●カウンター
放課の鐘と共に入館者が続々と訪れ、利用者名簿に名前を記していく。
黒井 明斗(
jb0525)
「この間は助かったよー、ありがと」
「お役にたてたなら何よりです」
「試験は余裕な感じ?」
「最善を尽くせるよう努力します」
千葉 真一(
ja0070)
「人が多いのはー……気のせいじゃねぇな。試験前だからか」
「そうみたい。それだけでもないみたいだけど」
「心理学関係の本ってどこにあるんだ?」
「中二階の奥、かな。探すの手伝う?」
「いや、まずは自力で探してみるぜ。ありがとうな!」
木嶋香里(
jb7748)
「今日も仕事終わり?」
「わかりますか?」
「お出汁のいい匂いがするー。学生兼女将さんも大変だよね」
「好きでやっていることですから。図書館、お借りしますね♪」
蓮城 真緋呂(
jb6120)
「いい匂いがする……」
「ね。お腹空いちゃうよね」
「ほんとよ……うぅ、せっかく飲食禁止の図書館で集中しようと思ったのに……」
「あはは。がんばー」
マリー・ゴールド(
jc1045)
「やばいです。あぶないのです。だめなのです」
「な、なんか困ったことあったら言ってね?」
「ありがとうございまぁす」
雫(
ja1894)
「だ、大丈夫? 顔色ハンパないよ」
「英語なんてこの世から消えてしまえば良いんです」
(「試験絶望勢……」)
ひと段落した時、胸に厚手の古書を抱いた緋打石(
jb5225)が床にほど近い位置を飛んできた。
「三ツ矢氏ー、この本の続きが見当たらないのじゃー」
「あー、この続き、今修繕中で」
「む……どうしても無理か?」
「読むには読めるけどー……」
視線を巡らせると同時、聞き慣れた声が投げられた。
「よ」
「んー」
月詠 神削(
ja5265)
「あ、誕生日おめでとー」
「なんと。めでたいのじゃー」
「ああ、ありがとう、ふたりとも」
「大荷物だね」
「伍(ウー)に期待させちまったからな……流れだったけど、口だけにはなりたくないから。
それに――」
「旅行?」
「ああ、旅行」
「旅行?」
「成績上位に入ったら、小日向先生が豪華旅行に連れて行ってくれるって、伍が言ってたんだ」
「なんと。これは言質を取らねばならんのぅ。小日向氏は?」
「事務室。あ、修繕中の本もそっちにあるから」
「ふむ。おーびーなーたーしー」
緋打石がノックを続けると、やがて応答があり、扉が開いた。
ちなみに、と神削がつづりに問いかける。
「旅行に行くとしたら、どんなところがいい?」
「ごはんの美味しいところ!」
●事務室
「『豪華』旅行に『私が』っていうのが超絶引っかかるけど……」
まあでも、と小日向千陰はペンの頭でこめかみをこする。
「企画してみるのもいいかもね」
「それでこそなのじゃ!」
「そうと決まれば、うんと難しい試験問題を作りましょうか。覗いちゃダメよ?」
「そんな無粋なことはせん。この本の続きを見つけたらすぐ退室するのじゃ」
「左から二番目の棚の上よ。丁重に扱ってくれるなら読んでも大丈夫」
「かたじけないのじゃ」
●一階
緋打石が出てくる様子を眺めていた黒夜(
jb0668)に影が流れる。顔を向けると、雪代 誠二郎(
jb5808)がやんわりと手を挙げてきていた。
「此処、いいかな」
「……あぁ」
どうも。誠二郎は音も立てずに椅子を引くと、背凭れに体を預けて文庫本のページをめくり始めた。
黒夜は勉強に戻る。が、傾いた西日が手元を直撃する形となった。せっかく乗ってきていたし、事務室の扉を監視できる特等席を離れるわけにはいかない。
一際大きな影が余計な光を全て遮った。
「よぅ」
「……ん」
久我 常久(
ja7273)はのっしと黒夜の隣に腰を降ろした。向かいから誠二郎が小さく頭を下げてくる。
「黒夜ちゃんは試験勉強か」
「あぁ」
「そうかー。頑張れよー」
常久は手ぶら。手元には筆記用具も書物もない。黒夜がちらちらと観察した限りでは、時間を潰しに来た以外に見えなかった。
気にこそなるものの知らない間柄ではない。黒夜は難なく国語の問題集のノルマを済ませ、不得手な数学に取り掛かる。
「……」
途端にペンが進まなくなった。
大きなため息をつくと、黒夜は荷物を纏めて一旦外へ出ていく。休憩、兼、ミッション開始である。
●中二階
無事レポートを完成させた真一は、参考にした本を戻しに向かっていた。
本の山に埋もれる明斗、広げた本を凄まじいペースで読み進めていく真緋呂、早くも頭から煙を出している雫の横を通り進んでいくと、大山恵と五所川原合歓が座るテーブルを発見した。
小声を交わしながらひょいひょいと手を動かしている。
真一はそっと近づき、声を掛けることにした。
「手話、か? 何か教科にそういうの追加されてたっけか」
「――そういうわけじゃ、ないけど」
経緯を聴いた真一は、なるほど、と腕を組んだ。
「俺も少し教えて貰って良いか?」
恵は笑顔で肯くと、拳を鼻先から滑らせて、次いで手刀を柔く降ろしながら頭を下げた。
●一階2
(「よろしく、お願いします、か? 面白ぇことやってるな」)
常久が目を細めていると、つづりがブラインドを降ろしに来た。わりぃな、と手で合図する。いえいえと首を振り、つづりが長机の短い辺にちょこん、と張り付いた。
「見つからない資料があるなら、あたし探しますよ」
「大丈夫だぜー。ありがとちゃん」
「試験余裕な感じですか」
「わしぐらいの歳になると、面白いモンじゃねぇとなーんも頭に残らねぇんだよな。何せやる気がせん」
「あはは。
雪代さんもですか?」
いつの間にか本を閉じていた誠二郎が小さく肩をすくめる。
「勉強は大事だ、なんてことは言わないし、言えない身分でね」
なはは、とつづりは笑うと、お邪魔しました、ごゆっくり、とカウンターに戻って行った。
それとなく見送り、腕を組んで正面を向き直す常久。
誠二郎は腹の上で手を組み、遠くの本棚を眺めている。
「読まねぇのか?」
「こういった堅苦しい場所では、あまり進まないもので」
「なんだそりゃ。ならどうしてここ来たんだ?」
「気が向いたから、ではないですかね」
流れた視線を常久も追う。つづりが入口を二度見する瞬間だった。
●一階3
席を確保した香里は、参考書を開く直前、手を振られていることに気が付いた。
顔を上げて、相手――川澄文歌(
jb7507)を発見、表情を明るくして手を振り返す。
「(文歌ちゃんも試験勉強?)」
「(うん、お互い頑張ろうね♪)」
表情と仕草で互いを励ます。
よし、と口の中で呟いて香里は勉強に取り掛かり始めた。まずは進級試験に向けて、自学年の単元の習熟度を確認する段階に入る。ペンは平素よりも幾段早く進んだ。限られた時間を、この確認が終わったなら次学年の範囲の予習に費やす算段なのだ、躓いてなどいられない。かといって試験対策が疎かにならないように、綿密且つ高密度な勉強は続いていく。
陽波 透次(
ja0280)が勤しむ復習の進捗もまた、良好であった。元々勉学を疎かにしていたわけではないし、復習ということもあってペンが止まることはなかった。
が、引っかかることは幾度かあった。思い返せば、手の中でペンを回すうちに答えが出てきて欄は埋まり、且つ間違えてもいない。この有様に自身の未熟さを痛感してしまう。
ノルマを終え、ペンを置いた。胸に去来するのは尊敬する母の教え。
(「……母さんの教えを実践出来てるかな、僕は」)
時計を見遣る。想定していたよりも幾分早く終わった。
思い立ったが吉日と、透次は本棚を目指す。
「失礼します」
無言で応じた黒百合(
ja0422)が本棚に寄り掛かる形で道を開ける。透次が通過すると同時、読み終えた書物を元居たスペースへ戻した。
長い黒髪を翻して確保していた席へ戻る。日差しは背に当たり、本棚からも遠い佳良の席。
スイッチを弄ると、耳に忍ばせたイヤホンから科学の講義が流れ出した。先ほどまで聞いていた民族史も興味深い内容だったが、書籍での裏取りが済んだので今のところ用はない。
零れた髪をすいと直し、罫線に沿って文字を並べていく。要点だけが簡潔に纏められたノートは参考書に匹敵する価値を秘めつつあった。
陽だまりの中、優雅とも言える所作で黒百合の勉強は続く。
これに長いこと見とれていたマリーは、しかしはたと我に返った。
「やばいです。あぶないのです」
慌てて問題集を確認する。数分前ににらめっこした問いがそのまま残っていた。
次のグラフから、xが4のときのyの値を求めなさい。
「……X?」
こてん、と首を右へ捻る。
「……Y?」
こてん、と首を左へ捻る。
口が渇くのを実感しながら隣のページへ視線を逃がした。
次の方程式を解きなさい。
「……ほーてーしき……」
口にした単語の意味が全く分からないことを理解した瞬間、マリーはすっと立ち上がっていた。
「もっと、基礎からです」
小走りで本棚へ向かう。小柄なマリーは高い位置を見上げながら数学の文字を探した。必死だった。
故に、曲がり角にも、そこから出てきた透次にも気づけなかった。
軽度の接触事故が起こり、マリーは本棚へ背中から衝突、棚からは本が落ちてしまう。
「ご、ごめんなさいなのです」
「いえ、こちらこそ」
透次は静かに告げると、落ちた本を拾ってマリーに手渡した。
頭を下げ合ってから透次は席に戻っていく。
戻そうと手に取った瞬間、鮮烈なタイトルがマリーの目に飛び込んだ。
『世界のハチミツ傑作選フルカラー限定版』
●カウンター2
「……何があったんスか」
「……何も言わないでくれ」
まず麻生 遊夜(
ja1838)の装いが特異だった。胸元だけを隠したファー、尻尾が垂れた同じ素材のホットパンツ、耳の付いたカチューシャは全て愛らしい灰色で揃えられていて、頬にはマジックだろうか、線が左右に三本ずつ引かれている。首輪から伸びた大げさな鎖を引っ張る来崎 麻夜(
jb0905)は鼻息も荒く得意満面で瞳もキラキラ。ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は遊夜に寄り添ってこそいるものの、慈愛に満ちた表情で頭を撫でる仕草は慰めというより介錯に見えた。
「あんな授業もあるのか?」
「私には皆目見当も」
四方八方からガンガン飛んでくる奇異の視線に、たまらず遊夜は肉球のついたグローブで顔を覆う。麻夜はにまーっと笑みを深めると右胸から遊夜に接近した。
「いやー、ヒビキの罰ゲームとかこの日は人がいっぱいいるとかボク知らなかったなー」
「……マヤは本当、欲望に忠実」
「あんなこと……あんなこと言うんやなかった……!」
「ボク達、頑張ったよね?」
「ん、頑張った」
「でもあんなん読めるわけないやろ!?」
「ねーねー、匂い残ってないかなー?(すりすり)」
「髪、いっぱい洗ったけど、落ちた?(うりうり)」
「……俺はどうすれば良かったんだろうな?」
「やーーー、あたしには何とも……」
でも似合ってますよ、と付け加える。触れないのも優しさ、なのだろう。
これは遊夜にしっかりと伝わっていた。渡りに船とカウンターに歩み寄る。
「機嫌良さそうだな、なんかあったか?」
「わかります?」
笑んで見上げてきたつづりが恵と司書共のやりとりを説明する。
「手話ができれば話せる人が増える、かー。上手い言い方するねぇ。勉強嫌いな子も多いし教える時に役立ちそー」
「ん、理解しやすく、言い換えるのは、有効」
あの子には特に。
見上げた中二階では、真一を含めた三名が確かにそれらしい勉強をしている。
「で、お株を奪われた上司がまあまあ悔しがって」
「それはまた、何とも切ないこった」
なんとも言えない顔で事務所を見る。
その視界の端で、もう一段階つづりの笑みが深まった。
「で、その後、図書館任せたわよ、って」
言ってからはっとして、小さな司書は頬を引き締めた。
遊夜はこの所作に気付かないふりをする。触れないのも優しさだ。
機を見た麻夜が音を立てずに手を合わせる。
「さ、勉強会って建前のお披露目会も終わったし帰「ん?(がしっ)」れないよね!」
「さぁ、勉強するぞー」
「やーん!」
攻守逆転、麻夜は遊夜に引きずられるようにして中二階に昇って行く。
ヒビキはつづりと手を振りあってから、てくてくと家族の後を追って行った。
●中二階2
「っと、そろそろ戻らねぇと。んじゃ、勉強頑張れよ!」
伏せるように翳した左手を右手で切る仕草から手を振る。恵が前の、合歓が後の『言葉』を放った。
学んだ知識を反芻しながら真一は帰路に就く。本を物凄い速度で読み込む真緋呂の背後を通り、カウンターの司書に手を挙げて出入り口へ。ちょうど手荷物を抱えた入館者が訪れていたので、真一はドアを引いて道を拓いた。
「済まない」
小さく頭を下げて礼野 智美(
ja3600)が入館する。
さて、と見上げた先に、教科書を開く恵の姿を発見した。
(「……大山さんって確か、同じ学年だよな」)
思い立ってからの行動は速かった。階段を昇り、相当の速度でページをめくる真緋呂の後ろを通って声を掛けた。恵が手を振り、合歓が振り向いてくる。
「一緒に聞いても良いでしょうか?」
「もちろんだよっ」
ありがとうございます、と頭を下げて椅子が足りないことに気付いた智美は、すみません、と振り返る。
「お借りしても良いでしょうか」
「ええ、どうぞ」
上の空で返した真緋呂が、一拍置いてから勢いよく顔を上げた。
「はっ! 読み嵌ってたー……」
あるある、と恵は苦笑い。
「一緒に勉強しないっ?」
「それじゃ、お言葉に甘えようかな」
智美と真緋呂が椅子を手に恵らのテーブルを囲む。
「何の勉強するっ?」
「実は英語の宿題を済ませようと思っていまして」
「あ、英語なら教えられると思うわ」
「話は聞かせていただきました」
テーブルと柵の間から、真っ黒なオーラを背負った雫が青白い顔を覗かせる。
「ご一緒してもいいですか。具体的にはこの英語の問題集を最初から最後まで解いてくれませんか」
「い、一緒に頑張ろうよっ!」
「大山さんは……いいです。胸に栄養が行ってそうですから」
「ボクだってできれば知識を蓄えたかったよ……っ!」
それぞれがテキストを開き、さあこれから本腰で、というところで、おや、と声が掛かる。
「大山先輩、珍しいじゃないですか。
テキストなんか眺めてると、勉強してるのかと周囲に誤解を与えますよ?」
「してるんだよっ!?」
次いで進捗について問われると、エイルズレトラ マステリオ(
ja2224)はわずかに顔を前へ出した。
「……え、進級試験? 何ですか、それ?
受けたことはありませんが、テスト期間とやらは旅行の予定とかぶってるのでブッチしますよ」
「凄いね……凄いね?」
首を左右へ傾げる恵。
そこへ緋打石が訪れる。
「話は聞かせて貰った!」
「話?」
「大山氏が試験で好成績を取れば小日向氏が豪華旅行を企画するという話なのじゃ!」
「そうなのっ!?」
「そうなのじゃ! さあ、自分謹製の紙芝居型参考書で歴史と理科を徹底的に学ぶのじゃ!!」
「あ、うんっ、でも今は英語なんだよっ」
「話は聞かせてもらったわ」
床からナナシ(
jb3008)が透過して現れた。現れたはいいものの前述のとおりスペースがなく、ナナシは合歓の背中に引っ付く。
「まったく。普段から積み重ねていないから試験際になって慌てて旅行の開催が危ぶまれるのよ」
「ちょっと主旨ズレてるよっ!?」
合歓が真下から事情と経緯を説明する。
「ふむ。たしかに興味がある分野に絡めて覚えた方が、覚えやすいのは間違ってないわね。
ふぅ、仕方ないわね。ここは私が上級生らしく、大山さんにも判りやすいように数学と物理を――」
「今は英語なんだよっ!」
活気づくテーブルからマステリオは静かに距離を取り、椅子のないテーブルを占拠した。
●中二階3
英語の復習を終えた川内 日菜子(
jb7813)は、テーブルから零れない規模のため息をついた。
「……賑わってきたな」
視線の先にはつい先ほど完成した大所帯があり、その手前には狼男を有した3人組が同じテーブルを囲んでいた。
「うむ、問題ないようやな。さぁ次はこのプリントだ!」
「やーん、いつもより多いんだよー」
「ん、ソー、ハード……」
中二階の面々が極力小声で話しているのも理解している。それでも耳に入ってしまうのはどうしようもない。
「こんなもんじゃね?」
はす向かいからラファル A ユーティライネン(
jb4620)が言葉を落とした。
「どっか移動すっか?」
「……いや、私が狭量なのだろう」
「そうか? ま、俺はひなちゃんと一緒ならどこでもいいぜ」
「……」
不意打ちを受け、顔を伏せる日菜子。
その視界に細かい文字が並んだ書物が滑り込んでくる。
「んじゃ、次は俺が教える側な。サイバネ機械学だぜー」
「……義体生理学に続いて悪いが、基礎の基礎から頼む」
互いに椅子を寄せ合い、二人きりの勉強会は続いていく。
●カウンター3
「な、なぁ」
「……あー。どうぞー」
「……まだ何も言ってねー」
口を尖らせた黒夜は、つづりが思ったとおり、カウンターの中を通って事務所をノックした。
軽やかに鼻を鳴らして正面を向くと、ちょうど若杉 英斗(
ja4230)がカウンターへやって来るところだった。笑顔で厚手の蔵書を掲げている。
「ありがとうございます、見つかりました。
それで……この近くで読んでもいいですか? 本棚のところにも勉強している方がいたので」
どぞどぞ、とカウンターの椅子を指差すつづり。恐れ多いとは思ったが、無碍にもできず甘えることとする。
カウンターからは館内が一望できた。これが彼女の景色なのかと思うと、胸にはこみ上げるものがあった。
(「人間側に戻ってきてくれて、日常生活も普通に送れて……」)
本当に良かった。
そっと覗き見たつづりは、半ばほど閉じた目で入口を睨みつけていた。
●一階4
忘れ物がないことを確認して透次は立ち上がる。
いやに通る声が耳に入って、見上げると中二階の大所帯が目に入った。
(「コミュ力を付けるにはどうすれば……いや、勉強は独りでも出来る、問題無い」)
時間が迫っていた。早足で帰路に就く。
常久と誠二郎が囲む机を通り過ぎようとして、両者が入口を眺めている事に気が付いた。
眉を寄せて視線を送り、透次は一旦、凍り付く。
●事務室2
「ご馳走様でした」
「ま、間違って買い過ぎただけだから」
「勉強捗ってる?」
「あ、あぁ……そうだ、わかんねーとこがあったから、その、教えてほしい」
抱えてきた問題集を開く。
千陰の教えは簡潔で判り易く、無事理解もできたのだが、すんなりと行き過ぎてもったいなかった。
「進級は問題無さそう?」
「試験も3回目だからな。
小日向は、今日はずっとこっちなのか?」
「閉館までに試験問題作らないといけなくて、あとはね、盗み見ようとしてる生徒にワナ張って報告しないとなのよ」
(「あァ、そういうことだったのねェ……♪」)
来た時と同じように、黒百合は、完璧に気配を消したまま宙で踵を返す。
「……ウチ、邪魔か?」
「仕事してて問題見ないなら、休んで行っていいわよ」
「……ん、じゃあ、もうちょっといる」
「ほいほい」
からかうのは流石に気が引けて、壁に指を通らせた瞬間、それにしても、と千陰が椅子を回した。
「ちょっと騒がしくなってきたわね?」
●
時間は少し遡る。
図書館を訪れた狗月 暁良(
ja8545)は入口から三歩離れた位置で足を止めた。
そこでは、半裸の赤坂白秋(
ja7030)が艶かしいポーズを取って踊っていた。シャツを肌蹴てバラを銜えている。突然真顔でこちらを向いたかと思うと勢いよく上体を捻り、つづりへ向かって指でこしらえた拳銃をオーバーに発砲した。
暁良は肩を竦めてから歩き出す。無視しようと決めていたのだが、すれ違いざま、「ッハァ……☆」という吐息が耳に入ったのでソバットで蹴り飛ばした。
これ幸いと飛び出してくる透次に道を譲ってから入館する。つづりが立ち上がって頭を下げてきた。ひらひらと手を振ってカウンターに乗り出す。
「人多くネ?」
「試験前ですからねー。あの恵も勉強してるんですよ。ほら、あそこ」
「ふゥん……?」
見上げるように振り向いた直後、乗り込んできた白秋がカウンター越しにつづりへ迫った。
「あんなに呼んだのに、今日はつれないな☆」
「あれ呼んでたんですね」
「生徒が勉強してるトコで職員が遊べネーだろ」
「てか試験大丈夫なの?」
よくぞ聞いてくれた、と白秋。
「――大学7年生」
「は?」
「……次進級したら、大学7年生だ……。進級したのによっぽど留年感がある。
これまでも辛かったが……7年生は流石に、無理だ。かっこ悪い。モテねえ。だから俺は留年する、そう決めた」
「大学7年生と大学6年生(一浪)ならまだ前者じゃない?」
「というわけで参!「聞いてって」
「 デ ー ト し よ う ぜ ! 」
ざわ。
がたっ。
ギロリ。
「ちょ、声大きいって!!」
「今のは、ちょっと……」
「フォローできねーナ。する気もネーけド」
「デートしてくれ! 参! デートしてくれ!!」
「留年宣言してる生徒とデート行く職員がどこに――!!」
ガチャ。
「ちょっとうるさいわよー?」
「――ど、どこに代入するかわかんないんでしょ? そういうときは一歩前に戻ってさ」
「あ? あー……なるほどな、そうかその考え方もあったな」
「……ふむ、勉強中」
がちゃ。
千陰が扉を閉めると、つづりは大きなため息を落とした。
「お疲れ様です……」
「ウス」
「こう見えて機転には自信があるんでな☆」
「マジでちょっと静かに……」
不器用なウインクを送ってくる白秋の隣で、暁良は帽子で顔を隠して笑いを堪えていた。
両者の間から常久がニヤニヤして、連れられた誠二郎が他人のふりをしながらやって来る。
「危機一髪だったな、つづりちゃん」
「時と場所というものを考え給えよ、二枚目君」
更に、きつくあごを引いた日菜子が、笑みを湛えたラファルと共に合流。
「度が過ぎるぞ」
「勉強って気分じゃなくなっちまったなー」
「今のも音量大きいぜ」
「子供じゃん……」
「ら、ラルは仕方ない、定期的に声を張ることも必要な体だとレポートに……」
「仲良きことは、とね」
「見ている分には面白かったけどさァ?」
「あれ、黒百合さん。いつの間に?」
「ヤるナ。気付かなかったゼ」
「ふふふゥ♪」
「千陰ちゃんにバレてねぇといいけどな?」
「次は教科だけ統一しておこうぜ」
「だーかーらー!」
ガチャ。
「この化学式教えてくれよ参!」
「化学!? あああああ、えっと、久我さんっ!」
「あーつれぇわー老眼でまじつれぇわー。代わりに頼む」
「さあ、皆目」
「黒百合さんなら解けるんじゃないですか?」
「遠くてよく見えないわァ♪」
「順番だゼ」
「何故私が……」
「てきとーに合わせとけば大丈夫だって。ヒナちゃんがんばー」
「恐らく窒素系の何かだろう」
「っ……あんまり、騒……っ」
「おい、戻ってから笑え小日向」
がちゃ。
「無事窮地を脱したお礼にデートしてくれよ参!!」
招いたのあんただろがい、という空気の中、つづりが入館者名簿を手にする。表情で察した常久が白秋を捕らえ、飛び立った黒百合が出口に向かう。
「赤坂白秋君」
「おう!!」
「 退 館 」
「 馬 鹿 な !! 」
じたばたする白秋の許へ、一同のやっちゃってやっちゃってというジェスチャーの間を日菜子が進む。
「待っ……!」
「当然の報いだ」
「観念しな」
「おひとり様ご案内ィ♪」
踏み込んでからの腰を落とした正拳突きが白秋の腹部に叩き込まれる。
絶妙のタイミングで手放された白秋はそのまま床を転がり、黒百合に手を振られながら表に叩き出された。
●中二階4
「そう、小日向さんがそんなことを……。でも、この件に関しては同意するわ。
可燃物や危険物に関する知識は、その対処法も併せて学ぶことで取れる手段を飛躍的に増やしてくれるもの」
トランプタワーとは集中力との勝負である。
「量に関する知識はさっき数学の時間に教えた内容を引用できるわ。
でも、そっちに気を取られて三角関数を忘れちゃ駄目よ。狙撃する機会はないかも知れないけれど、狙撃手を迎撃する機会なら、これから先、戦場に立つ限りは可能性があるわ」
手の中で作った三角を、土台に負担の掛からない角度を探し当て、極限まで勢いを殺して、置く。
「物理の内容は覚えてる?
数学と化学の知識で幾らでも応用が利くし、現代兵器のスペックを理解するには物理の知識が不可欠よ」
無事タワーの頂点を建築したマステリオが無言で拳を握りしめた。
「すごいよっ!!!」
「……」
無言で合歓が立ち上がり、空いた椅子の上にナナシが起立する。腕を組んで翼を広げて勢い良く回転、恵の頬を翼で打ち抜いた。ぴたーん。
知恵熱でぶっ倒れていた雫が床からサムズアップ。
「次はあの無駄な胸を狙ってやってください」
「検討するわ」
「音に反してまずます痛いっ!」
「私の話を聞いてたの!?」
「ごめんなさいっ!」
「川澄さんの集中力を見習いなさい!!」
ナナシが指差した先、文歌は一階で、カウンター周辺と中二階がひっちゃかめっちゃかになっているこの状況下でも涼しい顔をしてノートにペンを走らせている。
だが実際は、
(「どうしましょう、全くわかりませんね」)
涼しい表情はポーカーフェイス、揺らがないのは精神を集中しているからで。
開いた魔具や魔装に関する参考書は半ばまで順調に進んだものの難解な問題に出会って完全停止、それでもアイドル部の部長として何処で見ているともしれないファンに無様な姿は見せれられまいと、ノートにはひたすら済んだ単元の内容を繰り返し復習し、なんとか勉強としての体裁を保っている状態である。
しかし文歌の在り方は恵を大いに触発した。
「ボク頑張るよっ!」
「全くもう……仕方ないわね、もう一度教えてあげるわ」
真緋呂と智美、緋打石も距離を詰めてくる。
「英語はもう大丈夫? カッコイイ外国の人を助け損ねない為に重点的に復習しないとね!」
「ノート、ご覧になりますか」
「さぁ、覚悟するのじゃ! むかーしむかーし」
恵が無事勉強を再開したことを耳に入れつつ、合歓はマステリオに迫っていた。
「ええと、すいませんでした、次はもう少し低く作ります」
合歓が笑みを深めて言い直しを要求してくる。
「すいませんでした、もうひとつ奥のテーブルで作ります」
「――あうとー」
ごめんね、と合歓がマステリオの首根っこを掴んで搬出していく。すれ違う相手は気配を殺していたのでアイコンタクト。
食い入るように紙芝居に見入っていた恵。その視界が一気に暗転する。
「だーれだ?」
「狗月さんっ?」
「……セーカイ」
即答かヨ。物足りないような、嬉しいような。
「わかんネーとこあったら教えてヤるよ。こう見えても俺、結構出来るンだゼ?」
「ありがとうっ! 今英語と歴史と数学と物理と化学やってるんだよっ!」
「詰め込んでンな……ま、そのくらい急いだ方がイイかもナ」
「そうなのっ?」
暁良が時計を指差した。
「そろそろ閉館時間だゼ」
●
耳に入ってくる音が多く、大きく、遠慮なくなってきて、神削はようやく顔を上げた。近くを陣取っていた文歌が荷物を纏めている。なんとなく察し、時計を確認したところで千陰がやってきた。
「お疲れ様。進んだ?」
「うん。得意教科を伸ばすことを考えてたから、集中できた」
「それは何より。今から結果が楽しみね、なんて」
「……それで、旅行は?」
「最低限、恵さんが無事進学できないとね。もちろん神削君の成績も期待してるわよ」
ファイト、と背中を叩かれる。ギアがもうひとつ上がった気がした。
中二階を見回っていた合歓は、本棚の奥のテーブルに明斗を見つけて、目を剥いた。
「――閉館時間、です……」
やや間を置いて自分への言葉だと気付いた明斗が顔を上げて眼鏡を正す。
「ああ、もうそんな時間ですか。すみません」
合歓は首を振る。それよりも。
「――それ、全部?」
「ええ」
明斗はテーブルにうず高く積み上げた本の山へ手を置いた。
「大きな戦いが続いて予習が不充分でしたから。遅れを取り戻そうと躍起になってみたのですが、夢中になり過ぎてしまったみたいですね。すぐに片付けます」
「――あ、手伝うね」
「いえ、全て持ち込んだものですので。お気遣い、ありがとうございます」
その熱意と姿勢に感服した合歓は、感嘆の息を漏らしながら無音の拍手を送った。
一階を見回っていたつづりは、本棚の前にうずくまる女生徒へそっと声を掛けた。
「体調悪い、とか?」
マリーは首を振ると、10回は見直したページを開いて見せた。
「おいしそうなのですー。きれいなのですー(ぽわわわわん)」
「……ヤバくて危なくてダメだったんじゃなかったの?」
「?」
こてん、と首を傾げたマリーが、次の瞬間はっとなってビクン、と飛び跳ねた。
「……しまったですー」
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そんなこんなで閉館となる。夜が溶け出した図書館前で恵がぐいと伸びをした。
ひょい、とヒビキが躍り出てくる。
「はかどった?」
「今、ボク史上最高に頭いいよっ!」
胸を張った恵の背を、調子に乗らないの、とナナシがチョップ。
「良い? 本当に無駄な事は誰も教えはしないわ。
無駄に思える知識が何処で使えるかを理解する事も、勉強しなければ判らないのよ」
「ん、出来る事が、増えるのは、良い事」
「ボク勉強するよっ!」
「ん、楽しみ。でも、負けない」
「ボクだって負けないよっ!」
肩を抑えて首を鳴らした常久が、ところで、と腹から声を出す。
「頭使うと腹減るよな、飯でも食いに行こうぜ!
公務員生活で独り身であらうんどさーてぃーでめちゃめちゃ持ってそうな誰かさんのおごりで!」
「ごはん……」
雫が意識を取り戻し、
「ごはん……!」
真緋呂が飴を舐めながら目を輝かせ、
「いらっしゃいますか?」
香里が袖を捲り、一同と声を揃えた。
\司書さんの奢りで!/
施錠を済ませた千陰がギチギチと振り返る。ふんぞり返る常久を先頭に、無垢な瞳が幾つも並んでいた。
「い、行く人ー?」
バババッ! と挙がった腕の本数を数え、香里を手招く。
「予算このくらいなんだけど……」
「それだとお通ししか……」
「ぐっ……じ、じゃあ、このくらいっ」
「あ、それでしたらお鍋がお出しできます」
「鍋いいわね! 鍋でいいわね!?」
\なべー!/
「わしは信じてたぜ、千陰ちゃん」
「うぅ……私今日は割と仕事してたのに……」
「な、泣くなよ小日向」
「うーーー! もうこうなったら黒夜さんにちょっかいを出しながらアフターファイブを満喫してやるわ!」
「ちょ「みんなも! 食べたらまた勉強頑張って進級試験頑張るのよ! いいわね!!」
\はーい!/