●辰巳への質問
薄陽 月妃(
jc1996)は、二階堂辰巳(にかいどう・たつみ)に問いをぶつけた。
「例えばですけど、原磯の皆さんは、所謂負の感情が奪われた状態だったら、どうしますか? 負の感情とはいえ、感情を奪われた結果がこの光景だったら、貴方はどう思いますか? 人の力で成し得た幸せではなく、幸せだと思うように仕向けられているだけ。それは辰巳さんにとっての幸せに当てはまるのでしょうか?」
少し考えて、辰巳は微笑んだ。
「ええ。誰も陥れず、誰も貶めず、誰も傷つけずに生きられるなら、とても幸せだと思います。それとも、皆さんは、誰かの犠牲の上に成り立つ幸せが、本当の幸せだと思うのですか? 誰かを踏みにじって手に入れた幸せが本物なんですか? そもそも幸せに本物とか偽物ってあるんですか?」
話しても無駄かもしれない。辰巳も、負の感情を失っている。
「‥‥感情の搾取、あまり良い気分ではありませんね。最早、原磯の住民は、思い通りに動く傀儡といった所でしょうか。これは、あの天使にとっての楽園、なのですね」
月妃は呟いた。
「辰巳さんには申し訳ないけど、私は、のぞみちゃんに将来胸を張って言える様な結末を求めたいんだ。のぞみちゃんを今の原磯に行かせたいとは思えない」
シェリー・アルマス(
jc1667)が真剣な口ぶりで迫る。
「では、どんな結末を求めたいんですか? 結末ということは、私たちにはもう未来がないという解釈でいいのでしょうか?」
「‥‥辰巳さん」
辰巳の質問を遮るシェリー。
「原磯で亡くなられた方はどう弔っているの?」
「そうですね、生前葬をされるかたが多いとは聞いています。私もあまり原磯に常駐していないので詳しくないですが、鎮和教神殿というところに、余命わずかな人は『おこもり』になるそうです。そして、気が付くと神殿内の人は、消えているそうですよ」
(ゲートの入り口を神殿で隠している可能性もあり、ってところかな?)
シェリーは最悪、原磯を壊すことも考えていた。
目を閉じたまま、腕を組んで聞いていた翡翠 龍斗(
ja7594)が口を開く。
「一つ聞かせてくれ‥‥人間の定義とは何だ? 笑う事か? 話す事か? 誰かを愛することか?」
「難しい質問、いえ、哲学ですね。私は、人間に生まれたものが、人間としての存在価値を、認められることだと思っています。原磯には、これまで、誰にも認められなかった人たちが、生きる場のなかった人たちが、集まっています。皆、必要とされることで、目の輝きを取り戻しています」
「原磯で住んでいる人の多くは、社会や周りに受け入れられずに行き場のない人達でしたよね‥‥」
辰巳の答えに、頷くのは川澄文歌(
jb7507)。
「そうです。ここ、『ちえのみ』の保育士たちも、過去に問題を起こしたり、人格的に育児に向いていないと判断された人たちばかりです。やり直したくても、受け入れてくれる職場がない人たちばかりです。ですから、原磯行きを希望されたかたを、出来るだけ採用しました。まだうまくシフトが回っていませんが、全員が、ひと月に2週間ずつ休みを取り、原磯で羽を伸ばせるようにしていきたいと、考えています」
「辰巳様、お願いがあるのですが」
狗猫 魅依(
jb6919)――いや、仙狸は、双貌のドォル(jz0337)との面会を求めた。
「俺もグウェンダリン(jz0338)と話しておきたい。一般人のいないところで、な」
薄氷 帝(
jc1947)が口を開く。
辰巳は通信機のスイッチを入れた。
●双貌のドォルへの質問
「‥‥ところで、お兄ちゃんってツンデレなの?」
「‥‥違う」
待ち時間に、月妃と帝は、兄妹(?)漫才を繰り広げていた。
(俺がツンデレなんて言ったヤツ誰だ。会ったら少しお話しないと、な)
三川原駅に、列車が滑りこんでくる。「やあ」と列車から天使が降り、使徒は黙って主人に続く。
「話がしたい。出来れば一般人の居ない場で」
帝の要求に頷き、「じゃあ駅の事務所に来るといいよ」とドォルは案内した。
香子(きょうこ)と辰巳は、『ちえのみ』で待つことになった。
「‥‥人間の定義とは何だ? 笑う事か? 話す事か? 誰かを愛することか?」
龍斗が、同じ質問を天使にぶつける。
「種族に定義なんてあるのかい? 人間に生まれたものは、全て人間ではないのかい? それとも、健常な人間以外は、人間ではないのかい?」
「この世に醜いものがあるとすれば、定義が‥‥存在自体が曖昧な人間の心だろう?」
「? きみの定義づけは、よくわからないや。定義づけをしなければ、美醜も決められないのかい?」
今ひとつ、天使は龍斗の言葉を理解しかねているようだった。
「正直、お前が過去にどんな扱いを受けてきたかは知らない。知ったとしても、その痛みを感じることはできない。俺は、お前ではないのだから。――だからこそ、教えてくれないか?」
畳みかける龍斗に、天使は少し躊躇した。
「安心しろ。ヒヒイロカネは持っていない。俺は丸腰だ」
帝も、大人しく座っているグウェンダリンに、自分のヒヒイロカネを投げ渡してみせる。
「これが俺なりの、お前達への信頼だ」
「‥‥ぼくは、顔が二つある、結合双生児なんだよ。天界では存在を許されない、生まれながらの異形なんだ」
天使は半仮面とフードを取って、見せた。黄色がかってみえる透明な髪がえぐれて、側頭部にもう一つの顔がついている。赤子のような第二の顔は、唇をもごもごと動かし、パチパチと瞬きをしていた。
顔だけだが、生きているのだ。
「この位置じゃ、切除手術も出来ないって聞いたんだ。だから隠すしかなかった。隠したら隠したで、今度は双貌なんて名乗らないといけなくなった。ぼくは天使でも一番下っ端だから、抗えないんだよ」
天使は仮面とフードを直し、「これでどんな扱いを受けてきたかは、想像できるよね?」と締めくくった。
龍斗は動じない。他の学園生は、少し姿勢を引き気味にしたが、彼だけはしっかりと天使の抱える闇を受け止めた。実験動物として扱われていた仙狸は、軽いフラッシュバックを起こしたようだ。
仙狸は気を取り直し、改めて天使に質問をした。
「結界がある、つまりゲートがあるということですね。それがわかった以上、何もわからない今のままでは、私たちは原磯を壊すことになります。だからこそ、話してくれませんか? 原磯のことを、そこに住む方たちの感情の状態を。その上で、幾つかこちらからの条件を呑んでいただければ、人を襲わない限り、こちら側も原磯へは手を出さないと約束できると思います」
「感情の状態かい。住民を廃人にはさせていないよ。集団で生活をするのに邪魔な、よくない感情だけは搾取させてもらったけれど、それも最低限だね。一応ぼくにも色々都合があるんだ。感情はある程度上納しなくちゃいけないけど、圧政は敷かないっていう約束もあってね、出来るだけ住民がトラブルなく、快適に暮らせるようにしたよ。あと子供達からは感情は一切奪っていないよ」
「そうですか。これからも原磯に人を迎えるつもりですか?」
「状況によるね」
「では、全ての人間をここに迎え入れるなとは言いません。ただ、原磯に迎えるのは感情を奪われることに合意した人だけにしてください。例えよくない感情であっても、奪われるのは、こちら側の人間は嫌っている。それはわかりますよね?」
「そんなの、原磯を作った頃から、初めからやっているよ。列車に案内する前に、ちゃんと説明しているからね。でも嫌な感情を奪われるのを、人間が嫌っているなんて知らなかった。みんな、こんな悩みは捨てたいとか、苦しいのは嫌だ、楽になりたいって、泣き叫んでついてきたよ?」
続いてシェリーが、まだ停車している列車を指した。
「あの列車は天魔なの?」
「うん」
あっさり頷くドォル。
シェリーの質問とドォルの返答が続く。
「負の感情搾取の件は、辰巳さんはご存知なの?」
「んー、説明はしたんだけど、良くわかっていないかもだね」
「搾取した感情エネルギーは、原磯関係に限定して使用しているの?」
「それはよくわからないや。感情エネルギーは上納しちゃうから」
ありえないとは思うけど、と思いつつ、更にシェリーが続ける。
「原磯に移住した方は、現在はドォルさんの力が及ばない地域で長期間生活できるの?」
「出来ないことはないんじゃないかな。でも、感情搾取云々以前から、そもそも人間社会に溶け込めない人たちばっかりだし、ぼくには何とも言えないかな?」
シェリーの質問が終わると、文歌が「原磯に連れて行って欲しいな、ダメですか?」と尋ねた。
「私は天使とか悪魔とか関係なく、みんなが分かり合える世界が望みなんです。ですから、ドォルさん達とも仲良しでいたいです」
「じゃあ、列車に乗って。この列車は搭載物に、結界を通過させるためのものだから」
ドォルは子供のように椅子からぴょんと飛び降りると、列車の戸口に足をかけて手招きした。
皆がぞろぞろと事務所から出ていく。
「俺はここに残る。あとで回収に来てくれ」
帝は月妃に言うと、グウェンダリンを手招きした。
「えっ、お兄ちゃ‥‥」
「個人的に2人だけで話がしたい。いいだろうか?」
グウェンダリンは無表情で、椅子に座りなおした。
「お兄ちゃーぁぁぁ‥‥!」
走り出した列車の窓から身を乗り出し、月妃は帝の残る事務所に手を伸ばした。
●グウェンダリンへの質問
(ドォルもグウェンも辰巳も被害者も、皆幸せになって欲しい。特にグウェンには自分と似たものを感じる。‥‥放っておけない)
帝は「見せたいものがある。光纏してもいいか?」と予め伝えて、<スケッチ>を始めた。
アウルのインクが事務所の机に、ある光景を浮かび上がらせていく。
「覚えているか、お前の目はまるで俺に似ていると言った事を」
グウェンダリンの、どんよりと濁った青い瞳を覗き込み、絵を示した。
人外同士の争いに巻き込まれ、大切なモノを失い、力に目覚め、まともな食事すらしていない状態で、数年を復讐のためだけに生きていた、帝自身の姿が描き出されていた。
ただぼんやりと絵を見つめるグウェンダリンに、自嘲気味に声をかける。
「伊達に『復讐鬼』などと言われてはいない」
「‥‥」
帝は続いて、<スケッチ>で現在へと変わっていく己を伝え始める。
「今では天使と悪魔、どちらの知人もいる。過去を乗り越えた訳ではないが、な」
さらさらとアウルのインクが、現在の帝の学園生活を描き出していく。
「だが‥‥こんな事をしないと俺達は幸せになれない、そんな哀れな存在なのか? それに、誰かの幸せを望むヤツこそが、幸せになって欲しいと思う」
真摯にグウェンダリンを見つめ、帝は力を込めて、告げた。
「俺達の、自分自身の可能性‥‥もう一度、信じてみないか?」
「可能性‥‥」
グウェンダリンは、呟いた。
「わたしは、人を滅ぼしたい‥‥のです。どうしてかは、わかりません。生前の記憶がないのです。マスターは、取り戻さないほうがいい記憶もある、と仰いました。ですから、このどろどろとした気持ちをどうしていいのか、わかりません」
送り雛(びいな)は何色の涙を流しながら、何処を見つめながら、流されていくのでしょう。
きっと、わたしの涙は、夕陽のやうな、くれなゐ色。
人々のあらゆる災厄を背負わされ、捨てられ流され、果てるイノチ。
「恐らくわたしは、用済みの雛人形です。マスターに忠実なだけの、ただの傀儡です」
「‥‥そうか」
帝はグウェンダリンの瞳に、救いがたい深い絶望を見た。
●原磯
「ドォルさん、折角だし、お茶していきなよ。あれえ、お客さんかい?」
「今日も気持ちのいい陽気だねえ、ドォルさん」
「二階堂さんと一緒じゃないの?」
原磯の人々は、誰もが上機嫌だ。優しく、快活に、挨拶をしてくれる。
蒼穹を覆う水色の壁さえなければ、本当にユートピアだった。
喧嘩もなく、怒号もなく、笑顔で行き交う人々。
住民たちの安らいだ表情が、とても印象的だ。
「本当に素敵なところですね。どうしてドォルさんは、原磯を作ろうと思ったんです?」
文歌があちこちを褒めながら、質問する。
「二階堂くんの話を聞いて、ぼくにも出来ることがあるって思ったのさ。ぼくは人間の悪い感情を奪えるんだってことに気づいちゃった。そうしたら、誰も泣かない、誰も辛くない世界が作れると思ったんだよ」
悪気なく答えるドォル。
「街中にサーバントがいますけど、家畜みたいに、住民と一緒に働いているんですね」
「うん。彼らは良い働き手だからね、住民も助かると言ってくれているよ」
「‥‥ちなみに、サーバントの材料は何ですか?」
「実は詳しく知らされてはいないんだ」
ドォルは褒められてにこにこしながら、答えた。
「感情エネルギーとかをちゃんと上納すると、与えられるんだよ。住民は、誰々さんの生まれ変わりだーって信じているみたいだけどね」
「ここのゲートと他のと違いってあります?」
「んー、大体おんなじじゃないかな?」
文歌は質問を終えて、考え込んだ。
シェリーは鎮和教神殿を覗いてみたが、ゲートらしきものは見当たらなかった。
「俺は思うんだ。人間は、人間であろうとするが故に、こうでなければならないという『鋳型』に押し込めているんじゃないかと。お前さんもそう思うから、痛みや悲しみといった負の感情を、あえて抜き取っているんじゃないか?」
龍斗がドォルに迫る。
「聞かせてくれ。俺にお前たちと戦う意思はない‥‥ないが、仮にゲートを壊したなら、ここの住人たちはどうなる?」
「幸せには、二度となれないだろうね」
ドォルは首を傾げ、素直に答えた。
●結論
三川原駅に戻り、事務所の一室で撃退士たちは話し合った。
「住民に既に感情搾取の合意を得ている以上、手を出す必要はない気がします」
仙狸は呟いた。
「ただ、悲しいという感情を失った者は、表面上は楽しくても、心から楽しむことは出来なくなってしまう‥‥私はそう思います」
「俺達は人殺しだ。天魔討伐と恰好いい事を言ってはいるが‥‥人だったモノを殺してその上に立っている。だからこそ、無駄な血を流す必要はないと思う」
龍斗も腕を組む。
「被害拡大を防ぐ措置と、出来れば学園の管理下に入って頂き、監視役として常時複数人の撃退士をアルバイト等として雇って貰いたいです」
月妃の意見に「難しくないか? 原磯が撃退士を雇い続けられる資金を余らせているとは思えない。また、学園が破壊を決めたらどうする?」と龍斗が問う。
「サーバントを新たに貰わない、だけでも良い気がするね。ドォルさんにとってサーバントが大事なのも分かるし、これまでの分は人に危害を加えない限り不問でいいよね」
文歌の提案で話し合いは終わった。
原磯は、笑顔の溢れるユートピアのまま、放置されることになった。
―【空雛】・完―