●
敷地に踏み入るなり、Rehni Nam(
ja5283)は鮮烈な光を放った。事前に打ち合わせていた千班の面々は顔を逸らし、目を細め備える。が、奥を向いていた亀山 淳紅(
ja2261)の目にはRehniの光が『戻ってきた』。背を丸める一瞬の隙さえ見せぬよう、Rehniがすぐさま身を呈した。
「せーのっ」
ナナシ(
jb3008)の合図に合わせて、小日向千陰と大山恵が揃って発煙手榴弾を投擲した。すぐにもくもくと純白の煙が立ち込め、千班をすっぽりと包み込んでいく。
「じゃ、私はあっちをなんとかしてくるから。小日向さんのことは任せたわよ」
「行くぜ、ちゃんとついて来いよ」
「うん……!」
「皆さん、くれぐれもお気をつけて」
カーディス=キャットフィールド(
ja7927)、ナナシ、マキナ(
ja7016)とメリー(
jb3287)が出発した直後、倉庫の前、無造作に置かれていた段ボールが跳ねた。
一斉に向いた眼差しが捉えたのは巨大なピコピコハンマーと、それを軽々操るヒビキ・ユーヤ(
jb9420)。
「さあ、遊ぼう? 私が倒れるまで、ね」
黒い特攻服を靡かせヒビキは跳躍。ハンマーを全身で振り回し、アウルを滾らせながら急降下してくる。
「よろしくお願いしますっ!!」
一礼してから恵が飛び出した。彼女がありったけの力で振り上げた斧槍、その先端がハンマーを迎撃する。
ビ コ ッ !!
恵は笑みを濁らせ、着地したヒビキはクスリと笑って前進した。衝撃で白煙が弾け、視界は充分クリアだ。
「It’s Show Time、ってな」
口角を上げた麻生 遊夜(
ja1838)が引き金を絞った。射出された光は敵大将――千陰を狙ってひた進む。
「させないのです!」
盾を携えたRehniが割り込む。巨大な盾が、そして付き従う光の翼が、弾丸の行く手を完璧に遮った。
「なるほど、中々」
だが好都合。遊夜は笑みを深め、射撃を続ける。
その場に踏ん張り、攻撃を受け続けるRehniはすぐ異変を察知した。同じ弾ではない。着弾を許す度に盾の重みが増し、不吉な蕾を宿らせ、花開く度に盾の『力強さ』が薄れていく。
「こんの……!」
駆け出した淳紅は、次の瞬間屋上に至っていた。すぐさま反撃に転じようとする。が、掴んだそれは余りに心許ない手応えだった。
「偽もん!?」
「そういうこと」
声に振り向いた先には来崎 麻夜(
jb0905)の笑みがあった。纏う黒衣は夜の様。両横には夜より暗い穴。
「先輩の邪魔はさせないよ」
発声と同時、両の銃口が光を放った。それぞれに腕と腿を穿たれ、淳紅は顔を歪める。
一気にたたみかけようとした麻夜の視界から、次の瞬間、淳紅は消えた。眉を寄せる麻夜に遊夜が叫ぶ。
「下だ!」
銃口と共に淀む煙を見遣る。駆け込む淳紅を守るように前に出たRehniの手が煌めいていた。
倉庫の屋上に無数の星が墜落する。
破片と埃が舞い散り、ダミーの風船が爆ぜ飛んだ。
「私まだ手榴弾しか投げてないわ」
「言ってる場合か、後ろだ小日向」
「遅過ぎや!」
事務所の屋上からゼロ=シュバイツァー(
jb7501)が放ったのは鴉の群れ。赤い瞳を光らせたそれらが獰猛げに嘴を広げながら千陰目掛けて迫ってくる。
「ったく――」
黒夜(
jb0668)が投擲した札が色とりどりの炎と成って夜を鮮明に彩った。が、その隙間を縫って尚も鴉は千陰を狙ってくる。
「なんの!」
ひょい、と躱した千陰の背が雪室 チルル(
ja0220)のそれに当たる。
「伏せて!」
わけもわからず従う。覗くように見上げた先で、遥か遠方から飛来した弾丸を白く輝く剣閃が辛うじて斬り落とす。
チルルはにっこりとして千陰の腕を引き起こした。
「そっちに協力すればラーメン奢ってくれるって聞いたから駆けつけてきたわ!」
「え゛っ、それは伍(ウー)だけに――」
「ラーメン! いいですね、最近気温下がってきましたし!」
「期待してますよぉ、先生!」
「ま、あたいがいれば百人力ってことよ!」
何かいいたげな手を伸ばしてぷるぷる震える千陰。その肩をぽんぽんと叩く。
「チョコあげる。一緒にがんばろー」
「お、ありがとー」
ひょいぱく、と口に放り、しかしきょとん、と首を傾げた。
「随分楽しそうですねー?」
「凍りつかせてやるぜ!」
事務所前から飛び出した櫟 諏訪(
ja1215)と、倉庫前から飛び出した赤坂白秋(
ja7030)が同時にトリガーを握る。
「下がってください!」
盾を携えるRehniを淡い光が包み込む。
「『間一髪でありましたな、殿』」
「まだぞ、タダムネ。戦は始まったばかりじゃ!」
パペットと語らう南条 政康(
jc0482)の背後で、青黒い鱗に身を包んだ翼竜――ドンベエが目を見開く。光は力強く、それでいて優しかった。
これならなんとか凌げるか。迫る弾丸の雨、その射線から退いたミハイル・エッカート(
jb0544)を水枷ユウ(
ja0591)がくい、と引っ張って戻した。
「何……!?」
「みかたバリアー」
諏訪と白秋の乱射が到達した。面となって襲い来る光は、千班とチルル、殊更ミハイルを強かに叩き続ける。
「っていうか水枷さんは参班でしょ!?」
「あれ、もうばれちゃった」
ざんねん。何とも思ってなさそうな顔で言い残し、ユウは猛スピードでその場を離れていく。
彼女と入れ替わるように、外周の照明の中から黒い影が特攻してくる。千陰が視認、顔を確認して顔を歪めると同時、それが手にした拳銃が光を放ちながらぐんぐん近づいてくる。
「雪室さん!」
「任せて!」
前に出たチルルが描いた剣閃が、再び銃弾を斬り伏せた。
「黒夜さん!」
「判ってる」
黒夜が腕を伸ばした先、虚空に生まれた無数の黒刃が黒百合(
ja0422)を襲う。ひとつ、ふたつと躱しながら直向にやってきた黒百合だったが、着地の寸前、みっつめを背中に受けてバランスを崩してしまう。そこへ間髪入れず千陰が踏み込み、あご目掛けて存分に回転させたトンファーを振り抜いた。
直撃。
痛烈な音と確かな手ごたえ、そして不敵な笑みを残し、黒百合は消えた。
呆気にとられる一同の耳に、カン、と高い音が入る。
それぞれが目を向けるのと、地面に落ちた細工を施された手榴弾が煙を噴き出したのは同時だった。白秋の投げたそれも合わさり、瞬く間に周囲が白く塗り潰されていく。
「退いていきます!」
Rehniが声を張る。千班を強襲した参班の殆どは、彼女に存在を掌握されていた。
「追うわよ!」
「しかし――」
政康の背後で煙が吹き飛ぶ。膝をついた恵を、全身に光を滾らせたヒビキが見下ろしていた。
「大丈夫っ!」
恵は立ち上がる。
「みんなは早くっ!」
駆け出す千陰に付き従い、千班のほとんどが煙幕の向こうへ溶けてゆく。その中にはヒビキが標的に定めた黒夜、政康の姿もあった。無論、行かせるわけにはいかない。
しかし。
「させないよっ!!」
恵が振り回した長物の先端に肩を捉えられた。それでもヒビキは止まらない。怯みもしなかった。両手で柄を握り直し、渾身の力を込めて振り降ろす。地面を転がり躱した恵は、起き上がりながら体重を乗せた突きを放った。どてっ腹に直撃を許したヒビキは靴底をずりながら後退、しかし次の瞬間、その距離をひとっ跳びして攻勢に転じる。
猛攻を猛攻が凌ぎ、押し込んでいく。一手ごとに強烈な光が散り、大きな音が全身を叩いた。
(「実力は伯仲」)
外壁に寄りかかっていた天風 静流(
ja0373)が、両名を決して邪魔せぬよう静かに腕を組んだ。
(「展開はユーヤ君有利に見える――が」)
脳天を狙って振り降ろされたハンマーに、恵は翳した柄ごと押し潰された。一瞬で暗転した視界、土埃の味、鉄の匂い、鼻を頂点とした顔面の痛み。それら全てを飲み込んで彼女は尚も立ち上がった。
ヒビキは笑みをそのままに、体の外周を通らせたハンマーを振り抜く。
巨大な塊の軌跡を見開いた目で追い、紙一重で仰け反り、避ける。
挙動の勢いを殺さぬまま、前へ。
「でりゃああああああっ!!」
振り上げようとした斧槍の柄に、ハンマーのそれが当たる。
恵は息を呑んだ。
音も手応えも軽かった。
その何倍もの音を立ててハンマーが地に落ちた。ほぼ同時、力なく項垂れたヒビキが膝から崩れ落ちる。
恵が対応するより早く、静流が抱き留めた。
「心配ないよ、無茶をしただけだ」
静流の腕の中、目を閉じたヒビキの口が動いていた。
「ユーヤ……頑張って、ね……」
恵は再び息を呑んだ。
「……お願い、手当てしてあげてっ」
「頼まれよう」
「ありがとうっ」
深く一礼し、恵は走っていく。その背を見送ってから、静流はヒビキを抱きかかえて振り向いた。
そこには彼女が属する班の長――五所川原合歓がいた。久しい再会だったがお互い顔を覚えており、会話にも特筆するほどの支障はなかった。
「方針は決まったのかな?」
「――……んー……」
また斜めに曲がるのかと思われた合歓のあごは、つい、と星ひとつない空に向いた。つられて見上げた静流の頬に、勇み過ぎた一粒が当たる。
「一雨来そうだね」
「――……?」
合歓の鼻が、スン、と動いた。
●
放った一射は無事、手筈通りに斬り伏せられた。パイプの上、建物の陰、神谷春樹(
jb7335)は胸を撫で下ろす。
休む間もなく視線を巡らせる。合歓の姿は見当たらない。方針が決まらなければ勝利が遠のいてしまう。幸いチルルとの共同作業で楔は打てたが、どう転ぶかはまだ判らない。
春樹は小さく呟き、より影の深い方へ進む。そしてすぐさま、備え付けてあったロープを伝い、己の存在を完全に隠してしまう。
空を行くナナシは隠れた誰かの存在に気付いていた。
もし伍班の誰かだとしたら、辛うじて聴き取ったチルルの言葉に影が生じる。
(「……まずは参班への対応を優先しないと」)
一旦心の隅に置き、西事務所屋上に着地する。見下ろした先、左側をカーディスが駆け抜けていった。
●
南工場の規模は北に並ぶそれより明らかに大きかった。照明は機能していない。が、誰かの気配が確かにする。
全身を強張らせる妹の背に手を置く。
「行くぞ」
「……うん……」
マキナがドアに手をかける。スムーズにスライドした。
息を殺し、注意深く侵入していく。
「よし、来い」
メリーを呼ぶべく、マキナが振り向いた瞬間、
三ツ矢つづりが真上から彼の脳天を射撃した。
バンッッッ!!!
「――ッ!」
「お兄ちゃん!!」
勢い、よろめくマキナの背を蹴り、つづりは右の通路に転がり込み、白秋から譲り受けた発煙筒を放ってから走っていく。重機の陰から現れた不破 十六夜(
jb6122)が随伴、念の為、とつづりに術を施し直した。
「惜しかったね〜」
「いいから早く!」
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
「ッ……ああ、このくらい――」
歪めた顔を上げようとして、メリーに体を突き飛ばされた。何事かと顔を上げた先、メリーが突き出した盾に特大の光が激突する。目を逸らすことはしない。マキナは数多の戦地を駆け抜け、生き延びてきた手練れだ。だが同じことは相手にも言えた。
「あと一歩、遅れてしまいましたね」
眼鏡の位置を直す黒井 明斗(
jb0525)は、その奥からすぐさま観察する。数瞬前までメリーに残っていた微かな震えは、その髪先にさえ残っていない。
妹が回復を施す前に兄が立ち上がった。敵意でちりつく首筋を押し殺し、明斗が構えたその瞬間、兄妹の背後からあどけなさの残る腕が伸びた。
即座に行動を切り替える。
黒夜が操る黒刃がミキサー宛らに襲ってきた。
宝石が散りばめられた円盾で身を護り、明斗は転がるように工場の奥へ進んでいく。
●
カーディスは露骨に怪しい段ボールを発見する。中身を検めると、それは油溜まりだった。ここへ訪れるまでに時折窺えた、壁や入口に塗られていたものと同じものだろう。凝った事をしてくれる。
足で砂かけようとしたとき、高いところで物音が聞こえたような気がした。
必然、上がったカーディスの顔に、大量の青いペンキが降り注ぐ。
「な……!?」
次いで硬めで大きめの缶が底の縁から額に激突。コンッ、という、聞いただけで身を竦めてしまいそうな小気味よい音が辺りに響いた。
眼下、青く染まった頭部を抱えて悶絶するカーディスを、久瀬 悠人(
jb0684)は横目で見遣っていた。大きなあくびを浮かべていると、ヒリュウ――チビが『視野を送りながら』体当たりしてくる。
「……っと、もう占拠されたのか」
ぼやきながら走り出す。チビが送ってきたのは西事務所屋上の様子。『主砲』を向けるナナシの姿が夜の中に絶対的な存在感を湛えて佇んでいた。
「ランバート」
喚びながら屋上の縁を蹴った。宙で悠人を背負った赤い単眼の騎竜が、照明の下を駆けていく。
逃がさない。
照準を合わせるなりナナシが放った特大の魔弾は、しかし、寸でのところで悠人が隠れた障害物を抉るに終わる。
「っ……1時間は与え過ぎなのよ、小日向さん!」
既にチビから視界は送られていなかったが、敵意に気付かぬほど愚鈍ではなかった。事前に調べておいた逃走ルートを全力で走らせる。だが、果たしてどこまで逃げられるか。あの威力だ、直撃すればただでは済まない。
不意に眉間を狭めると同時、視線が仲間の姿を捉えた。腕に鴉を備え、自身もそれのような翼で飛びながら狙撃を続ける同班――ゼロである。
「そこ危ないですよ」
言い残し、悠人はそそくさと工場とパイプの間をすり抜けていく。
頭に疑問符を浮かべるゼロの全身を、目前に迫った膨大な光が照らし上げた。
何かが壊される音を聴きながら、カーディスは手探りで進む。耳は水の音を拾っていた。渡りに船、乾いてしまう前に洗い流さねばと、北西に位置する工場の中へ懸命に進んでいく。
ぴちゃり。足の裏が水たまりを捉えた。しかしこの規模では心許ない。耳を澄ませば、確かな戦闘音に紛れて蛇口らしきものの音が聞こえてくる。それだけを頼りにカーディスは進んだ。
そして到着した。水を飲む時程度に開かれた水道の気配はかなり近い。ならばこの辺りに大きな水の溜まりがあるのでは、と手を伸ばした。
次の瞬間、カーディスに電流走る。
「あばばばばばばばばばばばばばば!」
文字通り、である。着ぐるみに身を包んでいたので体への被害は少なかったがそれでも甚大で、しばらく痺れた後、カーディスはつぽんっ、と頭部を脱ぎ捨て、暗闇に目を凝らした。
水たまりは、確かにあった。通路を遮るように、大きく。
そしてそこへ、天井、照明があったと思われる損壊部から伸びた配線が浸っていたのである。
「ここまでやりますか、参班……!」
「そうみたいだねー」
声に振り向けば、飛び散る火花に紛れて、蒼白い華が咲いていた。
それが闇を放ってくる。豪雪のような冷たい闇に呑まれ、しかしカーディスよろめきながらその場を後にした。
ユウは軽く肩を竦め、次はどこにいこうかな、と暗闇に溶けていく。
●
「大人の小日向先生が譲歩すれば良いのにね」
「いいから手伝ってよ!」
「僕は強くないから〜」
「あたしもなんだってば!」
全力で抗議するつづりは、全力で銃弾を発射し続けていた。通路の先、赤髪の兄妹は盾を前に構えて徐々に、しかし確実に侵攻してくる。
実のところ、メリーの被害はさほどでもなかった。しかしつづりの射撃は『乱射』と呼べる精度であり、迂闊に踏み込めば後ろにいる兄へ被害が及んでしまうかも、という推測が彼女の脚を鈍らせていた。そしてそれはつづりの策の内でもあった。
この状況に誰よりも歯痒んでいたのはマキナ。
「俺なら大丈夫だ」
「でも……!」
「信じてるぞ、メリー。だから俺を信じろ。あんな攻撃で倒れたりなんかしねぇ」
でも、と鼻を鳴らし
「また怪我したら、治してくれ。やっぱりメリーの光が一番だ」
「お兄ちゃん……!」
メリーが手を伸ばしてきた。マキナがしっかりと自分のそれを添える。兄の温もりを頼りにメリーは更に手を動かした。こうして彼女の手は、とうとう最愛の人の大胸筋に至る。
「……行くよ、お兄ちゃん!」
「応ッ!」
視線を定めたメリーを先頭に歩幅を大きくした兄妹が迫る。
(「やっば……!」)
顔を歪めたつづりが引き金を握ると、彼女の銃口の隣からもうひとつ光が発進した。量を増した攻撃が兄妹の出鼻を幾分挫く。
「ありがと!」
「なんとか間に合いましたねー?」
諏訪は息つく間もなく腰を降ろすと、そのままつづりを倣うように射撃を開始した。
「ここは引き受けましたよー?」
「うん!」
頷いたつづりに続き、十六夜のその場を後にする。
残った諏訪はメリーの四肢や頭部へ狙撃を繰り返す。威力と精度はつづりの非ではない。先程までとは一転した攻撃に再び兄妹の足並みが鈍った。
ひとまずはこれでよし。諏訪が暗闇に視線を流す。今のうちに確かめておかなければならないことがあった。
「手伝ってもらえませんかー?」
暗闇の奥。
白い髪が目深に直された帽子に隠れる。
「遠慮しとくゼ、俺はチューリツ主義の伍班だからナ」
「残念ですよー?」
諏訪の笑みが深まる。
取れた言質で確信できた。合歓の動向が知れない。友人が策を打ったと言っていたが、それもどれだけ効果があるか。一刻も早くつづりに知らせなくてはならない。
その焦りが、僅かに狙いを狂わせた。
千載一遇の機会を逃さず、猛るマキナが猛突進してくる。
●
北東の事務所に侵入したミハイルはつづりを発見していた。
正確には、『つづりと思わしき人物の後ろ姿』だ。顔を見せず、ドアの向こう、部屋の中央に独りでうずくまっている。時折大きく揺れる栗色の髪がまた――わざとらしい。
確証が持てずにいた。数で勝っている参班、その長が単独でいる理由はあるのか。味方が合流を妨害しているからか。或いは『誰か』を待っているのか。
(「……試してみるか」)
喉を抑え、調子を整える。
「『三ツ矢、いるか?』」
気配が動いた。
「『先輩』」
薄い壁とガラス越しのそれは本物だと断言するには輪郭がぼやけ過ぎていた。
答えは出せない。
しかしターゲットはこちらに向かってくる。待ち焦がれたようにも、戦慄しているように見えた。
時間が無くなる。
動かなくてはならない。
扉が開く。
飛び出したミハイルが瞬時にリボルバーの撃鉄を弾いた。
射出された弾丸が――虚空に浮かぶジャケットの腹を貫いた。
舌打ちの下で金属音。
一瞬で懐に潜り込んだ小柄な女性が、ミハイルの腹に当てた拳銃の引き金を握った。
踏ん張る時間さえ与えられなかった。ミハイルはそのまま後方、雑多に積まれた書類の山を全身で崩し、埋もれた。
すぐさま起き上がる。しかし女性の姿はもうどこにもなく、
「あはァ……♪」
という、ご機嫌そうな声が浅く残るばかり。
●
千班は身動きが取れなくなっていた。左右から挟み込むように位置を取った遊夜とゼロの、抑え込むような射撃に因る。政康のストレイシオンを筆頭にそれぞれが懸命に凌いできたが、その限界も近づいた、その時だった。
北側に並ぶ工場の屋上の一部が爆音を立てて砕け散ると同時、北側――ゼロからの射撃が途絶えた。
「自分が行きます!」
一同が目を向けるも、残っていたのは淳紅の声だけだった。彼は既に南工場の屋上に至っている。
「レフニーさんも行ってあげて」
突然の提案に目を丸くして見上げると、千陰の手がRehniの頭を二度軽く叩いた。Rehniは千陰の奥、チルルを一度注意深く見つめてから頷き、工場の屋上を目指す。
入れ替わるようにやってきたのはカーディス。幾分焦げ付いた全身の毛を撫でながら蛇行で合流する。
「三ツ矢さんはいらっしゃいませんでした。それと……えげつない罠があります」
「じゃあ工場は避けましょう」
「では、何処を目指す御心算か?」
あれ。千陰は事務所を指さした。
「虎穴に入らずんば、というやつですか」
「大将首でというわけですな! 名を上げる機会と見ましたぞ!」
「ま、あたいがいれば楽勝ね!」
ナナシの狙撃から辛うじて難を逃れたゼロだったが、衝撃には耐えきれず、背中を壁に激突させながら墜落してしまっていた。ダメージは無い。すぐにでも飛び立てた。飛び立たねばならなかった。
しかし、横合いから、渾身の斬撃が繰り出されるとそれどころではなくなった。地を叩き、蹴り、速やかに避難する。
硬い、強い音を立てて地にめり込む斧槍。その奥に佇む少女が、満身創痍にも関わらず、凛とした笑顔で言い切った。
「逃がさない。絶対にここは通さないよっ!!」
ゼロには翼がある。恵にはない制空権、そして長射程の武器があった。
「逃げる? アホ言うなや、正面切って出てったるわ!!」
携えた鎌の刃が嘴のように開く。鮮血のような光を滴らせるそれを振り回し、ゼロは、笑いながら恵に突撃した。
「リベンジに来たで!」
「そいつぁご苦労――さんっ!」
西側、奥で腰を落とした遊夜がスナイパーライフルの引き金を握る。地を這うような銃弾に靴の脇を削られながら、淳紅はこれを辛うじて回避、すぐさま前に出ようとした。
定めた進路の上に夜が浮かぶ。
「さっきも言ったよ」
麻夜が二丁で同時に発砲した。
「先輩の邪魔はさせない!!」
初撃こそ身を反って躱すものの、次撃を肩に受けてしまう。苦悶に歪む淳紅の表情を遊夜は照準越しに見ていた。
光が放たれる。
闇の中を驀進する黒は、しかし、滑り込むようにして現れたRehniの、神々しささえ感じさせる大盾が阻んだ。
「ありがとな、自分の姫騎士さん」
へにゃり、と微笑む淳紅に、Rehniは微笑んで頷いた。
「行きましょう、ジュンちゃん!」
●
「ああ、やっと見つけた。五所川原さ……ん?」
合歓が、頬を膨らませて顎を動かしながら満面の笑みで寄ってきた。
「何を食べているんですか?」
「――お寿司……拾った……!」
「そうですか。よかったですね。ほっぺたにご飯粒がついていますよ」
「――あ……っと……?」
「取れました。
それで、どちらに組するかは決まりましたか?」
「――うん……!」
合歓は胸の間から折り畳まれた紙を取り出した。春樹が受け取り、並んだ文字に目を通し、息を呑む。
「……成る程。判りました、僕も協力します」
「――あり、がと……! あ、食べる……?」
やんわりと強く断り、春樹は合歓を物陰へ先導する。
●
先頭は千陰、すぐ後ろにカーディスと政康が続き、殿をチルルが務めた。照明が破壊された室内は濁った闇に満たされていて、降り頻る雨の所為で外からの明かりもほぼ届かない。
突然腕で制され、政康が足を止める。
千陰が右手側にあった扉をまじまじと観察した。
『参』と書かれていた。そのすぐ上には記号を並べたような、つづりの簡素な似顔絵が描かれている。よくよく見れば小さな靴跡がついていた。
暫しの考察。その一瞬を逃さず、向かいの部屋から飛び出した白秋が千陰を思いきり蹴り飛ばした。前のめりになっていた千陰は部屋の中へ転がり、乱れたデスクを更に乱しながらそれらの中へ転倒する。すぐさま踏み込んだ白秋が後ろ手にドアを閉じ、鍵を掛けた。
「シケた場所で恐縮だが」
対の青い拳銃を握り直す。
「デートしようぜ、先生」
音もなく立ち上がった千陰が、首を回しながら歩いてくる。
「小日向殿!」
叫ぼうとした声が銃声にかき消された。撃たれた脇腹を抑える政康、その手を再びつづりが狙撃する。
「狙いつけるの上手だね〜」
「せっかく隠れてたのに!」
あそこか。出口側へカーディスが意識と体重を傾けた瞬間、
「あなたの相手は僕です」
背後から明斗が痛烈な刺突を繰り出してくる。カーディスはこれを咄嗟に屈んで回避、立ち上がりながら斬り上げるが、これは槍の柄に阻まれてしまう。それでもカーディスは攻撃を続けた。追撃が決めやすいよう、半身になりながら。しかし援護はいくら待っても訪れなかった。
チルルは悩んでいた。
『今』だろうか。
いや。
でも。
「斯様なところで……! ゆくのじゃ、ドンベエっ!」
「『殿のご期待に見事応えてみせよ!』」
突き出したタダムネの動きに併せ、翼竜が光を吐き出す。
「くっ……!」
つづりの放った弾丸が光を突き貫け、タダムネの顔面に激突する。
「『ぐあああああああああああ!』」
「タダムネええええええええ!!」
つづりも無事ではなかった。光に飲まれ、顔を歪めながら転がってゆく。そんな状況にありながらもつづりは再び射撃、今度は政康の喉元に狙撃を決めて見せた。
「っ……最早これまで……!」
政康が膝から崩れ落ちると同時、遥か後方でつづりの悲鳴が上がる。
「やっば……」
呟き、十六夜も飛び出す。が、目前にはチルルが迫っていた。
ここまでかな。
「此処ハ僕ニ任セテ先ニ行ッテ」
ごりごりの棒読みに眉を曲げ、しかし「ありがと!」と叫んでつづりは表に飛び出した。
振り向いた十六夜の体を袈裟懸けにチルルが打った。その鋭さと、重さに、立っていることができない。辛うじて放った影の槍はチルルに斬り伏せられてしまう。
「……ちぇっ……」
十六夜が前のめりに倒れてゆく。
カーディスは戸惑っていた。繰り出される攻撃は淀みがなく、鋭く、そして何より熱心だった。
鬼道忍軍であるということ。偵察に動いていた証の焦げた着ぐるみ。これだけ攻めてもまだ凌ぎ切ろうとしている力量。
(「必ずここで沈めます」)
剣閃を躱して前に出る。明斗の槍がカーディスの肩を強かに突いた。体の横に槍を突き立てれば、光の群れが星と成ってカーディスに降り注ぐ。直撃を受けたカーディスはその場に押さえつけられるように倒れ込んだ。カーディスは起き上がれない。にも関わらず、
「失礼します」
明斗は再び柄尻で床を叩き、光の彗星を降り注がせた。驟雨の様な攻撃を全身に受け、今度こそカーディスは意識を手離した。
眼鏡の位置を直した明斗が槍を背中側へ振る。無造作とも見えるそれは、背後から斬り掛かったチルルの得物を的確に捉えた。
カチカチ、キチキチと互いの得物が拮抗する。
『参』と書かれたドアが内側から弾けて飛んだ。
旋棍を右の銃で受け止める。左の銃口を眉間に定めて即発砲。千陰は体を傾けてこれを躱しながら脇腹に回し蹴りを叩き込む。込み上げる胃液を堪え、足を腕で挟み込み右の銃で発砲するが忙しなく回転する旋棍がこれを弾いた。
ならば、と相手の脚の下から軸足を狙い撃つ。衝突音の裏に舌打ちが隠れていた。振り払われ距離を取られる。白秋が蹴り飛ばした厚手のファイルは、千陰が振り回したキャスター付きの椅子に弾き飛ばされた。
それが床と水平に飛んでくる。両の銃口が光を吐き出す。粉々になった椅子の向こうには千陰が迫っていた。
流れるような動きで白秋のあごを旋棍が下から打ち抜く。絶好の手応えに顔を上げる。金色の瞳と対の銃口が睨み返してきていた。
立て続けの二射。頬と腹を穿たれ、それでも前に出ようとする千陰の腹を白秋が強く蹴り飛ばす。
千陰はすぐに飛び込んできた。腹部を狙った中段突きを横へ送り出すように撃つ。がら空きの背中へ射撃を行おうとした直後、それが勢いよくぶつかってきた。不意を突かれてよろめく白秋の襟を掴むと、そのまま全身のバネを活かして背負い投げる。辛うじて受け身は間に合うものの、顔の下には旋棍が迫っていた。
射撃を掻い潜ったそれが再び白秋のあごを捉える。浮いた白秋の体へ、鋭く息を吐いた千陰が両の旋棍で突き飛ばした。背中と頭を『参』と書かれた壁へ強かに打ちつけ、白秋は墜落した。
一度大きく息を吐き、千陰は出口に向かう。暗闇と不器用さで開錠に手間取る。
眉間を狭め、丸まりそうになった千陰の背が、突然稼働限界近くまで仰け反った。
「つぁ……!!」
詰まる喉を無理矢理こじ開け、なんとか呼吸を確保して振り返る。
「ったく、プレゼントし損ねたな」
軽口を叩く白秋の身体は動かない。起死回生に二度目はない。
向かってくる千陰の表情は見えない。右目のヒヒイロカネが妖しく輝いているだけだ。
それが目前にやってくる。
「何か言うことは?」
「優しくしてくれよ」
鼻を鳴らした千陰が、白秋の腹部にトンファーを振り降ろした。
今度こそ気絶したことを確かめて、千陰は大股で出口へ向かう。鍵の煩わしさが判っていたので、大きく振り被った腕で殴り飛ばしてドアを吹き飛ばした。
「参は?」
「逃げたわ!」
「追うわよ」
言いながら千陰は動き出していた。
明斗を突き崩し、チルルが千陰を追う。初見の時より明らかに一回り小さくなった彼女の背を、明斗が溜息をついて追い立てた。
●
絡め取るように迫る鋼糸を、諏訪は辛うじて回避した。縦に振られたそれを撃ち返し、横から襲うそれを後ろに飛び退いたのだ。
成功したのが幸いと言えるほどの動作の後にも関わらず、諏訪はすぐさま反撃に移る。無理な姿勢から放った一撃は、しかし再びメリーの光に阻まれてしまった。
(「さすがに厳しいですねー?」)
諏訪はもう一度威嚇射撃を行い、踵を返して事務所へ向かう。
兄妹は目配せさえせず、すっかり固まったフォーメーションで狭い通路を走っていく。その間に何度も撃たれた。それを全てメリーが受け止めた。妹が小さな悲鳴を上げる度に、マキナの上腕二頭筋は更に力みで膨らんだ。
壁と床の雰囲気が変わる。
やがて辿り着いたある部屋で、長い黒髪が揺れた。
「おや……」
振り向いた静流はすぐさま得物を取り出した。
薙刀の青白い刀身を黒の鋼糸が締め上げる。
「私は救護に赴いただけだよ」
「知っちゃこっちゃねえんだよ」
極めて強く言い放った。
「仲間以外は全部敵だ」
目を細めた静流が薙刀を振る。強引に振り解かれた鋼糸は、しかしすぐさま彼女を襲い直した。迫る糸の束、その内の3つが静流の頬、手、腕に痕を残す。
姿勢を崩したマキナの前にメリーが飛び出した。携えた盾が静流の斬撃を受け止める。だがそれだけでは終わらなかった。
メリーを青い光が包み込む。それが何なのか理解する間もなく、光は静流の許へ揺らぎ、溶け込んだ。
静流は分析を終えていた。高火力の前衛と、防御に特化した後衛のタッグ。相手にするには手間だ。
両者を突き飛ばして通路へ出る。すれ違いざまにマキナが見たのは、跡形もなく癒えていく静流の頬。
「逃がさねぇよ」
音が鳴るほど歯を噛み締め、マキナは静流を追って階段を駆け昇る。
●
事務所の外に飛び出したつづりは、振り返る間もなく、その襟を掴まれて担ぎ上げられる。乗せられた場所と聞こえてくる欠伸には覚えがあった。
「ちょ、先輩!」
「ジタバタすんな、お前が気絶したら俺らの負けだろうが」
「でも……!」
「……あれ、それってもしかして楽できる?」
いつものからかいのつもりだった。どうせこっちに銃を向けてくる。
しかしどれだけ待ってもつづりのアクションは起こらず、顔を向けると、つづりは、不意に高い所から突き落とされたかのような表情を向けて来ていた。
「……冗談だ」
雨に濡れた顔を雑に拭ってやる。
騎竜の速度が上がり、睡魔が束の間席を外した。
●
ゼロは感心していた。
「だあああっ!」
恵は傷だらけだ。ヒビキの功績と、自分と恵の間にある実力の隔たりであることは言うまでもないことだが、それ以上に、恵は倒れようとしなかった。
(「大した根性やで」)
カウンター気味に突き出した鎌の先端が恵の鳩尾に突き刺さる。恵は目を丸くすると、幾ばくだけ耐えてから、鎌に体重を預けてきた。
「堪忍な。またやろうや」
なでるように促すと、恵は水たまりの中に倒れ込んだ。
見送っている暇はない。背に広げた漆黒の翼を勢いよく羽ばたかせる。
南工場屋上の激戦は千班優勢のまま進んでいた。
遊夜と麻夜の射撃をRehniが徹底的に防いでいく。その後ろから淳紅の『歌』が飛んでくるのだからたまったものではない。それでも時折、麻夜は会心の位置と機会から狙撃できそうなことがあった。しかしそんなときに限って、事務所の上からナナシの攻撃が飛んできた。
事態が更に悪化する。
屋上の扉が開いた。麻夜がすぐさま顔を向けるが、視界は辛うじて捉えることができた黒夜、そして彼女が投じた手榴弾が吐き出す厚い煙幕に埋め尽くされていく。
「ち……ッ」
「先輩!」
咄嗟に放った闇が自身と遊夜を包み隠す。
「ジュンちゃん!」
「判ってるで! 見ててな!」
ナナシが狙いを定めるとほぼ同時、砲身の横っ面に強い衝撃を受けた。目だけで射線を追う。したり顔のゼロが闇に向かって飛んで行った。
ならば、とそこへ砲口を傾ける。
視界の端が白く輝いた。
ナナシが地面を蹴った瞬間、
「じゃーん」
ユウの放った、凍てた華が屋上を薙ぎ払う。
ゼロが暗闇に飛び込んだ。黒夜が放った黒刃に背中を打たれ、着地は強引なものとなった。
「大丈夫ですか?」
「すまんのぅ、追い込まれてしまった」
麻夜は雨を見上げていた。雨を落とす暗雲を見上げていた。暗雲を横切る光の五線譜を見上げていた。
先頭を跳んでいた淳紅が制止する。次の瞬間、彼が利き腕を上げると、その背後に、夥しいとさえ表現できる数の楽団員が浮かび上がった。
淳紅が腹を膨らませるように息を吸う。遊夜の背がぞわり、と泡立ち、その瞬間、両の手をそれぞれに握られていた。
地球の裏側まで届きそうな歌声が紡がれる。
遊夜の体が暗闇の中から投げ出された。ありったけの力で送り出され、屋上を落ちる遊夜が見たのは
「後、頼んます」目を線にして微笑むゼロと、
「ゴメン……」唇を巻き込んだ麻夜、
そして、両名を闇ごと潰す光と音の洪水だった。
(「逃がさねー」)
黒夜が屋上を飛び降りる。しかし四方八方、何処にも遊夜の姿はなかった。続いてきた淳紅とRehniも捜索に加わる。だが発見には至らない。
「っ……何処に――」
庇う暇などなかった。
倉庫の窓から乱射された弾丸の束が淳紅の背をでたらめに穿っていく。
「まったく、洒落にもならんぜ」
陽動に死力を尽くしたヒビキ。
全身に傷を負いながら駆け付けたゼロ。
終始自分を庇う為に動き、ゼロと共に自分を逃がしてくれた麻夜。
「このまま終わったら二度と帰れん。無差別で行くから全弾喰らってくれんかねえッッッ!?」
鬼気迫るガトリングの銃声に眉を顰め、ナナシは事務所から出てきた千陰と合流する。ぼろぼろ、と表現するしかない有り様だった。
「参は?」
「判らない。でも、久瀬さんが入っていったわ」
主語を視線で示す。
「行ってくるわね」
視線を流せば、チルルも同じ方角を見ている。ナナシは溜息を落とした。
「屋上に追いやって。出てきたところを私が終わらせるわ」
「オッケィ」
「「行かせません」よー?」
事務所から駆け出してきた諏訪と明斗、降り立ったユウが迫る。
ナナシが地面を撃ち抜いた。巻き上がる土煙に紛れて、彼女は空へ、チルルと千陰は北工場に呑み込まれていく。
●
オレンジを纏った背中は2階へ上がってすぐのところであっさり見つかった。こちらに背を向けてうずくまり、細かく震えている。
チルルが問うより早く千陰は動いていた。傍らの機械から1メートル程度のパイプを力ずくでもぎ取ると、それをやり投げの要領で橙へ投擲した。
パイプが貫いたのはジャケットだった。千陰は賭けに勝ち、次の賭けに敗北する。宙で身を翻した黒百合が放った一射は、頭部をカバーした千陰の腹部にぶち当たった。
咽てよろめく。肩が巨大な機械にぶち当たった。
チルルは決断した。今だ。
「たーーーっ!」
気合一喝、両手の中に生み出した氷の大剣を振り上げる。その光の明度は、工場の隅々まで照らし上げるほどだった。
手応え――半々。直撃の瞬間に身を捩った千陰は重機に背を預けてチルルと黒百合を睨みつける。その顔には、確かに焦りの色が浮かんでいた。
「……あぁ、そう」
黒百合が視線を投げる。怒らせてどうするの。
チルルが投げ返す。これでケーキはいただきね。
それぞれの息遣いさえ聞こえぬ静寂が訪れる。しかしそれは、すぐに破られることとなった。
●
ナナシが工場屋上の変化に気付く。悠人と、その腕に抱かれているつづりが現れた。
体の向きを変え、身の丈を遥かに超える砲身を構える。その首筋がチリリと疼いた。
目下、パイプの束目掛けて急降下する。元居た位置を光の弾丸が突っ切っていった。
考える間もなく、視界にか細い赤が踊る。瞬く間もなく迫ってきた。
ナナシはジャケットを身代わりにしてなんとか危機を脱する。
振り向いた先には逆光に浮かぶ人影。
「……小日向さんとの約束は?」
「――……や……?」
首を傾げた合歓が糸を繰る。ナナシは再びジャケットに任せて窮地を脱した。飛び上がり北西の事務所を目指すが、煩わしい位置に――春樹の――射撃が飛んでくる。そしてそれに手間取る程に、追ってくる合歓との距離はぐんぐん縮まっていった。
「もーーー! 小日向さーーーん!!」
たまらず上げた抗議の声。それに呼応するように、工場の壁が吹き飛んだ。
●
「小日向!」
叫び、階段から上体だけ覗かせたミハイルがトリガーを引いた。チルルが躱したそれを黒百合も躱し、カウンターを放つがミハイルは既に隠れている。そしてこの隙に千陰は機械の向こう側へ渡った。
チルルが機械に足を掛ける。そこに強い衝撃があった。慌てて距離を取ると、
「そぉいっ!!」
重機ががくん、と傾いてきた。
黒百合は笑みを強めて、チルルは目を丸くして窓から飛び出す。『参』と書かれた壁を巻き込みながら落下していく機械を見送ったミハイルは、最早笑うしかなかった。
「やり過ぎじゃないか?」
「このくらいでやられるあの子達じゃありません。威嚇、お願いします」
一方的に言い切り、千陰は屋上を目指す。扉から洩れる光の所為で迷うことはなかった。
勢いよく飛び出す。
そこには人影があった。
「御無沙汰」
深紅のレガースの調子を確かめる彼女の前で、千陰は腰に手を当て、溜息を漏らした。
「参、知らない?」
「一目散に逃げテったゼ」
狗月 暁良(
ja8545)は帽子を被り直す。
「ま、俺と戦(ヤ)ってれば出て来るんじゃネーかナ?」
苦笑を浮かべた千陰が、一転、鬼の形相で距離を詰めてくる。
●
悠人の背後で扉が開いた。
勢いよく顔を向ける。対照的に、静流は悠々とした足取りでやってきた。
「危害を加えるつもりは無いよ」
「どうも」
つづりはそちらを見ようともしない。決定的なその瞬間を狙って工場屋上を睨んでいる。
まあ、と静流が続けた。
「私に限っては、の話だが」
彼女が入り口の死角に隠れると同時、投げ込まれたそれが白く厚い煙を吐き出した。
「逃げるぞ」
つづりは動かない。
怒号を上げながらマキナが駆けてくる。
●
地を削ぐような水面蹴りを跳んで躱した千陰、その喉元に暁良が足刀を叩き込む。千陰は後方へ飛び、姿勢を崩して着地する。受けが間に合っていなかった。機と見た暁良は鋭く息を吐き、短い助走から跳躍、脚に光を纏わせて2回転からの浴びせ蹴りを放った。交叉させた旋棍で受け止める、が、弾くことができない。暁良が勢いよく下へ振り抜くと、千陰はサイドへ避難、唾を吐きながら立ち上がった。
攻撃を休めてはいられない。連撃を連撃が迎撃する。迎撃する。迎撃する。
踏み込んだ暁良のローが脚に決まる。ぐらりと傾いた千陰の顔面目掛け、低い位置から、まるで突き上げるようなソバットを放った。
旋棍がこれを受け止める。
それと同時、滑るように前に出た千陰の掌底が暁良を思いきり突き飛ばした。
吐き気を堪えながら全力で踏ん張る。雨の所為で距離が伸び、それでもなんとか静止して顔を上げると、千陰が振り被っていた。
舌を打つ。
強烈なボディブローが炸裂した。
体を浮かせ、しかし攻撃に転じようとした暁良に、千陰が揃えた旋棍を同時に振り降ろす。
暁良は床に激突、身を反り、それきり起き上がれない。
口を開けたまま、肩で息をして、千陰は事務所屋上に顔を向けた。
●
足音が聞こえてくる。怒鳴り声も届いている。それでも後ろは見なかった。
煙幕は届いていた。雨も降っている。視界は極めて悪い。それでもつづりは動じなかった。
辛うじて照準に捉え続けていた千陰の顔がこちらを向いた。
息を止めていることにも気づかないまま引き金を握る。
放たれた橙色の弾丸が、一直線に千陰を目指して飛んで行った。
●
ヒビキが目を覚ますと、すぐ上には遊夜の顔があった。短い挨拶を交わしてから様子を窺うと、頭の向こうには麻夜がいるようで、遊夜の正面にはゼロが座っており、誰もが満身創痍だった。
「……った……?」
「ん?」
「……どう、なったの?」
「伍班の勝ちだ」
遊夜はポンポンとヒビキの頭を叩き、笑った。
「……んで、俺らもな。お疲れさん」
決着を迎えた一同は倉庫の中で雨を凌いでいた。語らい、からかい合い、意見を交わしている。それらから少し離れたところで、淳紅、Rehni、黒夜、ナナシは横たわる千陰の頬を叩いたり肩を揺らしたりしていた。
「ちか先生ー?」
「チカゲさん!」
「おい、小日向」
「おーびーなーたーさーーーん!」
(「今起きたら絶対しばかれる……!」)
千陰は最後に撃たれた額を抑えながらうなされ続けた。実際、起き上がるだけの体力もとっくに残っていなかった。
「なあ」
「何ですか?」
「下手だな」
ぐぬぬ、と頬を染めながら、それでも懸命に手当てを続ける。屋上で受けそうになった急襲から身を呈して庇ってくれた、というのは、落ち着いてからマキナに聞いた話だ。彼は片隅でメリーの治療を受け、その横では白秋が諏訪の手当てされていた。こっそり吐かれた溜息を感じ取り、つづりに声を投げかける。
「残り、代わってもらえませんかー?」
「わかったー!」
「(ナイスアシストだぜ!)」
「(お礼、期待してますねー?)」
「はい、終わりました」
「ん」
悠人は目を瞑ってしまう。頭を下げ、つづりは白秋の許へ。すぐに処置に当たった。
「なんかお酢の匂いがする」
「……ぉ……っ!」
「あ、痛かった?」
「おまっ、本っ当に下手だな!」
「司書エルボー!」
「ぃいってえええええええ!!」
肩を叩かれて振り向く。十六夜が包みを突き出していた。
「チョコあげる」
「――いい、の!?」
「うん。一応手作りなんだ〜」
ありがとうと告げ、合歓は口にそれを放り込む。
「……まあ、作ってる最中に器具がいくつか溶けちゃったけど」
もぐ、とあごを動かした合歓がそのまま硬直した。苦笑いを浮かべた春樹が背をさすりながら水を手渡す。
「ところで、伍班の方がもう一人いたはずなんですが」
「そういえば姿が見えないね」
静流が見渡すが、やはり見当たらない。倉庫の中央、カーディスが持ち込んだケーキと紅茶を楽しむ面々に話を振っても、
「あたいは見てないわ!」
「私もよォ?」
「僕もです」
「右に同ジ」
「『皆目見当も付きませぬ』」
「ボクもっ! おかわりっ!」
「終わったのきづいてない、とか」
「まだ何処かに隠れているんじゃないか?」
「心配ですね。私が呼びに行ってきましょうか?」
ガララ、と倉庫の扉が開いた。
一同の目に映ったのは、アルミが張られた大きなベニヤ板。次いで、それを持ち込んだ、話題の人物。
彼は倉庫の壁にそれを立て掛けると、取り出した油性マジックで大きく『参』と文字を書いた。その近くに記号を並べただけのようなつづりの似顔絵を描いていく。そこまで確認して、あー見た見た、と数名が声を上げると、ようやく彼は振り向いた。
「……あれ。訓練は?」
「終 わ っ た け ど ?」
ライフルを腰に当て、体を回しながらつづりが歩み出る。
「て か 、 そ れ 何 ?」
その前に、と月詠 神削(
ja5265)は両手の平を突き出した。
「どっちが勝ったんだ?」
「参 班」
「そうか。なら、これはデコイだ」
「へー。それが。あたしの。ふーん。近接射撃の訓練したいんだけど頭の後ろに手組んで膝で立ってくれない?」
「……ははっ」
はにかんで頬を掻くと、神削は踵を返し、全速力で工場の外へ走っていった。
「待あああてえええッッッ!」
叫び、追い駆けるつづりの背を眺めながら、ミハイルがティーカップを傾ける。
「なんというか、元気だな」
「まあ、三ツ矢さんの怒りも尤もですね」
カーディスの言葉に、確かに、と明斗が頷き、でも、と続ける。
「小日向さんには効果があったみたいですけれど」
「もーーー!!」
「おい、ほんとに起きろ小日向」
ナナシがグーで、黒夜がチョップで叩き始めるが、それでも千陰は頑なにうなされ続けた。
すぐ隣では、うずくまる合歓の背をトントンする春樹と、不思議そうに見上げてくる十六夜の姿。
俄かに朗らかな雰囲気となった倉庫内に
「止まれえええッ!!!」
雨に濡れたつづりの絶叫と発砲音が暫く響き渡っていた。