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斡旋所へ転送された電話に、ボイスチェンジャーで機械的に声を変えた通話が続く。
『身代金は10億だ』
「‥‥わかりましたわ」
斡旋所バイト、アリス・シキ(jz0058)が集まった皆の反応を見て、了承する。
『えっ、まじ?』
10億という金額がすんなり通るとは思わなかったのだろう。
逆に誘拐犯が慌てた様子だった。
『コ、コホン。よし、身代金を持って、某市街の夜景が有名な、峠道カーブに来い。反射板たすきをかけた男に金を渡してすぐに去れ。くれぐれもおかしな真似はするなよ』
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イリス・レイバルド(
jb0442)は、浴衣姿の川澄文歌(
jb7507)とともに、花火大会会場に来ていた。
花火は終わり、人波は駅へ向かう。逆行する方向へ、白衣の天使、双貌のドォル(jz0337)とその使徒グウェンダリン(jz0338)が、満月に照らされた空を飛んでいく。行く手には里山がある。
「ドォルさんじゃないですか? こんなとこでどうしたんです?」
「やほやっほ〜お二人さん、こんなとこで会うとはご機嫌麗しゅう」
イリスと文歌は、ドォル達を呼び止めた。
「花火見に来たんだよね? どうですかな空の芸術ー」
「ああ、うん、なかなか面白かったけれどね」
ドォルは猛禽類に似た翼を羽ばたかせると、体を2人に向けた。
忠実な使徒に、先に行くよう合図を送る。
「あ、グウェンダリンちゃん、これあげる! 綿アメですよ〜、金平糖の親戚と思いねえ」
注意を引こうと、イリスは子供向きのキャラクターが描かれた袋を振り回す。
グウェンダリンは綿菓子には目もくれずに、里山方向へと消えていった。
(あー、行っちゃった‥‥でもま、主人不在ならグウェンダリンちゃんの誘導は可能だっよね)
イリスは引き続き、使徒の主人を引き止めにかかる。
「ねえこれ見てよ、花火! ケータイのムービーで撮ったんだけっど、マジ綺麗に撮れてると思わない? それとも記録媒体より、リアル派?」
「うーん、ムービーだと迫力に欠けるね。花火は大きさや音まで楽しむものだと、ぼくは思うよ」
「私も、アウルの平和利用で花火を作り出せるんですよ」
文歌が<ファイアワークス>を上空めがけて放つ。
「どうです? 花火っぽいでしょ?」
ドォルは喜んで手を叩き、文歌に注文した。
「流石流石。じゃあさ、あの、半円ずつ色がぐるぐる変わって、最後に菊みたいにぱあっと開いて、その後先端がきらきらって点滅して消えるの、やってよ! あれが一番気に入ったんだ」
「そ、そこまで凝ったものは‥‥うぅーん、あ、そうです!」
突然大声を上げる文歌。
「ドォルさんが阿波踊りの事でご不満だったみたいなので、阿波踊りを学んできたんですよ! 見て下さい」
<ダンス>スキルも使い、その場で艶っぽく上品に踊り始める文歌。
『お姉ちゃんとはぐれちゃった。知り合いと一緒にもう少し会場捜してみるね』
イリスは、文歌がドォルの気を引いている間に、事前に決めた暗号文を、携帯で連絡した。
内容は、使徒を逃したことと、天使とは現在同行している、という意味だ。
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イリスからの携帯を受けたミハイル・エッカート(
jb0544)は、ジェラルミンケースのようなカバンを持ち、ダークスーツにワインレッドのネクタイ、サングラス(に見せかけたナイトビジョン)という出で立ちで、転移場所から山頂方面へ、峠道をたどっていた。
峠道には街灯がない。時折、すごい速度で峠攻めか、もしくは山越えの車が走ってくる。
ミハイルには、狗猫 魅依(
jb6919)、津島 治(
jc1270)が同行している。早足で進む3人は、夜の峠道では奇異に見えたことだろう。
「夜景が有名なカーブというと、もう少し上か。犯人が反射板をかけてくれているとは、捕まえてくれと言わんばかりだな」
「何か仕組まれているのかも知れません。慎重に行きましょう」
魅依の別人格である仙狸が、ぴりぴりと警戒している。
「とりあえずでも、辰巳様が無事ならいいのですが‥‥」
少し進むと、ゴーグル(ナイトビジョン)をつけた治が、何か大きな生物が飛来し、道より上方の林の中に消えるのを見た。
さほど時間差なく、ミハイルが、反射板たすきをつけた男を遠目に発見する。
仙狸は<ハイドアンドシーク>で、治は<明鏡止水>で【潜行】した。
((‥‥!?))
「約束どおり警察には通報していない。辰巳は無事なのか? どこにいるんだ?」
ミハイルが反射板たすきの男に近づき、声をかける。
そこにいたのは、反射板たすきをつけた、スーツの男。
紐で口をくくられており、まともな発声はできなさそうだ。
両手首にはガムテープが巻かれ、帽子と伊達メガネが付けられている。
現金の受け渡しに現れたのは、辰巳だったのだ。
しかし、ミハイルは、辰巳と面識がない。
辰巳はカバンを受け取り、紐で縛られて不自由な口を精一杯動かして、嗄れたかすれ声で「行っれくらはい」とだけ、返した。
「お前、まさか‥‥辰巳なのか?」
ミハイルが男の様子がおかしいと気づいた瞬間、1発の銃声がして、バサバサと上方の林の中から鳥たちが飛び立った。
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「二階堂さんを何処へ隠しましたか」
グウェンダリンは、林に潜んでいた男の猟銃を掴み、まだ熱い銃身を空へ向けて固定していた。
辰巳のスマホは、間違いなくこの男が所有している。
「な、何だお前は‥‥!」
「嫌でも案内していただきます」
グウェンダリンはそう言うと、猟銃の銃身をくいと捻り曲げ、使用不能にした。
ひい、と男が腰を抜かす。
「お、俺も知らん!!」
「では文明の利器に頼ってください。仲間と連絡が取れるのでしょう?」
淡々と男を追い詰めるグウェンダリン。男は辰巳のスマホとは別の携帯を取り出し、仲間に連絡した。
「は、廃工場跡地だ。そこに車を停めたと‥‥」
「本当ですね? 嘘では困ります。あなたも一緒に来てください」
グウェンダリンは男を容易く抱え上げ、再び空へと舞い上がった。
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<夜の番人>を発動した仙狸、ナイトビジョンで闇を見通せるミハイルと治は、女性の影が誰かを林の中から空中へ連れ去るのを目撃した。
反射板たすきの男は、「嘘らろ‥‥」と膝から崩れ落ちる。
ガチャリと音を立てて、隠し持っていたらしいハンドガンが落ちる。
続いて帽子が落ち、ふさふさの前髪が現れた。
本物の辰巳は、前髪がだいぶ薄くなっていたはずだ。
「あははは」
思わず治が笑いだした。
「如何やら、僕等は偽者を掴まされた様だね。エッカートくん、この男は二階堂くんでは無いよ。犯人の一人だろう。人質役とは、見事に裏をかかれたね」
「どうします? 当初の予定通り、眠らせて置きますか?」
仙狸がミハイルに尋ねる。
ミハイルは、「面倒だしそうするか」と<スリープミスト>をかけ、眠った人質役を更に拘束して、スーツのポケットから携帯を抜き取り、当人を治に託した。
「麓の交番へ運べば良いかな。用事が済み次第、直ぐに合流するとも」
治は<陰影の翼>で人質役を抱え上げ、空へ舞い上がった。
「手錠は返却するからな、忘れずに外して持って帰れよ」
ミハイルは治を見送った。
そして、人質役の置いていった携帯のデータを見る。
発信履歴と着信履歴を見て、一番最近使ったものに電話をかける。
出ない。
待機音が、鳴り続ける。
焦りが募り始めたところで、ミハイルのスマホが鳴った。斡旋所からの電話だ。
『その峠道を進みますと、廃工場跡地がございますの。二階堂さんのスマホは現在、その付近にございますわ』
アリスからの連絡だった。
ミハイルと仙狸は、全力で峠道を駆け上った。
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「‥‥で?」
文歌の阿波踊りを鑑賞し終え、ドォルは2人にゆっくりと尋ねた。
「きみ達は、二階堂くんを拐かして、ぼくをここに引き止めて、一体何をする気なんだい?」
縦型ハーフマスクで覆われたドォルの顔。露出した半分は、全く笑っていない。
「返答次第では、きみ達撃退士諸君を、今後、敵対者とみなすことにするけど、どうなんだい?」
「あれ、代表さんとはぐれたんだ? それで見かけないんだね、ボクも代表さん探すの手伝うよ」
イリスはわざとらしくならないよう気をつけながら、慎重に答えた。
「でも代表さんって護衛いたよね?‥‥いや、グウェンダリンちゃんが護衛だったらありえるかー。あの子実力はあってもどっか抜けてるし、うん、ドォルくんがいるならそっちの護衛優先するよねー。代表さんは真面目に、人間の護衛を常に連れ歩くべきだと思うんだけど、どっかな?」
「‥‥ぼくの問いを無視しないで欲しいね。人を殺すのは好きじゃないし、グウェンダリンにそうオーダーするのも嫌だけど、二階堂くんに何かあったら、ぼくは一切容赦しないつもりだよ?」
すると、文歌が慌てて声を上げた。
「あの、実は‥‥」
文歌は、辰巳が悪い人間に誘拐されてしまい、撃退士の仲間が救出に向かっていると話した。
「今の話が嘘じゃないという保証は可能かい?」
「はい」
力強く文歌は頷く。イリスは「わわ、話しちゃって大丈夫っ?」と慌てていた。
「うん、じゃあ一旦信じよう。もし嘘だったら、ぼくは怒るからね。その後、グウェンダリンに何を命じるか、わからないなあ」
「本当ですから、構わないです」
ドォルに対して、文歌はもう一度頷いてみせた。
ドォルはイリスに「きみは飛べるかい?」と確認し、文歌を抱き上げて空へ飛び上がった。
真っ直ぐに廃工場跡地へ向かう。
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廃工場跡地では、グウェンダリンが、辰巳を拘束していたガムテープを丁寧にはがしていた。
見事に骨組みしか残っていない、軽自動車の残骸が月明かりに浮かび上がっている。
誘拐犯の2人は、ミハイルの<スリープミスト>によって眠らされ、拘束されていた。
「いい夢見られるのは今のうちだ。久遠ヶ原と聞いて、普通の学校だと思うほうがどうかしてるぜ」
ミハイルは、ぼそりと呟いていた。
天使とイリスと文歌が到着する少し前に、治も合流していた。
「いやはや、随分と派手に暴れたものだね」
治は苦笑する。
「やあ、グウェンダリンくん。ご機嫌は如何かな? おっと、話している内に主殿もご登場だね」
ミハイルはやれやれと額を拭った。
「彼女が車を破壊しているうちに、犯人2人を拘束出来たが、‥‥ここで天使のお出ましか」
「どうやら、ぼくは歓迎されていないようだね」
抱えていた文歌を慎重に地面に下ろし、ドォルは辰巳に向かった。
「二階堂くん、大丈夫かい? 怪我をさせられたりはしていないかい?」
「ええ。グウェンダリンさんが来てくれましたし、ここにいる皆さんも私を助けてくださいました」
辰巳は撃退士の皆を庇うように、前に出た。
ミハイルから、「心配をかけたくない」という理由で、ドォルに誘拐事件のことは言わないように頼まれてはいたが、「そちらのほうが余計に心配をかけます」と丁重に断っていた。
「一度は、時計やお財布なども奪われましたが、撃退士の皆さんが取り返してくださいましたし、『極楽園』の皆さんから預かった郵便物も無事ですよ」
辰巳はすっかりガムテープが取れると、べたつく肌をこすりながら、撃退士の皆1人1人の顔を見つめて、「本当に有難うございました」と頭を下げた。
そしてじっと、深い眠りに落ちている犯人2人を見つめる。
「この方々も、お金に困っていらっしゃるのなら、『極楽園』に引き取れれば良いのですが‥‥」
「辰巳様が望むなら止めることはしませんが、一応、犯罪者として裁かれるべきとは思います」
仙狸がゆっくりと言葉を紡いだ。
「きみの話は事実だった。疑ったことを詫びるよ。二階堂くんを助けてくれて有難う」
ドォルは文歌にまず謝り、続いて学園の撃退士たちにも礼を言った。
「でも、ならどうして、ぼくをわざわざ引き止めるような真似をしたんだい?」
「過去の報告書を幾つか見せてもらった。サーバントで人を弄ぶのは感心しないな。正直今回も、犯人の命が危ないと感じたのでね。人間に嫌われて当然のことをしている自覚はあるのか?」
ミハイルの言葉に、考え込むドォルと、「ドォルさんはそんなことしませんよ」と庇う辰巳。
「いや、二階堂くんは知らないだけだよ。確かにぼくは、人というものを知りたくて、原磯から遠い地区限定だけど、色々と実験をさせてもらっている。それが人間にとって迷惑とは、あんまり思わなかったんだ。本当だよ」
ドォルは辰巳を止めて素直に認めた。
「これからも、余程のことがない限り、人間を殺めることはしないつもりだよ。だけど、好奇心を殺せって言われても、承服はできないなあ。きみ達は、ぼくにどうしろっていうんだい? 学園に与する、以外の答えを求めるよ」
途方に暮れた様子のドォルに、問い返された。
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「結局、グウェンダリンに全部持って行かれましたね。わたし達の読みが甘かったのでしょうか」
帰り道、仙狸は反省するかのように呟いた。
「んー、綿アメじゃ、グウェンダリンちゃんの関心は引けなかったかあ。やっぱり金平糖だっね」
イリスがうむむと腕を組む。
グウェンが金平糖を気に入った最初の理由は、綺麗だったからだ。
そういう意味では綿アメは好みに合致しなかったのだろう。
「私も、グウェンダリンさんを引き止めることに関しては、ノープランでした‥‥」
文歌がしゅんと沈んでいた。
「ドォルさんが止まれば止まると思いこんでいました。既にドォルさん達の間で二階堂さんを探す話は出ていたんですね‥‥」
「まあ、犯人はばらけてくると想定されていたから、取引役、見張り役、運転手役と考えはしたんだが‥‥取引役が、人質に変装してくるとは、俺も予想外だった」
ミハイルも考え込む。
「考えてみれば、山中の峠道に、軽自動車を停めておける場所なんて限られている。二手に分かれて空から捜索していたら、先に廃工場跡地と車を見つけられたかもしれんな」
「然う云う意味では、僕も甘かったかな。もう少し気をつけて見回れば良かったね」
治が茶色のシルクハットに、手を添える。
「嗚呼、然う云えば、此れを渡されたよ。二階堂くんからね。イリスくん宛で良かっただろうか?」
一通の封書をイリスに手渡す治。
差出人不明の、羽模様のシールで封かんされている封書を、訝しげに開き、徐々に涙目になるイリス。
「絵羽ちゃん、元気でやっているんだあ‥‥!」
「おお、そうか。それは良い報せだ。父親も息災か?」
「そうみたいだっよ! 幸せに暮らしているって!」
「まあ、その手紙が真実なら、だな」
辰巳や彼の手の者が、改竄しているとは考え難いが、まだあの天使勢に気を許したわけではない。
喜ぶイリスに、ミハイルはチクリと釘を刺した。