように畳んで作られたひな人形は、男女そろってかごにおさめられている。
灯篭の橙色の光を受け、神秘的に見える。
「この紙人形を、体にこすりつけて、災厄を人形に移すのだそうですよ」
ホテルマンが実演してみせる。
「そして、災厄を移したひな人形を川に流して、穢れを祓い、無病息災を祈るわけです」
「面白そうだ‥‥やってみる‥‥」
正宗は紙人形でささっと体を払い、かごに戻して、そのまま川に流した。
人形はかごの中で、流れに揺られながら、下流へと消えていく。
日が暮れる少し前から、流しびなの行事に参加したい一般人客も、集まってきた。
「よし‥‥帰るぞ‥‥」
「待ってくださいにゃ、ブレード先輩〜!」
振り返りも、立ち止まりもしない背中を、木天蓼は慌てて追いかけた。