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【原磯(はらいそ)】
はらいそ[キリシタン用語]本来はParaiso(ぱらいぞ)
ポルトガル語で「天国」「楽園」を意味する。パラダイスのこと。
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「仙狸さん、これでよろしいですかしら?」
斡旋所バイトのアリス・シキ(jz0058)が、偽の依頼書データを作り、狗猫 魅依(
jb6919)に見せる。
『サーバント討伐に先駆けた偵察依頼』
・山奥でサーバントを見かけたので発生源を調べてほしい
・今回は発生源を調べることが重要なため、無理に討伐する必要はない
「はい、結構です」
仙狸は頷いて、依頼データをモバイルで共有し、万が一、現地で天使や使徒に出会ってしまった場合に備えた。
「M&A記録を見せてくださいな。どんな企業が、何処から路線や駅を入手したのでしょうか?」
華子=マーヴェリック(
jc0898)も、真剣にモニターを見つめる。
貨物用の廃線を管理していた会社が、「原磯建設」なる企業に、廃線の一部と廃駅を売ったことは、事実のようだった。
「原磯建設‥‥ですか? 出来れば、工事請負会社関係者に、駅と路線を工事した場所を聞き込んでおきたかったのですけれど‥‥」
「工事も自分たちでやったって感じですね。原磯に行ければ、聞けるかも知れません」
華子の言葉に、薄陽 月妃(
jc1996)が、真面目モードで頷いた。
心の中で、(もしかして私、秘書出来る?)なんて思いつつ、月妃の視線は、大好きなお兄ちゃんこと薄氷 帝(
jc1947)に釘付けだ。
「私、東京と千葉の地図を用意してきましたよ」
川澄文歌(
jb7507)がそう言って、机に広げようとした時、雪室 チルル(
ja0220)が駆け込んできた。
「朗報よ! 首尾よく集合時間と待ち合わせ場所をゲットしたわ! 転移してから更に移動することを考えると、もうあんまり猶予はないわよ。急いであたいについてきて!」
青い髪の女の子、チルルの一声に、皆、立ち上がった。
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「追跡用に足が欲しいですね。みなさ〜ん、これに乗って行きませんか〜?」
華子は、モニターに、ディアルモードビークルの動画を映し出して見せた。
線路と道路の両方を走れると評判の、魔改造車両だ。
「こちらからは、暗視鏡は幾つかお貸し出しできますが、流石に、今すぐディアルモードビークルをお借りしてご用意いたしますのは、その、難しいと申しますか、無理‥‥ですの」
アリスは華子の要請に、難色を示した。
「それに、ビークルでの追跡では、走行音を立ててしまいませんかしら?」
「むー‥‥そうですか。‥‥私はあんまり、追跡とか囮とか得意じゃないから、何か他のことで皆の力になれたらって思ったんです‥‥」
自信なさそうに、残念そうに俯く華子の肩を、文歌がぎゅっと抱き寄せる。
「大丈夫! 皆で頑張るし、サポートもするから、心配いらないですよ!」
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「さてと、かくれんぼの時間ってところね!」
某駅前広場に転移した一行は、チルルを先頭に、待ち合わせ広場の近くへと移動した。
既に、終電が行ってしまったホームも多く、駅構内に人の気配は少ない。
ぱらぱらと待ち合わせ広場に、若い男女が集まってくる。
そこからは絶対に見えない位置で足を止め、チルルは皆を振り返った。
頷く魅依。
<ボディペイント>を自身にかける文歌。
こわごわと姿を隠している華子。
「前回の件‥‥正直あそこまで手強いとは思っていなかった。月妃も気を緩めるな」
帝は月妃に囁いた。
「うん、お兄ちゃんも無理しないでね? 前の戦闘の傷も癒えてないんだから‥‥」
「しーっ、静かに‥‥」
6人は気配を殺し、見守った。
やがて二階堂辰巳(にかいどう・たつみ)と天使、使徒の3名がやってきて、集まった男女を引率して動き出した。
適度に時間を置きつつ、そろりそろりと後をつける6人。
駅を出て、暗いごつごつした狭い通路――廃線跡だろうか――を歩くこと、半時間ほど。
貨物駅を改良したような、奇妙な様子の駅、「御門駅」は、そこにあった。
大ぶりな1両編成の列車が待機している。
保育士の卵たちは、順序良く列車に乗り込んだ。
生物的な動きで、扉が閉まる。
そして、列車は、ゆっくりと音を立てずに、動き出した。
まるで大きな生き物が、よいしょと尻を上げて、歩き出したように一瞬見えた。
そんなはずはない。
瞬いて見直すと、列車は確かに、列車に見えた。
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速い。
風を切るような速さ。
御門駅を出て、山中に差しかかったところで、列車は飛ぶように加速した。
撃退士は残されたレールを追っていくのがやっとだ。
不注意でレールに触れて、振動が列車に伝わらないよう、細心の注意を払い、後を追う6人。
「もう! ディアルモードビークルさえ借りられていれば、追いつけたかもしれないのに!」
改めて華子が悔しがる。
しかし、そんな特殊車両を、しかも深夜に扱っているレンタカー店はやっぱり見つからず、また、3000久遠で借りられる値段とも思えなかった。
レールの周囲は、ほぼ手つかずの山林だ。人家の少ない丘陵を選んで、突っ切るように進んでいる。
文歌は、方位磁針と地図で、帝は筆記用具で、それぞれ正確な位置の把握に努めていたが、山中にこれといった目印はそうはないため、路線図の作成には難航しそうだった。
しかし、感覚的に、外房寄りでも内房寄りでもなく、千葉県内のど真ん中を走り抜けている感じがした。
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「そう言えば、原磯ってどんなところなんですか?」
するすると滑るように丘陵を超えていく列車の中、誰かがふと口に出した。
「良いところですよ。皆さんも、すぐに馴染めると思います」
スーツ姿の若い男性、辰巳はそう言って微笑んだ。前髪が薄くなっているのを気にして、時々頭を掻いている。
「原磯について、何か気になることでも?」
「いえ、実は、原磯の児童養護施設に興味があるという女の子に呼び出されて、集合場所や待ち合わせ時間を、しつこく聞かれたんです」
「え、私もよ?」
「俺もだ」
ざわざわと、乗客たちが騒ぎ出す。
「15歳くらいで、髪の青い‥‥」
「私のとこに来た子もそうだった! 青い髪の女の子!」
「何、俺ら、なんかに巻き込まれてるの?」
ざわざわ、ざわざわ。
「まあ、15歳くらいの子なら、きっと保育士に興味でもあったんでしょう。原磯の施設は、まだ出来たばかりで、評判が未知数ですから、その子の志望業種だとしたら、少し気になったんでしょうね。15歳くらいでは、雇ってあげることも出来ませんからねえ。一応、大卒か高専卒が条件ですし」
善良な性格の辰巳が、やっぱり善良な解釈をする。
その横で、「ふぅん」と天使、双貌のドォル(jz0337)が呟いていた。
意味ありげに、細い金色の瞳を、暗い窓の外に向ける。
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丘陵地帯が続く山中にて。
ゆっくりと、サーバントの気配が現れ出した。
「出来る限り姿勢を低くして、なるべく見つからないようにね! こいつらが出てきたってことは、三川原駅まであと少しだと思うから‥‥!」
先頭のチルルが、見張りのサーバントをすり抜ける。皆も光纏のアウルを消して、そっと抜けていく。
「みかど、ミィの<ダークフィリア>で【潜行】させるよ!」
魅依は帝に了承を得て、スキルを使用した。自身には<ハイドアンドシーク>をかける。
「本当に厳重、いや神経質な程の警戒だな」
帝は呟いた。ちらりと月妃へ視線を流す。月妃は囮役、心配は心配なのだ。
ツンデレなので表には出さないが。
「大丈夫?」
文歌は、おどおどしている華子に声をかけた。依頼慣れしていない、普通の女の子――華子は、正直、怖くてたまらない様子だった。
双眼鏡でレールの先を見やり、駅の光が見えてこないか探す文歌。同時に、自分たちを囲もうとしているサーバントの気配にも、すぐに気づいた。
「シャアー!」
蛇のようなサーバントが、木の上からダイブして襲い掛かってくる。
「きゃあー!」
思わず恐怖に身を縮める華子、彼女を庇って蛇サーバントを勢いよく叩き落す文歌。
「ここからは、囮はあたいたちにお任せよ!」
チルルは、路線をはずれ、サーバントたちの待ち構える丘陵に飛び出していった。
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「囮は危険だ。無茶するなよ、月妃」
チルルを追って飛び出そうとした月妃に、帝は声をかけた。そして、チルルに軽く頭を下げる。
「不肖の妹分だが面倒をみてくれると助かる」
「あたいにお任せよ!」
チルルは、サーバントが反応するギリギリの距離を見極め、接近してくるのを待った。
その間に月妃がヒリュウを召喚して頭数を増やし、適当に挑発と攻撃を使い分けて誘導していく。
「敵は倒さず、あくまで時間稼ぎですね?」
「あたいは翼や脚といった、移動力のそぎ落としを優先するわ。止めは刺さないけどね」
「でも、下手に戦闘の痕跡等を残して、後で悟られて警戒されたくないですよ?」
「‥‥それもそうね」
チルルは、スフィンクス型サーバントに、今にも打ち込もうとしていた<スマッシュ>を、ぎりぎりで止めた。
スフィンクスは反撃するチャンスを得たが、チルルを激しく突き飛ばしただけで、自分の持ち場に戻っていこうとする。
「‥‥もしかして、手加減されてる? あの、出来れば敵には傷を残さない様にお願いします!」
月妃は、自分でも無茶を言っていると思いつつ、皆にメールを飛ばした。
列車はすっかり遠いとはいえ、山中のよく木々にこだまする中で、音を立てるのは得策ではないと判断したのだ。
何しろ、三川原駅の明かりが、木々の隙間から見え始めているのだ。
襲ってくるガーゴイルをシールドでいなす。自分が相手をするにはちょっと無理があるように感じる強さだ。しかし、やはり、手加減されている。重心となる足を一歩後ろに引けば、彼らは無理に応戦してこようとはしない。
あくまで、自分たちのエリアに入るなと言いたげだった。
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魅依、帝、文歌、華子の4人は、それぞれ【潜行】状態で、遠くに見える明かりを目指していた。
そこは「三川原駅」。
駅ビルのように、児童養護施設が建っている。
「相手に悟られないこと! 見つからないこと!」
華子がどきどきしながら、<ボディペイント>使用中の文歌の後ろに隠れている。
「三川原駅には不用意に近づかず、双眼鏡で位置を確認しつつ迂回だね。情報になりそうな物はサーバントに気づかれない様に注意しつつ、デジカメ撮影かな」
文歌がそう言って双眼鏡を覗き込む。
「光か。何かがあるというわけだ。人はいそうか?」
「うん、いそうですよ。あれは駅員さんかな?」
帝の問いに答える文歌。
「ばれないためには、不用意に駅には近づかないほうがいい」
三川原駅の中を確認したがっていた魅依に、そっけなく帝は注意する。
「行けそうにゃら、ぐるっと建物を迂回して、レールのある方向を確認したいな」
魅依はサーバントに気づかれないように迂回できないか、建物を観察し始めた。
ふと文歌が呟いた。
「ちえのみ‥‥?」
「?」
「いえ、児童養護施設の名前みたいです。看板があります。『ちえのみ』って」
帝はさらっと筆記用具にメモを取った。ここまでの道中に気づいたこともメモしてきている。
「そろそろ引き上げないか。囮を引き受けてくれた連中が心配だ」
「そうにゃね。レールはこのまま、南へ続いているらしいことは推測がついたし‥‥」
魅依はサードアイで三川原駅をよくよく見通し、頷いた。
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サーバントが襲ってこないエリアまで撤退してから、山中で6人は、改めて、自分たちの現在地を調べることにした。
「さて、これで移動輸送手段と中間地点らしき場所は判明した。チェスで例えればチェック、という所か?」
期待して帝がのぞき込んだスマホのGPSは、ぶれて、あてにならない位置を指し示している。
山林のせいか、アンテナまで遠いのか、電波状況が悪いのだろう。
深夜の暗い空を月が横切っていく。
(そろそろ、お兄ちゃん成分を補給したいよぉ‥‥)
月妃は帝の腕に抱きつきたい衝動を、じっと堪えていた。
「ここまでGPSの精度が悪いと、中間地点というのも判明したのかわかりませんね。でも原磯には一歩近づけた気がします」
華子は自分のスマホを見て、同じように感想を告げた。
そして、ふと、遠くを見つめる。
「どうしました?」
文歌が双眼鏡を、華子の見ている方向に向けた。
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遠く、三川原駅から真っすぐ南方向に、小さく小さく、水色の半球状のナニカが、ぼんやりと見えていた。
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原磯にて。
絵羽(えわ)は、天使ドォルの呼び出しを受けて、学校と老人介護施設をつなぐ中庭に向かっていた。
「どんなお話なのかしら。すごく大切な話って」
きっと幸せになれそうなお話よね。絵羽は、とても気持ちの良い気分だった。
「やあ」
天使ドォルは、見たこともない化け物と一緒にいた。
ライオンと、羊と、蛇の頭をもつサーバント。キマイラ。
「これは?」
不思議そうに問う絵羽に、ドォルは微笑んだ。
「君のお父さんが、戻ってきたんだ。新しい姿になってね」
「本当!? わあ、おかえりとうちゃん! 待ってたよー!」
絵羽は喜んで、キマイラに抱きついた。
ドォルは喜ぶ絵羽をにこにこと見つめながら、黙っていた。
本当は、サーバントの素体の素性なんてわからないこと。
サーバントを作るには、複数の素体が必要なこと。
だから、厳密には、絵羽とは何の関係もない素体の寄せ集めで作られた可能性が高いこと。
「ええとね、このキマイラは合体・分離が出来るんだ。カイン、アベル、セトってそれぞれ名前も持っているよ。このキマイラが、きみを今後、危ない人から守るからね」
「はいっ! 有難うございます、ドォルさん! どんな姿でも、とうちゃんがそばにいてくれるなら、わたし、百人力です!」
絵羽は輝くような笑顔を浮かべた。
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「原磯は、千葉県南房総市白浜地区にあると推測されますわ」
斡旋所に帰り、道中で撮った記録やデジカメの資料などを地図と照らし合わせた結果、アリスはそう結論付けた。
「サーバントに守られていて、更に天使の結界が張られている。そのように見えましたのね。となれば、内側にはゲートもありますでしょうし、住民の感情搾取も行われているはずですの。ですが、理事長の二階堂さんは、一般人でありながら結界を自由に出入りし、正気を保っていらっしゃるようですのね‥‥これは、一体?」
アリスは皆の報告を、そこまでまとめて、小首をかしげた。