●
「もう大丈夫です」
目線を合わせた御堂・玲獅(
ja0388)が男の子の脚に手を添える。酷い怪我ではあった。恐らく逃げ出した誰かに巻き込まれてしまったのだろう。悲劇を嘆いている時などあるはずもない。
手を添え、光を送る。傷はすぐに狭くなりだした。子供たちの表情には安堵と共に、幾らかの混乱が滲む。
喉をひきつらせた女の子の頭に、赤坂白秋(
ja7030)がポン、と手を置く。
「任せな、レディのエスコートは心得てるさ」
男の子の肩には黒夜(
jb0668)が。
「やる。後で食べろ」
もう片手で強引に銀色の包みを握らせる。
「行きましょうか」
「まったく、割に合わない任務だわ」
鈴代 征治(
ja1305)、卜部 紫亞(
ja0256)が動きだし、黒夜(
jb0668)も急いで追い掛ける。反対方面には白秋が向かい、固い面持ちの葛山 帆乃夏(
jb6152)も動き出した。
「何も心配いりませんよ。皆さん、お強い方ばかりですから」
笑みを浮かべ、温かい言葉と光を送る玲獅。視界の端には、うじゅる、と蠢く青色が映り込んでいた。
●S−1
しゃなり、と前進した白色のサーバントは、突如眼前に浮かび上がった光にあごを上げた。
光は美しさでこしらえたような女性を模る。目元を覆われた彼女は両腕を広げ、何処の国の言葉とも知れぬ声で歌を紡ぎ始めた。
思わず微睡みさえ感じてしまう歌声は、その実鋭利な敵意であった。ビリ、と全身に軋みを覚える白色。だが、『彼女』の意識を向けさせるには至らない。確かめるように両手を握った『彼女』は、幻影の奥、黒色のディアボロを覗き込むべく身を傾けた。
「連れないね、悪い女だ」
二丁を器用に回し、白秋が駆け出す。
「昔の男のことなんざ忘れさせてやるぜ」
●W−1
目の前にはこちらの身の丈を越えそうな赤い巨躯。その昏い瞳は、正面の青色に釘付けのはずだ。だがそれを許してしまえば、街並みも崩れ、あのあどけない瞳に溜まった涙がまた零れてしまう。
(「そんなこと、絶対にさせない」)
太刀の柄を握り締める。
(「退いてられない。守らないといけない。乗り越えなくちゃならないんだ……!」)
腹の底から声を上げ、大きく踏み込んでいく帆乃夏。
そこへ一切の関心を払わず、赤いディアボロが前足を二度掻いた。
●N−1
黒いディアボロはタイルを蹴り、軒を踏み、ケージを蹴り飛ばして中央に進んでくる。持ち味である身軽さを振り回す、はしゃぐ子供のような挙動に、黒夜は辟易していた。
「黒色はウチだけで十分だ」
投じた符が火球となって襲う。着地の間際を狙ったものだったが、黒色は片足を軸に回転して難なく躱して見せる。
すぐさま征治が踏み込んだ。勢いを存分に乗せた神速の刺突。空さえ切り裂いたそれを、しかし黒色は素早く飛び退いて往なす。
「ならこういうのはどうかしら?」
紫亞が開いた書から無数の光弾が飛び出し、黒色を押し潰すように飛翔、落下する。雨霰と言い表せたが、黒色は舞踏のような足さばきでその全てを回避した。
立て続けの3回避。慢心を抱くだけの思考があったかどうかは判らない。そしてどうでもよいことだった。
極めて近い位置から再び放たれた征治の一撃が黒色の脇腹を捉えた。バン、と強い音を残して矛先が一部を弾き飛ばす。
見立てのとおり、脆い。
このまま押し切れる。押し切って見せる。
持ち主の意志に呼応するように、長槍の柄が金色に輝いた。それを一息に引いた瞬間、黒色が握る刀が一挙動で逆さまに握られた。
●S−2
肉薄した白秋の射撃が『彼女』のどてっ腹に着弾した。貫通には至らないが、陥没し、変色しているのが見て取れる。だがそれらよりもダメージを明確に知らせてきたのは、『彼女』が発した、出鱈目な嬌声だった。
「いい子だ。そのまま見惚れてな」
声が途切れ、口が光り出す。
続いた白秋の行動は直感とも呼べない、強いて言うなら対応であった。
取り出した円形の盾をあご先から打ち上げるように押し付ける。発射を妨げられた光は行き場を失い、その場で強く、強く爆ぜた。
靴底を滑らせながら白秋が顔を上げる。『彼女』の顔も、手も、敵意も、全てがすっかり向けられていた。
「さあ、踊ろうぜ」
腕の痺れを振り払い、白と白は再び互いを引き寄せ合う。
●W−2
気合一喝、雷光を纏わせた太刀を振り降ろす。怖気さえ覚えそうな赤い皮膚を的確に捉えた。
手応え――半々。刃は厚手のゴムのような外殻に押し返されてしまったが、宿した雷が染み入る感触は得られた。
赤い雄牛の動きが止まる。その瞬間、確かに止まった。しかしそれは淀みであった。
帆乃夏が鋭く息を吐いた瞬間、雄牛が一歩踏み込んだ。分厚い肩から激突してくる。まるであてつけのように。
丸みを帯びた肩の頂点は帆乃夏の喉元を貫いた。みし、と肉が軋み、ごりゅ、と骨が悲鳴を上げる。
受けの間に合わなかった帆乃夏は成す術も無く後退、彼方へ飛び去りそうになる意識をなんとか手繰り寄せ、四肢を総動員してブレーキを掛けた。
制止を成して、立ち上がる――前に、肩越しに振り向いた。
そこには玲獅が屈んでいた。絶え間なく上下する腕が子供らをさすっているのだと判る。
強い眼差しが飛んでくる。
同じ温度のそれを返し、今度こそ帆乃夏は立ち上がった。
(「そう、だよね。まだ戦える。ううん、戦えなくなったって――!!」)
ひとりで立ち向かわなければならない。
しかし、ひとりではない。
雄牛が咆哮を轟かせた。
●N−2
順手に持たれた右の刃と逆手に持たれた左の刃が交叉しながら征治を襲った。あからさまな敵意と判り易い得物故、見切ることはそう難くない。仰け反り、紙一重で躱す。髪すら散らない。
すぐさま槍を構えれば、余程先の一撃が堪えたのか、ディアボロは高らかに跳躍した。
そこへ黒夜が手を翳す。
「消えとけ、永遠に」
取り換えた得物、ディアボロにも、仲間にさえ知られぬ内に張り巡らせた無色の糸が、突如色とりどりの炎を生み出し、周囲を爆ぜ散らかした。
咄嗟にケージを蹴って着地を試みる。幾らかの瓦礫に混じり急降下、しかし勢いを誤り、片膝と手をついてしまう。
「耳はあるのかしら?」
紫亞の両手が虚空に円を描く。
「無くても感じられるかしら?」
浮かび上がった黒い円。そこに両腕を潜らせると、反対側から夥しい数と量の白い腕が生え伸びた。
全てが、まるで同じ体から生えているかのように、一目散に黒色を目指した。
怨嗟の声を上げながら、手繰り寄せるように掴み、恋焦がれているように握り、心底憎悪しているように捩じった。
「強みを封じるのは基本よねぇ」
動けるはずもない。しかし振り払わなくてはならない。
身じろぐディアボロの頭上に、征治が長槍を掲げた。
無駄な挙動の一切ない、最短の一閃が走る。必滅の想いを込められたそれは、ディアボロの体を正中線から真っ二つに断ち割った。
ばたり、とふたつの半身が倒れる。
征治はすぐさま視線を送った。
「少し、ご辛抱ください」
玲獅は子供たちを抱え上げた。
「必ず護りますので」
言いながら走り出していた。進路は言わずもがな、北。
未だ続く戦闘に背を向け、そこへ向かう紫亞、黒夜と入れ違い、念の為と周囲の安全を確認する征治とすれ違う。
(「まずは一安心、ですか」)
無事の離脱を見届け、征治は再び交差点に踏み込んだ。
最も大きな音は、戦闘が続く西や南からでなく、東から聞こえてきていた。
図太い鎌首を持ち上げた青色は、騒音をまき散らしながらずるり、ずるりと近づいてきている。
●W−3
何度目かの激突の時だった。
「……っ!」
痺れを克服した雄牛がぐいと巨大な頭部を持ち上げ、帆乃夏目掛けて振り降ろした。
斬り込むべく前のめりになった帆乃夏は受けを間に合わせることができない。
3度、大きな音を聴いた。
ひとつは顔のすぐ隣、仕返しとばかりに肩へ振り降ろされた打撃のもの。
次の音は目の前から。迎えに行ったと表してもいい。額から地面に激突した時のもの。
最後の音はそれからやや遅れて、背中から。一度跳ねてから墜落した時の音と、衝撃だった。
カラン、と得物が落ちた様か、呼吸さえ危うい明確な様子か。ともかく雄牛は踵を返した。
青色を正面に見据える。
猛り勇んで掻いた脚
を、
帆乃夏が掴んだ。
「……せ……い……」
立ち上がれていない。地面に伏せながら、未だ顔を上げられないまま、それでも帆乃夏は雄牛の脚を掴んだ。
離さない。
「……行かせ、ない……っ!!」
雄牛が振り向き、鋭利な蹄を振り被った。
●
ここまで来れば大丈夫だろう。穏やかな笑みを浮かべ、玲獅は子供たちを降ろす。
「暫し、こちらでお待ちください。すぐに戻りますので。決してここを離れないでくださいね」
女児が頷き、玲獅が応える。
次の瞬間、放たれた矢のような勢いで商店街を目指した。
揺れる白い髪を見送り、少女ははっとして、握り締めていた包みを開ける。
「これ、たべよ! おねえちゃんからもらったやつ!」
「……おにいちゃんじゃなかった?」
「おねえちゃんだよ! ぜったいおねえちゃん!」
少し溶けた生チョコを強引に食べさせる。男児は盛大に洟を啜ってから、おいしい、とぽつり、零した。
●S−3
「はっはー、ナイスなステップだ! 少々やんちゃだがな」
主導権は白秋が握っていた。前後左右に動き回り、首から下に射撃を決めながら、攻撃の悉くを防ぎ、弾いていく。時折ターンを決めて見せ、おちょくるように銃を回し、本気を伺わせながら腕を引いた。
『彼女』が楽しんでいるはずもない。しかし夢中ではあった。敵意の虜。
白秋も楽しんでいるはずがなかった。腕の痺れは一撃ごとに確かに強くなっている。
不意に金色の瞳が流れた。
何処を見ている。『彼女』が口を開く。
光の美女が再び現れた。
「見せ場譲るぜ」
常世のそれではない歌声が『彼女』を襲う。吐息さえ感じられそうな距離で放たれたそれは『彼女』の全身を包み込んだ。
ピン、と四肢を伸ばし、強く仰け反る白。溜めた光を噛み砕き、地に墜ちる。
「どうも、と言っておきます」
踏み込んだ征治が即座に二突を放った。
極限まで研ぎ澄まされた、共に闘う者の想いを乗せた渾身にして会心の一手。
初撃は細い腰を捉えた。だん、と深く突き刺さり、薄皮一枚を残して引き抜く。
続く一撃は肩の裏を貫いた。ケージが揺れるほどの音がなり、か細い腕が吹き飛んで転がった。
切っ先に残る白を払い、征治は踵を返す。勝敗は決したが戦闘は終わっていない。
遠ざかる背を睨み、『彼女』がもがき、口を開く。
長く溜められ、放たれた光は、白秋の盾に阻まれて霧散した。
「楽しいデートだった。生まれ変わったらまた踊ろうぜ」
告げて銃口を添える。放たれた銃弾は、あるはずのない心臓を貫いた。
●W−4
片足を上げた雄牛の側面に、強烈な涼風が吹き付けた。ぐらり、と巨体が傾く。だが雄牛が咆えたのは、全身を悴みに似た痺れが襲ったからだった。
「重すぎるわね。それに鈍すぎる」溜息を落とし、紫亞がページを繰る。「本当に、割に合わない仕事だわ」
何するものぞとまた雄牛が向きを変える。
ずどん。
臀部に深々と太刀が突き刺さった。
「……負けない……っ」
乗り越えなくてはならない。
及ばないと諦めてしまったら、もう、立ち上がることさえできなくなってしまう。
「絶対に、行かせないから……っ!」
「そうね。何をどこまで耐えられるか試してあげようかしら」
肉を抉る斬撃と骨まで焼きそうな炎が雄牛を襲う。
●E
数十台の黒電話が一斉に鳴り出したような音だった。顔に当たる音の波が疎ましくて、せめてと目深にフードを被り、その上から闇の衣を纏い、外し様がない大きな的に弾丸を撃ち込んでいく。厚い皮が崩れる手応えはあるものの、音は減らず、堪えている様子も無い。
決め手に欠くという現実。
舌を鳴らすと同時、スマートフォンが仲間の声を吐き出した。
指示に従い、屈む。
槍を携えた征治が切っ先から頭上を跳び越えて行った。
勢いを満載した叩きつけるような刺突に続き、隙間を開けぬ、空まで届きそうな強烈な突き上げが炸裂する。
ぼたぼたぼたっ
穴の開いた、或いは大きく破れた皮から、腐敗した食事を連想させる体液が噴き零れる。
顔を歪めた黒夜が魔弾で傷口を穿つと、青色はぐねぐねとうねりながらケージまで頭を持ち上げた。
その位置から糸を吐き出してくる。複雑に絡み合った白は真っ直ぐ征治を目指した。
背後から飛来した光がそれを貫く。消滅にこそ至らないものの、散り散りになった糸はだらしなく墜落した。
「アンコールだ」
苦笑を浮かべた征治の腕に光が迸る。左腕に白、右腕に黒が宿り、それらが複雑に混ざり合いながら長槍を包んだ。
ありありと怯む青。
膨大な力を手にしながら、征治の挙動は飽く迄凛と澄んでいた。腰を落とし、矛先を向け、構える。
渦巻きながら猛る白と黒の光。恐怖から逃れるように青が蠢くが、成す術は無い。
やがて征治が動き出した。軽やかな足取りで進み、最短距離で槍を突き出す。双色の光を宿した得物は、まるで冗談のように、いとも容易く巨躯を中央から撃ち割った。
だが、それでも尚青色は動いた。頭の付いた側も、付いていない側も、もだもだと近付こうとしている。
征治、白秋、黒夜の集中砲火を受けても尚、青色の活動は暫く続いた。
●W−5
帆乃夏の指先が戦いを放棄しようとしている。ここまでに費やした体力と、失った大量の血が、巡らなくなりつつあったからだ。それでも己を鼓舞して斬撃を積み重ねる。ひとりで戦っているわけではない。だからこそ止まれない。
雄牛の、苦し紛れの頭突きが炸裂する。全身の痺れに抗いながらの一撃は、しかし満身創痍の帆乃夏にとっては充分に脅威だった。
咽込み、赤を吐いて、崩れ落ちる――瞬間、柔らかな光がその身を包み込んだ。
「お待たせしました」
玲獅が伸ばした腕から更に強い光が走り、帆乃夏に至って傷を癒した。
傍らから奔るのは漆黒の雷。鋭利なそれは出鱈目に空間を直走り、例外なく雄牛の身体に追突する。
「いい加減面倒なのよねえ」
「さあ、もう一息です」
仲間の光と言葉を受け、柄を握り直した帆乃夏が斬り掛かる。とうとう前の両膝を突いた雄牛は必死に抵抗したものの、絶え間なく訪れる光の挟撃に成す術無く焦げて、やがて大きな声を遺して、崩れていった。
●
全ての標的を討伐し終えた旨を依頼人に連絡すると、一同が互いの傷を癒し、情報などを交換している間に、住民らがあちこちから戻ってきた。撃退士は被害状況などの対応に追われることとなる。
玲獅と白秋は、仲間に任され、商店街から離れた場所、未だに蹲っていた姉弟の許を訪れていた。
念の為、と救急車を手配する玲獅を横目に、白秋が子供らの前に屈みこむ。
少女の頬には涙の軌跡が残っていた。気丈に堪えていたものの、怖くなかったはずがない。その涙も、守るべき弟に見せぬよう、こっそり流していたに違いなかった。
少年の頭に手を置く。
「よう坊主、怖い思いしたな。病院行ってゆっくり休め」
小さな頷きが返ってくる。
「それで何時か、何時かでいい。守れる男になるんだぜ」
力強い頷きが返ってきた。
「ぼくも、おにいちゃんみたいになる!」
そいつは駄目だ。白秋は苦笑。
「俺ほどのイケメンでもな、まだ修行中なんだ」
やがて訪れた救急車に、子供らは救急隊に寄り添われて乗り込んでいく。大人しくしなさい、と両肩を押さえつけられても尚、ふたりは窓から、見えなくなってしまうまで手を振り続けていた。