●中庭・1
「おーーーーい!!」
手を振り返しながら瀬波 有火(
jb5278)が走ってくる。すぐさま大山恵が迎えに走り、両者は黄色い声と共に跳ねながらハイタッチを交わした。
「なんだか楽しそうー! あたしもまーぜーてー!」
「いいよーっ!」
「やったー!」
あるかが なかまになった!(てれれれってってー♪)
「ところで何やるの?」
「何だっけ年上の司書さんっ」
「Diet」
「ダイエット……?」
ちゃっかり司書――小日向千陰の隣を陣取った黒夜(
jb0668)が見上げる。
「なら増えた分の体重寄越せ」
「あげたいわよぅ。ほれほれー(ちらっ+ぷにっ)」
「(ぴろーん)」
「なんで撮ったの!?」
「気にすんな。あと、さ、サインくれよ……」
「な、なんか照れるわね……」
さらさらー、と筆記体で自分のブロマイドに名前を書く。
「恵ちゃんもダイエット?」
でへへ、と面目なさそうに頭を掻く恵。彼女を見て回って、有火はポンっ、と肩を叩いた。
「恵ちゃん『は』まだ若いんだからきっとすぐ痩せられるよ!」
「……」
「そ、そうかなっ?」
「うんうん! あと何年かして曲がり角過ぎたら、あとは真っ逆さまだけどねー」
「――」
「そっかっ、それはちょっとやだなー」
「だよね! やっぱり、今のうちからちゃんと気を付けないとね!」
「あなたたちだってあと数年経てばこうなるんだからねッ!」
「泣くなよ、小日向……」
「うう……ほっぺたが涙を弾いてくれない……」
通りかかった若杉 英斗(
ja4230)と、遠巻きに眺めていたウェル・ウィアードテイル(
jb7094)がやってくる。
「何を騒いでいるんですか?」
「アンチ・エイジン「ダイエットだ」
「2人は減量戦士ダイエッター! 今日も心と体重計の平和を守るため、脂肪魔獣カロリアスと戦いを続けるのだ!」
「目指すは一話完結だよっ!」
「なるほど、ダイエットですか……」
英斗は背を向け、環を離れていく。
右上を眺めて唸っていたウェルがぽつりと零した。
「ウェルちゃん太った経験ないから分からないなぁ……」
「なんでもいいの。何かヒントになるようなこと、ない?」
「ヒント……あ、太らずに済む方法なら心当たりあるよ?」
ウェルはにっこりと微笑むと、賭け事ですっからかんになればいい、と告げた。
「センセーたちはこの樹の根をかじったことはあるかな……?」
「ウェルさん?」
「一度かじってみたら、太ろうなんて思わなくなるんじゃないかなあ……」
「ウェルさん! 心が砕けないやつでお願い!」
「中庭のはまだいいんだよぉ。裏手の根はもう苦くて苦くてにがくてニガクテ2ga9te……」
「フラッシュバックね。黒夜さん、ウェルさんに何か甘いものを!」
「みかんでいいか?」
むきむき、もっしゅもっしゅ。
「……あまい。土手の枯れ枝の32億倍甘いよぉ……」
なんとか瞳に光を取り戻したウェルに胸を撫で下ろす。
まだ何もしていないのに疲労に押し潰され、がっくりとうなだれる千陰。そこに影が落ちた。
「お待たせしました、ようやく結論が出ましたよ」
「……結論?」
笑顔で頷き、英斗は手にしたアイテムを千陰に差し出した。
●第X回 若杉英斗脳内会議議事録
英斗A「これより緊急脳内会議をはじめる。諸君の忌憚ない意見をきかせてほしい」
英斗B「ここはやはりサウナでしょう。水着でサウナ! たまりません!」
英斗A「たしかにいいが、サウナは男女別ではないか。俺が一緒にサウナに入れん」
英斗C「それでは『ダイエットに効果のある体操』といってエッチなポーズをしてもらうというのは? こんな感じのセクシーなヤツ」
英斗A「良いアイディアだが、嘘とバレたときに俺の命がないような気がするな」
英斗D「それでは、縄跳びはどうでしょう。一見健全ですが、ジャンプする度にブルンブルンです」
英斗ABC「(ガタッ)」
英斗D「バインバインです」
●中庭・2
「古来、ダイエットといえば縄跳びが効果的とされています」
「聞いたことないんだけど」
「ボクやるよっ! いい訓練になるんだよねっ!」
飛び込んできた恵が縄跳びを掠め取った。
「よっ! はっ! ほっ!(バインバイン)」
「恵ちゃんすごい! もっともっと!!」
「たあっ! とおっ! てえいっ!(バインバインバイン)」
(「時は来た……! 今こそ輝け俺の両目よ! この光景を脳内の奥深くへ余すところなく焼き付けろッ!!」)
目を見開く英斗の脳内で、突然、英斗Dが声を発した。
――まだブルンブルンが残っている
「さあ、小日向さん!」
「それ以上近づいたら留年させるからねッ!」
「その服装では効果が半減します! チアユニフォームがベストです!」
「せめて邪さを隠す努力をしなさいッッ!!」
「はっ! こんなところ(手荷物)にチアユニフォームが! さあ、小日向さん!!」
「聞けやああああああッッッ!!!」
「恵ちゃん! 効果的だって!」
「着るーっ!」
――分かっているよな?
「もちろんだ!」
英斗がスタイリッシュにユニフォームを投げると、恵は一旦縄跳びを止めてキャッチ、ウェルが寄りかかる樹の陰に隠れる。そして現れた時には、二の腕腰回り生足が出た緑と白の眩しいチア姿で縄跳びを再開していた。
「せいっ! はあっ! そおいっ!」
「恵ちゃん! 掛け声違うよ!」
「ふれーっ! ふれーっ! ひ・で・と!」
「 聴 力 限 界 突 破 !! 」
「……おい、どこ行くんだ?」
「社会人らしく職場に戻ろうかと」
「逃げるな。逃げたらさっきの写真をあの2人とか某同僚に送信するからな」
「うう……黒夜さんがグレた……」
「どさくさに紛れて逃げるな」
「……なんの騒ギ?」
頭を傾ける長田・E・勇太(
jb9116)に、千陰を漆黒の糸で縛り付けた黒夜が説明する。
「フトッタ? なら、いいダイエット法知ってるよ?」
●グラウンド
本当は専用の物があるんだケド、と、勇太が運んできたのは砂を詰めたリュックサック。それぞれの両のショルダーベルトに水を入れた2リットル要のペットボトルを括り付け、軍隊装備の簡易版の完成である。
これが3つ並べて置かれた。ひとつは呆然とそれを見つめる千陰のもの、もうひとつは意気揚々とそれを背負う恵のもの、最後のひとつは、面白そうと志願した有火のものである。
「恵ちゃん! 鬼ごっこしよーよ!」
「じゃーんけーんぽんっ!」
「あー負けちゃったー!」
「いくよっ!」
「いーちにーいさーんどーん!」
あははははははと笑い声を響かせ、有火と恵は地球を一周しそうな勢いで走っていく。
土煙に巻かれながら粛々と図書館へ向かおうとした千陰の前に黒夜が立ちはだかった。
「今でも充分小日向は魅力的だが、すらっとしてかっこいい美人な小日向のほうも見たい」
効果は絶大で、千陰はよいしょとリュックサックを背負い、再び表情をげんなりさせた。
「具合はドウ?」
「単純に肩が痛いわ」
「つべこべ抜かすんじゃないネ! いまからランニング20km! 口答えをしたから5km追加ネ!!」
「グラウンドをそんなに!?」
「もう5km追加ネ!!」
「景色が見られるだけいいと思うけどなぁ……」
芝生に腰を降ろしていたウェルがぼんやりとした声を投げてくる。隣では英斗が脳内で祝杯を挙げていた。
「何日も食べないでいると視力が無くなってね、それでも匂いだけを頼りに食べられるものを探してさぁ……落ち着いてから測ってみたら、島を1周できるくらい――」
「黒夜さん!」
「購買で買っといた飴だ」
「人工甘味料って優しい味だよねぇ(ぺろぺろ)」
「ムーブムーブ!」
勇太の手拍子に急かされ、千陰は走り出した。決して急いでいるとは言えないペースでラインぎりぎりを周る。
「終わったら美味しいご飯が待ってるよぉ、センセー」
「絶対味噌チャーシュー麺食べるわ!」
「板チョコ1枚で縄跳び1時間分だからな?」
「ペースが落ちてるネ! まだ増やされたいカ!?」
2周目。
千陰のペースは目に見えて落ちた。勇太がありとあらゆる罵詈雑言で捲し立てるが反応はない。
3周目。
「誰が止まれとイッタネ? 走れ! メスブタ!」
「小日向……まさか――」
にこっ(ほほえみ)
どさっ(パージ)
だっ(ダッシュ)
「止まれメスブタアアアアアアア!」
「あれ逃げる気だろ。追うぞ」
「当然ネ!」
黒夜とスレイプニルに跨った勇太がすぐさま駆け出すが、差は中々埋まらない。中庭、学食のテラス、校舎裏を経る頃には、差はむしろ広まっていた。
再び中庭に差し掛かった時、勇太がオートマチックを抜いた。
「おい、怪我させるなよ」
「優しさでは痩せられないヨ!」
「……まーな」
先行したのは勇太の射撃。肩辺りを狙って放つが、猫のような動きで避けられてしまう。そちらへ黒夜が無数の黒い刃を生み出すが、千陰は一瞬も止まらず躱して見せる。続け様に翼竜が咆哮を轟かせながら突っ込むが、これも跳び越えられてしまった。
「っは! 千年早いってのよ!!」
得意げにガッツポーズを決める千陰。
その弛んだ横腹に、急降下してきたナナシ(
jb3008)が脳天から突撃した。
ごろごろごろごろ〜
「おかえりぃ」
「こんにちは」
ナナシが千陰の上で体を起こす。
「お肉がついたっていうのは本当みたいね」
「……どこで、それを?」
「あれだけ図書館で騒いでいれば嫌でも耳に入るわ」
「また壁すり抜けて入館したわね!? ちょっと寄る時でも正面からってあれほど――!」
「大丈夫よ、私に任せて」
「今日誰も私の話聞いてくれない……ッ!!」
「さあ――」
ナナシの腕が、校舎から離れた施設を示した。
「――冬だけど水着回よっ!!」
●室内プール
「冬なのにあったかいんだねぇ」
足を水に遊ばせるウェルは学園指定のスクール水着。無駄の無い体つきだが、出るところはしっかり出ている。
「あれ? 小日向さん、私が渡した水着は?」
ナナシは非の打ちどころのないストンつるんペタンだが、これには成長が止まっているという理由がある。
「まあ、ちょっと、ね」
懸命に腹周りを隠す千陰も歳の割には見事な体型である。
「じゃあその競泳用の水着はどうしたの? 自虐?」
「じゃーん! あたしが用意しましたー! 気配り上手ー!」
「すっごく動きやすいよっ!」
調子を確かめるように飛び跳ねる恵は前述のとおりバインバイン。更に、隣で同じ仕草を行う有火も着痩せするタイプであることが明らかとなった。
黒夜はパーカーの前を絞り、こっそりその場を離れた。
「経験はないけど知識はあるわ。ダイエットはカロリー消費が基本よ」
いかに水泳がダイエットに向いているかを理路整然と語っていく。千陰らは三角座りで耳を傾けていたが、すぐに有火と恵がそわそわしだし、やがて準備運動もそこそこにプールへ吶喊していった。
「準備運動が足りてないわよ!」
「中でするよっ!」
「あたし遊んでるねー!」
まったく、と溜息を打つナナシ。彼女に向かって千陰が手を挙げた。
「ナナシさん」
「私の事はトレーナーと呼ぶのよ!」
「トレーナナシさん」
「どうして混ぜたの?」
「どのくらい泳げばいいの?」
「まずは500mかしら」
「まずは500mかしらですって……?」
「簡単だよぉ。水もあったかいし」
水面に浮かんだウェルはぼんやりと照明を見つめていた。程近いプールサイドでは、英斗が脳内で五次会に興じている。
「あの川は冷たかったなぁ……お腹すいて動けないし、このまま海まで――」
「黒夜さん!」
「ゼリー飲料だ」
「内臓が生き返るのが分かるよぉ(ちうー)」
「あのコ、なんでも持ってるネ」
感心する勇太は出入口の前に腰を降ろしている。くだんの黒夜は反対側の出入口を塞ぎに行った。
これで観念した千陰はナナシの指導を受けながら入念に準備運動をこなし、揃えた指先からプールに飛び込んだ。
プールの幅は50m。5往復でノルマとなるが、千陰は1回目の復路で声を張り上げた。
「トレーナー! 私も第7コースと同じメニューがいいです!」
「てりゃー!」
「やったなーっ!」
「瀬波さんはともかく恵さんは私と同じメニューだと思います!」
「大山さんはいいのよ。若いし、小日向さんほど酷くなかったわ」
「ぬがーーーっ!!」
以降もことある度に文句を垂れながら、千陰はなんとかノルマを消化した。背後では相変わらず水音がするが、どうせ遊んでいる音だろう。プールサイドに手を掛ける。
「お疲れ」と、黒夜がスポーツドリンクを差し出してくる。
「ええ、ありが――」
受け取ろうとした千陰は、足を引っ張られて水の中に連れ戻された。
身を捩って振り返れば、ナナシが自分の足を持ってプールの中央まで移動していく。
抗議の態度を示そうとした瞬間、ナナシの回し蹴りが弛んだ腹部にヒットした。
「ごぼごぼ!(ここからが本番よ!)」
「がぼぼぼ!(先に言っといてよ!)」
互いの実力を知っているだけに遠慮が無い。影響はすぐに現れ、水面がぜい肉のようにたぷたぷと揺れた。
「恵ちゃん!」
「いっくよーっ!」
前に進むことに関しては並々ならぬ力を持つ有火と恵の参戦で、水面を打つ波は更に大きくなる。
「激しいネ」
「まあ、大丈夫だろ」
濡れない位置へ動こうとした黒夜の足を千陰がむんずと掴んだ。
「ついでに来なさい」
「ウ、ウチはいいって……」
「ふむ。なら――」
司書の手は隣の足を掴んだ。
「放せメスブタアアアアアアア!!」
「訓練フェーズが終わったのに職員にそんな口を利く生徒は――こうよッ!!」
ぽーーーん、と放られた勇太が水柱に変わる。
「っふ、今日初めて一矢報いたわ」
涼しい顔でプールから上がろうとした千陰を、矢の如き速さで飛んできたナナシがとっ捕まえ、同じ速さで戻っていった。
開いた口が塞がらない黒夜の許へ、ウェルが髪を拭きながらやって来る。
「あれ何?」
「さあ……」
時折天井付近までぽーーーんと射出されるナナシと有火に、黒夜はそう答えるしかなかった。
僅かに悩んで、まあいっかと結論を出し、おーい、とウェルがプールに声を投げる。
「お風呂沸いたよぉ」
●脱衣場
「やった……っ」
足元で針が指した数字を見て、恵は有火に飛び付いた。
「やったーっ! 戻った、戻ったよ! ありがとうっ!!」
「やったねー! おめでとー!」
「小日向もよかったな」
「ええ、ありがとう。みんなのお陰よ」と、今度こそ差し入れられたスポーツドリンクを流し込む。
「暴飲暴食したら元も子もないわよ」
釘を刺すナナシも、他の者同様ほかほかに温まり、湯気を立ち昇らせている。
「今は汗を大量にかいて、一時的に数字が落ちているだけだから。基本は生活の改善ね」
「はっ、了解です、トレーナー」
そういえば、とフルーツ牛乳を舐めていたウェルが顔を上げる。
「男の子は何してるかなぁ?」
引き戸が二度ノックされる。
「チョット、来てくれナイ?」
●
「ふれー。ふれー。ひ、で、と」
英斗は脳内十二次会の真っ最中で、夢中だった。背後に訪れた仲間に気付かないほどに。
「ふれー。ふれー。ひ、で、と」
背後で行われる自身の状態に対する説明と、今更顔を真っ赤にする恵に気付かないほどに。
「ふれー。ふれー。ひ、で、と」
脳内に集っていた5人の英斗は、しかし、左右から漂うシャンプーの香りで散開した。
「……はっ。小日向さんに、大山さん。どうしたんですか?」
「いやなに、今日のお礼も兼ねて――」
「――お仕置きだよっ!!!」
ぽーーーん、と放り投げられる。
視界に映ったのは、逆さまになった湯上り直後の2人。
の、
濡れた髪、火照った肌、貼り付いたシャツである。
「――ッ!!! ありがとうございます!!!」
目を限界まで見開いた英斗が、敬礼した状態でプールのど真ん中に墜落した。