●
ガララ、と引き戸が開く。阿賀野 祐輔(
jc0118)は声を張りながら駆け寄った。
「ィラッシャーセー! 何名様っスかー?」
来客――元 海峰(
ja9628)は僅かに顔を伏せたまま、両手首に巻いた鈴を鳴らして空間を把握しようとしていた。
「手ェ、引きましょか?」
「いや、大丈夫だ。すまない」
いえいえ。祐輔は笑う。
「お一人様っスか? カウンターならすぐ案内できやすよ」
「頼む」
「あーい! 1名様ごあんなーい!」
いらっしゃいませ、と方々からスタッフの声が飛んでくる。それを丸ごと呑み込みそうな先客の声の波が海峰の耳に届いていた。
祐輔が案内し終える頃、再び戸が動いた。会計を済ませて去っていくお客とすれ違い、麻生 遊夜(
ja1838)が入店してくる。来崎 麻夜(
jb0905)、ヒビキ・ユーヤ(
jb9420)が続き、ディザイア・シーカー(
jb5989)が僅かに身を屈めて店内に足を踏み入れた。
すぐさま蓮城 真緋呂(
jb6120)が駆け付ける。店名が大きく入った暖簾と同じ色のエプロンが軽やかに揺れた。
「いらっしゃいませ♪ お座敷とテーブル席がございます」
「んじゃ、テーブルで」
「かしこまりました。こちらです♪」
4名様ご来店です。朗らかな言葉に、スタッフのいらっしゃいませが応える。
会計を処理していた木嶋香里(
jb7748)から食器セットを受け取り、席の清掃を済ませた田村 ケイ(
ja0582)とすれ違う。急ぐでなく、しかし素早く、背筋を伸ばしてケイは厨房へ向かった。
席は店の最奥、窓際のテーブルだった。奥側へ遊夜、ヒビキが掛け、手前を麻夜、ディザイアが埋める。
「お飲物お決まりでしたら伺います♪」
次々と告げられるオーダーを、真緋呂は手早く伝票に書き留めた。それを復唱する透き通った声は、店内の喧騒に在っても尚、明確に通っていた。
●
「カウンター6番席オーダーいただきやしたー! 麻婆豆腐、炒飯、棒棒鶏っス!」
「わかりました」
応えながら美森 あやか(
jb1451)がホワイトボードにマグネットを置く。その隣に注釈のようにオーダーを記し、調理ミスを失くそうという算段だ。
「炒飯作るぜ」
「じゃ麻婆豆腐やるか」
「お願いします。では、私は棒棒鶏を」
あやかがネームプレートを並べていく。
棒棒鶏→美森 あやか
麻婆豆腐→グィド・ラーメ(
jb8434)
炒飯→アルフレッド・ミュラー(
jb9067)
「次の米って炊いてあるのか?」
白米をボールに移したアルフレッドの問いに、やや離れた位置からアドラ・ベルリオス(
ja7898)が頷く。
「うん、そろそろ。もうひとつ要る?」
「頼んだ。ギリギリかもしれねぇ」
アイコンタクトと笑みを交わし、アルフレッドは中華鍋の前へ。下拵えが施された材料を投入し、強火で一気に炒めていく。
傍らから昇る葱と叉焼の芳ばしさに喉を鳴らし、グィドはニヤリと笑う。
「美味そうなモン作りやがって。腹が減って仕方ねぇ」
「そいつぁどうも」
あんたもな、と続ける。グィドが軽々と操る黒い鍋の中では、赤いスープが浮かぶ白にとろみを纏わせながら踊っている。大振りな器具が混ぜ合わせていくたびに旨くなっていくのが伝わる。正面の海峰も満足げに腕を組んでいる。待ちきれない、と言った面持ちだ。
まな板の音が途切れ、葛葉アキラ(
jb7705)が得意満面を持ち上げる。
「キュウリの千切り、上がったでェ! 器何処やァ!?」
「これ使っていいよー!」
真っ白な皿を同じ色の布巾でキュッキュと鳴らしながらシルヴィア・マリエス(
jb3164)がやって来る。両手ほどの大きさの器に、色鮮やかな緑が敷き詰められていく。
「よォっし、これであとはお肉やな」
「あ、それなら――」
PiPiP――
タイマーの電子音は最低限で止められた。
「二度揚げ完了」
自分に告げるように呟き、ディアドラ(
jb7283)が菜箸で唐揚げをトレイに上げていく。そしてすぐさま、
PiPiP――
「鶏肉、茹で上がりました」
湯の中に網目のおたまを潜らせれば、白く輝いたササミが現れた。それを「わーい!」とシルヴィアが運び、「よっしゃ、任しときィ!」とアキラが包丁を入れていく。軽やかなリズムを背中で聴きながら、ディアドラは作り置きの為に次のササミを湯の中に投入した。
フロア担当が続々とオーダーを持ち帰ってきた。
先ずは雪之丞(
jb9178)。
「座敷1番。カレー南蛮そば、ソースカツ丼定食、豆富サラダ、いかのゲソ揚げだ」
あやかがホワイトボードに記していく。その一品目、南蛮そばの隣に、星杜 焔(
ja5378)が自ら自分のネームプレートを滑らせた。
「任せてよ〜。いい感じに煮込めたとこなんだよね〜」
「揚げ物はこの後やるわ」と、ディアドラ。「シルヴィアさん、手伝ってくれる?」
「もっちろーん!」
「では、サラダはあたしが」あやかが小さく手を挙げる。「野菜のカットって……」
「終わってるよ」言い、冷蔵庫を開けたアドラの目が丸くなる。「あー、キャベツの千切り終わりそうだった」
「棒棒鶏仕上がったでェ! 次はキャベツやって? ちょっと待っとき!!」
そこへ真緋呂が戻ってくる。
「4番テーブル、カシスオレンジ、ソルティドッグ、コーラ、ウーロンハイです」
「私が作ります」言いながら香里が動き出す。「お通しの作り置きはありますか?」
「あるよ。星杜さんが作ってくれた切り干し大根。もう小鉢に入ってるから」
「結構自信作なんだ〜」
これならすぐに持って行けるだろう。身構えた真緋呂を遠くからお客が呼んだ。
「はーい、お伺いしまーす♪」
ニコリと微笑み、小走りで駆けていく真緋呂と入れ違うように鈴代 征治(
ja1305)と若松 匁(
jb7995)が厨房へ。
「座敷2番にカレーうどん、ミックスピザ、焼き餃子と豚のスタミナ焼き。
カウンター1番にオムライス、カウンター2番に特盛天丼です」
あやかがホワイトボードに記していく。
「カレーうどん並行して作っちゃうね〜」
「炒飯もう直だ。その次は……スタミナ焼き行くか。キャベツってあるんだよな?」
「任しときィ!」
「んじゃ俺は餃子だな。っと、麻婆豆腐できたぜ!」
「え、えっと……2番テーブルにフライドポテト山盛り、生ハムサラダ、生ビール2つです!」
あやかがホワイトボードに記していく。
「揚げ物は少し時間が掛かってしまいます」
「急いだって仕方ねぇ。ミスのないようにしねぇとな」
「通るよー」
人垣をかき分けて、両手に使用済みの食器類を満載したケイが戻ってくる。
「予備のフォークがなかったけど、どれを持って行っていいの?」
「あ、えっと――」
「大丈夫ですよ、シルヴィアさん。どうぞ持ち場へ。怪我には気を付けてくださいね」
「……うん! がんばるよー!」
「4番テーブルの飲み物、できました」
仕上がって暫くした唐揚げの隣に、4つのお通しとグラスが置かれる。
「私が運ぼう」
メイシャ(
ja0011)がシルバーのトレイにそれらを乗せていく。
慌ただしく行動する仲間達。その邪魔にならぬよう細心の注意を払い、デカンタを持った征治が奥へ進む。冷蔵庫の傍には卵を混ぜる香里が居た。
「活気づいてきましたね」
「そうですね」
遠くから祐輔の声が届く。
「座敷3番、4番さんお帰りっスー!」
ありがとうございまーす!!
「行ってきます」
「お願いします」
厨房はまだまだ踊る。
●
「お待たせした」
遊夜が目を丸くしていた。視線に気付いたメイシャが、ああ、とうさみみを確かめる。
「皆、好きなのだろう? こういったモノが……」
「……まぁ、好きなヤツはおるかもな」
「恥ずかしいと言えなくもないが……店の為だ、致し方あるまい」
(「……かわいい……」)
「……と、済まない、注文の品をお持ちした。
ソルティドッグだ」
「ん」遊夜が受け取り、
「カシスオレンジ」
「ん……」ヒビキが腕を伸ばし、
「コーラとウーロンハイだ」
「わーい」麻夜が両のグラスを受け取り、
「おう」ウーロンハイをディザイアに渡した。
「これがお通しで……」
4つの小鉢をそれぞれの前に置き、最後に、
「そして、鶏の唐揚げだ」
と言って、山盛りのそれをテーブルの中央に差し出した。
「「「「……」」」」
「……ん?」
「頼んどらんぞ」
「……何?」
「頼もうとは思っていたが、まだ頼んではない」
今度はメイシャが目を丸くする番だった。
「す、済まなかった」
大急ぎで回収するメイシャに、遊夜は笑みを向ける。
「いやいや。んで、美味そうなんで2人前頼もうかの。後はー……肉中心のお任せで」
「承知した。……その、本当に済まなかった」
深く深く頭を下げ、メイシャが去っていく。その背と耳を心配そうに見送ってから、遊夜はグラスを掲げた。麻夜、ディザイア、ヒビキも倣う。
「えー、それでは、今日は『お祝い』だ。呑まれん程度に飲んで楽しもうや!
という訳で、乾杯!!」
掛け声に合わせてグラスを合わせる。
ディザイアが一口飲み、はす向かいで遊夜が二口飲む。普段あまり嗜まない彼も、今日は『飲む』と決めていたようで、やや上ずった声で唸りながら半分ほど減ったグラスを置いた。
その隣でヒビキも八分ほど減ったグラスを置く。
「やっぱり、美味しくない……」
でも飲み易い、と付け加える。再びグラスを傾けるヒビキを、唇を突き出した麻夜が眺めていた。
「むー、ボクもお酒飲めたら良かったんだけどなー」
遊夜の手の中で氷が傾く。
「ま、今度付き合ってやるから勘弁な」
ポンポンと頭を叩けば、麻夜の口は途端に弧を描いた。
「じゃあデートしよう、デート!」
「おー、いいぜ。直に夏も本番だしのぅ」
朗らかな語らいの隣で、早くもひとつグラスが空になったのをディザイアは見逃さなかった。
「……ペースが速くねぇか?」
「いいの。今日はいいの」
「次は何飲む?」
「ん、同じの」
「すいませーん」
「はい只今」と、ケイが小走りでやってくる。
●
「お待たせしました」
雪之丞が炒飯の隣に麻婆豆腐、棒棒鶏を並べる。香りは旨味を雄弁に語り、品を見ずとも口の中に味が広がるようだった。
「……いただきます」
手を合わせ、会釈。れんげでパラパラの炒飯を掬い、口に運ぶ。旨い。自然と頬が綻ぶような味わいだった。
麻婆豆腐へ、棒棒鶏へ。手はまるで止まろうとしない。
「……うむ。見事だ」
●
(「不覚だ……」)
無事正規の席へ唐揚げを運び終えたメイシャは、こっそり落ち込んでいた。
見つめた先で入り口が揺れた。微かに誰かの気配がする。そういえば、先程目元を隠したお客が入店してきた。もしかしたら、体調の優れない者が訪れたのかもしれない。
急いで入り口を開ける。勢いが充分に乗っていた。
「いらっしゃいま(パキっ)せ……?」
軽い音に視線を上げる。軒に引っかかって折れた片耳がぱたん、と額に当たった。
再び目を丸くしたメイシャを、夜の中で腹を抱えたみくず(
jb2654)が見上げていた。彼女の耳もまた、ぺたーん、と垂れていた。
●
厨房は輪をかけて慌ただしくなっていた。
「オムライスできたよ〜」
「はーい! お待たせー!」
焔から受け取ったシルヴィアが厨房内を行き、カウンター越しに直接渡す。
「生4つ、できました」
「お通し置いておいたから忘れないでね」
「はい、ありがとうございます」
「すいませーん」
「お伺いしまーす♪」
「ジンギスカンってもう少しかかっちゃう感じっスか?」
「もう少しだ。次の材料運んどいてくれ」
ケイは伝票を手にしたまま、カシスオレンジを作る為に厨房の奥へ進んだ。道中メイシャとすれ違う。行き掛けに肩を落としている様子を窺い、戻りしなに頭の上の原因を発見した。
「取れば?」
「そういうわけには――」
「はい、動かないでくださいね」
メイシャの背後から征治が声を落とす。ケイが見守り、メイシャが硬直する中、征治は店の名前が入った手ぬぐいで折れた部分を結んだ。遠目に見ればリボンに見えなくもない。近くから見れば店の名前に目が行く。
「応急処置ですけど」
「……余計な、ことを……」
「背筋が耳に負けてるわよ」
「そんなことはない」
ぐい、と胸を張ったメイシャが歩き出し、振り向いた。
「……貸しは作らん。何か困ったことがあれば言うといい」
では、と征治は微笑む。
「座敷6番、オーダー採りお願いできますか?」
「わかった」
取ればいいのに。肩を竦め、ケイはドリンクを携えて出立する。
●
海峰が最後の炒飯を口に運ぶ。最後まで手が止まらなかった。良い店に巡り会えた。
口元を拭っていると、隣にみくずが腰を降ろした。しおらしいしっぽを膝の上に乗せ、それごとぺこぺこのお腹を抱える。その奥から、ぐぅ〜、と鳴ると、もやしを炒めていたグィドが短く笑った。
「愛嬌のある嬢ちゃんだな。腹減ってんのか?」
「うん、もうぺこぺこ!」
みくずはテーブルに突っ伏してしまう。視線の先には海峰が平らげた空の器。それすらも美味しそうに見えてしまい、ゴクリ、と生唾を呑み込んだ。
「そんなお客様にぴったりのメニューがございます」
視界に滑り込んできた雪之丞が一連の動作でチラシを突き出す。
グィドは起こるであろう波乱に胸を躍らせつつもやしを皿に移した。
「ただいま『ドカ食いチャレンジ』というものを行っていますが、どうですか」
「たべる!」
「AコースとBコースがございます」
「どっちかしかダメ?」
「どちらかにしておいた方が無難かと」
「Aは?」
「熱々旨辛鍋焼きうどんです」
「Bは?」
「特大キンキンパフェです」
海峰は腕を組み続けていた。
「んーと、んーと、じゃあAで!」
「大丈夫か?」肉を裏返しながらアルフレッドが問う。「味は保障するが、相当辛いぜ?」
「? 大丈夫だよ?」
けろりとしていたみくずだったが、再び腹が鳴るとその場に縮こまってしまう。
「えーこーす! えーこーすー!」
「Aコース、いただきました」
「あいよ。Aコースひとつ!」
アルフレッドを通して厨房に広がっていくオーダーを眺め、胸の内で口角を上げる雪之丞。その眼前で海峰が手を挙げた。
「ご注文ですか?」
「ああ。Bコースを頼む」
雪之丞は一度息を呑み、すっと腕を伸ばした。
「開いている器、お下げします」
とても一緒には置けないので、と付け加える。
更に慌ただしくなる厨房。その中にあって、焔は、グィドがほくそ笑むのを聞いた。
「どうしたの〜?」
「いや、なに、とうとうチャレンジャーが来た、と思ってな」
楽しみだねぇ、と笑う。
だが、これは長くは続かなかった。
●
座敷3番は座敷席の中央に在って、厨房の正面に当たる席だ。そこへ通されていたUnknown(
jb7615)は、運ばれてきた料理を片っ端から口の中へ運んでいた。正面には連れの九鬼 龍磨(
jb8028)が卓に並べられたチラシを眺めてウズウズしている。そちらを向いたUnknownの視線は、しかし龍磨ではなく、その奥、広い机に独りで座る夏木 夕乃(
ja9092)に注がれる。
「い、いらっしゃいましぇ……!」
噛んでしまった匁の顔がケープのように真っ赤になっていく。ちらりと覗きこむと、夕乃はチラシを食い入るように見詰めていた。小さく咳を払い、メモにペンを添える。
「えっと……ご注文はお決まりですか?」
夕乃がチラシを置き、目を閉じる。
「誰にも邪魔されることなく、ただ食を堪能する。これぞ生物に平等に与えられた癒しです」
「あ、はぁ……」
「でしょう? どっかのテレビでゆってたんですよー」
「……ご、ご注文はお決まりですか?」
「ドカ食いチャレンジで」
「ドカ食いチャレンジですね! 冷え甘地獄と熱辛地獄の選択肢がございます!」
「Bコースの冷え甘地獄でお願いしまーす。目指せ完食、バッチコーイ!!」
「ご注文ですか?」
机の隣で膝を曲げた真緋呂をUnknownが一瞥する。
「あの者が挑んでいるのは」
「ドカ食いチャレンジですね♪」
真緋呂がつらつらと説明していく。聴き終えたUnknownは、一度神妙に頷き、短く鼻を鳴らした。
「力に溺れた愚者を誘き寄せ、叩き潰す為の餌、というわけか」
真緋呂の表情がほんの僅かに強張る。
「餌ではありません、料理です」
「では、その料理とやら、持ってくるがいい」
「AコースとBコースがございます」
「両方だ」
「……よろしいんですね?」
「何度も言わせるな」
俄かに睨み合う両者。その視界の端で
「あ、僕Aコースで!」
と、龍磨がニコリと手を挙げた。
●
ヒビキはすっかりできあがっていた。
「おかーさんになれたの、なれたのよ?」
「あぁ、そうだなぁ」
「でもたまにおねーさんなの、悲しいわ」
ぐい、と残りを飲み干す。
「私は学んだの、学習したのよ?」
「んむ、だな」
「伝えればいいの、伝わるかしら?」
「お待たせしました、カシスオレンジです」
ケイが運んできたおかわりを、ヒビキがやや強めに受け取り、口に運ぶ。
「飲み過ぎだ」
「そんなにお酒強くないんだから、無理しちゃ駄目だよー?」
だいじょうぶ、ともう一口。これがトドメになった。
「違うわ、違うのよ。あれは……あんなの、恥ずかしいもの……」
うぅー、と唸りながらテーブルに突っ伏し、そのまま、すやぁ、と眠りこんでしまう。
「……お連れ様、大丈夫ですか?」
「あぁ、問題なかろう」
そうですか。ケイがグラスを回収していると、座敷の方角からどよめきが届いた。言葉を拾い、麻夜が察する。
「ディが挑戦しようとしてたやつだねー」
ケイが視線を送る。ディザイアは残りのウーロンハイを呑み干すと、よし、と言って座り直した。
「2種類あったよな。辛い方で頼む」
ニヤリ、とケイ。
「……ウチの凄いですよ。頑張ってくださいね」
そして厨房に向かって声を張り上げた。
「4番テーブル大食いAコース入りまーす!!」
●
厨 房 、 騒 然 と す。
なにせ、ドカ食いメニューが7件同時に入ったのだ。うどん40玉、アイスとホイップの合計9kg。これらを作りつつ、一般の料理も仕上げなくてはならない。
「負けへんでええええええェッ!!」
アキラが包丁と魔具(きっちり清掃、除菌済み)を総動員して葱、蒲鉾、豚肉、魚の赤みを同時にタタタタタタと別々に捌いていく。
「スピードで勝負してるわけじゃねぇ。が――」
「ああ、戦場だな、こりゃ」
グィドとアルフレッドが両手に提げたうどんの水を切る。
「合わせ味噌、これぐらいかしら?」
「うん、いいと思うよ〜」
ディアドラと焔が様子を見ているのは4つの大きな土鍋。ぐつぐつと煮立つ真っ赤なスープは確かに、間違いなく辛味が激しく主張していたが、それ以上に口に運びたくなるような求心力に満ちていた。
様子を見に来た香里がディアドラの汗を横から拭う。
振り向いた先では、アドラとシルヴィアがあやかの指揮の許にアイスの山をこしらえていた。
「ここにホイップを挟むと、味わいが変わると思います」
「ん、わかった」
それにしても、とアドラ。
「美味しそうだね……! チャレンジャーがちょっと羨ましいかも」
「あたしも食べたいなー」
シルヴィアもごくり、と生唾を呑み込んだ。
うどんをゆで終えたグィドが腰を伸ばす。
「ったく、気持ちはわからなくもねぇがシャキっとしろってんだ」
なぁ? と振り向いた先にはディアドラ。
「すげぇな、量もだけど美味そうだ」
「お前もかよ」
●
そういや、と龍磨は唐突に切り出した。
「アンノ君、なんでザコキャラ名乗ってんの? CRが−4だから?」
「防御面で言うとそれは事実でもある……が、故に謳い遊ぶ。それだけ」
「んでも、大怪我とかよくするよね?」
「本気で遊べば擦り剥きもする。それもまた、遊びの醍醐味」
「擦り傷じゃ済んでないけどね」
にはは、と笑い、そうだ、と続ける。
「甘いのと辛いの頼んでたけど、どっちが好きなの?」
「味などというものを感じたことはない」
「え、そう……なんだ」
目を伏せて口を曲げる。
「……好物は何かなって、考えてたんだけどな」
「何も感じぬ、というわけでもない」
「すいませーん、通りまーす!」
スタッフが2人一組で特大の器を運んでくる。
Unknownと龍磨が掛ける卓上に3つ並べられると、周囲のお客がどよめいた。それは同じく座敷に座る夕乃、離れたテーブルに掛けるディザイア、そしてカウンターに並ぶ海峰とみくずの許へ届く度に大きくなる。
座敷の中央に立った香里が、首から提げたストップウォッチを構えた。顔なじみの龍磨に視線を送ると、彼は歯を見せて笑い、髪を結い上げた。Unknownは腕を組んだまま、じっと目の前の超ド級の2品を見つめている。
「制限時間は30分です。それでは、開始してください!」
銜えたホイッスルを短く鳴らす。
「いっただっきまーす!」
ドカ食いチャレンジ、開始の瞬間であった。
●
バ リ ム シ ャ ア ……
その名状しがたい事象を、筆者は表現する言葉を持たない。
バ リ ム シ ャ ア ……
述べられることは、Unknownの前に並んでいた2つの器は瞬く間に姿を消し、ぽっこんぽっこんに膨らんだ腹部の中に収まった、ということだけである。
金色の双眸が、苦笑いを浮かべる香里を見上げた。
「定刻に間に合ったか」
「むしろ早すぎですよ。チャレンジ成功、おめでとうございます」
「やっぱり凄いねアンノ君!」
食べ進める龍磨を筆頭に、周囲の観衆が歓声と拍手を鳴らす。
店を揺らすようなその音に全身を叩かれながら、やや離れた席で、祐輔は業務をこなしていた。
表情は変わらない。変えていない、と言った方が正しい。
回収した器は、器以上の重みを持っていた。
●
「……うむ、美味い」
3割ほど食べ進めたところで、海峰は呼吸を置きながら呟いた。脳裏に過るのは年頭の記憶。大雪の中で冷たい物を食べるのが苦行なら、蒸し暑い夏の夜にアイスを頬張るのは宛ら褒美だ。味は申し分なく、隣には熱源まである。
「お゛い゛じい゛ー!」
一日ぶりの十全な量の食事に、みくずは目に涙を浮かべながらずんぞぞぞーとうどんをすすっていた。座った直後はしなびていた耳も、麺が減るごとに元気を取り戻していく。それが限界でなく、満足のバロメータであることを察したグィドは、隣で微笑む焔に曖昧な笑みを浮かべて見せた。
ヒビキがむっくと体を起こした。目の前には特大の土鍋。立ち昇る陽炎の奥には、それに真っ向から対峙するディザイアの姿が。小皿に移しながら確実に食べ進む彼の額は早くも汗が溢れていた。それを逐一拭いていた麻夜がヒビキの起床に気付く。
「おはよー。よく寝れたー?」
「……辛い……」
「ねー。見てるだけで目に来るよねー」
「……大きい……」
「な。よくこんなもん挑戦する気になるな……」
ぼやき、唐揚げをひとつ頬張る。ヒビキの方へ視線を送ると、ぽわわんとしたそれを向けられていた。
「ん、暑い……」
言うが早いか遊夜にくっつく。リアクションに迷っている間に、ヒビキは上着の袖から腕を抜こうとする。
麻夜の判断は早かった。つるん、とテーブルの下を潜り、両者の間に割って入る。
「はいはい、落ち着いてねー」
「ん、冷たい、暑い?」
「暑いんだよー」
「暑い……寒い?」
「素面ってつらーい」
顔をしかめたディザイアが軽いコップを持ち上げる。まるでその瞬間を見計らっていたかのように、デカンタを乗せたトレンチを掲げた征治が訪れた。
「お水のお代わり、いかがですか?」
「ああ――2つ頼む」
「かしこまりました」
征治は厨房から持ってきていた空のグラスを置いた。
Unknownは手持無沙汰だった。追加で頼んだ通常のメニューは少し時間が掛かるらしい。正面の龍磨は真っ赤なうどんと必死に格闘している。うなじにおしぼりを貼りながら対峙しているそれも、箸休めにつついているほうれんそうのおひたしも奪う訳にはいかない。
組んだ腕の中で指が動く。視線は自然と龍磨の奥、夕乃へ向いた。
「最初の山がやってきましたね……」
呟く。傍目にも苦しそうな彼女は、それでも果敢に攻め立てた。しかし――
「くっ、ついにこの攻撃が来ましたか……!」
頭を抱えてびったんびったんとのた打ち回る。急激に冷やされた為に生まれた頭痛と奮闘しているのだった。通りかかった征治が脚を止めずに空調を操作、設定を2度上げて去っていく。
Unknownは口角を吊り上げた。あれは残る。
ふらりと動き、手を伸ばした彼の鼻先に、しかし、夕乃がスプーンを突き出した。
「これは自分の戦いです……!」
「敗戦が濃厚だ」
「確かに苦しい……だけど、だからこそやり遂げる意義があるんです……!」
鼻を鳴らした。
「その意気や良し。精々励むことだ」
残し、席に戻った途端、龍磨が控えめに手で招いた。
「食べきれなかったらこっそり食べてくれる?」
「是非も無い。それもまた道だ」
●
真相を知る術はない。残された者が残された物にできることは、適切に処理し、店内に居るお客の笑顔を濁らせないよう努めることだけだ。
洗い場に置かれた半分ほど残されたドリアを、ディアドラは素早く手で処理した。空になった器は洗剤を混ぜておいた水に潜らせる。労るように何度か揺らしてから残った洗い物に取り掛かった。
「これ、お願いね」
「うんー……」
受け取るシルヴィアは意気消沈気味。激務に因る疲弊に加え、先程Bコースを目の当たりにしたのが効いていた。近い位置では匁が机に突っ伏している。
「はふぅ……」
「ったく、どっちもしっかりしねぇか」
溜息混じりに言うアルフレッドが取り出したのは、チョコレートの入った小瓶。それを見た瞬間、シルヴィアと匁の瞳は一気に輝きを取り戻す。
「閉店までまだあるぜ。そいつ舐めてもうひと踏ん張りだ」
我先にとチョコレートに群がる仲間を、真緋呂は遠くから眺めていた。
「チョコもいいですけど、賄い、とか……」
「あるよ〜」
焔が運んできたのは、やや赤みの効いたカレー丼。
「即興で作ったけど、美味しいと思うよ〜」
「……いいんですか?」
「食べられる内に食べておかないとね〜」
改めて差し出された丼を、真緋呂は、いただきます、と満面の笑みで受け取った。
●
チャレンジ、残り6分。
大きな器を掲げ、顔の前で掲げていたみくずが、ドン、と置いた。
「っぱー! ごちそうさまでした!!」
言葉通り、器の中には汁一滴残っていなかった。香里が確認し、成功を告げると、店内のあちこちから賞賛の拍手が上がった。無論厨房からも惜しみないそれが上がり、それをかき分けてあやかが身を乗り出した。
「お口に合いましたか?」
もちろん、とみくず。
「とっても美味しかったです!」
笑顔の上で両耳がピン、と天井を指している。幸せそうにゆらゆらと揺れるふさふさの尻尾に、あやかは相好を崩していた――が、
「あ、おかわりください」
というみくずの一言を聴いて、彼女の表情はひきつった。
一同の視線がカウンターに注がれる裏で、龍磨は静かーに器をUnknown側へ滑らせた。
「ごめーん、残り食べてくれる?」
「仔細無い」
黒い腕が器に伸びた瞬間、おっと、と通りかかった征治が声を投げる。
「申し訳ないのですが、チャレンジはおひとり様で、ということになっております。ご協力は失敗扱いに――」
「あ、やっぱり?」
ならもう少し、と器を取り戻そうとした時にはもう遅い。Unknownがバリムシャアしていた。
龍磨、無念のリタイアである。
●
ピッ ピッ ピーッ
笛の音が鳴り渡り、数多の戦士を巻き込んだチャレンジタイムは終了を迎えた。
海峰はあと少しであったが、ラストの追い込みで頭痛に苛まれてしまった。龍磨は前述のとおり、ペースを崩さず食べ進めたディザイアは2玉ほど残す結果となってしまい、夕乃は笛を待たずに真っ白に燃え尽き、テーブルに突っ伏していた。
「ふむ。無念、だが満足だ」
「うあー、賞金がー!」
「ま、無理せずやればこんなもんかね」
「(真っ白)」
「それでは、スタッフの皆さん、よろしくお願いします♪」
海峰の許には雪之丞。
「チャイナドレスなどいかがでしょう。赤と黒がございます」
「悩ましいな……紫はないのか?」
龍磨の許へはアキラが。
「もうこれで決まりやろ! 赤黒のチェックの衣装! どうや!?」
「あーーーーこれかーーーー! これ来たかーーーー!」
「ぜえったい似合うで! さ、お着替えお着替え!」
ディザイアの許へはケイが。
「お疲れ様でした」
「完敗だ。旨かったぜ」
「何よりです。そして、罰ゲームなのですが……」
「ああ、やるぜ。何でも持ってきてくれ」
「申し訳ございません、お客様のサイズに見合うものがセーラー服とスクール水着しかなかったのですが」
「偏ってんな!?」
「ボク、セーラー服姿が見たいなー。ヒビキはどう?」
「ん、暑い……から、水着……」
「いっそ両方着てみるかね?」
「ここだけハードル高くねぇか!?」
そして、夕乃の許へはアドラが赴いていた。
「お客さん、大丈夫?」
「(こくこく)」
「ほんとに? ちゃんと立てる?」
「(こく、こく)」
「そう、よかった。それじゃあ、はい、背広と半ズボン」
●
暫くすると、店内には空席が目立つようになった。無事ピークを乗り越えた証拠である。
だが、それは閑散となった、という意味ではない。みくずはカウンターを占拠し続け、Unknownは着々と料理と食器を消化し続けていた。呼び込みの甲斐あってか、客足は途切れない。
「お待たせした」
メイシャがカレー南蛮そばをテーブルに置くと、お客の女性は、これこれ、と箸を携えた。
首を傾けると説明が飛んできた。ここのが美味しいって聴いて、飛んできたの。
「……ごゆっくり」
頭を下げ、踵を返す。耳に結んだ手ぬぐいが誇らしげにたなびいた。
「できたぜー! 持ってってくれ!」
「い、いらっしゃいましぇ……!」
「座敷6番、チャレンジ入りやしたー!」
大衆食堂『りゅうてん』オープン以来の繁忙日は、空前の活気を携えて更けてゆく。