.


マスター:十三番
シナリオ形態:シリーズ
難易度:普通
参加人数:6人
サポート:1人
リプレイ完成日時:2014/01/23


みんなの思い出



オープニング

●久遠ヶ原学園

 鼠色の重たい空の下、上着の前を絞るようにして小走りで進む。すれ違う生徒に軽快な挨拶とはにかみを飛ばして、彼女が向かうのは喫煙所。
 授業中ということもあり無人だった。埃っぽい温かさを有難がり、指定席に腰を降ろす。
 念願の一本目を咥えたところで携帯が震えた。決して頭の上がらない上司から。また雑用じゃあるまいな。眉を曲げて火をつけて、やや置いてから応じる。


「はい、小日向です」

――発見された


 授業を放棄した学生が、紙巻きを咥えて訪れたにも関わらず、先客の表情を見て踵を返した。


「いつの情報です?」

――今届いたばかりのものだ

「どこまで広まってます?」

――私で止まっている。私で止めている。だが、明日には上へ報告しなくてはならない

「じゃ、今夜ですね。今からでもいいですけど。あ、今日は早退させてください」


 返事を待たず通話を終えた。
 両手をポケットに突っ込み、両足をお構いなしに投げだした。
 自然と頭が下がった。
 唇に挟んだ一本を、フィルターが熱を帯びるまで、ゆっくり、じっくりと吸い続けた。



●小日向宅

 五所川原合歓が掛け時計を確認する。自分の眼は間違っておらず、また、時間は確かに進んでいた。
 外は既に暗い。天候も相まって、夜と寒さは急ぎ足でやってきた。こたつに深く潜っているのに、合歓を襲う寒気は一向に収まる気配がなかった。

 千陰が帰ってこない。

 それ自体、珍しい事ではなかった。仕事が長引くこともあれば、同僚と話し込んで遅れたこともある。日常の範疇と言えた。
 ただ、いつもはあるはずの連絡が一向に訪れない。それだけなのに、とても、とても寒い。
 もう一度大きく身震いして、合歓は肩までこたつに潜り込んだ。



●小日向宅

「道にでも迷ってんのかよ……」
 バイトを終えて帰宅するなり合歓に抱き付かれた三ツ矢つづりは、その状態のままこたつに入り、知人や友人に片っ端から質問を投げた。うちのババア知らない?
 だが、返ってくるのは否ばかり。午前はまだ目撃例があったものの、午後からは誰も見ていないようだった。
 何度か電話も試みた。だが電源が入っておらず繋がらない。
 寒さに加えて空腹も手伝い、苛立ちはどんどん積もっていく。夕飯は全員揃って、がルールだ。定めた癖に自分で破りやがって。こたつを下から足で小突いた。

 日付が変わりそうになる頃には、つづりは半ば諦めていた。成すべきことが無くなってしまっていた。ゴミ箱はつなぎにつまんでいたみかんの皮で溢れ返っている。いつもはとっくに眠る合歓は、尚もつづりを急かすように抱き付き続けていた。
 ため息交じりに放り投げた携帯が、光って鳴って震えた。つづりは体を伸ばして拾い、合歓も自身のポケットから取り出す。
 千陰からのメールが着信していた。
「んだよ、携帯生きてんじゃん……」
 憤り、開いて――



 今夜は帰れません。
 でも必ず帰るので、しっかり戸締りして寝るように。



 ――息を呑んだ。
 急いで電話を掛ける。しかし既に電源が切られており、繋がらない。

「行くよ」
「――……うん!」

 跳び起き、上着を掴むと、つづりは携帯を操作しながら、合歓は瞳に涙を溜めて、勢いよく表へ飛び出した。



●久遠ヶ原学園

 携帯をロッカーへ放り込み、千陰は図書館を後にする。出てから踵を返し、小さく一礼した。
 物寂しい学園を進む。なるべく人通りの少ない道を。忘れ物はないか、とポケットを何度も確認しながら。
 4度曲がった先の通路には人の姿があった。白髪を短く刈り込んだ初老の男性。姓を市川という。
 視線が一瞬だけ交錯した。それきり、並んで歩いていく。
「今になって突然姿を現した原因は?」
「放棄されて久しい土地に現れたところが偶然発見された。最も詳しいのは今も君ということになる」
「上等じゃないですか」
「数十体のディアボロを引き連れているようだ。数体強力な個体がいるらしい」
「無視するつもりです。目的は決まっていますから」
「……。今回の件は、全て君の独断ということで処理する。娘が今年大学生になるのでね、これが譲歩の限界だ」
「御入学おめでとうございます」
 『立ち入り禁止』のプラカードが下がった扉を開ける。
 千陰は左目を剥いた。
 殺風景な部屋の中には、転移装置――と、それを取り囲むように並ぶ、準備を終えたあなたたちの姿。
 千陰が振り向く。
「ぶっ飛ばしますよ」
「私が集めた者もいるが、匿名の知らせを受けて集まった者はどうすることもできない。壁際の彼らはリザーバーだ」
 あの馬鹿。千陰が毒づく。
 市川が口元を揉む。
「僻地で確認されたディアボロの討伐任務を与えている。彼らは彼らの、君は君の『任務』を果たせばいい」
「だから――」
「この泥は君に被ってもらう。
 転移装置の無断使用に加え、戦力の差も明確ではない戦地に事前申請無しで生徒を連れ出したとなれば、流石に上の目を誤魔化すことはできない。後は判るだろう」
「いつかも誰かに言ったけどな、逆境は慣れっこなんだよ。知ってんだろ」
「思い直せ、小日向。今なら、今更、君を責める者などいない」
 応えず、千陰は装置の中に入っていく。
 市川は鼻から大きなため息を落とし、あなたたちを眺めた。
「戦力の差は不明、現場の状況も詳しくは判らない。だから私も無理を言うつもりはない。できることをしてくれればいい」
 そして、散々逡巡してから、
「……頼んだ」
 頭を下げた。





「……んん?」
 ぱたり、と本を閉じ、顔を上げる。赤い巨躯のディアボロがこちらを見降ろしてきた。
「あーいぃいぃ。余計な事したくねえんだよ、今日寒ぃし。ヤバくなったら逃げっから、ここにいな」
 ディアボロが頷く。
 鼻が鳴った。それにしても。
「懐かしい匂いだ。……出て来た甲斐があった、か?」
 薄く笑い、口をもごつかせる。



●放棄区画・元市立図書館前

 赤褐色の外壁は発泡スチロールのように零れて欠けて、既に役割を成していない。辛うじて閉じている門も歪んで傾き、大きな隙間を開けている。
 その奥、元は駐車場であった位置には多くの人影――人の様な影が蠢いていた。2メートルほどのそれは赤い瞳で虚を見つめながら、ただうろうろと揺れ続けている。
 更に奥では何かが青く光っている。獣の姿をしたディアボロだった。銀色の瞳はこちらを一瞥、しかしすぐ目蓋の裏に隠れた。


「あなたたちの任務はあいつら。私の任務は、その奥にいるヴァニタス。絶対に間違えないように」
 するり、と眼帯が地面に落ちた。
 あごを上げて紫煙を吐く。
「今日は気遣いできないわ。危なくなったら自力で逃げること。いいわね」


 答えを待たず、千陰は錆びた門を蹴り飛ばした。耳をつんざくような音を立て、鉄柵が地面を穿って崩れていく。
 ディアボロが一斉にこちらを向いた。
 千陰は得物を構えて走り出す。
 とうとう、あなたたちを振り返ることはなかった。





 誰にも許されず、咎められもしなかったいつかへの、精いっぱいの償い。

 身を切るような逆風の中、
 魂さえ軋ませるような夜が、
 今、
 始まる。


リプレイ本文

●放棄区画・元市立図書館前駐車場

 黒ずんだ人だかりの奥、見る見る小さくなっていく小日向千陰の背を、表情を強張らせた神喰 茜(ja0200)が追う。声は投げない。周囲の敵意に注意深く気を払い続けていた。
 進路にディアボロが立ちはだかる。腕を広げ、肩を寄せ合うようにして。茜は愛刀を握ったまま、一歩分だけ退いて半身に構えた。
 そこを紫の光が走る。光は人だった物をまとわりつくように取り囲むと、後方、月詠 神削(ja5265)が魔導書を閉じた瞬間爆発した。半身が四散したディアボロを斬り伏せ、茜は前へ進む。もう一体が残った腕を振り被り迫った。が、狗月 暁良(ja8545)に頭部を撃ち抜かれると、呆気なくその場に倒れ、崩れた。

 幾つもの赤い双眸は死地を征く赤髪の少女を追った。声なき声を上げ、つんのめりそうになりながら歩みを進める。
 その一団、先頭の個体の視界に『黒』が躍り出た。驚くように足を止め、直後に生まれた炎に目を丸くする。
 久我 常久(ja7273)が腕を突き出すと、放たれた炎が大蛇を模し、ディアボロらを呑み込んで暴れ回った。曇天を焦がすように上方へ抜け、咆えるようにして掻き消える。そこへマキナ(ja7016)が駆け込み、全身の痛みに悶える人型へ、異形の戦斧をありったけの力で振り降ろした。
 粉砕されるディアボロ。まるでその仇を討つかのように、もう一体が腕を振り被った。狙いはマキナ。
 両者の間に常久が転がり込み、平手でアスファルトを叩く。発生した畳が振られた腕を真下から弾き返した。一転、無防備となったディアボロへ、マキナが怒号と共に戦斧を振り回す。鈍色の刃はディアボロの身体を真っ二つに断ち斬った。

 『敵』が訪れ、同胞を倒して暴れている。
 揺るぎようのない事実は危機感としてすっかり辺りに蔓延していた。足並みを揃えてディアボロらが進んでいく。
 そこへナナシ(jb3008)が斬り込んだ。左手に現した、膨大な光を宿した雷の剣がディアボロらを撫で斬る。荒れ狂う雷は黒ずんだ人影を跡形も残さず消し飛ばした。
 派手な光に当てられて、近くに居たディアボロが群れを成して近づいてくる。ナナシは顔を向けず、右手に握った炎の剣を振り降ろした。剣閃をなぞるように邁進した炎が人型を呑み込み、一切合財蒸発させた。
 宛ら舞いだった。舞うように猛っていた。赤い瞳は奥、幾らか疎らになったディアボロの向こう、遠くなる千陰の背を捉えて離さない。





「ほーう。派手にやりやがる。技術か素質か判らねえが、昔のまんまってわけにはいかねえよなあ」
 ころ、と口の中身を転がし、にやついた。
「そ、れ、に……間違いねえ。来た、来やがったか」
 重い腰を持ち上げる。背後で巨体が一度羽ばたいた。





 千陰が身を反るようにして足を止めた。目の前には3体のディアボロが横一列に並び、進路を封鎖している。めんどくさ。ぼやきながら煙草に火をつける。背中に軽い感触があった。
 小さく呟き、茜は後方を確認する。仲間の奮闘の甲斐あり、追手は無く、敵は遠い。
 背中側から若干溜息を含んだ吐息が届く。何か言われるかな。僅かに唇を突き出した茜に投げられた言葉は、彼女の予想外のものだった。
「怪我、無い?」
 死地に在りながら、いや、だからこそ千陰は茜を気遣わずにはいられなかった。
 茜は一瞬きょとんとしたものの、すぐに頬を引き締める。
「なんとかね」
「じゃ、合わせて」
 告げ、千陰が左前に出る。茜が振り返ると、今まさにディアボロが腕を振り降ろす瞬間だった。
 千陰は左から来る拳を横に揺れて避け、中央の個体が振った脚を真上に跳んで躱した。右側が追撃するより早く、踏み込んだ茜が細身の太刀を振るう。神速の二斬。刃は遠い人工の明かりを映しながら、中央の脚と右側の脚を断ち斬った。前に倒れてくる中央を千陰のトンファーが打ち上げる。飛沫となって砕けるディアボロ。その破片に紛れて更に踏み込んだ茜の八岐大蛇が右の個体を逆袈裟に切り裂いた。
 着地した千陰に残党が迫る。振り上げ、降ろさんとする腕。その挙動のどれもが遅すぎた。流れるように横へ、半歩多く揺れる。続き易いように。
 アスファルトに激突した腕とその奥にある腰を、駆け抜けた茜が刻んだ。バランスを崩して倒れるディアボロの後頭部に、風を切るほど回転した旋棍が激突する。勢いよく倒れたディアボロは、それきりぴくりとも動かなかった。
 得物にたかった黒を払い、中点に千陰が得物を掲げる。
「やるわね」
「ま、このくらいはね」
 そこへ茜が峰を合わせた。短く高い音が鳴る。それを合図としたように、獅子の成りをしたディアボロが体を持ち上げた。



 暁良は早々に気付く。人型は殴る、蹴る攻撃しか繰り出さず、距離を詰められない限り被弾の心配は無いことに。他の者も勘付いて、というよりは感じ取っているのだろう。傍ら、神削は再び紫の光を吐き出している。前衛もそれを察し、射線、そしてディアボロから距離を置いている。まったくもって頼もしい。微かに肩を竦め、暁良は射程に捉えるべく歩みを進めていく。
 戦場に爆ぜる紫の光。巻き込まれ、欠け、崩れるディアボロへ常久が棒手裏剣を投擲する。脚部を狙ったそれは全弾命中、ディアボロはぐしゃり、とその場に崩れ落ちる。尚も腕を振り上げようとするが、その背にマキナの一閃、或いは喉に暁良の狙撃を受けると、それきり二度と動かなくなった。
 常久が振り返る。支援が厚過ぎる、背後ではナナシが多数を相手取っているはずだ、と。
 彼よりもかなり小柄な少女は、戦地に炎の剣閃と光の玉をばら撒き、孤軍奮闘、一騎当千の働きを見せていた。そして今また、羽を生やした光が一体を押し潰す。周囲の『人影』を殲滅したナナシは、一旦両手の剣を散らせ、駆けていった。目で追う。茜と千陰が人型と交戦を開始した瞬間だった。
「行ってくれ」
 振り返らずにマキナが告げる。
「――任せた」
 振り絞るように言われた。目をやれば、遠く、神削が頷き、暁良も不敵な笑みを湛えている。
 頷く時間も惜しみ、常久は走り出す。道中、一度舌を打った。視線の先には千陰の背。

「(振り返って見てみろ、こいつらの顔を。
 『大人』なら、子供が真似しそうな事しちゃいけねぇんだ。
 全く見えてねぇなら、見て見ぬフリしてんなら――ワシは許さんぞ、千陰ちゃん)」

 マキナは柄を強く握り直した。人型は固く、撃破に手間が掛かる。必然歩みは鈍り、千陰を直接援護するには距離が開き過ぎていた。
 だが肩を落とすような真似はしない。青い眼光が人型を射抜く。
「(俺は、全力で自分の仕事をするだけだ)」
 人型が踏み込み、脚を鞭のようにしならせて蹴り上げてくる。マキナはそれを紙一重で躱すと、一歩、地を轟かすほど強く前に出て、全体重を乗せた掌底を放った。
 衝撃は凄まじく、人型は頭や肩を打ち付けながらごろごろと転がってゆく。他の個体に激突してようやく停止し、顔を上げた時には、目前で蒼炎が燃え盛っていた。
「っらああああああああッッ!!」
 振り抜く。
 鋭利な刃が手前の脳天を叩き潰し、軌跡をなぞるように奔った炎が後ろの個体を焼いた。
 全身を蒼に包まれ、それでも人型は前に出ようとする。マキナは顎を引いたまま戦斧を虚空に振り降ろした。
 彼に掴みかかろうとした人型を、後方から飛来した光の槍と弾丸が立て続けに襲い、倒し、斃した。

 神削は静かに息を吐いた。人型は数えられるほどにまで減っていた。マキナを遠巻きに取り囲む残りを片付ければ、前に出ることができる。隣に並ぶことができる。
「……行くぜ」
「ああ――」
 と、言いてートコだが。斜め前を陣取っていた暁良の首が、不意に図書館へ向いた。
「――黙ってらンねー、とサ」
 視線を追い、空を仰ぐ。
 暗雲を纏ったような赤が飛んでいた。



 刃を交えずとも、一見しただけで感じることができた。隆々とした青い身体、焔の様に映えるたてがみ、命を抉らんとする銀色の双眸。たむろしていた人型とは格が違う。茜は静かに構えを改めた。
 隣で、ふぅ、と煙が吐かれる。
「私はスルーして奥に行こうと思うんだけど、神喰さんは?」
「ついてくよ」
 さらりと答えた。飛んできた、ぐにゃりとした眼差しは受け流す。
「ほら、ヴァニタスの傍にもディアボロがいるかもしれないでしょ。消耗させてヴァニタスと戦わせるわけにはいかないんだよね」
「通してくれれば、でしょ。めっちゃ見られてるわよ」
 小首を傾げて見上げる。
 千陰の表情は確かに色合いを変えていた。本人にしてみれば『調子が狂っていく』と感じ、茜から見れば『ようやく目が覚めてきた』と映った。
 背中に当たる戦いの音が、足音が、声が、傍らにいる者の言葉が、千陰の頭を冷やし、別方向から熱してくる。
 だが、まだだ。まだまだ固い。
 何を思い詰めてるのか知らないけど。茜はそっと息を吐く。
「頼っていいよ」
「……」
「せんせーに消耗させない。約束は違えないようにしてるんだよね」
「……ったら」
 眼差しで尋ねると、千陰は弱々しく笑った。
「終わったら、美味しいものでも食べに行きましょうか。何か考えといて」
「約束?」
「約束」
 笑う茜の髪が金色に染まる。
 それが合図となった。
 獅子が鋭利な牙を剥いた瞬間、千陰が左に、茜が右へ飛び、2人の間からナナシが雷の剣閃を放った。
 辺りを眩く照らし、大気すら焦がしながら迫る光を、獅子は素早く横にずれて往なす。
 そこへ茜が斬り込んだ。急所を狙った、打ち崩すような斬撃は、しかしたてがみを削ぐに終わる。
 雷の残光を飛び越え、音も無く着地する獅子。その後ろ脚を、駆け込んだ常久が刺突した。捉えた、が、浅い。裂けた足を気にも止めず、獅子は大きく旋回する。停止した位置は千陰の間合いだった。
 体重を乗せた打ち払いが獅子の脇腹に直撃する。吹き飛び、転がる獅子を一瞥し、千陰は暗闇に向かって叫んだ。


「いるんだろ、そこに! いつまでも隠れてんじゃねえぞ!!」


 肩を打ち、腰を打つ獅子の目に映ったのは、刀を振り被り迫る茜の姿。
 低い声で唸り体勢を立て直す。濡れた牙が並ぶ口を広げ、跳んだ。


「出てこい!! グレイリップ!!」


 交叉する青と金。バン、と短い音が鳴った。
 振り向く。
 顔の上、耳の辺りを切り落とされた獅子が忌々しげに睨んできていた。
 切っ先を向け、頬に飛んだ液を指で払う。音も無く髪の色が戻っていった。


「おう、出迎えご苦労さん」


 追撃に備えた常久とナナシが、先の見えない道から飛んできた声に体を強張らせた。
 その直後。


「跳べ!!」


 遠方から届いた神削の指示に一も二も無く従う。低空を退く2人を爆風が強く押した。なんとか堪えて立ち上がれば、先程まで彼らがいた位置には、鳥の姿をした巨大なディアボロが降り立っていた。
 成りは鷲に似ていた。三日月のように反った嘴で咆えながら広げた翼はサッカーのゴールよりもまだ大きい。表面を流れる血のような赤が徒に警戒心を煽ってくる。


 マキナが強く舌を打った。
「厄介なのが来やがったな」
「確かにナ」
 暁良が帽子のつばを引く。距離はあったが、だからこそ注意深く、くまなく観察することができた。
「あの硬そうな図体に加えて、口からは魔弾。行かせも逃がしもしねェって目が言ってるナ。
 センセーは無事辿り着けたみてェだが……さて、どうする?」
「倒すさ」
 神削は即答。
「あのディアボロも、他のディアボロも、その奥のヴァニタスも倒す。
 勝って、全員で帰る。絶対に。絶対だ」
 決意と覚悟に満ちた眼差しが、鳥の奥、暗闇に注がれる。


「久しぶりじゃねえの。つーか、今のってオレの渾名か?」
「判り易いだろ」
「センスねーな」
 異形だった。上背は2メートル以上。卵のようなシルエットの大半は胴だ。腕は丸太のように太く、地に着くほど長い。申し訳程度に付いている頭部には髪が無く、目元は薄汚れた帯で覆われていた。胸に乗った顎の上、絶えずもごつく唇は、なるほど、灰色をしている。
 特筆すべきは腹部だった。辛うじて膝が認識できる規模の脚の上、風船のように膨らんだ腹には、脇まで届く厚く、腫れぼったい口がついていた。泥を混ぜた石灰を固めたような唇から不揃いの黄ばんだ歯が覗き、臓物のような舌がだらり、と溢れていた。
「そっちこそ、よく覚えてたな」
「忘れるわけねーだろーが。『今までずっと一緒だった』んだからよ」
 言い切り、ちゅるん、と唇を鳴らす。
 唇の間にピンポン玉のような白い球が浮かんだ。くるりと回る。瞳がついていた。眼球だった。
 それを見た瞬間、

「……っ」

 千陰は、

「――ッ」

 身体をくの字に折り、胃の中身を吐き出した。

「……っく……ククク……」

 びちゃ、びちゃ。ぼた、ぼた。何も出なくなっても尚嘔吐は続いた。

「クククク……はははははははははははははははははははははははははは! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ひーっ、ひーっ! アアアアアアアアアアアアッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァァッ!!!」



「(なるほどね……せんせーがむきになる理由、やっとわかったかも)」
 横目と片耳で遣り取りを受けていた茜が、深く、息をついた。それにしても。
「(――虫唾が走るよ)」


 目を見張っていたナナシが眉を寄せた。
「(作り物じゃないでしょうし……何かあるわね。もしかしたら、小日向さんも知らない『何か』が)」
「なぁ」
 思案を重ねる彼女に常久が呟く。
「覚えてるか。ちょうど一年くらい前、今日みてぇに寒い日に、千陰ちゃん、言ってたよな」
 言われた時を遡り、ナナシはこくん、と頷く。
 常久が重い、長い溜息を吐いた。
「それが、そこが『解答欄』か、千陰ちゃん」


 ふたつの口で存分に、暴れるように嗤うヴァニタス――グレイリップ。
 その前で、四回盛大に咽てから、千陰は静かに立ち上がった。










●久遠ヶ原学園

「思いの外早かったね」
「……近道、通ってきたんで」
 三ツ矢つづりは体のあちこちに付いた落ち葉を払った。匿名で送られてきたメールに記された『近道』は確かに有効で、しかし飛び切りの悪路だった。
「司書、どこスか」
「私が話すことは何もないよ」
 膝を伸ばし、踵を返す。
 その先は五所川原合歓が封鎖していた。目に涙を溜めた彼女が携帯の画面を突き出してくる。映し出されていたメールの文面は、酷くシンプルなものだった。


 『必ず帰す』


 信頼している者からの連絡は心強く、だからこそ不安でもあった。
「――……千陰、何しに、行ったの……!」
 市川は肩を落とした。どいつもこいつも、人の気も知らないで。
「何か飲むかね」
「はぐらかしてんじゃ――!」
「逃げぬさ。
 君たちが知らない事を、知らなければいけない事を、小日向に代わって私が話そう」



 様々な思惑を内包した冬の長い夜は、更に深く、深く更けてゆく――。


依頼結果

依頼成功度:成功
MVP: 血花繚乱・神喰 茜(ja0200)
 誓いを胸に・ナナシ(jb3008)
重体: −
面白かった!:7人

血花繚乱・
神喰 茜(ja0200)

大学部2年45組 女 阿修羅
釣りキチ・
月詠 神削(ja5265)

大学部4年55組 男 ルインズブレイド
BlueFire・
マキナ(ja7016)

卒業 男 阿修羅
撃退士・
久我 常久(ja7273)

大学部7年232組 男 鬼道忍軍
暁の先へ・
狗月 暁良(ja8545)

卒業 女 阿修羅
誓いを胸に・
ナナシ(jb3008)

卒業 女 鬼道忍軍