●救出開始
人工林の中で九条 朔(
ja8694)は身を屈め、サーバントとバスの様子を観察していた。
彼女の横で同じく場の状況を、そして彼女の表情を盗み見ていた森田良助(
ja9460)が腰の隣で拳を握る。
(「久しぶりの相棒との依頼……僕は頑張る!」)
強く握った拳の音か、あるいは決意が口から洩れたのか、朔の眼差しが良助に流れる。
「あまり張り切り過ぎて、空回りしないでくださいね」
程よく棘の生えた一言は、良助の身体に入った力を適度に抜いた。
2人のやや後方、聖蘭寺 壱縷(
jb8938)が腕を降ろして首を振る。
「駄目なのです。隠れられそうな場所がないのですよ……」
「少し遠いですが、この林まで連れてくるしかありませんね。気配は無理でも、姿は隠せるでしょう」
天宮 佳槻(
jb1989)が肩越しに見遣ると、間下 慈(
jb2391)が携帯を顔に当てたまま小さく手を挙げた。
「……はい。お願いできますか」
通話の相手はバスの運転手。小さく抑えた声は震えていて、嗚咽を堪える子供の声が幾つも漏れ入っていた。
同意を受けて、感謝してから激励して通信を終える。ほぼ同時、阿手 嵐澄(
jb8176)が首を鳴らして立ち上がった。
「『いきますよー(・∀・)』……だってさ。どっちが先行する?」
「僕たちが行きます」
刀を握り締めた永連 璃遠(
ja2142)が一歩前へ出る。
「よろしくお願いします、間下さん」
わかりました。慈は頷く。
「笑いましょう。僕らは彼らにとってヒーローですから」
「……はい」
僅かに口角を上げた璃遠を先頭に、救出班は行動を開始する。
●
「おーい! お待たせしました、ゲキタイシだよー★ じっとしててねー!」
「オラオラぁ!! お前達の相手はこっちだぜ!」
仲間の声に眉を寄せて息を殺し、良助が急ぐ。
「急いて仕損じるのが最大の悪手。確実に行きましょう」
横からのささやきに目を向ければ、朔が口元を固く結んでいた。
2人が近づくと、バスの乗車扉が一歩分前に出て、僅かに横へずれた。朔が手を掛けて扉を開き、先行した良助に続く。璃遠と慈も注意深く車内へ乗り込み、嵐澄はバスに背中を預けて警戒に当たった。
顔を上げる。大きな翼は耳障りな音を立てて威嚇するような挙動を繰り返している。疎ましそうに見上げ、戦闘準備を整えると、バスの中から息を呑む気配が漏れた。振り返る。嵐澄の、ありのままの姿を目の当たりにした子供たちがきょとん、と彼の頭部を見つめていた。
「後で触らせてあげるから、ちょっと辛抱しててねェ?」
頭を前から後ろに撫で、嵐澄はバースバード、そして携帯に集中する。
バスの中では救出活動が始まっていた。朔と良助が手分けして窓を僅かに開けていき、それぞれ前後に位置を取る。
「では、手筈通りに」
慈が告げると、運転手がお願いしますと頭を下げ、若い保育士が幼い2人の子供に手を添えて前に出て、先輩保育士が他の子供らを護るような姿勢から頷いてきた。
事前に連絡していた旨は車内に浸透していた。
連絡とは、
大きな音を出さない事、
万全を期すために少数ずつ確実に救出する事、
そして、子供たちが不安にならないよう、保育士のどちらかは車内に残る事。
『全員の救助に時間が掛かる』というデメリットを含んだこの策は民間人に快諾される。慈の優しく、どこまでも落ち着き払った語りと、窓の外で懸命に敵の攻撃を引き受ける陽動班の姿に因るところが大きい。そして朔と良助が配置に付いて警戒態勢を固めることで、信頼は完全なものとなった。子供たちの表情は幾分和らぎ、保育士の笑みからも引きつりの色が薄れ始めている。
この思いに答えなくてはならない。璃遠は笑みを強めて児童の手を握る。
「ちょっとだけ、お話ガマンできる?」
小さな頷きが返ってくる。
ありがとう、と頭を撫で、広い芝生へ躍り出る。3人を挟むように璃遠が位置取り、反対側には慈がついた。子供の様子を見ながらも、数瞬に一度はサーバントの様子を窺う。仲間の声が何度も聞こえた。鋭い笛の音も届く。
子供が振り返ろうとした。そこへ慈が手を置く。優しく撫でながら前を向かせた。
「大丈夫ですよ。何も怖くないですからねー」
低い位置から向けられた眼差しに笑顔で応える。そしてその小さな手をしっかりと5本の指で握ってやった。
バスは時折激しく揺れた。それほど強い衝撃ではなく、また嵐澄の合図で身構える余裕があるものの、その度に車内の空気はずっしりと重くなった。
安易に励ますこともできない。声を張ればあの大軍がこちらに傾いてしまうからだ。ハンドサインや笑顔で慰めるのが精々。
沈黙に満ちた車内に、壱縷が静かに飛び込んできた。乗員らが一瞬硬直したので、壱縷は笑って腕を広げる。
「怖がらないで……助けに来たのですよ!」
その手を年少組の2人がそれぞれ握った。壱縷は力強く頷き車外へ。3人目、年長組の女児は口を抑えて涙をこらえていた。自分より年下の子供を怖がらせない為に必死だった。
彼女を佳槻が抱きかかえる。
「もう大丈夫ですよ」
嗚咽が漏れないように、頭を自分の胸へきつく押しつけてやる。噛み締められた悲鳴が直接体に叩き付けられたので、佳槻は更に林までの道を急いだ。
その背中を追いながら、壱縷は僅かに手の力を強める。安心させるように、でも怖がらせないように、何より痛くないように、そして絶対に守り抜くと誓うように。
林の茂みに近づくと、既に璃遠が出立の準備を終えていた。それは追手が居ないことを暗に示していた。
悪くない判断だ。仲間の背を見送りながら後続、慈とすれ違う。
「もう少し多く連れてきても平気かもしれません」
「要判断、ですねー。了解です」
胸の中の子供には届かぬ小声を交わし、佳槻は林へ、慈はバスへと直走る。
●異変
バスの中、残された17人の乗客は車内の中央近くに固まっていた。頭を抱えて縮こまる子供たちを2人の大人が覆うように抱きしめている。大丈夫、怖くないからねと、小声で何度も声を掛けていた。
彼らを心配そうに見遣る良助。その視界の端に嵐澄の手が見えた。
軽い身のこなしで璃遠が車内に飛び込む。
「お待たせしました」
落ち着き払った小さな声は、しかし、頭上、離れた位置から届いた爆音に紛れてしまう。
直後。
「伏せて!」
と言う暇も無く、バスがごろん、と傾いた。
危うく潰されそうになった慈と嵐澄が大きく距離を取る。片輪走行のようになったバスの窓に子供らが、子供らを護ろうとした保育士と璃遠が激突する。ゴンッ、と硬い音がした。
傷を負った巨鳥が猛るように高い声で鳴いた。敵意は眼差しに乗って陽動班へ放たれ、怒りは力となって両脚に籠る。
めきめきめきめきめきめきぃぃぃぃ――
ありありとバスが潰れる。
目の前に迫った歪に窪んだ天井に、錯乱した子供が、堪らず、とうとう、璃遠の腕の中で声を張り上げて泣いた。
苦い顔をした良助が得物を替えて外を見る。バスの近くを飛んでいた数体が、くい、と体の向きを変えた。
「こっちだ、害獣。撃ち落とすから来るといい!」
腹から声を出しながら、朔は窓を飛び出し着地する。すぐ上を飛んでいた2体がすぐさま頭を向けた。手前の個体が口を広げるが、そこには良助が放った銃弾が飛び込んだ。輪のようになって消し飛ぶ『兄弟』に目もくれず、もう一体が羽を畳んで突撃してくる。軌道はあまりにも安直だった。朔はさっと狙いを定めて発砲、愚直な鳥を撃ち落とす。
「うるさい虫ほどよく群れる。……ああ、鳥でしたか。見間違えました」
あまりに鬱陶しかったもので。敵意を付け加えれば、ナイトバードの視線は更に集まった。
朔は走り出す。向かうのは仲間の許、視線と銃口は鳥の群れ。バスを振り返る必要はなかった。そこには相棒がいるからだ。
良助はバスの窓口に腰を降ろし、黒塗りの銃身を地面と垂直に構えていた。懸命に駆けていく相棒へ狙いを定めた鳥を真下から撃ち抜く。直撃の瞬間は見ず、すぐさま身を返して次の個体へ照準を定める。今度は横っ面を狙撃。目的は救出、優先順位はバスの周囲にいる個体から。それを忘れることなく、挙動の間に朔を見守った。
一変した状況に璃遠が対応する。全てを連れて行くのは危険だが、この場に残しておくわけにもいかない。
「もう2組、一緒に行きましょう。大人の方、どちらか同行してください」
私が残ります、と保育士。残らせてください。
「……わかりました。決して動かないでください。必ず僕たちと仲間が守ります」
伝え、璃遠は泣いている子供らと運転手を連れて表へ。芝生の上では変わらない笑みを保った慈が膝を曲げ、両腕を広げて待っていた。
口を堅く結んだ子供たちが慈の胸に飛び込んでいく。或いは微笑ましさすら滲むその光景に、小さな影が落ちた。
目ざとく泣き声を聴きつけたナイトバードが嘴に電撃を蓄える。慈が子供らを連れて走り出した。そこへ攻撃を繰り出そうとした瞬間、金色に輝く嘴を横から嵐澄が狙い撃つ。ナイトバードはぐらり、と宙でバランスを崩した。
璃遠が車体を蹴って飛び上がる。握った直剣には深紅の炎が浮かんだ。真下から切り上げるように振り抜く。中央から真っ二つに立たれた小さな身体は宙で粉々に砕け散った。
着地、すぐに顔を上げる。こちらを見ているのはあと2体。
「畜生の癖にフサフサとか、ムカつくよねェ」
「援護、お願いします」
「了ー解。『光物』に寄ってきちゃったらごめんねェ」
言いながら発煙筒を焚く。少し離れた位置に放ったそれは、すぐにもくもくと真っ赤な煙を大量に吐き出した。
それは、既にバスと林の中点に至っていた子供たちの目にも映っていた。尋常ではない量の赤煙が空に昇っていく。
「綺麗でしょう?」と、慈が呟く。
「『あと少しだから、みんなで頑張りましょうねー』って合図です。もうすぐ家に帰れるから、あと少しだけ頑張ってくださいねー」
子供たちは頷いたり、俯いたり、しかし一様に口元を手で抑えて急いだ。運転手だけが不安そうな顔で慈を見つめて来たので、大丈夫です、と声を出さずに口を動かした。
慈の想いを肯定するように、林から飛び出してきた壱縷が駆け寄ってくる。
「僕が救出に向かうです! 間下様は林へ。天宮様が防御陣を敷いているです!」
「わかりましたー。くれぐれも気をつけて」
言って視線を伸ばせば、佳槻が林の浅い位置で手を挙げていた。足元からは淡い、しかし優しい光が浮き上がっている。慈は笑みを更に強め、民間人を送り出し、殿の位置を確保。一度肩越しに振り返ってから林を目指した。
緊急陽動を完遂した朔は射撃で陽動班を援護しつつ、静かに遠回りでバスに戻ってきた。敵の数は目に見えて減っていた。増援も途絶えて久しい。朔は考察する。それは何を意味するのか。
バスへ顔を向けた。打ち合わせよりも多くの民間人がバスの外に出ており、その中には保育士の姿があった。璃遠が付き添い、近くにいた嵐澄の手には2本目の発煙筒が握られている。すぐに壱縷が到着した。口元を掴んだ民間人が仲間と共に林を目指す。その中に相棒の姿はなかった。
探す。
すぐに見つかった。良助はバスの中で、身を屈めて椅子の下などを見回っていた。万が一にも逃げ遅れた子供がいないように。
車体から覗いたり、隠れたりしていた良助の姿は、しかし、ある瞬間にぐい、とバスごと持ち上がった。
追撃がこないことを確認して、嵐澄が発煙筒を焚く。手でしっかりと握ったそれは、すぐにもくもくと真っ青な煙を大量に吐き出した。光り輝く頭上に掲げる。遠く、苦境を駆け抜けた仲間まで届くように。
綻んでいた嵐澄の口元は、しかし、存分にしなりながら羽ばたかれた二枚の翼を見て凍て付いた。
休憩を終えたバースバードが飛び上がる。必然、掴まれた歪んだバスも大地を離れた。
朔が思わず叫びそうになる直前、良助が車体から飛び出した。踏み切る直前に大きく揺らされ、まるで投げ出されたようになってしまう。
自分を見上げてくる相棒に、良助は空中で手を挙げた。腕で頭を抱えるような姿勢で受け身を取りながら着地する。そして背を芝に押し付けたまま黒塗りの銃身を掲げた。
空へ戻ったバースバードの瞳に、風に流れた青が映り込む。太い首を捩じって見遣れば、厚い煙、それを掲げつつ銃口を向ける嵐澄の姿があった。更にその奥、林の手前で光を纏う佳槻を中心として璃遠、慈、壱縷が背後の民間人を庇う陣を敷いている。
ことここに至って、ようやく怪鳥はまんまとしてやられたことに気が付いた。
あいつらの所為だ。
執拗に、しぶとく、ずっと邪魔してきたあいつらの所為だ。
バースバードは空で大きく旋回、向き直ると、最早鉄塊としか呼べないほど変形したバスを、陽動班目掛けて投げ付けた。鉄塊はくるくると回転しながら一目散に陽動班を目指す。
それを朔が横から撃ち抜いた。ありったけを込めた渾身の一撃は、バスを破砕するには至らなかったものの、陽動班を危機から救うには充分過ぎた。
朔が見守る中、散開して難を逃れる陽動班。その中の一人が、長い金髪を爆風に靡かせながら前に出た。
「『そこから動くな』」
凛とした声と同時、矢を模した光が射出される。それが着弾すると同時、怪鳥の眼下から良助が放った研ぎ澄まされた一撃がもう片翼に直撃した。
両の翼を同時に撃たれた怪鳥は急降下、首の付け根から芝生に墜落する。地が揺れるほどの衝撃だった。
良助が合流した朔と前に出て、しかし強烈な向かい風に脚を止めた。
バースバードは無理矢理羽ばたいていた。或いはもがいた、という表現が正しい。産まれたての雛のように両の翼を振り回していた。背中で地面を削り、先端で木々を薙ぎ払い、ようやく怪鳥は体勢を立て直す。そして一も二も無く飛び立つと、高い鳴き声を残し、空の彼方に飛び去って行ってしまった。
●
「……はい、これで大丈夫、っとォ」
嵐澄がにこりと笑うと、頭に処置を施された子供は小さく笑って頷いた。そして立ち上がると彼の背後に回り、他の子供らと一緒に嵐澄の偽りの髪をあちらへこちらへと引っ張った。
佳槻は一歩離れた位置で腕を組み、眺めていた。踵を返したところで腕を掴まれる。そのまま壱縷に引きずられるように連行されていき、そこには共に救出に当たった仲間らと、陽動を務めた仲間らが整列していた。
指揮を執っていた保育士が小さく頭を下げて戻った。林の手前、くすぐったそうに列を詰める子供らの後ろに回る。
子供らは全員無事、というわけではなかった。頭に包帯を巻いた子供もいれば、袖に赤を滲ませている子供もいた。だが彼らの顔は、ただの一人の例外もなく、笑顔だった。
だから。
それじゃあ、みんな。せーのっ。
――ありがとおございましたっ!!
屈託のない幾つもの言葉が、平穏を取り戻した青空に響き渡った。