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「……ふんっ!ハァッ!」
朝の五時前。寮の近くのその場所には、褌一丁で乾布摩擦をする男の姿があった。黒髪をオールバックにした壮年のその男は矢野 古代(
jb1679)である。
そして、その古代を見守る五つの人影。
「あれじゃあ、古代さんが不審者ですね」
建物の陰に隠れて古代を見ていた奥戸 通(
jb3571)が呆れた目で呟いた。
「なるほど、あれが乾布摩擦でござるか」
鳴海 鏡花(
jb2683)は関心の目を向けている。
「依頼とは言え、あまり会いたくないですね……」
そう呟いたのは雫(
ja1894)だ。
「まあまあ、これも依頼だからね」
そんな雫を励ますようにグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)が言った。グラルスは視線を雫から古代の方へ戻すと、
「どうやら、対象が現れたみたいだ」
「「「……」」」
女性陣は対象の男の姿を見て、言葉を失ったみたいだ。確かに男の姿は、常人にはインパクトが強過ぎるように思えた。なにせこの寒い中、ブーメランパンツ一丁という出で立ちで、無駄に鍛え上げられた肉体に、よく言えばワイルド、正直に言えばむさ苦しい体毛が印象的な男だったのだから。
二人は向かい合うと、何やら話しているようだった。と思うと、急に二人で乾布摩擦を始めた。
「ブーメラン先輩からは同じ体育会系の香りがするっす!」
すると、二人の元へ九 四郎(
jb4076)が駆けだして行った。
「あっ……」
止める間もなく、四郎の背中は遠ざかっていった。
「……行ってしまいましたね」
その後ろ姿を見詰めながら通が呟いた。
「取り敢えず、暫くここで様子を窺おう」
グラルスは冷静にそう言った。
「へ、へ、変態がいます! つつつ、通報した方がいいでしょうか!?」
雫はショックが大き過ぎたのか、混乱状態だ。
「成るほど、乾布摩擦とは乾いた布で体を擦るのでござるな」
鏡花は熱心にメモを取っている。
なんともばらばらなメンバーであるが、果たして依頼は達成できるのだろうか?
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「ふんっ!ハァッ!」
早朝の乾布摩擦というのも、なかなかに気持ちいものだな。依頼の解決の為に始めたはずが、若干楽しくなってきた。そんな時だった。古代は背後から誰かが近付いて来るのを感じた。
「ようやくお出ましかい?」
振り返ると、古代の前には目当てのブーメラン男が立っていた。
「何者だ、あんた?」
ブーメラン男は警戒するように古代に質問した。考えてみれば当然かもしれない。いつも自分が乾布摩擦をしている場所で、知らないおっさんが乾布摩擦をしていたのだから。しかし、古代は気にした様子もなく、
「どうだ? 一緒にやらないか?」
俺たちには言葉なんて不要だろ、とでも言いたげに、タオルを男に翳して、爽やかな笑顔を浮かべた。
「ふっ、なるほど……」
何がなるほどなのか、まったく分からないが、男は納得したように、持っていたタオルを背中に当て、おもむろに背中を擦り始めた。
古代も無言で、末端から心臓部にかけて擦り上げていく。少しずつ力を強くしていき、汗が滲み出してきたところで、
「その動き、かなり出来るようだな。名前を教えてくれ、乾布摩擦の同志」
「ふっ、名乗るほどの者でもない。それより、あんたの乾布摩擦こそ、なかなかのものだぜ」
男はむさ苦しい外見に似合わない気取った返事を返してきた。乾布摩擦仲間が現れて、変なテンションになっているのかもしれない。それは古代も同じらしく、二人の間には青春ドラマのような熱い空気が流れていた。傍から見ればただの変質者二人組であるが。
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「俺にも乾布摩擦教えて下さいっす!」
四郎が笑顔で二人の元に駆け寄ってきた。
「更に乾布摩擦仲間が現れるとは! なんて素晴らしい日なんだ!」
ブーメラン男は目に涙を浮かべて感動した。
「よし、俺が乾布摩擦のなんたるかをその体にみっちり教えてやる! さあ、まずはその邪魔な衣服を脱ぎ捨てろ!」
「はいっす!」
元気良く返事をし、四郎はパンツ一枚になった。
「よし、それでは次に乾いた布を用意しろ!」
「はいっす!」
「後は気合いを入れて体を擦れ!!」
「はいっす!!」
四郎は体が真っ赤になるくらい熱心に腕を動かした。
「どうっすか? こんな感じっすか?」
「まだまだぁあ!! もっと気合いを入れろ!!」
「はいっすぅう!!!」
更に熱心にやる四郎。
「おお、本当に熱くなってきたっす!」
「いいぞ! 素晴らしい乾布摩擦だ!」
ブーメラン男は納得したように頷いた。そして、そんな二人を笑顔で見つめる古代。勿論、乾布摩擦をする手は止めずにだ。
「ははは、素晴らしい朝だな、今日は!」
「はいっす!」
「ああ」
三人の間には男の友情が芽生えていた。これぞ青春?である。
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「なんか、すごい事になっているな」
三人の様子を見ていたグラルスが、遠い目をして言った。男三人が爽やかな笑顔を浮かべて乾布摩擦をしている光景はなかなかのインパクトである。
「成るほど、気合いが大事なのでござるな」
しかし、そんなことはお構いなしに、鏡花は熱心にメモを取っている。
「ぶるぶるぶる……」
逆に、雫は怖がって震えている始末だ。
「そろそろ私たちも合流しましょうか? このまま放っておいたら、さらに酷い事になりそうな気もしますし……」
通の提案に他の三人も頷き、すぐに移動を開始した。
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「あの……、なにをしてるんですか〜?」
四人を代表して通が声をかけると、乾布摩擦の手を止め三人が振り返った。
「むむ、なんとさらに四人も乾布摩擦の同志が!」
ブーメラン男は何か勘違いしているようだ。
「い、いえ、そうではなくて」
通は顔を引き攣らせて、一歩後ろに下がった。すると、
「またまた、遠慮はいらんぞ」
と言いながら、ブーメラン男はずいっと一歩近づいてきた。
「ぎゃあー、変態だー!!!!」
そこで限界が訪れたのか、あるいは間近で見た男は想像以上の破壊力だったのか、雫が叫び、慌てて鏡花の背中に隠れた。
一方、鏡花はそんな雫を見てほわ〜んとしている。小動物のように震える雫が可愛かったのだろう。そんな二人は見なかった事にして、
「今日はそういう理由でここに来たのではなく、僕たちは依頼で来たんだ」
グラルスがそう言うと、三人は驚いた顔をした。ブーメラン男が驚くのは分かるが、古代と四郎まで大口を開けている。乾布摩擦に熱中し過ぎて、依頼の事を忘れていたのだろう。
しっかりしてくれよ、とグラルスは思いながら、
「依頼の内容は、毎朝ここで乾布摩擦をしている男に女子生徒たちが迷惑をしているので、なんとかして欲しい、というものだ。この乾布摩擦をしている男というのは君で間違いないね」
男を責める訳ではなく、落ち着いた口調で尋ねた。
「確かにそれは俺の事みたいだが……」
男は顎に手を当て、
「俺は女性に迷惑をかけた記憶など無いぞ」
首を傾げた。
いやいや、存在自体、迷惑ですから! と女性陣は思ったが、そこはぐっと堪えた。
「まあまあ、とにかく彼の話を聞こうじゃないか」
そこで、すっかり男と打ち解けた様子の古代が男に尋ねた。
「良ければ何故こんな人目に付くところで乾布摩擦をしているのか教えてくれないか?」
「ここでやる理由だと。そんなものはなんとなくだ!」
男は胸を張り、驚愕の答えを返してきた。しかし、それでもめげずに、今度は四郎が、
「でも、何かこだわりとかあるんじゃないっすか?」
「そうだな。敢えて言うなら、開放感のある、男らしい場所だ! あと屋内は駄目だ! 乾布摩擦は外でやらなければな!」
「ということは、その条件に合う場所なら違う場所でもいいということだな?」
話を纏めるように、グラルスが言うと、
「だが、俺がここで乾布摩擦をしないと困る者が出てくるからな……」
男は困った顔をした。
「それはどういうこと?」
やっぱり他にも、この場所で乾布摩擦をする理由があったのね、と通は尋ねた。わざわざ、こんな場所で乾布摩擦をするのには、それ相応の理由があるはずだ。
「たまに、俺がここで乾布摩擦をしていると、俺に会いに来る女子生徒がいるんだ」
なんと、そんな奇抜な趣味を持った女子生徒が! と六人は思ったが、口には出さず話の続きを促した。
「顔は分からないんだが、あれは俺に愛の告白をしに来たに違いない。だが、彼女たちは皆、恥ずかしがり屋のようで、俺の姿を見ると、『キャー』と黄色い声を上げて走り去ってしまうんだ。俺も罪作りな男だ……」
男は空を見上げて、目を細めた。ブーメランパンツ一枚のくせに仕草だけは無駄に男前である。
「あのー、それって」
「被害届を出してきた女子生徒たちだな」
通の言葉に続いて、グラルスがはっきりと真実を告げた。
「ま、まさか!」
男は信じられない、という顔をしているが、
「さすがにその勘違いはひどいでござるな」
「うんうんうんうん」
鏡花が呆れたようにそう言い、雫はその後ろで大きく何度も首を縦に振った。
それでも、まだ信じられないのか、男は古代と四郎に視線を向けた。
「残念ながら彼らの言葉は真実だ。実は俺たちもその依頼でここに来たんだ」
「ブーメラン先輩を騙すつもりはなかったッす! でも、結果的に先輩を騙すような形になってしまったッす……」
そう言って、二人が俯くと、
「なに下を向いているんだ! お前たち二人の乾布摩擦は本物だった。その事は俺が一番理解している。一緒に乾布摩擦をした俺たちは、もう兄弟みたいなものだろ?」
男は親指を立て、キラリと歯を見せた。
「そうだな。俺たちは大事な事を見失うところだった」
「ブーメラン先輩ッ!!」
裸の男三人が、がっしと熱く抱き合った。今にも朝陽に向かって走り出しそうな勢いである。
「あのー、盛り上がってるところすみませーん。まだ話は終わってないんですけど」
そんな三人に通がもしもーしと声をかけた。
「うむ、分かっている。つまり、乾布摩擦をするなら人の目につかない他の場所でやれ、というのだろう」
ブーメラン男は振り返って、そう言った。
見かけによらず、物分かりがいい!! と四人はそこに驚いた。
「話が早くて助かるよ」
グラルスは頷き、
「どうだろう? この要件、聞き入れてもらえるかな?」
「この場所はそれなりに気に入っていたんだが、仕方ないな。同志二人も俺が場所を変えないと困るんだろ?」
「悪いが頼めるかな」
「お願いするッス」
二人の返事を聞いて、
「ふっ、同志二人に頼まれちゃあ、仕方ねえな」
男は大きく頷いた。
思ったよりもあっさり依頼が達成できそうだな。これも身を呈して乾布摩擦をしてくれた二人のおかげかな、とグラルスは思った。
「それで、どこに移動すればいいんだ?」
男が尋ねると、
「拙者は校庭などいいのではないかと思うでござる。早朝なら人目にもつかないだろうし、開放感もあるでござる」
鏡花が答えた。すると、その背中に隠れていた雫も、
「わ、私は寮の屋上とかがいいかなって。一応、使用許可も貰っていますし……」
そう言って、ブーメラン男をちらっと見た。
「ブーメラン先輩、せっかく熱心にやってらっしゃるんですから人に迷惑かけずにやれば仲間も増えるっす。寮から7分の運動公園で早朝ランニングとか太極拳をやってる人がいるから、そっちでやったらどうっすか?」
「まあ、後は寮の裏手の人目の付かない場所とかかな」
四郎とグラルスも場所の提案し、
「どうでしょう? どこか気に入りそうな場所はありましたか?」
通がブーメラン男に質問した。
「そうだな……」
男は顎に手を当て、少し考え、
「寮の屋上というのが気に入った! 開放的で、風当たりも良く、何より空に近い場所だからな。男のロマンを感じる!」
男のロマンというのはよく分からないが、学園から使用許可も雫が既に取っているみたいだし、丁度いいだろう。
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「こっち、こっちですよー!!」
予定通り、通を先頭に七人は連れ立って移動を開始した。まだ六時前ではあるが、朝の早い生徒たちは起き出して、ちらほらと姿が見える。そんな生徒たちの視線は否応なく七人に集まる。特にブーメラン男と四郎にだ。
「あれ、いつの間に服を着たんっすか?」
そこで、不意に四郎は横を歩く古代に尋ねた。古代はいつの間にか服をしっかり着こんでいた。それに対して、四郎はパンツ一枚のままだ。ブーメラン男は言うまでもない。
「ふふふ、これも紳士の嗜みだね」
「いや、良く分かんないっす」
四郎はそう言いながら、そそくさと服を着たのだった。
それにしても、人目を気にせず、あのブーメラン男の横を堂々と歩く通はなかなかの豪傑である。
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「はーい、到着でーす」
通の言葉通り、七人は寮の屋上にきていた。勿論、そこに七人以外の人影はない。
「なかなかに見晴らしのいい場所だね」
グラルスの感想通り、開放的で乾布摩擦の事を抜きにしてもいい場所だった。
「どうだ? この場所は気に入りそうか、同志?」
古代が男に尋ねると、
「ああ、いい場所だ。俺の筋肉も心なしか、いつもより躍動しているみたいだ」
男はそう言って、ボディービルダーのようなポーズをとり、胸筋をピクピクさせている。
「よ、よーし、これで一件落着ね」
通はそれを見なかった事にして、そう言った。すると、
「いや、待て! 最後にやり残したことがある!」
男は真剣な顔で、六人を呼び止めた。
「みんなで乾布摩擦をしようじゃないか!」
「い、いえ、私は結構です」
爽やかな笑顔で近づいてくるブーメラン男から離れながら、通が手を横に振ると、
「それなら、そこの青年はどうだ? 見たところ、なかなかいい体格をしているじゃないか。お嬢ちゃんも一緒にどうだ? 小さいときから乾布摩擦をしていると、健康で強い、お兄さんのような体になれるぞ!!」
男は鏡花と雫に両手を広げながら近づいた。その結果、
「拙者は女でござる!!」
「変態いやぁああ!!」
二つの拳がブーメラン男の顔面を見事に捉え、男はピンポン球のように二度、三度バウンドして倒れた。
気づけば、鏡花の背中には黒い翼が生えている。雫も無意識のうちに闘気解放を使用していたらしい。二人とも体に光纏を纏っている。
「ちょっと、あれやばいんじゃないっすか?」
倒れたまま起き上がらない男に四郎は心配の目を向けた。
「お、おい、大丈夫か?」
古代が男に駆け寄ろうとすると、
「ふんっ!」
男は気合いの一声とともに立ち上がり、もの凄い勢いで戻ってきた。
「ははは、二人とも素晴らしい一撃だったぞ! やはり一緒に乾布摩擦を――」
男の言葉が最後まで紡がれる前に、
「いい加減にするでござる!!」
「もうこっちに来ないで下さいぃい!!」
「ぶふぅっ!」
再び男の顔面に二人の拳がめり込み、男は鼻血を噴いて仰向けに倒れた。ただ、男の表情はどこか晴れ晴れとしていた。
「懲りない男だね」
呆れるグラルスの横で、
「これで一件落着、かな?」
通が呟いたのだった。