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「これは‥‥強敵、だな」
アスハ・A・R(
ja8432)は、そろりそろりと、使徒グウェンダリン(jz0338)が抱いた赤子に近づいた。
赤子は興奮しているのか、ぎゃんぎゃん泣き喚いている。アスハが近づくと、猫に食われると思った鼠のように、怯えて一層泣き叫ぶ。
「一度、眠らせておく、か‥‥?」
<スリープミスト>を用意したアスハを、妻メフィス・ロットハール(
ja7041)が制裁(物理)した。
唯一、子守経験のある、神埼 累(
ja8133)が、不安で顔を曇らせる。
「あの、アスハさん、スリープミストは赤ちゃんにかけるものじゃないの、よ」
気を取り直して、グウェンダリンに丁寧に指導を始める。
「心音を聞かせる位置で抱っこするの、よ」
「心音とは何ですか」
「揺り籠の要領で、優しく揺らしてあげる、の」
「揺り籠とは何でしょうか」
「時々眉間や耳を優しく撫でてあげるといいわ、ね」
「何故眉間や耳なんですか? 優しくというと、どの程度の力ですか?」
使徒グウェンダリンは無知だ。人間の頃の記憶もないし、赤子に触れるのも初めてだ。
それは主である双貌のドォル(jz0337)も同じで、興味深そうに赤子を眺めている。
赤子が泣き声をあげる。ドォルも同じように泣き声をあげた。ギャン泣き二重奏である。
「ちょっと、そこの天使! ひっじょーにうるさいんだけど!」
メフィスに注意されて、ドォルは泣き真似をやめた。
「ごめんごめん。どうして赤ちゃんが泣いているか、理由が分かると思ったんだよ」
天使は素直に謝った。
「うーん、このキンキンした泣き声は何とかならないのかい? 喉が潰れてしまいそうだったよ。何でこんなに泣くんだろうね?」
「戦闘に巻き込まれた子やし、まだ興奮していはるんとちゃうかな」
宇田川 千鶴(
ja1613)は、やわらかな関西弁で答えた。
「グウェンダリンさんも、抱っこに疲れたら、慣れてそうな神埼さんに赤ん坊をお任せして、ええんやよ。でも神崎さんがずっと抱っこするんも疲れるやろうし、私と3人で代わりばんこなら負担も軽いやろ」
「赤ちゃんは繊細だから、卵を扱う優しさで、ね。泣いても慌てないで、ゆったりしたペースを崩さないで‥‥そう、とても上手、よ」
懸命にグウェンダリンに指導を続ける累。
グウェンダリンも、徐々に力の抜きかたなどに慣れてきていた。
「そうですね。男性が抱っこするより、女性が抱っこした方が落ち着く、という話も聞きますし」
石田 神楽(
ja4485)が、にこにこと、いつもの笑顔で赤子を見下ろした。
「私たち男性陣は、買い物・調達を手伝うことにしますよ(にこにこ)」
「その笑顔見せたら、泣きやまないだろうか?」
真剣にアスハは神楽に提案する。
向けられた笑顔に、命の危険を感じた。
「コ、コホン、‥‥そうだ、な‥‥で、何が必要なんだ?」
スマホで「赤子 飼育」と検索するアスハ。
「カブトムシやらクワガタなら、出てきたんだが‥‥」
「‥‥何故か昆虫の飼育について調べているアスハさんは、放置しましょう(にこにこ)」
「その検索ワードでは、あの‥‥はぁ、わ、私‥‥頑張れるかしら‥‥?」
にこにこ笑顔でさらっと流す神楽と、不安におののく累の後ろでは、アスハの背後に回った千鶴が「‥‥兜割り」とぼそりと牽制の言葉を呟き、アスハを硬直させていた。
シェリー・アルマス(
jc1667)が、ショッピングモールのガイドパンフレットを全員分確保し、配布した。
「育児用品店とか、赤ちゃん広場とか、色々あるみたいです! そこで店員さんに協力を求めてみましょうよ」
「そうだ、な。女性陣に赤子は任せて、僕たちは調達、か」
アスハはスマホをもう一度見つめた。
・飼育ケース
・マット(飼育用の土)
・ゼリー(専用の餌)
・のぼり木(餌皿兼用)
・枯れ葉など(転倒防止)
・霧吹き(保湿用)
「まずは飼育ケー‥‥ゴブファッ!!」
「カブトムシから離れなさい!」
愛妻メフィスの鉄拳が、ドップラー音を立てて、アスハの腹にめり込んだ。
●
ショッピングモールは、冥魔に破壊されたところは、素早く作業員が入って、一般客立ち入り禁止となった。
無事だった場所は、何とか営業を続けている。
電気や配線までは破壊されていなかったのが幸運だった。
「赤ちゃん、赤ちゃんでは、この子も可哀想ですし、何か名前を考えてあげるのもいいかもしれませんね」
シェリーがガイドを見ながら赤ちゃん広場を目指しつつ、呟いた。
「昨日の夕焼けは綺麗だったなあ‥‥今日もお天気良さそうですし、きっと綺麗な夕日が見られますよね。この子の名前、『夕燈』とかどうですかね?‥‥安直かなぁ?」
「私は、最終的には、グウェンダリンさんに決めて貰うのが良いと思う、けれど‥‥候補ね‥‥そうね‥‥希(のぞみ)ちゃん、なんてどうかしら」
累の言葉に、千鶴が驚いて目をパチパチさせた。
「私も最終的には使徒さんに決めてもらおか思とったんよ。名前なぁ‥‥望(のぞみ)とかどうやろう?」
「‥‥あら、宇田川さんも? ふふ、考える事は一緒なの、かしら」
「私も千鶴さんと同じことを考えていましたよ」
神楽もにこにこしながら、援護射撃する。
「私こういう経験ないんだけど、大丈夫かしらね?」
と、先程まで不安そうだったメフィスも、ぎこちなく赤子を抱いていた。累の指導で大分抱っこの仕方も板についてきている。
「そうね。名前ねー、『愛華』とか、かわいいのがいいわよねー」
女性たちと、神楽の目が、真っ直ぐにグウェンダリンに向かった。
「?」
「で、グウェンダリンさんは、どれがいいと思う?」
ずいずいと、案を提示して迫る女性陣+笑顔で無言のプレッシャーを与えてくる神楽。
無表情だが困惑している様子の使徒。
「‥‥同じ意見が3つ出ましたから、のぞみで良いのでは?」
累が考えたのは、「希望を託された存在だから」のぞみ。
千鶴と神楽が偶然にも同じ名前を思いついたのは、「両親に望まれて生かされた子供らしく。例えこの先に絶望があっても希望に変えて生きていけるように願いを込めて」のぞみ。
「赤ちゃんの名前かい。てぃあらちゃんとか、こすもちゃんとか、そういうのが人界では流行していると聞いたよ?」
「「グウェンダリンさんに聞いとるんじゃ!!」」
ドォルは気の強い女性たちによって、ぴしゃりと黙らされた。神楽がにこにこと見つめている。
咄嗟にグウェンダリンは、主人を守るべきと判断したが、何か攻撃を加えられたわけではないので、どうしていいか困惑した。
主人への口撃は、どう防いだらいいのだろう? 護衛として、今後の課題である。
「ちぇー、ぼくだって頑張って考えてみたのになあ」
ドォルはしょんぼりしていた。外見は大人だが、子供のようだ、と皆は思った。
まあ、天使なんて、外見年齢と中身が一致していないケースも多いものだ。
「のぞみちゃん、少しの間、よろしくね?」
メフィスが胸に抱いた赤子に挨拶する。赤子は泣き疲れたのかとろとろしていて、「うあうー」とメフィスの指を小さな手で握った。
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神楽と千鶴、両名の子守り風景の撮影をしながら、アスハは何を調達すればいいのか、思い悩んでいた。
「危ないですから、とげとげのついたおもちゃは避けたほうがいいですよ」
シェリーはのぞみをあやしつつ、イヤリングを取り出した。
「このアクセサリ、確か体温計の機能持ってたはず‥‥」
尖端部分にガーゼを巻いて、カロールイヤリングをのぞみの手にそっと握らせるシェリー。
持たせている間は目を離さず、体温が計測できればラッキー程度に考えていた。
「うん、37度弱なら、平熱かな」
シェリーはのぞみからイヤリングを取り上げると、優しく眉間を撫でた。
「さて、育児用品店に着きましたよ」
神楽が看板を見上げる。
「買うものは、優先度の高い順に、哺乳瓶、粉ミルク、おむつ・おしり拭きシート、おもちゃ・着替え・タオル類、ベビーカー、その他ってところでしょうか。‥‥すみません、近くに、消毒やミルクに使えるお湯が、もらえる場所はあるでしょうか?」
育児用品店の店員は、神楽に「授乳室に、温度計のある給湯設備が併設されていますので、そこで出来ますよ」と案内した。
「あ‥‥赤ん坊には、おむつの好き嫌いがあるんですよね‥‥」
察してくださいね? と言わんばかりに、笑顔をアスハに向ける神楽。
アスハは、何種類のおむつを買えばいいのか、悩みだした。
後で復習できるよう、スマホで抱っことかあやし方、諸々の対応を動画撮影する千鶴。
「おむつ交換の出来る多目的トイレの場所は‥‥ああ、あそこね」と確認するメフィス。
「なあ、メフィス‥‥ミルクは‥‥免疫機構の構築には確か、人工の粉のよりも」
ふと、意味ありげにメフィス(の胸元)を見るアスハ。
みるみる、メフィスの顔が紅潮する。
「はーい、アスハー? 何が言いたいのかなー? って、まぁ、言わせる気もないけどねー♪(はーと)」
\暫くお待ちください/
「これからの季節は冷えるから、外に出る時にはレッグウォーマーがあると便利、よ」
累は、アスハ夫妻にそう言って、店員と皆で授乳室に向かった。
店員の手馴れた説明を受けながら、買ったばかりの哺乳瓶の煮沸消毒と、ミルクの作り方を教わる。
のぞみの様子をよく観察して、必要に応じておむつを交換する等、実践しながらの指導である。
千鶴はスマホに、動画でメモリいっぱいまで記録していた。
「どうしてこんなに泣いているんだい? この子は何が悲しいんだろう?」
「おむつが汚れて、気持ちが悪いからですよ」
首をかしげるドォル。
事情を知った店員さんが、おむつ交換の見本を見せてくれる。
汚れたおむつを外し、おしり拭きシートで綺麗に拭いてあげてから、新しいおむつに交換する。
「はい、キレイになりましたよ。のぞみちゃん、すっきりしましたか?」
「あー、だー、うー」
ちょっと上機嫌になったかと思うと、今度はぐずり始める。
「おむつを替えたのに、また泣いているよ?」
「ミルクが欲しいんでしょうね。ちょっと待っていてくださいね〜、のぞみちゃん」
煮沸消毒した哺乳瓶に、適温のミルクを作って、少しずつ与える店員。
「意外とよく飲むわ、ね?」
結構多めにミルクを作ったと思っていた累は、のぞみの食欲にびっくりした。
10分ほどかけてたっぷりミルクを飲んだのぞみは、疲れたのか、すやすやと寝入ってしまう。
その間に、汚れた衣類やよだれかけを全て新品に買い直し、着せ替えた。
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寝入ってしまったのぞみを、新しいベビーカーに乗せ、落ちないようベルトで固定する。
夢でも見ているのか、のぞみはよく手足をばたつかせる。
皆は、フードコートに移動していた。
「この近くなら、授乳室もあるし、多目的トイレでおむつも替えられるし、便利でいいわね」
「せやねえ。こないな施設が増えてくれると、お母さんたちにも有難いことやねえ」
メフィスと千鶴はうどんを頼み、携帯食を取り出した神楽と、ラーメンを頼んだアスハのそばに席をとる。
累はサンドイッチを買ってきて、隣の椅子に、店員から借りた赤ちゃんシートを乗せ、そこにのぞみを座らせていた。のぞみは時々うとうとして、時々「だあー」と声をあげていた。
軽く食事を終え、アスハはメフィスにぽつりと言った。
「いつか、僕たちも、この本番を迎えるんだろう、か‥‥?」
「‥‥どうかしらね」
メフィスの顔は、白い帽子の影になっていて、見えない。
「のぞみちゃん、手を口に入れたがってはるんねえ。指しゃぶりとかの時期なんやろかねぇ」
千鶴は、のぞみがグーに握った手を、一生懸命口に入れようと奮戦しているのを見て、神楽に話しかけた。
「ちっこいなぁ‥‥な、神楽さん。お手手もぷっくり、まんまるや」
(今日は千鶴さんが楽しそうで何よりです)
アスハとメフィスの微笑ましいシーンをスマホ動画に収め、神楽はにこにこと「そうですね」と答えた。
勿論、自分の拳の方が大きいので、のぞみの野望はなかなかうまくいかない。
よだれがよだれかけにべったりと垂れる。
シェリーは、ダメもとで、天使勢を食事に誘ってみた。<紳士的対応>を使って、真面目で厳格な人に好まれるオーラをまとう。
「人間を知る為に、人間が食べているものを自分達も食べてみる‥‥という考え方もありますよね? 何か食べてはみませんか? 人間の食事を食べている、堕天していない天使さん、私は1人知ってますよ?」
「なら、何できみは、赤ちゃんをよく知るために、おむつをつけて、哺乳瓶でミルクを飲まないのかい?」
きょとんとした顔で、ドォルは尋ね返した。グウェンダリンは静かに主人の隣に座っている。
「ぼくはそもそも、人を理解するのに、人と同じものを食べる必要を感じないんだよ」
のぞみが「あー、だあー、まー」とジタバタ暴れ始めた。グウェンダリンはおもちゃで気を引こうとする。
だが、のぞみは泣き出した。表情一つ変えないグウェンダリンに、不満を持ったのだ。
赤ちゃん語で一生懸命話しかけたから、何か、話しかけ返して欲しかったのだ。
流石に、そこまでのぞみを理解できるメンバーはいない。
「おむつかな? ミルクかな?」
「赤ちゃん椅子が窮屈なのかも‥‥」
「こうしているより、抱っこのほうがいいのでしょうか?」
慌てふためく一同。食べ終わった食器を返却口に戻し、赤ちゃん広場へ連れて行く。
千鶴は何かのヒントにならないかと、のぞみの様子を撮影していた。
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赤ちゃん広場に移る。結局のぞみのお怒りの原因は誰にも解読できず、のぞみはワンワンぎゃーぎゃーと力の限り泣き叫んで、疲れてまた寝てしまっていた。
夕方になる前に、折角なので記念写真を撮ろうと、アスハが言う。
グウェンダリンにのぞみを抱かせて、シェリーのデジカメで撮影。
「原磯には送れないだろう。そこのカメラ屋ですぐにプリントアウトしてくる」
カメラ、借りる、ぞ。そうシェリーに言って、アスハはカメラ屋へ向かった。
刷り上がった写真をグウェンダリンに手渡す。
「もし会いたくなれば、孤児院を訪ねればいい‥‥良いだろう、ドォル?」
「有難う。勿論、グウェンダリンが会いたいと言うなら、ぼくは許可するさ」
ドォルは嬉しそうに、グウェンダリンは無表情で、写真を見た。
「アスハさんは、その真剣さをもう少し別の所で活かしましょう。あと、私と千鶴さんを撮影していた動画データはメモリごと提出してくださいね」
鬼気迫る笑顔で、神楽はにこにことアスハに迫った。
モール内に17時の時報が鳴る。のぞみとの別れの時間が迫ってくる。
「グウェンダリンさん、どうでした? 小さな命に触れた感触は。ご自分の過去を思い出す必要はありません、また学べばいいだけですよ」
神楽がにこにこと話しかけ、グウェンダリンは、どこか穏やかな目つきで、頷いた。