●午前
リオをあやしながらイツキに憑りつかれていたつづりは、勢いよく開いた入り口に顔を向けた。
「子供が来たと聞いて来たぜぃ!」
入り口の前で、まるで特撮番組のヒーローのようなポーズを決める麻生 遊夜(
ja1838)。その背後から、
「子供が出来たと聞いて!」
どーん! と現れた来崎 麻夜(
jb0905)が「違う違う違う!」とつづりのツッコミを受けている間に、
「ん、手伝う」
と、麻夜の逆サイドから顔を覗かせたヒビキ・ユーヤ(
jb9420)がこくり、と頷いた。
「こんにちは!」
「わぁ、元気だねー。こんにちはー」
全身全霊でお辞儀したイツキの前に麻夜が出る。つづりは無言で感心していた。すぐ懐かれた物腰も去ることながら、何より目線の合わせ方が自然であった。
口まで出かけた問いに遊夜が先んじる。
「ま、伊達に孤児院運営してねぇさ」
「大丈夫、子供の相手は得意」
「これでもおかーさんだからね!」
えへん、と胸を張る麻夜とヒビキ。
「でも、乳幼児は、いなかった」
無垢と表現できるその眼差しに導かれるようにヒビキが歩み寄った。すると、ふぁ、と泣く一歩手前の表情になってしまう。息を呑んで離れた。
麻夜が倣う。既に兄が懐いているにも関わらず、リオは全く同じ反応を示した。
「おかしい、グズる子はいたけど、普通は触れてから」
「何でだろうね?(じーっ)」
「ん、不思議(じーっ)」
視線はつづりに注がれる。
つづりは甚だ不本意ながら上司が残した仮説を提示した。
「お母さん以上のバストに抵抗を抱くみたいで……」
あまりにも悲しい間が置かれる。
静寂を打ち破ったのは、だー、というリオの声と、ふむ、という遊夜の頷きだった。
「俺なら大丈夫かね?」
つづりからリオを受け取る。手つきには年季とも言えそうな落ち着きと、目に見えるほどの慈愛が満ちていた。
腕に抱き、背中を叩きながら揺らしてみる。
リオは泣かず、ただただ遊夜を見上げていた。
「大丈夫そうやな。
ま、とりあえず世話しつつざっと赤ん坊の一日を講義させてもらおうか。一日とはいえ、おかーさんになったからにはキッチリ努めんとな」
「……はい。よろしくお願いします!」
リオがグズりだした。遊夜の見立てでおむつの交換が必要と判断、つづりと事務室に消えていく。
取り残されたイツキは特に動揺を見せなかった。慣れているようにも、強がっているようにも受け取れた。
麻夜とヒビキは目配せもなく意思疎通を済ませる。関わった子供に悲しい思いをさせない。『おかーさん』としての確たる矜持。
「何して遊ぼうか?」
「本、読む?」
「あそぶ!」
言うなりビシッとポーズを決める。どこかで見たことがあるような、言ってしまえばオーソドックスな、ヒーローらしい構えだった。
「お、それボクも好きだよー。何てタイトルだっけ?」
イツキが元気よく答える。
「え?」
イツキがもう一度元気よく答えた。
麻夜が笑みを貼り付けてヒビキに視線を送る。そのマイナーな作品を麻夜が知らないのは当然とも言えたが、矜持がギブアップを許さない。故の、一縷の望みを掛けたSOSだった。
ヒビキはこくり、と頷いて、
「ん、頑張って」
イツキの応援役に収まった。
麻夜が目を見開くが、ヒビキはこくりと頷いて行動を開始。てきぱきと危なそうな備品をそれとなくイツキから遠ざけていく。イツキを見遣れば、瞳を輝かせて準備万端。
「……――むぅ、ばれちゃった? 流石正義の味方だねー」
「はなしかた、ちがうよ?」
「……お……おほほ?」
がんばれ、おかーさん。
一方、事務室。
遊夜のレクチャーを受けながらおむつの交換に成功、体得したつづりは、引き続き哺乳瓶の取り扱いを教わっていた。「背中を叩いてゲップをさせるなんて、知りませんでした」
「初めてならそんなもんやろ」
「いや、もう腕痛くって」
「ん、抱き方が悪いか?」
「本よりずっと重いですね、赤ちゃんて」
一瞬眉を寄せてから、すぐに笑みを浮かべる。
「緊張し過ぎかもしれんな。子供は相手の気持ちに敏感やからのぅ」
う゛、と言葉に詰まるつづりをもう一度笑い飛ばした。
「気付いたら直せばいい。そうすりゃ安心もしてくれるし、懐いてもくれる。
そういうのを繰り返して、少しずつ互いに成長していくのも子育ての醍醐味であるぜ」
「……ウス」
さて、他に教えられることはあるだろうか。
過去に学んだことを思い返していると、控えめにドアがノックされた。
麻夜はすっごく頑張った。
どのくらい頑張ったかというと、
「キョーッキョッキョ! わてがあんさんの好きにはおましまへんもじゃー!」
原型が無くなってしまうくらい頑張っていた。
知らない題材の情報を遊びながら探り、その都度修正を積み重ねた結果である。ヒビキの応援もありなんとか踏ん張ることができていたが、同じくヒビキの応援を受け続けたイツキのテンションは右肩上がりを続けており、これを察したヒビキが一瞬の隙をついて事務所の扉をノック、遊夜に救援を要請した次第だった。
構えたイツキがビームのSEを口にする。
「うぅー!」
ここぞとばかりに一際大袈裟に倒れる麻夜。その前に遊夜が躍り出た。
「フッフッフ、次は俺が相手をしてやろう!」
低く不気味に、しかしカッコよく整えられた遊夜の声で、イツキの興奮はピークに達する。
楽しんでもらえるのは良い事だが、保護者という立場に在れば同時に懸念も抱いてしまう。
床に伏せた麻夜が遊夜のふくらはぎをつついた。遊夜の指が立つ。
「来るがいい! 決戦は太陽の下で、だ!」
同じポーズで表に向かう遊夜とイツキを見送り、麻夜はヒビキと共にカウンターへ。
お疲れ様、と、つづり。彼女の腕の中から手を伸ばしてきたリオ、その服の乱れを直して、あれ、と麻夜は瞬く。
「泣かれなかったね? ご機嫌かな?」
「抱っこ、できる?」
ヒビキが前かがみになると、リオはつづりの胸に避難した。
味のある顔をしたつづりが、しかし次の瞬間腕を伸ばす。
「おんぶならいけるかも」
つづりの手には、同僚が置いていったおんぶひもが握られていた。
先に背中を向けた麻夜の指導を受けながら、何度も間違えてようやく完成する。
\んふぅー/
「おぉー! 大丈夫だったよー!」
「ん、次、私」
「ふふっ、もうちょっと、もうちょっとだけー」
定刻まで麻夜とヒビキの背を往復するリオは、深夜荘の面々が帰路に着いても、笑顔を絶やさなかった。
●昼過ぎ
遊夜に快勝し、目を擦りだしたイツキを、やはり同僚の私物である布団に誘う。うちわで何度か仰いでいると、やがて健やかな寝息を立て始めた。
「失礼しますよー?」
「どうぞー」
櫟 諏訪(
ja1215)はつづりの腕の中と背後を見てから、声を潜めて手荷物を掲げた。
「そろそろお腹すいた頃かと思って、お弁当を作って持ってきましたよー?」
「ありがとー!」
笑みを深めて前進を始めた諏訪は、背後から現れた赤坂白秋(
ja7030)に追い越されてしまう。
白秋は大股で歩みを進め、ただならぬ雰囲気を感じ取って押し黙るつづりの前に到着。
眠るイツキ、見詰めてくるリオを確認してから、つづりの両肩に手を置いた。
「 今 す ぐ パ パ を 連 「それもうやった」
諏訪は冷蔵庫へ向かう。眠っているイツキの食事を冷やしておく為だ。
リオが手を伸ばしてきたのが見えていた。ミルクと勘違いしたのだろうが、応える為に流し台へ。
「許せねえ……許せねえぞ、断じて許せねえ……ッ!
やけに司書の仕事を頑張ってるなと思ったがこういう事だったんだな……ッ!」
つづりの雰囲気が変わったことを、諏訪は背中で感じ取っていた。
「お前も受け入れてしっかり育てて行こうとしているのかも知れねえ……ッ! そして二人の子供にも一切の罪はねえ……ッ! そうッ! だからパパがッ! パパが許せねえッ! パパを連れて来るんだッ! ぐおおっぐおおおおおおおおおっ!」
「だー」
リオの言葉に溜息を隠すつづり。
「かくかくしかじかで」
「まあ、そんな事だろうと思ったけどな! 参がまさかそんなな! はっはっは!」
「それも、もうやった」
淡々と語られ、視線を逸らされる。
笑みを引っ込めた白秋が待っていると、つづりは重たい口を動かした。
「子供ができないと、あたしは司書の仕事を頑張っちゃいけないんだね」
(「……俺、やっちまったか?」)
(「やってしまいましたねー?」)
諏訪は背中で答えながら考察を続ける。
(「まっすぐ拗ねる参(サン)は珍しいですねー? 相手が赤坂さんだからでしょうかー?」)
なんと言葉をかけようか。
哺乳瓶を拭きながら振り返った諏訪の前でミラクルが起こる。
「だーだ」
リオが振り回したよだれまみれの手が白秋の頬にヒットしたのである。ぺちー。
「イケメンは0歳児にビンタされるのですねー?」
つづりが白秋から顔を背けて震えた。
が、諏訪もリオも止まらない。
「だーぃ(ぺちー)」
「リオちゃんの方がイケメンかも知れませんねー?」
「っ、幼児、に……負けて……っ」
「ばっ……! 俺は世界一のイケ「だーぁ(ぺちちー)」
「自称世界一のイケメン、乳幼児に袋叩き、ですねー?」
「ちょ……見出し……っ」
「だー(ぐいー)」
「はん(参)」
「真顔止めて……っ」
「ほんと、悪かっ「だーい! ぁあーう! ぃあーい!」
「発言力まで負けてしまいましたねー?」
この諏訪の一言でつづりの我慢が限界を突破した。腹から飛び出た笑い声が鬱蒼とした色を吹き飛ばしてしまう。
イツキの寝返りで声を引っ込める。白秋の改めての謝罪に「あたしもごめん」と返し、元通りの仲直り。
子はかすがい、とは思うに留め、諏訪はつづりの隣に屈む。合いの手を入れながら完成させていたミルクと、つづりの弁当を掲げて見せた。
ありがとう、とつづりが受け取る。蓋を開いて、色鮮やかな弁当を目にすると、ミルクに全力で手を伸ばすリオと同じ表情を浮かべた。
「すっごく美味しい!」
「何よりですよー! よければ、これもおやつにどうぞー?」
「ドーナツだ! いい匂いー……!」
「おからで作ってみましたよー?」
「へえー。どこ使ったの?(ちらっ)」
「 誰 が 材 料 だ 」
諏訪が掲げる哺乳瓶はどんどん軽くなっていく。命の力強さを感じずにはいられなかった。
「かわいいよね」
「そうですねー? 自分の子だったらさらに可愛いと感じるのでしょうねー?」
「櫟家に生まれる子なら幸せ者確定だよ」
ごちそうさま、洗って返す。つづりが流しへ向かおうとするとリオがもぞもぞと身をくねらせた。
リオは苦笑いするつづりの腕の中へ。弁当箱は微笑みを浮かべる諏訪の手の中に。
立ち上がったつづりの肩に白秋が腕を回す。きょとん、と2対に見詰められた白秋はイケメン力で歯を光らせた。
「こうしてると、俺達新婚さ「だーぉ(ぐいー)」
「将来メイド服着せそうなお父さんはやだってさー」
共食いだー、と、つづりが白秋にドーナツを突き出した。
●夕方
陽が暮れ始めた頃、頭に青毛のヒリュウ――チビを乗せた久瀬 悠人(
jb0684)が入室した。
リオは布団の中で眠っており、イツキは床に座り込んだつづりにしがみついていて、つづりはイツキに、諏訪が差し入れた弁当の唐揚げを食べさせていた。
「ちょっと見ない間に全く成長してないな」
「何のことっていうかどこのことを言ってんスか。チビちゃんの視線が胸に刺さるんスけど」
悠人は特にチビを咎めず、最も近くの椅子に腰を降ろした。
頬に空気を入れたつづりが差し出したブロッコリーのツナマヨ焼きをイツキが啄む。
「三ツ矢」
「はい」
「寝ていいか」
「ちょ――」
悠人はテーブルに突っ伏した。チビがいくら頬を引っ張っても行動を改める様子は無い。
肩を竦めたつづりにイツキが一層抱き付いた。
見詰めてくるチビに微笑んで見せ、つづりはイツキの頭を撫でる。
おかあさんは?
すぐ戻ってくるって。
おかあさんにあいたい。
お母さんもそう思ってるよ。
おかあさんにあいたい!
出番だ、行け。
悠人に投げられたチビが、イツキの目の前で急ブレーキを掛けた。辛うじて接触は免れたが、両者はここでようやく邂逅を果たす。
首を傾げるチビを見て、イツキの目が一気に輝きを取り戻した。恐る恐る手を伸ばし、チビを捕まえると、無言ながらも頬を赤らめてチビ『で』遊び始める。ぐにぐに。
「危なくなったら止めろよ。図書館壊したり怪我させたりしたら俺達がぶっ壊されるぞ」
「キィィ……ッ!」
「すいません、助かりました」
悠人は何も言わず、腕で作った枕に潜った。
つづりはそっとイツキの隣を離れ、彼とチビを眺めながら、リオをうちわでゆっくり仰ぐ。
やがて、母親が戻ってきた。
任務は辛勝。母親は体のあちこちには決して軽くない傷を負っていたが、それをまるで感じさせず子供たちの許に駆け寄ってきた。イツキが抱き付き、母親が受け止める。
目を覚ましたリオが泣く。つづりが抱え上げ、屈むのも困難な母親に抱かせると、リオはすぐに泣き止んだ。
母親が頭を下げる。ごめんなさい、大変だったでしょう。
「みんなが手伝ってくれましたから。ふたりとも、とってもいい子でしたよ。
任務お疲れ様でした。どうぞ、お大事にしてください」
ばいばい、おねえちゃん。イツキが手を振る。
あやふやな言葉を出しながらリオが手を伸ばす。
本当にありがとう。頭を深く下げた母親が扉の向こうに消えて行った。
ドアが閉まる音を聴いてから悠人が顔を上げる。
つづりは扉を見詰めて立ち尽くしていた。
「独り言、なんですけど」
「おう」
「ちょっと、寂しいです」
「そうか」
「ウス」
「俺も独り言、いいか」
「どぞ」
「お前、凄いわ」
悠人の視線は壁際の棚に流れる。幾つも並ぶファイルには作成者の名前が貼られていた。上司や同僚のものに比べて、つづりの名前は圧倒的に多い。
「その歳で司書の仕事頑張ってるから、凄い。ちゃんと板に付くくらい頑張ってるから、凄い。
バイト時代と比べて精神面が大人になったのかもな。だからあの人もお前に頼んだんだ」
首を振られたが、構わず続けた。
「元々俺なんかよりしっかりしてるからだろうけど、お前を見てると、俺も将来決めなきゃなって思う。
なんかあった時は相談乗ってくれよ、三ツ矢司書さん」
つづりが振り返る。
「……なんだその超気味悪い物を見たような顔」
「だって、いきなり褒められたから……」
「俺だってたまにはマトモなこと言うぞ眠い」
「寝言にしないでくださいよー!!」
物理的に抗議される前にチビを投げた。受け止めたつづりがまったくもう、と頬を膨らませる。
「一眠りしたら図書館閉めますからねー」
「おう」
それから表情を引き締めた。
「ありがとうございます。頑張ります、あたし」
「おう」
顔を上げない悠人に代わり、キィ、とチビがつづりを労った。