●
太い尾が振り下ろされる。腹部に直撃を受けるも好都合、とカヅミが踏み込んでアッパーを放った。直撃――するが、どうにも手応えが頼りない。
「だから言ったでしょ? 実力差っていうのがあるのよ」
「分かっている。分かっているとも」
突然の第三の声色に瀬木が顔を向ける。壁を征く鷺谷 明(
ja0776)と目が合った。
「私が上で貴様が下だ」
何を今更、という物言いを残して屋上へ駆け登る。
ぽかん、と口を開けた瀬木は、しかしはたと気が付いた。
「え、援軍?」
カヅミは笑顔。
「久遠ヶ原!」
「くおんがはら!?」
道路の奥に顔を向ければ、それらしい者が間違いなくこちらを見据えながら駆けてきていて、瀬木は慌てて数えた。
「4人追加で5人……5人かー……!」
うわごとのように繰り返しながら手にした『得物』を操作する。
●
槍を軽々と払うと、ナターシャ(jz0091)はするりと懐に潜り込み、クラムの腹部へ掌底を打ち込んだ。一瞬足が離れるほどの衝撃を受けたクラムは後退、しかしやがて踏ん張ると、迎撃の準備を整える。
「さあて、昔から話ばかりは聞いていたけどついぞ会った事の無かった君よ!」
背後から声が届くと同時、ナターシャの意識がそちらに逸れたのが見えた。槍の柄を強く握り、突き出す。が、ナターシャは鼻を鳴らしてから軽やかに跳躍、元居た位置へ戻っていく。
再び空いた間合いへ、真紅の、竜のそれを思わせる二対四枚の翼が舞い降りた。
クラムが無言で槍を引き、ナターシャが静かに息を吐く。
翼の持ち主は腕を組んで仁王立ち、鼻を鳴らして口角を上げた。
「まだ生きているようだな」
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)の言葉にナターシャは動じない。
音のない笑いを上げながら明が距離を測り始める。
「京都では貴様のように雷ビリビリしてるやつばっかだった印象。まあギメルは炎属性だったが。
そういやあのハゲどうしてるの今?」
「派手に燃えて灰に還った、とかかしらね」
「所在が知れぬ、と?」
「答える義理がないだけよ」
「して、何用だ。
単に表通りのデカブツの付き添いとも思えぬし、貴様が出張るには些か物足りぬ戦場に見えるが」
「『確認』と『調整』よ」
「なるほどな」
口角が更に上がり、白い歯が覗いた。
「どうにも、最近の我は貴様等の方に性質が寄ってきているようだ。対象こそ違えど、試しているという点については変わらんのでな」
「歓迎はしないわ。少なくとも、今は」
「戯れるな。
我が試しているのは――人間の業、というものだ」
「……そう」
ナターシャが顔の前に腕を翳す。指の間には紫光の刃。
「なら、手加減は要らないわね」
通りで爆音が轟いた。
●
黒焔が模す翼の間、漆黒の軍服に被さった白外套が靡いている。包帯を巻いた腕が、道中、一瞬だけそれを強く握り締めた。
サーバントが放つ威嚇を、全身で切り裂くようにしてマキナ・ベルヴェルク(
ja0067)は進む。
「撃ち滅ぼすぞ……偽神」
進む。
「――是非も無く」
進む。
やがて射程内。
腰まで引いていた拳を衝き出す。黒い炎はそのまま闇のように進路を侵食し、巨獣の前足に激突した。
「くあっ!」
その威力を間接的に味わった瀬木が悲鳴を上げた。背中で転倒する始末。
そこへアスハ・A・R(
ja8432)が手を翳す。直後、巨獣の上空に無数の『蒼』が発生した。それは一瞬にして槍を象り、命に従って巨獣と瀬木に降り注ぐ。
中腕が瀬木を覆うようにカバーしたが、無差別に降り注ぐ光を完全に防ぐことなどできはしない。太い中腕が滅多矢鱈に削られ、穿たれ、抉られ、貫かれていく。
「続くぞ!」
「はいな☆」
鳳 蒼姫(
ja3762)が放つ蒼風の刃に、鳳 静矢(
ja3856)が放った黒塗りの矢が併走、中腕に激突する。続けざまに攻撃を受けた中腕は、この時既に、目に見えて細くなりつつあった。
(「押し切れそう、だな」)
銃を構えるアスハ、その視線の先、伏せるようにして耐えていた巨獣の口がぱくり、と開いた。内側には光。
それが直後、放たれた。
飛び出した光は僅かな弧を描き、アスハ、そして蒼姫のいる位置を目掛けて迫り来る。
墜落。
爆発。
即座に飛び退き難を逃れていたアスハは、巻き上がる土煙を鬱陶しげに払った。
やがて静まる砂埃の中、直撃を許した蒼姫が片腕を抑えて一歩、よろめく。
「蒼姫!」
「っ……大丈夫ですよぅ、まだ、やれます☆」
この光景に怒りを再燃させたカヅミが巨獣の頭部に殴りかかる。
が、まるで分厚いアクリルを木の棒で叩いたように弾かれてしまった。
顔を上げる。
怨敵、瀬木は、べた付いた髪の間から亡霊のような笑みを浮かべていた。
「どうせ私は格下よ……!」
手にしていた小型の何かが桃色の光を湛える。
一瞬の後、それは波紋のように広がり始めた。速度が凄まじく、最も近くに居たマキナに触れるのは瞬く間も無いほどだった。
咄嗟に反応したのは蒼姫。精神を集中させ、可能な限り大きく後方へ下がる。だが到達した地点にも桃色の帯は届き、蒼姫を通過、更に遥か彼方まで広がり、やがて見えなくなる。
(「これには触れない方が良いか」)
静矢は回避を試みようとしていた。胸の辺りを目掛けて伸びてくる光に対して屈み直撃を避けてみる。触れぬことは一応叶いはした。が、躱せたという達成感は得られない。
(「小細工、なのだろう、が……」)
アスハは体の調子を確める。力の具合、五感の確認、総て異常も変化も無い。今のところは、未だ。
マキナは止まらない。黒焔の翼を一度大きく羽ばたき、直上に昇ってから急降下する。狙いは瀬木であり、彼女を守る中腕のはず、だった。しかし中腕は動こうとせず、瀬木はこちらを見上げて笑みを投げてくる。
(「また、『操作』している、な」)
考察は戦友に任せてある。相手の意図は何処にあれど好機には変わりなく、マキナは、拳に宿した黒炎を振り下ろした。
直撃。
しかし。
「ふふっ」
防御など無意味と断じるその一手は確かに直撃した。しかし広がり晴れた黒焔の中、瀬木は目立った外傷もなく、あの歪な笑みを浮かべたままだったのである。
心当たりは、あった。炎を放つ直前、まるで渾身のそれが吐息に代わってしまったような違和感を、マキナは確かに覚えていたのである。拳を改めて握れば、既に普段と変わりない。この一瞬を狙って振られた巨獣の尾がマキナの上腕に炸裂、マキナは弾き飛ばされ、脇のビルの窓に背中から放り込まれてしまう。
眉を寄せたアスハが動く。白銀の拳銃を握って可能な限り回り込み、狙いを定めてトリガーを握った――はずだった。しかし発射の直前にまたも瀬木が『操作』を行い、それと連動するようにして弾丸は巨獣の肩を掠めるようにして飛んで行ってしまう。
視線を静矢へ送る。歴戦の兵と認める相手は、やはりその両目に不審を浮かばせていた。
静矢は敢えて、平素通りに構えを取り、巨獣へと矢を放った。当てる、ただそれだけを試みた弓が放たれ、宙を真っ直ぐ進んでいく。だが今度は、またも瀬木が『操作』を施したかと思えば、巨獣はそれまでとは見間違えるような挙動で路面を蹴って矢を躱して見せたのである。
着地の際を狙って飛び出そうとしたカヅミ、その襟首をアスハが捕まえる。カヅミは抵抗を見せたが、目指していた進路に巨獣の光弾が炸裂すると、一転舌を打って大人しくなった。
「なるほど、能力操作の技か」
静矢が零すと、瀬木は口を結んだ。
「味方の能力を増強、または敵の能力を低下させているな。それも任意に、貴様が選んでいる」
アスハが首肯。
「加えるなら、万能ではない、な。狙い、威力、俊敏性。都度、何れか、なのだろう」
「先の光はセンサーか。私達の『力』を測る為の調査と、弄る為の『印付』を兼ねている、と」
「避けようとしたのに掠ってたってことは……『書き換えてるんじゃなくて、置き換えてる』!?」
蒼姫の推察に静矢があごを引く。腕を組んで瀬木を見据えて、一言。
「如何かな?」
瀬木は頬を引き攣らせていた。
「……え、そこまで判っちゃうの……?」
「へっ、ざまーみなさいよ!!」
勢い付くカヅミと裏腹にアスハの様子は変わらない。敵の能力のほぼ全貌が判明したとは言え、厄介な能力であることに変わりはない。加えて救助対象がこの猪武者ぶり、最速、最短でケリを付ける必要がある。
「備えろ」
言葉にカヅミが振り返る。アスハは薄く笑みを滲ませていた。
「一発、殴らせてやる」
●
掲げられた腕が意志を抱くと同時、明は動いていた。踏み切りの後一瞬で最高速に達し、十字の木杭で突き掛る。ナターシャは腰を落として屈みこれを回避、腕を振り始める。
踏ん張り、停止した明の腕が即座にパンプアップ、音が聞こえるほど膨らみ、軋む。
ハンマーのように振り下ろされる。狙いはナターシャの腕。しかし使徒の腕は蛇のような挙動でその下を潜り、指に挟んだ得物を投擲するに至った。
放たれたナイフは抉るような軌道でクラムの肩に激突を果たす。ナイフが一擲命中した。それだけでありながら、クラムの肩は酷く損傷、手にしていた盾を落としてしまうほどだった。
(「死に掛け、どころではないな。むしろ以前より勢いが増しているようにも見える。
主の力が増したか。否、『その逆』か。ならば、考えられるのは――」)
「来たまえよ」明は笑う。「来い、来い、来い」
「お断りよ」ナターシャは溜息。「仕事中なの」
この頃、それぞれの足元を桃色の光が通過していた。光には存在感があり、誰もが発現と通過を認識してはいたものの、気に留める者は皆無だった。目の前により鮮烈で、不吉な光が発生していたからである。
ナターシャの両手にはそれぞれ濃紫のナイフが握られていた。先ほどのそれより一回り大きい。左右へ無造作に放たれたそれは見る見る遠ざかってゆき――かくん、と旋回した。
明が再び急接近、刺突を試みるがまたも躱されてしまう。
ナターシャは隣接する建物に飛び移り、着地するなり手を翳した。
すると、明の背後に無数のナイフが浮かび上がった。ドーム状に広がる光刃の切っ先は全て、フィオナの傍ら、クラムに向けられている。
「くっ……!」
「動くな」
翼を広げて包み込む。飽く迄狙うと言うのなら、みすみす通す義理もない。
ナターシャの指が鳴ると、総てのナイフが一斉に放たれた。鋭利なそれがクラムを庇うフィオナへ刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる刺さる。ナイフが傷口を抉るようにして消えると、フィオナは強く言い捨てた。
「油断するなよ」
翼を仕舞い、振り返る。
急襲してきた濃紫のナイフが、咄嗟に交叉させた両腕に突き刺さった。
「こちらが本命か」
刃の長さ、鋭利さ、厚み、全てが二回り大きい。
痛みを噛み締めて見遣ると、ナターシャが再びそのナイフを投擲した直後だった。
そこへ明が踏み込んだ。視覚外より神速、無音で。ナターシャが咄嗟に反応するものの、完全回避には至らず。
「呵々。
呵々々。
呵々々々々々々々々々々」
笑う明へナターシャが腕を振る。背負うように現した無数の紫刃が、鉄砲水のように明を襲った。真直ぐ、或いは回転しながら突風の如く襲う刃らが切り刻んだのは、しかし明が残したジャケット。当の本人は木杭で肩を叩きながら笑い続け、ナターシャは確かめるように頬の切り傷を指でなぞった。
遣り取りに釘付けとなっていたクラムにフィオナが言葉を吐き捨てる。
「来るぞ」
左右から濃紫が迫っていた。クラムが腰を落とし、盾を構えて備える。しかし大振りなナイフは直前でかくん、と軌道を変えると、背後、大腿部に刺突を受けていたフィオナの側頭部に直撃した。
ごん゛っ
明が視線を流し、ナターシャが目線を送る。
「どうした。これで終いか?」
フィオナは笑っていた。
ナイフの抱擁を受けた全身は漏れなく傷んでいた。大腿部に刻まれた裂傷はだくだくと赤いものを吐き出し続け、不意の強襲を受けた頭部もまた割れ、顔半分を真っ赤に塗り潰すことに躍起だった。
繰り返す。
フィオナは笑っていた。
「我を無視するなど認めん。
我が淘汰されるなど有り得ん。
我に手心を加えるなど許さん。
続きだ。続けろ」
「だ、そうだが?」
続いた明にナターシャが表情を崩す。
通りから声が届いたのは、ちょうどその時だった。
●
アスハが手を翳す。すぐに蒼い光を宿し、同じ色の無数の光がサーバントの頭上を埋め尽くした。晴天と見紛うような眩さ。
「降り注げ!!」
「無駄なんだってば!」
操作を受けた光の魔法弾が辺りを襲う。威力は大幅に衰えさせられていたが、密度に変化は無い。押し潰すような、押し流すような激しさは正しく驟雨。その規模が、巨獣の中腕、ひいては指示を飛ばす瀬木に防御以外の択を与えない。
「鬱陶しいったら……!」
瀬木が顔を向けた先、真正面からカヅミが向かってきていた。その奥には強く眩い対の光。
「蒼姫、合わせるぞ!」
「はいな、行きますですよぅ☆ 静矢さんっ☆」
ほぼ同時に放たれた光が互いに寄り添いながらサーバントを狙う。
瀬木はすぐさま得物を操作、回避を捨て、威力の減衰に成功する。
直撃。直撃。
派手な爆発に目を逸らしてから、確認する。既にズタボロだった中腕はかなり頼りなくなっていたものの、健気に瀬木を守り続けていた。
言葉を準備して振り向く。
『第二波』が目前まで迫っていた。
「ッ!?」
直撃。
重なった両腕の手首が中ほどまで吹き飛んだ。
直撃。
肘から先を跡形も残さず消し飛ばした。
「くっ……ズルいわよ!」
「あんたが言うなあああっ!!」
(「やはり、な。
如何に厄介な能力と言え、操作という工程が入るなら、付け入る隙は、ある」)
(「加えて」)
存分にしなってから跳ねるように動いた尾を、特大の黒焔が横薙ぎに打ち払う。尾の先端は割れた窓ごと、建物の中に大きくめり込んだ。
瀬木が見上げる先、白い外套の上から金色の瞳が覗いていた。
(「行使者がこの程度であれば、脅威足り得る筈も無く」)
腹から叫んだカヅミが踏み切り、無防備となった瀬木の顔面を正面から殴り飛ばした。
暴れる巨獣の背からカヅミは飛び退き、駆け付けた蒼姫に寄り添われる。
起き上がった瀬木は顔を両手で抑えていた。指の間からは赤が零れており、一同が初めて見る黒目がちな両目には光るものが湛えられていた。
防御の要を失った巨獣。未だ意気軒昂な敵。ずきずきと顔面を蹂躙する痛み。
「〜〜〜っ……ナターーーーーーーシャーーーーーー!!!」
●
「なんともまあ、興を削ぐ声だ」
「同僚には恵まれておらんようだな」
「そうね。
その一点だけは、そちらが羨ましくもあるわ」
ナターシャが屋上を蹴り、通りへ飛び下りる。
瀬木と巨獣は彼女を待たず、脇目も振らずに敗走に着き、表情を殺したナターシャが無言でその殿を務めた。