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がさ、がさ。
暗い部屋の中、自分の父親のカバンを漁る男子学生が一名。
医療事務員の父は、疲れて帰ってきて、風呂と晩酌をすませ、ぐったりと眠っている。
そのカバンから、父の勤め先の病院名が印刷されている空封筒を、数枚抜き取る、息子。
(はは〜ん)
それをこっそり見ているものがいた。イリス・レイバルド(
jb0442)である。
不良学生の一人に目をつけ、<飛行>と<透過>を駆使して尾行追跡し、今まさに天井裏から<透過>を利用し、写真や動画をスマホに収めて、証拠集めをしている。
周囲には気を配っているものの、不良学生は、天井の気配には気づかない。
部屋を移動し、自室にこもり、パソコンを立ち上げ、偽物の診断書を作り始める。
(手馴れてるね〜)
イリスはたっぷりと証拠の動画を撮ってから、そっと深夜の家を後にした。
(さて、結構暗かったけど、ちゃんと写ってるかなー?)
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「ハァ? うちの学園生がそんなことするわけないじゃん。そいつら馬鹿なの?」
雪室 チルル(
ja0220)は呆れ返っていた。
「まあ学園としては、風評被害は御免蒙りたいってヤツっすね」
天羽 伊都(
jb2199)が、ぱらぱらと、不良学生の素性の書かれた資料をめくる。
ちょこっと現場へ行き、軽く聞き込みをしただけで、不良学生の目撃情報は山ほど得られた。
また、警察にも、学生たちは何度も世話になっているらしく、資料はそこから借りることができた。
事件の目撃情報を総合すると、どうしても、数名の脳裏に、ある女使徒の姿が浮かぶ。
津島 治(
jc1270)の選んだワンピースと、絡まれた女性のワンピースの類似。
「学園にも不思議キャラはいるけど、この人間社会に対する無知っぷりと外見的特徴は、赤い着物のどっかの使徒を連想するっねー。いやだって、ただ食い騒動は寿司屋だったし、その時に金平糖を貰ってたしねー」
イリスも同じ顔を思い浮かべていた。
「面倒そうな輩を相手にしなければならないようですね。しかし私達の名誉のためにも、その使徒の方にかけられている容疑は晴らさなければなりませんね」
皆の話を聞いて、眠(
jc1597)が腕を組む。
狗猫 魅依(
jb6919)が枷をはずし、別人格、仙狸が現れて、ため息をついた。
「やっぱりまた、あの人ですか。不良に変な言いがかりをつけられても困るので、グウェンダリン(jz0338)が使徒だということは、極力言わないようにお願いします」
「へぇ、絡まれたのって使徒なの? 学園生ではないってことっすか?」
「少なくとも、推測ではそういうことになります」
伊都の問いに、仙狸が答える。
「推測ですが、あたっている確率はかなり高いでしょう」
「あ、写ってる写ってるっ。ちょっち見づらいのは勘弁っねー!」
イリスがスマホを確認し、暗がりの中で一人の男子学生が行っていた一部始終を皆に見せた。
あの、病院名入りの封筒を盗み、書類を偽造している瞬間の、決定的映像であった。
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チルルは商店街の地図を広げ、寿司屋を回っていたという目撃情報から、グウェンダリンの捜索に取り掛かった。寿司屋は大小あわせて6軒ほど、その全てに「金平糖を探しにきた女性」が現れていた。しかし彼女は既に去った後だった。
(以前の依頼で、何とかっていう喫茶店が会合に使われてたって、確かあたいも聞いたわね。どこだったかな?)
「あ、ここ、以前に代表さんと会見した喫茶店の近くなんだよね」
チルルと一緒に歩いていたイリスが、ふと看板を見上げた。
「もしかしたら護衛で来てないかなーとも思うし、覗いてみよっか」
「そうだね。眠くんもついて来るかい?」
治の言葉に眠も頷き、4人は喫茶店へと繋がる階段を登っていった。
喫茶店に入ると、そこには目撃情報どおりの女性と、向き合って座る金持ちそうな男性と、部下かSPらしいスーツの男が揃っていた。
「代表さんいましたーこんにちは! 天呼ぶ地呼ぶ人が呼ぶ、イリスちゃん登場でっすー!」
「やあ、お久しぶりですね」
二階堂辰巳は柔らかな笑顔を浮かべた。
ワンピース姿のグウェンダリンは、相変わらず能面のような表情のままだ。
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「やあグウェンダリンくん。その格好ということは、今日はお買い物かな?」
茶色のシルクハットに手をかけて、恭しく礼をとる治。
今、これこれこういう騒動が起きてるんっすよーと報告するイリス。
「グウェンダリンちゃんに絡んだと思われる連中は、調べてみたら黒も黒、真っ黒黒の、弱者を恐喝し虐げる常習犯らしいんっすよー。当たり屋っていうか、カツアゲ系の?」
イリスは続ける。
「人違いだったらあれだけど、もし巻き込まれたのがグウェンダリンちゃん当人なら、守ってあげたいから、確認したいっのですー」
「‥‥?」
よく意味が分かっていない様子のグウェンダリン。
人間に関心が乏しいせいか、自分が絡まれたという自覚がないようだった。
「グウェンダリンくん、君は今日複数の男に絡まれた――いや、囲まれただろうか? 証言者の容姿情報と君が一致しているんだ。男の中には怪我をしていると言っている者も居る。彼等の様子を知りたくは無いかな?」
「‥‥ああ‥‥確かに、囲まれました」
グウェンダリンはぼんやりと答えた。
「人の子を傷つけてはいけないと、マスターに言われておりましたのに‥‥」
「その真っ黒いクレーマーが、あんたを探しているのよ。あたい達と一緒に来てくれないと、他の学園生が冤罪にかけられる、つまり誰かがあんたの代わりに、新たに傷つけられるかもしれないのよ」
チルルは「一緒に来てくれるんなら、金平糖あげるわよ」と包みをちらつかせた。
「金平糖、売ってくれるんですか?」
グウェンダリンは小首をかしげ、最高額紙幣を剥き身で8枚ほど取り出し、「足りますか?」とチルルに聞いた。
「そんな高いものじゃないわよ。小銭で十分、っていうか、あたい、確かに『あげる』って言ったわよね?」
「金平糖、好みなら良かった。金平糖は駄菓子屋やスーパー等に置いてある。価格は小銭で十分だ。欲しい物の有る場所は今度から二階堂くんに聞こう、いいね?」
治が言い含めるように言葉を紡ぎ出す。
辰巳が苦笑した。
「すみません、私も駄菓子屋さんやスーパーに縁がないものですから、金平糖と言われてもピンと来なかったのです。食べたこともなくて。そんなにお安いものだったのですね」
よく見ると、辰巳の身につけているものは、どれも超高級品だった。
袖から、ちらりと見えている腕時計など、時計界のホーリートリニティと呼ばれるものだ。
もともと大地主の御曹司であり、時計は親から贈られたものだという。
衣類も恥ずかしくないものを身につけろと、お手伝いさんが全て用意したものらしい。
「普段からキャッシュも持ち歩きませんから、どれくらい必要なのか迷いまして‥‥」
悪気なさそうに、薄くなっていく前髪を掻く辰巳。
「これでも結構、お金の勉強はしたんですよ。でも金平糖のことは知らなかったです。不勉強を反省します」
呆れたように眠が言った。
「私もこの世界については未だ素人ですが、現金は財布に入れて持たなければ危険だということは知っています。不要な諍いを避ける意思があるなら、常識とかマナーとか言われることは覚えるべきです」
「‥‥努力はしています‥‥」
俯いて呟くグウェンダリンに、金平糖は和菓子屋、財布は雑貨店等で買えることを教える眠。
オンラインショップについては、少し考えて、まだハードルが高い気がしてやめた。
「此れで簡易財布に成るだろうか。無いよりはマシだからね」
お泊りセットの中身を出し、カラになったポーチに現金を入れるように言う治。
「今日と同じ事があった場合は、大きな声で助けてと言い、道を走って逃げるんだ。其れも余り速く走ってはいけないよ。追いつかれない程度のペースで走るんだ」
こくりと能面が頷く。治はすっと背を伸ばし、手を差し伸べた。
「さあ、行こうか。君の安全は保障する。其れに、彼等が怪我をしたというのはどうも怪しい」
「二階堂も来れたら来てよ! あんた保護者でしょ?」
チルルが超高級スーツの背中をばしばしと叩く。
「いやはや、どちらが保護者かはわからないですけれど、私が何か役に立ちますかね?」
辰巳は部下たちと共に席を立ち、会計を済ませた。
こうして、一行は喫茶店を後にした。
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商店街へ戻り、イリスは囮捜査を提案した。
「非っ常に不本意ながら、無垢な幼女を演じましょう」
無垢な大きな声とポーチに入った大金(グウェンダリンからの借り物)を持って、わざと店々を回り、路地裏エンカウントを狙うという。
(さあ、出てこいクレーマー!!)
「なんで金平糖が欲しかったの?」
イリスが粗商店街を闊歩している間、こそこそ隠れながら、チルルはグウェンダリンに聞いてみた。
「星のように綺麗で、感じた味が不快では無かったからです」
グウェンダリンは素直に答えた。
喫茶店組と分かれて、不良学生を探していた班も、合流する。
電柱や物陰に隠れ、時に屋根に隠れて、囮となったイリスの動向に注意を向ける。
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まだ授業があるだろうという時間に、彼らは現れた。
仙狸が密かに、携帯とデジカメで録画&録音を始める。
「ガキが身に余るもん持ってんじゃねーよ」
不良学生の1人が、イリスからポーチを奪い取る。
「うお、すげえ。札が8枚は入ってるじゃん」
「返せ! 返せよぅ‥‥!」
大泣きに泣いてみせるイリス。不良学生の腕に絡みつき、あっけなく放り出される。
「うるせーよ黙れガキ。こいつは貰ってやるからとっとと消えな」
怯えたふりをするイリスを、足でぐいぐいと蹴りつける不良学生。
(‥‥手を出したのなら『現行犯』だよなー!?)
すっくと立ち上がり、ホコリを払うイリス。
「学園生に手を出すってーのは、こういうことなんだよっ!」
軽く跳躍し、一瞬でポーチを取り返してみせる。
チルルがグウェンダリンを前に押し出す。
イリスがポーチを使徒に返す。
「どうして皆さんは、絡んだ女性を学園生だと断定したのですか?」
無表情で淡々と詰め寄る眠。
「身体能力だけで判断するなら、撃退士ではなく、天界や冥界の何者かの可能性もありますが?」
「其の通りだ。残念だが彼女は撃退士ですら無いのだよ。とある御方に従う者でね、普通なら骨折どころじゃあ済まないだろう。良かったじゃあないか、はっはっは」
殴られるのを覚悟で、ビデオで録画しながら、治が続ける。
予備の画像は仙狸が密かに撮っている。自分のビデオは壊されても惜しくない。
「そうよ。あんたたちは無関係の学園に喧嘩を売ったのよ」
チルルが前に出る。
「怪我したってのが本当なら見せなさいよ。見せられないの? 診断書あるんでしょ」
「何だってんだよ、うぜえよお前ら。学園生ってのもフカしてるだけだろ?」
不良たちは舐めきった態度で威嚇に出た。
「あの女が誰かなんて、どーだっていいんだよ。久遠ヶ原の奴らってのは、学生の割にめちゃくちゃ稼いでんだろ? しかもスゲーいっぱいいるんだろ? そん中から1人だけ特定なんて出来ねーに決まってるじゃん。俺らは金が入りゃそれでいいんだよ」
「つまり、最初から久遠ヶ原学園に因縁をつけて、犯罪行為を行うつもりだったってことですね?」
挑発的に、眠が微笑んだ。
「残念だけど、もう特定出来ちゃってるっすよ」
伊都はグウェンダリンを、そっと彼らの前に引っ張り出した。
「この顔に見覚え、ないっすか?」
不良たちはざわついた。伊都が畳み掛ける。
「金銭絡みの話だし、ウチも風評とか気にしないとだから、調べてみたんだけどさ‥‥君等、嘘ついてるよね〜?」
「ですね。一応、あなた達のなかに怪我をした人がいたようには見えなかった、という目撃談もあるので、診断書だけでも見せてもらえませんか?」
仙狸は、おしとやかな中にも迫力をこめた声で、不良学生に迫った。
「その後ですが、とりあえず、怪我をされたかたが診てもらったお医者様のところに行きましょうか」
「ざざ、ざ、けんな!」
不良学生が仙狸に殴りかかる。治が前に出て庇い、無抵抗で殴られた。ビデオカメラが吹き飛ぶ。
治が無傷なのを確認し、仙狸は更に続けた。
「脱臼といっても、酷さによって、リハビリが必要だったり色々ですから、お医者様に話を聞いて、ちゃんと症状と治療費がわかれば、思ったよりもお金が入ってくるかもしれませんよ?」
「るっせー!」
チルルはじいっと、暴れる5人を見つめた。
怪我をしている人物らしき者は、いない。
「そっちが詐欺をしているんじゃないの? あたいには、誰が肩を脱臼しているかわかんないわ!」
「ではここで、じゃーん、上映会といきましょうかー」
燐光を発する七色の粒子を纏い、イリスが<飛行>で空に舞い上がった。
深夜に撮影してきた画像を、屋根の上から、路地裏の塀をスクリーンがわりにして、披露する。
石垣の壁に映り込む、病院名の印刷された空封筒を盗みとる学生と、書類偽造中の映像。
「さて、これがその診断書ね。ピポパっと病院に連絡してみるわよ! あーもしもし、何とか先生っていますかー?」
チルルは、不良の隙をついて、懐から見えていた診断書の封筒を奪い取り、即座にスマホで病院に確認してみた。
「いない? 医者じゃない? ふーん、医療事務の人なんですか、有難うございました!」
ていねいにお礼を言ってスマホの電話アプリを切り、チルルは不良をジト目で見つめた。
「とりあえず、傷害罪の前に、私文書等行使罪で警察にいきましょうか」
おっとりと仙狸が彼らの肩を揺する。
「離せ! お前ら、マジ学園の‥‥!?」
「今更何っすか? ボクらに絡むとどうなるか、本当は、試してみたいんじゃないんすかね?」
仙狸を勢いよく振り払い、へっぴり腰で構える不良学生5人組。
彼らに対して、伊都は光纏を始めた。
伊都の身体の周りが黒く発光し始め、両瞳が金色に薄っすらと輝き、甲冑等の装備類が発現し、漆黒に変色する。そしてまもなく、牙を剥いた獅子顔の騎士が現れた。
「ひ、ひ、ひええええ!」
「やべえよ、マジやべえよ!!!」
「誰だよ、学園生なんて、そこらにゃ居ねえっつった奴はよぉ!!!」
伊都の姿を見て、腰を抜かした5人は、仙狸の呼んだ警察に、全員連れて行かれた。
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「いやはや、今回も本当にご迷惑をおかけして、すみませんでした」
いつもの赤い着物に着替えたグウェンダリンと、部下を引き連れて銀行から出てきた辰巳は、深々と頭を下げた。
「グウェンダリンさんも、ゆっくりですが、人の世界を知ろうとしていますので、どうか暫くは目をつぶってあげてください。私も、勉強不足なことがよくわかりましたので、出直してまいります」
その時はよろしくお願いいたします、これは今回の迷惑料です。
そう言って、辰巳は全員に封筒を差し出した。