●A
初手は陽波 透次(
ja0280)が取る。まだナターシャがこちらの数を確認している段階で、既に透次は出立していた。
初速、加速、共に十全。軽やかとさえ表現できる挙動から、同質の斬撃を繰り出す。
首を強く傾げたナターシャが、現したナイフを以て、胸の位置で刀を受け止めた。強く、硬く、高い音が林に木霊する。
「言伝を、預かっています」
――『千葉でこれ以上の勝手は許さねぇ』
「言って聞く相手だと思う?」
「思えません。
ただ、同感です」
ここで行かせてしまえば、多くの誰かが収穫の餌食となる。
「ですから、行かせません」
両者の会話はこれきりだった。
刀を上に弾いたナターシャが、その位置からナイフを振り下ろす。三日月を思わせる剣閃を透次は半身で回避する。油断はない。彼女の体がまだ動くと言っている。
低い位置から突き上げるような回し蹴り。顔面を狙って繰り出されたそれを一歩分飛び退いて躱す。
脚を戻す最中、ナターシャの視線は透次から外れていた。透次は注視する。使徒の手には、数える気にもなれない数の、紫色のナイフが握られていた。
次の瞬間、それらが彼女を中心に、全方位へ放たれる。
ナターシャは事態を測り兼ねていた。確かに3名がこの場にいたはずなのに、気配がひとつ足りない。透次の急襲、そして隠れた者の迅速な行動が功を奏した形となる。
弾丸宛らの速度で迫る刃先の帯。透次はこれを身を屈めて潜るように往なし、向坂 玲治(
ja6214)は発現させた光の翼で大半を弾き返し、その衝撃に耐えててみせるという離れ業を見せつけた。
「よう。横浜以来だな」
「そうね」
言葉に耳を貸しながらもナターシャは洞察、理解する。
(「庇ったわね」)
(「ま、気付くよな……だからどうした。通さねえよ」)
腹が張るほどの声を出して踏み込んだ玲治が、渾身の力をもって白槍を振り下ろす。気迫が僅かに冷静さを凌駕したか、後退して難を逃れたナターシャであったが、その軸足は半歩分、足元の石砂に取られてしまう。
すかさず透次が斬り込んだ。振りは中ほど、刃圏に収めながら踏み込まれ過ぎぬ一撃、その切っ先がナターシャの頬を掠め、赤い線を一筋描く。
ナターシャは即座に反撃に転じた。紫光のナイフを逆手に握り、蛇のような挙動で切り掛かる。
透次はこれを得物で弾いた。視線は標的――こちらの全体を捉えている。身体の振りは素早く、隙も無駄も無い。そして恐らく、ナターシャからもそう映っていることだろう。相手の総てが補足でき、得られる情報を処理でき、対応できるほど、研ぎ澄まされている。
瞬間、幾重にも連なる剣閃の激突。煽りを受けた水面が弾け飛ぶほどの熾烈さ。
得物を握り直した玲治が、ここへ文字どおり横槍を入れる。剛腕をもって脇腹を狙った刺突は、しかしナターシャに伏せられて避けられてしまう。
続くナターシャの斬撃は攻防を兼ねた。玲治の槍を弾きながら透次への斬撃へ転じる。
玲治が踏ん張り、透次が下がり、ナターシャが両腕を振った。
刹那、乱れ飛ぶ紫刃。
舌を打ち、玲治が広げた光は防御が間に合う。これでもかと続く鋭利な衝撃は玲治の口角を吊り上げさせた。
対して透次はほぼ密着した状態での対応を余儀なくされる。
しかし透次には見えていた。此処が、此処こそが機。
軸足を大きく下げ、往なせぬ一本のみを斬り、弾く。返す身と刀には禍々しくも美しい金色の光が宿った。
踏み込み、使徒の身を斬り上げる。手応えは一瞬であり、悠久のようでもあった。更に進み、再びの一閃。此度は線どころではない。深々と二度斬り付けられた使徒の創から鮮血が噴き出した。
玲治の翼を模した光が消え、翼を広げた狗猫 魅依(
jb6919)が前へ出る。
「あなたには恨みはないけど……これで堕ちなさい」
拘束具が砕けると、瑞々しかった指先が艶やかさを帯びた。
その手が槍を握る。色は黒。冥の力の結晶、打倒の意志の塊。
放たれる。
黒槍の先端はナターシャの脇腹に直撃、貫通する。解れた腹から大量の赤が零れ出た。
玲治の追撃が使徒の背面に決まる。強烈な刺突を受けたナターシャは河川へ転倒、しかしすぐさま立ち上がる。
追撃すべく動いた透次の前で、ナターシャが両腕を広げ、戻した。
眉を寄せる透次の目前に切っ先の帯が迫る。身に宿る力を燃やし、透次はこれを間一髪回避。
同じ攻撃は魅依にも迫っていた。が、これは玲治が広げた右の翼が庇い、防ぐ。
「ありが――」
「まだだ」
言葉のとおりであった。弾かれた紫の刃は、しかし形をそのままに体勢を持ち直し、再び魅依に迫り来る。
玲治はこれを読み切っていた。返す左の翼がこれを悉く受け切り、防ぎ切る。蓄積しつつあった負荷が、口に赤と笑みとなって浮かび上がった。
「いいぞ。決めてやれ」
無言で肯いた魅依の手に再び黒槍が現れる。
ナイフの追撃を再びアウルを爆発させて透次が進んだ。
繰り出した鋭い刺突がナターシャの肩を捉える。
逃れようとするナターシャ、押し込もうとする透次。
両者の拮抗が産んだ一瞬の硬直。
これを逃さず、魅依が再び放った黒槍は、宙を貫きながら直進、ナターシャの頭部に直撃する。
森が竦み上がるような音が弾けた。
炸裂する黒に押されるように、ナターシャが川の中へ転がってゆく。
白槍を構えて前へ出る玲治。
横目に確認しながら距離を測る魅依。
刀を握り締め水上を征く透次。
三者の目の前で巨大な水柱が上がった。
停止は一瞬。柱の奥からナターシャが飛び出したのを見るや、魅依がライフルを、透次が双銃を取り出して射撃を開始する。しかしナターシャの速度は凄まじく、距離的にも直撃させるのは困難を極めた。
それでも両名は暫く狙撃を続けた。少しでも、僅かでもプレッシャーになれば、と。
やがて魅依が銃を降ろす。
「逃がしてしまいましたね」
「なに、狙い通りだろ」
肯く魅依の隣で透次が携帯を取り出した。
「問題なく、そちらへ向かいました。
後は、頼みます」
●B
「わかりました」
短く応え、山里赤薔薇(
jb4090)は通話を終えた。見上げた先、空には既にナターシャの姿が小さく見えている。歴戦の兵である使徒が、この、逃げも隠れもできない場所へ向かってくるのだ。
できることを、やらなくてはならない。
「よーう! 待ってたぜ!」
手を振る赤坂白秋(
ja7030)の隣で喉を広げる。
「来い!
私はここだ、来い!!」
ライフルの引き金を握ると、銃口から光が飛び出した。未だ距離は充分ではなかったが、それでも赤薔薇は射撃を続け、ナターシャは丁寧に全てを躱しながら一直線に向かってくる。
「使徒め! 私を殺してみろ!」
射程内に捕らえた直後の一射、銃口から飛び出したのは圧縮した光。それがナターシャの肩を穿つ。ぐら、と揺れたナターシャは、既にその表情が見えるほど接近してきていた。
体勢を立て直した使徒が腕を連続して振る。一際大きな紫光の刃は、どちらも赤薔薇を目指してきた。
(「っ! このナイフ……!」)
咄嗟に腕を交叉させる。どす、と重い音を立てて突き刺さるのと、ナターシャが着地するのはほぼ同時だった。
激痛。
(「痛くない! 痛くなんか……ない!!」)
赤薔薇が目を剥き、銀色の双銃を抜いた白秋が口笛を鳴らす。
ナターシャの全身には、仲間の成果、戦果がありありと残されていた。前面、腹部の創はどちらも深く、割れた頭部から零れる赤は顔の半分を真っ赤に染め上げている。ダメージの深刻さはその表情に浮かんでこそいなかったものの、よくよく観察すれば若干、息も上がっている。ただ、両目だけは光を失っていなかった。
それがじろり、と白秋へ向けられる。
「おっと」
揃えたふたつの銃口が凄まじい勢いで光を吐き出した。
高密度で襲うそれを、ナターシャが素早く、最小限だけ切り落とす。
往なした銃弾が乾いた土を弾き飛ばし、白秋、そして赤薔薇の姿を一時的に隠してしまった。
ナターシャが両者の姿を捜し、気配を探る。
どちらの得物も銃だった。それなりの距離を取っているはず。
意識を伸ばしたのは、それだけ先の攻撃が鮮烈だったからであり、
だからこそ、法水 写楽(
ja0581)の奇襲は成功した。
つんのめりながら振り下ろした大剣越しに背中を切り裂く感触が伝わる。
「っ」
肩越しに振り向いたナターシャが見たのは、したり顔で白い歯を零す写楽の姿。
身体の周りを廻った大剣が黒の双銃と持ち替えられると同時、その姿が土煙と意識の奥に隠れてゆく。
考察する暇さえ与えられなかった。サイドから光の強襲を受け、ナターシャが顔を向ける。煙に開いた穴の奥、赤薔薇の姿が見えた。はっきりと見えたし、消えることもなく、剥き出しの敵意は増えていく。
ナターシャが地を蹴った。向けられた銃口、引かれた射線から幾度となく逸れて進み、間合いに入ったところで身を捻る。またあのナイフだろうか。身構える赤薔薇に放たれたのは、小さく跳んだナターシャの膝蹴り。咄嗟に現した障壁でなんとか軽減には成功したものの、その衝撃から赤薔薇は数歩後退させられてしまう。
睨み付けた先、ナターシャの手には紫の光。
備えた赤薔薇の吐息が緊張で震えた。
放たれる。
腕を交叉させる赤薔薇。
直撃する、
その直前、
横合いから飛来した銃弾がナイフを弾き、砕いた。
「はっはっはァ! してやったぜィ!!」
写楽の大声とキレのあるポーズにナターシャの意識が流れる。
次の瞬間、ナターシャが感じたのは片足への痛烈な衝撃。転倒、流転する視界に映ったのは銃を構える白秋の姿。
受け身を取りながらナターシャは自覚する。冷静になりきれていない。状況に呑み込まれてしまっている。損傷と疲弊が、誤魔化し切れない域にまで達してしまっている。
だからと止まってやるわけにはいかない。
次撃に備えた白秋を切っ先の帯が襲う。咄嗟に盾を現して逃れようとするが、密度が濃く、凌ぎ切ることができない。
同じ攻撃は赤薔薇らにも迫っていた。赤薔薇は意識こそはっきりしていたにせよ、攻撃を受けた箇所は全て酷く傷んでいた。加えて障壁はあのナイフに通用しない。撃ち落とすには余りにも層が厚かった。
或いは2名で挑めば。
視線を流した先、写楽がこちらに駆けてくる。
有り難い、と、構えた得物の前に写楽が躍り出た。
何を。
問う前に、写楽の体、その随所に紫の光が突き刺さる。貫通はこれを許さず、赤薔薇に被害は出なかった。
「怪我ァ、無ェかい?」
「……はい」
「そいつァ重畳」
笑みを浮かべた写楽が目を閉じて倒れてくる。
開けた視界の先では、仁王立ちのナターシャが、凄惨な眼差しをこちらへ向けていた。
「………………ナターシャぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
赤薔薇が真向から応え、前に出る。
ナターシャも駆け出した。
赤薔薇が手を衝き出す。空間に生まれた無数の黒刃が縦横無尽に宙を刻んだ。
中心にいたナターシャは全身のあちこちを深く、何度も刻まれながらも、両腕で顔を覆うようにして突っ込んでくる。
やがて走り抜けたナターシャが、赤薔薇に飛び掛かった。軽量の肉食獣を思わせるような挙動だった。
組み合い、掴み合い、交互に馬乗りになりながら転がってゆく。
「なんとも思わないの!?」
ナターシャの肘を障壁で防ぎ、脇腹へ零距離の雷光を放つ。
「元は人で、人を守る立場だったはず! それなのに今は……今のあなたは!!」
「愚問ね」
見上げた先、逆光の中、ナターシャが利き腕を振り被る。
「感情も殺せず、何を成し遂げられるの」
振り下ろされた拳は、
障壁を砕き、
赤薔薇の顔面に突き刺さった。
頭半分ほどめり込んだ赤薔薇、その跳ねた四肢が、やがて力なく垂れて落ちる。
意識がないことを検めると、ナターシャは立ち上がり、すぐさまナイフを現した腕を背後へ伸ばしながら振り返った。
自身の頭には銀色の銃口が、
紫の切っ先は白秋の首に、添えられていた。
短く口笛を鳴らした白秋が言葉を零す。
「いい女が台無しだな」
ナターシャは満身創痍という有様だった。顔の半分は黒ずんだ赤に濡れ、頬の創からも同じ色が溢れている。胸の深く大きな傷を筆頭に、万全な部位は何処にも見当たらない。加えて水場に突き落とされ、大地を転がった彼女は肌も衣服も泥に塗れていた。
懸命に隠そうとしているのだろうが、肩が呼吸に合わせて上下しているのが窺える。それなのにクリアブルーの双眸はギラギラとした輝きを湛えていた。それがすい、と写楽、次いで赤薔薇に流れた後、白秋に向けられる。込められたメッセージは、敢えて語るまい。
「汚い女は嫌い?」
「ゾクゾクするぜ」
シニカルな笑みを浮かべ、銃を僅かに傾ける。
「話と頼みがあるんだけどよ」
喉が微かに、楽になる。
「話から聞くわ」
「あんたが天界につく理由を聞かせてくれよ」
瞳が一回り小さくなった。
「そろそろ認めちゃどうだい、天も冥も勝ち馬じゃない。今後は手を取り合う動きだってある。
京都の頃とは変わった。この戦いの『先』を見据えて動くってのも、悪かないだろ」
はぐらかすことは、できた。黙秘することも、無理ではなかっただろう。
だがそうした時に無事でいられる保証はなく、確実に生き、逃げ果せられると断じることができぬほど、この時のナターシャは痛手を負っていた。
「思い違いをしているわ」
「何……?」
「付き従った先が偶々天だった。それだけよ」
「……の割には、今は横浜の大将の下なんだろ?」
「そうね。受けた恩は、返さないといけないわね」
ナターシャの視線が地に向けられ、しかしすぐに戻ってきた。
「話はそれだけ?」
「……いや、まだだ。頼みが残ってる」
「聞くだけ聞いてあげるわ」
白秋は笑みを潜めると、眉間を寄せ、ひどく落ち着いた声で、こう告げた。
「おっぱい揉ませてください」
「『先』が要らないなら、試してみるのね」
シニカルな笑みを残して、ナターシャは跳び去った。
●C
敵の姿がないことを確認して、ナターシャは道端に座り込んだ。
耳障りなほど呼吸が荒い。あまりにも重い攻撃を受け過ぎた。あと少し何かが食い違っていれば、この場所まで辿りつくことも、自分の呼吸を煩いと感じることも、できなくなっていたかもしれない。
自嘲気味に鼻を鳴らした。
向かわなくてはならない。
これ以上のダメージを受けない為に、誰にも見つからぬよう動かなくてはならない。
広く煩雑な関東で、どこで何をしているかも判らない同僚を探し出して合流しなくてはならない。
困難を極めるだろう。
それでも、やらなくてはならない。
アクラシエルに受けた恩を返すために、
そして、
何より――
「……いいえ。まずは、この局面を乗り切らないとね」
込み上げる思いを押し殺し、ナターシャは独り、林道を静かに進んだ。