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転がった車体の陰から橋を窺う。
大型の真白いディアボロは橋のど真ん中で鎮座。箱座りをし目を閉じて、体にたかる小虫を尻尾で薙ぎ払っていた。
「なるほど、これは見事なまでの『障害物』ですね」
神崎煉(
ja8082)の言葉に、実妹である晶(
ja8085)が頷く。
「白い猪。ちょっと神々しい気もするけど……」
ふん、と水鏡蒼眞(
ja8066)がつまらなそうに言う。
「でかかろうが白かろうが仕留めるだけだ」
こくん、と無言であごを引くステラ・七星・G(
ja0523)。
彼女の隣では久我常久(
ja7273)が息を巻いていた。
「とにかく倒せばいいんだろ? やっつけて終わり! 簡単じゃねえか、とっとと行こうぜ!」
立ち上がろうとする彼を
「その前に」
リリィ・マーティン(
ja5014)が手で制した。
「確かめておかなくてはならないことがある」
「ああ? ああ、わしのメルアドか? 心配せんでも学園に帰ったら教えてやるぞ」
「そんなもん要るか。
『アレ』だ」
リリィは顔を強張らせたまま、翼を広げて旋回する影を指さした。
「んあ? ただの鳶じゃねえか」
「に、見える何か、という可能性もある」
確かに、と晶。
「事前に観た映像では、鳶の鳴き声と猪の動きが連動しているようにも見えたね」
「鳶が指示役だってのか? 場所が場所だ、挟撃なんて洒落にならねぇぞ」
「それを確認するための『コレ』というわけです」
煉は取り出した鳶笛を指先で器用に回して見せた。
「若いヤツの考えることはわかんねえな。そんなもんで何が判るんだ?」
「だーかーらー!」
リリィは額に青筋を浮かべて常久に迫った。
「ディアボロが笛の音に反応したら、鳶の鳴き声に合わせて動いていることになるだろうが!
もし動かなければ、連動性がないということになる! あの鳶は無関係!
どうだ、これで判ったか!!」
常久は目を丸くしてしきりに顔を上下に振る。
「近くで見ると意外とかわいいな、リリィちゃん」
「聞いてたのか私の話を! あと近くで見るとと意外とは余計だ!!」
はぁ、と晶はため息。
「煉兄、始めちゃって」
彼は静かに頷き、
「効果があればいいのだけれど……」
笛に息を吹き込んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――。
全員が固唾を呑んで見守る。
橋の上のディアボロは、小ぶりな耳をぱたつかせるだけでこちらを見ようともしない。
空を舞う影はやや高度を落としたようにも思えるが、声を上げることはなかった。
小さい息を落とし、ステラが車体を乗り越えた。
「だな。とにかくあのデカいのを片付けるぞ」
彼女に蒼眞が続く。
「お二人とも、晶をよろしくお願いします」
「ああ、任せておけ」
「そっちこそヘマこくんじゃねえぞ!」
「煉兄も気を付けてね!」
煉は目を細め、ひらりと車を飛び越える。
そこでは既に臨戦態勢が整えられていた。ステラがシールドを構え、蒼眞は偃月刀携えている。
煉が二人の間に立つと、彼らは銘々の光纏を放った。
「来なさい、デカブツさん」
腰を落とす。
その瞬間だった。
ピーーーーョロロロロ……
猪が目を見開き、立ち上がった。
足を一本立てるごとに地が揺れ、橋が軋む。
つぶらな瞳は爛々と輝き、潰れた鼻から漏れる息は夏場の室外機さながらの熱風を放っている。
「で、関連性がなんだって?」
「ある、ってことだ。
目の前で光纏を出して見せたのに無関心だったヤツが、鳶の鳴き声で目を覚ましたんだ。間違いない」
「それも音色じゃなくて、やっぱり……」
晶が空を仰ぐ。
暮れ始めた黄色い空の中央で、翼を広げた影が悠々と舞っていた。
前足をかき、猪が低く唸る。双眸は三人から一瞬たりとも逸れない。
「手筈通り行きましょう」
「ん……」
「俺に指図するな」
三人は手を突き出して炎の玉を浮かべると、それを同時に猪に向けて放った。
炎は緩い弧を描いて猪の顔面に直撃する。
鬱陶しそうに頭を振る猪。ダメージは皆無。だが、敵意を引き付けるには充分だった。
ブグァアアアアッ!
咆哮と共に猪が突進する。
ステラは前、橋のたもとまで出てシールドに精神を集中させる。
刹那、淡い光を纏った盾と猪の額が激突する。ステラは足を擦りながら後退したものの、猪を弾き返すことに成功した。
「……重い……」
大きく仰け反り、しかし猪はそのままステラを潰しにかかる。
「させません」
その挙動を煉が迎え撃つ。彼は猪の鼻腔に手を入れると、そのまま横に引っ張った。
猪は体制を崩し橋の鉄柵に凭れかかる。それだけなのに、柵は体の形に凹んだ。
「今だ!」
蒼眞の声に、後方で待機していた三人が応じる。
「なかなかやるじゃねえか!」
常久、
「Good Jobだ!」
リリィ、
「さっすが煉兄!」
晶がようやく空いた橋を駆け抜け、猪の背後を取る。彼女らは橋の中央で踵を返し、得物を猪に向けて構えた。
かくして、挟撃は成った。
前後を抑えられ、猪はぐるぐるとその場で廻る。
「あんまり前に出るなよ、おっちゃん」
「最低限、射線には立たないで」
ぐしし、と笑う常久。
「まあそう言うなってーの。おっさんの底力、見せてやるよ!」
「今度は俺たちの番だな」
上空を確認してから蒼眞が偃月刀に炎を宿す。
「私たちはそのままデッドラインです。くれぐれも後ろに逃さないように」
煉の言葉に頷き、ステラは盾を構え直した。
ピーーーーョロロロロ……
猪は狙いを定めた。
眼前には――陽動隊。
「ローストしてやるよ、猪野郎」
先手を打ったのは蒼眞。偃月刀を振り被り、低い姿勢で駆ける。
猪は動かない。どころか、嗤っているようにも見えた。
顔をしかめ、得物を振り上げる蒼眞。
しかし攻撃は空振りに終わった。煉が彼を抱え、横に大きく跳んだのだ。
「ッ……何を……」
忌々しそうに呟く彼の上を黒い影が滑空した。
風を裂く轟音を残し、影は再び上空へと舞い上がる。
「申し訳ありません。ですが、これで結論が出ましたね」
「あの先公……ディアボロが2体だなんて聞いてないぞ!」
猪は悠々と歩みを進め、たもとに踏み込んだ。
迎え撃つは、盾を構えたステラただ一人。
「煉兄!」
柵を握り、顔を真っ青にして叫ぶ晶の背を、常久がぽん、と叩いた。
「こっちは任せとけ! 晶ちゃんは好きに動きゃいい!」
彼女は力強く頷くと、猪から大きく距離を取った。
「ふっ……。妹の矜持を汲むわし、今最高にかっこいい」
「勘違いだ、目を覚ませ! あのイノブタを食い止めるぞ!」
リリィは膝を立てて橋に座り、ライフルを構えて照準を合わせる。
あったりめえよ、と常久。
「かわいい嬢ちゃんを襲うなんざ、デブの風上にも置けねぇ!」
リリィの視界の中を、常久が体格に似つかわしくない速度で駆け抜け、跳んだ。
ステラは猪をきつく睨んでいた。
「(……通さない……絶対に……)」
シールドを突き出し、光を宿す。
猪は鼻息を荒げ、顎を引いて彼女に突進した。
踏ん張り、それをなんとか受けるステラ。
弾くこともできた。しかし彼女はしなかった。
何故か。
茜色に浮かぶ巨大な影が見えたからである。
「ぅおりゃぁっ!」
常久が膝から猪の脳天に落下した。100キロ超えの衝撃をまともに受け、猪は下あごを地面に強打した。
眩暈を錯覚するほどの揺れの中、リリィは丁寧に狙いを定めてトリガーを引く。露わになった腹部に銃弾を撃ち込んだ。
が、手ごたえは薄い。
「クソッ、硬いな! なら――!」
ライフルを操作する彼女に猪が向き直る。
「行かせねぇって!」
猪の背中に飛び乗った常久は手にしたナイフを突き立てた。
傷口から紫色の体液が間欠泉のように噴き出す。しかし猪は止まらない。
どころか、
「来るよ!」
空を飛ぶディアボロに狙いを定められてしまった。
ピィィィィィィィィィィィィィィィ!
一目散に降下してくるディアボロを横目で見、常久は不敵に笑う。
「何をする気だ、おっちゃん!」
「なぁに、ちょいとカッコつけさせてもらうんだよ!」
常久は猪の背で仁王立ち、両腕を広げた。
鳶が彼に猛スピードで迫る。
「いかんなぁ〜。鳶はもっと優雅に飛ぶもんだ!」
怒鳴り、常久は自身と瓜二つの分身を作り出した。
目の前で巨漢が更に二つ生まれ、鳶は動揺。しかし方向を変えるには距離が詰まり過ぎていた。
鳶はくちばしで中央の常久を狙う。高く鳴き、突貫した。
しかし、
「獲ったぁっ!」
本体は右。常久は鳶の足を掴んだ。
ピイイイイイイイ!
ブアアアアアアア!
鳶の指示に応じ、猪が巨躯をよじって常久を振り払う。
彼がたまらず手を放すと、鳶は翼をばたつかせ常久に向き直った。
それが決定的な隙となった。
「くらえぇっ!」
晶が放った銃弾と、
「余裕くれてんじゃねえ!」
蒼眞が投擲した苦無が、左右から鳶に喰らい付いた。
ピィィィィィィィィィィィ……
鳶は一度だけ声を上げると、翼を折り畳んで渓谷に吸い込まれていった。
ブガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!
猪は咽び『鳴』き、
ヴガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
激昂した。
紫に浸食された瞳が町に向く。
――全部壊せ
鳶が最後に猪に伝えた指示を遂行すべく、猪は町に向き直る。
彼の前には相変わらずステラが立ち塞がっていた。
何度渾身の攻撃を放っても突破できなかった彼女が、変わらず輝く盾をこちらに向けていた。
両者の間に煉が割り込む。彼の刃のような眼光が猪を貫いた。
「終わりにしましょう。あなたも『生ゴミ』になるといい」
ヴガアアアアアアアアアアアアアッ!
煉を押し潰すべく、巨体を持ち上げる猪。
その体躯を支えるには余りに心もとない後ろ足を、
「Semper Fi!」
フルオートで放たれた銃弾が食い千切った。
体勢を崩し、どしゃり、と倒れ込む猪。
憤怒に濡れた瞳が最後に見たのは、
「――死になさい」
無慈悲に、容赦無く顔面に振り下ろされる、煉の脚だった。
●
「煉兄、怪我はない!?」
駆け寄ってきた晶の頭を優しく撫でる煉。その目はいつもの温厚そうな眼差しに戻っていた。
「ええ。晶も無事のようで何よりです。よく頑張りましたね」
「うん!」
晶は満面の笑みを見せた。
「Brotherfood、か。なんとも微笑ましいな」
リリィは目を細めて兄妹を眺めてから
「それに引き替え……」
眉間にしわを寄せて、橋のたもとで呆然とする三人に顔を向けた。
天を仰いで常久が叫ぶ。
「うおお〜!
わしの貴重な食料がああ〜!」
「食えるディアボロなんかいない! いい加減諦めろ!」
リリィの指摘を聞き流し、尚も悔恨の拳を地面に叩き付ける常久。
彼の隣で蒼眞がため息をつく。
「ほんと、ディアボロでさえなけりゃな……」
並ぶステラもしゅん、と肩を落としてしょげ返っている。
「あー、もう!」
がしがしと髪をかくリリィ。
「ほら、帰るぞ! おっちゃんもいい加減立て! なんで初等部の二人より大げさに悲しむんだ大の大人が!」
「え〜? だってよぉ〜……」
「橋を守り抜いて完封した上に、予期せず乱入してきたディアボロまで討伐したんだぞ。
あの職員に1食くらいタカれるだろ。私が交渉してやる」
「おっ! いいねぇ!」
破顔一笑、常久がむくりと立ち上がる。
「冴えてるねぇ〜、リリィちゃん。オジサンがいい子いい子してあげちゃうぞぉ〜」
「必要ない! こら、ニヤついて近寄るな!
ステラと青眞もそれでいいだろ?」
こくこく、と瞳を輝かせて頷くステラ。
蒼眞は鼻を鳴らした。
「最後の最後で『失敗』したら承知しねぇぞ」
「私たちも、ご一緒してよろしいですか?」
煉の問いかけに、リリィは眉を八の字に曲げた。
「当たり前だろう? 私たちはもうPartyじゃないか。むしろ祝勝会に来ない、なんて許さないからな」
「うん! ありがとう、リリィ!」
「気にするな。
さあ、帰ろう」
彼女が先頭を行き、仲間たちが続く。
彼らの上、平穏が戻った茜空を、野鳥の群れが羽ばたいて横切った。