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下半身不随になった絵羽(えわ)のとうちゃんから、進行した胃がんが見つかった。
「生前葬でもするがね。皆と騒いで、楽しんで逝きたいずら」
余命がないことを知り、とうちゃんは、遺される絵羽とともに、宴会のプランを練り始めた。
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川澄文歌(
jb7507)と薄氷 帝(
jc1947)は、香子(きょうこ)を訪ねていた。
田辺博美(たなべ・ひろみ)から来た手紙を見せてもらう。
「博美ちゃんのところは、ずっと親子喧嘩が絶えなかったのよ。なのに、1か月で人ってこんなに変わるものなのかしら?」
不安そうに香子は、博美の家での揉め事を、知る範囲で話した。
「私は天魔が信用できるとは思えないの。うちの息子が殺されているんですからね。博美ちゃんは騙されているのではないかしら」
「婆さん自身は、何が知りたいんだ?」
帝が尋ねると、香子は考え込み、そしてゆっくりと口を開いた。
「お願いしたとおり、『極楽園』への交通手段です。博美ちゃんを追いかけたいの。連れ戻したほうがいいのかは、まだ判断がつかないんですけれど」
「絵羽ちゃんの事も心配ですし、原磯の場所は私も知っておきたいですね」
文歌は『極楽園』のパンフレットを見せてもらい、連絡先をメモしていた。
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シェリー・アルマス(
jc1667)は、以前、乳児院に保護された赤ちゃん、のぞみについて、斡旋所経由で状況を聞いていた。
「元気にすくすく育っています、か。良かったぁ」
少なくともグウェンダリン(jz0338)は覚えているだろう。自分の保護した赤ちゃんのことだ。
もしかしたら、気にかけているかもしれない。
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「今回はお兄ちゃんに真面目にしろって釘刺されたし、大人しく仕事しよう」
しゅんとして、薄陽 月妃(
jc1996)は、斡旋所に向かっていた。
『極楽園』理事長の、二階堂辰巳(にかいどう・たつみ)について、聞き込みをしようと考えているのだが、相手に悟られないよう、辰巳の活動範囲とはかぶらないように、場所を選びたいとも思っている。
そのためには、辰巳の活動範囲を知ることが、必要だった。
斡旋所にて、今までの事件記録などから、辰巳の行動範囲を絞り込む。
どうやら、千葉、東京、神奈川、埼玉の都市部などで、広く行動しているようだ。
都市部に限らず、県境のほうにも足をのばしているらしい。
「これは‥‥広いですね‥‥範囲を限定するのも難しいです」
辰巳にばれないように聞き込み捜査、というのは、困難かもしれないですね、そう月妃はため息をついた。
やむなく、斡旋所のネットで『極楽園』について検索してみる。
NPO法人としてすぐに出てきた。理事長の辰巳のプロフィールも載っている。
現在20代後半。出身校は日本最高学府。経営や経済の勉強も修め、取得した資格がずらりと並んでいる。中には介護の資格も入っていた。
「お兄ちゃんに褒めてもらえ、じゃなくて、お兄ちゃん曰く、これが次への布石、になれば良いな」
月妃はそのページを印刷してファイルに保管した。
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文歌のメモした番号に電話して、辰巳を都内の喫茶店に呼び出す。
そう待たされることもなく、辰巳と天使双貌のドォル(jz0337)、使徒グウェンダリンが現れた。
「お久しぶり。グウェンダリンさん、のぞみちゃんは乳児院で、順調に育っているらしいですよ」
シェリーが挨拶を交えて報告する。
「それは良かったです! 折角助かった命ですし、本当に良かったです。このまま元気に育ってほしいですね」
にこにこと、辰巳が反応した。
「‥‥そう‥‥」
一方、グウェンダリンは、思ったより反応が薄い。どんよりした眼を床に向けている。
「買い出しの途中だったんだけどね。何か重要な用でもあるのかと思ってやってきたよ」
ドォルが軽くはじめましての挨拶を終える。マスターである天使の様子を見て、グウェンダリンも「はじめまして」とやっと会釈をした。
「そうなんです。グウェンダリンさん、私の代わりに買い出しにいっておいてもらえますか?」
辰巳は、買い物をグウェンダリンに頼もうとした。
「二階堂くんは攫われた経験があるじゃないか。ぼくが行くよ。グウェンダリンは二階堂くんの護衛についたほうがいい」
買い物メモとクレカを辰巳から奪い取るドォル。
そして、メモをみて不思議そうな顔をした。
「ああ、新設した乳児院の分ですよ。あとはいつものお店で、いつものようにお願いすれば良い筈です。ではお任せしますね」
狩野 峰雪(
ja0345)は、3人のやり取りを見つめながら、軽くため息をついた。
(誰もが幸せに暮らせるユートピアか。実在するなら、僕も行ってみたいところだけど、どうしても胡散臭く感じてしまう‥‥そんな都合のいい話があるわけないって。今回は天使も関わっているんだよね)
見せてもらったパンフレットの内容を思い起こす。
(ギリシャ神話に出てくるエリュシオンは、死者の楽園。何の苦労もない人生があるのだとしたら、それは死んでいるのと変わりはない‥‥。世には、死を選ぶしかないほど追い詰められている人は存在する。それを救おうとするのは崇高なことだけれど、果たして天使に利用されてはいないのかが、不安なところだよね)
でもまあ、僕は天使の買い物につきあうかな。峰雪はそう考えた。
「うちも同行してよいかねぃ? 値切り交渉なら手伝えるさぁね」
変わり者の天使に興味を持ち、ついてきた九十九(
ja1149)が、買い物への同行を申し出る。
肩には三毛猫のライムがちょこんと乗っている。
そう言えば、ドォルの肩にも、小さなインコが乗っていた。
猫と目が合うと、するりとドォルの白衣に潜って隠れてしまう。
「それ、サーバントだよね? サーバントも辰巳さんの護衛の為に、ここに残して欲しいな」
シェリーが言う。
「喫茶店で相対するのは、こちらは3、対してそちらは2だ。どうこうするつもりはない、が。不安ならそのインコを置いていくことをお勧めする」
帝もシェリーと同じ発言をする。
峰雪が付け加えた。
「動物は盲導犬以外は店内に入れないから、外でお留守番だよ。これ、人間社会の常識だからね」
「グウェンダリンが1人いれば、二階堂くんの身は絶対に安全だよ。寧ろぼくに護衛が必要なんだ。だからサーバントは連れていくよ。使わずに済むならいいけれど、買い物中に冥魔が襲ってきたら必要になるじゃないか」
ドォルは言い返した。
「それに、それが人間社会の常識なら、この喫茶店にも入れないはずだよね? 入口に置いておけっていうのかい? その場合、動向を管理する者がいなくなるから、インコが何をしでかすか保証できないよ」
天使は大きな翼を向けて歩き出した。インコは白衣に隠れたままだ。
「さて、お話があるようですから聞きましょう。おごりますよ」
辰巳が喫茶店のドアを開ける。
「あ、いえ、おごろうと思っていたのは寧ろ私のほうで‥‥!」
慌てたシェリーが辰巳に続く。
帝、月妃も喫茶店へと足を踏み入れた。
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喫茶店内。
間接照明が照らし出す中、シェリーは結局おごられたタワーパフェにスプーンを突っ込んでいた。
(お兄ちゃん‥‥私服も似合っているって言ってほしいけど‥‥)
3人とも私服である。月妃はもじもじしながら帝を見たが、帝もタワーパフェを黙々と食べていた。
あっという間にタワーパフェを平らげ、帝は辰巳に詰め寄った。
「先に見せた通り俺は育ちが悪くてな。極楽なんて言う奴は善きにしろ悪しきにしろ信じていない。まずは俺が黙るだけの理屈を並べてくれ」
「理屈ですか? 人は環境が変われば、言動も変わるものですよ」
辰巳は話し始めた。学問を修めていた頃に見聞きした醜聞の数々。些細な原因から大きな原因まで、人は争いから逃れられないのかと絶望した。心優しい辰巳にとって、苦悩の日々が続いた。
そして、ユーカリが丘という実験都市の話を聞き、自分も人にやさしい街を作ろうと決意した。
天使と協力して作り上げた町、原磯にホームレスを迎えた時、誰かに必要とされることによって、ホームレスの目の輝きが変わっていくさまを見届けた。
居場所のない人たちを見つけて、居場所と役割を与えることが、彼の仕事になった。
誰だって、誰かの役に立ちたいのだ。必要とされたいのだ。
「なるほど。極楽園の事、もっと教えてもらえないかな?」
シェリーは<紳士的対応>を使うべく、こっそり光纏した。
鋭くグウェンダリンに見咎められる。
「そちらがアウルを使うのでしたら、こちらも能力を使いますが、よろしいでしょうか?」
どんよりとした視線がシェリーに注がれる。
シェリーは慌てて、光纏を中断した。
(これは<スケッチ>を使うのも難しいか‥‥)
帝は警戒されないよう、伝えたかったことを断念する。
「え、えっと、わかったから。改めて本題ね。質問したいことがあるんだ」
シェリーは質問を書き留めていたメモをめくった。
・現在何人受け入れていて、後どのくらい受け入れ可能か
「そうですね、順調に人も増えていますので、現在のところ人口は500人程度ですね。もっと街も設備も改良して、800人規模までは受け入れられるようにしたいと思っています」
・運営管理してるのは辰巳さんだけか? 辰巳さんの右腕あるいは後継者はいないのか
「いますよ。私は理事長ですが、理事が9人います。特に経済面で問題が起きると厄介ですから、敢えて反対派の立場のかたに理事になってもいただきました。運営面で右腕といえば、そのかたになるでしょうね」
(運営管理の方が増えれば、もっと大々的にPRできますよね? 辰巳さん一代で終わってしまわない様、私達にもご協力させて頂けますか?)
シェリーはそう畳みかけるつもりだったが、辰巳が「トップに立つ以上、私が誰よりも一番働かないといけませんから、頑張っていますよ」と微笑んだので、上手く割り込むことが出来なかった。
「心配している人達も居る。せめて声を聞かせたり会わせたりの配慮くらいはしてくれ」
帝が辰巳を睨む。
「現在は郵便で対処させていただいていますが、より改善していくつもりですよ」
会談は数時間に及んだが、辰巳の回答はどれも、誠心誠意、善意から動いている印象だった。
帝は最後に、グウェンダリンの澱んだ目に視線を向けた。
「‥‥その目。俺と同じ目だな。奪われ、憎み絶望し、破壊を願う目だ」
月妃が反論した。
「でも、もうお兄ちゃんは違う。わかる人にはわかるよ。昔より不器用にはなったけど、目の優しさは戻ったもん。お兄ちゃんはちゃんと歩き出してる。下じゃなくて前を向いて、今を見てる」
「‥‥なら、お前のおかげかもしれないな」
帝は目を細め、月妃の頭を撫でた。
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一方、買い出し組。
「ちょっと待って、その格好で街中に出るつもりかい? 久遠ヶ原ならともかく都心では、街中が大混乱になっちゃうよ」
峰雪が善意で着替えを提案したが、ドォルはくつくつと笑って取り合おうとしない。
「天使の格好って目立つと思うんですけど、人間と同じ格好をしたり、翼を隠したりはしないんです?」
文歌も尋ねるが、ドォルは「しないなあ」と答えて、慣れた様子で入り組んだ地下街へと向かった。ぐるぐると難しい道を歩いて、目当ての卸業者の店まで移動する。
何しろ、数か月ごとに買い出しにきている、いわば常連だ。馴染みの卸業者にたどり着くと、「いつも通り頼むよ」とドォルは店主に声をかける。
「あいよ」
店主も頷く。
「こんな風体の相手に、よく商売が出来るなあ」
峰雪が尋ねると、店主は笑った。
「そりゃあ、店を天魔から守ってくれた恩人でもありますからね。ここの界隈はドォルさん達に守られていますから」
店主は、冥魔が襲ってきた時に、サーバントとグウェンダリンが撃退してくれたことを話した。
殆ど店の被害も出さずに済んだというおまけつきだ。
「さて、問題は‥‥こっちのほうかい」
ドォルは渡されたメモを取り出し、悩み始めた。店主がのぞき込んで、「ああ、ならいい店紹介しまっせ」と何処かに電話をかける。そして手書きの地図をドォルに渡した。
「赤ちゃん用品‥‥また随分な量さぁね?」
九十九が買い物メモをちらっと見て、首を傾げた。
「うん。新しく乳児院が出来たからね。そこで必要なんだって」
気さくにドォルが答える。
「あの、ドォルさんって人間に興味はあるけど、人間が行う事それ自体、例えば買い物やお金を支払ったりとかは面倒だと感じている‥‥違います? それなら私達がドォルさんのかわりにお買い物をするので、そのお買い物を「観察」するのはどうです?」
文歌が提案する。
「悪いけど、これは二階堂くんのお金と買い物なんだ。勝手に預けるわけにはいかないね」
クレカの控えに手を伸ばした峰雪を避け、素早く控えをしまい込むドォル。
「手伝ってくれるのなら、この地図の場所に案内してもらえないかい?」
ドォルは文歌に、手書きの地図を渡した。
赤ちゃん用品の卸業者にたどり着く。その間に業者は前の店主から色々事情を聴いていたらしく、買い物メモを見て「2日ほどいただければ全て揃いますよ」と答えた。
「んー、もうちょっと安くならないかねぃ?」
香港感覚で、九十九が、値切り交渉を始める。ドォルは面白そうに見ていた。
「いやーお客さん厳しいなあ。これくらいしか差っ引けませんよ」
店主もなかなか手ごわい。
「で、取引方法は、前の店と同じでいいのかい?」
ドォルの問いに頷き。
「あれ、狩野さんはどこにいったのかな?」
文歌がきょろきょろと周囲を見回した。
峰雪は、先の卸業者に、撃退士と明記された学園証を見せ、「先程の客は成年後見なので、買い物内容と発送先を改めていいかな?」と尋ねていた。
「あの天使さんに成年後見人がつくなら、二階堂さんでしょ。それとも【成年後見登記事項証明書】でも持っているの? 確認のために見せてもらえないかな?」
そう言いながら、店主は笑っていた。
「店の恩人を売る気はないよ。撃退士と聞いたら尚のことだね。あの天使さんを狙うつもりかな? 悪いけど、この店を守ってくれたのは撃退士じゃなくて、あの天使さん達なんだよ」
卸業者との交渉は失敗したが、そこが食品・生活用品を扱う店だということは、入った瞬間からわかっていた。
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天使3人組と別れた後、文歌はぼそりと呟いた。
「原磯の地名と、ドォルさん達との遭遇場所が千葉寄りな事から、千葉の海岸線近くと推測は出来るけど」
互いに情報を交換しつつ、シェリーも悩みこんでいた。
「食料と日用品は、多分原磯の人達の生活用かな。11tトラック1台で運べるのかな? 運べないとなると‥‥車以外? 空路は費用的に論外、海路はそれだけでは輸送成立しないから多分違う。陸路で車以外‥‥?‥‥貨物列車? まさか‥‥ね」
(うう‥‥早くお兄ちゃんに甘えたい‥‥)
月妃が自分を抑えて震えていた。