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なるべくムラなく広範囲に。麻生 遊夜(
ja1838)が手本を見せるように餌を撒き、藤沖拓美(
jc1431)が続く。魚群がぐいと近づいてきた。
両者と入れ替わるように瑠璃堂 藍(
ja0632)、赤坂白秋(
ja7030)が水を撒く。餌を隠すように、混ぜるように。月詠 神削(
ja5265)の指導のとおりに水面を揺らすと挙動が激しさを増した。
船の片側から一斉にルアーが放られた。
「おっ」
ぐい、という手応えがすぐに返ってくる。それが一際強くなった瞬間に合わせ、狗月 暁良(
ja8545)が釣竿を引き上げた。
しなった竿が透明な糸の先に獲物――クロシオアオジロオオマグロを引き連れてくる。
初めて見る魚であった。見た目はマグロとカツオの特徴を掛け合わせたようで、色合いは、なるほど、名に違わない。
「♪」
口笛を鳴らし、頭上を越えた辺りで竿を返す。事前に漁師から教わっていた技だった。
暁良は再び魚群の中ほどにキャスティング。甲板に着陸した獲物は藍がすぐさま冷蔵庫へ送り込んだ。
「一番槍、だナ」
得意満面で呟く暁良の隣で神削がフッキングを成し遂げる。慣れた手つきで釣り上げ、暁良と同じ技でマグロを落とした。
竿を振る前、藍に運ばれるマグロを肩越しに一瞥して、ひと言。
「さっきのより大物、かもな」
一拍置いてから暁良が顔を向けた。
「デカさで大漁旗の高さは変わらネーぜ?」
「度を越えなければ、大きい方が高価だ」
「数じゃ敵わネーから大きさに逃げる、って?」
「……俺、数で譲るって言ったか?」
「上等」
ぽーん ぽーん
「ちょ、ちょっと――」
ぽーん ぽーん ぽーん ぽーん
「ふ、ふたりとも、もう少しペースを落「悪い、撒き餌頼む」「水もナ」……」
釈然としない思いを幾分抱えながらも、藍は格納を完璧に終え、重みの異なるバケツを携え海に臨む。
餌を撒くや否や、打ち水とほぼ同時に投げ込まれる2つのルアーに肩を落とし、顔の汗と潮水を拭った。
その直後、一匹目。
ぽーーん
「あっ!」
船尾側から声が届く。獲物の軌道をぴったりなぞるようにして、全く異なる存在が追尾してきていたのだ。
大きさはマグロと同じか一回り小振り。藻のような緑色の全身に黄色い斑模様が浮かんでいる。形状はエイに酷似していた。
「釣果は釣果、だよナ?」
「公平を期すためにマグロのみ……いや、違う」
「そいつがオオイソアカグモオオマグロだよっ!!」
「……あー……?」
「磯も赤も蜘蛛も鮪もなくない!?」
眉間を寄せた藍の足元にマグロ、そしてディアボロが落下する。訳も分からず跳ねるマグロにディアボロがじり、と寄りつつあった。
藍はディアボロから庇うようにしてマグロを腕で冷蔵庫に送り出す。行儀に欠けるが止む無し、足で庫の扉を閉めると、ディアボロは扉の上を腹で撫で回し、海を目指した。
行かせるわけにはいかない。
『光』を込めたナイフを振るう。幾分浅かったにも関わらず、ディアボロは前進を止め、その場でのた打ち回った。
藍が踏み込み直し、背筋に沿って一閃する。儚いとさえ表せる手応えだったが、ディアボロは真っ二つになり、その場で粉々になって散った。
ふう、と一息ついた藍に広めの影が落ちる。
振り返り、目標を確認して刃を構え、しかし振られることはなかった。
しゅるしゅると伸びた神削の襟足がディアボロを縛り上げ、視線を送らず照準を合わせた暁良が発砲、討伐を成す。
「数に入らネーなら、目障りなだけだナ」
「ああ。『雑魚』に構っている暇はない」
「発言は少し引っかかるけれど、ふたりともさすが「撒き餌頼むゼ」「あ、水も」……」
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遊夜の指導を受けながらフッキングを試みるが、来崎 麻夜(
jb0905)とヒビキ・ユーヤ(
jb9420)は今ひとつ体得できずにいた。
賑わう水面が次第に憎たらしくなってくる。溜息ひとつ、麻夜は隣、遊夜の肩に頭を預けた。
「あつーい。とけるー」
「絶好の釣り日和だがのう」
「マヤ、冷たいの(ぺたー)」
「あーりーがーとー」
「ん、ユーヤも(ぺたたー)」
「うむ」
遊夜は麻夜の両腕を掴んで立ち直らせた。
そのまま背後に回り込む。胸をフードに預け、文字通りの手取り足取り体勢。
「肩の力を抜け。俺に任せろ」
どぎまぎしながら言われたとおりにする。
動かされた腕は自分で動かした時よりも軽やかに、遠くに伸びるようだった。
すぐにぶるぶると竿が揺れる。
ここ、と思ったタイミングより数秒遅れて腕が引き上げられた。
ぽーん
「おーーー!」
「と、こんなもんやな」
疑似餌を外して麻夜に手渡す。マグロは素早く拓美が格納。
「ん、次、私」
「えー? ボク、もう一回で感覚掴めそうなんだけどなー」
「次、私(ごごご)」
気迫に押されて仰け反る麻夜。彼女の頭をぽんぽんして、遊夜はヒビキの背に回る。
麻夜のジト目を受けながら、全く同じ指導が成された。
Hit。
危うく竿を持っていかれそうになり、踏ん張って引き上げる。
ぽーーん
付随してきた『雑魚』に備える、
より、迅く、
「任せてっ!」
強く踏み込んだ大山恵の突き上げがディアボロの真芯を捉えた。粉々になった雑魚は斧槍の切っ先に連れられ、綺麗さっぱり背後の海に放られる。
「やるねー」
「ん、腕を、上げた」
「さて、ヒビキのは捌いてみるかね」
この時のヒビキの視線は、どちらかと言えば麻夜寄り。しかし彼女よりも深く、恵の『背びれ』に注がれていた。
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海が空っぽになるのでは、と思わせるほど神削と暁良は釣りまくった。
必然、撒き餌と打ち水の頻度――と、要請――は多くなる。
バケツを持って走り回り、マグロを格納し続けた藍が遂に蹲ってしまう。
「……っ」
抗い切れず、誤魔化し切れない気だるさが背中から重くのしかかる。
そこへフォロー兼差し入れに拓美が訪れた。
差し出されたのはマグロの切り身。ぶつ切りにしょうゆを回しただけの漁師飯。
食欲は妖しかったが、好奇心が勝った。箸を取り、ひとつ頬張って――目を見開いた。
「なにこれ!? 美味しい……っ!」
勇猛な赤色の切り身は舌に乗せるとつるりと溶けてなくなった。
生臭さの代わりに香草のような品の良い香りが鼻を抜ける。
脂は適量、しょうゆと『潮』気が魚本来の旨味を数段上へと引き上げていた。
ごくり、と喉を鳴らす。
これは危険だ。美味しすぎる。放っておかれたらひとりで食べ尽くしてしまう。仲間は他にもいるのだ。
でもあとひとつ、と頬張り、血の気の戻った顔を更に赤らめて、紙皿は漁師の間へ。
片手を合わせてから暁良が箸を構える。際に添えられた山葵を箸先ほど乗せて、いざ賞味。
「っ……ヤバいな、これ……」
想像を軽く、遥か越えた味に舌鼓を打つ。
ごくりと喉を鳴らして、しかし暁良は箸を置いた。この魚、船酔いにも抜群の効果があるようだ。事実、仄かに襲っていた気分の悪さは青空に霧散している。いくら自分たちが次から次へと釣っているとは言え、万一に備えておくに越したことはない。
名残惜しんで紙皿を一瞥する。
残っていた切り身を、箸のポテンシャルを限界突破させて、神削が残りを根こそぎもぐもぐした。
「うん、美味いな」
「 オ イ 」
「捌かれてもカウントしていいよな?」
「……釣果がなくなっちまうゾ?」
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「もう無くなった……だと……!?」
驚嘆を口にしつつマグロを捌く。慣れた手つきではあったが何分急かされ、切り方はやや強引なものになった。それでも切られた端から誰も彼もが手を伸ばしてきたし、船首側に運ばれた紙皿は十数秒後には空になって戻ってきた。やがて船酔いに効果があることが広まると、それを口実にもりもり減るようになった。釣りどころではない。
「だが腐ってもいられん! そら、次ができたぞ!」
「先輩先輩、あーん♪」
「……ん(あーん)」
「おう!(すっ) だが食った分はしっかり釣って帰らんとな!
そうだな、いっぱい釣れたら……ご褒美をやろう」
「御褒美!?」
「例えば、一日命令権、とかな?」
「「 」」
それまで夢見心地で絶品を楽しんでいた両名の目が、このフレーズを聴いた瞬間、戦士のそれに豹変した。
「先輩に褒めてもらうのはボクだからね!!」
「ん、負けない(ごごご)」
「例えばだからな!?」
(「やっぱり仲いいなー」)
切られたてのひとつを頬張って、三ツ矢つづりは膝を曲げた。
「で、豆腐先輩はどうして倒れてるの?」
「あー酔ったな、これは完全に船酔いだな、立てねーわー無理だわー」
「最初に水打ったっきりじゃん。出港前に譲ってもらうって言ってた網は?」
「費用は水着に使っちまったの忘れてたんだよなー」
「あたし一応本作戦の監督なんだけど」
「やっぱあれ着てくれよー参(サン)のサイズ探すのマジで大変だったんだよー」
「麻生さーん、包丁ー」
「あーこれはもうあれしかねえなー(ちらっ)可愛い女の子が(ちらっ)『みゅん語』で(ちらっ)応援(ちらっ)してくれねえと(ちらっ)全く動けねえなー(ちらっ)」
「……ったく」
ぺたんと座り込むつづり。こほん、と喉を整えた。
ちらちらと見ていた白秋の双眸が『その』光景を捉える。
つづりの覚悟が決まった。
「おにいたま「シッ、静かに!」
「ん、やっぱり、気になる」
「すっごい食い込んでるよっ!?」
恵が、水着の値札をヒビキが引っ張られて、暴れている。
タグは例の半透明の切れにくい素材でくくられていた。水色のトップスが背中側に引き寄せられる。必然、豊満かつ瑞々しい恵の胸部は圧迫され、あわや布地から零れるやも、という局面だった。
「なんだあれ、もう完全に秘薬の域だろ……やべえわ、気だるさも胃酸も全部引っ込んだわ……これがあれか、海の幸ってやつか……やべえ、マジでやべえ、海最高過ぎるだろ……。
っと、寝てばかりもいられねえな。参! バケツ取ってくれ!」
振り向いた白秋の顔面を、首まで真っ赤にしたつづりがバケツで打ち抜いた。
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「仲がいい、のよね?」
「素直だよナ、つづり。な?」
「引いてるぜ」
3名に巨大な影が落ちる。
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「――っくしっ! あーもう、また風邪かな……」
肩を怒らせていたつづりは、一転身を縮めていた。
確かな寒気。初めは本当に、患ったそれだと思った。
しかしすぐに表情を強張らせる。
違う。
暗くなる。
振り返る。
視界を埋め尽くすような、赤黒い大穴。
自身とそれの間に、白が飛びだしてきた。
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黒銀の双銃が放った対の光は、突如現れた特大の『カマ』の側面、中央に連続で着弾した。
まったく同じ箇所に恵がハルバートを叩きつける。バン、と肉が弾けた。が、断つには至らない。
それで充分であった。サメの成りをしたディアボロは鼻を振って仰け反り、大袈裟な水しぶきを上げて転覆、海の中に戻っていく。
「ここまでそそられん『ヌシ』も初めてやのぅ」
「そうだねー。美味しくなさそう。潰そっか」
「ん、粉々にする」
「つづりさんっ!!」
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「すまねえ、驚かせちまったか」
違う。
「今日はあたしが監督なの。
生徒に庇われて、生徒に怪我させたなんて、嫌じゃん」
「そいつは悪かった。生憎イケメン名乗ってるもんでな」
じゃあさ。目元を拭う。
「名前だけじゃないとこ、見せてよ」
特効薬であった。
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「三ツ矢さんは無事みたいね。手甲は仕舞って大丈夫みたいよ」
「そのナイフもナ」
「次だ」
海を見詰めたまま、神削が宣言する。
「あれは次の迎撃で仕留めよう」
「同感ね。ところで――」
「引いてるゼ」
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暫く、船上の光景は元に戻っていた。
餌が撒かれて水が打たれ、神削と暁良が捕えたマグロを藍が格納する。
麻夜が釣り上げたマグロを遊夜が捌き、彼女とヒビキの口へ運ぶ。
残りを白秋が船首側へ届け、帰りがけにつづりへちょっかいを出してミドルキックを受ける。
時折湧くディアボロの迎撃はそれぞれの手に因って完璧に成され、釣果は減っては増えてを繰り返した。
休日と見紛うような、忙しなくとも穏やかな時間。
やがて甲板を尖った冷気が席巻した。
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『来るよ!』
4つの釣竿が一斉に下がると同時、船尾側に濃灰色の巨頭が飛びだしてきた。洞穴のような大口は極限まで広げられている。
「いらっしゃい――」
霧を従え遊夜が踊る。
「――さようならだ」
二丁三連六連撃。乱射と呼ばれる精度ながらもこの図体に至近距離、外す方が困難である。内四発が直撃した時には、既にサメ型はありありと怯んでいた。
激痛から逃れるように首を振った先、白秋の狙撃が目元に炸裂した。すぐさま次の射線を確保するべく動く。操縦室は顧みない。
暁良の神速中段突きを下顎に、恵の捩じり込むような突き上げが上顎に受けると、ディアボロの意識は撤退、逃走、海中に向けられる。しかしこれさえも叶わない。音も無く伸びてきた神削の髪が、その巨大な頭をがんがら締めにしていたのである。
サメ型が上げていた音無き悲鳴が、『突如生え伸びた』棒手裏剣に因って更に強まる。
「さて、決めようかね」
「まっかせてー♪」
「ん、問題ない」
放たれた弾丸は種であった。着弾後即発芽、目を背けたくなるような色の蕾を備え、辺りの皮膚を侵食していく。
獣の耳と尾を生やした麻夜が翼を広げる。船を横断するほど肥大化したそれから羽が舞い、杭と成り、ディアボロの頭上より豪雨のように降り注いだ。
そこには額に白角を現したヒビキが紛れていた。振り被られた、身を越える巨大な鉄球が投げ付けられる。これに恵が切り上げを合わせた。ぶちゃり、と潰れた鼻先が水柱を残して青海に沈む。
力なく開け放たれた口内へ、甲板に片膝をついた白秋が榴弾を叩き込む。それが爆ぜる直前、サメの額へ、勢いが満載された暁良の拳と、美しい軌道を描いて飛来した神削の飛び蹴りが炸裂する。強制的に閉ざされた口の中で榴弾は爆発、光と轟音に押し出された肉と歯が頻粉と飛び散った。
それでも口を開いたディアボロの左眼に不可視の棒手裏剣が突き刺さる。
「眠りなさい。この海と、その恵み――返してもらうわよ」
抗うでもなく、頷くでもなく。
さら、と塵になりながら、巨体は海の底へ浸みるように沈んでいった。
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黄色く染まり始めた空の下、第十三久遠丸は港を目指して海を進んでいた。
操縦席の上には大漁旗が掲げられている。格納庫にはマグロがどっさり。平穏を取り戻した海域では、季節が許す限り旬の実りを届けるだろう。
互いの健闘を讃え、拳を合わせる神削と暁良。
ご褒美を強請られ、断腸の思いで麻夜とヒビキへ残りのガムを差し出し、話が違うと突き返される遊夜。
帰路も半ばにも関わらず水着着用を希望する白秋を迎撃するつづりを宥める藍。
仲間らの環から外れ、恵はひとり船首へ。水平線に浮かぶのは久遠ヶ原人工島。
「マグロいっぱい持っていくよーーーっ!!!」
新年度を迎え、数多の期待と希望を含んだそれは、そわそわと浮足立っているように見えた。