●12:00 図書館
「……はい。いえ、こちらこそ、これからもよろしくお願いします」
深く頭を下げ、三ツ矢つづりが受話器を置く。
「……どうだったっ?」
カウンターにかじりついた大山恵を筆頭に、椅子に掛けた月詠 神削(
ja5265)、カウンターに寄りかかる赤坂白秋(
ja7030)、壁の前にちょこんと座る黒夜(
jb0668)が固唾を飲んで言葉を待つ。
つづりは顔を上げないまま、申し訳なさそうに結果を伝えた。
『司書技能能力検定』
三ツ矢つづり、合格。
五所川原合歓、不合格。
「……おめでとうっ?」
おっかなびっくりの恵の祝辞に、結われた栗色の髪が力なく揺れる。
「この結果じゃ、千陰の指導は評価されないから。あたしが頑張っただけってことになっちゃう。
ふたりして合格しないと、意味ないよ」
はなを啜り、つづりは顔を天井まで上げた。
「おっかしーなー。伍(ウー)も頑張って勉強してたし、試験後の自己採点も悪くなかったんだけどなー」
悔しいな、と続く。
つづりの瞳に涙を見て、恵が慌てて更に身を乗り出した。
「で、でもさっ! もうひとつの方は受かってるかもしれないよっ!?」
黒夜が目を見開いた。
神削と白秋が僅かずつ顔を歪める。
そこから一拍置いて、つづりの首が恵に向いた。
「難しい試験を一度にふたつも受けるなんて、ボクだったらパンクしちゃうよっ! だからさっ、あんまり――」
「何それ」
「えっ?」
「もうひとつ、って、何?」
「……司書さん、知らなかったのっ?」
「ちょっと待ってよ……」
糸が切れたように、つづりが椅子に墜落する。
「……みんなも知ってたの?」
「いや、ウチは……」
困惑する黒夜に対し、神削は組んだ手に視線を落としたまま動かず、白秋は肩を使って息を吐き、そしてどちらも、おろおろとあちこちを見回す恵に取り合わなかった。
「最悪」
呟き、つづりは、椅子の上で蹲ってしまう。
「おっぱいって、二つあるからおっぱいだよな」
何を言っているんだこの人は、という顔になる黒夜だったが、思い返せば普段どおり、そして『いつもどおり』なのだろう、と身を引いた。
その隣、今にも掴みかかろうとしていた恵の肩に、神削が強く手を置く。
顔を耳元に近づけた。小さな声で己の考えを伝え、最後に、参(サン)を頼む、と強く念を押す。
「出てって」
「お前には、伍が半身みたいなもんなのかも知れないけどな」
「出てってよ」
「……あのな、参」
「うるさい!! 出てってよ!!!」
顔を上げ、涙越しに睨む。
白秋は努めて冷静に告げた。
「今感じてるその気持ちを、これまで伍は、ずっと感じて来たのかも知れないぜ」
つづりが口を閉ざす。
「ここでの想い出は必ずしも、あいつと一緒だったわけじゃない筈だ。
お前が風邪を引いた時、でかい猫に攫われた時、伍は伍の時間を過ごしてた。
その中で、あいつもお前みたいに、『何か』を見つけた、ってことだ」
「何か……?」
「教えてやってもいいが……聞きたくないって顔してるぜ」
つづりは唇を突き出して、一度大きくはなをすすり、抱えた膝に顔を埋めてしまう。
普段よりも一回り小さく見えるつづりの頭に、白秋はこの上なく優しく手を置いた。
「何を聴いてもすぐには受け止めらんねえだろうが、時間かけりゃ、ちゃんと呑み込めるよな」
言い残し、白秋がカウンターを離れる。
つづりは呼び止めようとするが、神削の歩みを見て、今が昼休みだと思い出し、再び強く俯いた。
神削、白秋に続き、出口に差し掛かった黒夜が足を止め、振り返る。
「言いたいこと、きちんと伍に言えよ。悲しいとか悔しいとか、自分の気持ちは言わねーと伝わらねー」
つづりは顔を上げない。
「今回の結果は変わらねー。だが、自己採点で合格ラインに到達するくらい伍は頑張ってたんだろ。
それを見てたんだろ。もし嫌々やってたなら努力なんかしねー。
そういうの、全部なかったことにするなよ」
黒夜が図書館を後にする。
●12:03 大喫煙所
背後のアクリルが軽い調子でノックされた。小日向千陰が顔を上げ、ライターを降ろして手を挙げる。狗月 暁良(
ja8545)は仕草を真似た。
「吸い過ぎは身体に悪いゼ、お嬢サン」
「心の健康にはこれが一番、なんて」
鼻を鳴らす暁良。視線の先には、全て同じフィルターで作られた吸い殻の山。
「なンか悩み事?」
千陰は弱々しく笑った。観念、という有り様。「判る?」
「一目リョーゼン。ノックアウト寸前ってトコだナ」
暁良が脚を組み替える。
「昼飯なら、今日はBランチ一択だゼ」
「残念ながら煙しか喉を通らないのよねーん」
あっさり外してしまい、暁良は腕を組んで思案。やがて、
「……あぁ、合格発表日だったナ」
ぽつり、と零すと、隣で火が灯った。
「結果、聞いた?」
暁良が首を振ると、千陰は紫煙を吐いて固まってしまう。そこに躊躇いを見つけた暁良は、彼女の肩に肘を置き、頬を軽く指で弾いた。
「悩むような事態ができたンなら愚痴ってみても構わないゼ? 頭ン中で考え込むよりは言葉にだしちまう方が纏まる考えもあるしさ」
「……長くなるわよ?」
「ドーゾ」
即答して姿勢を直すと、千陰は背凭れに仰け反り、胸中を打ち明け始めた。
●12:06 蔦邑の個室
(「休憩は13時までだったかしら」)
神経質に施錠を確かめ、蔦邑が出立する。
●12:10 テラス
「良いじゃねぇか」
口で強く弧を描き、髪をわしゃわしゃと撫でてやると、五所川原合歓はくすぐったそうに目を細めた。
程なく久我 常久(
ja7273)は手を引っ込める。視線を落とした先、テーブルの上には、『児童保護施設管理技能検定合格証書』と、『司書技能能力検定』の問題用紙。ところどころ読み取りにくい部分はあるものの、悩みながらであろう書き込みが施されていた。
最後のページ、右上には解答に関係のない記述がある。
小さく、戸惑いがちに書かれた『ごうかく?』。
そのすぐ隣には綺麗で豪快な文字で『合格!!!』。
「――良かった、かな……」
「良くねぇな。いっぱい謝らないとな」
一転、諭すような物言いに、合歓が無言で目線を送ってくる。
「お前さんはよく頑張った。落ち込んでいいくらい頑張った。
だがこうなっちまった以上、つづりちゃんはもっと落ち込んでる。それはお前さんを仲間だと、家族だと思ってるからだ」
合歓はきゅ、と肩をすぼめた。
「2つ受かってたら問題無かっただろうが……先ずはつづりちゃんの気持ちになってやれ。この結果が一番辛くて、この結果に一番悲しんでるのは、きっとあいつだ」
こくん、と頷く。
「年上のお前さんは誠意を見せなきゃならん。
思いは言葉にしてナンボだ。でもな、それは相手を想ってこそだ。
ワシの言ってること、わかるな」
こくん、と頷いた。
軽く屈み、顔を覗き込む。そこに涙はなかった。膝の上に組んだ手へ注がれる眼差しは定まっている。
もう一度頭を撫でた。先程よりも短く、しかし強く。
「ちょいと用があるから、ワシは行くぞ。あぁ、問題用紙借りてもいいか?」
「――うん」
「悪ぃ、助かるわ。じゃ、また後でな」
肩を叩いて席を立つ。
遠のいていく大きな背中を、合歓は無言で見送っていた。それが校舎に呑みこまれると同時、
「隣、いいか?」
神削が席に着く。
●12:14 市川の個室
首元を抑えたナナシ(
jb3008)が扉を開けると、正面のテーブルに市川は掛け、大きな窓の外を眺めていた。
足を揃えて頭を下げ、扉を閉めて、彼の前へ。
「結果は聞いたかね」
「はい」
白秋から寄せられたメールは、簡潔に現実を語っていた。
「あの二人の勉強を見てくれていたのだろう? 済まなかったね。私と小日向の力不足だ」
「そのことでお話があります」
市川がゆっくりと体の向きを直す。ナナシはあごを引いて立ち尽くしていた。
「五所川原さんの答案を見せていただきたいのですが」
「何故かね」
「重点的に復習するべき個所を確認する為です」
「生憎だが、ここには無い。管轄は彼女だ」
彼女とは、言わずもがな蔦邑(つたむら)を指す。名についてはここでは割愛する。
「採点も彼女の管轄だと伺いました」
「そうだ。彼女の部下が行い、結果を主催者側へ送信、本日結果が返ってきた。覆らないよ」
先回りを装った鎌掛けだった。
ナナシは退かない。
「答案は今どこにありますか」
「何故それを求めるのかね」
「私、占いや運命は信じないのですが……自分のこの『カン』だけは信じることにしているんです」
首元に直接手を添えたのに、違和感はまるで消えない。
市川の唇から吐息が漏れた。
「自分の勘だけを信じて、私に同僚を疑えと言うのかね。それが何を意味するか、判らない君ではあるまい」
「なら、倍付けでどうだ?」
扉を最低限だけ開けて入室してきたのは、何処か獣を連想させる長身の男。
「赤坂君、だったかな」
「どうも」
白秋は大股で進むと、ナナシに並び、彼女の背を叩いた。
「全面的に同意だ」
「まさかとは思うが、君も勘と言うのではないだろうね」
「入るぜー」
三度扉が開く。入ってきたのは恰幅の良い老婆。眉間を狭める市川の目の前で、老婆は声と合致する見慣れた彼へと姿を『戻す』。
「なんだ、大勢いやがるな」
「よぉ」
「久我さん『も』?」
「ナナシちゃんも『そう』思うか?」
頭を抱える市川の前で、ナナシの隣に常久が並ぶ。
「君もかね」
「話は進んでるみてぇだな。繰り返しになっちまうかもしれねぇが、確認したいことがある」
市川が視線で促すと、常久は頬を引き締めた。
「千陰ちゃんと『あいつ』の間には、昔何があったんだ?」
●12:19 大喫煙所外
「――って感じだったな、参は」
「でーすーよーねー」
千陰がアクリルに後頭部を打ち付ける。千陰と暁良は外、コンクリートの上に腰を降ろしていた。黒夜は千陰の膝の上である。
あごに手を当てて唸っていた暁良は、
「結果は結果だからナ……俺はなンともだけれど、落ち込ンでたら励ましてやれ、喜ンでたら祝ってやれ、喧嘩するようなら仲裁してやれ、それが先生の先生たる役割だろ?」
と、肩で小突いた。
千陰が耳の下を掻く。
「……言葉が見つからない、って言ったら、笑う?」
「笑わネーけド、当たり前だナ。俺は合歓じゃネーし、黒夜もつづりじゃネーからナ」
「だな。別に、言葉で言う必要もねーし」
黒夜が便乗すると、千陰は彼女の髪に額を擦りつけてきた。暁良が鼻を鳴らす。何ビビってンだか。
「あーあ、せめて担当が蔦邑じゃなかったらなー」
「蔦邑……」
そういえば、と、黒夜が千陰を振り切って見上げる。
「なんであんな険悪なんだ?」
千陰の表情から明度が消え失せ、その上にすぐ、笑みが貼り付けられた。
「あいつが『私たち』のファンだったからよ」
「ファン?」
「そ。あいつは私が学生の頃、市川さんと同じくらい目を掛けてくれてたの。
無敵って言ってくれてたのに、『私が』『あの』失敗してからは落ちこぼれって言ってくるようになってねー」
●12:23 市川の個室
「小日向らに対する執着は私を越えていた。だからこそあの惨敗が許せなかったのだろう。あの結果を招いたのが小日向の判断だと思い込み、未だに許せていないのだと、私はそう思っている」
「今度こそ確信に変わったぜ」
「動機は充分だと思います」
「三ツ矢と五所川原に試験を提示し、わざと落とすことで彼女達と小日向の評価を下げようとした、と。
如何な私情があるといえ、一職員がそこまでしていた、と」
「そんなもんで済めばいいけどな」
「『カン』を信じろとも、蔦邑さんを疑えとも言いません。
どうか、もう少しだけ、五所川原さんを信じてもらえませんか」
「そうだ。ワシらと一緒に、だ」
常久が広げたのは、合歓から預かった問題用紙。開いたページ、右上に寄り添う掛け合いに、市川は唸り込む。
「頼む」
白秋はテーブルに両手を置き、頭を下げた。
「あいつらが本気でやったなら、俺も、俺にできることは全部やってやりてえ」
「お願いします」
ナナシも腰を折った。
そこに常久の頷きが加われば、もう市川に選択の余地は無い。
「……判った」
白秋とナナシが跳ねるように頭を上げる。
市川の表情は重く曇ったままだった。
「先ずはプランを聴こう」
「あいつらの知らない所で処理してもらいてぇ。ワシらの望みは憎しみを助長させる事じゃねぇからな」
常久の食い気味の言葉に、白秋とナナシも同意する。
「処理してもらう『何か』は、私達がこれから探します」
「探すなら蔦邑の個室だろうが……」
「こんな時の為に、普段から授業はバッチリ受けてるもんでな」
「……まあ、いいだろう。
では、私からもひとつ条件がある」
●12:27 大喫煙所外
千陰はぼうっと霞が掛かった空を眺めていた。倣っていた暁良の耳が小刻みな振動音を拾う。
「御指名だゼ」
「休憩中なう」
「つづりか合歓ってコトは?」
「あの2人からの着信は音が出るようにしてあるの」
「大事にしてんのな」
黒夜の言葉は少し冷たい。千陰がほっぺたをぷにぷにすると、やんわりと首を振った。
「……小日向が因縁のヴァニタスと決着つけた時、もしウチがあの場にいたら、どうなってたかな」
暁良が帽子を深めに被り直す。
「助けになれたかもしれないし、最悪の結果になってたかもしれない」
千陰は何も言わない。
「けど、『もし』は仮定のままで、実際に起こったことが良くも悪くも最大限の結果だったら。
過去に起きた最大限の結果をもっといいものにするには、動くしかねーだろ。
小日向は『そう』したんだろ?」
「私自身のこと、だったからね」
「そんな逃げ方するな。大事に想ってるんだろ。でもそれはあの2人もだ。
参な、伍が試験駄目だったことで落ち込んでた。伍が別の試験を受けてたって知って凹んでた。
でもその前に、これじゃ小日向の評価が上がらないって、悔しがってたんだ」
春風がひとつ。
「参と伍を保護したのは、もしかしたら誰でもよかったのかもしれねー。
けど、小日向が保護したから、今の2人がいる。
違うか?」
頭上で溜息が零れた。
長いのに重くないそれに合わせて、両の肩からするすると腕が滑ってくる。それが腰まで至り、背中が彼女の全てを支えると同時、背後で会話が始まった。
「どうよ、私の自慢の妹分は」
「妹?」暁良が瞳を覗かせる。「姉の間違いダろ?」
千陰は笑い、腕に更に力を込める。
「駄目ね、私は。この歳になってもまだ、教えてもらってばっかりだわ」
「まあ、一回り以上年上の小日向たたたたた」
「ほーら、姉フェイスロックよー」
「さっき自分で歳をネタにしてタろ?」
木漏れ日の中、笑い声(と、悲鳴)が混ざり合う。
それは唐突に止まった。
真っ先に潜めたのは千陰。次いで、彼女の視線を追った暁良も息を呑む。
派手な色のスーツを着た女が、柱の陰に消えていく。
「ちょっと、行ってくるわね」
千陰が立ち上がる。決意に満ちたその背を、
「頑張って来い」
暁良が力強く後押しした。
●12:30
(「あの様子では望み薄、かしら。あんな女のどこがそんなにいいのだか。
ともかく、巡回がてら一度確認しておきましょうか。
他にも接触している者がいるとしたら、じっとしているはずがないものね」)
一路、自室へ。
●12:32 テラス
神削は辛抱強く待った。
常久が彼女に何を告げたかは判らない。だが、彼女の為にならないことであるはずがない。伏せられた合歓の眼差しが、何よりの裏付けとなっていた。
それがついに神削に向けられる。表情は一回り大人びて見えた。
「……図書館で結果を聴いた」
つづりの状態を伝えると、合歓は唇を絞った。
「――謝る。ちゃんと」
目を逸らさずに言ってきた。
「どうして、2種類同時に受験するなんて無茶をしたんだ?」
「――そういう決まりだったから。同時にだったら受験させてあげるって、蔦邑さんが」
「俺は、伍の夢は応援する。……きっかけも、知らないわけじゃないし。
でも今回は、司書技能検定を優先するべきだった、かもな」
「――そう、かな。うん、そうなのかな」
添えた指を僅かに動かして。
「訊いても、いいか。
どうしてそこまで、想いが強くなってしまったかを」
合歓の告白が始まる。
●12:34 蔦邑の個室
極端に人通りの少ない廊下であった。窓のすぐ外には広葉樹が生い茂り、照明が灯っているにも関わらず暗く、木漏れ日が水底を思わせるように揺らめいている。
白秋と常久が左右を注視する。両名の間で、ナナシが扉にスマートフォンを滑り込ませた。先端を突きぬけさせ、舐めるような動きで回転させていく。手前に残った半分の画面には室内の様子が映っていた。
「あったわ」
葉が擦れるほどの声量で告げる。白秋と常久が覗き込むと、奥の棚の上に、健気に撮影を続けるカメラの姿。
「7秒後に壁から入るわ。タイミングを合わせて」
言いながらナナシは隣の部屋に溶け込んでいく。
常久が見張りを続け、白秋は急ピッチで開錠を始めた。これがまた面倒な作りで。
「授業はバッチリなんだろ?」
「レディのハートに比べりゃ、こんなもんはな」
がちゃり。
鍵穴が鳴ってから2カウント後、音を立てず扉を開け、侵入する。がらがらがら。
カメラを俯せに寝かせたナナシが部屋の左側にある棚を調べ、常久は同じ方角を入り口側から確認、白秋は右側を指さして調査していく。
どの棚のいずれのファイルにも、中身を示したラベルが同じフォントで寸分違わぬ位置に貼られていた。だが『調べ易い』としても量が膨大。もし単独で侵入していたとしたら相応の時間を有していたことだろう。
時間は有限である。そして蔦邑の位置を把握していない一同には、どれほど有限なのかが判らない。つぶさに眺め、それらしいものを発見できなかったナナシは、部屋の奥、蔦邑のデスクを調べ始めた。
ありがちな作りだった。椅子の横、小中大と重なった引き出しを上から開けて、閉めていく。これといった物が見つけられないまま、椅子の直上、横広の引き出しに手を掛けた。開かない。力を込めた指に鍵穴が当たった。
盤側から両手を侵入させる。紙らしき手触りがあるが、数が多い。形状からスマートフォンでの調査は困難だろう。
「赤坂さん」
白秋は足音も立てずひらりと机に駆け寄った。
促されるまま屈み、鍵穴を確認、手を添える。数瞬後、かち、と音がして、引き出しの抵抗は無くなった。
手前へ招く。
首筋が再び粟立った。
一番上に大きな封筒が鎮座していた。表面には何も書かれておらず、口は糊付けされている。
ナナシは『指で中身を摘んで、引き抜いた』。
出てきたのは、片側を止められた上質な2枚つづりの紙
が
『4組』。
司書技能能力検定 ゴショガワラ ネム
司書技能能力検定 ミツヤ ツヅリ
児童保護施設管理技能検定 ゴショガワラ ネム
司書技能能力検定 ゴショガワラ ネム
「え……?」
「あら?」
ガラガラガラガラガラ――ッ!!!
●12:35 テラス
ずっと怖かったのだと、合歓は言った。
不甲斐無い自分に対して、自分の進むべき道を探し出し、歩いていくつづり。
あんなに非道いことをしたのに、受け入れてくれた千陰や皆。
入れて貰えた環の中で、自分だけがずっと、とても場違いだと思っていた。
司書になってからも消えない不安を、どうにかして払拭したかったのだと言った。
想いだけでなく、『ちゃんと』隣にいられるように、共にいられるように、成長したかったのだと言った。
いつしか抱いていた夢を、あらゆる意味で、きちんと目を見て語れるようになりたかったと言った。
だから挑戦したのだと声を張って、でも駄目だった、と俯いた。
「――胸、張りたくて、頑張ったんだけどな」
指を動かし、通話を終える。
「――ありがとう。判った。やっぱり、私の所為だ」
神削の胸中には僅かな悔恨。
「――私が、全部……」
「もういい。もう、いいんだ」
「お」
「あ」
黒夜と暁良が通りかかる。
神削は平静を装い、合歓は慌てて顔を拭った。
「喧嘩、ってわけじゃねーよな」
「合歓が神削の昼飯も食ったけド足りネー、とか?」
「――「違う」よ」
また外したか。肩を竦めた暁良が合歓にサンドイッチを放る。
「俺らのオゴリだ。それ食ったラつづりのとこ行こうゼ」
「――え……」
「合格の御祝イ。どうせまだなんダろ?」
今度は当たった。
●12:37 蔦邑の個室
「そこで何をしているの」
「落ちた方の指導に使うから答案を探して来いって市川さんに言われてな。電話したけどあんた出ねえから、悪いが強硬手段に出させてもらったぜ」
市川の用意したシナリオである。万が一の時は私を隠れ蓑にするように。共同戦線を結ぶ為の最低条件だった。
(「こうなる前に済ませたかったけどな……ま、出るもん出た後だ」)
(「嘘、でしょうね。優しすぎるわよ、市川」)
(「沈黙はよくねぇな。考える時間を与えちまう」)
(「させないわ」)
「五所川原の名前が二つあるのですが」
「片方はマークシートの機械の動作確認に使った物よ」
白秋が鼻で唸った。
「動作確認の用紙に受験者の名前を書くかよ?」
「私は再三注意したのだけれど、部下の手違いでね」
「合歓ちゃんの答案と混ざっちまうだろ」
「試験を監督していた者がいたわ。採点は試験直後に行われた。混ざった可能性は低いでしょうね」
「ゼロじゃねぇんだな」
「記述式のところまで書いてあるのは何故ですか?」
「採点の練習に使わせたの。不可欠な工程よ」
「……もう片方と似たような字で?」
「たまたま似た筆跡だったのでしょうね。偶然とは恐ろしいわ」
「重なり過ぎだぜ、あんたの都合のいい方にな」
「で、どっちが合歓ちゃんの答案なんだ?」
「さあぁ?」
蔦邑は肩を竦めた。
「まとめるときに混ざってしまって。区別しようにも字が似ているから」
「監督不行き届きじゃねぇのか」
「終わった試験の答案よ。無事に結果も出たのだし、構わないわよね」
「構わないわけがねえだろうが」
「勝手に終わらせるんじゃねぇよ」
「あの2人がどんな覚悟でこの試験に挑んだと思ってるの!!」
「私情で結果は変わらないわ。
さあ、気が済んだのなら――」
「失礼しまーす」
入り口でぺこりと頭を下げた千陰が、顔を上げた目を丸くした。
「小日向さん!?」
(「来ちまった、か……」)
「みんな、何してるの?」
ナナシが要点のみを伝えると、千陰はたははと苦笑いして答案を見比べた。
食ってかかられるか。掴みかかってくるならそれもよし。
蔦邑がシミュレーションを半ばまで終えた時、
「こっちですよ」
千陰がぴろ、と片方を持ち上げた。
「……得点のいい方でも選んだのかしら?」
「問題用紙持ってませんし。
五所川原、ずっと間違えてる文字があるんですよ。ほらここ、突き貫けてて、右をハネさせてる。
間違いないです」
蔦邑はつまらなそうに溜息をついた。
「……何かあれば、市川を通して連絡するように」
「みんな、行きましょう。とりあえず市川さんのとこね。
あ、三ツ矢の答案もお預かりしますね」
一同を千陰が煽り、退室させていく。
しかし、彼女が退室する瞬間には僅かなラグがあった。
この時交わされた言葉は、最後尾にいた常久だけが聞いていた。
「狙うなら私だけにしろ」
「失せなさい、ヤニ臭いのよ」
●12:46 市川の個室
受話器は力なく置かれた。
「蔦邑からだったよ。児童保護の試験について確認したところ、『過失』は一切ない、とのことだ。万が一のときは筆跡鑑定を含めた手続きも用意する、と言っている」
「信用していいのか?」
「敗北宣言と見ていいだろう。
動かぬ証拠を残していて、あっさりと渡してきたということは、バレることはある程度織り込み済みか。『やり方』に因っては黙らせることもできるかも知れないが……部下を盾にして逃げ切る算段だろう。
まあ今回の件で、例の転移装置無断使用については黙らせることができる。同じ部下の不始末、ということでね」
不本意だが、と足す。
視線を伸ばした先では、白秋とナナシに寄り添われた千陰が大急ぎで採点を行っている。
「ちょいちょい問題用紙の記入と食い違ってんな……」
「同時に試験を受けたんだもの、焦りもあったんでしょうね」
「結局、千陰ちゃんは巻き込んじまったなぁ」
「こればかりは仕方がない、不可抗力というものだ。だが悪いことばかりでもない。小日向でなければ瞬時に答案を判断できたかどうか。結果についても、修了者である小日向が臨めば早急に説得力のあるものが出せる。無論、君たちが蔦邑を出し抜き、あの証拠を発見してくれたからだよ」
「あとは結果が出てくれりゃあ、か」
ペンが置かれる。3名は答案を見比べて、例外なく、難しい顔を浮かべた。
「はー……こういう結果かよ」
「うーーーん……小日向さん、任せていい?」
「そうね、結果は結果だものね……」
千陰が両手で短い黒髪をかき混ぜる。
●12:50 図書館
一同は合歓を先頭にして入館した。
カウンターから恵が曖昧な笑みを向けてくる。
彼女の隣、つづりは俯いたままだった。
(「10カウント後、って感じだナ」)
(「そうそう呑み込めねーよ」)
(「しっかりな、伍……」)
暁良と黒夜、神削がそれぞれ距離を取る中、合歓がカウンター前に進む。
「――ごめんなさい」
合歓は深く頭を下げた。
二度目の告白が始まる。
合歓の言葉は、より真っ直ぐ相手に届くよう推敲されていた。
合歓の言葉を、つづりはより落ち着いた状態で聴くことができた。
齟齬や矛盾は見当たらない。嘘や偽りでないことは様子を見れば一目で判った。
「――ごめん。……ごめんなさい」
「伍の気持ちは、わかった。あたしも気付けなくて、ごめん」
カウンターを挟み、2人は互いを見詰め合う。つづりが内側、合歓が外。
「……ごめん、伍。それでもやっぱりあたし……あたし――!」
「よう、お揃いだな」
扉を開け、白秋、常久、ナナシ、そして千陰が入館してくる。
つづりは、軽口を叩いた白秋を含め、一同の神妙な面持ちに息を呑む。
彼女の思考を先回りしてナナシが口を動かした。
「今回の試験で採点ミスが見つかったんですって」
「え……?」
「ふゥん?」
「は……?」
入館者に対し、司書見習い共の反応は鈍い。俯いた上司の表情が、硬く歪んだまま変わらないからだ。
「まさか――」
最悪の展開がつづりの脳裏を過ぎる。
合歓だけでなく、自分も落ちていたのではないか。
だとしたら、自分たちのこの一年は――
「ああ、いや」
ぱたぱたと千陰が手を振る。
「参も伍も合格だったんだけどね」
「――「え?」」
目を見開く司書見習いsに、千陰は、この試験に隠された最後の真実を告げた。
「伍の方が点数良かったの」
「――「……は?」」
硬直する両者に挙手が被る。千陰が指した。はい恵さん。
「どのくらいっ?」
(「そこ訊くかヨ」)
「合格ラインを70点とすると、参が82点、伍が96点くらい」
(「答えんのな……」)
「すごいよ白い髪の司書さんむぐっ」
「大山! そのくらいで……そのくらいで頼む!」
恵の口を無理矢理塞いだ神削が、カウンターから彼女を引きずり出す。
「――あ、の」合歓が声を荒げた。「……もういっこの、方、は……?」
「問題無かったらしいぞ。安心しな」
常久が歯を見せて笑うと、合歓の顔『は』ようやく綻びた。
「――じゃあ!」
「難しい試験を一緒に受けて両方合格した伍よりあたしの方が点数低かった……?」
「どーーーするのよこの雰囲気! 点数まで言う必要はなかったでしょ!?」
「だってナナシさんが任せるって言ったから!」
「任せたのは言い方で範囲じゃないわ! 判断も雑! アラサーなんだからもっとしっかりしなさい!」
「フッ。そうよね私なんて下っ腹出てきたし疲れは残るし化粧の乗りは悪いし」
「え、ちょ、どうしてそうなるのよ。ご、ごめんなさい小日向さん。えっと、ファイト」
蹲る千陰と寄り添うナナシをイケメンが軽やかに跳び越える。
「合格は合格だ! そうだろ、参!」
「で……も……」
「これは点数が重要な試験じゃねえ。そして点数を競う間柄でもねえ。そうだろ、参!」
栗色の髪にポン、と手を置いて、
「親友が一世一代の大勝負に勝ったんだぜ、言う事はねえかよ、参!」
「……ある……あーるーけーどー!!!」
「――私も……!」
「おっと、場所が違うんじゃネーかな?」
身を乗り出した合歓の背を暁良が押す。つんのめった彼女が着地したのはカウンターの内側。
戻ってきた神削が、おっ、と笑みを浮かべた。
「画になってるぞ、ふたりとも。どこから見ても『司書さん』だ」
それでも硬直し続けていたつづりの手を、同僚のそれが優しく包み込む。
「――やったね」
「やった……けどぉ……!」
「――うん」
「けどぉ……けど! 仕事はあたしのがいっぱいやってるし! だから……だから……!」
「――うん」
「孤児院の方の邪魔にならないくらいで、仕事、いっぱい回すから!」
「――うん、頑張る。頑張ろうね、参。合格、おめでと」
「先に言うなバカあああ!! 合格おめでとお!!!」
抱き合う司書ら。
ふたりの頭をまとめて撫でて、ぱん、と暁良が手を鳴らす。
「合格祝い、やろうゼ」
「お、いいな、それ」
「ついでに挙式するか、参!」
「(無視)あたしもお祝いする!」
「――うん! 私も!」
「ボクもっ!」
「ってコトなんだけド、いいかな、センセー?」
「それが、まだ立ち直らないの」
「起きろ小日向、仕事全部持ってかれるぞ」
「助かるけどいーやーだー!!」
「あんまり騒ぐと、また市川の胃薬代が増えちまうぞ」
言いながらも、常久は相好を崩した。
何の気なしに表を眺めると、しかし、その頬は一息で引き締まる。
季節外れの陽炎の中、場に不釣り合いな派手な色が、景色に溶け込み、消えていった。