●『鉄面』西方・A班
秋の高い空に真白い煙が昇っていく。初めは細く、やがて緩やかに広がりながら。街に暮らす者なら誰でも目を奪われて然るべきそれに、遠方に小さく見える人の姿をしたディアボロも、すぐ傍らの冗談のような規模のディアボロも、まるで関心を払わなかった。
ふむ、とラグナ・グラウシード(
ja3538)はあごに手を添える。言葉は最低限の声量で。
「人型のディアボロは視力を持っている、という話だったが」
「眼中にネーんだろ」
狗月 暁良(
ja8545)が帽子の端から駅を見遣る。
「……か、歯牙にもカけてもらえてネー、とかな」
鷺谷 明(
ja0776)が短く笑い、でも、とエルム(
ja6475)が続く。
「『鉄面』が視力を持ち合わせていないことは確定しました」
見上げる先、硬質な面のすぐ前を昇る白に、『鉄面』は一片の関心も示さない。上体を捻り、きょろきょろと周囲の動向を『未だに』探っていた。
「こちらは動く。何か試すつもりなら思うままやるといい」
――判ったわァ
通信機から聞こえてきた仲間の声を合図に、4名は足音を殺し、駅を目指す。
●『鉄面』東方・B班
『鉄面』が向きを変えた。それだけで腹まで響くような音が鳴り、直下型の短い揺れが辺りを襲う。隠れ蓑にしていた古い貸しビルがぎしと軋み、遠石 一千風(
jb3845)は息を呑んだ。
建物の合間から目を向ける。ぬるりと光る棍棒が目に入った。
『鉄面』は見たまま、それ以外の感想を許さぬほどに力強い。得物に因る攻撃だけでなく、挙動に巻き込まれただけで唯では済むまい。ならばどうする。いざ対峙しなければならなくなったら。躱して往なして討つしかない。
縦に振り降ろされたら。横に薙ぎ払われたら。中距離なら。零距離なら。
幾度となく何通りも想定を重ねながら、一千風は口元を揉んで先を急ぐ。
僅かに先行していた天風 静流(
ja0373)は訝しんだ。風貌から察するに門番としてそこに居るのだろう。では何を元に排除対象を感知するのか。事前情報にあった『音』だとして、それはどれほどの量なのか。時折吹き抜けるビルの隙間風にも、アスファルトを呑気に転がる空き缶にも、『鉄面』は反応しなかった。
あるビルに差し掛かったとき、静流は踵を返して立ち止まり、一千風を手招いた。ぐいと近づく赤い髪、その遥か上、遥か彼方を目指して投擲する。一千風が振り向く。微かに色づいた煙が空に舞っていた。
「急ごう」
静流の言葉に頷き、一千風が踏み出すのとほぼ同時――
パパパパパパパパパパパッッッ!!!
――空で甲高い爆発音が連続する。
しかし、それも一瞬だった。
ビルを蹴散らしながら踏み込んだ『鉄面』が、身を乗り出しながら棍棒を振り降ろした。轟音、振動、破片、地鳴、土煙。それらがとぐろを巻きながら静流らを襲う。剛腕と崩壊に見舞われた爆竹は文字通り跡形も残らない。残ったのは新たな『情報』。
「成る程ねェ……♪」
静流、一千風両名にハンドサインを送り、黒百合(
ja0422)は右折、通りの向こう、ドアの外れたビルに侵入した。
ロビーからほど近い位置にそれはあった。無人にも関わらず、赤いランプは未だ健気に警戒色を湛えている。黒百合はその直下、プレートの奥に鎮座するボタン目掛けて、払うように拳を振り抜いた。
Jrrrrrrrrrrrrr!!!
頭痛をも併発させそうな騒音に、しかし黒百合は笑みを深める。近づいてくる轟音も今だけは気味が良い。
堂々と正面玄関から飛び出す。『鉄面』は目前に迫っていた。首を傾けて進路変更、ビル一つ分駆け抜けた直後、無骨な棍棒が警鐘を吐き出すビル目掛けて振り降ろされた。再びの崩壊、振動、土煙。それらに負けずけたたましくベルは鳴り、そこへもう一度『鉄面』は棍棒を叩きつけた。
「鬼さんこちら、ってねェ……♪」
一層笑みを深め、黒百合は再度手ごろなビルに駆け込んだ。
●駅前・A班
「派手にヤりやがって」
青空を染め上げてしまいそうな3つの土煙に暁良は肩を竦める。気を揉みはしない。連絡は無く、遠目にも交戦している様子は無かった。派手にやりつつ、上手くやった、ということだ。
エルムが視線を向ける先、駅前のロータリーにはディアボロの姿が幾つも見えた。まとまりは無く、挙動も覚束ない。脅威とは呼び難かったが、数だけは揃っている点がまた不吉だった。
「急ぎましょう。道を拓かないと」
「無論だ」
ラグナは力強く頷き、地面に置いたそれへ水を注いだ。蓋を閉め、金具を捻って数秒後、しゅうと軽めの煙が辺りに広がってゆく。
囮としての効果を期待してのものだった。人型が群がったところを一網打尽、或いはその隙を突いてゲートを目指すことができれば、と。
しかし。
あああああ。
煙を目にした人型は、喉を掻き毟るような挙動で声を上げた。
あああああ。
もう一体、更にもう一体が煙を発見し、声を上げる。
あああああ。あああああ。
やがて駅の構内にいた個体も目ざとく煙を発見し、まるっきり同じ行いをする。
あああああ。あああああ。あああああ。あああああ。
●駅手前・B班
「なんの真似だ」
「鬼ごっこに混ぜて欲しいんじゃないのォ♪」
ゲート付近に密集。
味方の到達。
声――という『音』。
(「いけない――!」)
いち早く脳裏で全てを繋げた一千風が振り返る。
『鉄面』はその図体に似つかわしい、粗野で野太い雄叫びを上げながら天を仰ぎ、ぱっくりと開いた口から毒々しい真紫の光を頭上に放った。
●ロータリー付近・A班
パノラマで届く人型の声に全身を打たれながらも、尚無視できぬほど光は鮮烈だった。
「ッ……威嚇のつもり、か?」
「大袈裟な地団駄とか、ナ」
明が腕を振る。固定された黒剣が人型の頭部を削ぎ、ぼとりと落ちたそれはようやく静かになった。
「『言いつけ』を守ったのだろうさ」
泣かせるねえ、と明が笑う。
●遥か遠方、某市繁華街、人と魔が入り乱れる戦場、刹那紫光に染まる地にて
タリーウが見上げるように振り向いた。
●駅内
危惧を助長するように地鳴りが近づいてくる。あああああ。揺れる度に天井が欠けて窓が軋んだ。あああああ。そしてそれら一切に関心を払わず、あああああ、人型のディアボロは手当たり次第に攻撃を仕掛けてくる。
『警報』は肌がちりつくほど騒がしかった。暁良は表情を固めて引き金を絞る。射出された光弾はいともたやすく人型の頭を穿ち、仮初の生を終わらせる。手間も手応えも感慨もない。隣からエルムが矢を放つ。胸部を食い破られた人型はその場にぐしゃりと崩れ落ちた。道は拓けた。声は止まない。地鳴りは確かに近づいている。そして恐らく。
ラグナが斬り伏せた人型を飛び越え、明が階段を駆け昇る。上がり端に佇んでいた人型はこちらに背を向けていた。得物を構え直し、おや、と口の中で呟く。人型はあああああ、と既に聞き飽きた声を漏らしながら前方、黙々と広がる煙の中に、極めて無防備に足を踏み入れた。
その直後、人型の首の付け根から青白い刃が生え伸びた。それはみすぼらしい身体をぐい、と持ち上げる、事もなげに振り払う。ぞりっ、と怖気の走る音と共に人型は両断され、薙刀に払われた煙の先には静流と黒百合が佇んでいた。
あああああ。新手が迫る。手前に居たそれは明が喉元を貫き、遠方から駆けてきていたそれは一千風が操る鈍色の機械剣が叩き潰した。
エルムと暁良も階段を昇り切る。離れ離れだった仲間の表情に陰りがないことを確かめ、胸を撫で下ろそうとしたその直前、各々の視界の端に紫が滑り込む。
「散れッ!!」
ラグナの号令に弾かれるようにしてそれぞれが跳べるだけ跳び退く。標的を逃した人型がただただ群がる駅のホーム、そのほぼ中央を、豪快な咆哮と共に放たれた紫色の光が貫いた。
一切合財を呑み込み、押し流していく。天井も床も線路も大きく抉られ、寸前まで在ったはずの柱も、人型さえ跡形も残っていない。
地鳴りは外から。
歪に開けられた大穴の向こう、巨躯のディアボロが歩みを進めて来る。
改めて値踏みするような視線を向ける明と暁良。そこへラグナが強く言い切る。
「ゲートを目指すぞ。力をひけらかしている場合ではないはずだ」
今は、まだ。
「こっちです!」
エルムを先頭に、4人は屋上を目指す。
●駅屋上
空に開いた穴は、かの悪魔の髪のように黝(あおぐろ)く、且つ、揺らぎも歪みも無く、ただ空に横たわっていた。
人型の姿は見当たらない。迫る『鉄面』は、口の中に生え揃う歯が窺えるほど近づいている。
ゲート直下に進んだ一千風は、取られそうになった両足をなんとか踏ん張り、顔を上げた。光線で穿たれた中央は大きく弛み、また心許なくなっている。駅が十全な状態であれば助走と跳躍で手が掛けられたかも知れない。しかし今はそのどちらも危ういと言わざるを得ない。
焦燥に顔を歪めて見上げていると、ゲートにひとつ、波紋が走った。
降りてきたのは幾何学的な物体。三角錐を押し固めて丸めたような形をしている。顔は愚か、目らしき物もないそれは、しかし明確に一千風へ敵視を向けてきた。
「……こんなところで――!」
零しながら振るっていた。文様が浮かんだ腕の先、淡く輝く刀身がディアボロを強かに打ちつける。手応えはあった。良くも悪くも。届いている。効いている。しかし足りない。
歯を軋ませて身を低くする。仲間が続き易いように。
光を蓄えるディアボロ。歪な身体へ差し込むは七色。
直後、ディアボロの体を蒼刃が5度奔った。手を付いて静止する静流の頭上、星型は深く斬り込まれ、突起を削ぎ落され、半ばほどまで砕かれ、それでも懸命に貯蓄を続けていた。
しかしそれも一瞬のことで、
「させない!」
滑り込んできたエルムが深紅の刀身を振るう。十字に放たれた剣閃、その交点がピシリ、と鳴った。次の瞬間、全身に奔った亀裂から隈なく光を吐き出して、ディアボロはぼろぼろと崩れて落ちた。
「よし、これで……!」
仰ぎ見るエルム。その肩に手を置くように、一際大きな地鳴りが轟いた。
顔を向ける。
遂にロータリーに片足を踏み入れた『鉄面』が、こちらに大口を開けていた。
程なく、駅を半壊させたあの光が放たれる。
咄嗟に備える一同の前に、光を纏った影が躍り出た。
携えた台形の盾が紫光を迎え撃つ。左右に『裂かれた』光は静流、エルム、一千風を包囲するようにして、駅の屋根を抉り、溶かし、蹴散らしながら暴れ狂い、そして遂に、彼女らに到達することはなかった。
「無駄だ」
幾分赤らんだ腕を振り、ラグナは『鉄面』に言い放つ。
「何度やろうと私が防いでみせる!」
目的は飽く迄ゲートへの侵入。それは本当に眼前に捉えられている。
しかしそこへ背を向け、明と暁良が屋上のへりに並び立つ。
「威力偵察、ってヤツだ」
「すまん、堪えられん」
建前と本音をそれぞれ残し、両者はひらりと地面を目指した。更に黒百合が
「時間を稼いでくるわァ♪」
と総括を残して続いていく。
思わず身を乗り出したラグナに、隣から静流が先んじる。
「信じよう」
説得でも質問でもなく、肯定だった。
事実、ゲートまでは距離ができてしまっている。仲間の備えが幸いだったとしても、全てが順調に進むとは限らなかった。
ならばできることをするしかない。
「……頼んだぞ!」
「はい。遠石さん」
「ええ」
揃いのロープを取り出した両名は、慣れた手つきでフックの付いた先端を振り回す。
ラグナは彼女らに背を見せると、半歩開き、再び対峙した。
『鉄面』が棍棒を振り上げる。
ごぽり、と盛り上がった肩口に、ひょい、と黒百合が飛び付いた。底抜けに痛快げな笑みを浮かべ、がたがたと面を揺らして語り掛ける。
「ほらァ♪ ここにも相手がいるわよォ? ほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらほらァ♪」
心底疎ましそうに首を振りながら『鉄面』が一歩踏み出した。
その足首目掛けて黒百合が突撃する。両手で握った漆黒の巨槍、その切っ先が踵のすぐ上部、鱗のように強固な皮膚を食い破って突き刺さった。
がくん、と巨体が傾く。
好機を逃がす暁良ではない。素早く的確に回り込み、口角を上げて狙いを定める。発砲。光弾は黒百合がこしらえた患部の対面に着弾、絶好の手応えを知らせる。
眩い光が弾け、大きな影が更にずれると、その中をふらりと漂っていた明が動いた。腕に備えた剣を振り上げ、浮かべた笑みを深め、強め、一挙動で接近、自身の重みを加えた強烈な刺突を叩き込む。これでとうとう、巨木のような『鉄面』の脚は本格的に傾き、折れた膝が植込みを押し潰し、特大の揺れを辺りに齎した。
それでも棍棒は振り降ろされた。狙いはただ一点。光を感じられぬ『視界』で、尚彼の光は強烈だった。
バランスを崩し、苦し紛れに名残惜しげに放たれた攻撃は児戯と表せた。無論、重い。受けた腕は軋み、屋根は頼りなく窪んだ。それでもラグナは折れなかった。
「ッ……お前と遊んでいる暇はない!」
『鉄面』も遊びではない。そのまま執念深くラグナを押し潰そうとする。敵意に満ちた黒塗りの棍棒を、横合いから放たれた対の剣閃が大きく弾いた。
「お待たせしました」
「いつでも行けるわ」
肩越しに振り向けば、ゲートには2本のロープが掛けられている。距離はさほどでもない。時間は掛からないだろう。
視界に再び紫が滲む。
大口の中に蓄えられる光を見遣り、しかしラグナは地上にいる仲間へ向かって叫んだ。
「来い!」
充填完了。
突き上げるように放たれた光は、やはりラグナの盾に阻まれ、ゲートの両端を掠めながら空に呑み込まれていく。
それでも『鉄面』は諦めない。ならばもう一度殴打する。
光を全て吐き出した直後、ほぼ真正面から射出された矢が、風を裂きながら大口の中に飛び込んだ。
距離、意識、硬直。
「外せ、という方が無理な話だ」
腰を上げて踵を返し、静流は2階から屋上を目指す。
喉に生じた激痛に『鉄面』は身を反った。だがそれも一瞬のこと、明の剛腕が後頭部を打ち抜くと、今度こそ『鉄面』はその半身を大地に預けるように転倒した。
「大丈夫ですか」
「どうということはない」
エルムに寄り添われながら、ラグナは自らの傷を癒していく。腕にも体にも、何一つ問題は残らない。
まず静流が、すぐに黒百合、明、暁良が屋上に現れる。
「『此の門を潜る者は一切の望みを捨てよ Аминь』ってか?」
「鬼が出るか蛇が出るか、だ」
「征きましょうか」
一千風に促され、彼女を先頭に次々とロープをよじ登っていく。
仲間がこしらえた『道』に手を掛けた明は一度だけ振り向いた。
底抜けの青空の下、『鉄面』は未だ起き上がることができない。言葉にならない恨み節が響く空の奥、本当に遠くに、米粒のような人影が浮かんでいる。そちらへ笑みを傾けてから、明は腕に力を込め、仲間が待つゲートを目指した。