●図書館
たまたま図書館で作業をしていた地領院 夢(
jb0762)は、この騒ぎでも全く動じず居眠りを続ける久瀬 悠人(
jb0684)の肩をぐいぐいと揺らした。
「起きてくださいっ、悠人さん! 宝の地図ですって!」
ようやっと半分だけ目を開けた悠人に何が起こったかを説明する。身振り手振りを加えて語る夢の正面で、悠人は大きく伸びをした。
「……あのバイト娘、また面倒事に巻き込まれたな。てか、誰か起こせよ……」
「この騒ぎで起きない方が不思議です、悠人さん……」
繰り返し何度もあくびしながら動き出した悠人の背を急かすように夢が押す。
両者が図書館を後にしてから、ナナシ(
jb3008)は館内を軽く巡回、誰もいないことを確認して入り口を閉じて張り紙をする。文面は以下のとおり。
――現在司書は留守にしております。ご用の方は後日改めてお越しになって下さい
これでよし。小さく頷き、軒の上で遠くの騒動を笑んで見遣る友人に顔を向けた。
「楽しそうね」
「そうねェ」と、黒百合(
ja0422)。
「さてェ、どんな風に仕留めようかしらねェ……狐じゃないけどォ、フォックスハンティングとかァ♪」
微笑みを湛えて飛んでゆく。物騒な単語を頭の中で繰り返し、ナナシも翼を広げた。
●広場―1
三ツ矢つづり(jz0156)を銜えた大猫でぃらんは、その背に女の子と大山恵(jz0002)を乗せたまま、徐々に数を増していく【黒衣団】から逃げるべく学園内を爆走していた。でぃらんの速度は凄まじく、距離は見る見る開きつつある。
女の子は黄色い声を上げながら笑っていた。見るものすべてが輝いているように感じられていた。例えば今、周りを飛んでいる桃色の可愛いの。おーい、と手を振ったその瞬間、視界の端が鮮烈に輝いて、でぃらんが急ブレーキをかけた。恵に抱えられながら衝撃を堪えて顔を向けると光が徐々に治まり、その中から見覚えのある姿が現れた。少女はぱっと表情を明るくする。
「でぃらーん! お嬢ちゃん! ひっさしぶりぃ」
「あおばおねーちゃん!!」
ぶんぶんと振られる手に同じ素振りと笑みで応えつつ、椿 青葉(
jb0530)が駆け寄る。女の子は更に笑った。
「何してたのぉ?」
「みんなでちずをまもってたの!」
「そうなんだぁ。よぉっし、あたしも一緒についてってあげるぅ!」
「やったー! あ、でものれるかなあ……」
「ボクが降りるよ」
明るい表情で告げ、恵が飛び降りる。
両手には大振りの戦斧、あごを引いた視線の先には随分数を増やした【黒衣団】。語らいの間に、すっかり囲まれてしまっていた。
言葉はなかった。恵目掛けて黒衣の者が襲い掛かってくる。似た得物を携えた相手と正面から衝突している隙に、別の黒ずくめが芝を舐めるような挙動で女の子に迫る。
それが地を蹴った直後、顔面を鉄塊のような大剣の腹が迎え撃った。黒衣は成す術もなく吹っ飛び、倒れる。
大業な剣を担ぐ姿に、少女は見覚えがあった。
「約束通り、遊びに来てくれたんですね」
「あ……!」
「今日は、まーちゃんは一緒では無いのですか?」
「うん! きょうはおるすばん!」
「そうですか。では、あなたたちだけを護れば良いのですね」
雫(
ja1894)が無骨な大剣を振り回す。
この間も、つづりはでぃらんから逃れようと必死だった。が、正面から来る黒衣を撃ち落としながらということもあり一向に捗らない。やがて焦りから射撃を外し、黒衣の数名が押し寄せてくる。歯を食いしばって持ち上げた銃身に、似た得物が並んだ。
2つの銃口が同時に光を放った。『面』に達した攻撃が黒衣を押し流していく。
「ありがと」
「お礼は少し早いかもですねー?」
にこりと微笑んだ櫟 諏訪(
ja1215)が正面の集団を弾幕で薙ぎ払った。ならばと銃身を別の方向へ向けるつづり。彼女の腰には照準が合わせられていた。つづりが気付いた時には光は放たれ、大きな体が覆い被さってきていた。
対空で放たれた銃弾が空からの弾丸を迎撃、大きく逸らす。強い光に眉を寄せたつづりの頭を、赤坂白秋(
ja7030)がポン、と叩いた。
「助太刀するぜ、参(サン)」
「……降ろしてくれると助かるんだけど」
「まずはここを切り抜けてからだ。事情は聴いてるぜ」
唇を突き出したつづりの頭をもう一度叩いてから、白秋は優しい笑みを浮かべる。
「俺はいつだって参の味方だ。――そうだったろ?」
囁かれ、顔を伏せるつづりを庇うように位置を取った白秋が得物と共に空を見上げた。
その先には来崎 麻夜(
jb0905)に抱えられた麻生 遊夜(
ja1838)の姿があった。左右にはそれぞれディザイア・シーカー(
jb5989)とヒビキ・ユーヤ(
jb9420)を連れている。
「どういうつもりかのぉ? 少なくとも、そこのお嬢さん方に危害は加えないのぜ?」
「聞こえたろ、こいつは俺が守るんだよ」
僅かに流れた金色の瞳につられ、遊夜が眼下の様子を観察する。諏訪と雫、そして恵に因って【黒衣団】の面々は次々と打ちのめされていた。それでも集団は果敢に地図を狙って仕掛ける。押し返す者と守られている者から見れば、得物を向ける者は全て敵に映るだろう。
「先輩……」
麻夜が覗き込む。遊夜は笑っていた。
「なるほど、してやられたってわけかぃ。
だがいいのぜ、楽しくなってきたじゃないの。
さあ、踊ろうか!!」
「ヒールで踏まれた、じゃ済まないぜ」
「早く安全なところに連れて行ってくださいねー?」
【黒衣団】を射撃しながら諏訪が言う。彼に迫る黒ずくめを雫が打ち払った。
「此処は私達が」
告げると、恵は元気よく頷いて、でぃらんを中心とする一団と共にその場を後にした。
待て、と幾重にも叫ぶ【黒衣団】に切っ先を向ける。
「援護、お願いできますか」
「もちろんですよー! 手早くいきましょうねー?」
どうにも嫌な予感がする。諏訪の笑顔には僅かに影が差していた。
「で、どうするんだ?」
腕を組んだディザイアが息を吐く。
「騒ぎが大きくなれば怪我するかもしれねぇ。そいつは駄目だ、矜持に反する」
「まあ大丈夫だろうて。あれだけの啖呵を切ったんだからのぅ」
「お祭り、お終い?」
ヒビキの問いに、遊夜は笑って首を振る。
「むしろこっから、だな。【深夜会】、本格参戦だぜ!!」
「おうよ」
「ん」と、小さく頷くヒビキ。
「それじゃあどうしようか。とりあえず情報収集、かな」
「なら共有しない?」
声に振り向けば、ナナシが緩やかに何かを投げてきていた。遊夜が受け取る。安価そうな通信機だった。
「図書館の備品を拝借してきたの。目的はともかく、目は多い方がいいでしょう?」
「見たもの全てを伝えるとは限らんぜ?」
「そうね、そういう展開になりそうね」
ナナシは空を行く。彼女の気苦労を嘲笑うように、騒ぎはどんどん大きくなっていった。
「危ないよ」
突然の声の刹那、進路と見ていた芝生から無数の蒼白い腕が生え伸びてくる。でぃらんはそれらを悉く飛び越えて着地、止まらず走り出す。
「ふう、よかったよ」
安堵の息を付きながら桐原 雅(
ja1822)が合流する。すぐさま恵が笑顔を向けた。
「一緒に行かない? いい訓練になるよっ」
「そうさせてもらうんだよ」
言う雅の視線は、終始でぃらんから離れなかった。
一方、躱されてしまった黒崎 ルイ(
ja6737)はがっくりと肩を落とし、しかし止まることはなかった。
「ねこさん……」
早くも遥か遠くになってしまった、もふもふの猫をもふる為に懸命に追い駆ける。
「宝探し、か……」
でぃらんを眺めていた久遠 仁刀(
ja2464)も、周囲から届く情報を掻い摘んで状況を察する。
「放っておくわけにもいかない、か」
重い腰を上げる。参加する気はなかったが、とにかくあの猛ダッシュをなんとかしなければ。万が一激突などすれば堪ったものではない。
そんな仁刀の心配を余所に、でぃらん一団は校舎の方へ進路を変える。取り囲む人数が増えていた。
雅に続いて合流した千葉 真一(
ja0070)は、事情を聴くなり次のように提案した。
「地図を司書さんに渡して、二手に分かれて追手を巻く、ってのはどうだ?」
「賛成!」
「喋るな参、舌噛むぞ」
「発言権゛ッ!?」
「お嬢ちゃん、どうするぅ?」
「メロリアちゃんかわいいー!!(ぎゅー)」
「でっしょーぅ!」
「あー、あー。そこで猫と遊んでる三ツ矢さん。留守の貼り紙はしておいたから、後で戸締りをしに戻るようにねーー」
「〜!!(遊んでないし!?)」
「ありがとう、だとよ」
「〜!?」
「あっ、そのまま進むと危ないから、できれば進路変えてねー」
「むむっ。どうしよっか?」
「追手を巻く、ってのは俺も推すぜ。外れにある中庭はどうだ?」
「いいと思うよ。あそこなら落ち着けるんだよ」
「校舎の中を通ることになるぞ?」
「屋内戦だねっ!」
「何があっても、ついでだ、纏めて守ってやるさ」
「守る、か。なら、黙って退くわけにはいかないな」
「ついてくるのぉ?」
「これでもヒーローやってるんでな。任せろ!」
「じゃあ決まりだねっ。でぃらん、こっちだよっ!」
「おあー!」
校舎に呑み込まれていく猫と、銜えられたつづりを眺めていた月詠 神削(
ja5265)はひとり口元を抑える。
(「逃げて、隠れたってことは……仲間以外を警戒している、ってことだよな……」)
徒に近づいても振り切られて終わりだろう。ならばどうする。
思案を重ねていた神削は、やがて、ぽん、と胸の前で手を打ち、男子更衣室へ向かっていった。
騒ぎから遥か後方、地に伏せて泣きすさぶ【L.A.S.】の前にグィド・ラーメ(
jb8434)は屈み込んだ。
「何やってんだ、お前ら」
涙ながらに語られる度に、グィドの口角は持ち上がっていく。
「ほぅ、宝の地図……可愛い嬢ちゃん……ベストショット……ほぅ……」
【L.A.S.】は尚も語り、最後に付け加えた。
でも、俺たちだけじゃなかった。
校舎へ消える一団を追っていたナナシは、白い壁の前で速度を落とした。
そっと触れる。やっぱり、と息を漏らした。透過ができなくなっている。
(「あの中の誰かが? ううん、そんな素振りはなかったわ。じゃあ誰が……」)
口元に添えた通信機に告げる。目標は校舎の中へ消えた。
●通路−1
「了解です」
独り呟き、鈴代 征治(
ja1305)は財布を取り出した。灰色の道の先、確かに騒動の気配がする。
姿が見えた。なるほど、大きい。だが征治には秘策があった。
目が合った。最初に恵、やがて全員の視線が注がれる。
その瞬間を見計らい、征治は小銭を盛大にぶちまけた。
「ああっ!? なんでこーなっちゃうのー!?」
顔を覆って叫びながら、指の隙間から様子を窺う。一団はこちらに向かっていた。
(「計画通り」)
言葉と行動が駄目なら良心に訴えかけるまで。
したり顔を浮かべる征治の背後をでぃらんを中心とした一団が駆け抜け、小銭をまとめて抱えるように真一が足元へダイブしてきた。
「いくらだ?」
「え?」
「いくら落とした?」
言いながら小銭をガンガン拾っていく真一。立ち尽くす征治を恵とつづりが心配そうに眺めていたが、
「どうしたの、大丈夫?」
と、彼らを追跡していた龍崎海(
ja0565)が合流するのを見届けると、前を向いて走り去って行ってしまう。
「あー……いくらくらいだった、かな……」
「とにかく拾おうか」
「……ありがとうござい、ます……」
「礼には及ばん。これでもヒーローなんでな!」
角をふたつ曲がった先で、でぃらんは進路の先にぽつんと置かれた猫缶を発見した。
小さな瞳を見開き、速度を上げる。
変化に一同が反応した直後、つづりの腕に黒のシンプルな鞭が巻き付いた。つづりが認識すると同時、鞭がしなり、小柄な司書を釣り上げた。
但し猛烈な勢いが乗っていた。あわや天井に激突しそうになるつづりを渾身の力で引き留める。傷だらけの腕が軋んだ。
「あ、ありが――」
着地したつづりは振り返り、顔を真っ青にして駆け寄った。
「ちょ、大丈夫!?」
「大丈夫、ですか?」
「あたしは助かったけど……!」
「そうですか」
よかった。楯清十郎(
ja2990)は腕を抑え、その場に蹲った。
つづりが宙に浮き、白秋が大声を上げても、でぃらんは猫缶にまっしぐらだった。短い前足で器用に缶を跳ね上げ、ぺろりと一口で平らげる。
その、弛緩しきった一瞬を狙って、曲がり角から仁刀が跳び出した。
「仁刀先輩……」
意図を察した雅が恵の腕を引く。それを見て青葉も少女を抱いて背を飛び降りた。
身軽になったでぃらんはしかし止まらず、道を塞ぐ仁刀と正面から激突した。
ドンッ! と強い音に弾かれるようにして仁刀が下がっていく。両手足を使うことでようやく止まることができた。
「っ……本当に猫なのか……?」
「無茶し過ぎなんだよ……」
駆け寄る雅に付き添われ顔を上げる。でぃらんは後ろ足で首元をかいていた。
「びっくりしたぁ」
「こっちはなんとか平気っ。そっちは?」
「あたしは平気だけど……!」
騒然とした通路を訪れたのは、たぬきそばをすする若杉 英斗(
ja4230)。
「なにしてるんですか、三ツ矢さん?」
説明を受けて状況を把握した英斗はふむ、とそばを呑み込む。
「学食に入りませんか? ここよりは落ち着けると思いますよ」
みなさんも、と雅らを見遣り、あなたも、と反対側を見遣る。両膝に手をついて息を整えるルイの姿があった。
――食堂に入ってったぜ
ディザイアの通信を受け、遊夜は長く息を吐く。
「なら様子見だな。あそこで騒いで出禁になったら適わん」
――中にいる間に、誰かに奪われたら?
「それを奪えばよいのであるぜ。踊るなら徹底的に、だあな」
やがて小銭を拾い終え、話題は走り去った一団へ移る。
「あれ何なの?」
「猫らしいですよ」
「そうなんだ。俺、天魔事件かと思って阻霊符使っちゃったよ」
「勘違いするのも無理はないさ。昼間にあれだけの騒ぎを起こせば、誰だって――」
語らう一同の許に、
「詳しく聞かせてくれるかね」
と、スーツ姿の男性が胃薬を駄菓子のように頬張りながら歩み寄ってきた。
●食堂のテラス
独り読書に耽っていた雪代 誠二郎(
jb5808)は、やってきた大勢に当初難色を示した。が、
「今日は、小日向さんは一緒じゃないんですか?」
「あ、そうだ千陰も探さないとなんだ……」
その語らいの中に聞き覚えのある声を見つけると、ページに紐を挟んで帽子を外した。軽く手を挙げて名前を呼ぶ。つづりは足を止めて頭を下げた。
「隣、いいですか?」
「構わないよ」
腰を下ろしたのはつづりではなく、彼女を救った清十郎だった。傷を痛めないようゆっくりと座らせると、つづりは解けかかった包帯を新しい白で巻き直していく。
「すいません」
「ううん。あたしこそありがとう」
遣り取りを眺めていた誠二郎が一瞥を送ると、白秋は肩を竦めてスマートフォンを操作し出した。
「ストレートティでよかったぁ?」
「うん、ありがと!」
青葉が女の子に缶を渡し、隣にしゃがみ込む。でぃらんは席についた英斗の脚に頭をこすりつけていた。出汁に使われていた鰹節や煮干しの香りの所為なのだが、雅には関係なかった。全身を預けるようにしてもふもふを堪能する。その様子に目を細めていた仁刀は、ついと遠巻きに眺めていたルイに顔を向けた。
「混ざらないのか?」
「……」
「やっと落ち着いた今がチャンスだと思うが」
応答は無かったが反応は有った。ルイはおずおずと近づくと、でぃらんの腰の辺りに触れ、やがて白い毛の中に顔をうずめた。左右からもふられ、それでも英斗の脚を額でごりごりするでぃらんの頭を、
「モテモテだねっ」
と恵が撫でまわした。
経緯を聴いた誠二郎は頬杖をついて唇を歪める。
「それは、逃げられるから追われるんじゃあないのか? 正面切って倒してやれば良いじゃないか」
「一応職員側になったんで……」
「成る程ね。それでフォーマルな装い、というわけだ」
「変じゃないですか?」
くすぐったそうに直した襟元、その隙間には見覚えのある銀色が光っていた。
「とても似合っていると思うよ。せっかくだ、写真を一枚いいかな?」
「え、あっと……はい」
「あ! しゃしんいいなー!」
てくてくと寄ってきた女の子を清十郎が制した。不思議そうに見上げてくる大きな瞳を、清十郎は敢えて厳しい視線で迎撃する。
「お姉さんから取った地図を返してあげてください」
「とってないもん! あずかったんだもん!」
「勝手に預かるのは泥棒と同じですよ。それに、悪い子はもう遊びに来られないかもしれません」
「……」
「返してもらえますか?」
目を潤ませた女の子に、つづりが膝を曲げて視線を合わせる。
「……ごめんなさい」
「ん……いいよ、ありがと」
地図を受け取ったつづりが女の子の頭を撫でる。その光景を、誠二郎は地図ごとファインダーに収めてシャッターを押し込んだ。
「さて、それじゃあたしは図書館に戻――」
言いながらポケットに仕舞おうとした地図の切れ端が、音も無く掠め取られた。
「――は?」
「クックック……はーっはっはっはー! 地図は俺が頂いた!!」
(「この流れでよくもまあ」)
呆れ顔を浮かべる誠二郎と対照的に、つづりは険しい顔つきで白秋を睨み付ける。
「……初めっから、これが狙いだったの?」
「いんや? 俺はこいつに用はねえ。だからお返しする事も吝かじゃねえ。
だが……たぁ〜だぁ〜で、ってのは良くねえなあ?」
白秋は片眉を上げると、つづりの陰に隠れていた女の子を呼んだ。
「ちょいと、こいつを読んでみてくれ」
ずいと向けられたスマートフォンの画面を女の子に先んじて青葉が覗き込む。
おにいちゃん だいすき(ハートの絵文字)
「お嬢ちゃん、どっちが長く目をつむってられるか競争しましょぉ?」
「やるー!」
ぎゅっと目を瞑った女の子の横から、ごりっごりに『引いた』青葉が見上げてくる。
「チィッ!」
「本気じゃん」
「参! これを付けてこれを読め!!」
突き出した左手にはいつか見た猫耳、右手には文面を改めたスマートフォン。
私をにゃんにゃんしてくださいにゃん☆
「『☆』が腹立つから嫌」
「やっぱり『♪』だったか……!!」
「それでも嫌だけど」
「恵!!」
「ん、なに?」
英斗の隣でうどんを食べていた恵が顔を上げた。白秋が彼女に突き出したのは未開封の縄跳び。
「こいつで大袈裟に跳ぶといい訓練になるぜ。今すぐ試してみな」
「そうなんだ!? ありがとっ!!」
「一番業の深い奴受けちゃダメええええッ!!」
怒鳴りながらつづりが地図を強奪する。
「もっとさ、ソフトなのないの?」
「写真」
顔を伏せたまま白秋は繰り返した。
「写真を撮らせてくれ」
「まあ、そのくらいなら――」
「――言ったな?」
ニヤリと笑って指を鳴らす。直後、周囲の茂みから何人もが飛びだしてきて、白秋の背後に膝をついた。
「許可は取ったぜ。存分にやりな、【L.A.S.】!」
「違うぞ、【L.A.S.R.(リターンズ)】だ!!」
増えた大男――グィドが声を荒げる。
「ハッハー! ベストショットを収めてやるぞ! さあ、スカートを抑えている手を離せ!!」
一触即発。緊張が張り詰めるテラスに、英斗がそばをすする音だけが響いていた。
視線は足元、でぃらんへ。一般人(猫)に怪我をさせるわけにもいかないし、預かろうか。
そう提案しようとした時、でぃらんの顔が入り口側に向いた。
「っと……」
出入口から大きな音がした。不思議に思った女の子が目を開けると、そこには、
「おーい」
サイズの合わないタキシードを着込んだ、ぐりんとした両目が特徴的な白猫の着ぐるみ――に身を包んだ神削――の姿があった。
それを見た女の子は――
「……ぁぁぁあああああああああ!!」
――ガン泣き。
「あ、いや……」
「ふあああああしゃべったああああああ!!」
「おあー!!」
力強く鳴いたでぃらんが疾走する。宥める青葉から女の子を無理矢理背中に乗せ、ひょいとつづり目掛けて跳んで「え、何で?」口に銜えると「定位置じゃなああああいッ!?」そのまま全速力でその場を飛び出て行ってしまう。
「まあ……気にするな」
頑張れ。神削の肩を叩き、仁刀は再びでぃらんらを追い駆けた。続こうとした神削の腕を誰かが掴んだ。振り向こうとするが動けない。脚も腰も掴まれていた。それでもなんとか背後に向けた神削の目に、まず手のひらを翳して見据えてくるルイの姿が映り、間髪入れず似た眼の色をした雅の飛び後ろ回し蹴りが顔面(頭パーツ)に叩き込まれた。
「あの嬢ちゃんを狙うぞ! 今すぐついてこい!」
【L.A.S.R.】のメンバーは一名を除いてグィドを追う。
「っし、俺も――」
と、振り向いた先に銃口があった。
「予感が当たりましたねー?」
その奥で、諏訪は普段と変わらぬ笑みを湛えていた。
「自分からの連絡を5回全部無視して何をしていたんですかー?」
「違うんだ」
「違うんですかー?」
清十郎が曖昧な笑みを浮かべ、青葉が首を振り、英斗は居眠りする恵をローアングルから守り、誠二郎は既に読書を再開していた。
横へ逃げようとした白秋の鼻先に、鉄塊のような大剣が突き付けられる。
「数が多くて大変でした」
それでも全ての【黒衣団】を打ちのめし、ようやくでぃらんと触れ合える距離に来た瞬間逃げられた雫の心境は推して知るべしである。
「弁明はありますかー?」
白秋は目を閉じて笑い、スマートフォンを顔に押し当てた。通信相手はグィド。
――なんだ?
「言い値で買うぜ!」
今日一番の良い表情を浮かべる白秋のあごに、諏訪の射撃が零距離で叩き込まれた。
●通路−2
再び地図は放たれた。人数は大きく減っている。
この情報は瞬く間に関係者各位へ伝えられた。袋小路に背を預けていたアサニエル(
jb5431)が動き出す。
「もうそろそろってところだろうね……今度は悪戯しないどくれよ」
空へ声を投げる。小さなハンドサインが返ってきた。
白い体を叩くと、でぃらんは僅かに減速した。この隙につづりが背に跨る。
「……ってか、これからどうすれば……?」
進行方向の先、十字路にヒビキが佇んでいた。
「さぁ、踊ろう?」
ヒビキが大きく息を吸い込む。
つづりは女の子の頭を抱き締めた。
直後。
――――――――――!!!
小さな身体から発せられた窓ガラスを痺れさせる大声に、でぃらんは竦み上がり、大慌てで進路を変えた。この先は一本道、やがて辿り着くのは袋小路だ。
「やられた……!」
「よくやったのぜ」
ヒビキに空から合図を送り、麻夜に抱えられた遊夜が行く。眼鏡の奥で目が細められた。
「場所は悪くないんだが、状況がちぃとばかし悪いな」
「任せな」
言うが早いか、ディザイアはがくんと高度を落として飛んでいく。
「ありがたいのぅ。ほんじゃま、クライマックスといこうかぃ!!」
「地図はいったい誰の手に、だね」
警戒するつづりと暴走するでぃらんの前に、どこからともなく緑色の球体が投げ込まれた。それは一度寝返りを打ってから、ありったけの煙を勢いよく吐き出す。
「こっちだ!!」
聞こえてきた声の方向へ、つづりは女の子を投げた。声色を信頼することにした。
全身を硬直させて目を丸くする女の子を、背後からしっかりとディザイアが受け止める。
「あ……?」
「怪我は無いか? おてんば娘」
「地図はこっちだよ!!」
「そうだろうねえ」
地面から飛び出したアサニエルが長い腕で掴みかかってくる。
つづりは身を捻ってなんとか躱した。が、その直後でぃらんが急ブレーキをかけた。目を凝らす。小路の果てだった。
飛び降り、大きな白い尻を叩く。
「行って」
「おあー!」
「いいから!!」
もう一度叩き、ようやくでぃらんは駆けてゆく。どたどたという足音に負けない声を張り上げた。
「ここだよ!!」
「見えてるから平気だよ」
声に続いて振ってきたのは鎖。それは一瞬でつづりの体をがんがら締めに縛り上げようとする。拘束寸前で辛くも逃れたつづりをアサニエルが捉えに来た。身を屈めて避けるが、拍子に転んでしまう。そこを再び襲った鎖が、今度こそつづりの全身を縛り上げた。
海はふう、と息をついた。
「呼んでいる人がいたよ」
「なら搬送は任せてもうらうのぜ!!」
反対側から麻夜と遊夜が迫る。
「冗談じゃないよ」
アサニエルも負けじと飛び込みながら腕を伸ばす。
だが。
「あはァ……♪」
つづりの真上から訪れた『黒』が垂直に落下、そのまま猛禽類のような挙動で空に舞い戻っていった。
吹き飛んだ煙の間につづりの姿はなかった。
●広場―2
訝しむリーダーを、グィドは豪快に笑い飛ばした。
「俺様に任せておけ。奴らは必ずここに戻ってくる。ベストショットをゲットして、存分に吹っかけてやろうじゃねえか」
それでも相方が首を傾げた。なら見てみろ、と指をさす。空には確かに人影があり、内ひとつは橙色だった。
「な、完璧な位置取りだろ? 俺様の計算に間違いはない」
号令に合わせて芝に伏せる。彼らは熱心で、夢中だった。背後から近づく足音に気付かぬほどに。
女の子の制止を振り切り、駆ける白猫を、滑り込んだ仁刀が正面から受け止めた。
「大丈夫だ。だからここで待っていろ」
しかしでぃらんは短く鳴くと、仁刀の腕を押しのけて広場へ向かって走っていった。
「最小の行動で最大の成果ァ……あはァ、狩りはこうでないとねェ♪」
つづりは黒百合に片腕を握られたまま空を進んでいた。やや後方から追ってくるナナシと視線が合うが、それだけ。加勢も邪魔もしないだろう。
「成果……?」
突然止まり、黒百合は笑った。
「地図、欲しいなァ♪」
「……断ったら?」
ずるり、と黒百合の手が一つ分滑った。
「こォんな風にィ、手が疲れて思わず離してしまうかもォ……♪」
初めての騎乗にも関わらず夢は気付く。それほどありありとした速度の変化だった。
「悠人さん……?」
返事はなく、視線は高い位置を見ていた。つられて夢があごを上げた直後――
っどーーーーん!!
「「「「リターーーーンズ!!?」」」」
「悠人さん!? なんだか轢いちゃったみたいですよ!?」
「いいから掴まってろ」
主の命に応じ、騎竜は更に速度を上げた。
「……渡すよ。地図、渡すから……」
「あはァ♪ 早く早くゥ♪」
「急かさないでってば……」
無理な姿勢で腰のポケットから地図を取り出す。と、同時。
ぉぁーー!
低い所から鳴き声が、高い所から強い風が訪れた。勢い手を離れてしまった地図につづりが懸命に手を伸ばす。なんとか確保には成功した。が、夢中になり過ぎた。片腕が黒百合を振りほどいてしまった。
「ちょ――」
落ちていくつづりを、溜息をついてから黒百合が追う。だがその出鼻で、同じく横から救いに向かっていたナナシと頭同士を激突させてしまった。
目から星を飛ばして頭を抱える両名を見上げながらつづりは落ちていく。遠くからでぃらんが向かっているが、あの上にだけは落ちられないと体を捻った。
「……ッ!!」
腕を抱くようにして縮こまる。
墜落の覚悟が決まらず、思わず名前を叫びそうになったところを、横から何者かに攫われた。
「え……」
トンッ、と軽い衝撃で着地を知る。
恐る恐る目を開けた。
「よう、バイト娘」
悠人がかくん、と首を曲げた。
「と、その前に……夢」
「はいっ。またたびは用意できなかったけど……」
取り出したのは未開封の大入りかつおぶしパック。それを
「おいで、猫ちゃん、こっちです!!」
バッ! と開封して見せた。その瞬間、つづりを目指していたでぃらんは鋭角に曲がり爆走、甘ったるい声を上げながら夢に跳び付いた。
「きゃーーー!」
芝に押し倒された夢の上にはでぃらん。鰹節をくんくんしながら夢に全身を擦りつける。
「きゃーーー♪」
やがて駆け付けた雫も、白い毛並みに恐る恐る手を伸ばす。今日は怖がられることはなかった。手が毛の中にうずまっていく感触を味わいながら、次第に全身を預けていく。
とりあえず無事であることを確認してから、悠人はつづりに視線を戻す。目には涙が浮かんでいた。
「ざまあ」
チャキッ!!!
「言ってみたかっただけだ睨むな銃口を向けるな怖いから」
「……手、出してください」
「手?」
「は、や、く!」
言われるがまま手を出した悠人に、無理矢理地図を握らせた。その腕を掲げ、つづりは学園中に届きそうな大声を張り上げる。
「はい! 地図取られたから!! これでおしまいっっっ!!!」
●
「そっか、そんなことがあったんだ」
ルイから事の経緯を聞いた森田良助(
ja9460)は、遠く、正門の人だかりを見遣った。
「あそんでくれて、ありがとうございました!!」
「今度はもう少しのんびり遊ぶんだよ」
「まーちゃんも連れてきてくださいね」
「車に気を付けてくださいねっ」
「いつでも遊びにおいで! まったねぇ!!」
寸前まででぃらんをもふっていた雅、雫、夢、そして青葉に見送られ、白猫に跨った少女は帰路についていく。
「かいぞくのおねえちゃんもばいばーーーい!!」
「はいはい! あたしが無事だったらまたね!!」
大声で叫んだつづりは、上司の市川に引きずられていき、この後滅茶苦茶説教された。
「大丈夫だった? 変な事されなかった?」
「……うん……ねこさん……かわいかった……」
「そっか。頑張ったね」
言いながら頭を撫でる。短い黒髪は汗を含み、いつにも増して柔らかかった。
撫でる腕に、ルイは痣を発見する。目で尋ねると、ああ、と良助は頬をかいた。
「僕も地図を奪いに行ってて……なんとか奪えたんだけど、その後に勉強してたんだ。頭も体もクタクタだよ」
口からため息が零れ、笑顔の上で眉が下がった。
ルイがそこに両の親指を添えた。優しくなぞりながら、やがて両手で輪郭を労う。
「……さっきまで……ねこさん……さわってた……」
だから、おすそわけ。
猫を撫でるように、そしてそれ以上に優しく触れてくるルイを、良助が満面の笑みで抱き締めた。細い首元からは、微かに太陽の匂いがした。