●陽だまりのベンチ−1
制服に身を包んだ月臣 朔羅(
ja0820)が軽やかな足取りで歩いていく。足音を立てず、気配を殺して藤宮 流架(jz0111)の背面へ。
長い髪を掻き上げた両腕を伸ばす。右手は小日向千陰(jz0100を起こさぬよう首元へ、左手は誰の物でもない流架の左肩へ。
そして――
むみゅ
――そのまま豊満な胸部を流架の後頭部へ押し当てた。
さてさて、と小声で。
「先生は本当に寝ているのかしら?」
流架は――微動だにしない。体は愚か視線も流れず、呼吸の乱れも無い。
口が弧を描く。なるほど、一筋縄ではいかない。
(「でも、こちらも無策ではありませんよ?」)
左手を滑らせ、流架の腕を軽く固定する。視線を送ると、やや遠くで様子を窺っていた森田良助(
ja9460)が動き出す。無防備に近づきながら、刈り残された細長い若葉をひとつ摘んだ。
「先生、本当に眠っているのですかー?」
若草で流架の顔をくすぐる。
「……っ」
やがて、密着していた朔羅だけが察せる程度の変化が現れた。やっぱり、と目を細める。
その直後。
固定していたはずの左腕が静かに朔羅の手を払いのけ、その挙動のまま鞭のようにしなり、拳が良助のみぞおちを抉るように捉えた。
ドンッ! と鈍い音に貫かれた良助が膝を突く。
「こ……っ!」
「……やや?」
流架はそっと目を開けて、にっこりと微笑んだ。
「俺、何かしちゃったかな? 大丈夫?」
「こ……このくらい、平気……ですよ……?」
良助は膝をがっくがくに揺らしながら額に汗を浮かべて立ち上がった。回復にはもう少し時間が要るだろう。朔羅が更に流架との距離を詰める。
「やっぱり起きてらっしゃいました?」
「どうしてそう思うのかな?」
「この状況にノー・コメントなので」
「朔羅君のような綺麗な子に抱きつかれるのは嬉しいけれど、こういうのは特別な人にするべきだと思うよ」
ふふ、と似た色合いの微笑みが重なる。
朔羅はネクタイに指を掛け、肩越しに振り向いた。
「……余計な事はしないで?」
飛び降りてくる2人の生徒を、左右から飛びかかった人影がそれぞれ強く弾いた。
●段ボールの中
ベンチの様子をしっかりと見据え、ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)が行動を開始する。
「ビーチェ……行きます……。ガンバルゾー……」
同志が流架の気を引いている隙に、慎重に、時に大胆に距離を詰めていく。持ち手部分だけの限られた視野は、遠くに飛ばせたヒリュウの視覚を借りてカバーする。
がっくがくに膝を揺らす良助と、ほくそ笑む流架。そこに押し当てられた朔羅の凄まじい胸部と、彼女に比べれば小振りだが充分立派な千陰の胸部。
「……。
……わ、私も大きくなったら……胸に挟めるようになるんだもん……なるんだもん……」
言い聞かせるように繰り返し、ベアトリーチェは進んでいく。
●サイドA−1
生徒Aは辛うじて着地に成功していた。視線は自身を突き飛ばした黒夜(
jb0668)へ注がれる。
「貴様……!」
「やらしい視線を小日向に向けるのはだーれだ?」
敵意満載の笑みに続けて、白い大振りな鎌を見せつける黒夜。
「……小日向に妙な真似する野郎はぶっ飛ばす」
生徒Aは歯ぎしり、黒夜を音が鳴りそうなほど強く指さした。
●サイドB
「お宝の地図と『お宝』」
生徒Bは自分を突き飛ばしたマキナ(
ja7016)をきつく睨み、言い放った。
「どっちに手を伸ばすべきか。お前も男なら判るはずだ」
「何を――」
「――やっぱり……」
生徒の言葉に反応したのは言われた本人ではなく、傍らに佇んでいたメリー(
jb3287)。
「やっぱり……お兄ちゃんも胸が好きなの?」
「落ち着け、メリー。『やっぱり』って言い過ぎだ。前例があるみたいで信憑性が上がっていくだろ」
マキナは生徒Bから視線を離さない。彼だけは必ず沈める、と強く己に誓っていたからだ。これをメリーは否定しない=胸が好きと理解(曲解)。
「メ、メリーだって……メリーだって、Dはあるんだからね!」
「うん、ちょっと落ち着こう、メリー。お兄ちゃんの社会的地位のためにも」
「小日向先生よりは小さいかもしれないけど――」
「やめるんだ、メリー。お兄ちゃん明日から学園来られなくなるから」
「――ちゃんと、メリーもあるんだから!!」
「メリー!!」
マキナが振り向くとほぼ同時、メリーは両腕で胸部を挟み込み、前のめりになった。
次の瞬間。
「Rrrrrrrrrrrr!!」
強調された形の良い胸部を目にした生徒Bが高速で巻き舌を鳴らしながらメリー目掛けて突っ走る。つい力んで滲んでしまったオーラも相まって、効果は絶大だった。が、メリーにしてみれば驚嘆以外の何物でもない。兄は向かってこず、見ず知らずの異性が獣のように襲ってくるのだから。
「や……怖い……あの人怖い……こわーい!!」
怯えるメリーの前にマキナが飛び出す。怒りは更に増していた。
「俺の妹に――」
飛び出したので、メリーが錯乱しながら放った光が背中に直撃した。思いっきり仰け反りながら、それでもマキナは倒れない。
「――色目使ってるんじゃねえ!」
「どっきゃがらあああああああ!(訳:どきやがれ)」
猛然と振り回される槍を戦斧で捌く。その間も妹の放つ光はどういうわけか間を置かず、悉く背中に放たれ続けていた。倒れるわけにはいかなかった。男として、兄として。
背に攻撃を受けると同時、槍を大きく打ち上げる。
「高くつくぜ。覚悟はいいか」
「くっ……!」
「お前には、何も触らせねえよ!!」
マキナはすぐさま強く踏み込み、生徒Bの胴体に力強い四撃を一瞬にして叩き込んだ。
生徒は吹き飛び、緑の上に仰向けに斃れる。それを見遣り、ふう、と息をつくマキナの頭部に半ベソのメリーが飛び付いた。
「お兄ちゃん! 怖かった……メリー、すっごく怖かったの!」
「大丈夫。もう大丈夫だ。あとお兄ちゃんも大丈夫だからな」
胸を押し当てられながら、それでも兄の意地で立ち続け、妹の背をぽんぽんと撫でてやる。
兄妹の仲を羨むように、生徒Bは最後の気力を振り絞って上体を持ち上げた。
●サイドA−2+
「……というわけで、あれは間違いなく『宝』なんだ!」
淡々と説かれた熱弁を、黒夜は首を傾げて受け流す。
「気は済んだか? ぶっ飛ばしてやるから動くなよ」
気の無い言葉に、しかし生徒Aは一転、鼻を鳴らして肩を竦めた。
「まあ……宝箱がからっぽの奴に何を言っても、な」
「――」
「いいさ。なら推し通……」
ノータイムで放たれた色とりどりの炎が生徒Aを巻き込んで爆発する。
「ぐあああああ!」
吹っ飛んだ生徒Aを虚空から現れた黒刃が滅多切りにする。
「ちょ――!」
芝の上を転がって逃げる生徒Aの首目掛けて真顔の黒夜が鎌を振り降ろす。これを紙一重で躱した生徒はすぐさま走り出した。肩越しに振り返る。真顔の黒夜が全速力で追い駆けてきていた。
相棒の背が見えた瞬間、脚がもつれて派手に転んでしまう。そうしてなんとか辿り着いたのに、相棒は満身創痍だった。もはやこれまで。しかし待って、という暇など無かった。
黒夜の放った極彩色の炎の渦が生徒Aと傍に居た生徒B、そして彼を目指していたマキナを含んで爆ぜ尽くす。
「「「ぐぉああああああ!!」」」
「……あ」
友の声で目が覚めたのか、或いは気が済んだのか。我に返った黒夜が得物を仕舞って頬を掻く。
「悪い、巻き込んだ」
「だ……大丈夫ですよ……」
全然大丈夫そうに見えないマキナをメリーが支え、黒夜が癒す。再度謝罪する黒夜に、それよりも、とマキナ。
「地図は……小日向司書は?」
●陽だまりのベンチ−2
肌色の増えた上体を翻し、朔羅がベンチを飛び越える。
「んンー……?」
千陰が身じろいだ。ぺたぺたと自分の顔を触りながらずりずりと下がり、流架の右腿に頭を預ける。その邪魔だけはせぬように、朔羅は流架のもう片膝に自分の脚を乗せた。
子供のような仕草でむにゃむにゃする千陰を見つめていた流架。その顔が朔羅の胸部に因って逆側に固定される。
「取って置きのサービスです。こんなこと、他の人にはしないんですよ?」
むにっ
「……特別な人にって、俺言わなかったかな?」
「目的(とくべつ)ですよ。少なくとも、今は」
むにむにっ
弾力に加えて香りと体温を混ぜた一手に、しかし流架は反応を示さない。朔羅を見上げる眼差しは今尚生徒を見つめる講師のそれだ。
ここで下がれるか、と様々な角度から押し当ててみる朔羅と、どう当てられても涼しい顔で佇み続ける流架。
「やっぱり……」
両者の様子は、不埒者を片付けて訪れたメリーの双眸にしっかりと映り込んでいた。
「やっぱり、男の人は胸の大きい人が好きなのです?」
「男の人は、というより、俺は胸の大きさで人を好きになったりはしないからな……。気になるのかい?」
「はい……」
「病むことはないと思うよ。君は可愛いんだし、家族思いで優しいのだから。それだけじゃ駄目なのかな?」
僅かに弛緩した雰囲気を察し、復活した良助が攻め立てる。
「せ、先生! 一緒に食べませんか!」
言って良助が差し出したのは和菓子。上品な匂いが流架の鼻をくすぐる。
「やや、美味しそうだね」
が。
「でも……へぇ、大福なんだ。桜餅じゃなくて。そうか……なるほどね……」
「(えっ、怒って……?)と、とっても美味しいんですよ!? 僕が保証します! ささ、あっちのテーブルで――」
こっそりSイッチ(読:エスイッチ)が入っていた流架は止まらない。
「どうしてそんなに俺をここから離したいのかな? 地図を狙っているのかな。ふふ、それとも――」
違うのです、とメリー。
「メリー達は先生の持っている地図が欲しいだけなのです! 小日向先生の胸に興味があるのは、お兄ちゃんだけなのです!」
「……メリー?」
「ほう……」
違うんです、とマキナ。
「小日向司書が地図に胸の他の生徒がいつもお世話に寝ていて宝の在り処で谷間が勝手に図書館を妹なだけなんです」
両目がバタフライ泳法を続けるマキナに良助が助け舟を出す。
「先生! 実は僕、勉強で判らないことがあって――」
「勉強? 俺に教わりたいってことは、実戦だよね? 俺戦闘科目担当だし」
「えっ。い、いや、数学とか……」
「うん、でもせっかくのお誘いだから俺もやらせてもらうよ。手加減下手だけど、ごめんね?」
助け舟が轟沈しても、黒夜は少し離れた位置から千陰の寝顔を観察し続け、その間も朔羅の姿勢はどんどん変化し、描写できないほどのものに仕上がっていく。
このままでは埒が開かない。し、本当に明日から学園に顔を出せなくなってしまう。
「仕方ねぇ、こうなったら――」
「やや?」
「――実力行使だ!」
マキナが咆え、戦斧を突き出した。
ごめんね、と短く伝え、流架が朔羅を突き飛ばす。力強くも優しい一撃で朔羅はベンチを退く。
叩かれた腹部を見遣っているうちに、千陰を抱えた流架が真上に跳んだ。自身が居た位置に突き出された柄を蹴り、校舎側へ退避する。
ここぞとばかりにヒリュウが地図を狙う。間髪入れない奇襲は、しかし流架に見破られていた。抱えた眠り姫を守るように身をよじり、背中で進路を遮断する。
ここまでは流架の想定していた展開だった。つまり、対面からもう一体のヒリュウが迫っていることに、流架はこの時初めて気が付いたのだ。
「そうだ、ちゃんと地図を狙えよ!」
流架は腕を柔らかく固定したまま、校舎の壁を踏み切った。急降下する流架に良助のヒリュウは反応できない。
着地の直前、流架は思案する。
『では初めに来たヒリュウは誰のものだったのか』。
そして、『この段ボールは何だ』。
黄銅色の箱が跳び跳ねる。そして箱のあった位置から細い腕がずいと千陰の胸元に伸びて、古ぼけた紙を一息に抜き取った。
「……お宝の地図……ゲットなの……」
翳した地図を見上げるベアトリーチェの瞳は、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。
●
仲間らと共に地図の獲得を喜ぶ面々。その語らいの中にあっても、千陰は目を覚まさなかった。
ベアトリーチェが覗き込む。千陰は流架の腕の中で口をもごつかせていた。
不意に黒夜が顔を上げる。流架は穏やかな眼差しを千陰に向けていた。
「あの、藤宮先生。小日向と、どういった関係なんですか?」
「ん? 俺の大切な同僚だよ。……ふふ、どう見えたのかな?」
口を尖らせた黒夜が千陰の傍に寄る。ベアトリーチェも続いた。負けじと身を乗り出す黒夜。胸中では悪戯心が首を持ち上げていた。
耳元で囁く。
「……千陰お姉ちゃん」
次の瞬間。
「――ンぅー……!」
ガバッ! と開いた千陰の腕がガシッ! と黒夜、そしてベアトリーチェの頭部をギュウ! と抱き寄せて極めた。威力は傍目にも明らかで、黒夜は両手足をじたばたと暴れ、ベアトリーチェはぐったりしている。
「ちょ……小日向司書!」
「それ以上は危ないのです!」
ネクセデゥス兄妹が腕を剥がそうとしても頑として動かない。結局、流架が放った強めのチョップで、ようやく千陰は腕を解いて、ゆっくりと左目を開いた。
「んー……?」
視界に映ったのは、困ったような笑顔で被さる流架の姿。
「……――ん!?」
千陰が跳び跳ねるように起き上がった。
「おはようございます」
「寝てないです!!」
言いながら手櫛で髪をひたすら整える千陰に、朔羅は顔を逸らして笑いを堪える。
じゃあ、とマキナ。
「さっきのエグい絞め技も意図的なんですか?」
「私そんなのやってないもん!? ところで黒夜さん大丈夫!?」
「……頭割れるかと思った。てか、ウチより――」
「……ベアトリーチェ・ヴォルピ、です……」
「彼女が小日向先生の地図をゲットしたんですよ」
「そうなんですか!? どんな流れで!?」
「起きてたんじゃないのです?」
「みごとだったわよベアトリーチェさん!!」
柔らかい灰色の髪を細かく撫でる。反対側からは流架が優しく頭(患部)を撫でていた。黒夜がウチも、と痛がるので、千陰はごめんね、と何度も繰り返しながら両手を忙しなく動かした。
やがて腕時計を見た千陰は大慌てで図書館へ向かって走っていった。
「今度俺にも膝枕してくださいね」
「はあ!? なっ、そっ……されてないですし!?」
この痴話喧嘩を機に、生徒達も三々五々散っていく。
「すいませんでした」
シャツのボタンを留めた朔羅が悪戯っぽく首を傾げた。
「良い雰囲気の所を邪魔してしまって」
「うん。俺も悪かったね、少しムキになってしまって」
笑う流架の視界にギリギリ映る位置で、良助がすっと手を挙げた。
「いやーお疲れ様でしたそれじゃあ僕はこれで!」
脱兎の如く走り出そうとする良助の襟を流架がむんずと掴む。
「遠慮しなくてもいいよ? ――さあ、一 緒 に 勉 強しようか」
こうして、昼下がりの大人げない講師を巻き込んだ地図騒動は、良助の心からの叫びで騒々しく幕を閉じた。