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目を開けると、撃退士たちは、件の里山の山道入口に立っていた。
ここからは、流石にお囃子は聞こえてこない。
「きゃはァ、なかなか愉快な敵じゃないのォ‥‥だけど時を場所を選ばないから討伐決定ェ♪」
依頼書を見た黒百合(
ja0422)は、即時現場へ急行し、敵サーバントを味方と共に包囲することを提案した。
「駆け出しの頃に似たタイプの相手と戦った事がありましたね‥‥」
雫(
ja1894)が思い返している。あの時はどうだったか、記憶を探る。
「天呼ぶ地呼ぶ人が呼ぶ! ボクを呼ぶ声がする! そう、ボク参上! イリスちゃんでーす!」
イリス・レイバルド(
jb0442)は、いつもの口上を述べたあと、腕を組んだ。
「いやー、阿波踊りを強要してくるサーバントとか、何がしたくて作ったんだろ? アレかい? 民謡とかそういうのにはまった天使でもいるのかい?」
しっかりと阿波踊りの衣装を着込んだ(但しトレッキングシューズ着用中の)城里 千里(
jb6410)が、だるそうに言った。
「‥‥依頼書に『勇壮に』とあったので、好奇心と知識欲・実践力が伴った天魔なのでしょうね。‥‥つうか、それは油断できないってことなんだけれど」
本気でだるそうに、曇天の空を見上げる。じっとりと汗ばむ暑さ。
「‥‥暑いな。今から住民に聞き込みをしても遅くなるばかりですか‥‥早く終わらせて帰りましょうかね」
「アイドルの私が、歌と踊りの真髄を見せましょうっ。でも今から地元の人に阿波踊りを教わる時間は、なさそうです?」
歌と踊りのエキスパート、川澄文歌(
jb7507)が千里に尋ねる。
「私はすぐに動いたほうがいいと思うわァ‥‥こう暑いと、やる気も段々削がれていくしィ?」
黒百合が答えた。
「踊りが好きな敵さんですかぁ、被害が疲労だけで良かったです」
マリー・ゴールド(
jc1045)は、アイスキャンディーを頬張り、緊張感の欠片も無く言った。
「私も黒百合さんの意見に賛成します。暑いのが最大の敵ですよぉ」
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文歌とマリーの提案で、連絡先を交換するだけして、一行は里山に踏みこんだ。
イリスとマリーは、翼を展開して空へと羽ばたく。
「ボクってさー、飛行以外は典型的な近距離物理型なんだよっねー。上空からとっかーん! とかするしかないっかなー」
戦槌ヒュペリオンをぎゅっと握り締めるイリス。踊らされても、魔具だけは手放さない心意気だ。
「私も上から見てみるです」
マリーは双眼鏡を手に、里山に近づいていく。
この時期、里山はこんもりと木々が茂っていて、上空から梢の下をのぞき見ることはできない。
また、踏み分け道にも、歩くのに邪魔になる程度には草が茂っており、木々が空を遮って枝を伸ばして、葉がもっさりと緑色に樹木を包み込んでいる。
上空からも、山道からも、見通しが悪い。
遠くから、祭り囃子が徐々に聞こえ始めてくる。
最初は気のせいかと思うほど遠く。
次第に、お囃子だと、はっきりと聞き取れるくらいに。
里山に、悲鳴が轟いた。
ずざざざ、と木々の枝が折れたり、葉が擦れる音がして、空中にいた2人が落下してくる。
服が枝にひっかかり、2人とも墜落は免れた。
ぷらーんと、木々にぶらさがっている状態だ。
しかし、2人とも、「阿波踊り」の術にかかっており、自力で状況を打破するのは困難だった。
「う、動けない〜っ!」
イリスが、木に引っかかったまま踊りだしており、戦槌ヒュペリオンを取り落とす。
「あー! ボクの魔具ー!」
ヒュペリオンがどすんと地面に落ちた音がした。
「あーん、私の双眼鏡がぁ」
マリーは、イリスから少し離れたところに落下し、同じように木に引っかかって踊っていた。
手から滑り落ちた双眼鏡は、紐を枝に引っ掛け、手が届きそうで届かない距離にぶらさがっている。
踊りさえしていなければ、取り戻せるのに。
「何だろ‥‥頭が、踊りたい気分でいっぱいになっていく‥‥体が勝手に動いて止まらないよー」
2人は、阿波踊りを踊ることしか考えられなくなっていた。
「あわ、あわ、あわわわわ‥‥」と意味不明な言葉を繰り返していた、住民のように。
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「何か聞こえませんでした?」
耳ざとい文歌が、イリスとマリーの悲鳴及び落下音に気づいていた。
「気のせいだと思いたいですね」
千里は本当にだるそうに答えた。
「いえ、確かに聞こえました。ここからもう、気を張って行ったほうがいいかもしれません」
イリスとマリーに連絡をとってみるが、応答がない。
雫は冷静にそう言って、山道に張り出した木の根を踏み越える。
よく足元を見ていないと、躓いたり滑ったりしそうな、デコボコ道である。
木は根を張り出し、苔むした岩や石がそこらじゅうに転がり、急な勾配があったり、ぬかるみがあったり。
まだ音は遠いが、確実にお囃子には近づいている。だが、千里は浮かない顔でだるそうに言った。
「阿波踊りの歩法で、このボコボコした道を移動するのは、きついですね‥‥下手をすると道から外れて、木にぶつかりそうです」
「飛んでいった2人はどうなっちゃったのォ?」
黒百合に問われて、雫が、連絡がつかなくなっていることを告げた。
「んー、空から行っても、術にハマっちゃったのかも知れないのねェ‥‥もしかして、阿波踊りの術の範囲って、私の想定よりかなり広いのかしらァ? 27mに収まるなら余裕でイケるんだけどォ」
「依頼書には『超広範囲スキル』とありましたね」
文歌が、黒百合に答える。
「お囃子が明瞭に聞こえる範囲だとすると、半径数百mの可能性もありますね」
少し考えて、文歌は提案した。
「私、偵察してきましょうか。鳳凰のピィちゃんを呼び出せば、私自身は術を受けないはずですから」
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斯くて、青き鳳凰ピィちゃんの<聖炎の護り>に頼りながら、文歌は全力で移動した。
道は真っ直ぐではない。くねくねと、斜面をうねりながら登っていく。
今や、お囃子ははっきりと聞こえてきている。
ピィちゃんが消えそうになる度、立ち止まって召喚し直す。そして、また走る。
100mほど走ったと思しきところで、木に引っかかって踊っているマリーが、文歌の目に留まった。
「マリーさん、今、助けますね!」
文歌は木に取りついてゆっくり登ると、マリーと双眼鏡を木の枝から外し、地面に下ろした。
お礼も言えずに、がむしゃらに女踊りを踊りだすマリー。
ここが、敵のバステ範囲内だということは、はっきりした。
「この様子だと、イリスさんも近くにいるのでしょうか?」
きょろきょろと探す文歌。
しかし、<ピィちゃん召喚>は既に3発目。そろそろピィちゃんも異界に帰ってしまう。
そうなると、文歌も危ない。
とにかく、走ってきた大体の距離と、現在地が既にバステ範囲であること、マリーを救出したことを、仲間に連絡した。
一方、イリスは。
「あわわわ、わわわ、な、何も考えられないってばー!」
木にぶら下がった状態で、ひたすら阿波踊りを踊っていた。
この状態から逃れたい、ヒュペリオンを拾いたいという意識は、術によってかき消されていた。
しかし、阿波踊りは敵天魔のバステスキル。
つまり‥‥そう、『バッドステータス回復フェーズ』に、回復するチャンスがあるということだ。
無意識下であがきにあがいて、イリスは一時的に我に返った。
「はっ! ボクは今まで何を‥‥って、この状況どゆこと!?」
踊り続けだった手足は疲れきっている。だが、イリスは何とか、木々の枝から引っ掛けた服をはずすなどして自身を解放し、ずるずると木の幹を伝って、地面に降り立った。
\イリスは、大事な戦槌ヒュペリオンを取り戻した!/
「イリスさーん!」
踊り狂うマリーを引きずり、文歌が走ってくる。
文歌の真上には、青い鳳凰の姿。
「やっほー、何とか大丈夫っすよー。やっと無事に解放されましたしって、‥‥えー、マリーちゃん?」
イリスは、嬉しそうに戦槌ヒュペリオンを振り回し、2人に合図をする。
無事に合流したところで、文歌のピィちゃんが異界に戻っていった。
「あ‥‥あわ、あわわわわ‥‥!?」
そして、<聖炎の護り>がなくなった今、文歌が女踊りを踊りだしてしまったのであった。
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「依頼書にあった『「阿波踊り」の術にかかった人は、「踊る」以外は行動不能となります』って、そういう意味だったのですか」
イリスから連絡を受けた千里が、更にだるそうにため息をついた。
「それじゃあ、腹をくくって、敵の術にかかるしかなさそうですね。踊りながらでも、<索敵>くらいは使えないかと思っていたんだけど、無理そうですし‥‥まあ、運良く回復できれば可能ですが」
はあ、と千里はため息を重ねる。
「そういうことなら、とりあえず私は踊っておくから、後は宜しくねェ〜♪」
黒百合がノリノリで、術にもかかっていないのに、適当に盆踊りもどきを踊り始めてしまう。
「いやいやいやいや、待ってください。阿波踊りの歩法を使って、何とか敵のところまでたどり着きましょう。女踊りはこうですよ」
自ら手本を見せる千里。真似て覚える黒百合。
「最初から阿波踊りを踊っていたら、敵の術にかからないとか、ないでしょうか」
雫が小首をかしげる。
「そういうものなら良いんですけれどね‥‥踊りが頭の中まで侵食するみたいですから、難しいんじゃないかと思いますけれどね」
答えながら、千里は「もう帰りたい」という顔をしていた。
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お囃子が鳴り響く山中。
バステ範囲に突入してから、阿波踊りの歩法と回復・全力移動を繰り返し、全員、元凶である天魔のもとへ到達していた。
たっぷり山道を(直線距離で)400mは移動しただろうか。
そこにいたのは、依頼書どおりの、千手観音もどき。
6種の楽器を器用に操って、お囃子を上手に奏でている。
(前にも仏像のサーバントを見たことがありましたね‥‥)
文歌は、踊りから解放された瞬間に、ふと既視感を覚えた。
「今回もドォルさん、貴方の仕業ですか?」
「ん、そうだけど、それがどうかしたかい?」
仮面の天使は、別段隠れもせず、近くの木の高い枝に腰を下ろして、千手観音もどきを眺め、子供のようにお囃子に合わせて手を叩いていた。
その真下に、赤い着物の使徒が静かに佇んでいる。
「ドォルさん、貴方もグウェンダリンさんも、共に出てきて踊らなければ、真に阿波踊りを理解することはできませんよ! それに、いいですか! 歌や踊りはみんなで楽しむものですっ。相手をむりやり踊らせても、心躍る阿波踊りにはなりませんよ!」
「うん、ぼくは別に、真の理解やら、心躍る阿波踊りなんて望んでいないから、これで十分なんだ。歌や踊りも、みんなで楽しもうなんて、初手から思っていないからね」
どこまでも素直に、双貌のドォル(jz0337)は答えた。
更に文歌は説教を続けようとしたが、お囃子に負けて、女踊りで頭がいっぱいになり、言いたいことが全てわからなくなってしまった。
(‥‥観客気取りってか。なら、しっかり見ておけよ)
千里は敢えて口に出さず、踊らされるままに踊り続けていた。
(‥‥倒すまでにばっちり操られるだろうし、踊りにも習熟できるだろう。まあ‥‥プラス思考だ)
正気の時に文歌にかけてもらった<聖なる刻印>のお陰で、回復に成功した雫が、太陽剣ガラティンを抜き放ち、天使に迫る。
「それ以上近づくようなら、迎撃させていただきますが」
使徒グウェンダリン(jz0338)が、赤い着物をひきずって、雫をどんよりした目で見つめた。
雫は太陽剣を下ろし、天使を見上げた。
「では問います。この騒ぎを起こした理由を聞かせてください」
「ただ、生の阿波踊りが見たかっただけさ」
「‥‥そんな理由で、こんな騒ぎを起こしたと言うのですか?」
「うん、そうだよ」
天使は本気で悪気が無い様子だった。雫は毒気を抜かれ、やれやれと頭を振った。
「じゃあ、迷惑ですから、このお囃子を止めさせてください」
「何故ぼくを満足させる努力を何もせずに、止めろという要請だけが通ると思うんだい?」
不思議そうに天使は尋ね返す。そして半仮面の顔に、ひどく残念そうな表情を浮かべた。
「きみ達がぼくの芸術鑑賞を、心ゆくまで満足させてくれたのなら、ぼくだって交渉に応じても良いと思っていたけれど、これじゃ無理そうだね」
「の‥‥のぞきは、ヘンタイのすることです! ヘンターイ!」
踊り疲れてへとへとになったマリーが、かすれた声でよろよろと天使を指さした。
「ヘンタイさん、降伏して反省するです!」
「‥‥それは‥‥ぼくに喧嘩を売っているのかい?」
天使の口調が、急に不機嫌になった。
「不愉快だね。人の子の芸術に興味を惹かれて、識ろうとするのは、いけないことなのかい?」
天使は使徒に「興が醒めたよ、帰る」と一言告げて、どこかへ飛び去った。
使徒も主と共に姿を消した。
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残された千手観音もどきは、まだお囃子を奏で続けている。
バステが回復したタイミングを逃さず、攻撃を放てばいずれ倒せると、皆は踏んだ。
「楽器はなるべく破壊しないでくださいね!」
文歌の説得も構わず、大鎌デビルブリンガーを楽器目掛けて振るう黒百合。
雫が太陽剣ガラティンでやはり楽器を狙う。
(‥‥意外と鳴り物自体が本体じゃないのか?)
千里も、精密射撃で楽器を狙う。
上空からの突貫を考えていたイリスだったが、場所が悪く、木々に阻まれる可能性があるため、諦めて、戦槌ヒュペリオンを普通に振るうことにした。
「まあ、自然破壊してまで突撃したいわけじゃありませんっしー」
「私も生者の書で頑張ります」
踊りの合間に、ぱらぱらと魔法書をめくり、千手観音もどきを攻撃するマリー。
「うう、皆さんは、迷わず楽器を攻撃するんですね。私はちょっと忍びないので、それを奏でる手を攻撃させてもらいます」
若干涙目になりながら、恋人から譲られたSanctus M7を使い、文歌は声を衝撃波に変えて千手観音もどきの腕を狙った。
「‥‥攻撃力が低い‥‥低すぎますね‥‥」
雫が、千手観音もどきの振り下ろした手刀を敢えて受け、全く傷ひとつ負わないことに気づいて、更に呆れた声を出した。
「お囃子さえ止まれば、こちらのものだわァ♪ 大した相手じゃないじゃないのォ、つまらないわねェ」
黒百合が大鎌を振るいまくる。
楽器をめちゃくちゃに破壊され、腕を破壊され、戦槌で胴体に重い一撃を受け、千手観音もどきはどうと倒れた。
どっと阿波踊りの疲労感が皆を襲った。全身が重い。
「怪我人は‥‥私とイリスさんだけですね。お手当しますぅ」
マリーが、落下時のかすり傷を<治癒膏>で回復させる。
「冷たい飲み物があるから、クールダウンしてください。皆さんも疲れたでしょう」
千里が自ら保冷バッグを開け、スポーツドリンクを取り出し、皆に1本ずつ配る。
全員、適当に休める場所に散り、飲み物を摂り、漸くほっと息を吐いた。