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毒原(どくはら)教師、通称ドクの大型改造熱気球が、富士山付近のグラウンドを借りて、設置された。
心配そうに見上げる、お留守番のマリカせんせー(jz0034)。
「せんせー、お留守番の間、召し上がってくださいね♪」
和風サロン『椿』の女将、木嶋香里(
jb7748)は、ずっしりと重い3段お重をせんせーに手渡した。
「皆さんの分もありますよ♪ 富士山の上空についたら、分け合っていただきましょう」
もう1セットの3段お重を抱えて、香里は微笑んだ。
礼野 智美(
ja3600)と美森 あやか(
jb1451)が、仲良くコート持参でやってくる。
「光纏すれば寒くても大丈夫と聞いたが、快適に過ごしたいしな」
智美は「しかし、地上はまだ暑いな」と汗をぬぐった。
黒い羊の着ぐるみを着たシェリー・アルマス(
jc1667)が、ゴシックコートにベレー帽姿のアリス・シキ(jz0058)と、にこにこと楽しそうに歩いてくる。
「シキも真っ黒、私も黒。お揃いの色だね!」
「ですわね。お誘い有難うございます」
アリスもにこにこと笑顔を浮かべていた。
あやかがアリスを見つけ、智美とともに、丁寧に挨拶を交わした。
「‥‥そういえば、智ちゃんもあたしも面識ある人って、そういないんですよね。シキさん、今回はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
黄昏ひりょ(
jb3452)も、友人であるアリスに挨拶し、見送りに来ていたマリカせんせーにお辞儀をした。
(シキさん達と一緒に行った登山の時、高所恐怖症は緩和されたけれど‥‥ん〜‥‥でも、流石に富士山の上空は、一気にハードルを上げすぎただろうか?)
爽やかな笑顔の裏で、内心、びくついているひりょ。
「大丈夫、きっと富士山の上空から見る景色は綺麗だよ。何も心配することはないよ。‥‥多分ね」
何やら大きな岡持ちらしき物を提げている、佐藤 としお(
ja2489)が、ぽんとひりょの肩に手を置いた。
「そうだともね! 富士山の天気は今日は完璧ね! 雲ひとつないね! 風も良好ね!」
ドクが皆に、タブレットを使って、本日の山岳天気情報を見せた。
「きっと良い景色が見えるね! 保証するね!」
バーナーが炎を噴き、熱気球が膨らんで地表を離れ、ゆっくりと上昇していく。
「いってらっしゃいですー。気をつけてですー」
グラウンドで、お重を抱えたまま、片手を振るマリカせんせーの姿が、だんだん遠くなっていく。
(あはは、怖くなんか‥‥ない‥‥さ)
徐々に高度が上がっていくに従い、ひりょの笑顔が凍りついていった。
見なければいいのに、どうしても気球の外を見てしまう。どんどん地面が遠くなっていくのを実感する。
「ひりょさん、お使いくださいませ」
アリスはひりょに、そっとアイマスクを手渡した。続いて全員にガムを配る。
「皆さま、ガムをどうぞ。噛んでおりますと、お耳がつんといたしませんのよ」
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気球は順調に空の旅を続けている。
ドクが、ある程度高度があがったところで、全員に光纏するよう命じた。
確かに光纏すると、寒さも気圧の変化による体調の変化も、全てが不思議なくらい落ち着いた。
ご存知のとおり、富士山の標高は、3776mね。
富士山を上空から一望するには、5000mほどまで上昇すればいいね。
このラジコンヘリは、高度6000mまで行けるから、能力的には十分ね、安心ね。
ダイジョーブ、国土交通省の許可もちゃんと事前にとってあるね。
それに、今日は富士山上空を通る航空路も使われない日だと、確認済みね。
ドクが熱弁をふるう。
学生たちは、皆で語らっていたり、外を眺めたりして、あんまりドクの話を聞いていなかった。
「見えてきました、富士山です!」
初めに声を発したのは、智美に借りた双眼鏡で、景色を眺めていた、あやかだった。
初秋の富士山は、初冠雪もまだで、丸い火口や黒々とした尾根がはっきりと見えていた。
山の中腹あたりに雲がかかっており、そこから下は霞んで見えない。
「気流をつかむのが厄介ね! でも先生にお任せね!」
ドクは熱気球とラジコンヘリを操作し、山頂がよく見える位置に気球を浮かせた。
その状態を保ち続ける。かなり訓練したのだろう、操縦の腕は抜群に良いようだった。
「すごいな‥‥」
ひりょがアイマスクを外し、眼下に広がる光景に感動の声を漏らした。
とても高いところにいるのに、怖さは感じなかった。
「なんて不思議な光景なんだろう、壮大で幻想的で‥‥」
思わずデジタルカメラを手にしてみる。遠景モードにして、数枚撮影。
「いかに自然が壮大なのか、その中にいる人間がいかに小さな存在なのかを、実感するね。‥‥こんな広い世界で、俺の居場所なんて見つかるのかな‥‥」
ひりょは、不意に孤独感を感じた。
(孤独感に苛まれる事はよくあることだ)
心の中で呟いたその肩を、ぽんと、としおが叩く。
「確かに自然は広大だね。広大だから、人みたいにちっぽけな存在の居場所は、どこにでも、幾らでも、あるんだと思うよ」
「富士山綺麗だなぁ‥‥この近くで、前に大規模な戦いがあったんだって? 自然が無くならなくて良かったね♪」
黒羊シェリーも気球から身を乗り出すように、景色を眺めていた。
「さあ、エビバディ、今からお弁当タイムねー!」
ちょうど時間はお昼頃だ。腕時計を見て、ドクが叫んだ。そして、オーマイガッと頭を抱える。
「ノー!! 先生は自分の分のおにぎりを忘れたね!」
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「大丈夫です、先生。皆さんでつつけるように、お重を持ってきました♪ 皆さん、素敵な景色と一緒に楽しんでくださいね♪」
香里が、6〜8人分詰めた3段お重を、ドクによく見えるように展開する。
「1段目は唐揚げ・ハンバーグ・タコさんウインナーの肉おかず段。
2段目は甘目の卵焼き・牡蠣フライ・ポテトサラダの副菜おかず段。
3段目はサンドイッチ・柿の葉寿司・おにぎりの主食段です」
プラスチック皿とプラ箸を配り、お手ふきを皆に回す女将。
「おお、お重もいいね! でも富士山を見ながら食べるものっていったら、ラーメンでしょ!」
ラーメン王の称号を持つ、としおが、大型の岡持ちをオープンする!
そこには、あうるぱわーで守られた、美味しそうな出来立てラーメンがしまいこまれていた!
まるで今さっき、器に盛り付けたように、熱々できたてで、麺のコシも損なわれていない。
勿論、トッピングの海苔がふやけた様子もない。
「さあ、皆でレッツ! ラーメンパーリー!!」
あうるぱわーの素晴らしさに感動しながら、としおは皆に熱々ラーメンを配った。
「超高高度で食べるラーメンは絶対美味しいよ! そんなとこで食べることなんて、普通はないからね!」
尚、当依頼では、あうるぱわーは万能ですが、あくまでコメディ補正なので、ご注意ください。
あやかのお手製の弁当を開け、智美がうまうまと美味しく食べ始める。
そんな親友を見つめて、嬉しそうに微笑むあやか。魔法瓶から温かい紅茶を注ぐ。
「智ちゃんの好きな物を、多めにしたんです。茸ご飯のお握りに、じゃが芋のグラタン風と、定番の唐揚でしょう。茄子と南瓜の揚げびたしは、こっちのタッパーです。プチトマトと胡瓜と赤玉葱とシーチキンで作ったマカロニサラダもありますよ。いんげんと人参の豚肉巻に、糠漬けの胡瓜を添えて、デザートは無花果です。温かいコーンポタージュも用意しました」
「美味しい、美味しいよあやか、ありがとう」
夢中で箸を動かす智美。微笑むあやか。
「お弁当、シキの分まで作ってきたんだよ」
シェリーが、はりきってお弁当を広げる。
「普通の塩握りと、アルミで包んだアボカドのおにぎりと、ミニトマト! おかずは、こっちの入れ物に、卵焼きと唐揚げを入れてあるんだー」
そう言って<トーチ>で新聞紙の火種に火を移し、シェリーは直火OKのお弁当箱を軽く加熱する。
「火の始末も、ちゃんとしないとね」
用意してきた不燃布の袋に火種を放り込み、しっかりと消火を確認する。
「あら、わたくしもお弁当をお持ちいたしましたのよ。こんなにいただけますかしら?」
アリスはお弁当箱を広げて見せた。普通の稲荷、黒糖稲荷、からし稲荷に、可愛く型抜きした根菜の煮物、うずら卵の紅茶煮串、アスパラベーコン巻き、飾り切りした味つきゆで卵、種無し葡萄が、彩りよく詰められていた。
この状況に、涙して喜んだのは、お弁当を忘れたドクであった。
まずはとしおのラーメンに舌鼓を打ち、香里のお重をつついては満足そうに口に運ぶ。
「絶品ね、絶品ね。あったかいラーメンも、お重のおかずも、どれも美味しいね!」
「喜んで貰えて幸いです♪」
ドクの食べっぷりに、香里が満足そうな笑みを浮かべる。
ひりょは、としおのラーメンを完食した後、色々な具材を入れた山型のおにぎりを頬張っていた。
勿論、唐揚げも忘れずに持ってきている。
「富士山って事で、山の形であるおにぎりをパッと連想したんだ。俵型のおにぎりじゃないよ、山型だからね!」
誰にともなく強調するひりょ。魔法瓶に入れてきた紅茶を飲んで、ほっと一息つく。
眼下には綺麗な富士山。時々雲が、冷たい霧のようにふわりと流れてきて、通り過ぎていく。
「美味しいですわ。シェリーさんはお料理お上手ですのー」
「ありがと、シキのも美味しいよ」
シェリーとアリスは、お互いに持ち寄ったお弁当をつつき合っていた。
そこへ、あやかが自分のお弁当箱を差し出した。
「どうでしょう、お弁当の交換なんて?」
「わあ、いいんですか? 有難うございます!」
あやかの提案に、シェリーとアリスが自分のお弁当箱を快く差し出す。
「ひりょさんも、ご遠慮なく、おつまみくださいませね?」
アリスはにこにこと、自分のお弁当箱を指し示した。
「このラーメンも旨いな。あたたかくて、体中にしみ渡る」
智美はとしおのラーメンが気に入ったようだった。
としおはサムズアップしてみせる。
「ラーメン食べて元気100万倍! ラーメン王降臨ッ!! あんまり強力すぎて成層圏突破だ! 何が起きてもオールオッケー!」
テンションマックスでドクに向き直るとしお。いや、ラーメン王。
「この後は、あうるぱわーの実験ですか? 喜んで協力しましょう!」
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ドクは実験前に、急激な高度低下を恐れて、気球を安全圏まで移動させた。
富士山の絶景が遠ざかっていく。
さようなら富士山! 君のことは忘れない!!
出発地点であるグラウンドの上空まで移動すると、ドクは皆に向き直った。
「さて、こちらのコイルが、皆のあうるぱわーを吸収してエネルギーに変える仕組みになっているね。ちょっとやってみせるね!」
ドクは<忍法「友達汁」>をコイルに向けて放った。白衣がはためいて、あうるがふわりとドクの全身から湧き出してくる。
「我が実験に成功の一幕を!」
コイルはあうるを吸収して、薄く光った。
しかし、それだけだった。
「さあもっとあうるを! 皆のあうるを放出するのね!」
「ドク先生、実験する前に、皆に命綱か何かつけておかなくて、大丈夫ですか? 多分、急上昇すると思いますよ!」
シェリーが慌てて尋ねるが、「大丈夫ね! 心配ないね!」とドクは自信たっぷりだった。
「サー、イエッサー、一番手いっちゃいますよー、<クリアマインド>!」
ノリノリでとしおがあうるぱわーを放つ。
「ラーメンぱわーは世界一ィィ!!」
続け続けと言わんばかりに、ドクが皆を急かす。
「通常スキルか‥‥<絆>で良いかな?」
智美はこくこくと頷くあやかの手を取り、2人でコイルめがけて発動した。
「俺たちの、あたしたちの(←ここハモリ)、友情は、永遠です!(だ!←ハモリ)」
コイルの薄い光が、少し強くなる。
「風よ、我にまといて力となれっ、<韋駄天>!」
かっこいい決めポーズで、ひりょがコイルにあうるぱわーを放つ。
コイルの光が徐々に強くなっていく。
「祈りの奇跡をお見せします!」
香里は<ライトヒール>をコイルに発動した。
コイルが、ランプのようにゆっくりと輝き出す。
「本当に大丈夫なのかな?」
心配そうに、シェリーは<トーチ>をコイルにかける。
コイルの輝きが増した。
「今のところ、コイルが光っているだけで、何も起きていないよね? 何か起きそうで怖いなあ」
そしてシェリーは、アリスを見た。
「シキも何か使ってみてほしいな」
「はい」
アリスは微笑んで、輝くコイルに向き直った。
「わたくしも<絆>を使わせていただきますわね。どうぞ、実験がうまくゆきますように!」
「良い結果も得られれば、素敵ですよね♪」
香里がお重類を片付けながら、にこりと微笑んだ。
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そして、全員のあうるを受けたコイルは、どんどん光を増し、まるで太陽のように眩く輝き、そして‥‥爆発した!
「オーノー!」
ドクが頭を抱える。
「やっぱり、ネフィリム鋼でなければ、あうるぱわーには耐えられないのね!」
「ちょっと先生! まさか、気球が墜落したりしないですよね?」
シェリーがはらはらと見守る。
「気球は大丈夫ね、ちゃんと通常のコイルが作動しているね。問題は‥‥」
そう、問題は。
「ヘリの方は大丈夫だろうか、なんか煙吹いてた気が‥‥」
ひりょが思わず、ラジコンヘリを凝視する。
そう、コイルの近くには、気球を引っ張っているラジコンヘリがあったのだ。
コイルの爆発が原因なのか、ヘリからぷすぷすと煙が出ている。
「はわあ、墜ちてまいりますの!」
アリスが指差す。ラジコンヘリは、もうもうと煙を吐きながら、墜落していった。
急いでドクが、気球とヘリのジョイントを外す。
地上で小さな爆発が起こった。
「きゃー」とお迎えに来ていたマリカせんせーの悲鳴が聞こえる。
熱気球はふわふわとグラウンドの上空に浮いたままだ。
ドクが操縦して、ゆっくりと高度を下げつつある。
「‥‥ケセランを呼んで引っ張ってもらうとか、攻撃スキルや銃を発射してその反動で動かすとか、この高度からなら、最悪、飛び降りて近くの駅まで歩いて帰るとか。やりようは幾らでもあるな」
智美が冷静に呟く。
「まあ、とりあえず命の危機ではない以上、慌てても仕方がない」
「そ、そうですね」
親友が落ち着いているので、あやかも冷静さを取り戻す。
「何かあったら守るからね! シキ!」
スキルを<小天使の翼>と<防壁陣>に入れ替えて、黒羊シェリーが頼もしくアリスを庇う。
「有難うございます」
「この高度からなら、俺の<韋駄天>でも、着陸の衝撃を吸収してくれるはずだ。まずは先生の操縦を信じよう。ダメそうなら俺も手伝う」
ひりょが地表を見つめた。高所恐怖症のはずなのに、不思議と怖さを感じなかった。
熱気球が無事に着陸すると、搭乗者全員+マリカせんせーから、拍手が起こった。
「アウルバーナーは失敗ね。残念ね」
ドクは、諦めの悪い、少年の目をしたまま、ぼそりと呟いた。